2023年6月1日木曜日

無限の住人 (2017)

木村拓哉主演、アクション時代劇。

監督は三池崇。暴力描写では日本で一、二を争う監督ですから、もう冒頭から木村拓哉が無数ともいえるチンピラを叩き斬る、斬る、斬る・・・

原作は沙村広明の漫画で、主人公の万次は不死の体を持つという設定。元々の原作がかなり長く、登場人物も多くてそのサイド・ストーリーも豊富な展開らしいので、映画では、はしょりまくって原作ファンからはかなり不評を買うのは当たり前の2時間20分です。

元々は武士でお尋ね者になった万次(木村拓哉)は、妹の花(杉咲花)との道中、やくざの集団に絡まれ花を死なせてしまいます、万次は集団を壊滅させますが、自身も瀕死の状態になってしまう。そこへ登場する謎の老婆、
八百比丘尼(山本陽子)により不死の体になる虫を体内に仕込まれる。

それから50年後、江戸中のすべての剣術流派を統一しようと目論む逸刀流の天津影久(福士蒼汰)によって父を殺された浅野凛(杉咲花、二役)は、親の仇である影久を倒すために、万次を用心棒として雇うのです。万次は花とそっくりな凛に驚きます。

逸刀流の黒衣鯖人(北村一輝)、凶戴斗(満島真之介)らを倒していく万次でしたが、受けた傷は虫の力ですぐに回復していました。しかし、閑馬永空(市川海老蔵、現團十郎)との対決では、虫の力を弱らせる薬を仕込まれ苦戦します。

実は閑馬永空も八百比丘尼から虫を仕込まれ不死の体だったのです。彼は死ねないことの苦しみを万次と共有しつつ、毒を自らに向け死んでいきます。また乙橘槇絵(戸田恵梨香)にも追い詰められますが、凛の万次を守ろうとする必死さに引き下がります。

凛と万次以外に、密かに逸刀流を倒すために暗躍してる集団がいました。尸良(市原隼人)、百琳(栗山千明)らで、万次らは目的は一緒でも彼らが金のために動いていることを知ると決別します。

尸良らを雇っていたのは公儀の手の物で、逸刀流を油断させ幕府に危険人物とされた影久を排除しようとしていたのでした。ついに影久を討伐するための幕府の大群が取り囲み、また影久を追う万次と花、影久を慕う乙橘槇絵らによる三つ巴の決戦が開始されるのでした。

さて、天下の木村拓哉の主演映画としては、困ったことに評判は必ずしもよくはない。いろいろな要因がありそうですが、ちょっと考えてみた。

監督の問題としては、バイオレンスが特徴の監督とは言え、やはりやり過ぎたといえます。キムタクの映画ですから、圧倒的に女性の観客が多いことでしょうから、そこに大量の血しぶきと切断された手足が飛ぶ演出はさすがにどうかと・・・

最初は白黒にして和らげたのかもしれませんが、これはちょっと見ていてきつい。ほとんどスプラッター映画状態です。大人数との立ち回りは「るろうに剣心」の映画にも度々出てきますが、剣心の剣は人を斬れない逆刃刀です。

そもそも三池監督を起用したプロデューサーがだめだめということなんですが、そういう映画にしたいなら、逆にキムタクをキャスティングしたこともプロデューサーの失策かもしれません。

それと、大変特徴的なキャラクターが登場するにも関わらず、彼らのシーンはそれぞれ数分間程度で、ほとんど人物像もわかない。これは長大なストーリーを省略しまくった監督と脚本家の問題でしょうか。

もともと無理があることはわかっていたはずなので、もっと登場人物を絞り込めなかったのかという感じ。あまりにバタバタと話が進むので、戦闘シーン以外はあらすじだけで走り抜けた感じになってしまいました。

そして主演、木村拓哉の問題にも触れざるをえない。思い出すのは2016年のSMAPの解散騒動です。この映画は、まさにその騒動の真っただ中で撮影が行われ、プロモーションはSMAP解散後の一人となった木村の初仕事みたいな感じでした。このあたりが、木村本人にも、ファンにもいろいろなストレスをかけていたことは容易に想像できます。

よく言われることに「キムタクは何をやってもキムタク」というのがありますが、これは批判というよりファンがそれを望んでいるという側面もある。この映画のキムタクは、実はキムタクらしさをかなり封印していると思います。役柄上当然かもしれませんが、そこも受け入れにくさの原因になっているのかもしれません。

さらに、どうしても気になるのは、キムタク演じる主人公が弱いことで、名のある敵との対決では必ず一度は「死んでいる」のです。不死という特殊能力はチートみたいなもので、主人公の背景が描き切れていないことも合わさって共感しにくい。

中華を頬張っていた杉咲花が、ブレイクしてここでもそれなりに注目できる演技を見せているところは、数少ない見どころに挙げておきたいと思います。