2022年9月19日月曜日

俳句の勉強 38 子規忌


明治35年(1902年)9月19日は正岡子規の命日。

著名人の命日は、俳句では季語として残されています。正岡子規の命日は、「子規忌」あるいは「糸瓜(へちま)忌」、「獺祭(だっさい)忌」という季語になっています。

まずは子規の二人の門弟、虚子と碧梧桐の句を見てみましょう。

門葉の乱れもすこし獺祭忌 高濱虚子

天下の句見まもりおはす忌日かな 河東碧梧桐

「門葉」は血縁関係の一族という意味。そこから家臣、一門という意味合いでも使われます。虚子は、子規亡き後碧梧桐との確執が生じていますので、ちょっと意味深な感じ。一方の碧梧桐は、まさに「らしい」句で、季語無し、「おはす」という当時の尊敬語で、「皆のことを見守っておいでになる」という感じ。

「子規忌」という季語は、3音というところが俳句にしづらい。「子規の忌」という使い方をしている句もありました。また「し、き、き」とイ段の音が続くのも語感がきつく成ります。そういう意味では、子規の別名の「獺祭」とか、好きだった「糸瓜」の方が使いやすいかもしれません。

いずれにしても、忌日を詠むからには、対象となる故人に対する思いを感じさせるところが無いといけません。直接に子規と面識のあった虚子や碧梧桐と違って、「伝承」でしか知るすべがない現代人は、なかなか本質的な部分で難しいのは当たり前・・・という言い訳をしておいて、まずはボヤキ系の句を作ってみました。

子規の忌に眼明くこともなかりけり

月並みと言はれるだらふ子規忌なり

少しずつ勉強しているので、子規忌までにはましな句が作れるようになるはず・・・だったんですが、まったく開眼する気配もなく、おそらくどれをとっても月並みの言われてしまうだろうなというところ。

ちょっとでも俳句っぽくするために、文語表現を使うという姑息な技を知ったかぶりで出してみたものの、目糞鼻糞耳糞の域ですよね。

獺祭忌酒に変わりて三十年

姿消す獺祭残す裾野かな

獺祭は子規が使っていたペンネームの一つに獺祭書屋というのがあったことから。獺祭は、1990年代以来、日本酒の人気銘柄として知られています。これも子規の名前が命名のヒントになったそうです。獺祭は本来は動物のカワウソのこと。ただし、ニホンカワウソは絶滅危惧種、あるいは絶滅したとされています。1970年代末に目撃されたのが最後らしい。子規もカワウソも姿を消しましたが、その裾野はひろくひろがっています。

糸瓜忌に手元にあるのは茘枝かな

糸瓜忌や黒珈琲と三句の挙

瓜科の野菜では、糸瓜は最近はあまり見かけません。うちの冷蔵庫にあるのもゴーヤ(茘枝)だけなので、これで子規を偲びたいと思います。さて、最後はちょっと深みがある句になりました。子規の糸瓜を詠んだ絶筆三句は、執念の作品です。糸瓜そのものも当然なんですが、子規の生き様の最後のこだわりみたいなものが伝わってきます。そこで、自分のこだわりである砂糖・ミルクをいれないブラック・コーヒーを中に挟んでみました。

出来はともかく、俳句を作り楽しむ上で、正岡子規の功績は忘れることができません。少しでも子規にあやかってみたいところで、じたばたするのもトレーニングです。