アンドレイ・タルコフスキーがこのイコン画家の生涯に着目して映画が完成したのは1966年ですが、当初の予算も途中で大幅に削減されたとはいえ、約3時間25分の大作でした。そこからモス・フィルム(国営)のスタジオ審査があり、続いてソビエト連邦国家による検閲により、非愛国的として多くのダメ出しがなされました。
そのため国内よりも海外で先に高い評価を受け、1969年のカンヌ映画祭で国際映画批評家賞を受賞。タルコフスキーは検閲の要請に屈し、1971年にやっと編集し直された186分版として国内で公開が許可されました。
10世紀の末にキリスト教(東方正教会)を国教と定め、ルブリョフが生きた時代のロシアは、東側のモンゴル(チンギス・ハンのこどもの時代)との間で政治的な軋轢があり、しだいにロシア帝国の前身ともいえるモスクワ大公国を形成していった時代。当然、ルブリョフについて詳細な記録が残されているわけではありません。映画は時系列に沿って細かい副題がついて分割されています。前2作と違って、ストーリーは抽象的で難解です。
第1部 プロローグ
熱気球を準備した男が、聖堂の上から空に飛び立つ。地表に見える人々を俯瞰しつつ、気球は上下してついに墜落する。その傍らで、一頭の馬が横に倒れ起き上がり去っていく。
旅芸人 1400年
アンドレイ・ルブリョフ(アナトリー・ソロニーツィン)、ダニール、キリールの3人の修道僧はイコン画家としてモスクワに向かっていました。途中、雨宿りのため通りがかりの小屋に入ると、男が貴族を笑い者にする歌と踊りを披露していました。そこへ兵士たちがやってきて男は連れ去られます。
フェオファン・グレク 1405年
3人はモスクワでの生活を始め、キリールは有名なイコン画家フェオファン・グレクの仕事場を訪れる。フェオファンはルブリョフの仲間だと知って、評判が伝わっていると言いますが、キリールは「絵はうまいが恐れの念が足りない。信仰が浅い」と話します。
キリールは助手に誘われますが、滞在している修道院に迎えに来て直接名前を指名すれば承諾すると言います。しかしやって来た使者が指名したのはルブリョフでした。ダニールは羨みますが、キリールは怒り仲間を侮辱したため修道院を追放されてしまいます。
アンドレイの苦悩 1407年
フェオファンは、「民衆は無知であり、それは自ら招いたものだ。私は神に仕え絵を描く」と言うのに対して、ルブリョフは民衆を擁護し彼らのために描くことを語ります。雪の積もった景色の中、町を抜け小高い丘の上でキリストの磔を再現する幻想シーンが続きます。
祭日 1408年
小舟で川を行くルブリョフらの一行は、休憩のため陸に上がります。そこで、裸で松明を持ち何かの儀式をしている異教徒の集団を目撃します。見つかったルブリョフは縛り付けられますが、裸の女の一人に助けられます。翌朝、異教徒狩りがあり、昨夜の女がルブリョフらの乗った船の横を泳いで逃げていくのでした。
最後の審判 1408年
大公の依頼である大聖堂の「最後の晩餐」の壁画を、暗いイメージを払拭できないルプリョフは描くことができないでいました。弟子の何人かは、そんなルブリョフに愛想をつかして出て行ってしまう。大公とその弟は反目していて、彼らは弟のところに向かったため、追いかけてきた大公の部下に目をえぐられてしまうのでした。
いまだ壁画のヒントを掴めないルブリョフが弟子に聖書を読ませていると、女の佯狂者(ようきょうしゃ、卑しい身なりだがキリストの真理を理解する聖人)が雨を避けて大聖堂に入ってきました。彼女をみたルブリョフは、ついに描きたいものがわかり喜ぶのです。
第2部 襲来 1408年
大公の弟が、タタール(モンゴル人、韃靼人)と組んで町を襲いました。彼らは残虐の限りを尽くし、大聖堂にも乱入してきます。ルブリョフは佯狂の女を助けようとして兵士を殺してしまいます。廃墟と化し死者が打ち捨てられた大聖堂の中で、ルブリョフはフェオファンの幻に、人殺しの罪を償うために筆を捨て話すことを自ら禁じますと語ります。
沈黙 1412年
ルブリョフは佯狂の女と共にモスクワの修道院に戻っていました。そこへ、ボロボロになったキリールが修道院にやってきて、聖書を15回書き写すことで許されます。タタール兵が修道院にやってきて、佯狂の女は彼らと一緒に去ってしまいます。
鐘 1423年
大公が教会に新しい鐘を寄進することになり、ボリースカは、鐘作りの名匠の亡くなった父から秘伝を伝えられてたと嘘をつきます。ボリースカは他の鐘職人からバカにされながらも、型を作るための最良の粘土を探すのです。ルブリョフは、精一杯虚勢を張って仕事をするボリースカを黙って見守ります。
キリールは、ルブリョフが筆を断ったと聞いて喜んだ時もあるが、自分は何も残せない、お前は絵を描くべきだと説得します。そして鐘が完成し、仮の鐘楼に引き上げられました。大公や大勢の客人が見守る中で、見事な鐘の音が鳴り響くのでした。倒れこんで泣きじゃくるボリースカを抱きながら。ルブリョフは沈黙の誓いを捨て、「お前は鐘を作り、私はイコンを描く。共に進もう」と言うのでした。
エピローグ
ここまでは白黒でしたが、ここからカラーとなり、ルブリョフが残した作品群を近接撮影で映し出していきます。そして最後に川辺にたたずむ4頭の馬のシーンとなり終了します。
タルコフスキーが描こうとしたのは、もちろんアンドレイ・ルブリョフという後世に名を遺す偉大なイコン画家の半生であることは間違いないのですが、単なる伝記映画を作る意図は微塵もなく、むしろルブリョフを題材にして15世紀初めのロシアの雰囲気を映像化することにありそうです。
そこにはロシアで発展を遂げた、ヨーロッパ諸国のキリスト教(カトリック、プロテスタント)と一線を画する東方正教会における信仰心が主題の一つになっています。イコンを描くための信仰に自信が無いルブリョフは、苦悩し、過ちを犯したことで罪を背負います。しかし、一途に鐘を作るボリースカらを見ているうちに、もう一度自らの信仰に自信をもてるようになっていく。
タルコフスキーは、ここでシーンを構成する要素として、水と土に重点を置いていて、時に場面転換のきっかけとして、時に時間の流れの表現として、いろいろな形で登場します。そして、会話中心のシーンでの長回しのカメラワークは、タルコフスキーの好む手法だと言うことがタルコフスキー初心者にも理解できました。ここでもカメラがゆっくり左右に動く時に、俳優が移動して空白ができないようにするところがいくつかありました。
いわゆる芸術的文芸映画の常として、一から十まで説明してはいません。見る者にある程度の忍耐を強いるところは否定できませんが、いつの間にか物語の世界に興味が湧いてきて、3時間という長い映画でも集中することができました。
テレビ用に半分にカットされた版もあるようですが、もともとの205分版も実は完全版としてメディアが手に入りますし、実はネットで視聴可能です。主として、暴力的なシーンや裸のシーンが削られているようですが、タルコフスキーは自ら186分版をもって最終版としています。