平安の世に広まった和歌は女性中心に嗜まれたのに対して、江戸時代になると連歌という形式で庶民、特に男性中心に発展しました。連歌の最初の「発句」のみを独立させたものが俳諧と呼ばれ、特に松尾芭蕉(1644-1694)によって短詩として文学のジャンルとして確立した・・・というのが、ごく簡単な歴史です。
主として男性のものだった俳諧ですが、ごく少数ですが女性で俳諧師として名を遺した方々もいます。芭蕉とほぼ同じ時代に生きた田ステもその一人。俳号は田捨女、一般に捨女(すてじょ)と呼ばれています。
1634年、現兵庫県丹波市の庄屋に生まれた捨女は、わずか6歳で詠んだとされる句が有名です。
雪の朝二の字二の字の下駄の跡 捨女
読んでそのままですが、雪がうっすらと積もって嬉しくてしょうがない雰囲気がしっかりと伝わります。ただし、6歳で詠めるのか? あるいは本来の捨女の作風と違うなどの疑念もあるようです。
艸よ木よ汝に示すけさの露 捨女
いつかいつかいつかと待ちしけふの月 捨女
「艸」は「くさ」と読み、草の総称、草が並んで生えている様子を意味します。もう一つは、「いつか」を三回もリピートして、名月を待ち望む気持ちが強烈に伝わります。
花や散らん耳も驚く風の音 捨女
夕立に洗いて出るや月の顔 捨女
女性らしい句。突然の強風を「耳も驚く」と表現。月を「顔」と言い、雨で洗って涼し気になるという発想。これらの感性は、男ではなかなか思いつかないもので、捨女の知性を感じさせます。結婚し二児をもうけますが、40歳で夫を亡くし、54歳で出家、1698年、65歳で死去しました。
もう一人、加賀の千代女として知られた与謝蕪村(1716-1784)と同時代の女性俳諧師がいます。加賀の国、今で言う石川県白山市で、1703年に表具師の家に生まれ、幼少のころより俳諧を嗜みました。
朝がほやつるべ取られてもらひ水 千代女
俳句史の中でも最も有名な句の一つと呼んでもいいようなくらい、誰もが知っているものです。最初は「朝顔に」としていましたが、後に「朝顔や」に推敲しています。多くの俳諧を芸術的に否定した正岡子規が、この句も俗っぽいと断じたため俳句としての評価は高いとは言えません。
ほととぎす郭公とて明にけり 千代女
エピソードとして面白い句。「郭公(かっこう)」も「ホトトギス」と読みます。芭蕉門下の俳諧師がやって来た時に、17歳の千代女が弟子入りを志願しました。その際、「ホトトギスの俳句を詠め」と試されたため、一晩中読み続けた最後の一句とされています。
世の花を丸うつつむや朧月 千代女
ともかくも風にまかせてかれ尾花 千代女
千代女の句はわかりやすい。「丸うつつむ」や「風にまかせて」などは女性らしいふんわりとした表現かと思いますが、逆に俗っぽいと評される部分なのかもしれません。
起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな 千代女?
とんぼつり今日はどこまで行ったやら 千代女?
この二つの句は、とても有名です。しかし、いかにも千代女が詠んだという雰囲気はありますが、一般には千代女の作ではないと考えられています。結婚したかについては諸説ありで、52歳で仏門に入り、72歳の時に蕪村の「玉藻集」序文を書きました。1775年、73歳で亡くなっています。