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2022年11月24日木曜日
俳句の鑑賞 47 桂信子
桂信子、本名、丹羽信子は大正3年(1914年)に生まれた、大坂出身の女流俳人です。
少し話を戻して、日野草城の連作「ミヤコホテル」のことを思い出しましょう。昭和9年に発表された、京都のミヤコホテルを舞台に、(想像上の架空の)新婚初夜のことを大胆に俳句としたため、その是非について大きな論争が巻き起こりました。
ごく普通の子女だったはずの二十歳の信子は、この「ミヤコホテル」に感銘を受けます。翌、昭和10年に俳句を始め、昭和13年に草城が主宰する「旗艦」へ投句を開始し師事しました。昭和14年、26歳で結婚した信子は、昭和16年「旗艦」の同人となりますが、その直後夫が喘息により急死してしまいます。
今で言うOLとして寡婦として生活していましたが、昭和20年には空襲により自宅が全焼し、命からがら句稿だけ持ち出しました。昭和24年、この激動の10年をまとめた第一句集を出版しました。
梅林を額明るく過ぎゆけり 信子
ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ 信子
夫逝きぬちちははは遠く知り給はず 信子
新婚の嬉しさを詠ったもの。おそらく夫と楽しく梅林を散歩したのでしょうか。料理初心者には煮豆は難しいのですが、うくまできなくてもそれを楽しんでいる様子が伺えます。しかし、夫の急逝により、その幸せは長くは続きませんでした。
湯上りの肌の匂へり夕ざくら 信子
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 信子
無邪気な喜びに満ちていた信子の俳句は、一転して静けさを持った独特のエロチシズムを漂わせるようになります。「湯上りの肌」というだけでも十分に艶っぽいのに、それが匂った上に火照った肌と桜を重ねる作りは凄さを感じます。着物をゆったりと着ると、おそらく白いうなじがよけいに目に映るだろうと思いますが、「会う」ではなく「逢う」相手は一体誰だったのでしょうか。
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 信子
湯上りの指やはらかく足袋のなか 信子
寡婦としての寂しさを、直接的な肉体的表現を使って表現しているのだろうと思いますが、この妖艶な情景は他の俳人の句には見られない独壇場です。これらの句からすれば、「ミヤコホテル」は艶っぽさでは可愛いものです。終戦後の時代の感性の変化は、信子に味方をしたようです。
女学生の黒き靴下聖夜ゆく 信子
一本の白毛おそろし冬の鵙 信子
女体のエロスのような内容は、ある意味、願望であり憧れの裏返しだったのかもしれません。中年期に入ると、女体の表現の仕方にも変化が現れます。もしも、自身にこどもがいたら、それが女の子だったら、その女学生はクリスマスイブの夜に黒い靴下をはきローファーかなんかで颯爽と歩いていくのかもしれません。髪の毛にブラシをあてていると、たった一本の白髪にも驚きます。老いを予感すると、鵙(もず)の速贄(はやにえ)の一本の枝を想像して戦慄するのです。
昭和45年、56歳で仕事を退職すると、自らの「草苑」を創刊・主宰します。俳句界の名立たる賞を多数受賞し、平成16年、90歳で亡くなりました。