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2022年10月23日日曜日

俳句の鑑賞 33 夏目雅子


夏目雅子・・・と言って、女優・夏目雅子を思い出せるのは、間違いなく昭和人。

1957年生まれで、もしも生きていれば夏井いつき先生と同い年の64歳。もしも生きていれば・・・

1977年、カネボウ化粧品のキャンペーン・ガールとして注目され、女優としてもテレビ・ドラマに出演。もっとも名が知れることになったのは、日本テレビの「西遊記(1978)」での三蔵法師役でした。堺正章の孫悟空、岸部シローの沙悟浄、左とん平の猪八戒といったベテランにまざって、スキンヘッドの鬘で奮闘しました。

映画でも「俺の空(1977)」でスクリーン・デヴューすると、「トラック野郎・男一匹桃次郎 (1977)」、「二百三高地(1980)」、「魔性の夏・四谷怪談より(1981)」と立て続けに出演。そして1982年の「鬼龍院花子の生涯(1982)」で仲代達也を向こうに回して主演し、「なめたらいかんぜよ」のドスの利いたセリフは大評判になりました。

その後、渡瀬恒彦と「時代屋の女房(1983)」、緒形拳、倍賞美津子と「魚影の群れ(1983)」、そして「瀬戸内少年野球団(1984)」と順調に主演・助演を重ねていた1985年2月、急性骨髄性白血病を発症します。7か月間の闘病の末、9月11日息を引き取りました。

自分が使用している「カラー版 新日本大歳時記(講談社)」には、例句として有名俳人の句がたくさん収載されていますが、特徴的なことは職業俳人でない人の句もけっこう載せてあることです。驚いたことに、夏目雅子の俳句が3句あります。

夏目雅子は、写真家・浅井慎平が主催していた東京俳句倶楽部に所属し、海童という俳号で残された俳句はわずかに34句だけです。にもかかわらず、それほど長い句歴があるわけではない芸能人の俳句で3句も歳時記に載せる価値があるということは、すごいことだと思います。種田山頭火が好きだったということで、有季定型だけでなく自由律にも挑んでいます。

結婚は夢の続きやひな祭り 海童

季語「雛祭」に掲載。夏井先生のYouTubeチャンネルでも紹介された代表句です。

野蒜摘む老婆の爪のひび割れて 海童

大歳時記「野蒜(のびる)」の項にあります。野蒜はユリ科多年草、若い葉は葱のような味がするらしい。

間断の音無き空に星花火 海童

夏目雅子が自ら創作したと思われる季語「星花火」は、慶応大学病院入院中に神宮の花火大会を詠んだもの。大歳時記では「花火」の例句として収載。

傾けば冬の夜に温 海童

時雨てよ足元が歪むほどに 海童

湯文字乱れし冷奴の白 海童

風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ 海童

金子兜太は夏目雅子の俳句を「自分が思っていることを映像化する力、イメージする力を持っている。言語感覚が鋭く表現力がある」と賛辞を贈っています。

時雨(しぐれ)は寒くなってきた時期の、負っては止み、止んでは降るにわか雨。「時雨る」という表現はしばしば見かけますが、時雨に人格を与えてお願いするような「時雨てよ」という表現は斬新。

同じように、風鈴は揺れるものと思っていましたが、それを踊ると表現する感性も独自のものですが、なるほどと思わせる説得力があります。

冷奴は白いに決まっているので白を重ねる必要はないと考えるのが俳句の定石ですが、ここでは湯文字(腰巻)乱れるというエロティックなシーンに露出する肌の白さを思わせる女性にしか、いや女優・夏目雅子にしか表現できないであろう絶対的な存在感を感じます。

これらの俳句を知ると、女優として下積みを経験していなかったにも関わらず、急成長してわずか8年に満たない期間を駆け抜け、多くの人の記憶に残った夏目雅子の表現者としての力量の一端を知る思いになりました。