2023年9月30日土曜日

京都八代目儀兵衛


セブンイレブンのおにぎりで使用する米を監修しているのが、八代目儀兵衛という京都の米屋。料亭などに納める厳選高級米を主として扱っているらしいのですが、オンラインショップがあるので、試しに買ってみました。

料理米と呼ぶシリーズがあって、どんな料理に使うかによって「和」、「洋」、「中」、おにぎり専用の「結」、雑穀が入る「健」、寿司用の「鮨」、炊き込む「煮」、丼物用の「丼」、お粥用の「粥」、玄米である「玄」、餅用の「餅」、そしておかずいらずの極上米と自ら呼ぶ「極」の12種類が並びます。

一袋に2合づつ小分けになっているので、うちのように一度にたくさん炊くことがなくなった家では使い勝手が良いと思います。

今回はスタンダードと思われる「和」と最上級の「極」をチョイスしてみました。ただし、この時期は令和4年産で、もうじき今年の新米が用意されるようです。

よくスーパーで購入するコシヒカリとか、アキタコマチとかは、1.8kg入りで1200円くらい。米は1合で150gですから、12合分で1合あたり100円。

一方、こちらの儀兵衛米「和」は、値段は370円(税込み)ですから、1合あたり185円で割高。たぶん普通の家がよく買うのは5kg(33合)入りで4000~5000円ですから、それより1000~2000円高いことになります。

今回は購入しませんでしたが、儀兵衛が扱うコシヒカリ5kg袋なら4880円、特選米ブレンド5kgだと3980円というのがあります。こちらが割高なのは小分けにした手間賃みたいなところなので、その便利さを考えれば許容できる範囲かと思います。

炊き方の冊子がついていましたが、ちょっと違うのは最初に浸水しておく時間が1時間と長めなところ。米を美味しくする最大のポイントは、しっかり水分を吸わせることらしい。

実際、炊いてみると・・・・めちゃ旨い。いつものスーパーの米が嘘みたいです・・・というのは大袈裟かもしれませんが、確かに弾力、甘みなどが明らかに格上という感じがします。ますます割高なのも納得。一番安い「和」でこれだけ美味しいなら、「極」が楽しみというものです。

2023年9月29日金曜日

セブンのおにぎり 11


日頃から何気なく手に取るセブンイレブンのおにぎりですが、こうしてネタにしてみると、けっこうな頻度で入れ替わり、新発売の新作も少なくないことがわかります。

で、今回は具なしの茶色一色みたいなおにぎりです。

この手の物は、何でも値上げのご時世ですから、お財布に優しいのが嬉しい。

右側の「天タレまぶし」は、昨シーズンもありました。シンプルな天丼の味です。細かい天かすがまざっています。

シンプルですが、この味は嫌いじゃありません。110円ですが、あと10~20円高くして、何かの天ぷらをちゃんと入れてもOKではないでしょうか。

さて、新発売は左側。「焦がし醤油の焼き飯」というもので、こちらはほぼ具らしい具は入っていません。

醤油を全体に馴染ませた焼きおにぎりなのかなと思ったら、「焼き飯」というくらいですから、ビミョーに炒飯みたいな味がします。でも、明らかな中華味というわけでもない。

悪くはないけど、「天タレまぶし」よりも10円高い120円という価格設定はなんでだろう。10円安いならわかるけど、そこがモヤモヤするところ・・・

2023年9月28日木曜日

サムライマラソン (2019)

紀元前450年・・・マラトンの戦いに勝利したアテナイのミルティアデス将軍は、エヴァンゲリオン(朗報)を兵士フィリッピデスに託し元老に知らせた。フィリッピデスは40kmを走り「我勝てり」と告げ亡くなった・・・という伝承を参考にして、1896年の第1回オリンピックにおいて長距離走競技が行われたのがマラソンの始まり。

日本では、1909年の神戸で行われた大会で初めて「マラソン」という名称が使用されました。しかし、さらに遡る1855年に、上野国安中藩で藩主板倉勝明の命により、藩士の修練のため安中城から碓氷峠を超えて熊野権現神社までの往復約30km、標高差1000mの遠足(とおあし)が行われました。これが記録に残る日本での「マラソン」の発祥とされています。

一般に「安政遠足」と呼ばれる安中の遠足を題材にして、参加した藩士たちのさまざまなエピソードを重ねて出来上がったフィクションが、土橋章宏の「幕末まらそん侍」です。この映画は、小説を映像化したもので、興味深いのは監督・脚本はイギリスのバーナード・ローズで、日本からも多くのスタッフが参加して、日本人から見ると「外人が考える変な日本」はほぼありません。

安中藩主、板倉勝明(長谷川博己)は、浦賀に黒船が来航してから日本が侵略される危機感を強く抱き、藩士を集めるように指示します。その知らせに、代々幕府間諜として安中で生活する勘定方の唐沢甚内(佐藤健)は、何か不穏な動きがあるかと即座に知らせを送ります。

しかし、勝明の用件は、士気を高め修練するため遠足大会を開催するというものでした。甚内は知らせを早まったことに気づき飛脚を追いかけますが、すでに関所を抜けた後でした。その頃、城では絵を描くことが好きで、江戸、できることならアメリカに行ってみたいと日ごろから考えている雪姫(小松奈々)が、頑固な父、勝明に抵抗して城を抜け出してしまいます。

側用人の辻村平九郎(森山未來)、健脚が自慢の足軽の上杉広之進(染谷将太)、勘定方上役の植木義邦(青木崇高)、勝明から隠居を勧められた栗田又衛門(竹中直人)などがスタート地点に並ぶ中、自分の誤報によって送り込まれる刺客を止めるため甚内、そして関所を抜けるため野武士の格好をした雪姫もいました。

途中で、実は植木も間諜であったことがわかりますが、甚内の自分のミスだという言葉に耳を貸さず、二人は斬りあいになり植木は甚内に倒されます。そして、関所で正体が露見した雪姫は取り押さえられます。そこへ幕府が派遣した隠密集団が到着し、関所役人を惨殺し領内に侵入します。雪姫は何とか逃げ出したところを甚内に助けられ、辻村らと共に隠密らと戦い倒します。隠密の頭はすでに安中城に向かったため、集まった藩士全員で全速力で城に戻るのでした。

Amazonのレヴューなどを見ると、あまり評判はよろしくない。ただし、どうも監督が外国人ということでの先入観みたいなものが働いているように思えるものが多く、あくまでも安政遠足という史実を話のきっかけにしているにすぎないフィクションと考えれば、十分に娯楽映画として完成度は高いと思います。

例えば、トム・クルーズ人気でヒットはしましたが、「ラスト・サムライ(2003)」などで描かれているのはかなり変な日本でした。それに比べると、はるかに違和感はなく映画としては許容範囲だと思います。

ただ多少強引な展開もあり、間違いの知らせを受けて調査もせずに刺客を送り込み、藩を潰そうとする幕府とか、姫が簡単に城白を抜け出し野武士のような変装したりするのはちょっと現実離れしているという指摘は間違ってはいないと思います。

まぁ、「るろうに剣心」ファンからすると、佐藤健と青木崇高のコンビが直接対決するという憎い演出もありますし、それなりに楽しめました。

2023年9月27日水曜日

引っ越し大名!  (2019)

国替えは、主として江戸幕府が行った政策の一つ。大名の領地を、そっくりほかの大名のものと交換することで、勲功による石高格上げの褒章として行われる場合と、懲罰として格下げの場合がありました。

いずれにしても、例えばトヨタ自動車が役員・社員、道具など一切合切を社屋のみ残して日産自動車と交換するようなもので、そりゃ参勤交代どころじゃない手間と経費が掛かりました。

1604に生まれた結城直基は、越前国片粕の小大名でしたが、1624年に越前国勝山藩3万石を拝領し、1626年に親藩として松平姓を許されます。1635年には越前国大野藩5万石に国替え。さらに1644年には山形藩10万石に国替えしています。

1648年には姫路藩15万石に国替えとなり、赴く途中で亡くなったため、息子の松平直矩が家督を継ぎます。しかし、直矩がまた5歳であったため、越後国村上藩に国替えし、成人した1667年にあらためて姫路に国替えしました。しかし、親族のお家騒動の調停が失敗したことにより、1682年に豊後国日田藩7万石に格下げの国替えとなりました。

その後は1686年に3万石増の出羽山形藩、さらに1692年に5万石増の陸奥国白川藩と国替えが続きもとの15万石に復帰することができました。親の代で数回、直矩自身も5回の国替えをさせられたことで、藩内の蓄財はほとんどなく、後世の人から「引っ越し大名」と呼ばれてしまいました。

この映画は、「超高速! 参勤交代」の原作・脚本者である土橋章宏による松平直矩をモデルにしたオリジナル脚本を、犬童一心が監督した作品。基本的な時系列は史実に忠実ですが、藩主直矩を除くと、他の登場人物とエピソードはフィクションです。

姫路藩主、松平直矩(及川光博)は、幕府大老として権力を欲しいままにしていた柳沢吉保にけがをさせてしまったため、8万石減の豊後国日田藩への国替えを命じられてしまいます。以前の国替えの一切を仕切る引っ越し奉行の板倉重蔵は亡くなっているため、書庫番としていつも引きこもっている片桐春之介(星野源)が、本好きで知恵物だろうと新たな引っ越し奉行に任命されます。

春之介は、たださえ引っ越しの仕方なぞわからない上に、今回は石高が半分くらいになってしまうため、予算も相当切り詰めなければならないという難題も加わります。困り果てた春之介は、板倉の娘、於蘭(高畑充希)のもとを訪ね、何か資料は残っていたら貸してほしいと頼み込みます。最初は藩の父親に対する処遇に不満を持っていた於蘭でしたが、春乃介の実直な態度を見て協力することにします。

マニュアルを手に入れた春乃介は、幼馴染の剣の腕は確かな鷹村源右衛門(高橋一生)と共に作戦を開始します。まず家臣一人一人の荷物の半分を捨てさせ、人足を雇わず自分たちで荷物を運ぶことにし、そのために藩士の体力強化も始めました。自らも大好きな本を半分以上破棄することで、藩士らも不平を言うものはいなくなりました。

そして、今回新たにしなければならない最大の難関は2000名いる藩のリストラでした。国替え先では、減石により600名を連れて行くことができないのです。ただ切り捨てては、不満分子を残すだけと考えた春之介は、リストラする藩士一人一人に「ここで百姓になって待っていて欲しい。禄高が回復した際には、必ず復権させる」と約束し頭を下げます。その夜、於蘭にもとを訪れた春之介は、於蘭の腕の中でひたすら泣き崩れるのでした。

いよいよ国替えに出発という時、父が死んで藩と関係がない於蘭は姫路に残るはずでしたが、春之介は於蘭にプロポーズして快諾されます。しかし、道中では国替えだけでは気が済まない柳沢吉保の放った隠密たちが、手ぐすねを引いて襲撃の準備をしていたのでした。

何事をするにもお金が必要なのは今も昔も変わりません。座頭市もマッサージ料を稼いで何とか生きているのだし、子連れ狼だって何か仕事をしないと大五郎を養育できない。そういう裏側を見せるとロマンが無くなるかもしれませんが、現実問題として避けては通れないわけですから、このような着眼点を持っている土橋章宏はなかなかの逸材です。

星野源の持つイメージも、知識はたくさんあってお人好し、そして他人の事ばかり考える人柄という春之介にマッチして、まさに適材適所という感じ。高畑充希も、そういう星野源の相手としてぴったりで、キャスティングのうまさが光ります。深刻な問題ですが、軽妙なユーモアに変えて楽しく見れるニューウェーブ時代劇としておすすめです。

2023年9月26日火曜日

決算!忠臣蔵 (2019)

忠臣蔵・・・元禄14年(1701年)赤穂藩主、浅間内匠頭が江戸城内において吉良上野介に対して刃傷沙汰をおこし切腹。藩はお取り潰しになり、翌年12月に大石内蔵助を含む47名の旧藩士が、吉良邸に討ち入り吉良の首を打ち取ったという史実・・・を基にした歌舞伎、人形浄瑠璃の演目であり、正式には「仮名手本忠臣蔵」と呼びます。

これはあくまでも大衆に対しての演目ですから、事実とは異なる部分も多数含まれていて、その後派生する多くの芝居、映画、ドラマなどもほとんどはこれをベースにしています。では、実際にはどういうことが起こっていたのか、それを検証するのに役に立つ重要な資料の一つとなるのが、大石内蔵助が遺した「預置候金銀請払帳」というもの

これは要するにお取り潰しになった後の、藩に残された金を討ち入り決行までどのように消費したかを克明に書き残したもので、簡単に言えば家計簿みたいなもの。この決算書によって、仇討ちにどのような準備がされたかを、東京大学教授の山本博文が解説したのが「忠臣蔵の決算書(2012)」で、これを映画化したのがこの作品。

赤穂藩は江戸では火消しとして活躍していましたが、藩主内匠頭(阿部さだお)が江戸城内で上野介に刀をあげたため切腹、藩はお取り潰しになりました。残務整理をするとほとんど金は残りませんでしたが、商家に貸し付けていた内匠頭の正室、瑤泉院(石原さとみ)の持参金などをかき集め数千両を作ることができました。

喧嘩両成敗の原則にもかかわらず吉良には何のお咎めがないことにいら立つ藩士たちでしたが、筆頭家老だった内蔵助(堤真一)は、勘定方の矢頭長助(岡村隆史)の厳しい会計管理のもと、仇討ちを望む急進派をなだめつつ御家復興の道を模索します。

しかし、金を使っていろいろな策を行うも、吉良は隠居してお咎めを逃れてしまう。また、幕府も名産品となった赤穂の塩による利益を手にしてので、御家復興の可能性はすべて潰されてしまいます。内蔵助はいよいよ討ち入りしかないと決断しますが、浪人となった藩士たちの生活費や討ち入るための準備金で予算超過となってしまいます。

最初は3月14日の主君の命日に討ち入る予定でしたが、吉良が自宅にいることが判明した12月14日に急遽予定を変更。3か月分の生活費が浮いたことで、何とか希望通りの準備をすることができたのでした。

赤穂浪士には、濱田岳、横山裕、荒川良々、妻夫木聡、西村雅彦、寺脇康文、木村祐一ら。内蔵助の正妻、りくに竹内結子、長男の松之丞に鈴木福、長助の息子に鈴鹿雄央士などが出演しています。監督・脚本は中村義洋で、芸人の出演が多く笑いをところどころに混ぜてはいますが、お金で考える仇討ちなのでけっこうまじめに経済学中心で構成されています。

多くの残された藩士たちを、1年9か月の間、食べさせるのにかかる費用はさすがにバカにできません。できるだけ多くの金をもしものために残しておきたい勘定方と、何をするにしても金がかかることなど気にしない、正義のため好き勝手にふるまいばかりしている多くの浪士とのかけひきが見ものです。

最終的な討ち入りシーンはありませんが、その後始末でさらにお金がかかって赤字だったというオチで映画は終わるわけで、確かに「これでこそ武士」と持ち上げてばかりはいられない現実を知ることは意味があります。よく知られた話ですが、違った見方をしてみるのも面白いものです。

2023年9月25日月曜日

猫侍 (2014)

「猫侍」は、もともと東海・近畿のローカルTV局のドラマとして製作されましたが、意外に人気となりドラマ続編だけでなく、劇場版も2作品作られました。ドラマと映画では主要人物は同じですが、基本設定は異なり、別物の話として進行するのが特徴のコメディ時代劇です。

加賀藩の藩士だった斑目久太郎(北村一輝)は、剣術に関しては凄腕の持ち主でしたが、切腹の際の介錯を躊躇したため藩を罷免されてしまいます。今は、江戸に出て新しい仕官の道を探し長屋住まいの身で、傘張でわずかな銭を稼いで何とか生活しています。

町で賭場を開く二大勢力が、猫好きの頭(斎藤洋介)が率いる相川組と犬好きの頭(小野寺昭)が率いる米沢組です。ある日、形勢を逆転させるため、米沢組から相川組の飼い猫、玉之丞を斬るように依頼されます。

相川組の屋敷に忍び込んだ久太郎は、猫を殺したふりをして連れて帰ります。玉之丞は何故か久太郎になついてしまい、いつしか久太郎も玉之丞に癒されるようになりました。

そこへ、今度は相川組から米沢組の犬を殺してくれと久太郎は頼まれてしまいますが、断ると双方がお互いの犬猫をさらい対立は深まっていくのです。

過去のトラウマから人を斬れない侍が、猫をかかえたまま戦うというのがポイント。ただし、片手で戦うのは現実的ではないし、実際殺陣もしょぼい。まぁ、設定ですからしょうがないし、そこがほかの時代劇と差別化されている部分なので受け入れないとしょうがない。

1990年から俳優活動を開始した北村一輝は、芽が出てきたのは2000年から。濃い目のキャラとして、しだいに人気が出て登場するとなかなかの存在感を示しています。ここでも、ずっとしかめっ面をしつつ、とぼけた心の声が絶えず出てくるという特殊なキャラを演じきっています。

だいぶ低予算だとは思いますが、日光江戸村で撮影が行われ、そこそこにまとめあげている感じです。猫好きにはけっこう楽しめる映画だと思います。

2015年に第2弾となる「猫侍 南の島へ行く」が公開されていますが、土佐に行くはずの猫侍が通り越して南の島にまで行ってしまい、原住民といろいろ・・・という話ですが、これは企画が失敗だと思います。時代劇である必要がなく、もうほとんど意味不明な展開なので、はっきり言って無理。

2023年9月24日日曜日

日日是好日 (2018)

タイトルである「日日是好日」は、唐の時代の禅僧、雲門文偃の言葉で「毎日が素晴らしい日々である」という意味で、そうなるように努力したいものだということ。もともと釈迦の教えでは、良い悪いの区別はなく、本来毎日が良い日なのです。悪い日と思えるのは、自分の行いの結果であり、それを反省していかしていくことが大切ということ。


エッセイストである森下典子が2002年に出版した「日日是好日 - お茶が教えてくれた15のしあわせ」は、自身が25年間茶道教室に通い、得られた知識・経験などを書き綴ったもので、これを原作に監督の大森立嗣が脚本も担当し映画化しました。

典子(黒木華)は大学生で、物事に消極的でなかなか考えがまとまらない。近所の武田さん(樹木希林)はお辞儀からして丁寧で只者ではないと評判で、母親が武田さんの茶道教室に行くことを勧められます。従妹の美智子(多部未華子)は現代っ子ラシクサバサバして性格で、煮え切らない典子を誘って教室に出向くのでした。

梁上に掲げられた「日日是好日」の書を何と読むのか、どんな意味なのか、まったくわからない二人でしたが、細かいお茶の作法を学んでいくうちに、少しずつ魅力を感じるようになりました。

卒業すると美智子はさっさと就職。典子はやりたいことがはっきりせず、結局フリーター生活。それでも武田教室へは毎週欠かさず通うのです。美智子は3年働くと、見合いをしてさっさと結婚し、教室を辞めてしまいました。30代になり、新人が入ってきたので典子は先輩になりますが、意を決して受けた就職試験に落ちたり、彼氏と別れたり・・・そんな典子をずっと暖かく受け止めてくれていた父(鶴見慎吾)が、急逝してしまいます。

黒木華が20歳から40歳過ぎまでを演じ、年齢に合わせて衣装やメーキャップを変えているのに対して、樹木希林は最初の70歳くらいのイメージのまま最後まで変わることがない。おそらく、意図的な演出だと思いますが、伝統を守り変わることなく続く茶道の象徴なのか思います。

典子の成長を描いているので主役は黒木華なんですが、武田先生を演じる樹木希林が、陰の主役と言って間違いない。茶道の先生ですから、絶えず穏やかな、珍しく(スミマセン)気品のある役柄なんですが、厳しさの中の優しさはまさに適役です。

樹木希林は、映画が公開される1か月前に亡くなったため、この映画が実質的な遺作とされています。この映画のように主役の一歩前をしっかり埋める存在感は唯一無二のもので、樹木希林を失った日本映画の損失は甚大でした。特に、是枝裕和監督は、レギュラー出演者だった希林さんを亡くしてから迷走しているという言い方もできる。

最後まで、劇的なストーリーの展開があるわけではなく、だれにでもありそうな典子の平平凡凡とした日々を淡々と描く作品ですが、だからこそ茶道の魅力の一端が垣間見える佳作と言える映画です。

2023年9月23日土曜日

あん (2015)

女性の映画監督は日本でも増えてきましたが、その中でも映像作家として特に注目されるのが河瀨直美。スタッフに対するパワハラなどのスキャンダルもありましたが、独特の映像表現は無二の物であり、1992年の処女作以来、絶えず世間の話題に上る作品を提供しています。

「あん」はドリアン助川による2013年の小説で、ハンセン病患者に対する消えない差別意識をテーマにしています。映画は日本、フランス、ドイツ合作となり、監督・脚本・編集をすべて河瀨直美が担当しています。主要登場人物の内田伽羅は、実際に樹木希林の孫ということも話題になりました。

街角の小さいどら焼屋の雇われ店長の千太郎(永瀬正敏)は、かわを焼くのはうまいのですが、業務用の餡を使っているせいかあまりどら焼の評判は高くない。ある日、吉井徳江(樹木希林)という名の老婆がやってきて、自分を雇ってほしいと言います。

徳江は50年も餡作りをしてきたと言い、確かに徳江の作る餡は素晴らしく、実際、徳江の餡を使うようになって評判はうなぎ上りで、以前から常連客だった中学生のワカナ(内田伽羅)も嬉しそうでした。

仙太郎は過去に事件を起こし、それを負い目として心を開けない毎日を送っていましたが、徳江に教えてもらい自ら手をかけることで餡がまったく別物になることに喜びを感じます。ワカナは自堕落な母親との生活で、飼っているカナリアだけが唯一のともだちみたいなものでした。

しかし、徳江の手の変形が知られるようになると、オーナー(浅田美代子)が徳江はハンセン病患者だから解雇するように千太郎に迫ってきます。仙太郎は断りますが、最終的にオーナーに逆らえず徳江に謝ります。

しばらくして、仙太郎とワカナは徳江の住んでいる天生園を訪れます。そこはハンセン病患者の療養所で、徳江は長年の友人である佳子(市原悦子)らと共同生活をしていました。徳江は短い期間だったが楽しかったと言い、ずっと病気のことで疎外されてきた人生を振り返るのでした。

ハンセン病は結核の仲間である癩菌の感染による病気で、重篤な体表面の変形をしばしば伴うことから、歴史的に重い差別の対象となってきました。日本でもらい予防法によって、国家が率先して差別してきた歴史があり、らい予防法が廃止されたのは1996年で、それほど昔の事ではありません。

河瀬監督の映像の特徴である、手持ちカメラを多用してドキュメンタリー・タッチの映像は、ストーリーは町の日常の一コマであるにもかかわらずこの病気の深刻なリアルを見事に画面に引き出しています。ただし会話のリアルを求めすぎて、台詞が聞き取りにくいところがしばしばあります。

現実の現代社会でも、以前ほどではないかもしれませんが、一定の患者を排除する思惑は存在していることは否定できません。映画では表立ってそのことを批判しているわけではありませんが、徳江のささやかな望みに託して、患者さんたちがどれほど苦しい思いをしてきたか、そしてどれほど忍耐してきたかを積み上げていきます。

最後まで見て、重苦しさは意外とない。これには樹木希林の力が大きいと思います。また、孫の内田伽羅の初々しい素人臭さもドキュメンタリー的な映像を強めることに役立っています。あまり堅苦しく考えずに、一つのドラマとして見ておきたい映画です。

2023年9月22日金曜日

るろうに剣心 最終章 The Beginning (2021)

「るろうに剣心」シーリーズ完結編の後編は、がらっと雰囲気が変わり、全編にわたり静かで暗い雰囲気に貫かれています。キャスト、スタッフは当然一緒です。ただし、主役の一人、雪代巴は第1作では渡辺菜月が演じていますが、はっきりと正面から写されるシーンはありませんでした。

幕府を倒し新しい世界を目指す討幕派の暗殺者、緋村剣心(佐藤健)は桂小五郎(高橋一生)の指令によって、大勢の藩士を亡き者にしてきました。

ある夜、夜回り中の藩士らを刀を向けた剣心でしたが、一人、清里明良だけが、「ここで死ぬわけにはいかない」と何度も何度も口にして斬っても斬っても立ち向かってくるのです。剣心は、その時に左頬に初めて刀傷を受けるのです。桂は剣心に心の変化が生じたことに気が付きます。

それからしばらくして剣心が居酒屋にいると、女が入って来て剣心に背を向けて座ります。すると、二人組が女に絡み出したため剣心が助けます。外に出ると先ほどの男たちが待ち伏せしていましたが、剣心は「逃げろ」という間もなく、幕府の隠密が背後から二人を倒し剣心にも襲い掛かります。敵を倒して後ろを振り向くと、先ほどの女が返り血を浴びて立っていました。彼女こそ、清里明良の婚約者だった雪代巴(有村架純)でした。

巴はそのまま討幕派のアジトの宿場で働き始めます。巴は剣心に「新しい世の中のためなら小さな犠牲はしょうがないと思っていますか。あなたもその犠牲の一人ではないのですか」と言い、刀を持っていたら私を斬りますかという問いに対して、剣心は「あなたは絶対に斬らない」と答えるのでした。

その頃、京都では近藤勇(藤木隆宏)が率いる新選組が力をつけていました。配下には斎藤一(江口洋介)、沖田総司(村上虹郎)らがいて、討幕派が集まる池田屋を急襲したりしていました。桂は一時身を隠し、剣心にも巴を連れて京の郊外の空き家に潜伏しているように命じます。

剣心は畑を耕し、巴とのごく普通の生活の中で、しだいに笑顔を見せるようになっていきます。巴も剣心への復讐のため、幕府隠密の辰巳(北村一輝)と連絡を取っていましたが、何と弟の縁(新田真剣佑)が辰巳の使いとして現れたことで、剣心襲撃が近いことを察します。巴は、書き続けていた日記に「あなたは殺した人数より、今後は多くの人を助けるはずだから、私が守ります」と書き残し懐刀を用意して辰巳のもとに一人で向かうのでした。

前編の「The Final」で巴は剣心の刀によって絶命することが描かれていますので、隠すこともないのですが、辰巳の部下との戦いで一時的に目が見えない剣心は、辰巳の攻撃により絶体絶命になります。しかし、巴が辰巳に飛びついて最後の一振りを止め、辰巳ごと剣心に斬られれてしまうのです。

ぼやけた視界に横たわる巴を見つけた剣心は、巴の手にあった懐刀を自ら左頬に当て傷をつけさせます。これは、明らかに巴の復讐心からの解放に外ならず、巴も声にならない声で「ごめんなさい、あなた」と言って息を引き取る。剣心の頬の十字の傷は、ずっと謎でしたが、この完結編でやっと剣心にのしかかっている最も大きな悔恨の謎が明かされることになります。

巴の存在は全作を通じて、物語の隠れキャラとして重要な意味を持っていたわけで、シリーズ随一の地味な展開ですが、ところどころに「らしさ」をうまく埋め込みつつ、剣心が何故「剣心」になったのかを解き明かしてくれます。また、巴に新しい世になったら人斬りをやめると誓った剣心は、最後に第1作冒頭の鳥羽伏見の戦いのシーンで刀を捨てるところに戻ることで、終わりなのに始まるという映画的な処理に感心してしまいます。

2011年に撮影を開始し全5作品が製作され、最後の公開が2021年ですから、スタッフ・キャストは足掛け10年間、この作品にかかわったことになります。主演の佐藤健にとっては、20代のほぼすべてを費やす、俳優としての人気・実力を世間に知らしめる重要な映画シリーズになりました。

この作品の興行的成功は、地味になりやすい時代劇というジャンルで、現代風の感覚を取り入れた新たな楽しみ方を提示し、そしてそれが成功したことが映画界全体に大きな影響を与えたと言えそうです。特にアクションの見せ方は、従来のチャンバラの延長であった殺陣の概念を大きく進化させた功績は見過ごせません。

佐藤健の妥協を許さないアクションは言うに及ばず、仲間を大切に悪と戦うところはアクションRPGの世界に共通する部分ですし、巴を軸にした剣心の頬の傷という全体に横たわる謎をうまく見え隠れさせることで、シリーズ全体の興味を維持させた監督の構成力のうまさも光りました。

原作マンガは一切読んでいませんが、もともとの出来の良さも当然あるとは思いますが、映画として一つの世界を作り上げたことは間違いないと思いますし、今後も繰り返し楽しめるシリーズになったと思います。

2023年9月21日木曜日

るろうに剣心 最終章 The Final (2021)

監督の大友啓史、そして佐藤健主演の「るろうに剣心」シリーズのらすとスパートです。第1作が撮影開始が2011年、公開2012年。第2作(京都大火編伝説の最期編)は撮影開始が2013年、2014年8月と9月に前後編が相次いで公開されました。そして2019年に6年ぶりの完結編の撮影が開始されました。

今回も2部作ですが、物語が完結する「The Final」と剣心の人斬りになる始まりから第1作の冒頭につながる「The Beginning」という構成です。2020年に公開予定でしたが、コロナ禍により公開は2021年になりました。

明治12年、元新選組で今では警察に所属する斎藤一(江口洋介)は、横浜駅で列車を捜索し、志々雄真実に巨大鋼鉄艦を用意した清国の武器商人、雪代縁(新真剣佑)を乱闘の末に捕縛する。縁は斎藤に「抜刀斎の頬にはまだ十字の傷があるのか」と尋ねます。しかし清国との協定により、縁はすぐに放免されてしまいます。

幕末の時代、幕府と維新派が熾烈な戦いを繰り広げ、維新派の中に「人斬り抜刀斎」と呼ばれ恐れられた緋村剣心(佐藤健)は、新しい時代となって神谷薫(武井咲)、相楽左之助(青木崇高)、高荷恵(蒼井優)、明神弥彦(大西利空)らの仲間と静かな暮らしを取り戻しつつありました。しかし、彼らが行きつけの店が突然大砲で攻撃され、親しくしている前川道場が壊滅、警察署長(鶴見慎吾)宅が襲撃されます。

京都から旧幕府隠密の四乃森蒼紫(伊勢谷友介)、巻町操(土屋太鳳)が上京し、神谷道場を訪ねます。師走に剣心に関係する大きな事件が起こるという情報を伝えることと、かつて剣心が親しくしていた寺からの預かりものを渡すためでした。預かりものは雪代巴(有村架純)の日記でした。

剣心は意を決して、初めて自らの過去を仲間に話します。巴は、かつて人斬りで初めて左頬に傷をつけられた藩士と祝言を上げることになっていた女性で、復讐のために剣心に近づきましたが、次第に剣心の孤独を理解し、剣心も巴に心の安らぎを覚えるようになりました。しかし、幕府隠密に襲われた剣心を助けようとして、剣心の振り下ろした刀を受けてしまい、絶命の直前に左頬に短刀でもう一つの傷をつけたのです。

縁は巴の弟で、母親代わりだった巴を殺した剣心への復讐のためにはどんなことでも行うのでした。正月で賑わう江戸の町に突然火の手があがり、縁の手の者が手当たり次第に暴れまわります。剣心も必死に戦い、神谷道場に戻ると薫が縁に連れ去られていました。剣心は一人縁のアジトに向かいます。

敵の大群を相手に一人で戦う剣心でしたが、そこへ左之助や操が駆けつけ、斎藤が警官隊を連れて突入してくる。さらに、かつての敵だった瀬田宗次郎(神木隆之介)も介入し、全員が、剣心を前に進めるために道を作るのです。そして剣心は、剣心に対して姉の仇として怨念の塊と化した縁と対峙するのです。

前作の志々雄真実は映画的にも壮大な野望を持つ最大の敵でしたが、今回の縁は私怨だけですから、ちょっと小物感がありますが、強さは並大抵ではない。それは冒頭での列車内や列車の屋根での難易度の高い乱闘シーンで十分に披露されます。演じる新真剣佑は千葉真一の血を引くだけのことがあります。

その後も道場を中心にした静の場面と、縁一派との激しい殺陣が見れる動のシーンが交互にほどよく登場するので、飽きが来ません。このシリーズの殺陣のスピードと壮絶さは他に類を見ないくらい、独特で激しい。俳優一人一人が本気で動くところに、ワイヤーアクションの効果が絶大です。

剣心の人を殺し続けたことに対する償い方、そして愛した巴を殺してしまったことに対する剣心の心の霧が、どのように晴らされていくのか、一定の答えが用意されていますので、ファンのみならず必見です。

2023年9月20日水曜日

セブンのおにぎり 10


ローソンなどは、どちらかというとブランド米の名称を表に出していたので、美味しそうだなと感じましたし、多少高くてもしょうがないと思えたものです。

セブンイレブンが、昨年からおにぎりのブランドに利用しているのが「八代目儀兵衛」なんですが、これは京都の高級米屋で、セブンで登場するまではまったく知りませんでした。

となると、知らないのでその価値がよくわからない。

ホーム・ページにオンラインストアがあるので、一番安そうなものを探してみると「特選米ブレンド」というのが10kg(5kg×2)で3,980円となっています。

自宅用としてあって、びっくりするほど高価というわけではなさそう。ただし、どういう米を混ぜたのかは書いてないのが・・・・ちょっと不安。

まぁ、とりあえずセブンで味見。ちりめん山椒と牛そぼろをチョイスしてみました。

普通に美味しいと思いますが、どちらも海苔が巻いていない。海苔の有無で20円くらいは値段がかわるのでそれを良しとするのか、いやいや食べにくいと残念と思うのかはビミョーなところ。

少なくとも、特別感はあまり感じませんでした。すみません。

2023年9月19日火曜日

超高速!参勤交代リターンズ (2016)

第1作(2014年)が好評で、すぐに続編の製作が発表されました。江戸時代の大名の参勤交代エンターテイメントですが、前作がその江戸に向かう「参勤」の話で、今作はその帰り道の「交代」でのストーリー。

もともと、脚本の土橋章宏の原作は行き帰りがセット。監督も本木克英が続投し、出演者も同じ俳優さんが続けて出演しているので、できれば続けて見たほうがより楽しめるように思います。

弱小1万5千石の湯長谷藩の藩主、内藤政醇(佐々木蔵之介)は、幕府老中、松平信祝(陣内孝則)の5日で参勤せよという無理難題を何とかクリアし、お咲(深田恭子)を側室とすることにします。

理論派の秋山(上地雄輔)は重傷を負ったため江戸屋敷に残し、政醇は知恵物の老中の相馬(西村雅彦)、剣術の使い手の荒木(寺脇康文)、弓の名手の鈴木(知念侑李)、膳番で槍の名手の今村(六角精児)、二刀流で政醇の飼い猿の世話をする増田(柄本時生)らと共に、途中小銭を稼ぎながらのんびりと帰国の旅をしていました。

その頃、湯長谷では突然の一揆が発生し、農民たちは畑を荒らされ収穫した米も盗まれてしまいます。一揆が起こると、藩の責任は重大でお取り潰しの危険がある。幕府からは目付役人がすでに出発しているという急な知らせに、牛久宿でお咲との祝言をしていた政醇は、急いで帰ることにしました。

やっと到着するも、すでに城は尾張の柳生一族により制圧されていました。信祝は一度蟄居を命じられていましたが、将軍吉宗が65年ぶりに日光社参を行うことに伴い恩赦され復職していたのです。信祝は、ライバルである老中を柳生の手の者を使い暗殺し、政醇に復讐するため偽の一揆を起こさせたのでした。

江戸に残っていた秋山は、一人で信祝の屋敷に乗り込もうとしたところを町奉行の大岡忠相(古田新太)に止められます。大岡は老中暗殺に関係がありそうな信祝を内偵しているところで、秋山も協力することになり、実行犯の一人である極蔵(中尾明慶)を捕らえることに成功します。白洲での取り調べで信祝が黒幕であることがはっきりし、なおかつ信祝は日光社参の途中で吉宗の暗殺も企てていることが判明します。

一匹狼の雲隠段蔵(伊原剛志)も加わり、政醇らは城を奪還することに成功しますが、そこへ
信祝自ら尾張柳生千人の兵を引き連れ迫ってきました。政醇らはたったの7人で向かい討つ覚悟を決めるのでした。

日光社参は、初代将軍家康が祀られている日光東照宮に、家康の命日(4月17日)に参拝することで、第3代将軍家光までは毎年のように行われていましたが、その道中にかかる費用・労力・時間は莫大でした。

柳生一族は剣豪を輩出し、宗矩が将軍家の信認が厚く取り立てられ大名に出世しました。その後、柳生本家として奈良に領地を得ています。宗矩の甥、柳生利厳は尾張藩士として徳川家に仕えましたが、大名として出世することがなかったため、この映画の話の中では初めて領地を獲得できると言われ信祝に協力することになったという設定です。政醇は人を宝だと考え信じますが、信祝は人は出自で決まり裏切るものと対局的な描き方がわかりやすい。

1作目、2作目を通して、実在の人物が登場し、いかにもありそうな筋書きを仕立てるところが実にうまい。そこへ、まったくの架空の人物が絡んでエンターテイメントとして盛り上げているところが面白い。

政醇はお咲を側室にしますが、女郎上がりでも人が良ければ卑下したりしません。だったら、正室にすればと思うところですが、正室にすると「人質」として江戸屋敷にいなくてはなりませんので、ずっと一緒にいられる側室を選択したのでしょう。湯長谷藩の江戸屋敷には、妹の琴姫(舞羽美海)が正室の代わりになっていました。

時代劇というと、どこかとっつきにくいと感じる人が多いと思いますが、ほとんど歴史的な知識がなくても十分に楽しめるコメディですし、監督の演出もスピーディでだれずに脚本を生かした出来だと思います。

2023年9月18日月曜日

超高速!参勤交代 (2014)

江戸時代は全国の各藩の大名は江戸と地元を2年ごとに交互に住む制度があり、参勤交代と呼ばれていました。江戸に上ることが「参勤」であり、地元に戻ることが「交代」です。参勤交代の行列を「大名行列」と呼び、その人数は禄高の多い藩では数千人にもおよびびました。

幕府に対する軍役奉仕という意味があり、地元に帰る場合には正室と世継ぎは人質として江戸に残っていないといけませんでした。また、参勤交代にかかる費用は莫大で、各大名が過度な財政的強者になることを防ぐ効果がありました。

テレビ・ドラマ「絶対零度」などの脚本家として知られるようになった土橋章宏が、もともと脚本として完成させ、2011年に映画界の芥川賞と呼ばれる城戸賞を受賞。自ら小説化した後に、映画化が決定しました。日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞しています。監督は「釣りバカ日誌」などの本木克英。

弱小1万5千石の湯長谷藩(福島県いわき市)の藩主、内藤政醇(佐々木蔵之介)は部下の武士だけでなく、町や農家の人々にも気楽に接し、城下全体も貧しくても和気あいあいとした雰囲気で包まれていました。最近発見された金山と思ったものも、実は間違いでぬか喜びでした。

江戸での勤めを終えやっと帰国した政醇のもとに、江戸家老が駆けつけてきて、幕府老中、松平信祝(陣内孝則)から、領内で発見された金山についての報告に詮議の必要があるため5日以内に再び参勤せよとの命令があったことを伝えます。これは信祝が無理を承知で、間に合わないことを理由に藩を取り潰し金山を手中にしようとしてのことでした。

知恵物の老中の相馬(西村雅彦)、剣術の使い手の荒木(寺脇康文)、理論派の秋山(上地雄輔)、弓の名手の鈴木(知念侑李)、膳番で槍の名手の今村(六角精児)、そして二刀流で政醇の飼い猿の世話をする増田(柄本時生)らと出発した政醇は、街道を走り、番所を通るときは人を雇い行列らしくして誤魔化しました。

途中で一匹狼の雲隠段蔵(伊原剛志)が、近道になる山道を案内できると仲間に加わります。段蔵は信祝の息がかかった公儀隠密が密かにつけていることに気づいていましたが、礼金を受け取ると途中で別れます。山道で足を痛めた政醇は、馬を調達して牛久宿に先行します。

その直後、隠密に襲われた一行は谷川に落ちて流されてしまい、牛久宿を通り越してしまいました。政醇は待ち合わせの女郎宿で、折檻され縛られていたお咲(深田恭子)を見初め助けます。しかし宿に手配書が回ってきたため、お咲を連れて飛び出しました。段蔵は礼金にもらった銭が細かい古銭ばかりで、彼らが本当に困っているのを知ると、ちょうど隠密と戦っていた政醇とお咲を助けるのでした。

予定より遅れて取手宿についた一行は、番所を通りぬけるために雇った人々がすで帰ってしまい途方に暮れてしまいますが、ちょうど本家の大名行列が通りかかり、飢饉のとき助けてくれたお礼として行列を一時貸してくれて事なきを得ます。いよいよ最終日、江戸で合流できた一行に、登城させじと信祝の手の者が大挙して襲いかかるのでした。

確かに、面白い。参勤交代がエンターテイメントになるのか疑問でしたが、やはり脚本がよくできているんでしょう。荒唐無稽な筋立てですが、無理を感じない。政醇以下、配下の者たちを徹底的にお人よしの「いい人」として描いているので、見ている側も感情移入しやすく、自然と彼らを応援してしまいます。

湯長谷藩は幕末まで実在した藩であり、内藤政醇も4代目藩主として実在した人物。さすがに、この話は史実ではありませんが、「忠孝・倹約・扶助」を徹底した名君と考えられていて、あながちこんなこともあったのかもしれません。

2023年9月17日日曜日

魔界転生 (1981)

原作は伝奇小説作家の山田風太郎。歴史上、相まみえることがなかった剣豪たちが次から次へと登場する様は、まさに山田ワールドの面目躍如というところ。当時、映画界に進出し旋風を巻き起こし、山田本の出版に力を入れていた角川書店が、角川映画で初めての時代劇物として東映に白羽の矢を立てて制作したのがこの映画です。監督は「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二で、角川では「復活の日」続いての参加。

キリスト教徒弾圧に立ち上がった天草四郎時貞(沢田研二)は、島原の乱で敗れ多くのキリシタンと共に晒し首にされました。悪魔ベルゼブブによって復活した四郎は幕府に対する復讐のため、次々に現世での無念を残して死んだ者たちを魔界衆として蘇らせるのです。

豊前国小倉藩藩主、細川忠興(松橋登)の正室で、夫に裏切られ壮絶な最期を迎えた細川ガラシャ(佳那晃子)

剣豪として名を知られるも、名高い柳生但馬守宗矩とその息子の柳生十兵衛光厳と剣を合わせることなく死を迎えた宮本武蔵(緒形拳)

僧侶にもかかわらず槍の名手でしたが、女性に対する煩悩を捨てきれず亡くなった宝蔵院胤舜(室田日出男)

伊賀の隠れ里で修行に勤めるも、甲賀の襲撃により仲間もろとも惨殺された霧丸(真田広之)

彼らを率いた四郎が東上する途中、彼らと出会った柳生十兵衛(千葉真一)は、亡くなったはずの者たちに驚き、ただちに柳生但馬守宗矩(若山富三郎)に書面を送ります。ガラシャは四代将軍、徳川家綱(松橋登)に近づき大奥に入り、その魔性の魅力に家綱は籠絡されます。

宗矩はガラシャが魔界衆であると見破り、村正(丹波哲郎)に魔界の者を切るための妖刀を作らせ、江戸城に向かいますが、胤舜との戦いで相打ちとなり命を落とす。四郎は、宗矩が同じ剣術家として十兵衛と戦うことなく死ぬ無念を見抜き、宗矩を魔界に引きづり込みます。

父が魔界に落ちたことに愕然とする十兵衛に、村正は自らの命と引き換えに新たに妖刀を打ち授けました。その頃、四郎は年貢に苦しむ農民たちを先導して、江戸に向けて百姓一揆を起こさせました。しかし、善の心を捨てきれない霧丸が逃亡しようとしたため、四郎は霧丸を鞭で絞殺してしまいます。さらに十兵衛のもとに現れた武蔵は、勝負を挑みますが妖刀によって倒されます。

江戸城では、ガラシャが寝言に細川忠興の名を口にしたことから、家綱と言い争いになり、倒れた蠟燭の火が次々と広がっていました。城にたどり着いた十兵衛でしたが、巻き起こる炎の中で行く手を阻んだのは宗矩でした。両者の熾烈な戦いの末、何とか宗矩を倒した十兵衛でしたが、その眼前に四郎が出現し魔界に誘うも、紅蓮の炎に中で十兵衛は四郎の首をはねるのでした。

歴史上は、登場する人物が時代的に前後しますので、一応整理してみます。霧丸だけは、映画だけのフィクションです。

島原の乱 1637~1638年
天草四郎時貞 1621~1638年
細川ガラシャ 1563~1600年
宮本武蔵 1584~1645年
宝蔵院胤舜 1589~1648年
徳川家綱 1641~1680年
柳生但馬守宗矩 1571~1646年
柳生十兵衛 1607~1650年

江戸城焼失の明暦の大火は1657年なので、宗矩はすでに亡くなっていますが、地獄から蘇らせたガラシャは一時代古いのはOKで、他の登場人物ももしかしたら出会うことがあったかもしれないという、ある種の歴史ロマンみたいな妄想が成り立つところが面白い。

原作は、もっと魔界衆の数が多いのですが、映画化に当たって絞り込めるだけ絞って、彼らの背景なども削りに削って、十兵衛対魔界衆の戦いに集中した2時間になっています。そのため、どこかせわしない印象はありますが、時代劇エンターテイメントと割り切った潔さは評価できるところだと思います。

中性的な沢田研二の魅力がうまく引き出されて、千葉真一の切れのあるアクションも見どころ。特に千葉と若山の殺陣は時代劇史上屈指の名演です。幻想的なシーンでの特殊効果の合成などはまだまだ完成度は低いですが、二人の炎の中での対決は、実際にセットに火を放ち間近で燃え上がる炎の中で撮影されたもので、CGでは出せない本物を感じます。

2023年9月16日土曜日

海底2万マイル (1954)

ジュール・ヴェルヌは19世紀後半のフランスの小説家で、半世紀ほど遅れるイギリスのH・G・ウェルズと共にSF物の祖と言える人物。ヴェルヌの「人間が想像できることは人間が必ず実現できる」という名言がありますが、まさにその小説は、人類が叶えたいことの宝庫で、数々の作品が映画化されています。

制作はウォルト・ディズニーで、監督は「ミクロの決死圏」のリチャード・フライシャー、撮影は「ローマの休日」のフランツ・プラナー。アカデミー賞では視覚効果賞、美術賞を受賞しました。

時は19世紀なかば、世界の海で謎の巨大怪物が船舶を襲う事件が多発します。海洋学者であるアロナックス教授(ポール・ルーカス)と助手のコンセイユ(ピーター・ローレ)は、怪物の調査をする軍艦に同乗しますが、襲われて船は沈没してしまいます。二人は銛打ちとして乗船していたネッド・ランド(カーク・ダグラス)と共に漂流しているところを、偶然に停泊していた潜水艦ノーチラス号を見つけ乗り込みます。怪物と思われていたのは、この潜水艦だったのです。

ノーチラス号のネモ船長(ジェームス・メイソン)は教授の名声を知っていて、捕らえた三人を命令に服従する条件で客としてもてなすことにします。船の動力は海水から得られた成分から作り出される原子力で、衣食についてもすべて海の中で得られるもので賄われていました。

ネモ艦長は、孤島の収容所で火薬の材料の発掘を強制されていた仲間と脱出し、潜水艦によって戦争に加担する軍艦を破壊し続けていたのです。その歪んだ正義は時に冷酷に多くの命を奪っていました。何とか逃げ出したいランドは、密かにネモ艦長の拠点の位置を書いた紙を瓶に詰めて流します。そのため、ノーチラス号が拠点の島に着いた時、島は軍の艦隊によって包囲されていたのでした。

18世紀後半に、イギリスを中心に産業革命がおこり、人類は農業中心から工業中心の生活に舵を切りなおします。それは、現代において地球規模で危機的な状況を作ることになるわけですが、ヴェルヌはすでに百年以上前にそのことに対する警笛の一つとしてこの物語を書いたのだろうと思います。

各国はいうに及ばず、個人の利益が優先され、自然を破壊する所業に対して、ネモ艦長を通じて強い危機感を表明しています。しかし、一人が声高々にそのことを表明しても、動き出した機械の歯車は止めることはできない。このまま行けば、最後に待っているのは幸福ではなく悲劇なのだと言わんばかりです。

映画は、名優ジェームス・メイソンの好演により、ヴェルヌの伝えたいことがしっかりと描かれているようです。また、若かりしカーク・ダグラスが、血気盛んな、いかにも人間味のある好漢を演じているのもなかなか楽しい。

海中のシーンが多い映画で、当時の技術ではかなり大変だったと思いますが、ミニチュアをうまく利用して現在でもそれほど遜色ないシーンとして完成させたことは特筆に値します。ディズニーの本領を発揮できるアニメーションだったら、ここまでの臨場感は出せなかったかもしれません。70年も前の映画ですが、色あせない海洋冒険物として必ず名前が挙がるのも納得です。

2023年9月15日金曜日

白鯨 (1956)

ハーマン・メルヴィルは19世紀後半のアメリカの作家で、何といっても「白鯨(Moby-Dick)」の作者として知られています。原作は大長編で、宗教観や捕鯨全般のいろいろな雑学的な知識の脱線が多く、大変に難解らしい。ただし、読んだことはなくても「白鯨」、「エイハブ船長」という言葉は誰もが知っているくらい有名。

戦前にこの原作をもとにした映画が2編作られていますが、巨匠ジョン・ヒューストン監督は長年にわたり、再映画化を構想していました。公開時は、比較的原作に忠実な暗い雰囲気と主演したグレゴリー・ペックのミス・キャストによる興行的な成功は得られませんでした。しかし、時とともに評価は高まり、今では海洋スペクタル映画の原点として位置づけられています。

捕鯨船ピークォッド号のエイハブ船長(グレゴリー・ペック)は、モビー・ディックと呼ばれる白い大鯨に食いちぎられた左足に義足をつけ、白鯨に対する復讐心に燃える男でした。流れ者のイシュメール(リチャード・ベイスハート)は、ピークォッド号に乗り込むことにします。

勇猛果敢な乗組員は、エイハブの白鯨に対する敵意が伝染したかのようで、イシュメールもいつしかその一人になっていました。一等航海士のスターバックだけは、個人的な恨みで暴走する船長に疑問を感じていました。エイハブは、様々な目撃情報などから白鯨の進路を予想し追いかけます。

長い航海の末、ピークォッド号はついに白鯨に遭遇し、エイハブは小舟に乗り込み接近するのです。ここだというタイミングで3艘の小船から銛が次々と打ち込まれますが、猛り狂う白鯨はびくともしません。向かってきた白鯨によってエイハブの船が転覆し、海に投げ出されたエイハブは白鯨に刺さった銛につかまり、さらに何度も何度も銛を刺すのです。

しかし、海に潜った白鯨が次に浮上した時、エイハブはロープに絡まったまま息絶えていましたが、白鯨の動きによってエイハブの腕が動き、それはまるで全員を鼓舞しているかのようでした。しかし、もはやなすすべもなく全員が海に飲み込まれ、ピークォッド号も猛り狂う白鯨の体当たりによって沈没してしまいます。一人、イシュメールだけが何とか助かり、漂流の後救助されたのでした。

途中でチラ見せはありますが、白鯨が白鯨らしく見えるのは最後の戦いのシーンまで待たないといけません。この辺りはスピルバーグの「JAWS」にも踏襲される演出だと思いますが、さすが巨匠ヒューストンですから、原作を踏襲しながらアクション映画としての醍醐味をしっかりねじ込んできたというところです。

グレゴリー・ペックは原作のエイハブのイメージから、若くてイイ男過ぎるということで不評だったらしいのですが、原作を知らない者からすれば、さすが名優ですから狂気にかられ神をも恐れないキャラクターを見事に演じているように思います。

白鯨との対決シーンは、巨大プールでミニチュアを使ったもので、今どきのCGのような過度なリアルさはありませんが、それがむしろ実際に生き物に襲われているようで、時代を考えればよく出来た特殊効果と言えます。

ただし、おそらく映画の主役は白鯨ではなく、憎しみと狂気に駆られ部下を危険な航海を強制させるエイハブ船長を描き出すことが目的。冒頭での神父(何と、演じるのはオーソン・ウェルズ)による長めの説教が示す通り、宗教的な善悪、神に従順なのか、裏切るのかという究極的な命題をはらんでいます。とは言え、キリスト教徒ではない自分が踏み込めない領域かもしれません。

2023年9月14日木曜日

老人と海 (1958)

20世紀のアメリカを代表する作家といえばアーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)。戦前の「日はまた昇る」、「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」などの長編代表作は、映画化もされ馴染み深い。しかし、戦後の1952年に発表された中編の「老人と海」は、名実ともにヘミングウェイの最高傑作と呼ばれています。

アメリカの不屈・不撓の精神が、無駄を削りに削ったシンプルなストーリーの中に凝縮していると評価されていますが、さて、これを映像化するとなるとかなりの困難が当然予想されます。まず、登場するのがイントロダクションとエピローグに出てくる少年を除くと、ほぼ老人一人。しかも、舞台は陸地が見えない沖合の小舟です。

演劇舞台としての上演ならともかくも、どう考えても視覚的なメリハリが付きにくく、映画的とはいえない題材です。アカデミー賞を何度も受賞している名匠フレッド・ジンネマンが当初、監督を引き受けたものの途中降板してしまいます。おそらく、自分のキャリアにプラスになる作品になるとは考えられないと思ったのでしょうか。

そこで、監督を引き継いだのがジョン・スタージェス。当時は、注目され始めたばかりのころで、「荒野の七人」や「大脱走」で名監督の仲間入りするのは後年のこと。映画史上初めてブルースクリーン合成技術を導入し、いろいろと工夫して何とか映画としての形は整えました。

キューバのハバナの老漁師サンチャゴ(スペンサー・トレイシー)は、不漁が84日間も続き、老人を慕う手伝いの少年マノーリンは、親の言いつけで別の舟に乗るようになっていました。早朝、少年に見送られて老人は一人で小舟を漕ぎ出しますが、昼になってついに大物の当たりが来ます。夜になっても、大物は疲れを知らず、船はどんどん沖に引かれて行くのです。

二日目になっても、大物は弱る気配を見せません。老人はロープで手が傷つきますが、両者の戦いは続きます。三日目になって、ついに弱ってきた大物が水面からジャンプし、船よりも大きなカジキであることがわかりました。老人は最後の力を振り絞り、カジキを引き寄せ銛を打ち込みます。

老人はついに勝利し、獲物を船に括り帰路につきますが、それは獲物を狙うサメとの戦いの始まりでもありました。真夜中にやっと港に着いた時には、獲物のほとんどが食いちぎられていたのです。翌朝、少年は死んだように眠る老人の手を見て、どれほどの戦いをしてきたのか思い涙を流すのです。

この映画は、やはりこどもの時にテレビで見て、何か海って凄いなと思わせてくれた印象的な作品。全編で90分弱ですから、2時間枠の名画劇場にはノーカットでちょうど良い作品。ただ、改めて見て思ったのは、やはり映画としてはかなり残念な出来と言わざるを得ない。

名優スペンサー・トレイシーですから、老人の演技は評価できるとしても、やはりいくらカット割りしてもどれも代り映えしない場面が続きます。一番面白くないのは、ほぼ全体が老人によるナレーションが入っていること。ナレーションと台詞として言われた言葉の違いがわかりにくいし、そもそもこれでは映像付き朗読劇になってしまいます。

さらに困ったのは、こちらも名匠ディミトリ・ティオムキンの音楽。威勢の良い西部劇じゃないんだから、そんなに威勢よく盛り上げたり、情感たっぷりに歌い上げられても、違和感しかない。もっとも、映画としてはそのあたりで特徴をだすしかなかったのかもしれません。

2023年9月13日水曜日

ツレがうつになりまして。 (2011)

自分と夫が実際に体験した話をもとに、細川貂々(てんてん)が2006年に発表したマンガが原作。うつ病という、特に現代人に多く見られる精神疾患の理解を深めることができると大変評判になりました。監督は「半落ち」の佐々部清。主演した堺雅人と宮崎あおいはも映画の3年前に大河ドラマ「篤姫」以来の夫婦役となりました。

IT会社でバリバリ働いていた髙崎幹夫(堺雅人)は、あまり売れていない漫画家の晴子(宮崎あおい)と仲の良い夫婦。晴子は夫を「ツレ」と呼び、幹夫は妻を「ハルさん」と呼び、ペットとしてイグアナの「イグ」と暮らしています。

何事にも几帳面なツレが、ある日急に物事に対するやる気が無くなってしまいます。心配したハルさんは病院に行くよう勧め、そこでツレは「うつ病」と診断されるのでした。ハルさんはあらためて日記を見返してみると、最近原因不明の痛みを訴えりしていたことに気がつきます。会社での仕事のストレスが大きな原因になっていることは間違いなく、ハルさんはツレに「会社を辞めないと離婚する」と宣言するのでした。

しかし、会社を辞めても一向に病状は改善せず、ますますツレは内にこもるようになります。ハルさんは家計が厳しくなってきたため、雑誌社で思わず「ツレがうつになりまして、仕事をください」と言ってしまいます。

やっともらった仕事に集中していると、ツレが原稿を見て「髙崎の髙は高じゃなくて梯子髙だよ」としつこく言ってくるので、ハルさんはついついツンケンした物言いをしてしまう。ツレの気配が無いことに気づいたハルさんは、風呂場にこもりタオルを首に巻き付けているツレを見つけるのです。

その後も、一進一退の病状でしたが、「頑張らない」をモットーに療養を続けました。そして、やっと外出できるようになり、久しぶりに同じ日に同じ場所で結婚式を挙げた人々との集まりに参加し有りのままを話すことができました。ハルさんはそれぞれの日記を参考にして、うつ病の夫を主人公にした漫画を描きだしたのでした。

精神科の専門医も、この映画(あるいは原作)は病気の本質をとらえていると考えているようです。自分も医者ですから、「うつ病」の教科書的な理解はしているつもりですが、専門が異なるので実際に患者さんの診療をするわけではありません。文字としては理解していても、実際のうつ病の患者さんが、何を考えて、どうしているのかはわかりませんでしたので、この映画は大変興味深く見ることができました。

一人一人のケースで対応は異なるとは思いますが、うつ病を実際に患っている患者さん、あるいはその家族の方にとっても、病気を理解することに大変役に立ったようです。薬物療法だけで何とかなるわけではなく、特に周囲の人々の患者さんへのアプローチの仕方が本当に重要な病気であるということがよくわかりました。

映画は、当然病気のことを描いていますが、もう一つ大事なことは夫婦の関係性ということ。ツレとハルさんが、お互いを信頼しているだけでなく、尊敬していることが映画ではよく伝わってきます。単純化すれば、そういう夫婦の日常をほのぼのと描いているわけで、どこの家庭にもありそうな普通の幸せを楽しむこともできると思います。

2023年9月12日火曜日

丸源ラーメン @ 宮前平 その2


昨日のエントリーと一緒にするか悩んだんですが、やはり特徴的で面白かったので、今日も丸源ラーメンの話。

ラーメン屋さん、あるいは町中華の定番といえは、ラーメン、餃子、そしてチャーハンです。

そのチャーハンが、なかなか「映える」ので、一度は注文して損はない。店としては、間違いなく明らかにそこを狙っています。

大きめの熱々の鉄皿の真ん中にちょこんとご飯がもってある。テーブルに置いたら、店員さんがその周りに溶いた生卵を流し入れるというやり方です。

ジューっとなって卵が固まるわけですが、「固まる前にご飯と混ぜてお召し上がりください」とのこと。のんびり写真なんぞを撮っていると、卵は全部に火が通ってしまいますので注意が必要。

どうです? 何か楽しそうでしょう?

味は、まあ、可もなく不可もなくです。ただ、最初に米を卵でコーティングするという炒飯の基本からは外れますので、いわゆるパラパラ炒飯を食べたい方には不向きかもしれません。

2023年9月11日月曜日

丸源ラーメン @ 宮前平


たまに前を通るといつも行列ができていて、とても気になっていたラーメン店。

丸源は、全国的にチェーン展開している店で、看板メニューは肉そばです。入って最初に感じたのは、にぎやかでメチャメチャ活気がある店なのに驚いたというところ。

はじめていく店では看板をまず頼むのが王道なので、メニューを検討することなく肉そばを注文しました。

コロナ禍を経て、外食産業では席からタブレット端末で注文するという形式が普及しました。この店もタブレットなんですが、いつも思うのは、広告ではないので、もっと見やすく簡単なプログラムで注文できるようにできないものかと・・・

それはおいておいて、問題は味です。スープのベースは主として鶏ガラで個人的には大好きなもの。そこに豚ばら肉から出た油の甘みが加わる感じ。他にも和風だしも加わっているみたいで、複雑な味です。麺は細目のちぢれ麺で、しっかりと熱々のスープがよく絡みます。

個人的には合格。また機会があれば食べたいラーメンです。

2023年9月10日日曜日

投稿を忘れる日もたまにある

あとから気がついたのですが、9月10日の記事が無いんです。

リアルタイムで書いているのが2/3くらいで、残りはまとめて書くので、すっ飛ばしてしまったらしい。

それならそれで誰も困らないし、そもそもこのブログの読者はとても少ないので、そういう時もあるくらいのことで済むのですが、何か気持ち悪い。

でもって、後から日付を埋めるためだけに、今、書いているわけです。そんなわけで、内容は全く無い。

どうもすみません。

2023年9月9日土曜日

オレンジ・ワイン


この数年話題になり、じわじわと人気が出てきているのが「オレンジワイン」です。もちろん、オレンジから作るわけではなく、ブドウが原料で、赤・白・ロゼに次ぐ第4のワインと呼ばれています。

ごく大雑把に言うと、黒ブドウで造るのが赤、白ブドウで造るのが白、そして黒ブドウを白の製法で作るのがロゼ。オレンジ・ワインはロゼの逆で、白ブドウを赤の製法で作ったものです。

もう少し追加すると、赤ワインは皮と種を含めて発酵させ、白とロゼは皮と種を取り除いています。つまりオレンジワインは、白ブドウの皮と種を含めて発酵させるわけですね。

ワイン発祥の地として知られるジョージアでは、もともとこのオレンジワインが作られていて、アンバーワインと呼ばれていました。当然、普通の白ワインよりも皮と種から抽出されるポリフェノール(タンニン)が多く含まれた、白よりも黄色味の強いオレンジ色に仕上がります。

貰い物ですが、初めてオレンジワインを飲むことができました。Maria Bortolotti "ELIGIO BLANCO"というもので、イタリアのロマーニャで造られているもので、ブドウは白の代表的な品種であるソーヴィニヨン・ブランです。

飲んでみると、確かに白じゃない。白のようなフルーティな香りはあるんですが、むしろタンニンを強く感じるので赤に近い舌ざわりです。

どちらかというと赤より白を好むので、これだったら普通の白を選んでしまうかなと思いました。

2023年9月8日金曜日

白なす


真っ白な茄子です。

正直、初めて見ました。長茄子タイプもあるようですが、これは丸茄子タイプ。

普通の紫の茄子より、外側は硬くても果肉が柔らかくアクは少ない・・・だそうです。

とろける美味しさということですが、料理の仕方がイマイチなのか、普通の茄子と変わらず・・・普通に美味しかったです。

2023年9月7日木曜日

たそがれ清兵衛 (2002)

山田洋次監督の藤沢周作原作の時代劇三部作の最初の一本にして、最も評価が高い作品。もしかしたら、「寅さん」シリーズを除けば、山田監督にすれば「幸せの黄色いハンカチ(1977)」と二分する人気を誇るのではないでしょうか。アカデミー外国映画賞にノミネートされ、日本アカデミー賞でも最優秀作品賞をはじめとする主要な賞を独占する14冠を達成しています。

藤沢周平の小説は江戸時代の平侍や庶民が主人公であることが多く、その舞台としてしばしば海坂藩(うなさかはん)が登場します。東北のどこかという設定ですが、藤沢の出身地である山形(庄内藩)をイメージしているものと思われます。山田三部作、「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、「武士の一分」はいずれも、場所は海坂藩であり、時代は幕末に設定され、武士としての侍の魂が形骸化しサラリーマン化した下級武士たちの日常の中での悲喜こもごもが描かれます。

藩の貯蔵食糧管理を行う井口清兵衛(真田広之)は、妻を亡くし、認知症となった母親と二人の娘を育てる質素な生活のため、仕事が終わると真っすぐに帰宅し、内職に追われる毎日です。仕事終わりの付き合いをしない清兵衛は、同僚たちから「たそがれ」と呼ばれていました。

ある日、親友の飯沼倫之丞(吹越満)から清兵衛の幼馴染でもある妹の朋江(宮沢りえ)が、乱暴者の夫である甲田豊太郎(大杉漣)と離縁して戻ってきているという話を聞きます。家に帰ると、その朋江がいて、こどもたちとも楽しく過ごしていました。 暗くなって朋江を送っていくと、飯沼の家に酔った甲田が押しかけ倫之丞に刀を抜けと迫っているところでした。

清兵衛はしかたがなく、間に入って自分が代わりに明日相手になると申し出ます。翌日、河原で対峙した甲田を、清兵衛は木刀で気絶させたことで、意外に清兵衛が剣の使い手であるという噂は場内に広まってしまいました。

朋江はそれから幾度となく清兵衛の家を訪れ、食事の支度、着物の直し、老母の世話、こどもたちの遊び相手などをして過ごすようになります。倫之丞は、清兵衛にいっそのこと朋江を嫁にしないかともちかけますが、清兵衛は飯沼家と貧しい井口家では格が違い過ぎると断るのでした。その日以来、朋江は清兵衛の家に来なくなりました。

その頃、藩主が急死したため世継ぎ争いが起こり、旧体制派は大方切腹させられ粛清されました。しかし、一刀流の名手、余吾善右衛門(田中泯)だけは切腹を拒否して家に立てこもってしまいます。清兵衛は家老に呼び出され、藩命として余吾を斬れと申し付けられてしまいます。清兵衛は朋江を呼び出し支度を手伝ってもらいますが、朋江は新たな縁談が進んでいるので、帰りをお待ちできませんが無事を祈っておりますと言うのでした。

全体の話の進行役は、清兵衛の末娘が思い出として語るという形式になっていて、ナレーションを担当したのは岸恵子。ラストシーンで、実際に墓参りをするところで登場します。数編の短編をつなげた割には流れがスムースなのは、舞台設定が共通であることの他に絶妙なナレーションのお陰もあるかもしれません。

本来アクション俳優である真田広之が主役に起用された最大の理由は、最後の田中泯との室内での殺陣にありそうです。比較的長い時間が費やされる(おそらく)リアルな斬りあいの場面は、さすが真田というところ。まともに戦っては剣術が鈍ってしまった自分が勝てる相手ではないと思っている清兵衛ですが、自分は死にたくないし、相手を殺したくもない。できれば、相手に逃亡してもらいたいと思っていますが、相手の真剣さに侍の魂を呼び起こされるという複雑な戦いが見事です。

田中泯は、もともと独自の舞踏を行うパフォーマーとして知られ、振付師として単発的な映画・テレビなどへの参加がありましたが、自ら演じる映画出演は本作が初めて。ところが、多くは無い登場シーンですが、その存在感はすさまじい。この後、多くの映像作品で引っ張りだこになりました。

三部作は、いずれも下級武士とひたむきに慕う女性との人情劇です。本作の真田広之・宮沢りえ、「隠し剣 鬼の爪」の永瀬正敏・松たか子、「武士の一分」の木村拓哉・檀れい、いずれも話題性があり演技力の確かな俳優をしっかりキャスティングしており、それを山田監督の馴染みのベテラン俳優陣が側面からしっかり支えることで、ドラマとしての構成を堅実な物にしているようです。

また、幕末の庶民の暮らしという時代考証が難しいところを、かなり入念に考え抜いたようで、見る者がたぶんそんなんだろうなと納得できる絵作りもさすがです。「寅さん」と「釣りバカ」だけではない、やはり映画人としての山田監督の真骨頂が結実した作品群と言えそうです。

2023年9月6日水曜日

隠し剣 鬼の爪 (2004)

山田洋次監督作品。藤沢周平原作の時代劇三部作の一つ。表題作だけでなく、数編の短編のエピソードを利用して人情時代劇に仕立て上げました。舞台となるのは東北の小さな海坂藩、藤沢周平の小説にはしばしば登場する架空の藩です。

藩の下級武士の片桐宗蔵(永瀬正敏)は、母親の片桐吟(倍賞千恵子)、妹の志乃(田畑智子)、そして女中のきえ(松たか子)と貧しくても楽しく暮らしていました。

志乃は親友の島田左門(吉岡秀隆)に嫁ぎ、吟も亡くなり、きえも商家に嫁いだため家は火が消えたように静まり返ってしまいました。それから3年たち、宗蔵はたまたま町でやつれたきえを見つける。幸せに暮らしていると口では言いつつも涙を流すきえでしたが、その数か月後、きえが長く病で臥せっていると聞いた宗蔵は、商家に乗り込むのです。

宗蔵は、粗末な扱いをされ意識も朦朧としているきえを、抱きかかえ連れ出してしまいます。きえは体調を取り戻し、宗蔵は再び女中としてきえと一緒に暮らすようになりますが、世間での評判を落とすことになります。宗蔵は本心と違い、きえに実家に戻って自分の新しい人生を送るように言うのです。

その頃、道場で宗蔵の好敵手だった狭間弥市郎(小澤征悦)が、謀反が発覚し江戸で捕らえられます。他の仲間と違い、弥市郎だけは切腹を許されず国元に連れ戻されます。しかし弥市郎は牢を破り逃亡するのです。家老(緒形拳)は、宗蔵に成敗を命じます。斬らぬなら宗蔵も仲間とすると言われ、宗蔵は承諾せざるをえなませんでした。

宗蔵は剣の師匠、戸田寛斎(田中泯)のもとを訪れ、弥市郎と勝負することになったことを報告し、新たな技を伝授されます。もともと一番の剣の使い手だった弥市郎は、宗蔵が秘技「鬼の爪」を戸田より教わったことで自分より力をつけたと思っていました。そして、いよいよ宗蔵は弥市郎を討つために出発するのです。

基本的に、きえを巡っての人情話と、鬼の爪と呼ばれる秘技に関する旧友との決闘という別々の話が主軸になりますが、さすがに山田監督はそのストーリーの自然なつながりの構成は素晴らしく、まったく違和感がありません。もっとも、別々の話として無理を感じる人もいることは否定しません。

山田監督ですから、殺し合いの殺陣が見どころというよりは、宗蔵ときえのプラトニックな純愛ストーリーがメインだと思いますが、何しろ大ファンの松たか子なので、なんでも許せちゃうというところ。ただ、江戸時代とは言え、女性の受け身姿勢はやや気になるところ。そんなに嫁ぎ先で虐げられていたら、とっとと縁切寺に駆け込めと言いたくなってしまいます。

鬼の爪の正体は最後にやっとわかりますが、たしかに剣術の腕とはあまり関係ない。そういう意味では、タイトルに持ってきたのは、純愛時代劇ではあまりに話が柔らかすぎて受け入れにくいと思ったからなんでしょうか。山田監督作品は、最後は見ているものを裏切りませんので、安心して楽しめます。

2023年9月5日火曜日

武士の一分 (2006)

キムタクこと、木村拓哉の最初の時代劇映画。そして山田洋次監督の藤沢周平原作による時代劇三部作の一つ。当時、松竹映画としては歴代最高の興行収入となった大ヒット作です。

幕末の東北にある海坂藩が舞台。藩主の毒味役をしている三村新之丞(木村拓哉)は、妻の加世(壇れい)、父の代から下男をしている徳平(笹野高史)と暮らす毎日。剣術の腕をいかせる道場を持つことが夢。ところが、ある日の毒味で、貝の毒に当たった新之丞は失明してしまいます。

物が見えなければ、武士として使い物にならず、三十石のわずかな禄すら失うことになりかねない。親戚の者たちも、やっかいな問題を背負いこんだと困り果てる。そんな折、町で加世は、新之丞の上司に当たる島田藤弥(坂東三津五郎)から何でも相談に乗ると声をかけられます。

しばらくして、新之丞が失明したのは自分の代わりだからと藩主より、現状の家禄のまま養生してよいと沙汰が決まります。ようやく、少しずつ新之丞と生活も落ち着きを取り戻しつつありましたが、ある時叔母の波多野以寧(桃井かおり)がやって来て、加世の行動が怪しいと告げるのです。

新之丞は、徳平に加世の後をつけさせると、茶屋に入っていくのでした。加世を問い詰めると、島田の家に新之丞のことを頼みに行くと、タダで済むと思うなと無理やり関係を持たされてしまったことを告白します。新之丞は離縁を申し渡し、加世は家を出ていくしかありませんでした。

しかし、その後仲間に調べてもらったところ、島田はまったく口利きはしておらず、新之丞の扱いは藩主自ら言い出したことがわかります。新之丞は、弱味につけ込み加世を慰み者にした島田が許せず、武士の一分として死を覚悟して島田に果し合いを通告するのでした。

ドラマに出れば、いずれも高視聴率で人気の高かった木村の初時代劇とあって、世間の注目度も大変高かった。目が見えない役どころですから、キムタク独特の視線技は使えません。武士であり、しかも田舎訛りのあるセリフですから、言い回しもいつものキムタクとはだいぶ違います。それでも、無難にこなせたのは共演人のサポートがよかったということでしょうか。

檀れいは宝塚を退団したばかりで、一般メディアへは初登場。娘役だったことをいかして、夫を必死で支えようとする武士の妻を好演しました。映画で唯一の悪役である島田を演じる坂東三津五郎も、一見良い人という役柄をうまく演じています。失明した新之丞に剣術の稽古をつける師匠に緒形拳が少しだけ登場します。

ストーリーとしては、比較的最後がわかってしまう当たり前の進行ですが、実際の下級武士が、どのような生活をしていて、どのような悩みを持っていたのかをしっかりと描きだすところは、庶民派山田洋次の面目躍如というところでしょうか。

2023年9月4日月曜日

駆込み女と駆出し男 (2015)

江戸時代。妻が夫と別れたいと思っても、夫から離縁状を貰えない場合は、唯一、縁切寺に願い出るしかありませんでした。江戸幕府公認の縁切寺は、鎌倉の東慶寺、群馬の満徳寺の二つだけがありました。

離縁したい女は、寺に駆け込むか、身につけているものを敷地内に投げ入れれば駆け込みは成立とされ、寺は男女の間に入って調停を行います。東慶寺では、女を門前の宿に泊まらせ、男の元に寺法書を送付します。これを受け取ると、原則として開封せずに離縁状と共に返送しなければならないのですが、同意しない場合は女は寺に入りいろいろな雑用全般をこなし修行すことになりますが、2年間経つと公的に離縁が成立する仕組みになっていました。

この映画は井上ひさしの「東慶寺花だより」を原案として、原田眞人が監督・脚本を担当しました。原作は駆け込む女と追いかけてきた男の人情話を中心とした連作短編集で、映画のストーリーそのものはオリジナルです。

日本橋の唐物問屋の堀切屋三郎衛門(堤真一)の妾、お吟(満島ひかり)は、ある晩、鎌倉の東慶寺を目指して駕籠に乗りますが、もう少しのところで駕籠かきに襲われ足をくじいて動けなくなってしまいます。そこへ通りかかったのは、七里ヶ浜で鉄練りを稼業とするじょご(戸田恵梨香)で、女遊びにうつつを抜かす夫の鉄蔵(武田真治)との離縁を願い出るため、同じく東慶寺に駆け込もうというところでした。

そこへ、江戸で幕府の政策に異を唱え居場所が無くなった医者見習いの中村信次郎(大泉洋)が、叔母である東慶寺門前宿の三代目柏屋源兵衛(樹木希林)を頼ってやって来る。ところがお吟とじょごは、追手と勘違いして信次郎を殴り倒してしまいます。

駆け込みに成功したお吟とじょごでしたが、堀切屋と鉄蔵は離縁を承知するはずかなく、二人は山に入る、つまり東慶寺に入ることになります。法秀尼(陽月華)の厳しくも慈愛に満ちた指導により、新旧の様々な駆け込み女たちが日々を充実させていました。

しかし、お吟が喀血します。信次郎は代診として東慶寺に入ることが許され、お吟の病気が労咳(肺結核)であることを知るのです。じょごは薬草を採取したり育てたりして、献身的にお吟を看病しますが、信次郎は寿命がそう長くはないことをじょごに伝えます。また、幕府の目付として怖れられた鳥居耀蔵は、東慶寺を潰そうと画策を始めるのです。

東慶寺に助けを求めて駆け込んでくる女たちは、メインの二人だけではなく、映画の中では何人かのエピソードが織り交ぜられているため、ストーリーのバラバラ感が無くはない。しかし、それは、縁切寺そのものの存在理由を雄弁に語る材料であって、東慶寺を舞台とする意味が明確になるためのもの。

最初はやや高慢に見えるお吟ですが、東慶寺に駆け込む本心が見えるに従い、じょごとの関係も次第に心のこもった物に代わっていきます。やはり、演じる満島ひかりは只者ではない。舞台俳優のような言い回しから、些細な会話まで、すべてにおいて圧倒的な存在感があります。

戸田恵梨香はストーリーを進ませる推進役で、しっかり者で関わった人から信頼される役どころを好演しています。大泉洋は硬派な内容の中で、コメディ担当の役回りですが、控えめな演技で場を壊さずにいいアクセントになっています。

脇役としては、山崎努、中村嘉葎雄ら重鎮をはじめ、キムラ緑子、橋本じゅん、北村有起哉、でんでん、蛍雪次郎、内山理名などなど、手堅い布陣でそつなくまとめあげました。音楽も使い過ぎずに、演技に集中できる感じが好ましいと思いました。

多少の時代考証のあらはありそうですが、今時の人情時代劇としては十分に優れた作品になっていると思います。

2023年9月3日日曜日

リストランテ・アダージォ @ 中軽井沢

あれれ、気が付いたら9月。

暑さが続き9月になったとは思えませんが、学校も始まってますし、みなさな夏の思い出はいろいろ作れたでしょうか。

まぁ、昔から避暑地で、高級別荘地として有名なのが軽井沢。学生の頃は自分も、夏合宿と称して毎年のように行っていましたが、いつも屋外にいたせいか涼しい場所という印象があまりない。

厳密には、旧軽と呼んでいる軽井沢銀座あたりが、観光客にとっては軽井沢そのものなんですが、周りの地域もどんどん「なんちゃら軽井沢」と呼ばれるようになって、どこまで行っても軽井沢。

その中でも、浅間山の入口になる中軽井沢は、まぁ確かに軽井沢です。さて、そこで急に「イタリアンを食べたいなぁ・・・」と思ったら・・・・


ここです。リストランテ・アダージォです。Adagioは、クラシック音楽好きにはお馴染みの言葉で、イタリア語で「ゆるやかに」という意味。

オーナー・シェフによる本格的な正統派イタリア料理が楽しめます。スタンダードなコースは1万円しません。数人で行けば、赤と白のワインをボトルで頼んで楽しめます(もちろんグラスもあり)。

アンティパストに続いて、プリモ・ピアットはパスタ数種類から選べました。でも、ここは贅沢にアラカルトでチーズ・リゾットも頼んでしまいました。


この日のシーフードのセコンド・ピアット(メイン・ディシュ)は、鮑のステーキ。もう言葉はいりません。旨い、美味しい、美味。一方、肉を選ぶこともできますが、定番のビーフでこちらも間違いない。


最後のドルチェは、ここも定番のティラミスにしました。実にくどくなく甘みも強すぎず、素直な優等生でした。

近くに行ったときは、是非お立ち寄りください。

2023年9月2日土曜日

セブンのおにぎり 9


今回は、あまり変わり種ではないかもしれません。

まずは右の「高菜ご飯と明太子」なんですが、これは前にもあったので食べたことがある方はけっこういるかもしれません。

ちょっとピリ辛のみじん切りの高菜漬けを、比較的ケチケチせずにごはんに混ぜてあり、真ん中にはほぐした明太子が入っています。

高菜漬けの食感がしっかり感じられ、場合によっては明太子無しでも十分いける感じ。もちろん明太子は歓迎ですが、辛さはそれほどではありません。

左の「チャーシューわさび」は、記憶にはありません。新作じゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。

そのまんまですが、わさび醤油の混ぜご飯の中に、欠片状の焼豚が入っているというのは、まさに品名そのまんま。

まぁ、悪くはありませんが、それ以上でもそれ以下でもないというところ。選択肢が無ければ、これでもOKなんですが、積極的に食べたいと思うほどではないように思いました。


2023年9月1日金曜日

予告犯 (2015)

筒井哲也によるマンガが原作。インターネットが普及して、これをうまく犯罪行為に利用しようという、当時としてはナイス・アイデアの作品。マンガ、映画が好評だったのか、WOWWOWでドラマ化(主演は東山紀之)もされています。監督は前年に「白ゆき姫殺人事件」で、SNSの危険性を映画にした中村義洋。脚本はそこでもタッグを組んだ林民夫。

目と口の部分だけ穴を開けた新聞紙を被って、シンブンシと名乗る人物がネットに動画を上げました。世の中の人を人と思わない行為を平然と行う人物を特定し、罰を与えることを予告するのです。

そして、予告通り、食中毒を起こしても誠意ある対応をしなかった会社が放火されたり、飲食店の調理場でゴキブリを調理する様子をネットに配信した人物が、拉致され無理矢理ゴキブリを口に突っ込まれたり、性犯罪の被害者を自業自得とネットで中傷した者が痛めつけられたりしてその様子が配信されたのです。動画に映るシンブンシは、どれもが体格が違い、複数人の一味と考えられました。

これらの事件を受けて、警視庁サイバー犯罪対策課の若きエース吉野絵里香(戸田恵梨香)、部下の市川(坂口健太郎)らは捜査に乗り出し、発信源はインターネットカフェのピットボーイであることを突き止めますが、多くの支店のあちこちからと見せかけて、巧妙にカモフラージュされているのです。

奥田浩明(生田斗真)は、IT会社で働く派遣社員。正社員を夢見て必死に頑張りますが、あまりにひどい扱われ方に絶望し、日雇いの廃品回収業に就くのです。そこで、元ミュージシャンの夢破れた葛西智彦(鈴木亮平)、小太りの寺原慎一(荒川良々)、無口で人見知りの木村浩一(濱田岳)、そしてフィリピンから離れ離れの父親に逢いたい一心で来日したネルソン・カトー・リカルテと知り合いになり、打ち解けていくのです。

しかし、あまりに過酷な労働環境のために、来日費用を捻出するため片方の腎臓を売っていたため体調を崩したリカルテが死んでしまいます。非情な現場監督に対する怒りを爆発させて、4人は監督を殺してしまうのでした。そしてある目的のためにシンブンシとして活動を始めたのです。

時にはLIVEで犯罪行為をネット配信をするというのは、実にネット社会らしい発想。しかも、それに対して「いいね」の評価がしだいに増えて無関係な人々が溜飲を下げるというのも、辛辣に現代の闇を描いているところです。

ただし、あくまでもネット社会は話の組み立てのパズルの一つであって、この映画の本質は別のところにありそうです。不幸な環境にあっても、頑張り続け成功者となった人物として警察側の吉野が存在し、頑張っても報われることがなかった者としてシンブンシ一味が対比されます。結果が違うことで、両者は理解し合うことは難しくなってしまいます。

そして報われなかった者たちは、「たったそれだけのことでも、すこしでも人のためになるなら」どんなことでもやろうと考えるのだということ。できることが限りなく少ない中で、本当にちっぽけな想いを実現するために最大限の努力を惜しまないのです。しかし、それが犯罪であれば、結末には不幸が待っていることは避けられません。

狙いとしてはなかなかよく出来た映画だと思うのは、原作の良さが大きいかもしれません。ただし、原作を知らないと、若い女性がいきなり警察の特殊部隊のトップとして登場することの説明がほとんど無いので違和感が大きい。また、サイバー犯罪対策課と言っておきながら、彼らが主にしているデジタルな仕事は発信地の特定くらいで、結局はアナログな従来の捜査が多いのは残念な所です。