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2022年10月10日月曜日

俳句の鑑賞 26 高野素十


高野素十(たかのすじゅう)は、本名、与巳(よしみ)、明治26年(1893年)3月3日、茨城県北相馬郡山王村(現取手市神住)に農家の長男として生まれました。水原秋櫻子と同級の医師であり、俳句では「ホトトギス」でのライバル。終生、高濱虚子の提唱する客観写生を貫いたと言われています。

秋櫻子と同じくして、旧制一高から東京大学医学部に進学。卒業後は同期の秋櫻子と同じ血清化学教室に在籍し、秋櫻子の勧めにより大正12年から俳句を始め、同年に「ホトトギス」への初投句で入選をはたし、みるみる頭角を現しました。

しばらく医学に専念していましたが、秋櫻子の「ホトトギス」離脱の翌年の昭和7年に、新潟医科大学(現新潟大学医学部)法医学助教授となり句作も再開しました。ドイツ留学を経て、昭和10年に教授に昇進しています。戦後は、第6代学長を務めた後、定年により奈良県立医科大学法医学教授として昭和35年まで務めました。

実は医学者としての業績はあまり無く、いろいろと揶揄されることが多かったようですが、研究業績よりも後進を育成することに力を入れていたようです。酒好きの豪放な性格で、自然と人が集まって来るような人物と言われています。

虚子からは「純客観写生」と高く評価されるものの、句集は自ら出したものは無く、生前のものは仲間が素十に代わって編纂していました。切れ字を使うことが少なく、名詞による体言止めと言われる手法の俳句が多いのが特徴となっています。

秋櫻子と対極にあるように評されることもありますが、山本健吉は「秋櫻子のように印象の新によらず、素十氏の句はひたすら凝視の厳によって立っている」とし、「昭和俳句の巨匠」と位置付けています。

同じ医師で傑出した俳人という共通点があるものの、秋櫻子と素十の違いがどこから来たのかは興味深いところです。秋櫻子は、都会出身で比較的突き詰めるタイプ。医師としては産婦人科という、新しい生命の誕生に関わってきました。一方、素十は、農家出身で細かいことは気にしないタイプであり、法医学という死人とのみ向き合っていく医学を専門にしました。

秋櫻子が新しい俳句の誕生を目指したに対して、素十はすでに存在している俳句の世界を突き詰めていくことに徹したのは、元来の性格と共にそれぞれが専門にした医学の分野との関係もありそうな気がします。

方丈の大庇より春の蝶 素十

ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 素十

甘草の芽のとびとびのひとならび 素十

くもの糸ひとすぢよぎる百合の前 素十

翅わつててんたう虫の飛びいづる 素十

食べてゐる牛の口より蓼の花 素十

いずれも、素十の代表句としてしばしば登場するものです。「方丈」は四畳半より少し広いくらいの寺によくある居室のことで、その大きな庇(ひさし)から蝶が飛び立つ様子。カブトムシに糸を結わいて遊ぶというのはよくありますが、その糸がぴーんと張っている様子などが、まさに写生画のように精緻に描かれます。

注意を惹く物を見つけると、じっと観察します。そして、対象が動いていったり、自ら視点を動かすことで、句の中にダイナミックな映像が浮き出てくるところが特徴的で面白いところだと感じます。しかし、その奥に凝視している作者の心情も透けてくるところが、まさに「俳句」ということでしょうか。