柚月裕子による警察小説が原作。実写化に当たっては、骨格は変わりないもののいろいろと改変がおこなわれているらしいのですが、むしろ登場人物の内面を深く描き出すことに成功したと高く評価されています。
監督はこれが2作目の若い原廣利、脚本は「全裸監督」など多くの作品に携わっている山田能龍本とこの数年注目されている我人祥太が共同であたっています。我人祥太はR-1グランプリ決勝進出の経験もあるピン芸人という異色の経歴の持ち主です。
愛知県の平井中央署管内で、ストーカー被害の受理が遅れ、被害者の女性が殺されてしまいます。犯人として逮捕されたのは、神社の神官を務める男でした。しかし、受理が遅れた理由が職員の慰安旅行だったことが地方紙にスクープされてしまい、多くの非難をうけることになります。署内では、旅行のことを漏らした「犯人」は誰なのか憶測が広がっていました。
愛知県警の広報課では課長の富樫(安田顕)をはじめ、全員が電話対応に追われる中で、一般職員である森口泉(杉咲花)は親友で県警担当記者の津村千佳(森田想)のことを思い出していました。平井中央署の生活課に勤務する磯川俊一(萩原利久)から慰安旅行のお土産をもらったことを千佳に話してしまったことから、記事になってしまったと疑います。そのことを千佳に聞くと、「私ではない。今まで約束を破ったことはない。自分が漏らしたわけでは無いことを証明する」と言って去っていったのです。
数日後、川で千佳の遺体が発見されます。捜査一課長の梶山浩介(豊原功補)は、千佳の携帯の記録などから泉と頻繁に連絡を取り合っていたことがわかったため、富樫同席の上、泉に事情聴取をします。泉は千佳を疑ったことで、何か事件に巻き込まれたのではないかと自分を責め、自分も出来るだけ捜査に協力したいと言い出します。
思いつめている泉を見かねて、富樫は新興宗教の教団施設を見せにいきます。富樫は以前公安職員だったときに、教団が起こした毒ガス散布事件で、自分の軽率な行動が事件の引き金になったかもしれないという話を泉にします。それでも、前を向いていくしかないと言うのでした。
笑顔が無くなった泉を心配して、磯川は相談に乗る形で泉の捜査を手伝います。磯川は同じ職場の辺見(坂東巳之助)の様子がおかしいことに気がつき、ストーカー事件のすぐあとに職場で付き合っていた女性と強引に別れていたことを知ります。その女性の実家を千佳が訪れた可能性があったため、泉と磯川は実家を訪ねますが、千佳の遺体が発見されたすぐ後に女性は自殺していたのです。
基本的には犯人捜し的なクライム・サスペンスの形を取っていますし、実際巧妙に真相を知るためのヒントがあちこちに隠されていて、2時間の枠の中にうまくまとめ上げられた作品となっていると思います。しかし、映画の製作者、そして原作者も一番に描きたかったのは、人が後悔と向き合っていく姿です。
人は自分の行為が悔やんでも悔やみきれない結果につながった場合、どうすればいいのか。泉はどうして親友が死ななければならなかったの真相を追求しますが、それは親友に対する贖罪なのか、それとも親友を信じ切れなかった自分を正当化するためなのかもしれません。具体的な行動をしていない富樫は、「前向きになるしかない」という曖昧な表現にとどめています。
辺見も、その別れた女性も何かしらの後悔をしていました。津村千佳でさえ、親友に疑いを持たせてしまったことを後悔していたことが、事件に巻き込まれていく大きな要因だったと思います。各自の向き合い方を、蕾だった桜が満開になり、そして散り始める情景の中で、しっかりと映画に焼き付けることができた作品だと感じました。
2025年11月30日日曜日
2025年11月29日土曜日
OTC類似薬
昨今、政治の話題でしばしば耳にするのが「OTC類似薬」という言葉。
OTCは「Over the Counter」の略で、カウンター越しに買うことができるという意味で、OTC薬というと、普通の一般薬局で購入可能な薬のことです。
代表的なOTC薬としては、解熱鎮痛薬のロキソニンS、バファリンA(アスピリン)、胃腸薬のガスター10、総合感冒薬のパブロンS、新ルルAゴールドDX、抗アレルギー薬のアレグラFXなどがあります。
じゃあ、OTC類似薬というのは何?
OTC類似薬は、医師が診察した上で発行する処方箋が必要な医療用医薬品でありながら、成分や効能がOTC医薬品と同等の薬のことです。
例えば、ロキソニンは三共製薬がおおよそ40年前に開発した「痛み止め」です。長年の実績で安全性などが担保されたため、2011年にOTC薬のロキソニンSとして、一般の薬局でも販売されるようになりました。
ただ。ここで一言文句を言いたい。医療用医薬品のロキソニンをOTC類似薬と呼ぶのは、どうしてもしっくりこない。ロキソニンが先で、ロキソニンSが後ですから、OTC類似薬というと後から出てきたみたいな印象になってしまう。OTC薬を医療用医薬品類似薬と呼んでもらいたいものです。
それはともかく、気になるのは価格です。医療用医薬品のロキソニンは1錠が10.4円、ジェネリック薬の場合は10.1円です。1日に3回内服する薬ですので、4日分だと12錠が必要になります。薬そのものの値段は大したことはありませんが、診察料、処方箋料、そして処方箋薬局での指導管理料などが加わりますので3割負担で1000円程度の自己負担となります。一方、一般薬局でOTC薬のロキソニンSを購入する場合は、1箱に12錠入っていて、消費税込みで768円です。
ただし、4週間分必要な場合は、医療用医薬品のロキソニンなら3割負担で300円程度増えるだけですが、OTC薬のロキソニンSだと7箱必要なので5,376円となり、大きな差が出てきます。つまり、とても大雑把な言い方をすると、ロキソニンSが4箱(16日分)を超えなければ、OTC薬を買ったほうが安上がりということになります。
今、政治家の方々が相談しているのは、OTC類似薬は健康保険の対象外でいいんじゃないかという話。ケガやぎっくり腰などで一時的な痛みで使用する場合は、ほとんどが1週間以内の使用であることが多いので、健康保険から外されても金額的にはあまり問題はないかもしれません。ただし、それはあくまでも診察は受けなくてよいと自己判断できる場合です。
中には日常生活を続けるために長期間の服用が必要な方もいますし、いろいろなパターンがあるはずなので、一律に保険適応外としてしまうのはいかがなものかと思います。増加し続ける医療費の中で薬剤費は、このような安くなった薬ではなく、近年次から次へと登場してくる高額な新薬が関与している部分が大きいことは明らかで、OTC類似薬の保険適応を外しても効果は限定的だと感じます。
いずれにしても、現状の皆保険制度の維持は今後困難になっていくことは火を見るより明らかではあるので、抜本的な構造的改革が必要であることは間違いがありません。
2025年11月28日金曜日
フロントライン (2025)
重い。この映画を見た、率直な感想は「重い」です。自分も医療関係者、医師ですから、この映画を単なるエンターテイメント作品として見ることはできませんでした。
映画全体が、最初から最後まで重苦しい雰囲気の中で進行するので、一般の方には辛い作品だと思います。ですから、そういう「重い」部分もあるのですが、やはり登場する医師たちにものすごく共感してしまう部分が重くのしかかってくるのです。
これは日本における新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のパンデミックのきっかけとなった、2020年1月末に豪華クルーズ船であるダイアモンド・プリンセス号の乗客にCOVID-19感染者がいることが判明し、2月3日に横浜港に停泊後、全乗船者が下船した3月1日までの事実に基づいた一部フィクションを交えたセミ・ドキュメントと言える映画です。
監督の関根光才は、MV制作から出できて社会問題にもかかわる人物。脚本は「コードブルー」の製作にも携わった増本淳で、福島第一原子力発電所事故を丁寧に扱った「THE DAYS」でも制作・脚本を担当しました。
新型感染者の発生により、多くの病院が尻込みする中、神奈川県は神奈川DMAT(災害派遣医療チーム)に船内での救護活動を要請しました。DMATの指揮官、結城(小栗旬)は、DMATの専門が感染症ではないことは承知した上で、目の前の命の危険がある人々を救いたいという思いから引き受けます。
船内に入って実質的な医療行為を行うのは医師の仙道(室塚陽介)、真田(池松壮亮)らで、結城は主に神奈川県庁から多くの交渉事を一手に行っていました。厚生労働省からは立松(松坂桃李)が派遣され、このウイルスを国内に持ち込ませないことを第一の使命と考えていました。
はじめは結城と立松はぶつかることがありましたが、何の保証もなく自分たちも感染する危険の中で必死に活動するDMATを見るうちに、立松は国としてのルールよりも今現場が必要としていることに出来る限り協力する姿勢を見せ始めるのです。
そんな中で、感染症専門家と称する六合(吹越満)が、船内を訪れ専門家ではないDMATが不適切な感染対策をしているという動画をネットに上げたことで、DMATの隊員たちの中に動揺が広がります。職場から批判されたり、中には、家族が差別を受けたりする者もいて、船内の活動に従事できるスタッフが激減してしまうのです。しかし、結城も仙道も今は反論している時ではないと考えていました。
初めは厚労省やDMATの仕事を批判していたテレビ局の上野(桜井ユキ)は、メディアり取り上げ方に少しずつ疑問を持ち始めました。テレビは最初は何故乗客を降ろさないと批判していたのに、いざ下船準備が始まると何故下ろすと矛先を変えるのです。上野は結城たちの想いを感じ、起こっている事実だけを冷静に報道することを目指すのでした。
PCR検査陰性者も含めて船に足止めして2週間の隔離期間が過ぎたことで、集団下船が始まりクルーズ船での作業は終了します。真田はやっと家族の待つ家に帰宅し、仙道は新たな現場に向かいました。結城は立松に、「あんたが偉くなってくれれば、もっと我々は働きやすくなる」と言うのでした。
現実に同じ横浜市内で起こっていたこの件については、単純な傍観者にはなれませんでした。しかし、自分はクリニックの一人医者ですし専門外ですからという理由に納得して、この現場に参加するようなことは無いと思っていたことは間違いありません。
結果として、自分には何もできなかったかもしれませんが、あらためてこの映画を見ると、ものすごく後ろめたさを感じてしまいます。当時のブログを見返してみると、専門外でも少しでも冷静な客観的な情報を提供しようとしていたことを思い出しました。それすらも自己保身的なものだったかもしれない。そういう意味でも、とにかく「重い」映画でした。
映画全体が、最初から最後まで重苦しい雰囲気の中で進行するので、一般の方には辛い作品だと思います。ですから、そういう「重い」部分もあるのですが、やはり登場する医師たちにものすごく共感してしまう部分が重くのしかかってくるのです。
これは日本における新型コロナウイルス(COVID-19)感染症のパンデミックのきっかけとなった、2020年1月末に豪華クルーズ船であるダイアモンド・プリンセス号の乗客にCOVID-19感染者がいることが判明し、2月3日に横浜港に停泊後、全乗船者が下船した3月1日までの事実に基づいた一部フィクションを交えたセミ・ドキュメントと言える映画です。
監督の関根光才は、MV制作から出できて社会問題にもかかわる人物。脚本は「コードブルー」の製作にも携わった増本淳で、福島第一原子力発電所事故を丁寧に扱った「THE DAYS」でも制作・脚本を担当しました。
新型感染者の発生により、多くの病院が尻込みする中、神奈川県は神奈川DMAT(災害派遣医療チーム)に船内での救護活動を要請しました。DMATの指揮官、結城(小栗旬)は、DMATの専門が感染症ではないことは承知した上で、目の前の命の危険がある人々を救いたいという思いから引き受けます。
船内に入って実質的な医療行為を行うのは医師の仙道(室塚陽介)、真田(池松壮亮)らで、結城は主に神奈川県庁から多くの交渉事を一手に行っていました。厚生労働省からは立松(松坂桃李)が派遣され、このウイルスを国内に持ち込ませないことを第一の使命と考えていました。
はじめは結城と立松はぶつかることがありましたが、何の保証もなく自分たちも感染する危険の中で必死に活動するDMATを見るうちに、立松は国としてのルールよりも今現場が必要としていることに出来る限り協力する姿勢を見せ始めるのです。
そんな中で、感染症専門家と称する六合(吹越満)が、船内を訪れ専門家ではないDMATが不適切な感染対策をしているという動画をネットに上げたことで、DMATの隊員たちの中に動揺が広がります。職場から批判されたり、中には、家族が差別を受けたりする者もいて、船内の活動に従事できるスタッフが激減してしまうのです。しかし、結城も仙道も今は反論している時ではないと考えていました。
初めは厚労省やDMATの仕事を批判していたテレビ局の上野(桜井ユキ)は、メディアり取り上げ方に少しずつ疑問を持ち始めました。テレビは最初は何故乗客を降ろさないと批判していたのに、いざ下船準備が始まると何故下ろすと矛先を変えるのです。上野は結城たちの想いを感じ、起こっている事実だけを冷静に報道することを目指すのでした。
PCR検査陰性者も含めて船に足止めして2週間の隔離期間が過ぎたことで、集団下船が始まりクルーズ船での作業は終了します。真田はやっと家族の待つ家に帰宅し、仙道は新たな現場に向かいました。結城は立松に、「あんたが偉くなってくれれば、もっと我々は働きやすくなる」と言うのでした。
現実に同じ横浜市内で起こっていたこの件については、単純な傍観者にはなれませんでした。しかし、自分はクリニックの一人医者ですし専門外ですからという理由に納得して、この現場に参加するようなことは無いと思っていたことは間違いありません。
結果として、自分には何もできなかったかもしれませんが、あらためてこの映画を見ると、ものすごく後ろめたさを感じてしまいます。当時のブログを見返してみると、専門外でも少しでも冷静な客観的な情報を提供しようとしていたことを思い出しました。それすらも自己保身的なものだったかもしれない。そういう意味でも、とにかく「重い」映画でした。
2025年11月27日木曜日
ある閉ざされた雪の山荘で (2024)
数えきれない実写化作品を輩出しているベストセラー作家・東野圭吾の推理小説が原作。それだけでも、期待してしまうのですが、タイトルからして話の舞台全体が密室となっていて、登場人物が一人ずつ消えていくのだろうと考えてしまいます。監督は「宇宙人のあいつ」の飯塚健、飯塚と加藤良太の共同脚本になっています。
人気劇団「水滸」の次の舞台の主役を決めるため、海辺の豪華な貸別荘に集まったのは7人の役者。集めたのは水滸の演出家東郷です。メンバーは、リーダーの雨宮恭介(戸塚純貴)、実力派人気俳優の本多雄一(間宮祥太郎)、感情的な田所義男(岡山天音)、東郷に取り入って主役を得た噂がある笠原温子(保田真由)、演技派下手ですが父親が劇団のスポンサーである元村由梨江(西野七瀬)、個性派美人女優の中西貴子(中条あやみ)、そして唯一水滸に所属していない久我和幸(重岡大毅)です。
到着すると、早速東郷からのメッセージが壁に映し出されます。それは「これから殺人事件が起きる。その状況を踏まえて各自が独自に演技をすること。犯人を突き止めたものが次の主役になる」というもので、ここが「大雪で閉ざされた山荘」であるという設定で、外部との連絡は禁止されます。
二日目の朝、笠原がいないことに気がつきます。すると東郷からの「笠原は絞殺された」というメッセージが映し出されますが、皆はこれはオーディションの設定の一部かもと考えます。しかし、三日目の朝、今度は元村がいない。彼女の部屋の壁には血糊が撒かれ、リビングには本物の血がついた花瓶が置かれていました。再び、東郷から「元村は撲殺された」とのメッセージ。
雨宮は荷物をまとめて逃げ出そうとしますが、本多はこれらも全部芝居をするための演出かもしれないと踏みとどまらせようとします。田所は、笠原、元村と消えると次は雨宮だろうから怖いのは当たり前だと言い出します。
実は、前回の舞台で最も実力のある麻倉雅美(森川葵)が、主役を笠原に取られたことで劇団を辞めて実家に帰ってしまい、雨宮、笠原、元村の三人が復帰をさせようと説得に行って、かえって麻倉を傷つけてしまったのです。しかも、麻倉は、笠原の嘘のせいで交通事故にあい下半身不随の後遺症を負ってしまったのでした。
そして、最終日、四日目の朝。荷物をまとめて出てきたのは、本多、田所、中西、久我の4人。雨宮の姿はありませんでした。
基本的には推理物ですから、せいぜい紹介できるストーリーはこのくらい。また感想もほとんどネタバレになるので、多くは語れません。
オーディションの最終選考に集められた別荘で、劇団員たちは、携帯などの使用は禁止され、敷地から出たら不合格になるという「クローズド・サークル」が設定されています。クローズド・サークルとは、推理小説で外界との交流が断たれた閉鎖空間の中を意味する用語で、東野圭吾の得意技。ただし、出たくても出れない物理的な密室のようなものとは違い、心理的な施錠がされた状況というのが珍しい。
とは言え、携帯電話などは自己申告で提出していて、2個持ちも有りうるし、本当に殺人があったと考え、かつ次は自分かもしれないと思ったら、いくら配役を貰いたくてもその場に居残るというのはあまりにも不自然ではないでしょうか。家中に監視カメラが設置してあり、そもそもこの最終選考を企画した演出家の東郷が何らかの関りがあることは間違いないわけで、そういう意味でも主役に選ばれたいモチベーションが続くはずがない。
そこは別荘に中で、殺人をテーマにした自由な演技をしろというテーマがあること、殺されたとされる人物の死体が出てこないことで、残された人々は本当なのか演技なのか疑心暗鬼になることで誤魔化されているような感じがします。
原作(未読)にも家の見取り図が掲載されていて、謎を解明する大きな手がかりになっているらしい。それを踏襲してか、見取り図上に登場人物がはめ込まれて、今どこにいるかを示すシーンがしばしば出てくるのですが、ほとんど意図するものが不明なだけ。いちいち東郷のメッセージが、いろいろな場所でプロジェクションで映されるのも嘘くさい。
また犯人の意図が判明した時点で、じゃあそもそも部外者の久我がいる理由がわからなくなります。また、犯人を特定しろという命題があるにも関わらず、そのための手掛かりは映画の中でほとんど示されません。
開けても開けても中にさらに小さな人形が入っているマトリョーシカのような構成になっているのは原作の妙味ですが、最後のシーンを見ると元々の人形が美しい箱の中にしまわれているようなことなのかもしれません。いずれにしても、原作はともかく、映画に関しては、「多くは語れない」と言いましたが、「推理物」としては、かなり雑な作りであり突っ込みたくなるところが多過ぎると思いました。
人気劇団「水滸」の次の舞台の主役を決めるため、海辺の豪華な貸別荘に集まったのは7人の役者。集めたのは水滸の演出家東郷です。メンバーは、リーダーの雨宮恭介(戸塚純貴)、実力派人気俳優の本多雄一(間宮祥太郎)、感情的な田所義男(岡山天音)、東郷に取り入って主役を得た噂がある笠原温子(保田真由)、演技派下手ですが父親が劇団のスポンサーである元村由梨江(西野七瀬)、個性派美人女優の中西貴子(中条あやみ)、そして唯一水滸に所属していない久我和幸(重岡大毅)です。
到着すると、早速東郷からのメッセージが壁に映し出されます。それは「これから殺人事件が起きる。その状況を踏まえて各自が独自に演技をすること。犯人を突き止めたものが次の主役になる」というもので、ここが「大雪で閉ざされた山荘」であるという設定で、外部との連絡は禁止されます。
二日目の朝、笠原がいないことに気がつきます。すると東郷からの「笠原は絞殺された」というメッセージが映し出されますが、皆はこれはオーディションの設定の一部かもと考えます。しかし、三日目の朝、今度は元村がいない。彼女の部屋の壁には血糊が撒かれ、リビングには本物の血がついた花瓶が置かれていました。再び、東郷から「元村は撲殺された」とのメッセージ。
雨宮は荷物をまとめて逃げ出そうとしますが、本多はこれらも全部芝居をするための演出かもしれないと踏みとどまらせようとします。田所は、笠原、元村と消えると次は雨宮だろうから怖いのは当たり前だと言い出します。
実は、前回の舞台で最も実力のある麻倉雅美(森川葵)が、主役を笠原に取られたことで劇団を辞めて実家に帰ってしまい、雨宮、笠原、元村の三人が復帰をさせようと説得に行って、かえって麻倉を傷つけてしまったのです。しかも、麻倉は、笠原の嘘のせいで交通事故にあい下半身不随の後遺症を負ってしまったのでした。
そして、最終日、四日目の朝。荷物をまとめて出てきたのは、本多、田所、中西、久我の4人。雨宮の姿はありませんでした。
基本的には推理物ですから、せいぜい紹介できるストーリーはこのくらい。また感想もほとんどネタバレになるので、多くは語れません。
オーディションの最終選考に集められた別荘で、劇団員たちは、携帯などの使用は禁止され、敷地から出たら不合格になるという「クローズド・サークル」が設定されています。クローズド・サークルとは、推理小説で外界との交流が断たれた閉鎖空間の中を意味する用語で、東野圭吾の得意技。ただし、出たくても出れない物理的な密室のようなものとは違い、心理的な施錠がされた状況というのが珍しい。
とは言え、携帯電話などは自己申告で提出していて、2個持ちも有りうるし、本当に殺人があったと考え、かつ次は自分かもしれないと思ったら、いくら配役を貰いたくてもその場に居残るというのはあまりにも不自然ではないでしょうか。家中に監視カメラが設置してあり、そもそもこの最終選考を企画した演出家の東郷が何らかの関りがあることは間違いないわけで、そういう意味でも主役に選ばれたいモチベーションが続くはずがない。
そこは別荘に中で、殺人をテーマにした自由な演技をしろというテーマがあること、殺されたとされる人物の死体が出てこないことで、残された人々は本当なのか演技なのか疑心暗鬼になることで誤魔化されているような感じがします。
原作(未読)にも家の見取り図が掲載されていて、謎を解明する大きな手がかりになっているらしい。それを踏襲してか、見取り図上に登場人物がはめ込まれて、今どこにいるかを示すシーンがしばしば出てくるのですが、ほとんど意図するものが不明なだけ。いちいち東郷のメッセージが、いろいろな場所でプロジェクションで映されるのも嘘くさい。
また犯人の意図が判明した時点で、じゃあそもそも部外者の久我がいる理由がわからなくなります。また、犯人を特定しろという命題があるにも関わらず、そのための手掛かりは映画の中でほとんど示されません。
開けても開けても中にさらに小さな人形が入っているマトリョーシカのような構成になっているのは原作の妙味ですが、最後のシーンを見ると元々の人形が美しい箱の中にしまわれているようなことなのかもしれません。いずれにしても、原作はともかく、映画に関しては、「多くは語れない」と言いましたが、「推理物」としては、かなり雑な作りであり突っ込みたくなるところが多過ぎると思いました。
2025年11月26日水曜日
ファーストキス 1ST KISS (2025)
今年の春の話題作。話題の理由の一つは、監督が塚原あゆ子というところ。飛ぶ鳥を落とす勢いというのは、最近の塚原に相応しい表現で、2024年だけでも公開された映画は「ラストマイル」と「グランメゾン★パリ」があり、テレビでも大作となった「海に眠るダイヤモンド」がありました。もう一つの話題性は脚本の坂元裕二によるオリジナル・ストーリーだということ。1991年の「東京ラブストーリー」以来、時代の空気を的確に読み込んだ脚本の数々でいつも注目を浴びてきました。
さらに主演がもうベテランと呼ばれるようになった松たか子と「夜明けのすべて」で見事な演技を見せたSixTONESの松村北斗という、18歳差のカップルというのも驚かされました。しかし、年の差があるからこその、ほろ苦さの残るSF的なロマンス映画になりました。
硯カンナ(松たか子)の演劇舞台の美術スタッフとして働いていますが、最近、夫の硯駈(松村北斗)との関係はぎくしゃくしていて、ついに離婚することになります。駈が離婚届を持って仕事に出かけた日、カンナは一本の電話により駈が死んだことを知らされるのでした。駅のホームでベビーカーが線路に転落し、助けようと飛び降りた駈は入って来た電車に轢かれてしまったのです。
しばらくして、舞台の不備で呼び出されたカンナは、首都高のトンネルから出ると、見知らぬ場所にいました。車を置いて田舎道を歩いていくと、立派なホテルにたどり着きます。そこは、15年前に駈と初めて出会った場所で、しかも若々しかった本人と再び出会うのでした。
カンナは、出会った頃の楽しかった日々を思いだし、何度も首都高からタイムスリップをして、駈との初めて出会いを体験します。そして、何とか駈が死なずにすむように、いろいろと違った行動や会話をして、未来を変えたいと思うのでした。しかし、現実に戻るとどうやっても駈が死んでしまう事実は変わらないのです。
そして、駈を死なせない方法としてカンナが導き出した結論は、二人が結婚しないということでした。再びタイムスリップしたカンナは、駈と関係が生じないようにしようとしますが、駈はその時代のカンナを見つけ驚き、また未来のカンナが落とした「2024年 駈死亡」のメモを拾ってしまうのでした。
出会った頃は、あれほど楽しかった二人の生活が、時を重ねて冷めていく様子がたんたんと描かれるシーンがあり、「初めはお互いにいいところばかり探すが、しだいに悪い所ばかりを探すようになるのが結婚」というセリフは、真実を含んでいるように思います。そうなる未来を先に知っていれば、それを回避して修正するポイントはたくさんあるのでしょうが、現実には難しい事です。
若い時の気持ちに戻って、改めて駈に恋するようになっていくカンナの気持ちは切ない。何しろ15年後に二人がどうなるのか知っているし、そもそも駈の運命もわかっている。カンナは何度も何度も最初の出会いを繰り返しますが、駈は毎回初めてのカンナとの出会いになるので、駈にとってはどんどんカンナの変人度合いが大きくなっていくのです。
若い時の松たか子は、本当に若い。それほど多くのシーンがあるわけではないので、おそらくCG処理をしているのだろうと思います。一方、現実の中年になった駈はメイクだろうと思いますが、こういうところは20世紀の映画では嘘っぽくなったと思いますが、今の技術は見事に成立させてしまうのが凄い。
若い頃の駈の恩師にリリー・フランキー、その娘で駈が好きな娘に吉岡里帆、現代のカンナに若いながらアドバイスをする仕事仲間に森七菜などが登場します。リリー・フランキーが「タイム・マシンがあったら、若い人は未来を見たくなり、年を取ると後悔を正すため過去に戻りたくなる」とコメントしているのはさすがです。
この不思議なストーリーの結末はどのように締めくくるのか気になる方は必見ですが、単純な恋愛物ではないので「なるほどそう来るか」と塚原・坂元コンビニ感心してしまいました。
さらに主演がもうベテランと呼ばれるようになった松たか子と「夜明けのすべて」で見事な演技を見せたSixTONESの松村北斗という、18歳差のカップルというのも驚かされました。しかし、年の差があるからこその、ほろ苦さの残るSF的なロマンス映画になりました。
硯カンナ(松たか子)の演劇舞台の美術スタッフとして働いていますが、最近、夫の硯駈(松村北斗)との関係はぎくしゃくしていて、ついに離婚することになります。駈が離婚届を持って仕事に出かけた日、カンナは一本の電話により駈が死んだことを知らされるのでした。駅のホームでベビーカーが線路に転落し、助けようと飛び降りた駈は入って来た電車に轢かれてしまったのです。
しばらくして、舞台の不備で呼び出されたカンナは、首都高のトンネルから出ると、見知らぬ場所にいました。車を置いて田舎道を歩いていくと、立派なホテルにたどり着きます。そこは、15年前に駈と初めて出会った場所で、しかも若々しかった本人と再び出会うのでした。
カンナは、出会った頃の楽しかった日々を思いだし、何度も首都高からタイムスリップをして、駈との初めて出会いを体験します。そして、何とか駈が死なずにすむように、いろいろと違った行動や会話をして、未来を変えたいと思うのでした。しかし、現実に戻るとどうやっても駈が死んでしまう事実は変わらないのです。
そして、駈を死なせない方法としてカンナが導き出した結論は、二人が結婚しないということでした。再びタイムスリップしたカンナは、駈と関係が生じないようにしようとしますが、駈はその時代のカンナを見つけ驚き、また未来のカンナが落とした「2024年 駈死亡」のメモを拾ってしまうのでした。
出会った頃は、あれほど楽しかった二人の生活が、時を重ねて冷めていく様子がたんたんと描かれるシーンがあり、「初めはお互いにいいところばかり探すが、しだいに悪い所ばかりを探すようになるのが結婚」というセリフは、真実を含んでいるように思います。そうなる未来を先に知っていれば、それを回避して修正するポイントはたくさんあるのでしょうが、現実には難しい事です。
若い時の気持ちに戻って、改めて駈に恋するようになっていくカンナの気持ちは切ない。何しろ15年後に二人がどうなるのか知っているし、そもそも駈の運命もわかっている。カンナは何度も何度も最初の出会いを繰り返しますが、駈は毎回初めてのカンナとの出会いになるので、駈にとってはどんどんカンナの変人度合いが大きくなっていくのです。
若い時の松たか子は、本当に若い。それほど多くのシーンがあるわけではないので、おそらくCG処理をしているのだろうと思います。一方、現実の中年になった駈はメイクだろうと思いますが、こういうところは20世紀の映画では嘘っぽくなったと思いますが、今の技術は見事に成立させてしまうのが凄い。
若い頃の駈の恩師にリリー・フランキー、その娘で駈が好きな娘に吉岡里帆、現代のカンナに若いながらアドバイスをする仕事仲間に森七菜などが登場します。リリー・フランキーが「タイム・マシンがあったら、若い人は未来を見たくなり、年を取ると後悔を正すため過去に戻りたくなる」とコメントしているのはさすがです。
この不思議なストーリーの結末はどのように締めくくるのか気になる方は必見ですが、単純な恋愛物ではないので「なるほどそう来るか」と塚原・坂元コンビニ感心してしまいました。
2025年11月25日火曜日
ババンババンバンバンパイア (2025)
コメディ映画は、笑わせることが一番大事で、笑って元気が出ればOK・・・というのは、確かに正論です。とは言え、笑いのためにストーリーがあるのか、ストーリーのために笑いがあるかで、映画としての質はだいぶ異なるものになります。
この映画は、奥嶋ひろまさのBLマンガが原作。昨今やたらとメディアに増えた「BL」は、普通は「Boy's Love」でゲイの同性愛を意味しているわけですが、この作品の場合は「Bloody Love」ということらしい。
そもそもの設定が奇抜で、450年前本能寺で織田信長と伴に命を落としたはずの森蘭丸が、不死のバンパイアとして生き延びていて、現代の銭湯で働きながら銭湯の息子が美味しく育つの待っているというもの。森蘭丸が吸血鬼というストーリーの骨格だけならホラーなんですが、銭湯の息子への「愛」が登場したことで、完全にギャグ化しています。
それを実写映画化したのは、「一度死んでみた」の浜崎慎治監督で、脚本は大人気となったテレビ・ドラマ「ごくせん」や「花咲舞が黙っていない」の松田裕子です。主題歌はドリフターズの「いい湯だな」の替え歌で、最後まで楽しませます。
銭湯「こいの湯」に住み込みで働く森蘭丸(吉沢亮)は、実はバンパイアでした。銭湯を営むのは、おおらかな三代目主人は春彦(音尾琢真)、その美人の妻は珠緒(映見さくら)、隠居した二代目長次郎(笹野高史)、そして美少年の息子李仁(板垣李光人)という立野一家で、蘭丸の450年前からバンパイアという話は妄言と思い、その設定を維持する努力がすごいと思っていました。
バンパイアの究極の御馳走は18歳童貞の血なので、蘭丸は李仁が成長するのをひたすら待っていたわけですが、高校に進学した李仁は、同級生の篠塚葵(原菜乃華)に恋してしまいます。蘭丸は、李仁の童貞を守るため葵との仲を引き裂こうとするのですが、李仁は逆に蘭丸が恋のライバルだと勘違いします。
李仁や葵の学校の担任をしている坂本梅太郎(満島新之助)は、実はバンパイア・ハンターで蘭丸の存在に気がつくと・・・。そして、バンパイア・ハンターを逆に血祭りにあげている森長可(眞栄田郷敦)も蘭丸を探していたのです。葵の兄、フランケンこと篠塚健(関口メンディ)も巻き込んで、ストーリーは混迷していくのでした。
信長が蘭丸を寵愛した逸話は有名ですが、蘭丸の兄・森長可はあまり知られていません。ヘビメタなミュージカル仕立てを部分的に導入して、サクサクとあらすじを説明してしまうところはうまい方法です。また、蘭丸が何故李仁の血を狙うのかも、歌にしたことで下ネタ感が減って受け入れやすくなったと思います。
信長を演じたのは堤真一で、本能寺で死ぬのは「本能寺ホテル」以来2度目。出番は多くはありませんが、信長ははまり役かもしれません。子役から活躍している原菜乃華は、やっと俳優らしくなってきたように思います。それにしても、同じころに大ヒットした「国宝」の準備もしていたはずの吉沢亮が、「国宝」とは真反対のぶっ飛んだ演技をしているところは、その振り幅の広さに感心します。
どちらかと言えば、笑わせるためのストーリーで、特に何かを主張するような映画ではありませんが、ギャグがストーリーにしっかり溶け込んでいるので、無理なく笑って楽しめる作品になっていると思います。
2025年11月24日月曜日
蕎麦乾麺の美味しい茹で方
・・・というようなキーワードで検索してみてください。
もう、やまほど動画を中心に結果が出てきます。
蕎麦好きとしては気になるんですよね。
ふだん一番よく食べる乾麺の蕎麦は、一人前100gの束が4つ入っていて300円ちょっと。たまにもう少し高いものも食べますが、それでも蕎麦屋で食べるものには太刀打ちできません。
で、よくある裏ワザは、「水から茹でる」とか「しばらく水につけておく」というのが多い。
で、やってみた。
で、・・・で、・・・とても食べれたもんじゃないことがわかりました。
べたべたして舌触りは悪く、喉越しもぐちょぐちょだ。見た目も角がまったく無くなっています。
もしかしたら、自分が下手なだけかもしれませんが、やはり、沸騰してから茹でるのが失敗が無い方法だろうということ。
裏ワザはあくまでも裏ワザ。ヨイコは手を出さない方がよさそうです。
2025年11月23日日曜日
アンダーニンジャ (2025)
日本のギャグ・エンターテイメントの鬼才(?)と呼べるのが福田雄一。テレビでは脚本のみ、あるいは脚本・演出を手掛けた多くのドラマなどで、ほどほどのギャグの嵐で視聴者を笑わせ続けています。ところが、映画ともなるとタガが外れてしまったような「くだらなさ」が爆発して、特定の人だけが面白い賛否が極端に分かれるような作品が多くなる。
この映画もそういう作品の一つで、あまりにも監督の自己満足的な笑うに笑えないようなシーンが多すぎて、結局ストーリーの主題がぼやけてしまった感が否めない作品になりました。元は花沢健吾のマンガが原作ですが、かなり独自の斬新な世界観が設定されていて、(自分のように)原作を知らない者には、よりこの映画は何だかよくわからないうちに終わってしまうのです。
忍者は現代でも密かに存在を続けていて、厳格ではありますが今風の組織NINとして暗躍しているらしい。NINを抜けた忍者の大半はアンダーニンジャ(UN)と呼ばれる組織に入り、NINと敵対していました。NINのメンバーのうち一般職は下忍と呼ばれ、地味に暮らしている雲隠九郎(山﨑賢人)もその一人。上司の中忍の加藤(間宮祥太郎)から、講談高校に潜入しUNの情報を掴むように指令を受けます。
講談高校の女学生である野口(浜辺美波)と知り合った九郎は、いじめられっ子の瑛太(坂口涼太郎)からも校内の事情を調べます。すると、学校全体を陰で操っているのは、実質的には用務員の主事さん(平田満)であると確信します。講談高校の地下はかつて、NINとUNが雌雄を決する戦いをした場所で、多くの忍者が死亡した聖域のような場所でした。
UNの刺客として猿田(岡山天音)が、講談高校に乗り込んできて殺戮を始めたためNINの鈴木(白石麻衣)や蜂谷(宮世琉弥)が応戦します。美人でぶりっ子の山田(山本千尋)を怪しいと感じていた九郎は、封印されていた地下の迷宮へと向かうのでした。
まぁ、さしあたって、一番のお勧めはヒロインの浜辺美波の変顔。基本的に美人系女優さんなのに、よくぞここまで吹っ切れた演技ができるもんだと感心します。一部のファンの人は、崩れ去る理想像にがっかりするかもしれないくらいの勢い。ビラン側のヒロインは山本千尋で、本格的な武術をやっていただけに、なかなか切れのあるアクションが見物です。
佐藤二朗やムロツヨシの意味不明のギャグは、せっかくの物語の緊迫感を薄れさせているのですが、それこそが福田節だと考える人にはたまらないパートだろうと思います。アクション・シーンの出来は評判が良いので、そういった「無駄」な時間がもったいないと思い人もかなりいるのも間違いない。
福田監督は当然、そういった賛否両論は重々承知の上でやっている確信犯みたいなものなので、嫌いなら見なければよいと居直っているように思います。物語は雲隠十郎の登場で終わっているので、まだまだ続編の構想もあるのかもしれませんから、見ようと言う方はそれなりに覚悟した方が良さそうです。
この映画もそういう作品の一つで、あまりにも監督の自己満足的な笑うに笑えないようなシーンが多すぎて、結局ストーリーの主題がぼやけてしまった感が否めない作品になりました。元は花沢健吾のマンガが原作ですが、かなり独自の斬新な世界観が設定されていて、(自分のように)原作を知らない者には、よりこの映画は何だかよくわからないうちに終わってしまうのです。
忍者は現代でも密かに存在を続けていて、厳格ではありますが今風の組織NINとして暗躍しているらしい。NINを抜けた忍者の大半はアンダーニンジャ(UN)と呼ばれる組織に入り、NINと敵対していました。NINのメンバーのうち一般職は下忍と呼ばれ、地味に暮らしている雲隠九郎(山﨑賢人)もその一人。上司の中忍の加藤(間宮祥太郎)から、講談高校に潜入しUNの情報を掴むように指令を受けます。
講談高校の女学生である野口(浜辺美波)と知り合った九郎は、いじめられっ子の瑛太(坂口涼太郎)からも校内の事情を調べます。すると、学校全体を陰で操っているのは、実質的には用務員の主事さん(平田満)であると確信します。講談高校の地下はかつて、NINとUNが雌雄を決する戦いをした場所で、多くの忍者が死亡した聖域のような場所でした。
UNの刺客として猿田(岡山天音)が、講談高校に乗り込んできて殺戮を始めたためNINの鈴木(白石麻衣)や蜂谷(宮世琉弥)が応戦します。美人でぶりっ子の山田(山本千尋)を怪しいと感じていた九郎は、封印されていた地下の迷宮へと向かうのでした。
まぁ、さしあたって、一番のお勧めはヒロインの浜辺美波の変顔。基本的に美人系女優さんなのに、よくぞここまで吹っ切れた演技ができるもんだと感心します。一部のファンの人は、崩れ去る理想像にがっかりするかもしれないくらいの勢い。ビラン側のヒロインは山本千尋で、本格的な武術をやっていただけに、なかなか切れのあるアクションが見物です。
佐藤二朗やムロツヨシの意味不明のギャグは、せっかくの物語の緊迫感を薄れさせているのですが、それこそが福田節だと考える人にはたまらないパートだろうと思います。アクション・シーンの出来は評判が良いので、そういった「無駄」な時間がもったいないと思い人もかなりいるのも間違いない。
福田監督は当然、そういった賛否両論は重々承知の上でやっている確信犯みたいなものなので、嫌いなら見なければよいと居直っているように思います。物語は雲隠十郎の登場で終わっているので、まだまだ続編の構想もあるのかもしれませんから、見ようと言う方はそれなりに覚悟した方が良さそうです。
2025年11月22日土曜日
レコード大賞の衝撃
優秀作品賞
× ILLIT「Almond Chocolate」
× M!LK「イイじゃん」
× FRUITS ZIPPER「かがみ」
△ アイナ・ジ・エンド「革命道中 - On The Way」
△ 幾田りら「恋風」
△ Mrs. GREEN APPLE「ダーリン」
× CANDY TUNE「倍倍FIGHT!」
× 新浜レオン「Fun! Fun! Fun!」
△ 純烈「二人だけの秘密」
× BE:FIRST「夢中」
新人賞
× CUTIE STREET
× SHOW-WA & MATSURI
× HANA
× BOYNEXTDOOR
物心ついた時からある、日本の音楽関係の(たぶん)最高の栄誉となる日本レコード大賞。
主催は公益社団法人日本作曲家協会で、スポーツ紙を含む各新聞社の記者が中心となって投票して決定されるもので、昔は大晦日といえば「レコ大」と「紅白」を掛け持ちして大急ぎで移動する歌手のことが話題になりました。
その年に大ヒットを飛ばした話題作が選出されるので、昔は知らない曲が出てくることはなく、まさに世相を反映した1年の締めくくりにふさわしいイベントだったと思います。
上に列挙したのは、今年のレコード大賞に選出されたもの。この中から12月30日に大賞が発表されることになります。
で・・・頭についている×と△は何か?
自分がアーティストの名前を聞いたことが無い、顔もわからないというのは×印をつけました。名前は知っているが、顔は知らない、あるいは曲を聞いた記憶がないというが△です。名前、顔がわかって曲も知っていたら〇を付けたかったのですが・・・
何と、一つも〇を付けられないじゃないか!!
Mrs.グリーンアップルは顔はわかるし、過去のヒット曲なら聞き覚えがあるかもしれないけど、この曲はわからないじゃないか~!!
・・・
・・・
・・・
年を取ったものだ、と実感する日々です。
2025年11月21日金曜日
イチケイのカラス (2023)
2021年にフジテレビの連続ドラマとして放送された「イチケイのカラス」は、最終話で主人公の法曹界トップに反旗を翻した入間みちおは熊本に左遷されました。2023年に、入間みちおが東京を去って1年後のストーリーが、スペシャルドラマとして放送されています。もう一人の主人公である坂間千鶴は他職経験制度というシステムにのっとって一時的に弁護士業務を行っていました。
そして、その流れで劇場版が公開されました。入間みちお(竹野内豊)は熊本から岡山県秋名市に異動し支部長となっています。坂間千鶴(黒木華)は秋名の隣町である日尾美町で弁護士の職に就いていました。
日尾美町から出発した貨物船が、海上自衛隊イージス艦に衝突・沈没する事故が発生します。すべては貨物船船長の島谷の責任となり、納得できない船長の妻・加奈子(田中みな実)は、葬儀に訪れた政府関係者に包丁を向けてしまい逮捕されてしまいました。
その裁判の担当となった入間は、防衛省が事件の詳細を隠匿しているため、正当な判決を出せないと考え、伝家の宝刀「職権発動」により再捜査を開始しますが、防衛大臣(向井理)からの圧力により裁判長を下ろされてしまいます。
一方、坂間千鶴は、日尾美町の町そのものと言っても過言ではないシキハマ株式会社の工場に環境汚染の疑いがあることを知ります。坂間は人権派弁護士といわれている月本信吾(斎藤工)と協力して、その証拠を集めるのですが、いろいろな嫌がらせを受け、アパートは放火され、ついに月本は殺されてしまうのでした。
坂間は、何とか健康被害の民事裁判に持ち込みますが、なかなか決定的な証拠をつかめないでいました。その裁判の担当となった入間は、独自の調査によって貨物船事故と工場の環境汚染を結びつける証言を得ることに成功したのです。
かつてのイチケイのメンバーたちは、ちょっとずつのサービス出演という感じで、ほぼ竹野内豊と黒木華による展開になっています。周りを固めるのは、日尾美町の医師として吉田羊、秋名裁判所の若手裁判官に柄本時生と西野七瀬、シキハマ工場長には平山祐介、シキハマの弁護士に尾上菊之助らです。
ドラマの刑事事件と違って、民事訴訟がメインなので対決するのは弁護士同志で、裁判官の挙動もドラマとは異なります。ドラマとスタッフはほぼ共通で、脚本は浜田秀哉。監督は田中亮ですが、劇場版となって事件が起きた深い人間関係を掘り起こすような展開となっています。
そういう意味では、リーガル・エンタテイメントとしての痛快感は薄れてしまったのが残念な感じがします。また、一見関係ない二つの事件が次第に結びつくところに注力していますが、貨物船事件は無くてもいいような感じで、日尾美町の問題に集中した方がヒューマン・ドラマとしては深みが出たような感じがしました。
そして、その流れで劇場版が公開されました。入間みちお(竹野内豊)は熊本から岡山県秋名市に異動し支部長となっています。坂間千鶴(黒木華)は秋名の隣町である日尾美町で弁護士の職に就いていました。
日尾美町から出発した貨物船が、海上自衛隊イージス艦に衝突・沈没する事故が発生します。すべては貨物船船長の島谷の責任となり、納得できない船長の妻・加奈子(田中みな実)は、葬儀に訪れた政府関係者に包丁を向けてしまい逮捕されてしまいました。
その裁判の担当となった入間は、防衛省が事件の詳細を隠匿しているため、正当な判決を出せないと考え、伝家の宝刀「職権発動」により再捜査を開始しますが、防衛大臣(向井理)からの圧力により裁判長を下ろされてしまいます。
一方、坂間千鶴は、日尾美町の町そのものと言っても過言ではないシキハマ株式会社の工場に環境汚染の疑いがあることを知ります。坂間は人権派弁護士といわれている月本信吾(斎藤工)と協力して、その証拠を集めるのですが、いろいろな嫌がらせを受け、アパートは放火され、ついに月本は殺されてしまうのでした。
坂間は、何とか健康被害の民事裁判に持ち込みますが、なかなか決定的な証拠をつかめないでいました。その裁判の担当となった入間は、独自の調査によって貨物船事故と工場の環境汚染を結びつける証言を得ることに成功したのです。
かつてのイチケイのメンバーたちは、ちょっとずつのサービス出演という感じで、ほぼ竹野内豊と黒木華による展開になっています。周りを固めるのは、日尾美町の医師として吉田羊、秋名裁判所の若手裁判官に柄本時生と西野七瀬、シキハマ工場長には平山祐介、シキハマの弁護士に尾上菊之助らです。
ドラマの刑事事件と違って、民事訴訟がメインなので対決するのは弁護士同志で、裁判官の挙動もドラマとは異なります。ドラマとスタッフはほぼ共通で、脚本は浜田秀哉。監督は田中亮ですが、劇場版となって事件が起きた深い人間関係を掘り起こすような展開となっています。
そういう意味では、リーガル・エンタテイメントとしての痛快感は薄れてしまったのが残念な感じがします。また、一見関係ない二つの事件が次第に結びつくところに注力していますが、貨物船事件は無くてもいいような感じで、日尾美町の問題に集中した方がヒューマン・ドラマとしては深みが出たような感じがしました。
2025年11月20日木曜日
イチケイのカラス (2021)
犯罪物、いわゆるクライム・サスペンスというと、一般には捜査をして犯人を逮捕する警察官が主役ですが、その後に待っている裁判を描くのが法廷物(リーガルドラマ)というジャンル。過去には、検事が主役の「HERO」、弁護士が主役の「リーガル・ハイ」、「99.9-刑事専門弁護士」、「石子と羽男」などがヒットし、全部の仕事をまとめた「虎に翼」も思い出されます。
「イチケイのカラス」は東京地方裁判所第3支部第1刑事部、通称「イチケイ」を舞台にした裁判官が主役のドラマで、原作は浅見理都によるマンガです。ただし、主役やキャラクター設定は改変されていて、落ち着いた配役によって安定したライト・コメディに仕上がりました。
イチケイに新たに配属されたのは超真面目で、上からの期待が高い優秀な女性裁判官、坂間千鶴(黒木華)です。イチケイのトップは駒沢(小日向文世)、書記官としては川添(中村梅雀)、石倉(新田真剣佑)、浜谷(桜井ユキ)、事務官として一ノ瀬(水谷果穂)がいますが、一番問題児なのが中卒で、元弁護士の裁判官、ふるさと納税を趣味とする入間みちお(竹野内豊)です。
入間は、誰もが納得できる正しい裁判を行うために、裁判官としては異例の「職権発動」によって自ら再捜査に乗り出してばかりいるので、たくさんの処理案件が滞っているのです。しかし、駒沢もそのことに理解があるので、イチケイ全体が問題視されているのでした。
12年前、入間が弁護士として関わった殺人事件で、担当した日高亜紀裁判官(草刈民代)は、まったく弁護側の主張を聞き入れず、被告に無期懲役の判決を下しました。無実を主張していた被告は絶望して自殺し、弁護士に嫌気がさした入間は、駒沢の申し出により裁判官になったのです。
あまりのマイペースぶりに坂間のイライラはつのりますが、いろいろな事件を担当するうちに、少しずつ入間の想いを少しずつ理解するようになっていきます。そして、ある事件をきっかけに、12年前の事件の真相に近づくチャンスが巡ってくるのです。
本当の裁判官からすると、こんな裁判官はあり得ないといわれそうですが、エンターテイメントとしては、実に良く出来ています。それでもキムタクも松潤も相当変わっていましたし、堺雅人ほど極端なキャラではないので、一般人からするとだいぶ現実的な印象を持ちます。
それはキャスティングの妙もあると思いますが、演技者として定評のある出演者によってそれぞれがしっかりと描かれていると思います。ただし新田真剣佑だけは活躍の場が少なすぎて、ちょっと物足りなさを感じます。
裁判官は法廷の最後でほとんど事実関係が明らかな状態で登場するので、ストーリーを盛り上げたのは原作者の力が大きいとは思いますが、それをうまくドラマに落とし込んだ脚本の浜田秀哉も評価されると思います。
2025年11月19日水曜日
ラ・フランス
ラ・フランスは西洋梨の代表的な品種ですが、当然、フランスではそうは呼ばない。
原産国フランスでは、クロード・ブランシェ(Claude Blanchet)さんが19世紀半ばに発見した品種ということで、発見者の名前を冠した呼び名が用いられます。
ところが、本国ではその後すたれてしまい、日本では山形・長野を中心に定着し世界最大の産地になりました。
今が食べ頃というわけですが、実際に収穫されるのは10月だったりします。
実は、収穫されてから、数週間の追熟によって、含まれるでんぷん質が糖分に変化するすることで、甘くトロリとした美味しさになります。
好きな方にはたまらない美味しさなんですが、難しいのは食べ頃の判定。
耳たぶくらいの柔らかさが目安と言われていますが、タイミングを逃すと腐らせてしまうので、毎日にらめっこしないといけませんね。
2025年11月18日火曜日
ふしぎ駄菓子屋 銭天堂 (2024)
廣嶋玲子のこども向けの小説が原作で、2020年にはアニメ化もされて高い人気が伺えます。実写化にあたっては、多くのアニメに携わってきた吉田玲子が脚本、「リング・シリーズ」などの日本のホラー映画の第一人者である中田秀夫が監督を務めました。主人公の銭天堂の紅子は初老のふくよかなイメージですが、演じる天海祐希は特殊メイクにより見事に変身しています。
どこからともなく現れる駄菓子屋、銭天堂。噂になっても、ごく限られた者しか店にたどり着けないらしい。駄菓子屋の主の紅子(天海祐希)は、店の来ることができる客を水晶玉を通して呼び寄せ、その客の希望を叶えられる不思議な駄菓子を売るのでした。小学校の教師をしている等々力小太郎(大橋和也)は、こどもたちの中に、急に何かがうまくなったりするのは、どうやらその駄菓子を食べたせいだと耳にします。
小太郎の大学の後輩の相田陽子(伊原六花)は、ファッション雑誌の編集部に配属され、自分のセンスの無さに落ち込んでしまいます。しかし、紅子に呼び寄せられ、食べると自分に似合うファッションが光って見える「おしゃれサブレ」を買うのです。しかし、もっと注目されたいという欲が膨れ上がり、なぞの駄菓子屋たたりめ堂のよどみ(上白石萌音)の誘いにのって「強欲あんこ」を口にしてしまうのです。
小太郎の妹のまどか(平澤宏々路)は、一緒に美術大学を目指している親友の如月百合子(伊礼姫奈)が急に絵が上手になり自分に冷たくなったことを悩んでいました。紅子はまどかに、心がきれいになる「虹色みずあめ」を売ります。実は、悪意をどんどん生みだすために、百合子もよどみの駄菓子を食べていたのでした。
う~ん、まあ、元は児童文学ですから・・・あまり、いろいろ言うことはないんですが・・・にしても、中田秀夫もよく監督のオファーを受けたものだと。天海祐希もしかり、上白石萌音もです。まぁ、本人たちが楽しんでいるなら、それはそれでよしとするしかない。ファンの方には怒られると思いますが、大橋和也くんの演技は・・・
あまり考えずに、多少楽しめればよいという、時間がある方がこども向けだと思って見るにはちょうど良いかもしれません。
どこからともなく現れる駄菓子屋、銭天堂。噂になっても、ごく限られた者しか店にたどり着けないらしい。駄菓子屋の主の紅子(天海祐希)は、店の来ることができる客を水晶玉を通して呼び寄せ、その客の希望を叶えられる不思議な駄菓子を売るのでした。小学校の教師をしている等々力小太郎(大橋和也)は、こどもたちの中に、急に何かがうまくなったりするのは、どうやらその駄菓子を食べたせいだと耳にします。
小太郎の大学の後輩の相田陽子(伊原六花)は、ファッション雑誌の編集部に配属され、自分のセンスの無さに落ち込んでしまいます。しかし、紅子に呼び寄せられ、食べると自分に似合うファッションが光って見える「おしゃれサブレ」を買うのです。しかし、もっと注目されたいという欲が膨れ上がり、なぞの駄菓子屋たたりめ堂のよどみ(上白石萌音)の誘いにのって「強欲あんこ」を口にしてしまうのです。
小太郎の妹のまどか(平澤宏々路)は、一緒に美術大学を目指している親友の如月百合子(伊礼姫奈)が急に絵が上手になり自分に冷たくなったことを悩んでいました。紅子はまどかに、心がきれいになる「虹色みずあめ」を売ります。実は、悪意をどんどん生みだすために、百合子もよどみの駄菓子を食べていたのでした。
う~ん、まあ、元は児童文学ですから・・・あまり、いろいろ言うことはないんですが・・・にしても、中田秀夫もよく監督のオファーを受けたものだと。天海祐希もしかり、上白石萌音もです。まぁ、本人たちが楽しんでいるなら、それはそれでよしとするしかない。ファンの方には怒られると思いますが、大橋和也くんの演技は・・・
あまり考えずに、多少楽しめればよいという、時間がある方がこども向けだと思って見るにはちょうど良いかもしれません。
2025年11月17日月曜日
夜明けのすべて (2024)
2024年の映画賞の多くを受賞した作品で、若手(?)の日本の映画監督の中で、注目すべき一人である三宅唱の監督作。原作は実写化作品がいくつかある瀬尾まいこの小説で、脚本は三宅と和田清人の共同脚本です。
この映画を理解する上で、2つの病気が重要な意味を持っています。一つは月経前症候群(PMS)で、生理の時期に体や精神の不調を生じるもので、軽いものは多くの女性が経験します。5%程度で日常生活に支障をきたすような、情緒不安定、イライラ、抑うつ、めまい、倦怠感、腹痛、頭痛などを起こしています。もう一つはパニック障害です。突然の激しい不安発作が繰り返し起こり、発作時には動悸、息切れ、めまいなどの身体症状が現れ、日常生活に大きな支障をきたします。
いずれの病気も、多くの時間は普通に社会生活を送っているので、周囲の人々には気がつかれないこともあり、発作時の苦しみはなかなか理解されにくいところがあります。主人公の一人、藤沢美沙(上白石萌音)は、発作が終わると攻撃的だった自分を嫌悪し、希望を持てない生活を送っているのです。もう一人の主人公である山添孝俊(松村北斗)も、電車に乗ることもできず自分の殻の中に閉じこもり生きる希望を失いつつありました。
大会社の中では居場所を見出せなかった美沙は、今ではプラネタリウムの玩具などを製造・販売する栗田金属で働いていました。社員は10名に満たない小さな会社でしたが、社員全員が家族のようにお互いを気遣うような環境でした。1か月前に大きな会社から転職してきた孝俊は、他の社員と交流することはなく黙々と仕事をするのです。
ある日、孝俊は美沙のイライラをぶつけられ驚きます。また、孝俊が社内で発作を起こしたことで、美沙は自分も使ったことがある薬を孝俊が服用していることに気がつきます。美沙に苦しい時はお互い何かできるかもと言われた孝俊は、自分の主治医にPMSの本を借りて勉強し、次に美沙が発作を起こしたときは、何とか落ち着かせようと協力するのでした。
小学校で毎年行っている移動式プラネタリウムのイベントを、今年は孝俊と美沙がメインで担当することになりました。二人は知識の整理だけの解説では面白味がないため、昔社長(光石研)の弟が担当していた時の、録音テープや資料を参考にして、より生き生きとした解説原稿を作ります。しかし、美沙は脳梗塞を起こした母の介護のため会社を辞めて、実家の近くに転職する決意をしていたのです。
映像的に特別に凝ったことはしていませんが、終始ゆったりとしたシーンをつなぎ合わせて、大変おちついた描写を心がけている作品です。音楽の使い方もシンプルで、ストーリーをまったく邪魔することなく、映像の中にしみ込んでいくような単調な音楽が心地よい。
一番良いのは脚本です。無駄な台詞は排除して、いちいち説明的な言葉はありません。見る者の想像力に頼る部分が多いのですが、俳優の演技や情景により伝えるべきことは伝わるような脚本だと感じました。
タイトルの意味は、プラネタリウムの解説の最後に美沙が説明する言葉にすべて込められています。美沙は「夜明け前が最も暗い時間です。そして朝が来れば、また夜が来る。喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続ける限り必ず終わる。そして、新しい夜明けがやって来る」と、来場者のみならず自分にも向けて語るのです。
孝俊と美沙の間には、いわゆる恋愛感情はおそらくありません。孝俊は、男女の関係には助け合うというものもあると語っています。それは、同性同士であっても、上下関係の中でも、人と人の関りという点では共通のものだろうと思います。この映画には、悪意を持つ者は一人たりとも登場しません。すべての人に感じてもらいたい作品なのてす。
2025年11月16日日曜日
幸せカナコの殺し屋生活 (2025)
ウェブサイトで連載された、若林稔弥による無料の4コママンガが原作。そして、それを実写ドラマ化したのはネット通販サイトであるDMM.comが運営する動画部門のDMM TVです。出展からして、実にネット社会だからこその新しさがあります。
通常の地上波テレビは、スポンサーが出資して番組が作られ、視聴者は無料で番組を見れますが、そのかわりスポンサーによるCMを合わせて見ないといけない。番組制作にはスポンサーの意向が反映され、誰でも見れるため時代に合った制約を強く受けます。
一方、衛星放送チャンネルやネット配信のよる番組は、そのほとんどが「サブスク」で提供されます。視聴者は見たいと思って同意した上で視聴するので、映画と同等に暴力的、あるいは性的な倫理的に過激な描写も可能で、作り手はかなり自由に番組を作れるので、いろいろな意味で面白くなるのは必然と言えます。
このようなメディア構造の変化は、特にネットに依存する度合いが強い若者中心に受け入れられ、もはや地上波テレビ放送は「絶滅危惧種」の如くで、関係者は先細りの将来に大きな危機感を持っていることだと思います。ただし、サブスク番組も視聴者を獲得するため、より過激化する心配もないわけではありません。
事務所移籍トラブルにより、芸名である「能年玲奈」を本名であるにも関わらず使えなくなった"のん"は、地上波テレビ復活よりも映画やサブスク系ドラマなどに活路を開いたという意味では、現在のメディア構造をもっともうまく利用した出演者と言えるかもしれません。
5年ぶりとなるメディア露出を果たしたのは、2019年の自ら監督もした「おちをつけなんせ」で、これはYouTubeを利用した自主制作でした。2025年はNetflix映画「新幹線大爆破」や本作で存在感を見せつけ、この時期にABEMAで配信中の「MISS KING」でも大評判になっています。
前置きが長くなりましたが、本作は痛快アクション・コメディで、1話約30分の全6話、実質的には2時間ちょっとの映画サイズです。監督はこのジャンルの作品が多い英勉。
ブラック企業に見切りをつけたカナコ(のん)が、就職面接を受けに行ったのは殺し屋でした。しかし、社長(渡部篤郎)の説明でホワイトな職場であることを理解したカナコは採用され、早速殺し屋としての実践訓練を始めることになります。指導するのは先輩の桜井(藤ヶ谷太輔)ですが、社長も桜井もカナコの殺し屋としての才能を認めざるを得ない。
まずは壮絶なパワハラをカナコにしていた元上司を暗殺したのですが、怨恨の線でカナコの元にも警察が事情を聞きに来ます。刑事の竹原(矢本悠馬)はカナコに一目惚れし、バディの大森(山崎紘菜)もあきれてしまう。しかし、カナコは殺し屋の仕事に今までにはなかった充実感を感じるようになるのです・・・
というような、荒唐無稽の話ですが、とにかくテンポが良い。アクションもそこそこかっこいい。社会の落ちこぼれになったカナコが再生していくところも、共感を呼びます。頻繁に出てくるギャグもわざとらしさがなく、ストーリー全体をポップに仕上げることに溶け込んでいます。機会があれば、是非視聴してみることをおすすめできるドラマだと思いました。
2025年11月15日土曜日
ランサムウェア
ランサムウェアとは、コンピュータ・ウィルスの一種で、感染すると保存されているデータを暗号化して使用できない状態にした上で、そのデータを復旧させるための金銭などを要求する不正プログラムのこと。
近年、新たに登場したわけではなく、コンピュータおよびインターネットの黎明期からすでに存在していたわけで、1989年の「トロイの木馬」として有名になったプログラムが最初と考えられています。
20世紀は、一つ一つのコンピュータは独立した仕事をする場合がほとんどでしたから、さまざまなコンピュータ・ウィルスが登場しても、被害があっても個々のコンピュータの問題であることがほとんどでした。
しかし、今では組織内のコンピュータのみならず、世界中の家庭のものですらインターネットを介してつながる時代になり、問題が起こるとその影響は多岐にわたって拡大します。
現在、日本の企業でランサムウェアの攻撃により著しく業務に支障をきたしているのがアサヒ・ビールとアスクルです。アサヒ・ビールは、アナログな手段により、受注・出荷を少しずつ再開していますが、いまだに解決には至っていません。
アスクルは、どこの企業でも日常的に使われる消耗品全般を扱い、注文すると基本的に「明日、来る」ので、多くの会社が利用しているもので、自分のクリニックでも医薬品などを除くと、主要注文先として開院以来利用しています。
注文するとすぐに届くということは、自社で在庫をたくさん抱える必要が無いことが大きなメリットなんですが、ひとたびアスクルがストップしてしまうと、証文品はすぐさま枯渇してしまうことになります。あらためてアスクルの有難味がよくわかるというものですが、同時に代替えとなる入手手段を考えないといけない。
トイレット・ペーパー、ペーパー・タオル、ティッシュ・ペーパーなどは、近くのホーム・センターに買いに行けばいいのですが、持ち帰るのはかさばって大変です。Amazonなどの別の通販を利用することもできますが、配達時間などが不定なので頼みにくい面があったりします。
アスクルを日常的に利用する酒屋さんが、一番困っているのかもしれませんが、とにかくランサムウェアの問題は他人事ではありません。コンピュータの発展は、便利になると同時に不便になるところも増えていると認識しないといけないということ。薬でいえば、主作用と副作用は表裏一体と同じです。
2025年11月14日金曜日
さかなのこ (2022)
宮澤正之による自叙伝「さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜」が原作。宮澤正之というと「 誰??」となるんですが、「さかなクン」と言えば知らない人はいない。
さかなクン、本名宮澤正之は、いつでもハコフグの帽子をかぶりハイテンションで魚に関する様々な解説をすることで人気者になりました。一方で、その魚類に関する博学ぶりは専門家をも凌駕する場合があり、内閣総理大臣賞(2012年)を受賞し、現在は東京海洋大学の客員教授を務めるほどになりました。
監督・脚本は沖田修一。さかなクンは男性ですが、監督は中性的な魅力も感じる女優ののん(能年玲奈)を起用し、ミー坊と呼ばれた少年が「さかなクン」になるまでを沖田流のフィクションの味付けを加えて描いています。
小学生のミー坊(西村瑞季)は、魚が大好き過ぎてクラスの中でも浮いていました。それでも、
クラスメートのヒヨ(中須翔真)、モモコ(増田光桜)とは仲良しでした。母親のミチコ(井川遥)は、そんなミー坊を否定することなく、応援するのでした。
ある日、ミー坊はギョギョおじさん(さかなクン)と出会います。魚に詳しいギョギョおじさんは、ミー坊にいろいろな魚の話をしてくれたのですが、夢中にになって夜遅くなってしまい警察がやってきて、ギョギョおじさんは連行されてしまうのです。去り際にギョギョおじさんは、かぶっていたハコフグの帽子をミー坊に渡すのでした。
ある日、ミー坊はギョギョおじさん(さかなクン)と出会います。魚に詳しいギョギョおじさんは、ミー坊にいろいろな魚の話をしてくれたのですが、夢中にになって夜遅くなってしまい警察がやってきて、ギョギョおじさんは連行されてしまうのです。去り際にギョギョおじさんは、かぶっていたハコフグの帽子をミー坊に渡すのでした。
高校生になったミー坊(のん)は、学校で飼育するカブトガニの孵化に成功して新聞に紹介されました。原付暴走族の総長(磯村勇斗)との仲良くなり、対抗するグループの籾山(岡山天音)とも親しくなりました。しかし、ミー坊の学校の成績はいまいちでした。それでも三者面談で、母親は成績が悪くてもかまわないと言うのです。
水族館に就職したミー坊は、魚への愛ばかりで仕事はからっきし。寿司屋に転職したものの、魚好きのミー坊にはどうも向いていない。高級歯科医院からアクアリウムの設計を頼まれても、マニアック過ぎる魚ばかりをチョイスして失敗します。
熱帯魚店でやっとやっと落ち着いたミー坊の元に、モモコ(夏帆)が子連れで転がり込んできました。しかしモモコを同居させるには部屋に置いていたたくさんの水槽が邪魔だったので、ミー坊は水槽を整理するのです。それを知ったモモコは黙って出ていきました。
ミー坊の魚の絵が上手なことを知っていた総長は、寿司店を開こうとしていた籾山のもとに連れていき、ミー坊に店の外壁・内壁にたくさんの魚を絵を描かせます。これが評判になり、ミー坊の元には魚のイラストの仕事が舞い込むようになりました。それを知ったテレビ局で働くヒヨは、ミー坊をテレビで紹介することにしました。緊張するミー坊は、ギョギョおじさんから受け継いだハコフグ帽をかぶり、ついに「さかなクン」になったのでした。
さかなクンにまつわる本当の話も混ざっていますが、大部分はフィクション。それでも、実にうまく話が作られていて、さかなクンならこうやって誕生したのかもしれないと思わせてくれます。この辺りは脚本の妙味というところなんで、映画としては良く出来ているところです。
ただし、沖田監督作品としては・・・ちょっと原作に振り回された感じで、ある意味「普通」の映画です。原作がフィクションではなく、かつ原作者が存命中ということで、皆が知っているさかなクンのキャラクターに寄せ過ぎた感は否めません。その結果、沖田カラーは彩度を失ってしまったのかもしれません。
事務所移籍トラブルから露出が激減したのん(能年玲奈)にとっては、この年は自ら監督も行った「Ribbon」に続いての女優としての実力を再確認させることにつながっています。男性とも女性とも、あるいはトランスジェンダーでもない何にも染まらない存在感を、見事に演じています。
2025年11月13日木曜日
子供はわかってあげない (2021)
沖田修一の監督作品としては、劇場用第9作目になり、当然脚本も自ら担当しています。予定では2020年公開予定でしたが、コロナ渦の影響で1年遅れになっています。本来は、「おらおらでひとりいぐも」で老人、本作で若者を扱い、ほぼ同時公開を考えていたようです。とはいえ、両作品にはそれほど共通点はありません。
原作は田島列島で、沖田作品としては初めてマンガ作品が取り上げられました。冒頭、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」というオリジナル・アニメが登場して、「あれ? 見るものを間違えた」と思ってしまうかもしれません。
高校2年生で、水泳とアニメ一筋の生活を送る朔田美波(上白石萌歌)は4人家族。父の清(古舘寛治)とはアニメ趣味も同じで仲が良く、母の由起(斉藤由貴)も明るく理解があります。大好きなアニメが同じだったことから、美波は同級生の門司昭平(細田佳央太)と仲良くなります。
美波は、偶然に昭平の家にあったお札が、高校生になった時差出人不明で自分宛てに送られてきたものと同じであることに気がつきました。書道家である昭平の父が書いたもので、新興宗教の「光の函」のお札であることを知った美波は、昭平の兄で探偵っぽいことをしている明大(千葉雄大)を紹介してもらいます。
実は母は子連れの再婚で、美波は本当の父親との記憶はありませんでした。お札は父親から送られてきたものかもしれないと考えていた美波は、「藁谷」という苗字だけを頼りに父親の捜索を頼むのでした。明大は教団の線から教祖である藁谷友充(豊川悦司)を割り出し、今は教祖を辞めて海辺の町で整骨院の手伝いをしていることを調べ上げます。
美波は水泳部の夏合宿の期間に、両親には黙って友充を訪ねることにしました。整骨院は友充の実家で、美波が会いに来たことを歓迎します。二人は湿っぽい話はせず、美波は友充が可哀そうだからと夏合宿への合流を先延ばしにして留まることにしました。
友充は自分には自然に人の心を読む能力が身についていたので教祖に祭り上げられたが、それを教えても誰もできなかったため教壇を抜けたと語ります。さらに友充は、姪の小学生の仁子が泳げないので水泳を教えてあげるよう美波に頼みました。仁子は少しずつ泳ぎが上達しているうちに、夏合宿期間が終わろうとしていました。美波がまったく合宿に現れないことを知った昭平は、何かトラブルになっているのではないかと心配し、美波の行き先に急ぐのでした。
昭平は自宅で小学生相手の書道教室で先生をしていて、それを見た美波は感心するのですが、昭平は「教えられたものを教えるのは簡単だよ」と返していました。美波は水泳を人に教えたことはなかったのですが、仁子に教えることを頼まれたときにその言葉を思い返します。
一方、友充の「特殊能力」は、誰かに教えてもらったものではないので、美波が教えてもらってもまったくどうにもならないのです。この映画のポイントはそこのところで、人は様々な事柄を教えてもらい成長し、そしてそれをまた誰かに教えていくことで継承されていくのだということ。
現代っ子なのか、記憶にない父親と再会しての、美波の反応はドライな印象を受けます。今になってヒントになるお札を送ってきた理由は尋ねますが、何故母と離婚したのか尋ねないし、10年以上の空白があるにしては打ち解けすぎじゃないかと感じました。もっとも、そこを突っ込んでいくとお涙頂戴的な悲壮感とかも出てきてしまい、沖田カラーとは異質の展開に行ってしまいそうです。
むしろ、過去は横に置いて、前向きに父親との時間を取り戻すことに集中したということ。同時に、こどもは急速に距離を縮めることができるのに対して、大人はこどもの好きなものをそろえたりしてそれなりに四苦八苦している。「親の心子知らず」的なところが、タイトルの由来なのかもしれません。
今回も、基本ほのぼのとした「ハート・ウォーミング」なストーリーを目指しているので、いつものカットを減らして長回しでゆったりとした間を活かした「らしさ」は十二分に堪能できます。そういう意味では一つのシーンが長いので、俳優陣は大変だったろうと思いますが、若手陣はなかなか頑張ったと言えそうです。
原作は田島列島で、沖田作品としては初めてマンガ作品が取り上げられました。冒頭、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」というオリジナル・アニメが登場して、「あれ? 見るものを間違えた」と思ってしまうかもしれません。
高校2年生で、水泳とアニメ一筋の生活を送る朔田美波(上白石萌歌)は4人家族。父の清(古舘寛治)とはアニメ趣味も同じで仲が良く、母の由起(斉藤由貴)も明るく理解があります。大好きなアニメが同じだったことから、美波は同級生の門司昭平(細田佳央太)と仲良くなります。
美波は、偶然に昭平の家にあったお札が、高校生になった時差出人不明で自分宛てに送られてきたものと同じであることに気がつきました。書道家である昭平の父が書いたもので、新興宗教の「光の函」のお札であることを知った美波は、昭平の兄で探偵っぽいことをしている明大(千葉雄大)を紹介してもらいます。
実は母は子連れの再婚で、美波は本当の父親との記憶はありませんでした。お札は父親から送られてきたものかもしれないと考えていた美波は、「藁谷」という苗字だけを頼りに父親の捜索を頼むのでした。明大は教団の線から教祖である藁谷友充(豊川悦司)を割り出し、今は教祖を辞めて海辺の町で整骨院の手伝いをしていることを調べ上げます。
美波は水泳部の夏合宿の期間に、両親には黙って友充を訪ねることにしました。整骨院は友充の実家で、美波が会いに来たことを歓迎します。二人は湿っぽい話はせず、美波は友充が可哀そうだからと夏合宿への合流を先延ばしにして留まることにしました。
友充は自分には自然に人の心を読む能力が身についていたので教祖に祭り上げられたが、それを教えても誰もできなかったため教壇を抜けたと語ります。さらに友充は、姪の小学生の仁子が泳げないので水泳を教えてあげるよう美波に頼みました。仁子は少しずつ泳ぎが上達しているうちに、夏合宿期間が終わろうとしていました。美波がまったく合宿に現れないことを知った昭平は、何かトラブルになっているのではないかと心配し、美波の行き先に急ぐのでした。
昭平は自宅で小学生相手の書道教室で先生をしていて、それを見た美波は感心するのですが、昭平は「教えられたものを教えるのは簡単だよ」と返していました。美波は水泳を人に教えたことはなかったのですが、仁子に教えることを頼まれたときにその言葉を思い返します。
一方、友充の「特殊能力」は、誰かに教えてもらったものではないので、美波が教えてもらってもまったくどうにもならないのです。この映画のポイントはそこのところで、人は様々な事柄を教えてもらい成長し、そしてそれをまた誰かに教えていくことで継承されていくのだということ。
現代っ子なのか、記憶にない父親と再会しての、美波の反応はドライな印象を受けます。今になってヒントになるお札を送ってきた理由は尋ねますが、何故母と離婚したのか尋ねないし、10年以上の空白があるにしては打ち解けすぎじゃないかと感じました。もっとも、そこを突っ込んでいくとお涙頂戴的な悲壮感とかも出てきてしまい、沖田カラーとは異質の展開に行ってしまいそうです。
むしろ、過去は横に置いて、前向きに父親との時間を取り戻すことに集中したということ。同時に、こどもは急速に距離を縮めることができるのに対して、大人はこどもの好きなものをそろえたりしてそれなりに四苦八苦している。「親の心子知らず」的なところが、タイトルの由来なのかもしれません。
今回も、基本ほのぼのとした「ハート・ウォーミング」なストーリーを目指しているので、いつものカットを減らして長回しでゆったりとした間を活かした「らしさ」は十二分に堪能できます。そういう意味では一つのシーンが長いので、俳優陣は大変だったろうと思いますが、若手陣はなかなか頑張ったと言えそうです。
2025年11月12日水曜日
おらおらでひとりいぐも (2020)
若竹佐知子の63歳でのデヴュー小説を原作として、沖田修一が監督・脚本した作品。
日高桃子(田中裕子)は75歳、数年前に夫に先立たれ、一男一女を授かりましたがそれぞれ独立して、今では一人住まいの身の上です。趣味と言えば、図書館で借りてくる本を参考にして書きためた「地球46億年の記憶ノート」を作ることくらい。
桃子の目の前には、桃子の心を代弁するさびしさ1(濱田岳)、さびしさ2(青木崇高)、さびしさ3(宮藤官九郎)がしょっちゅう現れます。朝になると、どうせ(六角精児)が「どうせ起きても昨日と同じでやることはないよ」囁いている。確かに、起きても図書館と病院に通うだけの生活なのです。
桃子は岩手県の出身で、東京オリンピックの年に、親が決めた縁談が嫌で「新しい女」になると東京に飛び出してきたのです。若かった桃子(蒼井優)は、住み込みの食堂の客だった同郷の周造(東出昌大)と知り合い結婚したのです。幸せな結婚生活でしたが、古い習慣に縛られ新しい女のイメージとはほど遠い生活でした。
昔の自分を思い出し、様々な妄想を繰り返しているうちに、むしろ自分が一番輝いているのは周造が死んでからの勝手気ままな生活をしている今なのかもしれないと思うようになります。そして。「おらおらでひとりいぐも」と言うと、今を受け入れるようになるのでした。
タイトルは東北弁で、「私は私で、一人で行きます」という意味。宮沢賢治の「永訣の朝」の中の死の床にいる最愛の妹に対する決別の言葉です。ここでは亡くなった夫に向けた桃子の気持ちの整理を意味しているようです。
原作にならって、現実では標準語、妄想の中では東北弁が使われていて、一部東北弁については聞き取りにくいところがあります。東京に出てきて標準語で通してきたはずの桃子でしたが、やはり標準語を使う自分に後ろめたさを感じていたわけで、出自を完全に捨て去ることはできないということ(46億年前の地球に重なります)。
主たるテーマは「老いと孤独」ということだと思うのですが、沖田作品の特徴である無理しないユーモアのおかげで悲壮感はありません。むしろ、若かったころの桃子の「この幸せが終わることはないと思っていた」という言葉に、「周造が死んだことで、独りで生きてみたいと思っていたことが叶った」と今の桃子が返答するのは、ある意味真実なのかなと思ってしまいました。
田中裕子はこの映画の時は65歳くらいですが、シーンによって孤独な老女とお茶目な少女の両方を演じ分けていてさすがです。もともと地味な印象がある沖田作品のなかでは、群を抜いて地味な感じですが、沖田監督らしさを随所に感じられるほのぼのとした仕上がりになっています。
日高桃子(田中裕子)は75歳、数年前に夫に先立たれ、一男一女を授かりましたがそれぞれ独立して、今では一人住まいの身の上です。趣味と言えば、図書館で借りてくる本を参考にして書きためた「地球46億年の記憶ノート」を作ることくらい。
桃子の目の前には、桃子の心を代弁するさびしさ1(濱田岳)、さびしさ2(青木崇高)、さびしさ3(宮藤官九郎)がしょっちゅう現れます。朝になると、どうせ(六角精児)が「どうせ起きても昨日と同じでやることはないよ」囁いている。確かに、起きても図書館と病院に通うだけの生活なのです。
桃子は岩手県の出身で、東京オリンピックの年に、親が決めた縁談が嫌で「新しい女」になると東京に飛び出してきたのです。若かった桃子(蒼井優)は、住み込みの食堂の客だった同郷の周造(東出昌大)と知り合い結婚したのです。幸せな結婚生活でしたが、古い習慣に縛られ新しい女のイメージとはほど遠い生活でした。
昔の自分を思い出し、様々な妄想を繰り返しているうちに、むしろ自分が一番輝いているのは周造が死んでからの勝手気ままな生活をしている今なのかもしれないと思うようになります。そして。「おらおらでひとりいぐも」と言うと、今を受け入れるようになるのでした。
タイトルは東北弁で、「私は私で、一人で行きます」という意味。宮沢賢治の「永訣の朝」の中の死の床にいる最愛の妹に対する決別の言葉です。ここでは亡くなった夫に向けた桃子の気持ちの整理を意味しているようです。
原作にならって、現実では標準語、妄想の中では東北弁が使われていて、一部東北弁については聞き取りにくいところがあります。東京に出てきて標準語で通してきたはずの桃子でしたが、やはり標準語を使う自分に後ろめたさを感じていたわけで、出自を完全に捨て去ることはできないということ(46億年前の地球に重なります)。
主たるテーマは「老いと孤独」ということだと思うのですが、沖田作品の特徴である無理しないユーモアのおかげで悲壮感はありません。むしろ、若かったころの桃子の「この幸せが終わることはないと思っていた」という言葉に、「周造が死んだことで、独りで生きてみたいと思っていたことが叶った」と今の桃子が返答するのは、ある意味真実なのかなと思ってしまいました。
田中裕子はこの映画の時は65歳くらいですが、シーンによって孤独な老女とお茶目な少女の両方を演じ分けていてさすがです。もともと地味な印象がある沖田作品のなかでは、群を抜いて地味な感じですが、沖田監督らしさを随所に感じられるほのぼのとした仕上がりになっています。
2025年11月11日火曜日
モリのいる場所 (2018)
沖田修一の監督・脚本による7作目の劇場用長編映画。
沖田修一は2006年の「このすばらしきせかい」以来、一貫して脚本も自ら書き起こす映画監督で、21世紀の邦画界では常に注目すべき映画作家の一人だと思います。常に日常的な何気ない風景の中から、大声で笑うわけではなく、心が嬉しくなるような「コメディ」を構築しています。
昭和49年、東京都豊島区の一角にある古い平屋に、94歳の画家の熊谷守一(山崎努)は妻の秀子(樹木希林)、姪の美恵(池谷のぶえ)と暮らしていました。守一は、毎日、身支度を整えると、秀子に「行ってきます」と挨拶をして出かけていくのです。途中、見慣れない小石に「どっから飛んできた?」と問いかけ、蟻の行列をじっと見つめ、生繫った植物や小動物を観察するのです。
これはすべて守一の家の30坪足らずの庭での出来事。守一は、この地に家を構えて30年間も外出せずに暮らしていたのです。ごくたまに家の敷地の外に出ても、ちょっと歩いただけで誰かと出会うと逃げ帰ってきます。守一が毎日出かけていくのは、庭のはじにある池。少しずつ自分で掘った深い穴の底にある水溜りのような池ですが、メダカが泳いでいるのです。
親しい人からはモリと呼ばれていた熊谷守一は、1880年生まれでシンプルな構図の中に大胆な色彩で(自宅の庭にある)自然物を描き続けた画家です。二度の褒章の機会を「人がもっと来たら困る」という理由で辞退し、60歳頃からは家から出ることなく、1977年に97歳で亡くなっています。絵画に興味が無くても、誰もがモリの作品をどこかで見たことがあることでしょう。
モリは二科会の早くからの会員であり、二科展へは毎回のように出品を続けていました。昭和天皇が二科展を訪れた際に、モリの作品を見て「これはどこのこどもが描いたものか」と尋ねたという有名なエピソードがあり、この映画もその場面から始まります。しかし、後に昭和天皇はモリの作品が大好きになられたらしい。
この映画は、そんなモリのある一日を描きます。モリの日常を撮影しているカメラマンの藤田武(加瀬亮)が、今日は新米の鹿島(吉村界人)を連れて訪れます。信州から看板を書いてもらいたくてやってきた朝比奈(光石研)は、旅館名ではなく「無一物」と書かれて困惑して帰っていきます。宮内省の役人(嶋田久作)は、電話で褒章の内示を伝えるものの断られて呆然とするのです。近所の人々(黒田大輔、きたろう)も特に用がないのに集まってくるのでした。
モリの家のすぐ横にマンション建築が始まり、現場監督(吹越満)と作業員の岩谷(青木崇高)がやってきて、美術大学生らが反対運動をしているのを何とかしてほしいと言ってきます。岩谷はモリが著名な画家であることを知っていたので、自分の息子の描いた絵を見せるのです。モリは「下手だ。でも下手はいい。上手は先が見えちまう」と評するのでした。
モリはマンションが建つと、日当たりは池のところだけになってしまうので、岩谷に池の穴を埋め戻すことを頼み、夜には建築作業員をにすき焼きを振舞うのでした。宴会の中、モリは庭に見たような人がいることに気がつきます。その人は変わった姿をしていて、「池が宇宙につながりました。一緒に行きましょう」とモリに言うのです。しかし、モリは「行かない。この庭でも私には広すぎる。行くと母ちゃんが疲れちゃうのが、一番困る」と言うのです。
池は無くなり、マンションも建ちましが、モリの暮らしは相変わらずでした。また訪れた藤田はマンションの屋上に上がってみます。見下ろすと、とても狭いけど大きなモリの宇宙が広がっていました。
人にはそれぞれ自分の世界があって、それは安心できる小宇宙ということ。そして、モリのいる場所はそんな庭の世界・・・であると同時に「秀子のいる世界」が大事だということ。沖田監督はモリの「奇妙」な生活に興味を持ち、ストーリーの大多数はフィクションであろうと思いますが、カメラマンの藤田のモデルである「獨楽- 熊谷守一の世界」を出版した藤森武氏にも取材されたのかもしれません。
主演の山崎努と樹木希林は、50年来の知り合いですがこの映画が初共演。樹木希林はこの映画を気に入っていて、「喋りやすい、喋過ぎない脚本で、無駄がない」と語っていたそうです。山崎努は「キツツキと雨」で大御所俳優として出演していましたが、その中で新人監督の小栗旬に「またやろう」というシーンがありました。沖田監督はそれを実現したかったのかもしれません。
沖田修一は2006年の「このすばらしきせかい」以来、一貫して脚本も自ら書き起こす映画監督で、21世紀の邦画界では常に注目すべき映画作家の一人だと思います。常に日常的な何気ない風景の中から、大声で笑うわけではなく、心が嬉しくなるような「コメディ」を構築しています。
昭和49年、東京都豊島区の一角にある古い平屋に、94歳の画家の熊谷守一(山崎努)は妻の秀子(樹木希林)、姪の美恵(池谷のぶえ)と暮らしていました。守一は、毎日、身支度を整えると、秀子に「行ってきます」と挨拶をして出かけていくのです。途中、見慣れない小石に「どっから飛んできた?」と問いかけ、蟻の行列をじっと見つめ、生繫った植物や小動物を観察するのです。
これはすべて守一の家の30坪足らずの庭での出来事。守一は、この地に家を構えて30年間も外出せずに暮らしていたのです。ごくたまに家の敷地の外に出ても、ちょっと歩いただけで誰かと出会うと逃げ帰ってきます。守一が毎日出かけていくのは、庭のはじにある池。少しずつ自分で掘った深い穴の底にある水溜りのような池ですが、メダカが泳いでいるのです。
親しい人からはモリと呼ばれていた熊谷守一は、1880年生まれでシンプルな構図の中に大胆な色彩で(自宅の庭にある)自然物を描き続けた画家です。二度の褒章の機会を「人がもっと来たら困る」という理由で辞退し、60歳頃からは家から出ることなく、1977年に97歳で亡くなっています。絵画に興味が無くても、誰もがモリの作品をどこかで見たことがあることでしょう。
モリは二科会の早くからの会員であり、二科展へは毎回のように出品を続けていました。昭和天皇が二科展を訪れた際に、モリの作品を見て「これはどこのこどもが描いたものか」と尋ねたという有名なエピソードがあり、この映画もその場面から始まります。しかし、後に昭和天皇はモリの作品が大好きになられたらしい。
この映画は、そんなモリのある一日を描きます。モリの日常を撮影しているカメラマンの藤田武(加瀬亮)が、今日は新米の鹿島(吉村界人)を連れて訪れます。信州から看板を書いてもらいたくてやってきた朝比奈(光石研)は、旅館名ではなく「無一物」と書かれて困惑して帰っていきます。宮内省の役人(嶋田久作)は、電話で褒章の内示を伝えるものの断られて呆然とするのです。近所の人々(黒田大輔、きたろう)も特に用がないのに集まってくるのでした。
モリの家のすぐ横にマンション建築が始まり、現場監督(吹越満)と作業員の岩谷(青木崇高)がやってきて、美術大学生らが反対運動をしているのを何とかしてほしいと言ってきます。岩谷はモリが著名な画家であることを知っていたので、自分の息子の描いた絵を見せるのです。モリは「下手だ。でも下手はいい。上手は先が見えちまう」と評するのでした。
モリはマンションが建つと、日当たりは池のところだけになってしまうので、岩谷に池の穴を埋め戻すことを頼み、夜には建築作業員をにすき焼きを振舞うのでした。宴会の中、モリは庭に見たような人がいることに気がつきます。その人は変わった姿をしていて、「池が宇宙につながりました。一緒に行きましょう」とモリに言うのです。しかし、モリは「行かない。この庭でも私には広すぎる。行くと母ちゃんが疲れちゃうのが、一番困る」と言うのです。
池は無くなり、マンションも建ちましが、モリの暮らしは相変わらずでした。また訪れた藤田はマンションの屋上に上がってみます。見下ろすと、とても狭いけど大きなモリの宇宙が広がっていました。
人にはそれぞれ自分の世界があって、それは安心できる小宇宙ということ。そして、モリのいる場所はそんな庭の世界・・・であると同時に「秀子のいる世界」が大事だということ。沖田監督はモリの「奇妙」な生活に興味を持ち、ストーリーの大多数はフィクションであろうと思いますが、カメラマンの藤田のモデルである「獨楽- 熊谷守一の世界」を出版した藤森武氏にも取材されたのかもしれません。
主演の山崎努と樹木希林は、50年来の知り合いですがこの映画が初共演。樹木希林はこの映画を気に入っていて、「喋りやすい、喋過ぎない脚本で、無駄がない」と語っていたそうです。山崎努は「キツツキと雨」で大御所俳優として出演していましたが、その中で新人監督の小栗旬に「またやろう」というシーンがありました。沖田監督はそれを実現したかったのかもしれません。
2025年11月10日月曜日
海老クリーム・パスタ
有頭海老を見つけたらパエリア・・・じゃなくて、海老クリームのパスタがおすすめです。
殻付きのまま有頭海老を、ちよと多めのオリーブオイルで炒めましょう。両面をしっかり焼いたら、トングなどでギュっと押しつぶして、味噌を絞り出します。そしたら、一度フライパンから取り出しておきます。海老のエキスがたっぷり出た海老オイルになります。
フライパンにみじん切りにしたタマネギ、2人前で1/2個分を入れて炒めます。ちょっとだけニンニク入れるとさらに美味しい。
この辺りでパスタを茹ではじめましょう。通常1%の塩を入れますが、この塩で全体の味が決まります。確実に塩茹してください。それと茹で時間は、指定された時間より2分ほど短くします。
さて、フライパンに戻りましょう。トマト缶1/3(130ml程度)、生クリーム100mlを追加します。キノコとか入れたかったら、このタイミングでお願いします。
パスタが茹で上がったら、フライパンに移しましょう。少し水を加えたほうがやりやすいです。フライパンの中で数分間パスタを煮て、味を吸わせてパスタを完成させます。
あ~至福の美味しさ。申し訳ありませんが、そこらの店よりうまいぞ~
さて、フライパンに戻りましょう。トマト缶1/3(130ml程度)、生クリーム100mlを追加します。キノコとか入れたかったら、このタイミングでお願いします。
パスタが茹で上がったら、フライパンに移しましょう。少し水を加えたほうがやりやすいです。フライパンの中で数分間パスタを煮て、味を吸わせてパスタを完成させます。
あ~至福の美味しさ。申し訳ありませんが、そこらの店よりうまいぞ~
2025年11月9日日曜日
野球場の話
今はサッカー人気が高いので、こどもたちの夢はJリーガーなりたいというのがダントツで多い。昭和のこどもは、特に自分に関しては当然のように野球少年であり、将来野球選手という夢をもつこどもがほとんどでした。
それというのも、王・長嶋全盛期、読売ジャイアンツが連続V9を達成していた頃ですから、娯楽も今ほど多くなかったので、こどもだけでなく大人も野球が大好き。
東京にいるとジャイアンツの試合は全試合テレビ・ラジオ中継がありましたから、ジャイアンツの選手の名前は憶えても、他のチームの選手はわからない。必然的に、ジャイアンツのファンとアンチ・ジャイアンツに二分されるということになります。
後楽園球場のチケットを入手するのは大変だったらしく、ほとんど観戦に行ったことはありません。ただし、神宮球場は当日券でも楽勝に入場できたので、生の野球観戦といえば、ほぼサンケイ・アトムズ対読売ジャイアンツに限られるということになります。
サンケイ・アトムズはもともとは国鉄スワローズだったわけで、後に巨人に移籍した大投手の金田正一がいたチーム。東京オリンピックのあとに産経グループに売却されましたが、大坂万博の頃にはヤクルト・アトムズに変わっています。1974年にヤクルト・スワローズとなり、2006年から現行の東京ヤクルト・スワローズを名乗っています。
自分が知っている頃のスワローズ(あるいはアトムズ)は、リーグで最弱と言ってもかまわないくらい弱いチームで、神宮球場の外野は閑古鳥なんてものじゃない。その頃は外野スタンドは芝生だったので、好きな場所でゴロっと横になって見物できたし、あきると友人とキャッチボールもできました。
現在、横浜DeNAベイスターズと名乗っているのは、自分がこども時は大洋ホエールズでした。当時は川崎球場がホームでしたが、1978年に横浜に移転し横浜大洋ホエールズとなり、1993年から横浜ベイスターズ、2012年にDeNAが球団名に加わりました。
川崎球場は一度だけ、ホエールズ対ジャイアンツの試合を見に行ったことがある。たぶんJR川崎駅から徒歩で行ったのだと思いますが、何か場末の繁華街みたいなところを通り抜けるので、こども心にはずいぶんと怖い場所にあるという記憶だけが残っています。
セントラル・リーグには、他に甲子園球場の阪神タイガース、広島球場の広島東洋カープ、名古屋球場の中日ドラゴンズがありますが、いずれも球団名はほぼ変更されていません。ただ、地方で野球観戦というのはしたことがありません。
ただ唯一、1974年、確か京都への修学旅行の帰りに、新幹線の中から名古屋球場の灯りを一瞬見ました。実はその日は、ペナントレースの最終戦で、ドラゴンズ対ジャイアンツの試合が行われている時だったのです。ジャイアンツはこの試合に敗北してV10を逃し、鉄人・川上哲治監督は勇退したわけです。
2025年11月8日土曜日
久しぶりにカルボナーラ
パスタのメニューの中で、カルボナーラはトップクラスの人気を誇ります。
もちろん自分も嫌いではないのですが、かなりカロリーが高めになってしまうので、やや避け気味になっいます。でも、うまく出来た時の満足感はけっこうあるので、たまに作りたくなります。
ポイントの一つは、味の決め手の塩は、パスタを茹でる時にしか使わない。そして用意したソースを絡める時の過熱の仕方だと思います。
通常パスタを茹でる場合には、1%の塩を入れます。つまり1Lの水に対して塩は10g。これだけでは味が薄いのでないかと心配しそうですが、ベーコン(またはパンチェッタ)も使うので、そこから出る塩味があるのでまったく心配はありません。
二人前くらいで、まずみじん切りのタマネギ中1/2個を炒めます。これは焦げない程度。そして好きなだけベーコンを入れて火を通します。既定の時間より1~2分早めに茹で上げたパスタをフライパンに投入したら、少しだけ茹でるのに使った湯を入れてパスタに味を吸わせていきます。
さてソースは先に用意しておくのですが、使うのは生クリーム200ml、生卵の黄身1個分、パルメザンチーズ(いわゆる粉チーズ)適量、そして粗挽き黒コショウです。
チーズをたくさん入れたくなりますが、入れすぎるとソースが重くなりますので注意が必要。このあたりのバランスには個人の好みもあるので、何度か自分で試してみるしかないかもしれません。
パスタがほどほどに煮汁を吸ったら、あとはソースを混ぜるだけなんですが、火をつけたままだと卵黄がかたまり過ぎて失敗します。ゆっくりじっくり、そして冷めないように火を入れるのが大事。
プロは湯煎をしたりしますが、家庭ではなかなか大変。そこで、超弱火にしてソースをフライパンに投入する方式がおすすめです。ゆっくり混ぜながら1~2分程度加熱すると、いい感じに仕上がります。
皿に盛ったら、黒コショウ追加、パセリを散らせば完成。何度が作って、ほぼパーフェクトと威張れる自己満足満点のカルボナーラが出来上がりました。
2025年11月7日金曜日
モヒカン故郷に帰る (2016)
1951年、日本初のカラー映画として公開されたのが木下惠介監督、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」でした。東京のストリッパーが錦を飾るつもりで故郷に帰って騒動になるというストーリーですが、タイトルからしてモヒカンはカルメンに対するオマージュであることは間違いない。
監督・脚本は沖田修二で、広島県呉市の瀬戸内海の小島で撮影されました。島の美しい風景と暮らす人々の素朴な心情をはさみながら、しばらくぶりに故郷に帰って来た長男と父親の関係をユーモラスに描くハートフル・コメディです。
東京でデスメタルバンドのボーカルをしていてモヒカン頭がトレードマークの田村永吉(松田龍平)は、妊娠した婚約者の会沢由佳(前田敦子)を紹介するために、故郷の瀬戸内海の戸鼻島に帰ってきました。
永吉の父親である田村治(柄本明)は、若い頃から矢沢永吉の大ファンで、ずっと面倒を見ている中学の10人しかいない吹奏楽部には矢沢の「アイ・ラブ・ユー、OK」を演奏させていました。母親の春子(もたいまさこ)は広島カープの大ファンで、弟の浩二(千葉雄大)も定職についていませんでした。
モヒカン頭は気に入らないものの、治はとりあえず長男の結婚祝いの宴会を開きます。しかし、その夜治は倒れ、肺がんの末期であることが判明するのでした。永吉は家業の酒屋を手伝い、由佳も島に馴染みましたが、治も春子も二人に東京に帰るように勧めるのでした。一度は連絡船に乗って島を離れたものの、二人は宮島観光をしただけで戻ってきます。
治の病状は悪化していましたが、痛いのは嫌だからと大きな病院に行くことはしません。永吉は、治の思い出のピザを取り寄せたり、吹奏楽部の連中にノリノリの矢沢永吉を演奏させたり、矢沢の扮装で治のベッドの横に立ち治を喜ばせたりします。そして、治の最後の願いで永吉と由佳は結婚式をあげ、その晴れ姿を見せることにするのでした。
父親が死の病に侵され、しばらく父との対話か無かった息子が父を助けるために奔走するみたいなベタな展開はありません。登場する人々は、良いことも悪いこともそのまま受け入れて、特に頑張るわけでもなく、それでもやさしく見守るのです。
モヒカン頭で変わり果てた息子はともかく、初対面の息子の彼女(少なくとも両家の子女ではない)に対してすら、そのまま受け入れることができるのはなかなかできるものではありません。でも、それがまったく普通のことに思えるのは作品の持つおおらかな雰囲気の賜物と言えそうです。
沖田監督作品としては、ストーリーがわかりやすく作られているように思いますが、死に向き合いつつも、日常的な自然に発生するユーモアをうまく挟み込んでいるところは、この監督らしさだと思います。同じキャストで、続編なんかも見たいものだと思いました。
監督・脚本は沖田修二で、広島県呉市の瀬戸内海の小島で撮影されました。島の美しい風景と暮らす人々の素朴な心情をはさみながら、しばらくぶりに故郷に帰って来た長男と父親の関係をユーモラスに描くハートフル・コメディです。
東京でデスメタルバンドのボーカルをしていてモヒカン頭がトレードマークの田村永吉(松田龍平)は、妊娠した婚約者の会沢由佳(前田敦子)を紹介するために、故郷の瀬戸内海の戸鼻島に帰ってきました。
永吉の父親である田村治(柄本明)は、若い頃から矢沢永吉の大ファンで、ずっと面倒を見ている中学の10人しかいない吹奏楽部には矢沢の「アイ・ラブ・ユー、OK」を演奏させていました。母親の春子(もたいまさこ)は広島カープの大ファンで、弟の浩二(千葉雄大)も定職についていませんでした。
モヒカン頭は気に入らないものの、治はとりあえず長男の結婚祝いの宴会を開きます。しかし、その夜治は倒れ、肺がんの末期であることが判明するのでした。永吉は家業の酒屋を手伝い、由佳も島に馴染みましたが、治も春子も二人に東京に帰るように勧めるのでした。一度は連絡船に乗って島を離れたものの、二人は宮島観光をしただけで戻ってきます。
治の病状は悪化していましたが、痛いのは嫌だからと大きな病院に行くことはしません。永吉は、治の思い出のピザを取り寄せたり、吹奏楽部の連中にノリノリの矢沢永吉を演奏させたり、矢沢の扮装で治のベッドの横に立ち治を喜ばせたりします。そして、治の最後の願いで永吉と由佳は結婚式をあげ、その晴れ姿を見せることにするのでした。
父親が死の病に侵され、しばらく父との対話か無かった息子が父を助けるために奔走するみたいなベタな展開はありません。登場する人々は、良いことも悪いこともそのまま受け入れて、特に頑張るわけでもなく、それでもやさしく見守るのです。
モヒカン頭で変わり果てた息子はともかく、初対面の息子の彼女(少なくとも両家の子女ではない)に対してすら、そのまま受け入れることができるのはなかなかできるものではありません。でも、それがまったく普通のことに思えるのは作品の持つおおらかな雰囲気の賜物と言えそうです。
沖田監督作品としては、ストーリーがわかりやすく作られているように思いますが、死に向き合いつつも、日常的な自然に発生するユーモアをうまく挟み込んでいるところは、この監督らしさだと思います。同じキャストで、続編なんかも見たいものだと思いました。
2025年11月6日木曜日
滝を見にいく (2014)
沖田修一は、2006年に映画監督デヴューしましたが、2009年の長編2作目「南極料理人」で一躍知られるようになりました。一貫して、脚本も手掛けており、原作有る無しに関わらず、映像作家として独自の世界を構築してきました。
ほのぼのとした雰囲気の中で、自然に笑いがこみ上げてくるような癒し系のような作品が多いのですが、この作品は特にその傾向が強い。
ストーリーはいたって簡単です。紅葉の山の中で滝を見学するツアーに参加した7人のおばちゃんが、素人ガイド(黒田大輔)のせいで迷子になり、なんとなく協力して一晩野宿し、本来の目的だった滝を見ることができた・・・という感じです。
おばちゃんたちは、ほとんど知らない女優さんばかりですし、実際素人も混ざっているらしい。知られた人がでてこないので、なおさらただのおばちゃんに見えるというのがポイントです。
それぞれが、一般に「おばちゃん」と呼ばれる人の特徴を備えていて、最初のうちはお互いにその「おばちゃん」らしさが鼻につく。ところが、遭難したとなると反目している場合じゃないことが少しずつわかってきて、それぞれの持ち味を生かした協力体制かできてきます。
それはもう「おばちゃん」というより、危機的状況を逆手にとって楽しむ少女のような感じになっていきます。何とか帰り道の目鼻がついたところで、まだ滝を見ていないことに気がついた7人は、とにかく滝だけは見て帰ろうと再び戻っていくのです。
かなりゆったりとした流れの映像で、劇中音楽もかなり控えめで、たまに聞こえるのはほとんどゆったりとしたクラシック音楽なので、緊張感はかなり少な目です。
そんなのんびりとした時間を過ごさせてくれる佳作として、休日の午後にゴロっとなってみるのに丁度良い作品です。
ほのぼのとした雰囲気の中で、自然に笑いがこみ上げてくるような癒し系のような作品が多いのですが、この作品は特にその傾向が強い。
ストーリーはいたって簡単です。紅葉の山の中で滝を見学するツアーに参加した7人のおばちゃんが、素人ガイド(黒田大輔)のせいで迷子になり、なんとなく協力して一晩野宿し、本来の目的だった滝を見ることができた・・・という感じです。
おばちゃんたちは、ほとんど知らない女優さんばかりですし、実際素人も混ざっているらしい。知られた人がでてこないので、なおさらただのおばちゃんに見えるというのがポイントです。
それぞれが、一般に「おばちゃん」と呼ばれる人の特徴を備えていて、最初のうちはお互いにその「おばちゃん」らしさが鼻につく。ところが、遭難したとなると反目している場合じゃないことが少しずつわかってきて、それぞれの持ち味を生かした協力体制かできてきます。
それはもう「おばちゃん」というより、危機的状況を逆手にとって楽しむ少女のような感じになっていきます。何とか帰り道の目鼻がついたところで、まだ滝を見ていないことに気がついた7人は、とにかく滝だけは見て帰ろうと再び戻っていくのです。
かなりゆったりとした流れの映像で、劇中音楽もかなり控えめで、たまに聞こえるのはほとんどゆったりとしたクラシック音楽なので、緊張感はかなり少な目です。
そんなのんびりとした時間を過ごさせてくれる佳作として、休日の午後にゴロっとなってみるのに丁度良い作品です。
2025年11月5日水曜日
横道世之介 (2013)
この奇妙な名前がタイトルの映画は、「国宝」の映画化で話題の吉田修一による小説が原作。そして、監督・脚本は沖田修一です。1987年に長崎から上京して東京で大学生生活を送ることになった一人の若者を通して描かれる青春グラフィティです。
明るい性格でお人好し、そしてちょっと横着者である横道世之介(高良健吾)は、入学してすぐに倉持一平(池松壮亮)と阿久津唯(朝倉あき)とともだちになり、サンバ研究会に入会します。一緒に上京してメディア研に入った小沢(柄本佑)とのからみで知り合った年上の片瀬千春(伊藤歩)に、男との別れ話をするため弟のふりをするように頼まれ、千春に一目惚れしてしまいます。
世之介は教室で加藤雄介(綾野剛)と知り合い、加藤のアパートにはエアコンがあったので、夏の間いりびたりになります。加藤に気がある女子の誘いでダブルデートになった世之介は、一緒に現れた与謝野祥子(吉高由里子)と知り合いました。祥子は富豪の娘で、運転手付きの車の送迎がある箱入りのお嬢様でした。
世之介が夏休みに長崎に帰省すると、祥子も実家にやって来て父(きたろう)・母(余貴美子)と仲良くなってしまいます。夜に海岸でいいところまでいった二人でしたが、ちょうどそこへベトナム難民のボートピープルが上陸してきて、世間知らずの祥子は大きなショックを受けるのでした。
新学期になって、大学に戻ると倉持が退学していました。倉持は唯と付き合っていたのですが、唯が妊娠してしまったため結婚して就職することになったのです。世之介は、当面必要な金を倉持に貸すことにします。
きちんと付き合うことにした世之介と祥子は楽しくクリスマスを過ごし、正月にスキーで祥子が足を骨折したことで、より一層絆が深まることになりました。バレンタインデーに世之介のポストに間違ってチョコが入っていて、初めて隣人の室田(井浦新)と話をし、室田がカメラマンであることを知ります。室田はお礼にとカメラを貸してくれたことで、世之介は写真を撮ることに夢中になり将来の仕事にするのでした。
それぞれの登場人物が16年後の「今」に、ちょっとしたことから世之介を思い出す構成で、メインのストーリーはそれぞれの人物の回想という形を取っている。前半で回想されるのは、世之介との楽しい思い出ばかりで、世之介のお人好しを笑って楽しめるものばかりです。
しかし、ほぼ真ん中でラジオのパーソナリティになっていた16年後の千春の登場から、物語の雰囲気はガラリと違った印象に変わってしまうのです。千春は今日のニュースを読み上げ、そこからディレクターにテンションが下がったと指摘されるのです。そのニュースは、地下鉄のホームから落下した人を助けようとして世之介も亡くなったというものでした。
これは2001年に山手線新大久保駅で実際に起こった人身事故がモチーフになったことはあきらかです。泥酔してホームから落下した男性を助けようとした日本人カメラマンと韓国人留学生が亡くなられた事件で、当時大きな話題になりました。もちろん「日本人カメラマン=世之介」ではありませんが、原作者に大きなヒントを与えたことは間違いない。
そのことを知らされた視聴者は、同じように語られているはずの後半のストーリーはも前半と正反対の悲しい思い出になってしまうのです。先ほどまで笑えていたエピソードと同じような話が続くにもかかわらず、油断すると泣けてしまうこの構成はすごい。
特別に何かすごいことを成し遂げたわけではないにもかかわらず、世之介と知り合った人々は、より幸せな人生を送っている。皆を笑顔にできる世之介のような人物の存在は、誰もがともだちにすべきとても貴重な存在だといえそうです。
沖田組からは高良健吾、黒田大輔が再登場しています。カットを少な目にしてシーンの印象を強くしたり、派手な音楽を使わない沖田流の映像手法は完成したと言ってよさそうです。160分という長尺の映画ですが、もっと世之介を見ていたい気分にさせられました。
明るい性格でお人好し、そしてちょっと横着者である横道世之介(高良健吾)は、入学してすぐに倉持一平(池松壮亮)と阿久津唯(朝倉あき)とともだちになり、サンバ研究会に入会します。一緒に上京してメディア研に入った小沢(柄本佑)とのからみで知り合った年上の片瀬千春(伊藤歩)に、男との別れ話をするため弟のふりをするように頼まれ、千春に一目惚れしてしまいます。
世之介は教室で加藤雄介(綾野剛)と知り合い、加藤のアパートにはエアコンがあったので、夏の間いりびたりになります。加藤に気がある女子の誘いでダブルデートになった世之介は、一緒に現れた与謝野祥子(吉高由里子)と知り合いました。祥子は富豪の娘で、運転手付きの車の送迎がある箱入りのお嬢様でした。
世之介が夏休みに長崎に帰省すると、祥子も実家にやって来て父(きたろう)・母(余貴美子)と仲良くなってしまいます。夜に海岸でいいところまでいった二人でしたが、ちょうどそこへベトナム難民のボートピープルが上陸してきて、世間知らずの祥子は大きなショックを受けるのでした。
新学期になって、大学に戻ると倉持が退学していました。倉持は唯と付き合っていたのですが、唯が妊娠してしまったため結婚して就職することになったのです。世之介は、当面必要な金を倉持に貸すことにします。
きちんと付き合うことにした世之介と祥子は楽しくクリスマスを過ごし、正月にスキーで祥子が足を骨折したことで、より一層絆が深まることになりました。バレンタインデーに世之介のポストに間違ってチョコが入っていて、初めて隣人の室田(井浦新)と話をし、室田がカメラマンであることを知ります。室田はお礼にとカメラを貸してくれたことで、世之介は写真を撮ることに夢中になり将来の仕事にするのでした。
それぞれの登場人物が16年後の「今」に、ちょっとしたことから世之介を思い出す構成で、メインのストーリーはそれぞれの人物の回想という形を取っている。前半で回想されるのは、世之介との楽しい思い出ばかりで、世之介のお人好しを笑って楽しめるものばかりです。
しかし、ほぼ真ん中でラジオのパーソナリティになっていた16年後の千春の登場から、物語の雰囲気はガラリと違った印象に変わってしまうのです。千春は今日のニュースを読み上げ、そこからディレクターにテンションが下がったと指摘されるのです。そのニュースは、地下鉄のホームから落下した人を助けようとして世之介も亡くなったというものでした。
これは2001年に山手線新大久保駅で実際に起こった人身事故がモチーフになったことはあきらかです。泥酔してホームから落下した男性を助けようとした日本人カメラマンと韓国人留学生が亡くなられた事件で、当時大きな話題になりました。もちろん「日本人カメラマン=世之介」ではありませんが、原作者に大きなヒントを与えたことは間違いない。
そのことを知らされた視聴者は、同じように語られているはずの後半のストーリーはも前半と正反対の悲しい思い出になってしまうのです。先ほどまで笑えていたエピソードと同じような話が続くにもかかわらず、油断すると泣けてしまうこの構成はすごい。
特別に何かすごいことを成し遂げたわけではないにもかかわらず、世之介と知り合った人々は、より幸せな人生を送っている。皆を笑顔にできる世之介のような人物の存在は、誰もがともだちにすべきとても貴重な存在だといえそうです。
沖田組からは高良健吾、黒田大輔が再登場しています。カットを少な目にしてシーンの印象を強くしたり、派手な音楽を使わない沖田流の映像手法は完成したと言ってよさそうです。160分という長尺の映画ですが、もっと世之介を見ていたい気分にさせられました。
2025年11月4日火曜日
キツツキと雨 (2012)
沖田修二の監督・脚本による自身の長編映画第3作で、大御所俳優をキャスティングした見応えのある作品になっています。しかも、新人監督としては上映時間2時間の壁を突破した129分は立派なものです。
林業を営む岸克彦(役所広司)は、昔ながらの職人気質の頑固一徹な人物。2年前に妻に先立たれ、定職につかない25歳の息子・浩一(高良健吾)と二人暮らし。
村にゾンビ映画の撮影隊がやって来て、克彦は偶然に彼らの手伝いをする羽目になってしまいます。仕切っているのは助監督の鳥居(古舘寛治)で、一緒にいるのに何も動こうとしない若者に克彦は説教をしてしまいます。
その若者、田辺幸一(小栗旬)は、実は自分に自信が持てない25歳の若手監督で、この作品も自分の意見が言えずスタッフの言いなりになっていたのです。幸一は現場から逃げ出そうと、克彦に駅まで送ってもらいます。車の中で、克彦がしつこくあらすじを聞いてくるので台本を渡してしまいます。しかし、駆けつけてきた鳥居に捕まり、幸一は連れ戻されてしまいました。
克彦が家に戻ると、幸一が身支度をしていて、東京に行くと言い捨てて出ていってしまいます。幸一は、克彦の家に台本を返してもらいに行きますが、何となく克彦は幸一の立場が想像できるのでした。それから克彦の声掛けで村中からエキストラが集められ、少しずつ映画の体裁がまともになっていくのです。
幸一は克彦の応援してくれる声が頭の中に聞こえる気がして、少しずつ自信をつけていくのでした。
ゾンビ映画のキャストとして、山崎努、平田満、臼田あさ美、スタッフには嶋田久作、黒田大輔、克彦の仕事仲間に伊武雅刀、高橋努などが登場します。高良、嶋田、黒田などは沖田作品には何度も登場しています。
沖田監督の特徴として、とても静かな長い間合いがあります。今作でも、ぎりぎり長過ぎない間合いによって、説明セリフに頼らず人物の心情などをうまく表現しています。もちろん、そこは言葉に頼らない俳優の演技があってのこと。
撮影でも、カットは多用せず一つの画面に中に、会話をしている二人を同時に映しこむことで、流れを途切れさせない演出が目立ちます。音楽は控えめで、簡単音楽で盛り上げようとするような姑息な手段は使われません。このことで、むしろ映像の中に没入できる感覚になります。
当時30代半ばの沖田監督は、おそらく幸一に自分の分身を投影していたのかもしれません。そして、息子の浩一とうまく折り合えない克彦と、おそらく父親とうまくいっていない幸一の関係を重ねてくることで、父と息子という家族のつながりが描かれているのだと思います。
林業を営む岸克彦(役所広司)は、昔ながらの職人気質の頑固一徹な人物。2年前に妻に先立たれ、定職につかない25歳の息子・浩一(高良健吾)と二人暮らし。
村にゾンビ映画の撮影隊がやって来て、克彦は偶然に彼らの手伝いをする羽目になってしまいます。仕切っているのは助監督の鳥居(古舘寛治)で、一緒にいるのに何も動こうとしない若者に克彦は説教をしてしまいます。
その若者、田辺幸一(小栗旬)は、実は自分に自信が持てない25歳の若手監督で、この作品も自分の意見が言えずスタッフの言いなりになっていたのです。幸一は現場から逃げ出そうと、克彦に駅まで送ってもらいます。車の中で、克彦がしつこくあらすじを聞いてくるので台本を渡してしまいます。しかし、駆けつけてきた鳥居に捕まり、幸一は連れ戻されてしまいました。
克彦が家に戻ると、幸一が身支度をしていて、東京に行くと言い捨てて出ていってしまいます。幸一は、克彦の家に台本を返してもらいに行きますが、何となく克彦は幸一の立場が想像できるのでした。それから克彦の声掛けで村中からエキストラが集められ、少しずつ映画の体裁がまともになっていくのです。
幸一は克彦の応援してくれる声が頭の中に聞こえる気がして、少しずつ自信をつけていくのでした。
ゾンビ映画のキャストとして、山崎努、平田満、臼田あさ美、スタッフには嶋田久作、黒田大輔、克彦の仕事仲間に伊武雅刀、高橋努などが登場します。高良、嶋田、黒田などは沖田作品には何度も登場しています。
沖田監督の特徴として、とても静かな長い間合いがあります。今作でも、ぎりぎり長過ぎない間合いによって、説明セリフに頼らず人物の心情などをうまく表現しています。もちろん、そこは言葉に頼らない俳優の演技があってのこと。
撮影でも、カットは多用せず一つの画面に中に、会話をしている二人を同時に映しこむことで、流れを途切れさせない演出が目立ちます。音楽は控えめで、簡単音楽で盛り上げようとするような姑息な手段は使われません。このことで、むしろ映像の中に没入できる感覚になります。
当時30代半ばの沖田監督は、おそらく幸一に自分の分身を投影していたのかもしれません。そして、息子の浩一とうまく折り合えない克彦と、おそらく父親とうまくいっていない幸一の関係を重ねてくることで、父と息子という家族のつながりが描かれているのだと思います。
2025年11月3日月曜日
ちょっとだけエスパー (2025)
この秋のテレビドラマで注目していた作品の一つがこれ。
何しろ、大泉洋主演、ヒロインが久しぶりの連続ドラマ登場の宮﨑あおい。二人は2018年の「あにいもうと(TBS)」以来2度目の共演。そして、最も楽しみなのは脚本が野木亜紀子というところ。
野木さんのオリジナル脚本は、登場人物の作り込みがすごいのでドラマの奥行きがめちゃめちゃ深い。大泉洋出演作では、「ラッキーセブン(2012、フジTV)」、「アイアムアヒーロー(2016)」以来ということになります。
今作は、10月スタートのゴールデンタイムの新番組としては最も遅いスタートで、待ちに待った感じで否が応にも期待が高まりましたが、その期待をまったく裏切らない面白しさがすでにあふれている感じです。
平凡なサラリーマンだった文太(大泉洋)は、会社の金を横領して、仕事も家族もすべて失いネットカフェで細々と暮らすどん底の身。ある日、面接に行ったノナマーレという会社で、社長の兆(岡田将生)に謎のカプセルを渡され、それを飲めば採用と言われます。
そのカプセルは、世界を救うためにちょっとだけエスパー・・・超能力者になれるというもので、文太は社宅で四季(宮崎あおい)と夫婦として暮らすように言われます。文太はあくまでも世間を欺く仮の夫婦だと思いますが、何故か四季はまったく演技ではなく本当に文太を夫だと思っている様子。
文太の周りには、同じくノナマーレの社員である「ちょっとだけエスパー」な人々いる。桜介(ディーン・フジオカ)はどこでも花を咲かせる能力の持ち主で、円寂(高畑淳子)は念じるとちょっと温められる200w程度のレンチン能力があり、半蔵は動物と話ができてお願いを出来るというもの。そして、文太の能力は触れていると相手の心の声が聞こえるというものでした。
彼らに兆から送られてくるミッションは他愛のないものばかりで、これで世界を救えるのか疑問しかないものばかり。兆は世の中の出来事にはいろいろな選択肢があり、些細な事でもその結果は大きな変化につながることがあると文太に説明します。
ノナマーレの意味は、イタリア語で「Non Amare (人を愛してはいけない)」であり、文太にとっては仮の夫婦である四季への接し方が難しい。四季はノナマーレの社員ではなく、本当の夫が死んだことで心が壊れ、文太を本当の夫だと思い込んでいるのでした。
今のところ第2話まで放送されていますが、それぞれのちょっとだけの超能力がどのように使われていくのか気になりますし、一瞬登場して彼らがエスパーであることに気がつく大学生(北村匠海)もどのように絡んでくるのか注目です。
もちろん、仮の夫婦である文太と四季がどうなっていくのかも気がかりですが、何よりもノナマーレ、いや兆の真の目的が隠されているように思えるし、そもそも兆の正体も謎過ぎる。
まだ間に合いますから、これは是非みんなで見てもらいたい。社会派が続いた野木作品ですが、今回はちょっと肩の力を抜いて本人も楽しみながら話をつくっているのかもしれません。でも、第2話の衝撃のバッドエンドには、思わずびっくりして一筋縄ではいかない野木作品の闇も垣間見えました。
2025年11月2日日曜日
海鮮丼
海近の町でよくある名物が海鮮丼。
テレビでも、「こんなにすごい」丼があったと紹介されることがしばしば。圧倒的なボリュームで驚かしたり、めちゃめちゃ安くて嬉しくなったりと、いろいろです。
そんなのを見ていたら、むしょうに食べたくなってきた。ただし、出かける時間が無ければ、自分で作るしかない。
・・・というわけで、スーパーで安いお刺身を買い込んできました。
こういう時は、あまりお財布の中身を気にしてはいけないのですが、おいしそうな物はやはり値段が高い。自然と頭の中で計算して、手が出なくなります。
結局のところ、質より量、少しでも安いものをたくさん購入。二人分で4500円ほど。一食にかける金額としては、ふだんの3倍くらいでしょうか。
ブリ、めばちマグロ、イカ、ホタテ、赤海老、サーモン、一番単価が高いイクラ、いくらに隠れていますがタコを並べてみました。
御飯はタマノイのすしのこで味付けして寿司飯にしてあります。後はワサビ醤油を用意して食べるだけです。
まぁ、そこそこ満足が得られました。上を見たらきりがありませんが、家で楽しむなら簡単で十分すぎるということでしょうか。
2025年11月1日土曜日
マルタイ・ラーメン
インスタントラーメンは、1958年の日清のチキンラーメンが世界初と言われています。
ただし、自分が認識した最初はサンヨー食品の「サッポロ一番」とか明星食品の「チャルメラ」、そして日清食品の「出前一丁」です。これらは60年代半ばに登場した三大即席めんと呼んでも異論はないと思います。
ただし、これらはいずれも油揚げ縮れ麺で、お店で食べる麺とは「何か違う」という印象は拭えませんでした。
1959年に発売されたマルタイの「棒ラーメン」は、今でも販売が続く人気商品ですが、他のインスタントラーメンと違い熱風乾燥によるストレートの細麺が最も特徴的。
麺の味としては本物に近いのですが、それはそれで別物という感じ。でも、何か嫌いじゃない。
今はノンフライの、ほとんど生麵と変わらないものがたくさん出ていますが、だったら普通に生麺を買う方が安くて美味しいと思います。
あえて、インスタントラーメンを買うなら、むしろ棒ラーメンを選んでしまいます。時々食べたくなる味ということなんでしょうね。
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