2022年11月8日火曜日

俳句の勉強 57 第二芸術論


第二芸術論とは、は、岩波書店の「世界」誌の昭和21年(1946年)11月号に掲載された桑原武夫の論文のタイトルです。その挑発的な内容によって、戦後間もない俳壇に大きな衝撃を与え、論争を巻き起こしました。

現在も文庫本として論文集は手に入るので、本来はしっかりと読了した上で書くべきタイトルなのですが、なかなか敷居が高い感じがするので、ネットを探していろいろな意見を読んだ上での感想を書きとどめておきたいと思います。

桑原武夫(1904 - 1988)は、フランス文学・文化研究者、評論家で京都大学名誉教授。受勲もしており、一定の見識を持った学者であると言えます。ただし、同じ文学界からは研究姿勢に批判的な意見も少なからずあるようで、本テーマについても冷静に考えると論点に疑問が残るように思います。

俳句と無縁だったフランス文学を専門にしている学者が、何故、急に俳句を徹底的に否定する論文を発表したのかは謎ですが、書かれている論点は以下のようなことにまとめられるようです。

1. ヨーロッパ、ことにフランスの芸術は最も高い位置にある
2. 明治以降、日本の小説、とくに俳句は社会的思想的無自覚であるがゆえに面白くない
3. 俳句は同好の集まりで楽しむ芸事である
4. 芭蕉を崇拝し続けたことで俳句は堕落した
5. 俳句は芸術ではなく、強いて言うなら第二芸術である

まぁ、その他にもずいぶんと過激な意見が述べられているようですが、桑原氏は有名俳人と素人の句を並べて、被験者にブラインド・テストで優劣を評価させたところ、必ずしも大家の句が優秀であるという一定の評価が得られなかったことから、上記のような結論を導き出しています。

15句の例句のうち2つだけ紹介します。

囀や風少しある峠道 ???

防風のこゝ迄砂に埋もれしと ???

さて、どっちが大家の句でしょうか。正解はも前者は無名の素人、後者は高濱虚子です。確かに、確実に正解を出す自信はありません。正解を知って、確かにそうなのかもと思えるというのが本当の所かもしれません。

さらに、俳句は他に職業を有する老人や病人が余技とし楽しむ程度の物であり、床屋の俳句や川柳のごときものを芸術と呼ぶことはできないと論じています。

確かにプロの俳人の句だとしても、どうにもつまらない句があることは否定出来ません。何千、何万句を作って、後世に残るのは良くて何百かもしれません。素人の句でも、出合頭のホームランというのもあります。テストでは、例句にはプロの有名句は避けているのはしょうがないとしても、これだけで語るには無理がある。

もっとも、大正から昭和初期にかけて、高濱虚子の「ホトトギス」が絶対正義となり、直接的な感情移入表現を拒絶した「花鳥諷詠」を大看板に掲げたことは、俳句の芸術的な広がりを抑制したことは間違いないかもしれません。

ですから、それに対抗して早くから自由な作句を目指した河東碧梧桐、種田山頭火のような新傾向俳句運動や、「ホトトギス」の内部から水原秋櫻子や山口誓子のようにもっと心情を発露していこうという新興俳句運動などが発生してきています。

フランスの芸術にしても、例えばルノアールの絵画から思想的内面をうかがうのは困難だろうと思いますし、そもそも日本とはキリスト教の信仰に基づいた文化的な背景がまったく違うので、同列に置いて優劣を論じることはあまり意味があるとは思えません。

水原秋櫻子はこれに対して、「俳句のことは自身作句して見なければわからぬものである」と反論しましたが、逆に、「小説家は小説を書いてみなければ小説のことはわからないなどとは言わない、この言葉こそ俳句の近代芸術として命脈が尽きている証拠である」と切り返されてしまいます。

山口誓子は、大家の弊害はある程度認めつつも、「作品に失望するとしても、大家に失望しない。またよしんば大家に失望するとしても俳句そのものに失望しない」と述べています。最も強く反論したのは中村草田男で、「その説教調は理由なき優越感からくるもので、これを教授病と命名する」としました。ちなみに、本来もっとも標的になっていたはずの「ホトトギス」は沈黙を続けました。

少なくとも、この議論に勝者はいません。後年、桑原氏は自ら適切ではない部分があったことは認めていますし、俳人の側も効果的に論破できたとは言い難い。ただ、桑原氏の投げつけた爆弾と軍国主義の崩壊によって、戦後の社会派俳句と呼ばれるようなより内面的な句作が始められるきっかけになったことは間違いなく、「ホトトギス」だけでなく多くの傾向の違う俳句を作る流派も同等にみられるようになったのかもしれません。