1953年に発表されたレイモンド・チャンドラー原作の探偵フィリップ・マーロウが活躍する6作目の長編、「長いお別れ(The Long Goodbye)」が原作。マーロウを演じるのは二枚目になりきらない役が多いエリオット・グールド。監督は「M★A★S★H (1970)」のロバート・アルトマン。
マーロウ(エリオット・グールド)が夜中に飼い猫に餌を与えていると、友人のテリー・レノックス(ジム・バウトン)が訪ねてきて、理由も言わずにこれからメキシコのティファナまで車で送ってくれと言い出します。
朝になってマーロウがアパートに戻ると刑事たちがいて、殺人事件の容疑者の逃亡幇助の罪で彼を無理やり連行し尋問します。テリーの妻が殺されたのでした。しかし、数日後、テリーが死んだので用は無いと釈放されます。
街に戻るとマーロウは、アイリーン・ウェイド(ニーナ・ヴァン・パラント)から失踪した夫の人気作家であるロジャー(スターリング・ヘイドン)の行方を捜してほしいと依頼されます。ウェイド家を行くと、そこはテリーの家のすぐ近くでした。アルコール依存症のロジャーが、ベリンジャー医師(ヘンリー・ギブソン)の療養施設にいるところを発見したマーロウは、彼を連れて帰ります。
再びアパートに戻ると、今度はギャングのマーティ・オーガスティンが待ち受けていて、テリーが自分から盗んだ大金の在りかを探せと脅迫される。後をつけていくと、彼らはウェイドの家に向かい、アイリーンと何か言い争いをしているところを目撃します。
マーロウは郵便でテリーからの「お別れだ。すまない」という短い遺書のような文面と5000ドルという高額紙幣の入った郵便を受け取ります。マーロウはメキシコに行き、テリーが銃で自殺したと聞かされますが、持っていた荷物が亡くなっていることに気がつくのです。
例によって、マーロウ物はあらすじを書いてみても、何が何だかよくわからない。断片的な複雑なエピソードが小出しに出てきて、最後の最後につながってくる。ですから、小説として読むにはかまわないのですが、映画としてはそれなりの辛抱が必要です。
そこが我慢できれば、このキャラクターは大変に魅力的。特にエリオット・グールドのフィリップ・マーロウは、70年代風に描かれていますが、実に面白くてどこか懐かしい感じがします。何故かなと考えていたら答えがわかりました。
この映画のマーロウは、アクションを省いた松田優作なんです。ヨガと瞑想にふける変わった隣人の美女たち、ちょっとコメディ要素を持ったギャング。警察に対しては非協力的で、お金よりも独自の正義のもとに行動し、必要ではあれば違法なことも気にしない探偵。これって、松田優作主演の「探偵物語」の工藤俊作のイメージにそっくり。実際、松田優作はこの映画のファンだったらしい。
ネオ・ノワールと呼ばれる範疇のアメリカ・ニューシネマの一本という位置づけになります。皮肉たっぷりのしゃべり方をする「負け犬」っぽい主人公が、悪女的な女性に翻弄されるようで、最後は真実に到達し勝利する。しかし、その勝利には自分以外には何の価値も無いという、時代を色濃く反映した仕上がりが絶妙です。
オーガスティンの部下の一人に無名時代のアーノルド・シュワルツェネッガーが、唯一の武器であるムキムキ・ボディを武器に登場しているのも楽しみの一つです。村上春樹も大絶賛したこの映画は、最も成功した原作に縛られないマーロウ物と呼んでも差し支えありません。