両者は何が違うの? と疑問がわくわけですが、その違いは終わり方にあります。形容詞の言い切りは「い」、形容動詞の言い切りは「だ」、「です」で終わる。文語の場合には、「なり」または「たり」で終わることができます。
口語の活用は、
未然形 「だろ(う)」
連用形 「だっ(た)」、「で(ある)」、「に(なる)」
終止形 「だ」、あるいは「です」
連体形 「な(こと)」
仮定形 「なら(ば)」
命令形 ありません
例えば「穏やか」の場合は、「穏やかだろう」、「穏やかだった」、「穏やかだ」、「穏やかなこと」、「穏やかならば」と変化します。
文語のナリ活用となると、
未然形 「なら(ず)」
連用形 「なり(けり)」、あるいは「に(なる)」
終止形 「なり」
連体形 「なる(こと)」
已然形 「なれ(ども)」
命令形 「なれ」
「穏やか」の場合は、「穏やかならず」、「穏やかなりけり」、「穏やかなり」、「穏やかなること」、「穏やかなれども」、「穏やかなれ」と活用します。もともとは「穏やかに」+「あり」=「穏やかなり」なので、ラ変動詞の「あり」に準じた活用をします。
一方、漢語表現の形容動詞の場合は、タリ活用になります。漢語表現の形容動詞は、口語では「~としている」というような使い方をしています。
どちらも子規の句で、自ら推敲した例です。いずれも夏の季語「百合」が使われています。形容動詞としては「静か」を含んでいて、静かになるのはどちらも「山」です。前者は、上句を「や」で詠嘆して切っています。最後に終止形の「静かなり」で、「静かになった」と言い切って終わる感じ。
後者は順序を入れ替えて、季語を最後に持ってきたため、「静かなり」が中句に入っています。「静かになった、あっ、百合の花がある」という感じになって「静かなり」は終止形で、ここに切れがあることになります。でも、連用形の「静かなり」の可能性は・・・無いです。連用形は用言につながるもので、この場合は次に来るのは名詞(体言)です。
藁塚の茫々たりや伊賀に入る 西東三鬼
江の島に茫々として芒かな 河東碧梧桐
「茫々」は果てしなく広がっているという意味で、タリ活用する形容動詞です。三鬼の句は、終止形「茫々たり」に間投助詞「や」を接続して字数を合わせた使い方でしょうか。タリ活用の例はなかなか探すのが難しく、たいていは碧梧桐の句のように「~と(して)」という口語的な使用法です。「漢語+たり」は全体が堅苦しくなりすぎるため、避ける傾向があるのかもしれません。
連体形 「な(こと)」
仮定形 「なら(ば)」
命令形 ありません
例えば「穏やか」の場合は、「穏やかだろう」、「穏やかだった」、「穏やかだ」、「穏やかなこと」、「穏やかならば」と変化します。
文語のナリ活用となると、
未然形 「なら(ず)」
連用形 「なり(けり)」、あるいは「に(なる)」
終止形 「なり」
連体形 「なる(こと)」
已然形 「なれ(ども)」
命令形 「なれ」
「穏やか」の場合は、「穏やかならず」、「穏やかなりけり」、「穏やかなり」、「穏やかなること」、「穏やかなれども」、「穏やかなれ」と活用します。もともとは「穏やかに」+「あり」=「穏やかなり」なので、ラ変動詞の「あり」に準じた活用をします。
一方、漢語表現の形容動詞の場合は、タリ活用になります。漢語表現の形容動詞は、口語では「~としている」というような使い方をしています。
未然形 「たら(ず)」
連用形 「たり(けり)」、あるいは「と(なる)」
終止形 「たり」
連体形 「たる(こと)」
已然形 「たれ(ども)」
命令形 「たれ」
例えば「堂々たり」の場合は、「堂々たらず」、「堂々たりけれ」、「堂々たり」、「堂々たること」、「堂々たれども」、「堂々たれ」です。
さらに混乱するのは、指定・断定の助動詞「なり」、完了・接続の助動詞として「たり」があるので・・・ちなみに直前に「たいへん」をつけて意味が通るなら形容動詞と判断して間違いないということになっています。
例によって、ふぅ~ん、となったところで例句を探してみます。
例えば「堂々たり」の場合は、「堂々たらず」、「堂々たりけれ」、「堂々たり」、「堂々たること」、「堂々たれども」、「堂々たれ」です。
さらに混乱するのは、指定・断定の助動詞「なり」、完了・接続の助動詞として「たり」があるので・・・ちなみに直前に「たいへん」をつけて意味が通るなら形容動詞と判断して間違いないということになっています。
例によって、ふぅ~ん、となったところで例句を探してみます。
白百合や蛇逃げて山静かなり 正岡子規
蛇逃げて山静かなり百合の花 正岡子規
蛇逃げて山静かなり百合の花 正岡子規
どちらも子規の句で、自ら推敲した例です。いずれも夏の季語「百合」が使われています。形容動詞としては「静か」を含んでいて、静かになるのはどちらも「山」です。前者は、上句を「や」で詠嘆して切っています。最後に終止形の「静かなり」で、「静かになった」と言い切って終わる感じ。
後者は順序を入れ替えて、季語を最後に持ってきたため、「静かなり」が中句に入っています。「静かになった、あっ、百合の花がある」という感じになって「静かなり」は終止形で、ここに切れがあることになります。でも、連用形の「静かなり」の可能性は・・・無いです。連用形は用言につながるもので、この場合は次に来るのは名詞(体言)です。
藁塚の茫々たりや伊賀に入る 西東三鬼
江の島に茫々として芒かな 河東碧梧桐
「茫々」は果てしなく広がっているという意味で、タリ活用する形容動詞です。三鬼の句は、終止形「茫々たり」に間投助詞「や」を接続して字数を合わせた使い方でしょうか。タリ活用の例はなかなか探すのが難しく、たいていは碧梧桐の句のように「~と(して)」という口語的な使用法です。「漢語+たり」は全体が堅苦しくなりすぎるため、避ける傾向があるのかもしれません。