2023年10月20日金曜日

ダイナー Diner (209)

そもそも藤原竜也って何者か?


1982年生まれ、今年で41歳。名前が似ているので藤竜也の息子と思っている人もいるかもしれませんが、全くの他人。藤竜也は横浜出身で本名は伊藤龍也。藤原竜也は埼玉県出身で、本名が藤原竜也だから、こればっかりはしょうがない。

1997年、わずか15歳で蜷川幸雄のオーディションで見いだされ主演。以後、厳しいことで有名な蜷川幸雄に舞台で鍛えられつつ、テレビ・映画で活躍する演技派の俳優として現在高く評価されています。

これは、平山夢明の小説「ダイナー」を原作として、蜷川幸雄の娘の蜷川実花が監督した映画。まさに実花ワールド全開の天然色バイオレンス世界観が爆発します。その中で、まさに藤原竜也節とも言える、演劇的セリフ回しがさく裂しています。

ストーリーはちょっと難解。そこに蜷川実花のこだわりぬいた演出が絡むので、さらに複雑な様相をていしてきます。好きな人にはたまらんというところですが、見る人を選ぶ作品であることは間違いなさそうです。

闇の世界を牛耳っていたデルモニコ(蜷川幸雄、もっとも故人なので回想シーンでは井出らっきょが演じます)は、凄腕の殺し屋だったボンベロ(藤原竜也)の料理の腕を見込んで、殺し屋専用のレストラン、ダイナーを任せました。

デルモニコは1年前に自動車事故で死にました。彼の配下にはマテバ(小栗旬)、マリア(土屋アンナ)、ブレイズ(真矢みき)、そしてコティ(奥田英二)という四天王がいて、お互いデルモニコを殺し組織を乗っ取ろうとしてのではないかと疑心暗鬼。

自分が世界中から必要とされていないと悩むオオバカナコ(玉城ティナ)は、たまたま応募したバイトが裏社会の仕事で、殺される代わりにダイナーのウエイトレスをすることになってしまいます。ボンベロは、砂糖の一粒までも俺の言うことをきくこの場所では絶対服従だと言います。

マテバの部下のスキン(窪田正孝)、成長を抑制されたキッド(本郷奏多)、狂気をまき散らすブロ(武田真治)などのかなり変わり種の殺し屋が出入りする店で、カナコはこの不思議な人々と接しているうちに少しずつ自分と向き合うようになっていきます。

デルモニコの一周忌の食事会を開くことになりますが、マテバは直前に殺されてしまう。マリア、ブレイズ、コフィの三人が来店し食事を始めますが、ついにデルモニコを死に追いやった真相が明らかになり、レストランは修羅場と化すのでした。

まずこの映画の評判は、一般的にはあまりよろしくない。これは映像の美しさへのこだわりがものすごいのに対して、登場人物描写がほとんど無いことで、映画としての深みが感じられないということだと思います。

ある意味、監督の自己満足に終始して、ついてこれない奴は置き去りでしょうがないと言わんばかり開き直りみたいなところ。小栗旬は一場面の登場で、次のシーンでは土左衛門になっているくらいで、他にも有名どころがたくさん出演していますが、みんなほとんど右から左に消えていく感じでよくわかりません。

ほとんどの映画では原作のすべてを詰め込むことができないわけですから、ここでは心情を深堀するのはカナコだけに限定して、あとはある程度ボンベロのことだけ理解してくれれば良しとするということだと思います。高圧的なボンベロが発する言葉はまさに芝居じみていて、まるで藤原竜也の舞台を見るようですが、これも意図的なものと感じます。

玉城ティナはそうそうたる俳優陣の中では、かなり演技力としては見劣りしますが、あえて素人的な普通っぽさを求められてのキャスティングだと思えば、必ずしも失敗とはいえません。終盤のカナコのボンベロとの対峙シーンでは、そこそこ頑張っているように思いました。

最終的には、自分としてはやはり蜷川実花ワールドはあまり好みではありませんので、ちょっと映画に入り込めなかったというのが正直な感想。原作を知らないので、改変部分に対して不満は特にありませんが、極彩色の美しさに偏らず、もっとフィルム・ノワールに徹した落ち着いた雰囲気があってもよかったというところでしょうか。