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2022年11月22日火曜日

俳句の鑑賞 46 高柳重信


高柳重信は、大正12年(1926年)に東京で生まれました。父親も俳句を嗜み、重信も中学に入ると投句を始めます。昭和15年、早稲田大学に入学しますが、投句していた俳誌が軍国主義化していったため、自ら「早大俳句」を創刊します。

昭和17年、大学を繰り上げ卒業しますが、結核を発症し前橋に疎開し仕事につきます。終戦を迎え、すぐにいろいろと同人誌を作り、自分の道を模索するのでした。昭和23年には、多行俳句を実践し、富沢赤黄男、楠本憲吉、さらにのちには三橋鷹女らとの協調していろいろな俳句誌を出版しています。

「俳句研究」誌の編集も行い、多くの現代俳句作家を見出していまが、昭和58年7月、肝硬変から食道静脈瘤破裂により60歳で急逝しました。

活躍した時代が重なるために、金子兜太としばしば比較される存在ですが、重信はまさに「前衛俳句」と呼ばれる従来の形式を逸脱したような句作りが特徴です。

くるしくて
みな愛す
この
河口の海色
 重信

通常、俳句は一行に書く。上中下句の間に空白は入れないのが普通です。それを、重信は一つ一つの言葉ごとに改行する「多行俳句」というものを始めました。改行されると、明示的に強い切れが生じます。俳句というより「詩」に近い雰囲気です。

耳の木や
身ぐるみ
脱いで
耳のこる
 重信

内容も難解です。正直、よくわかりません。この句の場合、「み」で始める言葉遊びのように思えます。耳の木から全部はぎ取ったら耳だけ残ったということだと思いますが、そもそも「耳の木」とは何だろう。

一睡の
夢見や
伊勢の
いかのぼり
 重信

「伊勢」は三重県の伊勢ではなく、かつての軍艦の名前。「いかのぼり」は凧揚げのことです。軍艦伊勢の絵が描かれた凧あげをしている夢を見たということでしょうか。ここまでで気が付いてたのは、明快な季語らしきものが無いということ。「いかのぼり」としたのも、わざと春の季語になる「凧」をさけてぎりぎり傍題を使った感じです。

身をそらす虹の
絶嶺
・・処刑台
 重信

女性が身をそらしている姿。乳房が虹のように思え、また山のようにも見えた。その一方で処刑台も連想したということでしょうか。重信の代表作の一つとされています。こうなると、何故「身をそらす」で改行しなかったのか気になります。改行すると「虹」が独立して、季語として成立してしまうのを嫌ったのでしょうか。

・・山脈の
襞に





埋も



 重信

極めつけがこれ。う~ん、実験的と言ってしまえばそれまでですが、単語の中の文字こどに改行するという・・・何なんでしょうか。

言葉を文字が集まってできたものと考えれば、その一文字づつに分解することは、徹底的に言葉を嚙み締めよ、というメッセージなのかもしれません。これも俳句というジャンルに入れてしまえるのは、俳句の懐が深いと考えればいいのでしょうか。

ただし、現実には今では多行俳句をほぼ見かけることはありません。いろいろなことに挑戦する重信の姿勢はともかく、俳句を言葉ごと、文字ごとに分解する試みはそれほど評価されていないと言えそうです。