2025年2月20日木曜日

BALLARINI


イタリア料理作りにはまった時に、コーティング無しの「鉄パン」を買ってのですが、うまく使いこなせなくて、結局コーティング有のアルミ製フライパンを使っていました。

当然、数年使い込むとコーティングが荒れて、こびりつきやすくなり、そろそろ限界になりました。まぁ、安物は1年もてば十分という感じなので、数年使えれば元は取れたようなものだと思います。

新しいものを買うことにしたのですが、今回はイタリアの調理器具メーカーであるバッラリーニにしました。

実は、前回の時も候補の一つだったのですが、値段(\8,000くらい)が張るので躊躇した・・・んですけど、Amazonで割引になっていて\6,000になっていたので、チャンスとばかりにポチってしまいました。

バッラリーニのIH対応のコーティングタイプを買おうという時は、たいていの方が迷うのは、トリノにするかサリーナにするかというところ。

コーティングは独自のグラニチウムというもので、サリーナが7層、トリノが5層になっています。安物よりも圧倒的な耐久性があることは実証済み。トリノでも、手荒く使っても3年以上は問題が無いといわれています。

どちらも鉄製なので重さはありますが、その分全体に均一に熱が広がりやすい。サリーナは1万円を超えてしまうので、さすがにちょっと家庭向きとしては高い。

というわけで、最も選ばれているトリノ(26cm)にしました。使ってみると、重さは意外と気にならない。取手も掴みやすく、気持ちよく調理ができる印象です。長く使えれば、高い買い物ではないと思いました。

2025年2月19日水曜日

セブンのおにぎり 62


でかい系おにぎりが、せぶんいれぶんにも登場しました。

ファミマやローソンには、だいぶ前からでかい系はあったんですが、セブンはたぶん見かけた覚えがありませんでした。

「一膳御飯」と名付けられたシリーズですが、その名の通りお茶碗一杯分の量のようです。

今回登場したのは、「とり五目」と「紅しゃけわかめ」ですが、他にも「しらす御飯」というのもあります。

すでに普通サイズで味はわかっているので、とくに珍しくはありません。とにかく何でも値上がりのご時世ですから、少しでも安く腹を満たしたいという向きには歓迎されるところだと思います。

2025年2月18日火曜日

転校生 さよならあなた (2007)

大林宜彦監督が。予定していた別の作品が諸事情で難しくなったために、1982年の名作「転校生」をセルフ・リメイクしたもの。ただし、「あの夏の日(1999)」で尾道は最後と決めていたので、場所は長野市善行寺に変更されました。

前作でお互いに「さよなら、私」、「さよなら、俺」と言うラスト・シーンにかけて、今回の副タイトルは「さよならあなた」になっています。また、内容は前半こそ転校してくるのが男子に変えられていることを除けば、ほぼ前作と同じように展開していますが、後半はかなり思い切った変更が加えられていて、前作を知っていても新たに映画として楽しめる仕掛けになっています。

斉藤一美(蓮仏美沙子)は、長野市の善光寺近くの中学校に通っています。そこへ幼稚園で一美と一緒だった斎藤一夫(森田直幸)が、母親の直子(清水美沙)が離婚したため転校してきます。一美の家は父の孝造(田口トモロヲ)と祖父の孝之助(犬塚弘)とで蕎麦屋を営んでいて、母の千恵(古手川祐子)が手伝っていました。

一美は一夫を連れ立って、蕎麦打ちに欠かせないさびしらの水場の湧水を取りに行くことにしますが、二人は過って水場に落ちてしまい溺れそうになるのです。何とか浮き上がった二人は、呆然としたままそれぞれの家に帰りました。

家に帰った一夫は、鏡に映る一美の姿に驚き、体にも無いものが有り、有るものが無いことに気がつきます。帰ってきたのが女子なので直子も驚き、一夫は慌てて一美の家に向かいました。姿が一夫になってしまった一美も、どうしていいかわからず混乱していました。

登校しても何とか取り繕う二人ですが、一夫はピアノが得意でしたが、先生(石田ひかり)から弾いて見せてと頼まれても一美はまったくできません。学年旅行で温泉に行くと、一夫は女の子に囲まれ鼻血を出して倒れてしまいます。一美の彼氏、秀才の山本弘(厚木拓郎)は二人の態度を怪しみ、二人の心と体が入れ替わってしまったことに気がつきます。

しかし、一美の体に異変が生じます。体調を崩した一夫の心を持った一美は入院しますが、病院からは不治の病で余命はわずかであると告げられてしまうのです。一美の心を持つ一夫と弘は、一夫と仲の良かった吉野アケミ(寺島咲)に連絡し長野に来てもらいます。アケミも、一夫を見て二人が入れ替わった話を信じるのでした。

弘とアケミの協力で、一夫の姿の一美は弱った一美の姿の一夫を病院から連れ出します。二人は「駆け落ち」のようにあちこちを見て回り、お互いに自分に別れを告げる気持ちに整理をつけました。最後にもう一度さびしらの水場を訪れた二人は、またや水場の中に落ちていくのでした。

男女の心と体が入れ替わるのに「階段落ち」という定番を作った前作でしたが、大林監督はこれをどうやってリニューアルするのかだいぶ考えたのではないでしょうか。ただ、水場に落ちるというのは、階段落ちほどのインパクトは無いかもしれません。

前作はハッピーエンドでした。しかし、新三部作を終えて、新しい「転校生」は生と死を描きこんだところが一番の違いになっています。ただし、さすがに重苦しい悲しさよりも、お互いに納得し希望を持って次のステージに行くような終わり方にしているのは監督の哲学なのでしょう。

昭和のアナログ感を思い出す作品が続いていましたが、ここで大林監督は初めて携帯電話が登場しメールのやり取りをするというのは、時代が進んだことを実感します。そしてスタッフロールの最後で尾道の遠景が映し出されるのは、自ら前作にリスペクトしたのだろうと思います。

2025年2月17日月曜日

マヌケ先生 (1998)

この作品の監督は内藤忠司で、大林宜彦監督作品で助監督を長年務めた方です。1998年1月に中国放送が90分枠のテレビドラマとして放送しましたが、2000年に20分間追加されたものが劇場版として公開されました。

中国放送から依頼されたものの「あの、夏の日」にかかりきりだった大林監督が、せっかくなので少年時代を回想した自著を原作に、自分は「総監督」という立場で口を出さずに、実質的には内藤をはじめとした大林組に任せた作品です。

映画監督の馬場鞠男(三浦友和)は、新作を故郷の尾道で作ることにしていましたが、なかなか良いアイデアが浮かばないままに尾道行の列車に乗り込みます。向かいの席に風変わりな紳士(谷啓)が座っていて、「尾道のタンク岩に行ってともだちの宝を探す。あなたならわかるでしょう」と言うのですが鞠男にはよくわかりません。

眠気がさした鞠男は、戦時中だった少年時代(厚木拓郎)を思い出します。一緒に落とし穴をつくってくれた校長先生(荻原賢三)、蛇から逃げ方を教えてくれたおなご先生(洞口依子)、知らないことがあるとこどもたちに正直に謝るおとこ先生(林泰文)などが懐かしい。

そして広島にいる父親の馬場九八郎(竹内力)に会うため、母親の文子(南野陽子)と一緒に列車に乗っていて、活動写真小屋の病弱な娘、辰村千代子(有坂来瞳)と知り合います。久しぶりに会った九八郎は鞠男に「好きなことをとことんやれば神様が道筋を作ってくれる」と語るのでした。

終戦を迎え、尾道も自由な空気になり、鞠男は教科書の片隅に可愛い紳士が動くパラパラ漫画を書いていました。そして、それを活動写真にしようと思い立ち、色が抜けてしまった活動写真のフィルムに一コマ一コマを手書きしていきます。

大人の鞠男は紳士に導かれるように少しずつ少年時代の記憶を呼び起こし、自分が初めて作った活動写真の主人公に「マヌケ先生」という名前を付けたことを思い出します。出来上がった活動写真の映写会行うことになり、町のあちこちにポスターを張り、手作りの招待券を千代子にも渡したのでした。

大盛況の上映会となりますが、千代子の姿はありませんでした。千代子は亡くなって見に来ることができなかったのです。しかも、活動写真の中からマヌケ先生が飛び出して逃げ出してし、タンク岩のところで消えてしまいます・・・そこで列車が尾道に到着し、鞠男はその時のフィルムをタンク岩の下に埋めたことを思い出します。紳士が言う「ともだち」とは自分の事だと気がついた鞠男に、紳士は「私がマヌケ先生です」と言うと、再び走って逃げていくのでした。

谷啓は得意のトロンボーンを演奏したり、歌を歌ったりの大活躍。鞠男の祖父は丹波哲郎、祖母は入江若葉、活動写真小屋のおかみに風吹ジュン、下男にミッキー・カーティスなどが登場し、大林作品常連が大勢出てきて花を添えています。子役の厚木拓郎は「あの、夏の日」と同時期の登場ですが、この後の多くの大林作品に登場する存在になりました。

鞠男が活動写真を作ろうと思い立つきっかけはアメリカ人の記録映画監督に出会ったからなんですが、これはいかにもジョン・フォード監督をパロディにしたもので、大林宜彦がカメオ出演して怪しげな英語で熱演しています。また、馬場鞠男という名前も、60年代のイタリアのホラー映画の巨匠、マリオ・バーヴァに由来しています。

大林宜彦が映画を作るきっかけのエピソードを使ったファンタジーですが、こどもを否定しない家族に囲まれて、戦中・戦後の苦しい時代を生き抜くたくましさをうまく現在と過去を交差させて描いています。

正規の大林宜彦の監督作品ではありませんが、2つの大林宜彦監督の尾道三部作の番外編として、大林監督が好きで、特に尾道作品が気に入った方は、絶対に合わせて見ておくべきものだと思います。

2025年2月16日日曜日

あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん (1999)

大林宜彦監督の「新・尾道三部作」の最後は、原点である「転校生」と同じ山中亘の小説「とんでろじいちゃん」が原作。新三部作は尾道市政100周年記念する企画であり、本作は文部省、厚生省、全国PTAなどの多くの推薦を受けました。

小学5年生の大井由太(厚木拓郎)は、のんびり屋で「ボケタ」とあだ名されていました。尾道にいる昔校長をしていた祖父の大井賢司郎(小林桂樹)が、最近おかしなことをするのでボケたのではないかと心配する両親(嶋田久作、松田美由紀)から頼まれて、ボケタは夏休みの間、おじいちゃんを監視するため尾道にでかけていきます。

祖母の亀乃(菅井きん)の話では、おじいちゃんは他人の葬儀で急にラジオ体操をしたり、他所の家に家に入り込んでお供え物を食べ散らかしたりしたらしい。しかし、実際合ってみると、ボケタには厳しいけど優しい感じで、「明日、メダカやドジョウを見せてやる」と言うのです。

おばあちゃんは今どきメダカなどおるものかと言うのですが、翌日おじいちゃんは尾道水道を挟んだ向島が見える場所にボケタを連れて行き、手を握ると「目を閉じろ、息を止めろ」といい「夢のまきまきに・・・」と歌い出します。すると、二人の体は浮き上がり、向島まで空を飛んでいくのでした。気がつくと周りはのどかな田園風景がひろがり、おじいちゃんは小川にいる魚たちをボケタに見せてくれたのです。

おばあちゃんとボケタは、向島に潮干狩りにでかけます。そこで、顔なじみの長惠寺の小林雪路(入江若葉)と娘のミカリ(勝野雅奈恵)と出会い、昔、寺に出入りしていたホラタコの多吉(小磯勝弥)が弥勒菩薩の仏像を壊して、左手の小指だけが紛失したままだという話を聞きます。ミカリは玉虫を見せてあげようとボケタを長恵寺に案内します。そこで、ふだん入ってはいけないといわれてる昔結核で亡くなった叔母のお玉(宮崎あおい)の部屋で蓄音機を鳴らします。その曲は「ジョスランの子守唄」で、まさにおじいちゃんが口づさむ「夢のまきまき・・・」でした。

ボケタはおじいちゃんが、お玉、多吉らと昔何かの出来事があって、ずっと心に引っかかっているのではないかと考え、もう一度空を飛んで一緒に向島に行こうと言いました。翌日、あの歌に乗って気がつくとボケタは、長恵寺に入っていくこどもの時のおじいちゃんを見つけました。おじいちゃんの賢司郎は、結核のため部屋から出れないお玉が蓄音機から流す「ジョスランの子守唄」を聞き入るのです。そして、玉虫がいるから捕まえようと多吉に誘われた賢司郎は、言われるがままに弥勒菩薩の手にとまっていた玉虫を獲ろうと突いた棒で仏像を壊してしまったのでした。

こどもの時の淡い恋と仏像を壊した思い出を心の奥に封印していたおじいちゃんが、死期が近づき過去を清算しようとしていたのが奇怪な行動になっていたのですが、疑うことを知らないボケタの後押しでその想いの真相にたどり着き、悔いを残すことなく一生を終えることになります。

賢司郎とお玉の関係とボケタとミカリを対比させながら、両者を「ジョスランの子守唄」でつなぎ止め玉虫を象徴的に扱うことで、映像に情緒的な広がりを作り上げているところが大林監督の真骨頂のように思います。

前編に尾道弁を強調した脚本と、今までにないくらいたっぷりと尾道の自然を映し出すことで、シリーズの最後を飾るのにふさわしい作品になっています。

2025年2月15日土曜日

あした (1995)

大林宜彦監督の「新・尾道三部作」の第2弾で、今作も第1弾「ふたり」と同じ赤川次郎の小説「午前0時の忘れもの」が原作です。映画化された「ふたり」の完成度に感激した赤川次郎が、自ら監督に映画化を勧め実現しました。

あまり知られていない小さな浜に船着き場待合室と桟橋をセットで組み、ほとんどがその場所で話が進行するため、舞台は尾道ですがそれらしいシーンは多くはありません。大林作品としては珍しい「グランドホテル形式」による群像劇のスタイルになっています。

3か月前に小型客船の呼子丸が尾道沖で嵐のために沈没し、乗客は全員絶望が伝えられました。残された家族や友人たちは、様々な想いを抱いてなかなか日常に戻れない生活をしていました。

安田沙由利(椎名ルミ)は、信頼する水泳コーチの唐木隆司(村田雄浩)を事故で失い、良い記録を出しても一緒に喜んでもらえず辛い毎日でした。ある時、掲示板に「さゆりへ、今夜午前0時に呼子浜で待つ、RYUJI」という伝言を見つけ、混乱する心を持ちつつもバイクで飛び出していくのでした。

中学生の朝倉恵(宝生舞)は、事故で亡くなったはずの大好きだった高柳淳(柏原収史)から同じようなメッセージを受け取り、自転車で呼子浜を目指します。会社員の永尾要治(峰岸徹)は、妻の厚子(小林かおり)と娘のしずか(大野紋香)を失ったのですが、会社のFAXにメッセージが届いたため、車に乗ってでかけます。会社役員の夫、森下薫(井川比佐志)を失った妻の美津子(多岐川裕美)は、秘書の一ノ瀬布子(根岸季衣)と共にモーターボートで出発しました。

そして地元の親分、金澤弥一郎(植木等)は、妻の澄子(津島恵子)と孫の正を亡くしていましたが、メッセージを受け取ると、部下の池之内勝(ベンガル)、山形ケン(小倉久寛)、大木貢(林泰文)を引き連れて車で呼子浜に向かいますが、途中で車が入れない道になってしまい徒歩を余儀なくされました。さらに、弥一郎を殺して組織を手にしようと、笹山剛(岸部一徳)と笹山哲(田口トモロヲ)の兄弟が後を追いかけていました。

たまたま旅行に来ていた大学生の原田法子(高橋かおり)と綿貫ルミ(朱門みず穂)は、フェリーの時間を間違えて帰れなくなり、呼子浜にたどり着き、仕方がなく待合室で夜を明かすことにしました。そこへ、次から次へと人が集まってくる。その中に、小学生の時待ち合わせの約束をしたきり会うことがなかった大木貢を見つけます。

貢は笹山兄弟に言い含められ弥一郎を殺すはずでしたが、どんどん人が増えてタイミングを失っていました。しびれを切らした哲が飛び出してきますが、弥一郎はとにかく0時まで待てと説得します。法子は貢にあの時の約束をずっと待っていたといい、まだやり直せると話すのでした。

そして午前0時。桟橋の向こうに音を立てずに呼子丸が浮かび上がってきて、桟橋に着くと、死んだはずの人々が次から次へと降りてきたのでした。

新・尾道三部作は生と死を正面から描いているところが共通の特徴としてありそうです。ここでは、多くの死が一時的に戻って来て、生の側に残された人々との間で、お互いに残して来た想いを伝えあうドラマが描かれます。

普通に別れの挨拶をできなかったことの無念だけでなく、亡くして大切さを初めて気がつく者、なんとかそのまま生き返らせようと考える者、自分の想いだけで相手には伝わっていなかったことがわかる者などなど、様々な再会がありました。

しかし、いずれも夜が明けるまでの生と死の再会であり、それと強く対比されるのが法子と貢の再会です。二人は未来がある生と生の再会であり、再び沈んでいく船と共に消え去ることはありません。

わずかな出番ですが、大変印象的な登場をするのが「わたし」と名乗るだけの原田知世です。船から降りてこない、誰も待っていない女性で、自ら大林監督にそんな乗客もいてもいいんじゃないかとアイデアを出したもの。誰とも再会しない人もいることが、再会した人々をより印象的なものにしているように思いました。

2025年2月14日金曜日

ふたり (1991)

広島県尾道市に昭和13年に生まれた大林宜彦監督は、戦後、大量に流入してきたハリウッド映画に影響されて、映画の自主制作を始めました。そして、CM撮影などで映像の仕事に関わるようになり、1977年に商業映画の監督としてデヴューします。1982~1985年にかけて、故郷の尾道を舞台として三部作を完成しますが、その後も尾道で映画を撮ってほしいという要望が続き、1991年に赤川次郎原作の「ふたり」を映画化する際に、再び尾道に戻ってきました。

赤川次郎は、この小説の映画化は何度も断っていましたが、大林が舞台を東京から尾道に移しますというと「大林さんが尾道で撮るならお任せします」と許諾しました。主演の石田ひかりは当時は18歳で、14歳でデヴューしてからあまり人気が出ずにいましたが、この作品をきっかけに知られるようになり、大林作品では度々登場するようになりました。

北尾実香(石田ひかり)は、何事にも優秀な3歳年上の姉の千津子(中島朋子)の影に隠れるような存在で、「千津子ちゃんの妹」と呼ばれてばかりいました。でも、二人はとても仲が良く、千津子は何かと実香の面倒も見ていました。実香は部屋を片付けるのは不得意で、のんびりした性格ですが、明るく真っ直ぐな長谷部真子(柴山智加)とは親友の間柄。

3か月前、登校しようと家を出た時、千津子はトラックの崩れた積み荷によって亡くなってしまいます。精神的に衰弱した母親の治子(富司純子)は、今でも千津子が生きているかのような振る舞いをしていて、父親の雄一(岸部一徳)もできるだけ見守るようにしていました。

ある日、急に実香の前に千津子の霊が現れ、これからもしっかり見守ってあげるから心配いらないと話しかけてきます。ピアノの発表会でも、学校のマラソン大会でも、千津子はずっと寄り添い実香を励まし続けます。

翌年、千津子と毎年出かけていたコンサートに、実香は真子を誘って出かけると、神永智也(尾身としのり)と出会います。神永は昨年、千津子とこのコンサートに行く約束をしていたけど現れなかったと言います。神永は実香のクラスメートの前野万里子(中江有里)のいとこで、千津子に嫉妬していた万里子の矛先は実香に向けられるようになるのでした。

そして実香の空想を書き留めていた小説原稿を見つけて、クラス中にばらまき笑いものにしたのです。真子は怒って抗議しようと実香を引き連れて万里子の家に向かいますが、出てきた母親(吉行和子)の深刻そうな様子に二人は驚きます。数日後、二人は心中をするのですが、直前に実香にかかってきた万里子からの電話で、見当をつけた実香の通報によって万里子だけ助かるのでした。

千津子と同じ高校に進学した実香は、同じ演劇部に入部しますが、千津子の妹ならできるといきなり主役を任されてしまいます。そんな時に、雄一は急に小樽に転勤が決まり単身赴任してしまい、和子だけしかいないときに、実香が事故にあったという電話がかかってきて、和子はふたたび精神的なショックから倒れてしまうのです。

千津子を演じる中島朋子は、すでに「北の国から」で人気が出ていた時ですが、話したり聞いたりはできますが実態のない幽霊という難役を見事にこなしました。原作では声が聞こえるだけでしたが、映像として見えるようにしたのは監督で、映画的な改変として大正解のアイデアです。

実香の家族は姉の死、真子の家族は父親の死、そして万里子の家族は母親の死というように、主人公の周りにいくつか違った死が配置されることで、生きることの難しさやこどもが大人に成長する過程でのいろいろな悩みなどが浮き彫りにされる構成のようです。

生と死を対比させながら、家族のいろいろな問題に揺れ動きつつも少女が成長していく姿をとらえた作品で、原作を比較的忠実にしつつも映像的に見事に再現した監督の手腕を、赤川次郎も絶賛したと言われています。

この後、「あした」、「あの、夏の日」も尾道を舞台にしたため、これらが「新尾道三部作」と呼ばれることになり、大林作品の重要な位置を占めるようになりました。

2025年2月13日木曜日

髭剃り Schick KIWAMI


もう、10年、いや、もっと前から髭を剃るのに使っているのはSchickの「五枚刃」なんです。電気シェーバーを買ったこともあるんですが、やはり剃り残しが気になるので長続きはしませんでした。

替刃は安くはないと思いますが、けっこう長持ちするのでコスパは悪くないと思います。唯一の不満は、モイスチャージェルというのがついていて、すべすべし過ぎるし、そもそも数回で溶けて終わってしまいます。

本来、これが売りのポイントなんですが、自分は不要と思います。それでも使うのは、その部分を反対側に倒して邪魔にならないようにできるから。

五枚刃のホルダーは手に馴染むので、何本か買い替えてきました。握るところに滑り止め的(?)なラバー素材が、数年で劣化してボロボロになってくるんです。

そろそろ買い替え時だと思って、Amazonで「シック、五枚刃」で検索して買ってみたら、あれ? 何か違うものが届いた。同じ五枚刃でもクアトロ5というもの。自分が使っていたのはハイドロ5なんですが、五枚刃は同じなら同じようなもの・・・と思ったら大違いでした。

使い勝手が違うとどうも気持ち悪いので、よく見たらけっこう形も違う。そこであらためて・・・どうやらハイドロ5の上位互換ということで「KIWAMI」というのがあることがわかりました。

シックの極みということらしく、可動部が増えてより肌にやさしくフィットするということらしい。値段は高めになりますが、どうせならこれを使ってみようと買っちゃいました。

「極」の替刃がいいのか悪いのかはよくわかりませんが、馴染んだハイドロ5の替刃が使えるのが嬉しい。ホルダーの極みたる可動部については、まぁ、どうでもいい感じ。たくさん動いて、やさしく肌にフィットしやすいということらしいのですが、優しすぎて剃り切れない感じになります。可動部はロックできるので結局動かない方が剃りやすいということになりました。

2025年2月12日水曜日

尾道


もう、何年か前に中国地方に旅行に出かけました。一番の目的は、島根県の出雲大社と広島県の厳島神社だったのですが、レンタカーでの移動だったので途中であえて尾道に寄り道をしました。

何で尾道? ・・・これは、まさに大林宜彦監督の映画の影響か圧倒的に大きかった。「尾道三部作」と呼ばれた最初の「転校生」はテレビで視聴し、2作目「時をかける少女」は先にあったNHKのテレビドラマの影響もあってビデオテープを購入しました。3作目の「さびしんぼう」は、当時から知っていましたが視聴したのはだいぶ後の事です。

登場人物が細い道を走りまわって、当時からしてレトロな風情のある街並みに、故郷でもないのに妙に興味が湧いたものです。まるで川のような静かな瀬戸内海に面する漁師町と、山側の横濱のような雰囲気のアンバランスも興味深い。


市としては映画が観光スポットに注目してくれることを願っていたようですが、映画ではむしろ普通に人々が暮らす街並みしか映し出されなかったことが不満だったようです。しかし、この街の情景こそが貴重な観光資源であることは、実際に行ってみるとよくわかります。

今どきの「聖地巡礼」というようなことはしませんでしたが、坂の多い細い路地を歩いてみると、そこはまさに大林映画の世界のようで、前から知っていた所に来たような懐かしさみたいなものも感じることができました。


ふいに目の前に登場する古い家は、映画の中に出てきそうな佇まいだったりします。立派に飾り立てられた観光名所よりも、「あー、何か来てよかった」と思えて気持ちが落ち着いたことを覚えています。

とは言っても、「尾道三部作」からもう40年ほど時が過ぎ、あらためてこれらの映画を見て尾道に行ってみたいと思う人は多くはないと思います。大林監督が、2020年に亡くなったのでなおさらのこと。時代が変われば、人によって尾道に代わる新たな場所はいくらでも出てきているはずです。

それでも、尾道の魅力はずっと続いてもらいたいものですし、新しい世代の人によって今の尾道が紹介され続けられるといいなと思います。

2025年2月11日火曜日

インスタントで元祖ニュータンタンメン


インスタント・ラーメンの袋麺で一番知られたブランドは「サッポロ一番」だと思うのですが、それを作っているのがサンヨー食品。そこから出ている、変わり種系の一つに「元祖ニュータンタンメン」があります。

元祖ニュータンタンメンは、「川崎のウルフード」とサブタイトルがついていることからもわかる通り、川崎と横浜北部中心に展開するチェーン店ですが、クリニック開業当時センター南にも店がありました。

2007年に店の借地の権利関係(?)で撤退してしまい、とても残念だったのですが、もう一度味わいたくて遠くまでわざわざ出かけて食べたりしました

カップ麺で登場したこともありますが、「あれ? こんなだっけ?」という感じで、その時はあまり感激しなかった。

タンタンメンと言っても担々麵ではない。元祖タンタンメンの最大のポイントは鶏ガラ醤油ベースのスープに赤唐辛子が入って、溶き卵が加わっていること。担々麵のように胡麻は使われていません。

さてさて、袋麺はどうかというと・・・味はほぼ完璧に再現されていると思います。これはなかなか感激します。ただし、溶き卵は自分で後入れです。今回は挽肉は無かったので入れませんでしたが、それでも確かにこの味だと思いました。

ただし、残念なのは麺。いかにもインスタントラーメンですと言わんばかりの揚げ麺なので、ここだけ「サッポロ一番」です。まぁ、味がOKなら許すしかありませんけどね。

2025年2月10日月曜日

さびしんぼう (1985)

大林宜彦監督は、広島県尾道出身で、多くの作品で舞台を尾道にしています。この作品は、「転校生(1982)」、「時をかける少女(1983)」に続く、「尾道三部作」と呼ばれ、山中亘原作の「なんだかへんてこ子」をもとに自叙伝的要素が強い最高傑作といわれています。主演の富田靖子にとっても、名実ともに最高傑作かもしれません。

寺の長男である高校生の井上ヒロキ(尾身としのり)は、カメラが趣味ですがフィルムを買うお金が無いので、望遠レンズで近くの女子高ばかりを覗いています。そして、放課後になるとピアノを弾くある一人の女学生(富田靖子)をファインダー越しに追いかけ、彼女のことを勝手に「さびしんぼう」と呼んでいました。

ヒロキには、彼女が弾いているのは、音は聞こえなくてもショパンの「別れの曲」であることがわかるのです。何故なら、母親のタツ子(藤田弓子)はうるさく「勉強しろ」しか言わないのですが、どうしたわけかピアノも練習もさせられ、しかも「別れの曲」を弾けるようになれといつも言うのでした。

ヒロキは友人たちとにぎやかに、時にはテキトーに楽しくすごしていました。彼らには寺の大掃除も毎回手伝ってもらっていましたが、掃除中にタツ子の古い写真をばらまいてしまうのです。その夜、ヒロキの部屋に急に女の子(富田靖子)が現れます。ピエロのように顔を白塗りにして、だぶついた服を着ていて、そして急に消えてしまいます。それ以来、ちょくちょく現れるようになった女の子は、「さびしんぼう」と名乗ります。

ある日、偶然ピアノの女の子がヒロキの家の前で、自転車が故障して困っていました。ヒロキは、橘百合子と名乗った彼女を送っていきます。でも百合子は、その日以来ヒロキを見かけても無視するようになりました。現れたさびしんぼうは、ヒロキを慰めます。

この映画は、いかにも大林流のめちゃファンタジーです。高校生くらいの男の子にいかにもありそうな現実の女性への憧れ、そして女の子の男性への憧れみたいなものをヒロキと母親との場合を対比させていきます。携帯はおろかパソコンも普及していない時代ですから、今の目からは違和感を感じるかもしれませんが、だからこそアナログの関係にはノスタルジーと温かさを思い出します。

二役を演じる富田靖子は、片や実態のよくわからない不思議な女の子で、片や手が届きそうもない憧れの清純派乙女を見事に演じ分けています。どちらも「さびしんぼう」ですが、早々にわかるように実は白塗りの「さびしんぼう」は、せつない思いを持った16歳の母親の姿で、当時好きだった相手が「別れの曲」を上手に弾く男の子だったのです。

一方、現実のヒロキは「別れの曲」を弾く「さびしんぼう」に密かに恋をしていて、彼女にとって「別れの曲」をうまく弾ける男の子になろうとしているのですが、そこはなかなか簡単にはいかない。大林は、自身が生まれ育った尾道で、おそらく自身の初恋を投影しているのかもしれません。

写真から飛び出てきた16歳の「さびしんぼう」は、17歳になると消えてしまいます。雨に打たれながら、メイクの白塗りや黒いマスカラが流れる涙となり消えていくところは名シーンです。大林作品が好きならば、ベストに上げたくなる作品になっていることは間違いなさそうです。

2025年2月9日日曜日

時をかける少女 (1983)

原作は筒井康隆のジュヴナイル小説で、1972年にNHKで「タイムトラベラー」というタイトルでドラマ化されました。これはリアルタイムで見て、とても印象に残りました。これを1983年に映画化したのが大林宜彦監督で、脚本は剣持亘が担当しました。製作は当時勢いに乗っていた角川映画で、主演した原田知世と共に大人気となりました。

広島県尾道に住む高校2年生の芳山和子(原田知世)は、理科室の掃除のため準備室に入ると不思議な白い煙を吸い込んで気を失います。クラスメートの堀川吾郎(尾身としのり)と深町一夫(高柳良一)が倒れている和子を発見し保健室に運びます。

ある日、学校でわからない問題が出て、部活の弓道では的に矢が当たる映像が先に見えてきます。夜には大きな地震があり、外に出ると吾郎の家の付近に火事が発生しました。駆けつけると、パジャマ姿の一夫も来ていて、火事は吾郎の家ではありませんでした。翌朝、登校の途中で、吾郎の頭の上から瓦が崩れ落ちて来たため、咄嗟に和子が吾郎を助けます。

帰りに祖父母と3人暮らしの一夫の家に寄ると、庭に大きな温室があり、たくさんのラベンダーを育てられていました。この前準備室で嗅いだ煙の臭いが、まさにそれだと気がついた和子は、めまいを感じるのでした。

翌日、学校に行くと昨日と同じ問題で出ますが、復習していたので今回はスラスラと解けてしまいます。夜になると地震が発生し、やはり吾郎の家の近くで火事が発生するのです。翌日、登校の時、やはり吾郎のそばに瓦が崩れ落ちてくるのでした。

一夫が火事の夜に見たパジャマと違うものを着ていることに気がついた和子は、一夫の親指に傷が無いことに目を止めます。幼い頃に、2人で手に怪我をした記憶があり、和子の手には傷跡が残っているのです。そして、吾郎の親指に傷跡を発見した和子は、植物採取すると言っていた一夫を追いかけるのでした。

ストーリーはもう十分に知られていると思いますが、タイムリープというSF的な要素はあまり前面には出ていません。しかし、ホロ酸っぱい青春の思い出を描くための道具として、利用されているのはうまいところ。

原田知世は、角川のオーディションでまずはドラマでデヴューしましたが、あまり話題にならず、大林監督は原田知世の最後の作品としてキャスティングしました。成功の鍵の一つは、松任谷由実が作ったの主題歌のヒットも大きく関係していたと思います。

大林監督にとっては、「転校生」に続く尾道作品で、続く「さびしんぼう」と合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになり、尾道の観光資源として大いに市に貢献することになります。

2025年2月8日土曜日

転校生 (1982)

山中亘の小学生向け雑誌に連載された小説「おれがあいつであいつがおれで(1979)」は、日本でおそらく初めての男女の性が入れ替わってしまう傑作で、身体や習慣の違いをユーモラスに著しました。これを原作にして映画化したのが大林宜彦監督で、脚本は剣持亘です。映画では、主人公を中学生にしたことでより性の違いが強調され、性転換の物語としてのちの作品にも大きな影響を与えました。

広島県尾道に住む斎藤一夫(尾身としのり)は、明るく仲間と悪さばかりする普通の男子中学3年生。ある日クラスに転校生として、幼馴染の斉藤一美(小林聡美)がやってきます。昔の恥ずかしい話を平気でしてくる一美に対して、一夫はいたずらを仕掛けたことで、一緒に石段を転げ落ちてしまいます。

気がつくと、二人の人格が入れ替わってしまっていて、急になよなよする一夫とがつがつする一美に周りはびっくりしますが、二人は状況を理解するにつれ、何とかお互いを演じようとじたばたすることになるのです。

一夫のともだちは、女々しくなった一夫に「お前あれついてんのか」と言ってズボンとパンツを脱がせてしまい、一夫の姿の一美はショックで学校を休んでしまいます。そのことを知った一美の姿をした一夫は、いたずらしたともだちのパンツを下ろして蹴りを入れるのでした。

そんな中、一夫の父の横浜への栄転が決まります。一美は一夫のまま再び転校しないといけなくなってしまうのです。

当初スポンサーだったサンリオが、内容を問題視して降りてしまったため製作が頓挫しそうになりますが、大森一樹監督が仲介して非商業路線のATG(アート・シアター・ギルド)が協力することになります。しかし、予算はまったく足りないため、尾道の市民の協力によりほとんど自主制作みたいな状況で完成しました。

大林監督が自分の出身地である尾道を舞台にしたことで、後に、今でいう「聖地巡礼」現象が起き、広く尾道の観光地以外の魅力を世間に知らしめることになりました。さらに続けて尾道を舞台に作られた「さびしんぼう」、「時をかける少女」は「尾道三部作」と呼ばれています。

撮影当時、小林聡美も尾身としのりも15歳。性転換の混乱を表現するために、小林聡美は上半身裸というシーンが4回あり、相当な覚悟を必要としただろうと思います。もっとも、今なら撮影不可となることは確実です。しかし、男の子が急に女性になってしまう戸惑いは、これらのシーンによって端的に表現されることになりました。

姓が入れ替わった後のそれぞれの仕草なども、わざとらしさがあるものの慣れてくると違和感がなくなり、姿に関係なく受け入れやすくなります。演技の指導もあるでしょうが、若い二人の感性が先に立っているように感じます。一夫の両親が佐藤允と樹木希林、一美の両親が入江若葉と宍戸錠、学校の担任が志穂美悦子といった面々が、周りで二人を支えています。

最後のシーンは引っ越していく一夫の車を追いかける一美、それを一夫が8mmカメラにおさめた白黒動画が用いられています。だいぶ引き離されたところで、一美はぴたっと止まり、すぐさま反対を向いてスキップをしていく。ものすごく印象的なシーンだと思います。

2025年2月7日金曜日

アイコ十六歳 (1982)

堀田あけみが、高校1年生で発表した「1980アイコ十六歳」は、当時の高校生のいろいろな悩みなど的確に著わされていて、多くの共感をよび賞も取りました。それを大林宜彦監督が製作総指揮となって、デヴューとなる今関あきよしに監督をさせました。

名古屋市内の高校1年生、三田アイコ(富田靖子)は、さばさばとした明るく振る舞いでともだちも多く、楽しく学校生活を送っていました。しかし、いわゆる「ぶりっ子」の紅子だけは苦手。

所属する弓道部の夏の合宿に参加したものの、初めて矢を射るアイコはなかなか的に当てられません。中学の時に付き合っていたアイツが、最近バイクに乗り出したらしいと聞いたことも気になっています。

弓道部の顧問に新任の島崎愛子先生(紺野美沙子)が着任しますが、早速紅子が取り入る様子にイライラします。ある日、アイコは思いつめた様子の島崎先生が男性と帰っていくのを見てしまいます。翌日、島崎先生が自殺しようとして入院したという話に、生徒たちは誰もがショックを受ける。

騒然とするクラスで、アイコは生きること訴え、初めて紅子とも気持ちが通じたのです。親友のゴンベと帰る途中、アイコは暴走族が通りを好き勝手に走り回っているところに出くわします。その一団の中にアイツがいて、彼は運転をしくじりアイコの目の前で死んでしまうのでした。

呆然として帰宅したアイコは、母親の胸にすがりついて泣くしかありませんでした。翌日からまた日常が戻り、ともだちたちがアイコにてを振ってきます。アイコも手を振り返すのでした。

主演の富田靖子は当時中学3年生で、オーディションで選ばれてこれがデヴュー作となりました。ともだちの一人は、同じくこれがデヴューの松下由樹が出演しています。アイコの母親は藤田弓子、父親は犬塚弘です。

当時、すごい女優が登場したと富田靖子が大評判になったのを覚えています。初監督の今関あきよしとしてはなかなか映画的にうまく作り上げた感じはわかります。例えば、島崎先生の抱えている「生き辛さ」を、上からの傘の動きだけで表現したのは秀逸です。ただし、内容的には、結局何だったのかよくわかりませんでした。

生きることの大切さを表現したいのでしょうが、明るいキャラの主人公の周りに、やたらといろいろな「死」がつきまとう・・・という映画全体の雰囲気との不自然なギャップみたいなものを感じてしまいます。

原因の一つは、ほとんどの生徒役がド新人なので、台詞がいまいち頭に入ってこないというのがあります。もっとも、名優ばかりではリアリティが乏しくなってしまうかもしれませんけど。

もう一つは、一つ一つのエピソードのつながり感がよくわからない。感性がないと言われてしまえばそれまでなんですけど、「騒然とするクラスで、アイコは生きること訴え・・・」というところも、結局何を言いたかったのかよくわかりませんでした。

そんなわけで、新人の紹介映画としてはそれなりなんで、富田靖子が初めて世に出たというだけと感じてしまいました。御免なさい。

2025年2月6日木曜日

侵入者たちの晩餐 (2024)


タイトルだけ聞くと、何かクライム・サスペンスかスリラーか、はたまたホラーかといろいろ思いめぐらせてしまいますが、なんと実態はシチュエーション・コメディです。日本テレビの2時間枠で放送されたスペシャル・ドラマで、脚本は注目のバカリズム。バカリズムは、一度はまると抜け出せない魅力がたくさんあります。

家事代行会社スレーヌの清掃スタッフの田中亜希子(菊地凛子)、調理スタッフの小川恵(平岩紙)は、会社に対するいろいろな不満がたまり意気投合します。アイドルから転身して成功者となった社長の藤崎奈津美(白石麻衣)が、脱税して何億ものタンス預金を隠しているらしいという噂に飛びつきます。知り合いの江藤香奈恵(吉田羊)を、推理小説好きという理由で仲間に引き入れ、3人で合鍵をひそかに作り、奈津美の自宅マンションへ侵入することにしました。

無事に部屋に入って物色してみたものの、どこにもタンス預金など見当たらない。しかたがないので帰ることにしますが、帰り道で亜希子が「このまま帰るとただの不法侵入者になってしまう。せっかくだから掃除をしたい」と言い出します。恵も「冷蔵庫の余りものが気になったので料理を作っておきたい」と同調し、3人は再びマンションへ。

すると、クローゼットの奥に「本物の泥棒」重松(池松壮亮)発見します。重松は3人が一度引き上げた後で泥棒に入ったものの、3人が再び現れたため隠れていたのです。しかも、そこへハワイに出かけたはずの奈津美が帰ってきてしまいます。

どうにも誤魔化しきれなくなった亜希子と恵は、しかたがなく正直に白状します。すると奈津美は、部屋をきれいにしてくれたし、料理も作ってくれた、そして泥棒もまだ何も盗んでいないからと警察には言わないでおくということになり、2人と重松は心の広い奈津美に感謝して部屋を出るのでした。

マンションのエントランスまで降りたところで、香奈恵がいないことに気がつく3人。再び奈津美の部屋に戻ります。すると、何と香奈恵が奈津美にナイフを向けて殺そうとしているのです。香奈恵は離婚した夫と奈津美が楽しそうにしている写真を発見し、奈津美が夫の不倫相手であったことが判明して逆上していたのです。しかも、どこから登場したのか、マンションのコンシェルジェである毛利(角田晃広)が突然現れ、香奈恵を取り押さえたのでした。

もう、平凡な日常のあるあるみたいなクスっと笑うようなところから、どんどんエスカレートして次から次へと偶然に偶然が重なる奇跡のような展開の見事なところは素晴らしすぎます。まさに「バカリズムイズム」とでも言うような斬新なバカバカしさが炸裂しています。

ほとんどがマンションの一室で起こる出来事なので、舞台向けのようなストーリーですが、部屋を出たり入ったりの動きの多さがマンネリを防いでいて、絶妙なアクセントになっています。また、これ以上繰り返すと、さすがにどうかと思うところで、一気にカタルシスを迎えるのも、引き際がよくわかっていると感じるところ。

とはいえ、この後にさらなるどんでん返しが用意されていて、天才バカリズムの面目躍如というところ。バカリズム常連の出演者も、バカリズムを本当に良く理解しているのだろうと思います。

2025年2月5日水曜日

洋菓子店コアンドル (2011)

悪い映画ではないですけど、ほとんど話題にならなかったような・・・それもそのはず。何とも気の毒だったのは、公開が2011年2月。すぐに東日本大震災が発生し、日本中が映画どころじゃなくなりました。監督の深川栄洋にとっても、主演した蒼井優にとっても残念な結果に終わったのではないでしょうか。

鹿児島弁なまりのまま上京してきた臼場なつめ(蒼井優)は、依子ウィルソン(戸田恵子)がオーナーバティシエを務める評判の洋菓子店「パティスリー・コアンドル」を訪ねます。店は、連絡を取り合ってきた彼氏の勤め先だったのですが、彼氏は早々に退職してしまい行方は誰も知らないらしい。多少はケーキ作りの心得があったなつめは、困り果てて依子に頼み込んで店においてもらうことになります。

きちっとした仕事をする先輩の佐藤マリコ(江口のり子)と張り合うものの、実力差は歴然としていて怒られてばかり。それでも、真面目に勉強するなつめは、少しずつ依子からも信頼されるようになっていきます。

しかし、味にうるさい店のお得意様の芳川夫人(加賀まりこ)に、依子から自分のケーキを作って出すように言われますが、芳川さんは怪訝な顔になるだけ。なんとか探し当てた彼氏の所に行くと、すでに別の女とくっついていちゃいちゃしているのです。かつては有名なパティシエで今は引退して評論家になっている十村遼太郎(江口洋介)にも、自作をけちょんけちょんに言われてしまいます。

そんな時、依子は外交の晩餐会の仕事を依頼されますが、直前に病に倒れてしまうのです。晩餐会に穴をあけるわけにいかず、そもそも店を休業するのも大変なことになってしまいます。なつめは、十村を説得して協力してもらい何とか晩餐会を乗り切ろうと奔走するのでした。

まぁ、お仕事ムービーとしてはあるあるの展開ではありますが、登場人物のキャラが立っていて、それぞれの心情も理解しやすい作りなので、共感しやすく素直に応援したくなる出来です。不器用だけど一生懸命まっすぐというこの手の役柄は、蒼井優は得意なのかもしれません。

最終的に十村が活躍するのですが、引退した理由などがわかるのは後半なので、もう少し頭から絡ませせてもよかったのではないかとも思います。なつめと対照的なマリコを演じる江口のり子も、さすがという存在感で、嫌みな役どころなのに憎めません。

傑作とは言えませんが、押さえるところをしっかりとわきまえた良作として、機会があれば見ても損しない映画の一つだと思います。

2025年2月4日火曜日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2008)

警察側の視点だけで描かれた「突入せよ! あさま山荘事件」に不満を抱いた若松孝二が、私費を投じて完成させた犯人側の視点による、「あさま山荘事件」に至るまでの過程を克明に再現した作品。学生運動が盛んな頃に、若松は反体制的な映画を作っていたので、学生たちから支持されていました。主な出演者は井浦新、坂井真紀、並木愛枝、佐野史郎、奥貫薫、そしてナレーションは原田芳雄です。

190分という長尺の映画の中で、日本の学生運動のおおまかな流れを冒頭30分ほどを使って解説しています。とは言え、現実にその中にいた者でないと簡単には理解できそうもないくらい複雑な流れなんですが、最終的に武装闘争も辞さない共産主義化を目指す赤軍派と革命左派が結びついて連合赤軍が誕生したということらしい。

最初は学生たちは、学費値上げ反対とか、大学幹部職員の不正追及といった身近な問題に対する抗議活動をしていたわけですが、次第に搾取階級を打倒し資本主義に対抗して共産主義社会を実現するための「革命」へと目的が変貌していくさまがある程度わかります。

このあたりを真に理解するためにはアメリカのベトナム戦争に対する反戦運動をはじめとした、当時世界中で巻き起こった反体制運動の流れをすべて知る必要がありますが、さすがにそこは社会学者や歴史学者に委ねるしかありません。

映画では、基本的に連合赤軍メンバーについては実名での登場になります。過激化するいろいろな運動により逮捕者が続出し、いろいろな過激派グループは人材不足があからさまになっていました。1971年、森恒夫、坂東國男、遠山恵美子らの赤軍派と永田洋子、坂口弘、吉野雅邦らの革命左派は共闘を決定し、連合赤軍として体制打破のための武装闘争の準備に入ります。

2月に栃木県の真岡銃砲店を襲撃し、大量の銃器と銃弾を手に入れます。そしてM作戦と呼ばれる金融機関強盗を繰り返し活動資金を調達していくのでした。そして集めたメンバーを引き連れ、群馬県の榛名山の「山岳ベース」において軍事訓練を開始します。

リーダー格の森と永田は、しだいに独裁色を強め、少しでも問題があるメンバーに対して、「自己批判」して猛省を促し、自分の活動を「総括」することを求めるようになります。それはどんどんエスカレートして、自分で総括てきないものには暴力によってわからせるというようになるのです。

他のメンバーにも暴力を振るうことを強制し、集団リンチは当然死者をだすことになる。そのうち総括してもダメと判断された者に対しては「死刑」を宣告し、積極的に殺すようになってしまうのでした。後に山岳ベースで見つかったメンバーの遺体は12人にも上りました。彼らはこれらの死を「敗北死」と呼んでいました。

当然、このような恐怖体制により脱走者も続出し、1972年2月に森と永田は新たなベース地となる妙義山に移動します。しかし、2月17日に森と永田は警察に発見され逮捕されてしまうのでした。残りの者は、山岳ベースを放棄して、坂東・坂口・吉野・加藤兄弟の5人が妙義山に向かいますが、別ルートでいくはずの残りの者は警察に包囲され逮捕されました。

警察の追跡を逃れた坂東らは、2月19日、ついに軽井沢レイクニュータウン内のあさま山荘に侵入し、管理人の妻を人質に籠城することになるのでした。

映画では、これらの様子をドキュメンタリー調に、理想の実現と言う高尚な目的を持っていたはずの彼らが、どんどん狂気に飲み込まれていく様が克明に描かれています。籠城したもののまったく未来が見えない状況に、あさま山荘事件の犯人の中で最年少の加藤弟が、最後に「みんな勇気がなかっただけだ」と叫ぶところはフィクションかもしれませんが、一連の事件の真理をついた言葉なんだろうと思います。

主として、山岳ベースでのエスカレートする狂気を中心としているので、正直、重苦しさが続き、映画としても楽しさはほとんどありません。しかし、登場人物の供述や回顧録などを用いて、可能な限り実際に起こったことを再現したことで、「あさま山荘事件」以後急速に消退した学生運動の流れを最低限知ることができます。しかし、それは今の時代に生きる日本人には、とうてい受け入れることができない理解を超えた非現実でしかありませんでした。

2025年2月3日月曜日

突入せよ! あさま山荘事件 (2002)

もう50年以上前の出来事・・・例えば平成生まれの人なら「東日本大震災」は、一生記憶に残る衝撃的な出来事だろうと思いますが、自分にとって「あさま山荘事件」が人生最初のそれにあたります。

学校から帰ってくると父が「テレビで本当の戦争を中継している」と興奮していたのを覚えています。テレビ各局は、朝から夕方暗くなるまてで、犯人逮捕の一部始終を生放送していました。犯人が引き立てられていく様子は、ずっと映像として頭に焼き付いています。

今の若い人には信じてもらえないかもしれませんが、1960年の日米安全保障条約締結阻止のために全国の多くの大学で学生運動が活発になり、その活動はどんどん勢いを増していました。1970年の日米安保更新で、いわゆる過激派と呼ばれた暴力を意に介さないグループがさらに勢いを増していた時代です。

その勢いは一部の高校にまで広がり、自分が通っていた学校でも校門に「革命文字」と呼ばれた独特の字体で書かれた立て看板がたくさん掲げられていました。もちろん、彼らが何故そんなことをしているのか理解することはできませんでしたから、とにかく物騒なことをしているくらいしか思いませんでした。

いろいろな共産主義思想をベースにしたグルーブが離合聚散し、ニュースでは「内ゲバ」と呼ばれる内部抗争や、××派の何某が逮捕されたというような話は日常のこと。その頂点にあるのが1972年2月に起こった「あさま山荘事件」であり、その直前に仲間内の「総括」と称する多くのリンチ殺人が発覚したことは驚きを超えて恐怖でしかありませんでした。

自分が生きてきた時を理解するための忘れ物として、あの事件、あの時代とは何だったのか、と考える一つの資料としてこの事件を題材にした映画を見ることは何かしら意味があるように思います。

この映画は、当時警察側の実質的な指揮を執った佐々淳行による回顧録をベースに、警察側から事件を整理した内容です。監督・脚本は多くの有名作を手掛けた原田眞人です。出演は役所広司、藤田まこと、篠井英介、宇崎竜童、豊原功補、田中哲司、伊武雅刀、螢雪次朗、椎名桔平、天海祐希、篠原涼子などのそうそうたるメンバーです。

大筋は現実の事件に沿ったものなので省きますが、基本的には過激派対策を知らない長野県警と警視庁から急遽派遣された警備局・機動隊らの対立を軸に、人質の安全確保、英雄にしないため犯人を殺傷しない、そのために銃の発砲は原則禁止などの困難な状況下での作戦遂行の様子を淡々と描いていきます。

ただ、本物そっくりな山荘を、鉄球で破壊していくところなどの再現性は高く、あの時のテレビ画面を再び見ているような緊張感は伝わってきました。

結末は広く知られている事件ですから、はっきり言って映画としての面白さはありません。警察を主役にしたので、犯人についてはまったく描かれおらず、ある意味多くの犠牲者も出た警察を称えるような内容です。もっとも、原作が指揮官によるものですから、これはしょうがない。

これを見て、映画監督の若松孝二は「権力側の視点だけで描かれている」ことに不満を表明し、犯人側の視点による映画を作成しています。

2025年2月2日日曜日

今日も嫌がらせ弁当 (2019)

2012年に始まった、生意気な娘に毎日キャラ弁を作って対抗する母親が綴る「kaori(ttkk)の嫌がらせのためだけのお弁当ブログ」というのがありまして、大好評となってエッセイとして出版されました。これを原作として映画化したのは、監督・脚本の塚本連平。

八丈島に住む持丸かおり(篠原涼子)は、若葉(松井玲奈)と双葉(芳根京子)の二人の娘がいて、夫はこどもが小さいうちに亡くしていました。昼も夜も掛け持ちの仕事をして家計を支えていましたが、次女の双葉が高校生になるころから反抗期で口も利かなくなり、たまに言うのも「うざい」の一言だけ。

かおりは、それならと毎日の弁当を「うざい」キャラ弁にしてやると決意するのです。双葉の弁当はクラスでも話題になりますが、双葉はいっこうに態度を改める気配が無い。気がつくと、双葉は高校3年生となり、卒業後の進路を決めなければならないのですが、何をやりたいのか思いつかない。

幼馴染のちょっと気がある男子がコンクールに出るため本土に行くというので、双葉はついにかおりにキャラ弁の作り方を教わり、「頑張れ」のメッセージを伝えようとしますが、相手にはすでに彼女がいました。また最初の就職試験の結果も不合格となり、かおりが「無駄な事なんて何もない」と書いた弁当を捨ててしまうのです。

やっと都内の食品会社への就職が決まり、卒業までわずかとなったある日、かおりは全力で最後までキャラ弁作りに力をこめるのでしたが、過労がたたって倒れてしまうのでした。

ゆったりと時間が流れるような間を持った映画ですが、実は3年間の話。そんなにせかせかした雰囲気が無いのは、舞台の八丈島というのも関係あるかもしれませんが、一番は母娘の静かな戦いのせい。

ただし、少しずつただの戦いがキャラ弁を通した会話に代わっていくところは、しっかりと盛り込まれているところが作り方が上手なところでしょう。冷凍食品詰めまくり弁当のお母さんだって、毎日弁当を作ることは大変なことで、多くのお母さんにはしっかりと突き刺さる話だと思います。

話のアクセントとして対照的なシングル・ファーザー役の佐藤隆太が登場しますが、キャラ弁の作り方やそこに込める気持ちをかおりが伝えることで、本来口に出さないところが自然と解説されるようになっています。

これで物語は終わり・・・と見せかけてスタッフロールが登場すると、かおりが「まだ終わらない」といって続くのはユーモアとしてはあまりうまい方法ではないし、それも2回出てくるのは感心しません。とは言っても、そんなのは些細な事で、最後の巨大弁当は泣けること請け合いです。

2025年2月1日土曜日

ホットスポット (2025)


最近、コンスタントに独特の世界観を展開する脚本で注目されるのが、お笑い芸人のバカリズム。もともと1995年に結成されたお笑いコンビの名称がバカリズムでしたが、2005年に解散後もピン芸人として名称を継承しています。2011年ごろから脚本の仕事を始めており、おそらくその才能が広く知られたのは、2014年の「素敵な選TAXI」からではないでしょうか。

「架空OL日記(2017)」、「ブラッシュアップライフ(2023)」などのテレビドラマの脚本は高く評価されていて、独特のシュールなユーモアとシリアスな人の本音は一度はまったら簡単に抜け出せない魅力があります。

今期のテレビドラマでは、日本テレビの本作がバカリズムのオリジナル脚本で、今のところ第3話までが放送されました。「未知との遭遇」ならぬ「未知との日常」、「SF史上かつてない小スペクタクルで贈る、地元系エイリアン・ヒューマン・コメディ」という宣伝文句からして、興味をそそられましたが、いざ始まってみると抜群の面白さです。

舞台は富士吉田市。河口湖畔のホテル、レークサイド浅ノ湖のフロント係、シングル・マザーの遠藤清美(市川実日子)は、平凡な毎日の業務をそつなくこなす毎日を送っていました。ホテルの支配人は奥田(田中直樹)、同僚は磯村由美(夏帆)、沢田えり(坂井真紀)らで、全員特に不満があるわけでもなく、決められた通りに普通に働き、時々ちょっとさぼるのでした。

ある日、清美は交通事故に遭いそうになったところを、もう一人の目立たない従業員である高橋孝介(角田晃広)の高速かつ怪力により命を救われます。高橋は今の事は誰にも言わないようにと言って去っていくのですが、当然清美は気になってしかたがない。翌日、勤務中に清美は高橋を質問責めにしたため、高橋は仕方がなく「実はオレ、宇宙人なんだ」と言うのでした。

当然、清美は冗談と思うわけですが、昨日のことは人間業とは思えないし、消えた客室のテレビを透視によって発見したりするので信じるしかなくなります。絶対に人に言わないでと念押しされるのですが、そうなると喋りたくなるのは人の常。清美は仲良しの日比野美波(平岩紙)と中村葉月(鈴木杏)に話すと、二人から是非会ってみたいと言われランチ会に高橋を連れて行くのでした。

高橋は仕方がなく3人に話したことは・・・父親が宇宙から来た。自分は地球人とのハーフで、生まれてからずっと地球人として暮らしてきた。しかし、地球人を上回るいろいろな能力を持っているが、父親から絶対に人に知られてはいけないと言われてきた。この能力を使うと、後で熱が出たり体が痛くなって体調を崩す。仕事場のホテルの温泉は、これを治す効果があるので、ときどきこっそり入っている・・・というものでした。

ここから、物好きな「おばちゃん」たちのいろいろな「あれやって、これやって」というしょーもないリクエストによって、高橋は様々などうでもいいことに首を突っ込んでいくようになるというストーリーが展開します。

まさな未知との日常であり、小スペクタクルです。よくもまぁ、こんな設定を思いついたものだと思いますが、考えて見れば自分の日常に異質な人がいるかもしれないという状況はあり得る話。そういう状況を拡大解釈すれば、この設定はなかなかうまい。

普通の事を普通にだけ見ないバカリズムの発想転換は、お笑い芸人という枠を超えたもので、ドラマ・映画に新しい勢いを与えるものの一つとして注目に値します。あからさまにバカなことを映像化して笑いを取る監督もいますが、そのような作品は一度見ればたくさんという場合がほとんどです。バカリズムは笑いのメカニズムをおそらく知っていて、自発的に笑いを起こすことを目標にしているのかもしれません。