2022年9月17日土曜日

俳句の鑑賞 21 月を詠む


昔から風流な物、美しい物と言えば「雪月花」、あるいは「花鳥風月」という表現があるわけで、詩歌の題材として「月」はありふれたものかもしれませんが、大変重要な要素であることに間違いはない。

月に関する名句とされるものを探してみましょう。

浴して我が身となりぬ盆の月 小林一茶

盆の行事をいろいろやった夜に風呂に使って疲れが取れ、やっと自分に戻ったよという内容。お坊さんの接待とか、いろいろ気を使うことが多い一日です。

初月や影まだしまぬ地のくもり 溝口素丸

溝口素丸は江戸中期の俳人。「しまぬ」は「染みてこない」という意味なので、まだ月の明るい所が見えていないので影もできないということ。仲秋の名月を待ち焦がれている思いを詠っています。

三日月や影ほのかなる抜菜汁 河合曽良

曽良は芭蕉の弟子で、「奥の細道」の行程の大半を共にした人物。菜っ葉や大根の葉を生育を助けるためときどき間引いたものを間引菜、あるいは抜菜(ばっさい)と呼び、汁物に入れたりするそうです。

待宵や水をうごかす白き鯉 長谷川かな女

かな女は大正期の「ホトトギス」の女流最初期の一人。月光を浴びて白く光る鯉の動きで、池に映る満月まであと一夜の月がゆらゆらと揺れている情景が浮かんできます。

名月や兎のわたる諏訪の湖 与謝蕪村

諏訪湖に映る満月が、まるで兎が水面にいるかのように見えたということ。諏訪湖と言えば真冬の「御神渡り」が有名ですから、ここでは兎を神の使いに見立てたのでしょうか。

枝豆を食へば雨月の情あり 高濱虚子

雨が降って月見もできないので、枝豆でも食って寝ちまおう。食べようと思って殻を割ったら中身が無いことがあるので、空っぽのことを雨で見えない名月に例えたのかもしれません。

いざよいや五十年目の新表札 丸山佳子

丸山佳子は、2014年に106歳で亡くなった京都の俳人。名月が過ぎてほっとした時期の「十六夜」と、家の古くなった表札を取り換えた気持ちをかぶせた句です。

木曽の痩もまだなおらぬに後の月 松尾芭蕉

1か月前に木曽まで行って名月を鑑賞した時の句。まだその疲れも取れていないのに後の月の時期になってしまった。痩(やせ)と言っても辛い疲れではなく、まだ名月のすばらしさの余韻にひたっているのにというところでしょうか。

歳時記を見ながら、ちょっといいなと思ったものをいくつか選んでみましたが、とにかく膨大な量の月俳句がありますので、他にいくらでも名句とされるものがあります。これらを少しずつ吟味しながら、自分の作句にいかせたらいいんですけどね。