2021年8月17日火曜日

ローラーとバイオリン (1960)

SF映画の系譜は、ほぼ「メトロポリス(1927年、フリッツ・ラング監督)」に始まり、「2001年宇宙の旅(1968年、スタンリー・キューブリック監督)」にて頂点に達するという評価は不動のものになっています。

ランキングはいろいろなところから出されていますが。主観的な評価を元にしているので多少の変動はあってもそんなに違うものではありません。社会派の人間ドラマともなれば、ランキング上位の名だたる名作を押しのけて新作が入り込むことはなかなか難しい。

ただし、SF映画の面白いところは、社会の変化、技術革新、そして映画製作手法の変化によって新しい物でもランキング上位に食い込むことが比較的容易な点にあります。昔なら考えもしなかったテーマが見つかると、かなりの高評価を得ることはしばしばある。

とは言っても、不朽の名作という名声に輝く作品はいくつかあって、「惑星ソラリス」というタイトルもランキングから外れることがありません。この映画は、あらすじだけ読むと宇宙物としては善悪の対決のような話ではなく、旧ソビエト連邦製ということもあって、あまり面白くはないだろうと勝手に決めつけて、実はずっと未見のまま放置していました。

最近、あらためて映像作家としての映画監督に注目してタイトルを探していて、「サクリファイス」という映画に行き当たり、その監督が「惑星ソラリス」のアンドレイ・タルコフスキーだと知りました。また、SF映画のランキングでも「ストーカー」というタイトルを必ずと言っていいほど目にしますが、これもタルコフスキーの監督作品。

タルコフスキーのことをいろいろネット検索していくと、只者では無いことが今更のようにわかり、これは一つ、全作品をしっかり見てみようという気になりました。

アンドレイ・タルコフスキーは、1932年4月4日、旧ソビエト連邦(現ロシア、イヴァノヴォ州)生まれ。父親はウクライナの著名な詩人であったアルセニー・タルコフスキーで、アンドレイが幼い頃に出ていったため、アンドレイはほぼ貧しい母子家庭で育ちました。

当時のソビエトに多かったアメリカかぶれの不良に育ちますが、1954年に奇跡的に国立映画大学に入学し頭角を現します。3年生で仲間と共同で制作したヘミングウェイ原作の短編「殺人者」は、ネットで英語字幕付きで視聴可能です。

1960年、アルベール・ラモリス監督のフランス短編映画「赤い風船」をヒントに、卒業制作として作られた短編「ローラーとバイオリン」がニューヨーク国際学生映画コンクールで優勝し、ソビエトの新鋭として西側にも認知されました。この45分程度の処女作で、若さ故のとんがった感性だけではない、タルコフスキーの映像作家としての卓越した才能を感じ取ることかできます。

ストーリーは単純で、5歳からバイオリンを習っている7歳のサーシャは、近所の悪ガキ共から「音楽家」とからかわれています。整地作業でローラーを操作する若者セルゲイと仲良くなりバイオリンを弾いて聞かせ、一緒に映画を見に行く約束をします。しかし、母親はサーシャが映画館に行くことを許さず、サーシャは幻想の中でセルゲイの運転するローラーに追いついて乗せてもらうのでした、というもの。

タルコフスキー初心者でも、見ていて注意を最初にひかれるのは、サーシャが町のショーウィンドウに飾ってある鏡を見つめる時の万華鏡のような光景です。町の日常的な出来事ですが、サーシャの感受性の高さや、仲間外れにされている疎外感のようなものが見て取れます。続いて面白いのは、水の使い方。道路の水たまりに反射する光景や、水滴が落ちて波紋が広がる様子は繰り返し使われていて、鏡より一層幻想的な雰囲気を醸し出しているようです。

セルゲイは労働者であり、仲間の女性からからかわれるようなことがあっても、冷静に受け流す大人です。実は、女性の高飛車な態度は好意を持っていることの裏返しの表現であり、サーシャがセルゲイにバイオリンを聞かせようとすると、小石を投げて水たまりに波紋ができる。サーシャとセルゲイが仲良くしていることが、彼女を嫉妬させたことが表現されています。

冒頭では、バイオリンのレッスンの順番を待っているサーシャは、隣の女の子に持っていたリンゴをあげますが、サーシャがレッスンの部屋に入ると女の子はサーシャが座っていた椅子にリンゴを戻します。サーシャはレッスンがうまくいがず、がっかりして部屋を出てくるとそのまま去っていきましたが、カメラは食べられたリンゴのアップを捉えるのです。

これらのシーンが、いかにも大人は大人らしい、こどもはこどもらしい男女の関係性が対比されることで、サーシャとセルゲイの置かれた環境や現在の生活なども端的に表現されているように思いました。

台詞に頼らず、視覚的に物語を作り上げるところは、まさに映画という土俵で映像作家として自らを確立していく第一歩であろうし、少なくともタルコフスキーはこの処女作でその点において成功した作品を残したと言えそうです。