2021年8月12日木曜日

デューン/ 砂の惑星 (1984)

数々のマニアックな映画を作り「カルトの帝王」の名を欲しいままにする映画監督、デヴィッド・リンチ。監督デヴュー作の「イレイサー・ヘッド(1976)」、続く「エレファント・マン(1980)」、「ブルー・ベルベット(1986)」、「マルホランド・ドライブ(2001)」など思い出す作品は多い。またTV用に作られた「ツイン・ピークス(1990-91)」も大きな話題を呼びました。

「デューン / 砂の惑星」は、リンチのフィルモグラフィーの中で特異な存在とされています。と言うのも、そもそもリンチ自身が失敗作と認め、自分のキャリアから抹殺したいと考えているからです。なんでそうなったか一言で言うと、最終編集権が無かったためスタジオとの衝突により意図したとおりに完成できなかったから。

原作はフランク・ハーバートが1965年から1985年にかけて、全6作を執筆した「砂の惑星 (Dune)」シリーズの第1部です。そもそも超大な複雑な原作なのでリンチ自身、最低4時間必要と思っていたのに、2時間17分に収めようと言うのがそもそも無理。

これも有名な話ですが、1975年にカルトの奇才、アレハンドロ・ホドロフスキーが映画化を試みて撮影開始直前までプリプロダクションが進行したものの、上映時間10時間ではどこの映画会社も話に乗らず断念しています。

今回は映画界の神話とも呼ばれ数々のヒット作を手掛けた大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが発起人ですから、費用についての心配はありませんが、そのかわり映画内容に対する干渉はものすごい。評判が上がって来たとは言え、まだ若手と言えるリンチごときが対抗できる相手ではありません。

ストーリーをはしょりまくったため、ほとんど原作のあらすじ状態で、原作を知らない者にとっては見ても何が何だかわからない。話題性があって何かすごいんだろうとは思うけど、結局何だったのだろうと言う結果に終わる・・・からこそ、カルト好きにはたまらんという評価もあったりします。

10年後にテレビ放映するにあたり、使われなかったフィルムと説明的なシーンを加えて3時間9分にした長尺版が作られました。これにはリンチ自身はまったく関与していなくて、監督名としてクレジットされることを拒否したため、監督がアラン・スミシーとクレジットされました。アラン・スミシーは架空の人物で、ハリウッドの慣例でトラブル対策に使われるもの。

そんなわけで、この映画を原作を知らずに見るには、それなりの知識と覚悟が必要そうです。とにかくハーバートの書いた基本的な世界観を知ることから始めましょう。

時は60世紀。機械に任せて、悠々自適な生活を送っていた人類は弱体化し、機械を操る者の奴隷と化していました。機械に対して反乱(ブレトリアン・ジハード)を起こした人類は、精神力の強化・進化に迫られます。そのための訓練所は二つあり、優れた人間を産む道女を教育するベネ・ゲセリットと純粋数学の力で支配する宇宙ギルドでした。彼らにとって最も重要な物質はスパイスです。

ベネ・ゲセリックの修道女は「魔女」と呼ばれ、スパイスによって驚異的な知覚能力を身につけ、その中心人物は教母と呼ばれます。そしてクイサッツ・ハデラッハと呼ぶ人類の記憶を保持し未来を予見できる超能力者を生み出すため、長年に渡って積極的に主だった血統との婚姻を行っています。

一方の、スペースギルドは宇宙空間を捻じ曲げ、同じくスパイスの力で瞬時に惑星間を移動でき宇宙経済を牛耳っていました。ギルドの中で、特にこの特殊能力に長けたナビゲーター(航海士)は、大量のスパイス接種により異形の形に変容していました。

スパイスとはメランジと呼ばれる香料で、これを採取できるのは荒れ果てた砂漠の惑星であるアラキス星のみでした。メランジはアラキスに生息する数百メートルもある巨大な砂虫(サンドワーム)が成長過程で産出する一種の麻薬です。

メランジは、長寿の秘薬であると同時に意識を強大にする超能力に関わる物で、ベネ・ゲセリットにとってもギルドにとっても自分たちの能力を維持するために不可欠でした。メランジを制することは宇宙を支配することにつながるのです。

アラキスには時折巨大な宇宙船ですら破壊する「コリオンの嵐」が吹き荒れますが、その岩場には砂漠の民フレメンが細々と暮らしていて、メランジの自然接種により目が青く輝いています。フレメンは水を大事にし、特に砂虫から精製される「生命(いのち)の水」は、選ばれた人だけが特殊能力を覚醒できる特別な物とされています。彼らは、いつか自分たちをこの苦しい場所から救い出してくれる救世主が現れることを信じていました。

100世紀になると、カイテイン星を拠点とする皇帝シャダム4世が宇宙を封建制度により支配するようになります。皇帝の支配下の領主の二大勢力が、カラダン星のアトレイデス公爵家とギエディ・プライム星のハルコネン男爵家でした。

メランジ採掘を任されていたのは乱暴なハルコネン男爵でしたが、人望のあるアトレイデス公爵に脅威を感じていた皇帝は、公爵家の領地を水と緑が溢れるカラダンからアラキスに変更し、ハルコネン家と争わせることで全宇宙を掌握する陰謀をめぐらせるところから映画は始まります。

皇帝(ホセ・ファーラー)の陰謀を察知した宇宙ギルドは、メランジ産出への影響を危惧して皇帝にナビゲーターを派遣し説明を求めました。皇帝は力をつけてきた公爵に対し、ハルコネンを支援して倒すことを説明しますが、ナビゲーターは公爵の息子、ポール・アトレイデス(カイル・マクラクラン)を抹殺することを要求します。

公爵家の当主、レト・アトレイデス(ユルゲン・プロホノフ)とベネ・ゲセリットの道女だったジェシカ(フランチェスカ・アニス)との間に生まれたのがポールで、公爵家に仕える者たちからも認められる存在でした。

ふだん皇帝と共にいる教母モヒアム(シアン・フィリップス)は、狙われるポールを試すためにジェシカに会いに来ます。教母は女子を産めばハルコネンに嫁がせ共存できたのにとジェシカを責めますが、ポールの精神力の強さを知り彼こそがクイサッツ・ハデラッハかもしれないと考えるのでした。

公爵はアラキスに到着しますが、早々に不穏な空気が漂います。信頼していた医師のユエが男爵に寝返ったため、ジェシカとポールは砂虫の餌にするため砂漠に連れ出されます。ハルコネン男爵(ケネス・マクミラン)は、甥のフェイド(スティング)、ラバン(ポール・L・スミス)と共に公爵軍を壊滅させレトを亡き者にします。

ポールは、相手の心を操るヴォイスの術を使い敵を攪乱しジェシカと共に敵の手を逃れ、砂虫に襲われ逃げ込んだ岩山でフレメンと出会います。フレメンの中には、ポールの夢に度々出てきた少女チャニ(ショーン・ヤング)もいました。フレメンの民にも彼らの年老いた教母がいましたが、ジェシカに生命の水を飲ませることで知識を伝えて終わると息を引き取ります。そして、ジェシカはポールの妹となるアリアを早産します。

ポールはモアディブと名乗り、フレメンに戦う術を教え、何と砂虫すら乗りこなし、いつの間にかポールの目は青く輝いていました。ポールとフレメンは香料採掘場を次々に破壊し、2年間で香料生産はストップするまで追い詰めます。ギルドは、皇帝にすぐ鎮圧するように迫ります。

ある日、ポールは今まで見えていた未来が見えなくなりました。ポールは、今まで試した男はすべて命を落としているという生命の水を飲む決意をします。そして、彼はその試練を乗り越えて真のクイサッツ・ハデラッハとして覚醒するのでした。アラキス鎮圧に乗り込んだ皇帝の大軍を壊滅させ、一滴たりとも無かった雨をアラキスの地に降らせるのでした。

ということで、この文章の前半が無かったら、なんのこっちゃというストーリーなんですが、確かに映画では話が飛び飛びで、前後の続きかよくわからない。これでも、原作の第一部だけの話ですから、どんだけ長いのかということ。確かに一本の映画にまとめようというのは無謀な話で、ホドロフスキーが10時間で計画したというのはあながちホラじゃありません。ホドロフスキーは自分が断念した映画が、リンチにより完成したことを悔しがりましたが、映画を見てあまりの出来の悪さに喜んだという話。

それでも、ここに書き出した最低限の予備知識くらいがあれば、それなりに楽しめる。TV用長尺版は、カットされた部分を修復することで劇場公開版よりは格段にわかりやすい・・・のですが、だから良いというわけでもない。確かに何でそうなるのかの説明になっているところもありますが、ただ冗漫なところもあり、長くしてもわかりにくさは残ります。

すでに「スター・ウォーズ」で見事な特撮を見せられた後ですから、この映画の視覚効果についてはやや残念なところがあります。セットや衣装、各種小道具はかなり凝っていて、そちらに予算をつぎ込んだのかもしれません。

カイル・マクラクランはこの映画がデヴューですが、リンチに気に入られて次作の「ブルー・ベルベット」でも主演しました。ポールと恋仲になるチャニを演じたショーン・ヤングは「ブレード・ランナー」でブレイクした後ですが、スーリーに絡む要素はあまりなくてもったいない感じです。

異色のスティングの怪演は面白いところですが、見るべきところは最後の数分間だけ。チャニの父親役で名優マックス・フォン・シドーが出演していますが、こちらも役としての重要性が伝わらない。

レト・アトレイデスは「Uボート」で名を上げたユルゲン・プロホノフで、これはさすがに前半の大事な展開に関わっています。ただし、長尺版と比べると長めのシーンではけっこうカットされていて、劇場版だとなんでそのセリフなのかよくわからないところが目立ちます。

結局、リンチ監督の意図とは関係なくスタジオが決められた時間に収めるために、相当無理な編集をしたんだろうなというのが容易に想像できる。これじゃ、自分の映画として認めたくないという気持ちも当然だろうと思います。

そんなわけでSF映画としては高評価のランキングには登場することはありませんが、デヴィッド・リンチ監督のある意味重要な作品であり、SF小説として外すことができない題材を用いていることから、一度は見ておいた方が良い作品だと言えそうです。

これだけ苦労する原作ですが、2000年と2003年にTVミニシリーズとして約8時間全6話で制作されています。さらに今年の秋に、劇場用映画として新たなリメイク作が公開予定になっています。監督は「ブレード・ランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴで、2時間半になる予定。しかも、2部作の構想なので、続編も合わせれば4時間以上になるようなので期待できます。