旧暦と呼ぶのは 、明治42年(1909年)まで使われた陰暦のことで、月の満ち欠けをもとにしたもの。現在まで使われている新暦は太陽の運行をもとにした太陽暦なので、一か月につき数日のずれが生じるため、なかなかこんがらがりやすい。
ただ、和暦での月の表現は、単純に数字表記と共に旧暦の漢名表記の異称が今でも使われることがあります。数字で呼ぶより意味深く文学的な雰囲気が漂うので、俳句ではしばしば季語として登場します。天体としての月を直接テーマにしているわけではありませんが、そこから派生した言葉なのでこれらも詠んでおきたいと思います。
#75 今年こそ百万遍の睦月かな
新年(初春)、1月は睦月(むつき)。新年を祝うために、親族が集る「睦び月」ということから。正月になると、今年の目標とかを掲げることがよくありますが、まぁ、だいたい毎年念仏のように同じことを唱えることが多いですね。
#76 如月の路端を進むじゃりじゃりと
仲春、2月は如月(きさらぎ)です。読みに「つき」が入らないのが不思議ですが、寒いので「衣を更に着る月」から来ているという説があります。現在では一番寒い頃で、霜柱がたくさんあったりすると、思わず踏んでみたくなるというものです。
#77 上着着て脱いでまた着て弥生かな
晩春、3月は弥生(やよい)です。「月」も無ければ、読みに「つき」も無い。「草木がいよいよ生い茂る月」から「いや(いよいよ)おい(生い茂る)」となって、さらに省略されたと考えられています。三寒四温と言い、温かく成ったり寒くなったりを繰り返し、本格的な春が近づいてきます。
#78 空青し緑広がり卯月なり
初夏、4月は卯月(うげつ)です。卯の花が咲く頃だからと一般に言われています。もう、何のひねりもない平凡以下のやっつけ仕事みたいな句ですみません。
#79 皐月晴れ雨の合間の野良仕事
仲夏、5月は皐月(さつき)です。皐月が咲く頃だからと思ったら、この頃に咲くから皐月でした。皐月の由来は田植えをする頃なので「早苗月(さなえつき)」が短くなったから。そろそろ梅雨入りも間近となり、農作業のタイミングも空模様とにらめっこになります。
#80 水無月と言えど雲には大嵐
晩夏、6月は水無月(みなづき)です。梅雨明けとなり水が少ないということか、「無」は単に「の」という意味だとして田んぼに水をひくことを意味しているともいわれます。いずれにしても、現代では梅雨の真っ最中ですけどね。
#81 文月の屑屋の秤五円玉
初秋、7月は文月(ふみづき)で、七夕の短冊に文字を書くことに由来するようですが定かではありません。こどものころに夏休みに入って、屑屋さんが回ってくると新聞紙の束を持っていきました。屑屋のおじさんは鯨秤で重さを測って、「はい、五円ね」といってくれたのがお小遣いになったものです。
#82 平泳ぎできて三級葉月かな
仲秋、8月は葉月(はづき)です。木々から葉が落ちる頃という意味。夏休みは小学校で水泳教室がありました。25mプールで、泳ぎ切れれば3級というのができて嬉しかった記憶があります。
#83 長月の席替え静か黒い顔
晩秋、9月は長月(ながつき)です。秋の夜は長くなってきます。9月というと、2学期の始まりで、学校には真っ黒に日焼けしたともだちが戻ってきますが、恒例の席替えがあるので皆神妙な顔つきになっていました。
#84 神無月ラッシュアワーの出雲かな
初冬、10月は神無月(かんなづき)。全国の八百万の神々が出雲に集うため、神がいなくなってしまう月ですが、逆に出雲では神がたくさんいて「神有月」という言い方もします。大社に八百万も集まったら、神々もさぞかし身動きできないことでしょう。
#85 霜月や外苑にまじる黄蘗かな
仲冬、11月は霜月(しもづき)です。霜が降りる頃ということ。黄蘗(きはだ)というのは渋めの黄色で、有名な神宮外苑の銀杏並木は、少しだけ黄色のところが見え始める程度。期待して出かけても、まだまだという感じです。
#86 急がない先生もいる師走かな
晩冬、12月は師走(しわす)です。先生も走り回るくらい忙しいから師走・・・と言ったのは、もう過去の風物ですね。昔は掛け取りが年内にお金を回収して回り、払えない人は夜逃げしたなんて話がありました。
由来は様々で、地域によっても違ったりしますが、代表的な物だけ紹介しました。それにしても、もう、だいぶいい加減な句ばかりで、人に見せれるようなもんじゃありませんが、とにかく百句作ると宣言したからには、証拠として提示せざるをえない。本当に申し訳ないです!!