2023年6月14日水曜日

64 - ロクヨン (2016)

原作は横山秀夫。最初に書店で単行本が並んだ時に、「64って何?」という素朴な疑問がありました。パソコン? 64bit? それとも任天堂? など、的外れな想像をするだけで、のちに昭和64年のことと知り、ふぅ~んと思ったものでした。

昭和64年、1989年は、昭和天皇(裕仁天皇)が年末から体調が思わしくなく、1月7日に崩御されたため、わずか1週間で終わりました。翌日から平成が始まったわけで、当時の小渕恵三内閣官房長官が、色紙を高々と差し上げた光景は今でもよくメディアで使われています。

その1週間しかない昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件と、その時効がせまる平成14年に再び関連をした事件が発生し、両方に関わる人々の苦悩を描く、社会派推理ストーリーです。

映画は、前後編に分かれ相次いで公開され、合わせて4時間という大作。監督はピンク映画から転身した瀬々敬久で、近作は「ラーゲリより愛を込めて」です。監督と久松真一が共同脚本を担当し、原作とは異なる結末となっています。

昭和64年1月5日、雨宮芳男(永瀬正敏)の幼い娘が誘拐され、県警の松岡(三浦友和)らが捜査にあたったが、身代金は奪われ、さらに少女は遺体となって発見されました。結局、犯人不明のまま、あと1年で時効成立となる平成14年に時間が進みます。

64の事件で捜査員の一人だった三上義信(佐藤浩市)は、今は警察の広報官に追いやられ、公安関係者の家族が加害者である交通事故の情報の公開を記者クラブ(永山瑛太、坂口健太郎ら)から迫られます。

自分の出世のために汚点を残したくない県警本部長の辻内(椎名桔平)、警務部長の赤間(滝藤賢一)らは、三上の進言を取り合うことはなく、近くやってくる警視庁長官のイベントとして雨宮家を訪問するので了解をもらってこいというのです。

三上が雨宮のもとを訪ねると、警務課調査官の二渡(仲村トオル)が64事件関係者の周囲で動いていることがわかりました。そして、当時の捜査に従事した日吉(窪田正孝)が誘拐犯の電話を録音しそこねて、そのことを報告しようとした幸田(吉岡秀隆)の意見に反して、その事実が隠蔽されたことを知ります。

一方、記者クラブとの対立は深まる一方でしたが、三上は自らの判断で交通事故の加害者の住所・氏名を公開します。そして、自ら調べた亡くなった被害者の人生も語り、ないがしろにされやすい被害者のことも忘れないで欲しいと考えていました。やっと、記者らは三上を信じることで和解しますが、その直後、新たな誘拐事件が発生。しかも、まるで64をなぞったかのような展開をしていました。

ここからが後半。三上は、被害者の安全のために記者クラブと報道協定を結ぶことになりますが、三上にすら被害者の身元などが一切知らされないままで、記者会見でも責任者といえない者が登壇する状況に、再び警察と記者たちの溝が深まるのです。

三上は、捜査状況を知るために必死に努力し、可能な限り記者たちに情報を流すために奔走します。何とか捜査指令車両に同乗した三上は、被害者の父親である目崎正人(緒形直人)が身代金を持って移動する中、犯人の電話の声に聞き覚えがありました。また、自分を含め多くの人が無言電話を受けていたことから、64関係者で犯人の声を知る物が犯人を探し出すため電話をし続けていたと想像します。目崎は、64の時と同じ指定された場所に車を疾走させるのでした。

前半は、昭和64年の事件の説明で30分。残りの90分は、警察と警察署に詰めている記者クラブとの対立の話がメイン。その中で、いまだに過去の事件、通称「64(ロクヨン)」に縛られている人々の構図が浮かび上がってくるという展開。そして、いよいよ現在の事件が発生して、続きは後編で、ということ。

後半は、一転して現在の誘拐事件の捜査と、情報を出さない捜査本部と報道陣の対立、そしてその間に割って入り64を含めた事件の全貌にたどり着こうとする三上の行動が急ピッチで描かれます。前半が静なら後半は動という具合に、はっきりと異なる展開を見せます。

そのため、前半が冗長でだれる、そして後半が急ぎ過ぎて淡泊すぎると感じる批判が多く見かけられます。確かに二つの誘拐事件に絞れば、おそらく2時間、多くても2時間半に収まる内容だと思います。しかし、これはあくまでも推理ドラマとしての場合であって、もともと犯人はほぼ誰もが予想できるものですから、そもそも視点が間違っているように思います。

原作は未読ですが、もともと三上の一人称の視点で展開しているストーリーなので、基本的に通常の刑事ドラマのような捜査の進捗状況が逐一示されるはずがない。実は、三上は自分の娘が家出して行方不明という状況があり、雨宮の娘を失うことの絶望を初めて理解したことで、二つの事件を通して被害者・加害者の両方への湧き出る想いが主軸にあると思います。

責任の重さからずっと殻に閉じこもってしまった日吉、告発を封じられ警察へ絶望した幸田、その隠蔽された出来事から新しい事件につながるので、情報を広く公開しない警察と記者たちの対立に現実味が出てくるし、間に入って苦悩する広報官たち(綾野剛、榮倉奈々ら)にドラマが生まれてきます。

ただ、警察上層部の保身と現場の刑事や広報官を駒としか考えない発言や行動は、描き方がいかにもステレオタイプであまり感心しません。また、一方的に情報が下りてくるのを待つだけの記者にも不満が残る。

全体的には、多くのエピソードがそれぞれを補完するはずなんですが、多少バラバラ感は否めません。どれもが、演出としては過剰な感じで、大げさな感じがもったいない。それに対して、いつもはやややりすぎな演技が多い佐藤浩市が、比較的おちついた雰囲気に見える。

やはり一人称で語られる犯罪映画にそもそも無理があるように思いますので、映画としては「不朽の名作」とまでは持ち上げることは難しいところ。そもそも昭和64年にこだわること自体が弱いようにも思います。視点を変えて、雨宮中心に2時間ドラマに組み直すのもありかもしれません。