夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2008年6月7日土曜日

れっつ医師会 6月

医師会の役員をやるようになったのは去年7月から。もうじき1年たちます。

そろそろ今年もやらなければならない医師会の仕事が出てきました。会議に出て弁当だけいただいて帰ってくるわけにはいかなくなってきました。

今年も秋に区役所と共催で講演会を行います。昨年は大地震などの震災を中心にした、防災がテーマでした。さて今年は?

もしも新型インフルエンザの大流行がもしも起こったら、地震以上の人的被害が発生すると予想されていますので、広い意味では災害としての対策が必要になります。そこで風評被害を防ぐためにも、みんなが正しい知識を持っていただくことが重要と考え、新型インフルエンザをメインテーマとした会を計画しています。

また、この時に併せて救急医療の講習会の企画もしていく予定です。さらに、区役所と「本音で行える」防災計画を整備していくための会議を行っています。今月あたりからは、実際的なディスカッションが出てくると思いますし、昭和大学横浜市北部病院とも話し合いをしていく予定です。

ところで先日、あざみ野棒屋先生がセンター南駅前ロータリーに面する10のクリニックという書き方をしていましたが、この中で医師会に入っているのは6つ。残りの4つは医師会に入っていません。今までは、自分にも余裕がありませんし、そこまで考えたこともありませんでしたが、限局した場所で、敵対関係でやっていくことはお互いに利益はありませんから、何らかの協調関係は必要になってくるかもしれませんね。

どのように考えるかはいろいろですけど、これからは非医師会会員の先生方との関係というのも無視はできなくなりそうです。

その気にさせないで


キャンディーズです。言わずと知れた、70年代から80年代にかけての超アイドル・グループ。でも、バラエティで笑いを作った最初のアイドル、つまりバラドルではないでしょうか。

淳子・百恵・昌子もレギュラーで笑いを取ったりはしませんでした。秀樹・ひろみ・五郎もしかり。真理・ルミ子・沙織だって。キャンディーズはアイドルにもかかわらず、キャラを壊しました。

伊東四朗や小松政夫と一緒になって、「世界のニャンニース」なんて叫んでいましたよね。まぁ、正直言ってそれほどファンではなかったのですが、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は同時の一番人気のパラエティだったんではないでしょうか。

「あなたに夢中」(1973)、「そよ風のくちづけ」(1974)、「危い土曜日」(1974)、「なみだの季節」(1974)に続いて発売した「年下の男の子」(1975)が始めてヒットチャートのBEST10入りしてブレーク。「内気なあいつ」(1975)をはさんで発売された7枚目のシングルが「その気にさせないで」(1975)。

それまで、勢いだけで歌っていた感じでしたが、初めてグループとしてのハーモニーを重視し音楽的に昇華した楽曲となったのです。 コーラスはかなりシュープリームスを意識して、伴奏もR&B的なのりです。

その後は「ハートのエースがでてこない」「春一番」「夏が来た」とヒット曲を連発したわけです。キャンディーズの音楽的な方向性を確立した曲として、「その気にさせないで」は忘れてはいけないターニングポイントと言えそうです。

2008年6月6日金曜日

ちょっと嬉しい生姜焼き

今日はこどもは体育祭ということでしたが、クランド・コンディション不良のため中止。用意していた唐揚げなどは、急遽冷凍。

「えっ、唐揚げは~」という声に、「うるせぇい、てやんでぇ、べらぼうめ。生姜焼きを前倒しで作るんでぇい」と啖呵を切って、作りました。こどもは、ちょっと嬉しいわけです。

しめじ炒め
炒り卵
しゃけほぐし
きゅうりの漬け物
そして、生姜焼き。

どう、ちょっとおかずいろいろ。
とはいっても、まじめに作ったのは生姜焼きだけ。やっぱ、手抜きか。

りうまち専門医

関節リウマチという病気、日本には約70万人の患者さんがいると言われていますが、実は関節リウマチ専門医と呼べる医者は約8000人いるのです。

もしも、全ての患者さんが専門医の診療を受けているとしたら医者一人平均87.5人の患者をみていることになりますが、実際にそんなことはないでしょう。専門医以外のところで治療している患者さんも大勢いるでしょう。

ただ、ここで問題なのは専門医以外の医者の話ではなくて、専門医そのものです。関節リウマチ専門医は内科系と整形外科系に別れます。

つまり主として内科系の日本リウマチ学会と日本整形外科学会がそれぞれ別々に認定をしているのです。日本リウマチ学会の専門医はおよそ3000人、日本整形外科学会の専門医はおよそ5000人といわれています。

これは患者さんにとっては混乱を招くことになりますよね。どっちに受診するのか悩みどころです。もともと関節の痛みで病院に行こうと思うことから、はじめは整形外科にかかる可能性が高い。しかし、変形がないうちは薬の治療が中心になるので内科的に管理されることになります。

特に最近のように、どんどん薬が進歩し、しかも副作用が大変重要な課題になってくると、内科中心と考えられなくもありません。生物学的製剤の登場により、今後はますます変形を起こして手術が必要になる患者さんは減少すると予想されますので、ますます内科的疾患になっていくものと思います。

ただ、内科系の医者は血液検査に頼る傾向があり、また整形外科の医者はレントゲン検査に頼ることが多いんです。両方のバランスが必要なわけで、そういう意味で、じぶんの場合はリウマチセンターに行けたことは本当に幸運でした。

ですから、クリニックレベルでは「整形内科」をやっている専門医のところに受診するのがベストではないかと思うんですよね。基本的には関節リウマチは外来で診る病気です。コントロールがどうしてもつきにくい患者さんや合併症や副作用のある患者さんは、専門施設の病院のリウマチ内科が必要になります。

リウマチ内科の医者は、適切な時期に適切な手術治療を整形外科に依頼できる知識も併せて習得することを強く望みます。整形外科も十分に薬を使いこなす勉強をしなければなりません。

自分は、日本整形外科学会の専門医の資格を取っています。女子医大リウマチセンターにいたので、取ろうと思えば日本リウマチ学会の専門医も取れると思うのですが、実はこのような専門医の資格を維持していくのには大変な時間と費用と労力が必要なのです。

だからこそ、意味があるわけですが、日本整形外科学会専門医(全般)日本整形外科学会リウマチ専門医の二つの資格を維持していくだけでも、いっぱいいっぱいなのです。学会に行って、ちゃんと教育講演を聴いて単位を集めなければならないのです。

開業してからは、なおさら簡単にクリニックを休んで学会にいくわけにはいきません。さらに資格を増やすのは、とてもきついと思い日本リウマチ学会の資格には手を出していません。実は日本手の外科学会の専門医も取れる状況でしたが、同じような理由であきらめました。実際、開業して手の外科専門で患者さんが集まるとは思えませんし。

一時、両方の学会のリウマチ専門医を統一していくというような話もあったように思いますが、なかなか話は進みませんね。ただ、多少は整形外科専門医からリウマチ学会専門医への移行措置はあるようなので、今後考えたいとは思います。どちらにしても、とにかく専門医として恥ずかしくない知識と経験を積み重ねていくしかありません。

ぬいぐるみ

自分は男ですから、あまり人形とは縁がありませんでした。

ただ、小学生のころにチャーリー・ブラウンの漫画が流行って、もとの英語のセリフ付きのピーナッツ・ブックがうちにも何冊か転がっていた時代があります。

スヌーピーは大人気で、何故か自分もスヌーピーのぬいぐるみを持っていました。自分で欲しがったのかどうかは覚えていません。

うちのこどもたちも何となく人形が好きで、小さい頃はいくつか買わされた覚えがあります。ただし、あまりかわいげはない。ドラゴンとか、なんかわけのわからない動物とか・・・。

今でもベッドにはザク(←ガンダム)の頭だけのぬいぐるみが転がっています。枕にするにはコロコロしすぎか。

2008年6月5日木曜日

るみえーる先生

自分のクリニックは、いわゆるクリニックモールと呼ばれる診療所が複数入ったビルにあります。とは、言っても、特別にモールの名前が無かったので、センター南医療ヴィレッジというのは、自分たちで勝手に決めた名称。公式の呼び名ではないので、郵便物に書いてもだめです。あしからず。

3階に眼科がありまして、アキコ・ルミエール眼科という名前です。ルミエールはフランス語の光という言葉から来ているそうで、眼科と光は大いに関係がありますから、なるほどと思うネーミングです。最近はルミナリオという言葉もよく使われますので、けっこう市民権を得ているようです。

2005年11月末に開院していて、うちより1週間早い。でも、内装工事が始まったのはうちより遅くて、あっという間に工事が終わったのでびっくりしたのを覚えています。

ここの院長先生は山口暁子先生といいます。卒業は、東京女子医科大学で、自分とだいたい同じくらいの年代にあたります。自分も女子医大のリウマチセンターに所属していますので、そっちの方で山口先生をご存じの先生も何人かいらっしゃいました。

大変な美人の女医さんで、実はお嬢さんがさらに美人。山口先生も相当若く見えるので、一緒にいると姉妹にしか見えません。今年の正月には、山口先生のお母様も一緒に女系3代で中国旅行。きっと目立ったでしょうね。

自分がブログを書くようになったのはあざみ野棒屋先生の影響、あざみ野棒屋先生はルミエール先生の影響でブログを始めたとのこと。ただ、残念なことに本家本元のブログは昨年の開院2周年で止まっています。何とか、再開してもらいたいと思います。

自分のクリニックのBGMには自分の趣味でクラシックのピアノ曲と弦楽四重奏曲が流れますが、実はその間隙をぬってジャズをよく使います。ところがルミエール先生も相当なジャズ好きのようで、だいぶはまっているようです。そこで、この前Oscar Petersonをお貸ししたところ、お礼にと水戸納豆をいただきました(つながりは不明)。これからもガンガンとジャズを流していきましょう!!

2008年6月4日水曜日

「を」ってがんばってますよね。誰も見向きもしてくれないのに。でも、「を」がなかったら日本語は随分使いずらくなるでしょうね。

「君を愛している」なんて告白するとき、「を」がなかったら、愛していると言いたい相手がはっきりしなくなっちゃう。

どう発音しています? うぉっと読んでいる人が多いと思いますがも「お」との区別は無いようですよ。「を」とひらがなで書いた場合は、「遠」の草体。カタカナで「ヲ」と書いた場合は「乎」の変形だそうです。

でも、「せざるを得ない」「やむを得ない」と言うときには、絶対に「を」でなければならないわけで、意外と存在感がありますよね。眞鍋かをりも「かおり」じゃありません。

何気なく使っていますが、外国人が日本語を勉強するときに一番難しいのは、こういう助詞の使い方でしょう、。無意識に使い分けることが出来るようになった日本人は、けっこうすごいかも・・・

いんたーねっと

パソコンというものが、世の中で手軽に使えるようになったのはNECのPC-8001というパソコンが80年代にはじめに発売されてから。数年後にはmodemと電話回線を使って別のパソコンと接続することができるようになりました。

この頃はウィルスなんてことは心配することもなく、ある意味原始的な状態だといえるかもしれません。この頃はパソコン通信と呼ばれ、基本的には1対1の接続、またはサーバーとなるパソコンの下に接続したクライアントがすべてぶら下がっているわけです。個々のクライアント同士では接続することはありませんでした。

そのうち大学レベルで情報の共有を目的に、それぞれのパソコン通信を接続する試みが始まり、ネットワークとネットワークをつなぐという意味でインターネットと呼ばれることになります。これが90年代始め。当時パソコンはCPUクロックがせいぜい100kHz程度。メモリーも32MBとか64MBでしたね。

一部のマニアは、モデムを使って自分で接続ソフトを調整して楽しむようになりました。当時のホームページはほとんどテキストのみで、画像なんて重たすぎて使いません。そして一般向けにもIPアドレスを解放し、Windows95が発売され、OSレベルでインターネットをサポートするようになったことが、今の爆発的な普及のきっかけでした。

それに会わせるようにISDNが登場し、それまでのmodemよりも高速な通信が可能になったことも大きい要因です。ロクヨン・ロクヨン・イチニッパーというのは当時のトレンドでした。そして、画像も使えるレベルになり、電子メールも一般化。世の中のすべての紙文化は消滅するのではないかという勢いです。

90年代後半になってくると、音楽や動画も配信できるようになってきました。最初にネット・ビジネスを思いついた人はすごい。携帯電話の普及も、インターネット無しではありえなかったでしょう。

そこで、ふと思い出すのが、本来の大学などの研究を促進するための本来のインターネット。今の状況の中で、十分に機能しているのでしょうか。逆に商業的なネット利用の中に埋もれてしまってはいないでしょぅか。

このようなブログも大手10社くらいに開設されている数は日本人4人に一人がブログを書いているといわれるくらいの数だそうです。実際にそんなに多くの人がやっているはずもなく、自分も作ってみたけど放置しているものがあったりします。ネットワークの無駄使いということも気にしたいものです。

2008年6月3日火曜日

ろいまちす

ろいまちす・・・昔の関節リウマチの呼び名で、ドイツ語が語源です。日本の医学は、もともと戦前のドイツ医学からの流れの中で出来上がってきたので、今でもドイツ語がちょろちょろと残っているんですよね。

でも、自分くらいの年の医者からは、ほとんど現場でもドイツ語を使うことは無く、ほとんど日本語化した言葉としての元ドイツ語だった単語をちょこっと使う程度です。でも、今時関節リウマチをロイマチス、あるいはリューマチと呼ぶのは、相当年配の医者だけです。

この言葉には、実はヒポクラテス以来の医学の歴史が凝縮していて、関節痛を呈する疾患全般を含むものだったんです。ですから、年齢から来る膝の痛みのようなものもロイマチスと呼ばれることがしばしばあったので、昔はやたらと「リューマチ」が多かったわけです。

「私も昔はリューマチをやってね・・・」というようなことを仰る年配の方がよくいますが、この場合はまず間違いなく今で言う関節リウマチではありません。

白血球はワイセ、赤血球はローテ、心電図はエーカーゲーなどもドイツ語です。また処方箋に薬の飲み方を記載するときにも、まだドイツ語からきた略語を用いています。最も生き残っている単語は、たぶんカルテ。英語ならカード card です。

現代日本医学は完全にアメリカに占領されてしまったような状態ですから、会話の中で「うちのクランケ(患者)はシュメルツ(痛み)が・・・」みたいに使う医者に出会うと、妙にすげーっと思ってしまうのでした。

はな咲くクリニック


・・・と、言ってもきゅうりですけど。あすなろ菜園第3弾です。

2週間くらい前にもらった苗が、どんどん大きくなって花が咲きました。ただし、これは花だけ。実はなりません。

先端の方に蕾があります(右の写真)が、よーく見るとミニきゅうり風のものが。これが実になる花。楽しみ楽しみ。

第2弾のミニトマトは順調にでかくなっています。でも、梅雨入りして日照が減るので、これからが心配。

2008年6月2日月曜日

にっぽんチャチャチャ

とにかくオリンピックが近づいてきました。日本人ですから、当然日本を応援します。

高校野球だと、まず自分が住んでいる神奈川を応援、もしもいなくなると育った東京、それもだめなら社長のふるさと長野、親戚がいるから熊本・・・だんだん遠くなっていきます。

オリンピックでも、もしも日本がメダルに届かなさそうな時は、アジアとか近場の国を応援したくなるのが普通ですよね。いきなりグローバルな視点で、ヨーロッパを応援しようなんていうのは、特別な関係が無いと難しい。

今回の中国五輪は、チベット問題、大地震、北京の大気汚染などさまざまな問題が見え隠れ、そこにさらに水泳の水着の問題などもからんで、始まる前から何となくもの上がりに欠ける感があります。

でも、やわらちゃんこと谷亮子選手のママでも金は是非見たいものです。そして、意外と嫌いじゃないのが女子バレーボール。なんか花があるし、選手がみんな元気で楽しそうです。

一時期消えていた栗原が日本のエース。よくぞ、復活した。残念なのが、栗原とメグカナ・コンビで活躍した大山がはずれてしまったこと。腰痛がひどいそうです。あすなろ整形外科にくれば相談にのるんですけどね。かおる姫も落ちちゃいましたね。

木村も成長しました。あいかわらず元気印の高橋もいいですけど、世界最強最小セッターと言われる竹下とともに、そろそろ引退も近いかもしれませんよね。ちなみに男子はきびしい戦いのようですね。

自分の記憶にある最も古いオリンピックが1964年の東京五輪。体操のチャフラフスカ、マラソンのアベベ、柔道のヘーシンク、陸上のヘイズらに混ざって、重量挙げの三宅、体操の遠藤らはある意味英雄でした。そして東洋の魔女と言われた女子バレーボールも忘れられません。

こどもたちは素直に選手の活躍をしっかりと覚えるものです。がんばれ、にっぽんチャチャチャ!!

ほんものになるために

自分の医者としての師匠というと、もちろん母校の整形外科学教室の教授を最初にあげなければなりません。次に、手の外科の手術をいろいろ教えてもらった先生がいます。そして、この春に退職された女子医科大学に移ってからの親分。今の自分が出来上がったのは、これらの先生方の力というわけです。

でも、実はもう一人尊敬して止まない先生がいるんです。それは母校で整形外科に入局したときの講師のU先生です。今は東京の国立医療機関で整形外科部長をしています。自分や家族が手術をするような場合に、メスをおまかせできる数少ない先生の一人です。

研修医のころ、当直などで、困ったときもすぐに相談に乗ってくれますし、手術のインストラクターも嫌な顔せずにやっていただけました。

逆にU先生の手術に助手で入るのは、極度の緊張をしたものです。なにしろ、術野に見えるものは何でも「これ何?」攻撃の対象になるのです。わからず、だまっていると、しばらくして、「で、こっちは?」という具合に、攻撃の手をゆるめてはくれません。

研修医の中には、怖くて震えて助手にならないものもいたようです。でも、こっちが勉強していけば、手術が終わった後には丁寧にいろいろ教えてくれるのです。

少し手術に慣れてきた頃に、よくある骨折の手術でインストラクターになってもらいました。こっちはすでに何回かやったことがあったので、気楽な気持ちでしたが、始まってすぐにU先生は難題を持ち出してきました。

金具を使った骨折の固定では、しばしば気動式ドリルを使用します。U先生は、気動式ドリルを今日は使わないで手術をしろというのです。となると手動式ドリルを使うしかありません。

「いつでも、どこでも、便利な道具が使えるとはかぎらない。どんな状態でもちゃんとした手術ができなくてはいけない」ということでした。スイッチを押せば、ギュイ~ンと簡単にすませていたことを、一生懸命ギコギコ回してやらねばならず、これは大変でした。

また手術中にレントゲンの透視を使って、位置などを確認することがあるわけですが、これを禁じられたこともあります。「患者さんのレントゲンの被曝は最小限にしないといけない。同時に自分も少しでも被爆しないことが大事」だからという理由からでした。

見ればいいやという安易な気持ちがあるもので、ついつい透視に頼ってスイッチを押してしまうものです。しかし、それ以来3次元的なイメージをいつでも持つようにする意識ができたと思います。

自分が一人医長で出向したときには、一人で何となく不安なので、当時比較的近くの一般病院にいたU先生に頼んで、近くの同じような環境の仲間数人と毎月症例検討会を開かせてもらいました。大学を離れると、そうそう珍しい症例はありません。

ところが、君たちこんなのみたことがある?といって出してくるU先生の症例のびっくりさせられること。こんな病気があるとは知りませんでしたみたいなものが、山ほど出てきます。経験だけではない、しっかりとした知識の裏打ちがないととても見つけることはできません。

自分の医者としてのスタイルは、そうやって作ってもらえたものと思っています。少しでも本物になるために、U先生から教わったことを少しでも実践しようと思いながら、今でも診療を続けているのです。

2008年6月1日日曜日

へんだよ、水着騒動

北島康介選手はは、4月9日のミズノ社の新作水着の発表会見で「スピード社は一流選手と多く契約しているから世界新が多いのは当然」と発言しています。

ところが4月中旬の五輪合宿でスピード社の五輪用新製品レーザーレーサーを選手が試着したところ、明らかにタイムが短縮することが確認されどたばたが始まりました。

北島選手のコーチは日本のメーカーに対する不満を言い出しています。去年まではスピード社の水着はミズノが代理店販売していたのが、ミズノが自社ブランドに切り替えたため、日本水泳連盟とメーカーの契約により、選手はスピード社の水着が使用できないということ。

これを受けて4月26日にミズノ、アシックス、デサントの国内3社に対し、五輪に間に合うよう性能改善を求めることを発表しました。さてそれから、あの選手は試してよかったとか、あっちで好記録がでたとか、あるいはやっぱりこれでいいとか、いろいろな話がでました。

そして、いよいよ5月30日に国内メーカーが新製品を発表。ところが31日からの合宿にはミズノは欠席。結局発表した新作を試せない不満が再び選手から出るというどたばたぶりです。まあ、1ヶ月で世界記録を出せる新製品を作れといわれても、しょせん無理な話で、とにかく何なんでしょうね。

でも、よく考えてみると、ちょっと変じゃありません? 締め付けのきついと言われているレーザーレーサーは、簡単に言えば加圧トレーニングと同じ原理なわけで、筋肉を圧迫することで大きな収縮力を得ることができるわけです。これは、明らかに「ドーピング」ですよ。

薬に対してはノイローゼかと思うくらいうるさいスポーツ界で、なんで道具については政治家まで加わって推し進めているんでしょうかね。野球などでは、一定の使用道具の規制があったりしますよね。水泳は、人間の体ひとつで勝負する、本来は道具とは一番縁の遠いところにあるスポーツではないのでしょうか。

もちろん、零点何秒以下の勝負ですから、できることは何でもしたいというのはわかります。でももしもスピード社の水着を使用してメダルを取っても、この雰囲気ではメダルはスピード社のもので選手のものではありません。何か違うんだよね~。

どっちにしても、もう時間はないんだから、選手の方々は自分を信じて突き進め!!

がんばれ、ニッポン!!

とりあえずブログで広告

自分が開業している横浜市都筑区というところは、横浜とは言っても海とはほど遠く港町の風情などはまったくありません。

どちらかというと、東京よりの町で、市営地下鉄グリーンラインが開通してからは、東急田園都市線と東横線で渋谷に出るのが楽、と考えているのは、もともと自分が東京育ち、それも渋谷育ちだからでしょうか。

そんな場所ですが、港北ニュータウンという名称でも呼ばれて昭和の時代から再開発が始まり、平成になって都筑区と独立して近代的な住みたい街となってきて、自分を含めてクリニックもわんさか集まり、活況を呈しています。

患者さんの側からすると、選択肢は多い方がいいわけです。ただインターネットに象徴されるように最近の情報過多傾向は止まるところを知らない勢いで、逆に多すぎる情報は無いのと同じ。患者さんも、どういうときにどこに受診すればいいのか判断に困るということになってきます。

医療機関の広告は厳しく制限されていますし、例えば「腰が痛いとき肩が痛いとき、骨折や傷といった外傷のときはあすなろ整形外科へ」というような広告は出させてもらえません。

写真を使うときも、受付のようにどこの医療機関にも必ずあるものは使えますが、何かの医療機械は有るところと無いところがあるために「均一な医療を提供する国民皆保険制度」の立場から規制されてしまいます。

これはナンセンスでしょう。そう思いません? それぞれの医療機関の特徴を出そうとすれば出そうとするほど禁止されるのでは、患者さんはますますどこに行くか判断できません。街に一軒のクリニックならいざしらず、これだけ狭い範囲に医療機関がひしめき合っていると、それぞれが特徴を出していくことが必要です。

もしも、すべての医療機関がいわゆる「総合診療科」であったら、人口に対して適正な数に規制すべきだと思います。今の医療制度の中では、医療機関は自由競争ができないわけですから。もちろん、それがいいと思っているわけではありません。

医者一人が持っている守備範囲は、現代の膨大な医療情報の中ではオールマイティというわけにはなかなかいきません。自分が医師国家試験の勉強をしている頃、つまり30年近くも前ですら、必要な知識量は戦前の数百倍と言われていました。

遺伝子レベルの急速な学問の発展を考えると、どんなに少なく見ても最近の国家試験はさらに数十倍の知識が必要なのではないかと思ってしまいます。もうすべてを知っているなんてことは人間ワザではありません。そこで、広く浅くでいくか狭く深くで行くか、ある程度選択をする必要があります。

診療所は広く病院は狭くという考え方がありますが、実際には医療制度の崩壊は歯止めが効かなくなっており、病院はいろいろな問題でしだいに機能しなくなっている。

とにかくまずはクリニックへという方向性があっても、クリニックではどうせらちがあかないから最初から大きな病院に行った方がいいや、という考え方も根強くあるわけです。開業医は総合診療科になれといわれても、結局病院への集中につながるだけのような気がします。

もっと基本に立ち返ると、病院と診療所の違いは医者の違いではなく、入院するベッドがあるか無いかの違いだということに政治家さんや役人さんに気がついてもらいたいもんです。もちろん、受診する患者さんの意識改革も必要で、そのためにも医療機関を適切に選択できるような情報公開の仕方を可能にしてもらいたいと考えるわけです。

というわけで、都筑区の整形外科の話。都筑区には整形外科をまっさきに標榜している、つまり専門を宣言している医療機関は自分がわかっているところで次のようなところがあります。

港北整形外科・仲町台さいとう整形外科
センター北根上整形外科医院・木下整形外科
笠井整形外科・えんどう整形外科
あすなろ整形外科クリニック・横浜つづき整形外科
リッツ・クリニック
葛が谷整形外科・野沢整形外科

それぞれに特徴があるわけですが、自分がわかっていることわかっていないことがありますし、たぶん広告制限にもひっかかるかもしれませんから、ここに書くわけにはいきません。

医師会に入っている先生、入っていない先生、整形外科専門医の先生、そうではない先生、スポーツ障害が得意な先生、リウマチが得意な先生(自分?)、骨粗鬆症に詳しい先生、背骨の病気が得意な先生、休日にも診療する先生、往診がてきる先生、在宅中心の先生・・・などなど、特徴はいろいろ。

自分のクリニックは整形外科全般は常識的に広く浅くカバーしているつもりですが、その中で特に得意としている部分自分そのものを知ってもらうために、このブログを書いているわけで、何とか患者さんの医療機関選択の材料にしてもらえればと考えています。

さぁ、6月です。また新たな気持ちでがんばるぞ!!