2022年10月28日金曜日

俳句の勉強 54 立冬で四苦


もうじき「立冬」です。立冬とは、暦の上では、ここから冬ですよということ。とは言っても、実際は秋の極みみたいなところで、冬という印象にはまだ遠いところです。

俳句でも、初冬の季語になっていて、傍題としては「冬立つ」、「冬に入る」、「冬来る」、「今朝の冬」などが使われます。

今回は兼題「立冬」で俳句を考えるのですが、「りっとう」という言葉の語感がややきつい感じがするので、なかなか難しそうです。また「立冬」だけで4文字使ってしまうので、上句・下句に使う場合は、あとは助詞くらいしか付けようがない。

となると、上句なら「立冬や」とか「立冬の」、あるいは「立冬に」で始まるパターンが考えられます。下句だと「立冬よ」、あるいは余韻を残して言い切らずに終わるというのもあります。五七五の定型にこだわらなければ、もう少し自由になりますが、それはそれで難しい。

また、立冬というのは、ある種の空気感は持っている言葉ですが、明確な映像は持たないので、季語以外にしっかりとイメージをもたせないとふんわりした中身の薄いものになってしまいます。

傍題の「冬立つ」あるいは文語調の「冬立ちぬ」は、語感の柔らかさもあり使いやすいように思います。しばしば悩むのは、「立ちぬ」という言葉が「立った」のか「立たない」のかということ。

「立ち」は動詞「立つ」の連用形で、「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形なので、「立つ」動きが完了したことになります。ただし、打消しの助動詞「ぬ」というのもあるので、わかりにくいところです。ルールとしては已然形(未然形)に接続した場合は打消し、連用形に接続した場合は完了となっています。つまり打消しは「立たぬ」になるということ。

とにかく、まずは名句と呼ばれるものを鑑賞します。

菊の香りや月夜ながらに冬に入る 正岡子規

立冬の時は、仲秋の名月の次の次の満月なんです。「菊」、「月夜」と秋の季語の季重なりでたたみかけておいて、「ながら(・・・なんだけども)」としてやっぱり立冬なんだよね。という季違いでオチを付けるというのは子規だからこそです。

風ひびき立冬の不二痩せて立つ 水原秋櫻子

この池の浮葉の数や冬に入る 高野素十

ライバル的な存在だった秋櫻子と素十ですが、やや理屈っぽい秋櫻子に対して、素十は素直な情景描写で対照的と言えるかもしれません。

句を作るこころ戻りぬ冬立ちぬ 日野草城

あらためて俳句を作ってみようと思ったった立冬の日ということ。いろいろあった人なので、思うところがあるんでしょうか。

やはり映像をもたない季語の場合は、句作りも難しい印象です。花鳥諷詠を志す場合は、季語以外で自然の美しさを写生して作りこむ必要があるので、なおさら大変なのかもしれません。