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2022年11月30日水曜日
俳句の勉強 59 映像の無い季語
俳句は少ない文字数で読者が内容を理解してもらえることが重要ですから、無駄な言葉を省くことはもちろん、言わずとも伝わる内容も削ります。そして、俳句の内容が映像として読者が想像できれば、説明を大幅に減らすことができることになります。
基本形として有季定型、つまり季節を象徴する季語を必ず使い、上句五音、中句七音、下句五音の構成で、どこかに「切れ」を含むという俳句を原則とするならば、季語によって誰もが共通の映像を思い浮かべることになります。
そういう意味で、季語は重要で、季語を使うことでおそらく言いたいことの多くを省略できることになる。その一方で、季語による縛りもあるわけで、何でも好きに入れれば良いというものではありません。
ところで、季語があれば映像が頭に浮かぶと言いましたが、例えば「水洟(みずばな)」という冬の季語なら、鼻汁が垂れている光景が浮かんできますし、場合によっては風邪気味のこどもの様子も想像できる。もしかしたら、花粉症で目も真っ赤にしているかもしれません。
ところが、一般に「時候」と分類されている季語は、明確な映像を持たないことが多い。この場合、何らかの追加の言葉を加えないとぼんやりした句になってしまいます。
単に「冬」と言えば、初冬・仲冬・晩冬を通じての季語になりますが、「冬」だけではあまりにも漠然としていて、何を映像として想像するかは、人それぞれ、千差万別になってしまいます。
中年や独語おどろく冬の坂 西東三鬼
中年あるあるみたいな句ですが、「の坂」をつなげて時候と場所を映像として想像できるようになります。下り坂なら滑りそうで「おっと」とか思わず口走るかもしれないし、上り坂だと、白い息を吐いて「あ~あ」とか言っていそう。
暦では小寒、大寒を経て節分で立春となり冬が終わります。冬が終わることを「寒明(かんあけ)」と呼び初春の季語。寒明けになったのに寒さが続く場合を「余寒(よかん)」という季語で表現します。実際の体感としては、2月前半なんて一年で一番寒い頃ですから、寒が明けた感じもしないし、寒が残っていて当たり前。これらの季語は明確な映像も持たないし、現実の感覚とずれているので、いっそう使い方が難しくなります。
われら一夜大いに飲めば寒明け 石田波郷
仲間と酒宴で盛り上がる様子を、上中でしっかり映像として作りました。下句の季語は、実際の暦ではなく「寒さを吹き飛ばす」という威勢の良さの表現として利用しているようです。
鎌倉を驚かしたる余寒あり 高濱虚子
虚子の居住する、冬でも温暖な鎌倉だからこその句。立春を過ぎて、あまりの寒さに自分が驚いたのでしょうが、主観を排して擬人法で鎌倉が驚くとしています。
「夏の朝」という夏を通じて使える季語があります。これは、かなり難しい。水原秋櫻子による歳時記の説明文は「誰でも知っている感じを、筆でかき表そうとすると、かえて難しくなる」とし、その後の説明も何だか曖昧です。歳時記によっては、季語として収載していなこともあります。まぁ、夜明けが早いとか、朝から暑いとか、そんなところでしょうか。例句を探すのも大変です。
夏の朝病児によべの灯を消しぬ 星野立子
具合の悪いこどもの看病で夜明かししてしまい、朝になってやっと寝付いてくれたので、灯を消したということでしょう。季語として役立っているのかどうか判断しかねますが、少なくとも徹夜明けくらいの時間を提示する意味はありそうです。
このような季語はたくさんありますから、兼題に出されると悩みの種になります(もっとも、何が出ても悩むけど・・・)。まず季語の持つ雰囲気を大掴みして明確な映像を書き込むか、逆に映像を明示した後に雰囲気で収束させるかということなんでしょうけど、実践するのは本当に大変そうです。