夏季臨時休診
2022年10月14日金曜日
俳句の勉強 51 音便のいろいろ
頭が痛くなる文語文法シリーズです。今回は、動詞の音便(おんびん)の話。
毎度のことながら、そもそも音便って何? 多分、古文の授業で聞いているとは思いますが、まったく記憶にない(木村先生ごめんなさい)。
発音上の便宜から、本来の活用にない音に変化する現象を音便と呼びます。例えば「花が咲いて・・・」の場合、本来なら「花が咲きて・・・」なんですが、「き」を「い」に置き換えて使うのが一般的になっています。
動詞の音便は、1. イ音便、2. ウ音便、3. 撥音便(ンに変化)、4. 促音便(ッに変化)の4種類で、これはもう覚えるしかない。原則は、
カ行・ガ行の四段動詞はイ音便
ハ行の四段動詞はウ音便
バ行・マ行の四段動詞、ナ変動詞は撥音便
タ行・ハ行・ラ行の四段動詞、ラ変動詞は促音便
音便を使うか使わないかは自由ですので、声に出して読んだ時の調子によって選択してかまいません。
というだけのことなんですが、具体的な例をみましょう。
霧吹いて螢籠より火の雫 鷹羽狩行
籠の中の蛍に向かって霧を吹いたら、蛍の光によってまるで火の粉が散ったようだということ。「吹いて」がイ音便です。本来は「吹きて」になるところですが、音便を使うと調子が柔らかくなってこの句では合っているように思います。
注意しないといけないのは、この場合は音便のイなので、旧字の「ゐ」を使ってはいけないということ。ついつい文語を意識しすぎると、やってしまいそうな間違いです。
もの言うて歯が美しや桃の花 森澄雄
話すと美しい歯が見えるのは、おそらく桃の花ように艶やかなお嬢さんなんでしょうか。ここでは、本来なら「言ひて」ですが、ウ音便が使われて「言うて」に変化。これも、音便を使った方が柔らかい印象を与えます。
飛魚とんで玄海の紺したたらす 片山由美子
玄界灘では、秋になると五島列島を中心にトビウオ漁が盛んです。海から飛び出したトビウオが、深い紺色の海水を滴らすというダイナミックな映像です。「飛んで」が、本来は「飛びて」となるところを撥音便に変化しています。
枝打って斜めに飛びし実梅かな 岸本尚毅
枝をはたいたら、梅の実が斜めに飛んで行ったようです。ここでは「打ちて」となるべきところを、促音便を使い「打って」になりました。「ッ」の方が、実がパッと飛んだ感じが出ますね。
ためらひつ日記を買ってしまひけり 鈴木良戈
年末が近づくと来年の日記をつけるために新しいものを買うわけですが、書き続けられるか自信があれませんということ。ここでは「買って」が「買ふ」の促音便になっています。この動詞はウ音便もあって「買うて」も正解。連用形の「買ひ」に助詞の「て」をつなげて「買ひて」という使い方もあります。
あー、また何だかややっこしくてわからなくなってきました。
2022年10月13日木曜日
マイナ保険証
なかなか普及しないマイナンバーカード。国民一人一人に番号を付与して、さまざまな公共サービスの便宜をはかるというもの・・・ですが、現実には「持っていて便利」と思える機会がなかなか増えません。
最近、政府はマイナンバー・カードと健康保険証を紐づけて、保険証を2024年秋ごろに廃止する方向で検討すると発表がありました。通称「マイナ保険証」と呼ばれていますが、医療機関の側から考えると病院にも患者さんにも大きなメリットがあることだと思います。
患者さんにとっては、保険証がちょいちょい変わることがあっても、マイナ保険証ならそれを意識する必要がありません。同意していただければ、薬の履歴や検診結果なども参照できるので、診療上役に立つことが増えます。
保険証は、受診のたびに提示するのが本来のルールです。一度出したら、二度と出さなくて良い思っている方が多いのですが、月に何度も確認するのは煩雑なため、便宜上月に一度提示してくださいとお願いしている医療機関が多くなっています。
マイナンバー・カードをいつも携帯する習慣をつければ(最初は面倒かもしれませんが)、出先で緊急で受診したい場合にもあわてずにすみます。
医療機関としても、読み取り機で簡単に有効な健康保険かを確認できることは、大変助かります。正直言って、実は数カ月前に保険証が変わっていたというのはしばしばあるトラブルで、このために行う修正作業は本当に大変なんです。
さて、問題点はあるのでしょうか。よく「個人情報」が漏洩するという不安を根拠にマイナンバー制度に反対する方がいますが、自分としてはその点は心配していません。マイナンバー・カードに含まれる情報は、「マイナンバー」、「氏名」、「誕生日」、「住所・本籍」などで、これだけでは漏れたからどうということはほぼ無いといえます。
例えばマイナンバーがわかっても、保険組合との間の通信には固有の登録、特殊なハード、専用回線での接続が必要なので、そう簡単に第三者が利用できるものではありません。もっとも、それができるくらいの技術がある者なら、そんなまどろっこしいことはしなくてもどんな情報でも盗み放題でしょうけどね。
現実に情報漏洩を心配する方は、すでにいろいろな電子マネーや通販サイトにそれ以上の漏れたら危険な情報を登録していることと思います。もちろん、保険組合から「個人情報」が漏洩する危険はありますが、マイナ保険証になったからそのリスクが増えるとは考えられません。
マンナンバー制度で、一番問題と考えられるのは、初回登録の面倒はしょうがいないとしても、更新時の手続きの煩雑さです。5年に一度、更新しないといけないのはわかりますが、そのために平日に役所に出向くのは難しい人が多いと思います。また2種類のパスワードも5年ぶりでは、「何だっけ」となりやすい。
24時間受付可能なATMのような機械があちこちに設置してあれば、かなり気楽に更新できるので助かりますが、政府も義務化するならそこらの部分をしっかり検討しないと反対ばかりされそうです。
また、高齢者、特に認知症がある方などの登録・更新をどうするのかも問題です。ある一定条件を満たせば更新は不要にするとか、法的なキーパーソンを決定して代行できるようにするなどの配慮が必要そうです。
うちのクリニックでは1月からマイナ保険証リーダーを設置していますが、ほとんど使われたことがありません。また使っても、まだ対応できていない保険組合が多すぎて、実用性にはほど遠い印象があります。
それなのに10月から医療機関は設置が義務化したのですが、ハードだけあってソフトが無いんじゃわけがわからない。ちなみに10月になって、マイナ保険証を利用した方は、今のところ一人だけ。ユーザーもいないとくると、そういう意味でさい先が心配ですね。
2022年10月12日水曜日
俳句の勉強 50 月百句 #87~#100
夏井いつき氏からの宿題、月に関連した季語を使って百句作れという初心者には荷が重いチャレンジですが、ついにラスト・スパートです。では、早速。
#87 月の都に居並ぶ緒尊多し
#88 此の夜に月宮殿の迦具夜かな
「月の都」と「月宮殿」は同じことで、インド神話で月を神格化した月天子(がってんし)が住んでいるところのこと。当然、その周りには緒尊が集まってきていることだと思います。日本最古の物語といわれている「竹取物語」では、かぐや姫は「月の都」からやってきたとされています。
次は「心の月」は曇りの無い清らかな心のことで、悟りの心を意味します。ダイエット中なんですが、心の月には無理しないで食べたいものを食べた方が良いという気持ちが丸見えです。
「真如(しんにょ)の月」も同じようなことですが、煩悩に煩わされない悟りの境地の事。やはりダイエットは難しい。食べたい欲求が勝ってしまうことが多いですよね。
で、結局ダイエットに失敗すると涙がとまらずに服の袖に溜まってしまう。そんな様子が「袖の月」という季語になります。
「島星」は月そのものの、あるいは月の光の異名。月の光があると明るい所と暗い所が分かれるので、ああここは闇なんだと気が付けるということです。
「朝月日」は、朝日が出ている真向かいに月が沈まずに残っていること。朝日は東ですから、月は西ということになります。蕪村の有名な「菜の花や月は東に日は西に」は「朝日月」の逆で夕方の光景。ただ「夕月日」という季語は、どうも説明がわかりにくく「夕日と月が二つ並んであること」となっていて、隣同士なのか対角線にあるのかよくわからない。
逢魔ヶが時(おうまがどき)は、夕方の黄昏時のこと。太陽が沈んで、暗くなるまでの残照によりほんのりと明るい数十分の時間帯です。映画用語では「マジックアワー」という言い方もあります。
「月の出塩」は、月の重力の影響で潮の満ち引きの関係で、月の出に合わせて満ちてくることです。砂に書いたラブレターは、月の出塩によって消えてしまうんですよね。
「月待ち」は集まった人々が念仏を唱えながら月の出を待つ行事の総称。待ちきれない者が必ずいるもので、たった今「まだか?」と聞いたばかりなのに、何度も聞いてくるのが面倒です。
#97 静か夜に木々より漏れし月の水
「月の水」の「水(みなは)」水泡のことで、月の光を水泡に見立てた季語です。木々の間から、キラキラと漏れて見える光が、ちょうどそんな感じなのかなと思いました。
「照る月なみ」とは、三日月から有明月頃までの、ある程度明るさがわかる毎晩の月のこと。満月は簡単に見れますが、最初と最後は首を延ばしてよく探さないとわかりにくいですよね。
「素月(そげつ)」は白く冴えわたる月のことで、一般には満月です。
「月乙女」は「早乙女」の傍題です。田植を行う女性のことで、紺の単衣に赤い帯、白い手拭をかぶり、紺の手甲脚絆、菅笠のそろいの姿で一列にならんで苗を植える様子。苗を植えた分だけ、爪の中にも土が入り込んでしまいそうです。今回の季語は三秋の季語ですが、「月乙女」だけは仲夏の季語です。
どうにかこうにか百句にたどり着きましたが、かなり苦し紛れの句ばかりで、どこかに投句してみようか思えるものは・・・まぁ、一つもありません。とにかく作ることに意義があると自分を納得させるだけ。2か月かける予定が半分でできたところだけは、頑張ったと評価しておきます。
これで、これからは「いつき組」所属と名乗れそうなので、今後は夏井いつき「先生」と呼ばせてもらうことにします。
2022年10月11日火曜日
俳句の鑑賞 27 杉田久女
おそらく明治から始まる近代俳句史の中で、男女の別にかかわらず、俳人としても高い評価が与えられると同時に、最も悲劇的な人生を送らざるをえなかったのが杉田久女(すぎたひさじょ)ではないでしょうか。
杉田久女、本名久(ひさ)は、明治23年(1890年)に鹿児島市で生まれました。大蔵省書記官の父親の関係で、沖縄、台湾などの転勤生活が続き、明治41年、東京の高等女学校を卒業。翌明治42年、美術教師である杉田宇内と結婚し、夫の赴任地となる小倉に転居します。
宇内は真面目で、画家の道を夢見ていましたが、長女・次女をもうけ、現実の生活の中で芸術家の道をあきらめ教師として生きていくしかありませんでした。大正5年、たまたま兄から俳句を教わった久女は、「ホトトギス」に投句するようになり、高濱虚子を崇拝するようになったのが悲劇の始まりでした。
鯛を料るに俎せまき師走かな 久女
「ホトトギス」大正6年1月号に、初めて載った久女の句。当時、虚子が推奨した、いわゆる「台所俳句」ですが、正月の準備でたくさんの食材が所狭しと並び、鯛を料理する俎板が狭くなってしまったという情景を的確に詠んでいます。しだいに俳句にのめり込んでいく妻に対して、宇内は苦々しい思いがあったようで、夫婦の間には次第に口論が増えるようになりました。
花衣ぬぐや纏る紐いろいろ 久女
大正8年に入選した、久女代表作とされる一句。花見から帰ってきて着物を脱ぐときに、まとわりつくようにたくさんの紐をはずしていくという、男性では絶対に詠めない女性独特の視点が評価されました。花見で疲れてけだるい雰囲気と、着物を脱ぐ解放感とが混在し、下句の字余りが絶妙の余韻を残します。
しかし、大正9年、自身の腎臓病のこともあり、少なくとも必要な家事は疎かにしていないにも関わらず、俳句に理解の無い夫との間で離縁の話が出たため、仕方がなく俳句から身を引くことになります。久女はカトリックに入信し、教会活動に身を置くことになります。
われにつきゐしサタン離れぬ曼殊沙華 久女
この間に詠まれたもので、宇内をサタンと思ったのか、いろいろな忍耐を強いることになった俳句そのものをサタンと思ったのか・・・いずれにせよ、真っ赤な曼殊沙華によって、離れないサタンはさらに強固なものになっていくようです。
しかし、中村汀女、橋本多佳子ら同郷の後輩女流俳人らと交流するうちに、大正11年、再び「ホトトギス」への投句を再開するのです。
足袋つぐやノラともならず教師妻 久女
ノラはイプセンの「人形の家」の主人公で、夫の言いなりだった自分を捨て自立していく女性。ノラのように生きていけない自分は、教師の妻として足袋を縫ったりすることばかりしている、という自己否定的な句。しかし、一方で、芸術を捨て一介の教師になり下がった夫に対する不満を読み取れます。
谺して山ほととぎすほしいまゝ 久女
昭和6年、福岡と大分の県境、英彦山に詣で詠んだ句。久女の最高傑作として認知されています。「谺(こだま)」という広さをイメージさせる空間とホトトギスの繰り返す反響音、それらのすべてが自分の欲するままにあるという内容。新聞社主催の「日本新名勝俳句」コンテストで金賞の帝国風景院賞を受賞しました。
その前年、虚子は自分の次女である星野立子に、女性を対象とした「玉藻」を主宰させました。立子の俳人としての力量は評価されていたものの、久女には虚子の身内贔屓のように映ったかもしれません。
久女は昭和7年3月、九州の地で自ら「花衣」を創刊し、積極果敢に女流俳人の中心に身を置こうとしました。しかし、「花衣」の評判は上々だったのにもかかわらず、わずか半年、第5号で唐突に廃刊となります。「玉藻」陣営への遠慮、女性誌に対する嫌がらせ的な評論、また宇内との家庭内のストレスなどが重なったものと考えられています。その直後に、久女は「ホトトギス」同人に推挙されました。
この頃から、久女には自分の句集刊行という夢が膨らんでいきます。当時の慣例として、句集にはその刊行を許可するというお墨付きとなる主宰の序文が必要でした。当然、俳壇の中で強大な力を持った「ホトトギス」では、帝王虚子の許可は絶対です。
久女は、ことあるごとに虚子に句集序文を書いてほしいことを願い出るようになり、再三の手紙をしたためることで、かえって虚子から疎ましい存在になるのでした。久女の俳句は、昭和8年8月号を最後に「ホトトギス」に載らなくなります。しかし、それでも虚子を崇拝する久女は、他の結社に移ることもせず虚子に手紙を書き続けるのでした。
昭和11年春から夏にかけて、虚子は長期間の欧州旅行に出発します。その間も、久女は句集を出すべく様々な伝手を頼って奔走していました。欧州から戻った虚子は、「ホトトギス」10月号で、突然、理由の説明もなく久女同人除名を発表しました。おそらく、自分がいない間に出版の話を進めていたことに激怒したものと推察されています。
春やむかしむらさきあせぬ袷見よ 久女
同人除名直後、「俳句研究」誌に発表された句。前書きに「ユダともならず」と、裏切り者ではないという思いが添えられています。在原業平が「月やあらぬ春やむかし・・・」と自分は変わりないことを詠った短歌に寄せたもので、純情を示す紫色をモチーフにしています。
虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯 久女
その1年後、「俳句研究」誌に発表された句。「ホトトギス」を離れたにも関わらず、虚子による句集序文をもらった長谷川かな女を真っ向から敵視しています。またこの時期に星野立子句集が出版されたことも、虚子に対するいら立ちが垣間見えます。
昭和13年に数句が久しぶりに「ホトトギス」に掲載されましたが、昭和14年、「俳句研究」に「プラタナスと苺」と題する四十二句を発表したのを最後に、久女は俳句を作ることも完全に止めてしまったようです。しかし、これまでの自作句の中から千数百句を選び、注釈などもつけた清書原稿を長女の石昌子に託します。
同人除名以後、抜け殻になったのような久女は、昭和20年秋、大宰府の県立筑紫保養院に入院。翌年1月21日、55歳で亡くなりました。死後、虚子が久女から届いたたくさんの手紙を「国子の手紙」と題して、ほぼ誰の事かわかるような小説として発表し、その中でことさら国子が精神異常者であると強調したことで、久女死後も不当な評価が続くことになります。
しかし、昭和62年の田辺聖子の実録小説「花ごろもぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女」以後、各方面から少しずつ修正され現在では、大正から昭和初期の「ホトトギス」女流俳句拡大の立役者として久女の正当な評価が復権したと言えます。
2022年10月10日月曜日
俳句の鑑賞 26 高野素十
高野素十(たかのすじゅう)は、本名、与巳(よしみ)、明治26年(1893年)3月3日、茨城県北相馬郡山王村(現取手市神住)に農家の長男として生まれました。水原秋櫻子と同級の医師であり、俳句では「ホトトギス」でのライバル。終生、高濱虚子の提唱する客観写生を貫いたと言われています。
秋櫻子と同じくして、旧制一高から東京大学医学部に進学。卒業後は同期の秋櫻子と同じ血清化学教室に在籍し、秋櫻子の勧めにより大正12年から俳句を始め、同年に「ホトトギス」への初投句で入選をはたし、みるみる頭角を現しました。
しばらく医学に専念していましたが、秋櫻子の「ホトトギス」離脱の翌年の昭和7年に、新潟医科大学(現新潟大学医学部)法医学助教授となり句作も再開しました。ドイツ留学を経て、昭和10年に教授に昇進しています。戦後は、第6代学長を務めた後、定年により奈良県立医科大学法医学教授として昭和35年まで務めました。
実は医学者としての業績はあまり無く、いろいろと揶揄されることが多かったようですが、研究業績よりも後進を育成することに力を入れていたようです。酒好きの豪放な性格で、自然と人が集まって来るような人物と言われています。
虚子からは「純客観写生」と高く評価されるものの、句集は自ら出したものは無く、生前のものは仲間が素十に代わって編纂していました。切れ字を使うことが少なく、名詞による体言止めと言われる手法の俳句が多いのが特徴となっています。
秋櫻子と対極にあるように評されることもありますが、山本健吉は「秋櫻子のように印象の新によらず、素十氏の句はひたすら凝視の厳によって立っている」とし、「昭和俳句の巨匠」と位置付けています。
同じ医師で傑出した俳人という共通点があるものの、秋櫻子と素十の違いがどこから来たのかは興味深いところです。秋櫻子は、都会出身で比較的突き詰めるタイプ。医師としては産婦人科という、新しい生命の誕生に関わってきました。一方、素十は、農家出身で細かいことは気にしないタイプであり、法医学という死人とのみ向き合っていく医学を専門にしました。
秋櫻子が新しい俳句の誕生を目指したに対して、素十はすでに存在している俳句の世界を突き詰めていくことに徹したのは、元来の性格と共にそれぞれが専門にした医学の分野との関係もありそうな気がします。
方丈の大庇より春の蝶 素十
ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 素十
甘草の芽のとびとびのひとならび 素十
くもの糸ひとすぢよぎる百合の前 素十
翅わつててんたう虫の飛びいづる 素十
食べてゐる牛の口より蓼の花 素十
いずれも、素十の代表句としてしばしば登場するものです。「方丈」は四畳半より少し広いくらいの寺によくある居室のことで、その大きな庇(ひさし)から蝶が飛び立つ様子。カブトムシに糸を結わいて遊ぶというのはよくありますが、その糸がぴーんと張っている様子などが、まさに写生画のように精緻に描かれます。
注意を惹く物を見つけると、じっと観察します。そして、対象が動いていったり、自ら視点を動かすことで、句の中にダイナミックな映像が浮き出てくるところが特徴的で面白いところだと感じます。しかし、その奥に凝視している作者の心情も透けてくるところが、まさに「俳句」ということでしょうか。
2022年10月9日日曜日
俳句の鑑賞 25 水原秋櫻子
水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)は、大正年間にすでに「髙濵王国」と化した「ホトトギス」の中から、反旗を翻し、かつ成功した最初の俳人として記憶されます。
本名は水原豊、明治25年(1892年)10月9日、産婦人科病院の長男として東京神田で生まれました。後を継いで医師になるべく、旧制一高を経て大正3年(1914年)に東京大学医学部に進学、「ホトトギス」を購読するようになります。
大正8年、血清化学教室に後に俳句のライバルとなる高野素十と共に入局。同じ教室には、古畑種基(日本の法医学の権威)がいました。先輩の緒方益雄に誘われ句会に出るようになると、「ホトトギス」に投句を始め、大正10年4月に初入選をきっかけに入会、6月に高濱虚子と対面しました。
この時期、以前より興味があった短歌も積極的に勉強していたことが、秋櫻子の句風に生きていることは間違いないようです。大正11年、仲間と東大俳句会を設立し、大正13年、「ホトトギス」系の「破魔弓」の選者となりどんどん活躍の幅を広げていきました。
昭和3年、秋櫻子の意見によって「破魔弓」は「馬酔木」と改称されます。また、この年、昭和医学専門学校(現昭和大学医学部)、産婦人科学教授に就任。この頃から、秋櫻子は虚子の提唱する客観写生による有季定型に飽き足らない物を感じるようになるのです。
「ホトトギス」に発表した「筑波山縁起」は全体で大きな主観的イメージを想起させる連作という方法が取られ、虚子との関係に亀裂が入り始めます。これに対して虚子は「叙情的な調べによって理想美を追求する秋桜子の主観写生と、高野素十の純客観写生の表現とを並べ後者をより高く評価する」と公表しています。
決定的だったのは、昭和5年の第1句集「葛飾」の発行でした。当時、句集を出すには本編と同じか、またはそれ以上に序文が重視されていました。当然、俳句界のトップ「ホトトギス」系では「帝王」虚子が序文を寄せることが、句集を出すための必須条件であったにもかかわらず、秋櫻子はあえて自ら書いた「自然を愛でると同時に自らの心情も重視する」という序文を載せたのです。
馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ 秋櫻子
蟇泣いて唐招提寺春いずこ 秋櫻子
葛飾や浮葉のしるきひとの門 秋櫻子
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 秋櫻子
これらの「葛飾」の句は、いずれも直接的な作者の主観は書かれていませんが、擬人化を多用して詩情豊かに思いが溢れている仕上がりになっています。典型的な客観写生が、無味乾燥にように感じられるのも理解できなくはありません。
昭和6年、秋櫻子は「ホトトギス」誌上に「自然の真と文芸上の真」を発表し、「ホトトギス」と完全に決別します。秋櫻子の主戦場となった「馬酔木」は、多くの賛同者が集まり勢力を急速に拡大し、ついに「ホトトギス」帝国の牙城の一端を崩すことに成功したのです。
主宰や選者が選んだものだけが発表できる慣例と違い「馬酔木」は自選欄を設け、秋櫻子も自著により積極的に「新しい」俳句理論を展開しました。
白樺を幽かに霧のゆく音か 秋櫻子
風雲の秩父の柿は皆尖る 秋櫻子
天使魚もいさかひすなりさびしくて 秋櫻子
「ホトトギス」離脱後の時期の句。瞑想的風景描写、擬人化を含めた積極的な主観内包が見て取れ、より作者の芸術的な心情が伝わりやすくなっているようです。これらは、現代に至る近代俳句の一つの主流として定着したものと思います。
戦後も「馬酔木」を中心に活動し、昭和56年7月17日、自宅で心不全により亡くなるまで俳壇をけん引する精力的な大きな力となり続けました。最後の第21句集「うたげ」から、絶詠となった句を最後に紹介します。
紫陽花や水辺の夕餉早きかな 秋櫻子
「餉(しょう)」は旅人や田畑で働く人の弁当の意味。おそらく葛飾の川べりで、紫陽花の咲く様子を見ながら夕飯としては早めの弁当を食べている情景を詠っているもの。印象派絵画のような俳句です。
評論家、山本健吉は「子規から虚子に至る写実の道をさらに発展させて、俳句の上に洗練された都会の感覚をうち出したのが秋櫻子である・・・(中略)・・・秋櫻子がもたらしたものは感性の解放なのだ」と述べています。
2022年10月8日土曜日
自宅居酒屋 #49 大葉巻き鶏ささみ
久しぶりの自宅居酒屋シリーズです!!
今回のメニューは鶏ささみ。焼いて大葉で巻いちゃいました。
焼き鳥のお品書きにも同様の物がありますので、この組み合わせはずれようがない。
美味しく食べるため、ちょっとしたコツはあります。最初から大葉を巻いてしまうと焦げてボロボロになってしまうので、半分ささみを焼いてから巻くというところがポイント。
まずは味付け。ささみ8本に対して、ビニール袋に塩小さじ1/2くらい、そして砂糖も小さじ1/2くらい入れて少量の水で溶かします。ここにささみを入れて、ギュっと口を縛ったら30分くらい置いておきます。
フライパンは、焦げ付かないコーティングされているなら油はいりません。ささみを並べて焼くだけですが、片面にしっかりと火が通ったらひっくり返した時に焼けた面を中心に大葉を巻きます。
普通サイズの大葉なら、ぐるっと一周はできません。それでいいんです。焼けてない半面に火が通るころには、大葉もしなっとなってぴったり張り付いた感じになっています。
めっちゃ、旨い。ささみだと、脂分も無いので罪悪感がありません。お酒が進むこと請合います。
2022年10月7日金曜日
俳句の勉強 49 クリスマスで苦心
おいおい、もうクリスマスかとお思いでしょうが、あらかじめ発表されている俳句の兼題は、募集されてから1~2か月先に選が発表されますのでしょうがない。
さて、「クリスマス」という季語は、仲冬の行事として位置づけられています。当然、クリスマスはキリスト教のイベントで、12月25日のイエス・キリストの誕生日のこと。基本的に、この日は静かに祈りを捧げる日であって、喜びを表すのは前日の夜、つまり12月24日のクリスマス・イブです。
傍題としてはそのものを言い換えた「降誕祭」、「聖誕祭」、「聖夜」はもとより、「聖樹(クリスマス・ツリー)」、「聖菓(クリスマス・ケーキ)」、「クリスマス・カード」、「クリスマス・キャロル」なども使われます。
それにしても、クリスマスというのも、キリスト教徒でないと関わり方は皆同じで、そこから想像できることと言えば百人が百人同じものに偏りそうです。
なんと、正岡子規にもいくつか見つかります。子規の時代は、今ほどのイベント性は無かったことでしょうから、キリスト教の家のおごそかな祈りの情景が見えて来そうです。
八人の子供むつましクリスマス 正岡子規
子供がちにクリスマスの人集ひけり 正岡子規
ロンドン滞在中の夏目漱石が、子規に送ったクリスマス・カードに添えられた一句もあります。
柊を幸多かれと飾りけり 夏目漱石
現代人代表として一句。
犬の脚人間の脚クリスマス 神野紗希
犬と人間が歩調を合わせて散歩している図でしょうか。何となく軽やかなリズムが感じられます。おそらく作者は、鈴の音と伴に鹿とサンタクロースがやって来るイメージを重ねているのでしょう。
クリスマスと来れば雪。そし恋人たち。そんなロマンあふれる経験が無いので、どちらかというと、サンタクロース、プレゼント、ケーキ、御馳走といった現実的なことばかりを想像してしまいます。
薄目開けサンタを知るやクリスマス
イブの夜は、こどもが寝たのを確認して、そっと枕元に用意しておいたプレゼントを置くという経験は、親なら誰しもしていると思いますが、こどもたちはいつのまにかプレゼントをくれていたのがサンタさんではないことを知ります。もしかしたら、薄めを開けて寝たふりをしていたのかもしれません。
髭達磨白に塗り替えクリスマス
サンタクロースと言えば、でっぷりとした体格で真っ赤な服と帽子を着て長く伸びた白い髭というのがお決まりのいで立ち。でも、ある時はたと気が付いた。そこらに飾ってある赤い達磨の人形が何か雰囲気がサンタさんに似ています。黒く書かれた髭を白く塗り直せば、和風サンタになるかもしれません。
今年からケーキ二切れ聖夜かな
こどもたちがいると、にぎやかなイブの晩餐があって、大きなホールのケーキを用意したりしたものです。こどもたちが巣立ってしまうと、いつもの夕食と変わりありません。せめて、コンビニで小さなケーキを二つ用意するくらいで終わってしまいます。
2022年10月6日木曜日
うにのようなビヨンドとうふ
テレビの人気バラエティの「家事ヤロウ!!!」で紹介された一品。
高価なウニの風味を手軽に楽しめる豆腐です。
レギュラー出演者の一人が、「もどき系でトップクラス」と絶賛したせいなのか、急にスーパーで見かけるようになりました。
地上波テレビの凋落と言っても、やはり全国ネットの放送の力はバカにできないようです。
早速、買ってみました。食べてみました。
結論・・・まぁ、もう、いいかな・・・という感じ。
見た目はプリン。食感もプリンです。豆腐としては、全体のまとまりは弱めかなという印象。
肝腎の味は、確かにウニの味がするんですが、それほど強くはありません。人によっては、多少の生臭さを感じるかもしれない。
もちろん、不味くはない。ないけど、めちゃめちゃ旨いかというと・・・という感じ。
好みは人それぞれですから、はまる人はいるとは思いますが、豆腐は普通に冷ややっこに醤油と生姜で食べるのが一番だと思います。
2022年10月5日水曜日
俳句の勉強 48 月百句 #75~#86
旧暦と呼ぶのは 、明治42年(1909年)まで使われた陰暦のことで、月の満ち欠けをもとにしたもの。現在まで使われている新暦は太陽の運行をもとにした太陽暦なので、一か月につき数日のずれが生じるため、なかなかこんがらがりやすい。
ただ、和暦での月の表現は、単純に数字表記と共に旧暦の漢名表記の異称が今でも使われることがあります。数字で呼ぶより意味深く文学的な雰囲気が漂うので、俳句ではしばしば季語として登場します。天体としての月を直接テーマにしているわけではありませんが、そこから派生した言葉なのでこれらも詠んでおきたいと思います。
#75 今年こそ百万遍の睦月かな
新年(初春)、1月は睦月(むつき)。新年を祝うために、親族が集る「睦び月」ということから。正月になると、今年の目標とかを掲げることがよくありますが、まぁ、だいたい毎年念仏のように同じことを唱えることが多いですね。
#76 如月の路端を進むじゃりじゃりと
仲春、2月は如月(きさらぎ)です。読みに「つき」が入らないのが不思議ですが、寒いので「衣を更に着る月」から来ているという説があります。現在では一番寒い頃で、霜柱がたくさんあったりすると、思わず踏んでみたくなるというものです。
#77 上着着て脱いでまた着て弥生かな
晩春、3月は弥生(やよい)です。「月」も無ければ、読みに「つき」も無い。「草木がいよいよ生い茂る月」から「いや(いよいよ)おい(生い茂る)」となって、さらに省略されたと考えられています。三寒四温と言い、温かく成ったり寒くなったりを繰り返し、本格的な春が近づいてきます。
#78 空青し緑広がり卯月なり
初夏、4月は卯月(うげつ)です。卯の花が咲く頃だからと一般に言われています。もう、何のひねりもない平凡以下のやっつけ仕事みたいな句ですみません。
#79 皐月晴れ雨の合間の野良仕事
仲夏、5月は皐月(さつき)です。皐月が咲く頃だからと思ったら、この頃に咲くから皐月でした。皐月の由来は田植えをする頃なので「早苗月(さなえつき)」が短くなったから。そろそろ梅雨入りも間近となり、農作業のタイミングも空模様とにらめっこになります。
#80 水無月と言えど雲には大嵐
晩夏、6月は水無月(みなづき)です。梅雨明けとなり水が少ないということか、「無」は単に「の」という意味だとして田んぼに水をひくことを意味しているともいわれます。いずれにしても、現代では梅雨の真っ最中ですけどね。
#81 文月の屑屋の秤五円玉
初秋、7月は文月(ふみづき)で、七夕の短冊に文字を書くことに由来するようですが定かではありません。こどものころに夏休みに入って、屑屋さんが回ってくると新聞紙の束を持っていきました。屑屋のおじさんは鯨秤で重さを測って、「はい、五円ね」といってくれたのがお小遣いになったものです。
#82 平泳ぎできて三級葉月かな
仲秋、8月は葉月(はづき)です。木々から葉が落ちる頃という意味。夏休みは小学校で水泳教室がありました。25mプールで、泳ぎ切れれば3級というのができて嬉しかった記憶があります。
#83 長月の席替え静か黒い顔
晩秋、9月は長月(ながつき)です。秋の夜は長くなってきます。9月というと、2学期の始まりで、学校には真っ黒に日焼けしたともだちが戻ってきますが、恒例の席替えがあるので皆神妙な顔つきになっていました。
#84 神無月ラッシュアワーの出雲かな
初冬、10月は神無月(かんなづき)。全国の八百万の神々が出雲に集うため、神がいなくなってしまう月ですが、逆に出雲では神がたくさんいて「神有月」という言い方もします。大社に八百万も集まったら、神々もさぞかし身動きできないことでしょう。
#85 霜月や外苑にまじる黄蘗かな
仲冬、11月は霜月(しもづき)です。霜が降りる頃ということ。黄蘗(きはだ)というのは渋めの黄色で、有名な神宮外苑の銀杏並木は、少しだけ黄色のところが見え始める程度。期待して出かけても、まだまだという感じです。
#86 急がない先生もいる師走かな
晩冬、12月は師走(しわす)です。先生も走り回るくらい忙しいから師走・・・と言ったのは、もう過去の風物ですね。昔は掛け取りが年内にお金を回収して回り、払えない人は夜逃げしたなんて話がありました。
由来は様々で、地域によっても違ったりしますが、代表的な物だけ紹介しました。それにしても、もう、だいぶいい加減な句ばかりで、人に見せれるようなもんじゃありませんが、とにかく百句作ると宣言したからには、証拠として提示せざるをえない。本当に申し訳ないです!!
2022年10月4日火曜日
俳句の勉強 47 写真俳句
夏井いつき氏が詳しく解説していましたが、「写真俳句」は「写真と共に鑑賞する」ための俳句です。つまり、写真を見て誰もが感じるところは省略可能で、ある意味写真を季語のような扱い方が出来るということ。写真に直接添えられるキャッチコピーと言えばわかりやすい。
例えば桜の写真を見て一句となると、「桜咲く・・・」とか「桜散る・・・」みたいなフレーズが俳句の中に必要で、それはたいてい季語であったりすることが多くなります。句を鑑賞する人は、写真は見ていないという前提です。
ところが、桜が満開の写真に寄せる「写真俳句」ということだと、桜が満開に咲いて美しいといった部分はすでに写真から伝わっているので、たった17音の俳句に含めるのはもったいない。さらにその先に思いを馳せる句を作る必要があるということになります。
軽井沢と言えば、旧軽。旧軽と言えば、銀座通りが有名です。その中でも、ミカド珈琲は本来は日本橋に本店がある昭和23年創業の老舗喫茶店。昭和27年に夏のみの営業で旧軽に店を出しました。ジョン・レノンを始め、多くの文化人が常連となった店です。
もう何年も前、夏の観光シーズンに、まだお客さんが少ない昼前に訪れた時の写真です。いずれも晩夏の季語を使いました。まずは、この写真を見て一句。
白南風や珈琲落ちる音揺らぐ
「白南風(しらはえ)」が季語で、梅雨が明けて流れてくるゆるやかな南風のこと。静かな一時に、コーヒーをドリップする音がポタ、ポタと聞こえますが、ちょっとずつリズムが揺らいでいるなあという感じ。喫茶店でなくても、自宅でもOKという雰囲気です。
涼風を探す銀座に茶の香り
もちろん「涼風」が季語です。暑くなってきたので、涼風を求めて歩いていると、茶の香りが漂ってきたので、ちょっと休憩したいかなということ。銀座は旧軽銀座のつもりですが、当然東京の銀座でもかまいません。
では、写真俳句として作ってみたのがこちら。見る人が見ると写真は、旧軽銀座のミカド珈琲だとわかります。そこまでわからずとも、半袖の人がちょっと写っているので季節は夏。
片蔭を辿りて香る老舗哉
季語の「片蔭(かたかげ)」は、街並みの片側だけに日陰ができている様子です。旧軽銀座は、ちょうどちんな片蔭ができる街並みです。旧軽銀座を日陰の方を選んで歩いていくと、コーヒーの香りがする老舗のミカド珈琲にたどり着くよという感じで、写真に添えるお店の宣伝のつもりで考えました。
基本的に大きな違いは無いかもしれませんが、より写真の状況に合うように考えるということだと思います。写真が無いと、片蔭の街並みは想像できませんし、何が香るのかもわからない。ましてや老舗が何の店かも不明ということになります。
2022年10月3日月曜日
俳句の勉強 46 鯛焼きで苦心
鯛焼きとは・・・言わずと知れた庶民的和菓子の代表選手。今回挑戦している季語が「鯛焼き」で、冬の季語になります。
元はと言えば、明治42年創業の麻布十番にある波花屋が元祖本元らしい。となると、俳句の季語として誰が最初に使ったのか気になるところですが、少なくとも大正時代になってからでしょうし、歳時記に収載されるようになったのは昭和からかもしれません。
ただ、あまり浪漫がある言葉ではありませんし、類想・類句を大量生産しやすい季語のように思います。まずは歳時記で名句を鑑賞します。
前へ進む眼して鯛焼三尾並ぶ 中村草田男
何で三尾なんだろうか。友人二人と分けて、三人で食べるということでしょうか。
鯛焼きの鰭よく焦げて目出度さよ 水原秋櫻子
鯛焼きには本当の鰭はありませんが、祝い事によく使われる鯛の姿焼きのイメージをかさねたんでしょうか。
鯛焼きの頭は君にわれは尾を 飯島晴子
普通は頭の方にあんこが詰まっています。尾まで餡があると凄い事のように喜ばれますが、実際は餡ある部分とない部分で味わいの違いを楽しむというのが本来らしい。
鯛焼きと弓張月と感じ合ふ 藤田湘子
弓張月は半月のことなので、まさに見た目が似ていて想像したんでしょうね。どれも名人と呼ばれる俳人の句なんですが、まぁ確かにそうですよねとしか言いようがないと言ったら怒られますかね。もっとも、それ以上につまらない句しか思いつかないので、頭が上がらないわけですが・・・
鯛焼を割って立つ湯気冬の暮
もうそのまま、見たまま、誰もが思いつく典型的な内容です。鯛焼きと冬で季重なりです。
鯛焼をこだわらないと怒られた
鯛焼きならどんなんでもいいんじゃないの、どうせ美味しいんだからと開き直り。
塩水に逃げた鯛焼き溶ける哉
毎日、毎日、僕らは鉄板で・・・こんな歌も思い出したりして、海に逃げたら溶けちゃいますよね。もう、ひどすぎてダメだ、こりゃ。
冬夕焼鯛尾の餡にほくほくし
唯一、ちっとはまともかなと思うのがこれ。「冬夕焼(ふゆゆやけ)」が季語になるので、鯛焼きと直接書かずに「鯛尾の餡」と弱めた表現を使いました。
結局、名人の句はそれなりに名句なのだと再確認することになったということです。
2022年10月2日日曜日
冷凍ラーメン自販機
最近、コロナの影響で家で食べる機会が増えたというところを狙って、いろいろな自販機が話題になります。ラーメンもその一つ。本格的なお店の味を家で楽しめるとあって、そこそこ人気らしい。
何と、センター南にもありました。それも駅のすぐ近くです。
横浜家系塩ラーメン
黄金つけ麺
極み鶏ラーメン
横浜家系醤油ラーメン
メニューは4種類で、どれも1食750円ですが、毎月1日と15日は600円と安くなっているようです。
ちょっと、買ってみたいような気はしますが、近くにラーメン屋さんが無いわけじゃないしね・・・
以前よりは外食も気兼ねが無くなりましたしね・・・・
安いとは思いもすけどね・・・
誰か試した方、感想を教えてほしいものです。
2022年10月1日土曜日
俳句の勉強 45 活用形のいろいろ
すべての単語は、10種類の品詞のどれかに分類されるわけですが、その中で文脈の中で語尾変化する場合を活用と言い、活用形を持つ品詞は用言と呼ばれる動詞、形容詞、形容動詞、そして付属語の助動詞の4つです。これらをまとめて活用語とも呼びます。
さて、活用形は基本的に6つのパターンがあって、それが未然形、連用形、終止形、連体形、已然形(口語だと仮定形)、命令形です。あー、何か、何十年も前に居眠りしながら聞いたような気がします。
口語で五段活用するもの中には、文語では四段活用の他に、ラ行変格活用、ナ行変格活用、下一段活用というものも出てきます。
動詞「有り」はラ行変格活用で、「有らず・有りて・有り・有る・有れば・有れ」となり「らりりるれれ」です。他に「居(を)り」、「侍(はべ)り」、「いますがり」の四語です。
動詞「死ぬ」はナ行変格活用で、「死なず・死にて・死ぬ・死ぬる・死ぬれば・死ね」となり「なにぬぬぬね」となる。他は「往ぬ(去ぬ)」だけ。
下一段活用は口語にもありますが、文語では動詞「蹴る」だけで、「蹴ず・蹴けり・蹴る・蹴ること・蹴れども・蹴よ」で、「けけけけけけ」です。
口語の下一段活用は、文語だと下二段活用です。動詞「消ゆ」は「消えず・消えけり・消ゆ・消ゆること・消ゆれども・消えよ」で「ええゆゆゆえ」です。
口語の上一段活用になるのは、文語では上一段活用と上に段活用に分かれます。上一段活用は、動詞「見る」の場合は、「見ず・見けり・見る・見ること・見れども・見ろ」で、「みみみみみみ」です。上二段活用は、動詞「消ゆ」なら、「消えず・消えけり・消ゆ・消ゆること・消ゆれども・消えよ」となって「ええゆゆゆえ」です。
あと少しですから、我慢してください。口語でも文語でも、動詞「来る」だけはカ行変格活用になります。「来ず・来けり・来・来ること・来れども・来(来よ)」となって、「こきくくくこ」です。口語なら「来ない・来ます・来る・来ること・来れば・来い」ですよね。
最後にサ行変格活用となるのが、動詞「す」と「おはす」の二つで、「す」は「せず・しせり・す・すること・すれど・せよ」となり「せしすすすせ」です。
俳句をすべて現代語だけで作っているなら、たぶんそんなに文法を意識しなくても困ることはあまりないと思いますが、そもそも「切れ字」として多用する「や、かな、けり」がいずれも歴史的な言葉ですから、文語調にならざるをえません。
また、文語体の方が、一文字に込められる意味に多様性があるため、数少ない文字数で多くの内容を含めたい俳句では利用したくなる機会が多くなるのも必然。ただし、雰囲気だけで文語を用いてしまうと、気が付かないうちに間違った活用をしていることは大いにある話なので、十分に注意しないと恥ずかしいことになりかねません。
紅梅のしだれし枝や鳥も来ず 正岡子規
遅桜見に来る人はなかりけり 正岡子規
根岸にて梅なき宿と尋ね来よ 正岡子規
「来ず」は「来ない」ということで未然形。「来る」は「人」にかかっているので連体形とわかりやすい。「来よ」は文末で、「尋ねて来なさい」という命令形です。そんなことは判別できなくても困らないと思うかもしれませんが、じゃあこれはどうでしょうか。
おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼
「来る」は「くる」と読むのか「こる」と読むのか。実はこれはカ行変格活用の「来る」ではなく、ラ行四段活用の「きたる」の終止形です。衣替えをして、肌の露出が増えた女性たちに圧倒されている作者が見えてきます。













