永六輔は昭和8年(1933年)生まれの、テレビ放送黎明期を代表する放送作家であり、大ヒットした「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」、「いい湯だな」、「遠くへ行きたい」などなどの作詞家としても知られています。テレビやラジオで様々な意見を発信し、平成28年に多くの著作を残して83歳で亡くなりました。
永は、昭和44年に入船亭扇橋(九代目)、小沢昭一、江國茂らと(東京)やなぎ句会を結成しました。江戸情緒にも精通した放送作家、劇作家、噺家、芸能評論家、俳優らが参加し、2021年まで大いに盛り上がる句会を開催してきたそうです。
永は、俳号は六丁目で、「いかに短くするかという俳句と、いかに長くするかという歌詞とは両立できない」として、しだいに作詞家活動を止めてしまうくらい、俳句が好きだったようですが、自分では「たいした句はなく、(やなぎ句会で)俳句を作らなければどんなに楽しい会」と言っていたらしい。
看取られる筈を看取って寒椿 六丁目
愛妻家で知られる永が、妻に先立たれた際に詠んだ句。自選するならこの一句だけ、と述べています。寒くなって咲く寒椿の凛とした紅色の美しさと、妻への愛情が込められています。
梅干しでにぎるか結ぶか麦のめし 六丁目
おにぎりなのか、おむすびなのか昔から諸説入り乱れ、結論は様々。中に入れるのは、今では何でもありですが、戦後の食糧難を経験した永にとっては、一番シンプルな梅干しが定番で、白米よりも握りにくい麦飯がスタンダードだったのかもしれません。
遠回りして生きてきて小春かな 六丁目
歳時記にも収載された句。季語の「小春」は、初冬の春のような温かい陽気のこと。いろいろあったけど、今は小春日和のような気持の良い日々を送っているということでしょう。でも、小春の後には厳しい冬(老年)がやって来るのです。
寝返りうてば土筆は目の高さ 六丁目
「土筆(つくし)」は仲春の季語。どこかの原っぱで、春の陽を浴びてぬくぬくとしているこうけいでしょうか。寝返りを打ったら、すぐ目の前に土筆があったことで、いっそう春を感じたということ。
土筆の向こうに土筆より低い煙突 六丁目
寝返りしたら土筆があって、さらに遠くに視点を移すと煙突がある。なんだ煙突の方が土筆より低いだと思ったわけです。もちろん遠近感の問題ですが、人工物より自然物により愛着を持ち季節を感じることができることを、両句とも自由律で詠みました。
ずっしりと水の重さの梨をむく 六丁目
確かに梨は持って視ると重さを感じますが、美味しい梨はとても瑞々しいもの。梨の新鮮で美味しそうな雰囲気を「水の重さ」と表現するところが素敵です。
いかにも永六輔らしい、軽いユーモアをもありつつ、どこかに現実に対する鋭い観察眼から生まれる正確な写生をしている感じがする俳句です。これが、まさに「粋」な言葉というものなのかと思いますし、自然とこのように詠めたら嬉しいですね。