夏季臨時休診のお知らせ

8月15日(金)~8月20日(水)は臨時休診となります ご迷惑をおかけしますが、お間違いないようにご注意ください

2025年8月2日土曜日

エレキの若大将 (1965)

これは若い人にはタイトルの意味がわからんかもしれない。エレキは電気のエレキですが、60年代にアメリカのベンチャーズの人気から日本でも大流行したエレキギター(電気ギター)のことで、今のバンドブームの元祖と言えるものを巻き起こしました。若大将というのは読んで字の如しですが、今でも若大将と言えば加山雄三の代名詞。

東宝は若手の中で加山雄三の溌剌としたイメージを利用して、若大将シリーズの映画をたくさん作りました。テレビがそれほど娯楽として定着していない時代ですから、一度ヒットした映画はシリーズ化されるのが恒例で、例えば松竹の「男はつらいよ」シリーズとか、東映の任侠ものなどは新作をほぼ年に2本ペースで公開していました。

加山雄三は昭和の大スター、上原謙の息子で、慶応ボーイです。大学卒業と同時に東宝で1960年に俳優デヴュー、翌1961年には早くも「大学の若大将」が作られシリーズ化しました。1962年の黒澤明の「椿三十郎」では若侍の一人でしたが、1965年の「赤ひげ」では三船敏郎に絡む準主役に抜擢されています。

主人公のニックネームが若大将で、悪友は青大将と呼ばれ田中邦衛が演じています。シリーズ前半は若大将は大学生で、マドンナ役は星百合子。後半は社会人になってマドンナは酒井和歌子に代わります。父親は有島一郎、祖母が飯田蝶子、妹が中真千子、若大将をサポートする友人が江原達治といった面々がレギュラー出演しました。

この頃の映画シリーズは、どれもはっきり言って同じ構成。ワンパターンですが、観客もむしろ予定調和を期待して楽しんていたと言えます。若大将シリーズは、女性にもてて何でもスマートにこなすスポーツ(A)万能な若大将が、清純な女性とひょんなきっかけ(B)で知り合いお互いに惹かれていきます。金持ちのボンボンでずるがしこい悪友が邪魔してトラブル(C)になりますが、最後に主人公は颯爽と解決(D)してめでたしめでたしというのがお決まりになっています。

この映画では(A)がアメリカン・フットボール、(B)がエレキ・ギター合戦、(C)が青大将のインチキと父親の店の倒産、そして(D)はレコード大ヒットと試合の勝利という具合にはめ込むとあらすじが完成。キーワードを変えるだけで、全部のあらすじは簡単に説明できてしまう。

シリーズ物は、映画製作各社が観客がさすがに飽きたというまで続けるのですが、若大将シリーズの場合アイドル映画の側面があるので、演じる加山雄三が年を取るにつれて設定に無理が増えてしまいました。それでも、高度成長期の日本人の代表的な娯楽の一つとして十二分に役割を果たしたと言えます。

特に本作は、実際に作品中で歌われた「君といつまでも」が大ヒットし、歌手・加山雄三の代名詞になったことで、シリーズの最高傑作にあげられることがよくあります。今の感覚ではおかしな部分はたくさんありますが、チャンスがあれば見て損はありません。

2025年8月1日金曜日

スパイシー・ポテト


これは簡単。ジャガイモは、どこの国でも人気の食材です。今回は、インド風に仕上げてみました。

フライパンに油は大目にいれます。ジャガイモを揚げ焼きにするためです。

最初に入れたスパイスはクミン・シードとマスタード・シードです。パウダーでは無い時は、油に香りを移すため最初に使います。シードから泡が立つようになったら香りがでてきたということ。

シードが焦げてしまう前に、ニンニクを少々追加します。香りのハーモニーが最高潮に達した時(何かよくわからん表現ですが)、適当な大きさに切ったジャガイモを投入します。

塩で味を調えて、ジャガイモの表面がやや焦げ目がつくくらい炒めたら出来上がり。最後に刻んだパクチーをお好みで散らしたらお皿に盛ります。

いかにも・・・ではなく、ほんのりとカレー感があって、そこが食欲をそそる感じです。ジャガイモの味付けのバリエーションとして、これはありです。

2025年7月31日木曜日

セブンのおにぎり 65


お久しぶりです。

セブンイレブンのおにぎりです。

屋台飯にインスパイアーされた私たちを見てください。

夏祭りの時期にぴったりだと自負しています。

「コーンがり焼いた 焼とうもろこし」は158円、「スパイスソース香る 玉子そばめし」は170円となっております。

味は・・・もうそのままです。

なんのひねりもありません。

よかったら手に取ってみてください。

・・・

・・・と、言っているようです。

2025年7月30日水曜日

市長選挙迫る


いよいよ次の日曜日は横浜市長選挙で、気持ちも盛り上がって・・・・こないんですよね、これが。困ったもんです。相変わらず情報が少ない・・・いまだに選挙公報が配られていません。一地方都市の選挙なんて、何かスキャンダルでもない限りこんなもんです。

例えば、兵庫県知事の問題。全国的にニュースになり、出直し選挙についてはかなり話題になりました。伊豆半島の市長さんも辞職・選挙となれば、メディアはここぞとばかりに飛びついて報道合戦をすること必至でしょう。

横浜市はというと・・・前回はIR誘致の是非という大きな問題がありましたが、今回は議論百出の大きな話題が見えてこない。IR反対を掲げた政治素人の現市長がそこそこ役回りをこなしているのか、大きな問題も起きずに4年経ってしまいました。

立候補しているのは6人。

山中竹春 52才 無現 〈元〉横浜市大教授
高橋徳美 56才 無新 〈元〉市議
田中康夫 69才 無新 〈元〉長野県知事
斉藤直明 60才 無新 〈元〉自動車会社員
小山正武 76才 無新 青果卸会社会長
福山敦士 36才 無新 球団オーナー

全員政党には所属していませんが、自民党横浜市連・立憲民主党神奈川県連・公明党の市内の3総支部が支持するのは現職の山中さんです。最初に考えるのは、現職を是とするか非とするかでしょう。良しとするなら話は簡単。ダメなら残りの5人の誰を選ぶかで悩まないといけない。

政治経験者は高橋・田中の両氏です。高橋さんは無所属となっていますが、実質的には自民党公認で市議会議員を務めてきた方。田中さんは、経験者と言っても長野県知事として知られたのは25年も前のことです・・・

朝日新聞のアンケートに対しては、最も訴えたいことは二人とも抽象的な表現をしています。ある程度具体的な目標を掲げているのは、残りの新人三人です。斉藤・小山両氏は今の市政の改革、一番若い福山さんだけが未来に向けての発展を掲げているのが印象的です。

あまり自分の主観でいろいろ書いてもいけないので、有権者はそれぞれがアンテナを張り巡らせて少ない情報の中から誰に投票するのか決めることが大事ですね。

2025年7月29日火曜日

COMPOSER ~響き続ける旋律の調べ (2005)

前年の初めての東京公演を成功させたTEAM NACSが、ついに2005年4月から9月にかけて初の全国公演を行った作品です。脚本・演出は森崎博之ですが、演劇のプロ集団としての自覚に目覚めたのか、舞台装置やご道具、衣装など美術などもスケールアップし、さらにこの後多くのTEAM NACS作品に関わるNAOTO(高橋直之)を初めて音楽監督に迎え、本格的な劇中演奏を組み込んでいます。

有名作曲家が登場するので、クラシック音楽の知識があればより楽しめるのですが、誰もが聞いたことがある有名曲をうまく配置して、知らないことがあってもストーリーに入り込める工夫が随所にされています。

メインで登場するのはルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(大泉洋)で、亡霊となって登場するのがヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(安田顕)。ベートーヴェンに対して嫉妬をしたためモーツァルトにつけこまれるのがフランツ・シューベルト(戸次重幸)、そしてモーツァルトに嫉妬し、その後音楽教師としてシューベルトにかかわるアントニオ・サリエリ(森崎博之)が登場します。

ここで、この舞台の最大のテーマである「家族」を象徴しているのが、ベートーヴェンの甥にあたるカール・ヴァン・ベートーヴェン(音尾琢真)です。事実としては、ルードヴィヒの弟、カスパール・カールと妻のヨハンナの間に生まれましたが、カスパールが結核で早死したことで、ルードヴィヒは不道徳なヨハンナからカールの親権を半ば強引に取り上げ、泥沼の裁判までになりました。カールはそのような複雑な環境で育ち、音楽家にしたいルードヴィヒの意に反して軍人を目指したため二人の関係は最悪なものになり、二十歳の時に拳銃自殺未遂を起こし、結局ルードヴィヒの葬儀には参列しませんでした。

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、父親から厳格な音楽教育を受けて育ちました。父親が亡くなって、弟のカスパールはヨハンナと結婚して音楽家にはならないと言ったため、兄と喧嘩になり家を出てしまいます。しばらくして、カスパールは兄の元を訪れ、自分は結核でもうじき死ぬので、一人息子のカールを抱いてほしいと懇願します。カスパールの死後、ルードヴィヒはヨハンナと一緒にカールを育ててほしいという遺言状を破り捨て、カールを強引に引き取るのでした。

15歳になったカールは、サリエリの音楽教室でシューベルトと知り合います。シューベルトは、ナポレオンの侵攻によって母親を亡くしたため、音楽家としてルードヴィヒを尊敬すると同時にナポレオンを讃える交響曲を作ったことで複雑な感情を持っていました。そこにモーツァルトの亡霊が現れ、シューベルトの嫉妬心を巧みに操りルードヴィヒに対する悪意を膨らませるのです。

モーツァルトは死の間際に挫折感と絶望の中で、最後の作曲「レクイエム」を完成できなかったことが心残りで亡霊と化し、世の中の音楽家に絶望を味あわせようとしていたのです。しかし、ルードヴィヒには悪念が通じないのか、さらなる名曲をうみだしていました。モーツァルトはシューベルトをたきつけ、カールとルードヴィヒの関係をさらに悪化させます。そしてカールはルードヴィヒが実父ではないことを知り、ヨハンナの元に去ってしまうのでした。ついに絶望したルードヴィヒは体調を崩し耳が聞こえなくなってしまうのでした。

シューベルトは実際にベートーヴェンと会うのは、死の直前なので当然このような関わり方はフィクションです。映画「アマデウス」で悪役だったサリエリは、ここでは面倒見の良いおじさんというキャラになっていますが、これは「アマデウス」のサリエリがあまりに可哀そうと云う理由で森崎が改変したようです。

ルードヴィヒ、カール、シューベルトの三人は、それぞれ違った理由で親からの愛情に飢えていたわけで、その屈折した心情から立ち直るというよりは克服することがストーリーの核心にあります。モーツァルトは、その思惑通りではなく意図せずに三人の触媒として絡んでいくのはなかなか素晴らしいアイデアだと感じました。

前作で「客を呼べるアマチュア演劇」を卒業できたTEAM NACSは、半年に及ぶ全国公演で、「金を取れるプロフェッショナル演劇」の領域に明らかにステップアップしています。堂々とした演技や台詞回しは明らかに前作と比べ物にならないくらい進歩していると思います。脚本も、楽屋ネタ的な笑いは減り、直球勝負しているようなところも好感が持てました。

とは言え、おそらく目の肥えた演劇ファンからすれば、まだまだ多くの穴は見つかるのだろうと思いますし、一人一人の人気にあやかっているところがあるのは否定できません。しかし、彼等の進歩の過程として見れば、十分に納得できる楽しめる舞台であることも間違いないと思います。

2025年7月28日月曜日

LOOSER ~失い続けてしまうアルバム (2004)

TEAM NACSは、北海道出身の 森崎博之(リーダー)、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真の五人による演劇集団です。ナックス初心者の自分が、偉そうに紹介するまでもなく、今では全員が全国区でテレビ・映画などに活躍する人気者になっていますが、その始まりは90年代、彼らが同時期に北海学園大学演劇研究会に在籍した時でした。

研究会の中で、浮いていた五人組はいつの間にかつるんで遊ぶようになります。そして、年長者の森崎が卒業するタイミングでTEAM NACSを正式に名乗り、かつその解散公演として1996年3月に森崎の脚本・演出による「LETTER ~変わり続けるベクトルの障壁」を上演しました。

そして安田・大泉が卒業となり、あらためて五人で芝居をしたいという話が持ち上がり1997年8月に復活公演と銘打って「RECOVER ~描き続けるもうひとつの結論」、さらに1998年3月に「FEVER ~眺め続けた展望の行方」、1998年4月「再演DOOR ~在り続けるためのプロセス」、1999年3月「ESCAPER ~探し続けていた場所」、2000年2月「FOUR ~求め続けた奴等の革命」、2001年2月「LOVER ~思い続けた君への贈り物」、2002年4月「WAR ~戦い続けた兵たちの誇り」、2003年2月「ミハル」という具合に立て続けに上演を行い、そのたびに入場者も着実に増えて北海道での人気を確かなものにしていきました。

基本的には森崎が脚本・演出を担当していましたが、「FOUR」は森崎以外の4人がそれぞれ担当したオムニバス形式で、「ミハル」は戸次の脚本・演出です。「WAR」の内容が認められ、北海道だけでなく東京に初めて進出したのが、2004年3月、5月の第10回公演となる「LOOSER ~失い続けてしまうアルバム」です。現在、彼らの演技を映像として見ることができるのはこの作品からです。

幕末の新選組と長州藩の確執をテーマにしているにもかかわらず、「チョンマゲもチャンバラもない芝居」というキャッチコピーがつけられました。TEAM NACSにとっては、アマチュア演劇の頂点であり最後という位置づけとしても良いのかもしれません。初めて北海道から東京に挑戦することで、北海道の内輪だけで喜ばれているだけではダメだということを自覚させたのだと思います。

売れない役者で、自分に自信が持てないでいる重幸(戸次)の前に、突然現れた怪しい男が時間を戻すことができる薬を渡します。重幸は思い切ってそれを口にすると、150年前、幕末にタイム・スリップするのです。気がつくとそこは新選組屯所の中で、彼はみんなから山南敬助と呼ばれるのでした。芹沢鴨(安田)の横暴に近藤勇(森崎)は困っていましたが、土方歳三(大泉)はついに沖田総司(音尾)らと新選組の名誉を守るため粛清するのです。山南になった重幸は、国を守るためという大義のもとに人を斬ることに次第に慣れて行ってしまうのです。

一方、討幕派は土佐の坂本龍馬(大泉)の助けを得て、長州の桂小五郎(音尾)を中心に幕府転覆を目指している。彼らは集まって作戦を練ることにするのですが、そこへ新選組がやってくる。長州に味方する宿の主人も古高俊太郎(安田)は捕らえられ、土方らの拷問によって池田屋に参集することがばれてしまいます。重幸は何とかこれ以上人が死なないようにしたくて、長州藩の元に乗り込むと、藩士からは吉田稔麿と呼ばれどこに行っていたと問い詰められるのです。そこへ薩摩の宮部鼎蔵(森崎)もやってきますが、桂は薩摩を信用していません。

そして池田屋事件が発生するのです。長州藩が謀議中に、近藤・沖田・永倉新八(安田)らが乱入し、お互い剣豪で知られた沖田と宮部は死闘の末、宮部は自害します。重幸は後に薩長同盟のために桂には生きていてもらわないといけないと新選組を説得しますが、土方の刃は重幸に振り下ろされるのでした。

現代からタイム・スリップした重幸を除いて、歴史上の実在の人物が登場します。各人の演技は粗削りで若さの勢いにまかせているようなところはありますし、台詞の回しも雑で聞き取りにくいところがたくさんあります。しかし、一幕の簡素な舞台セットで、たった五人で入れ替わり何役も担当するにもかかわらず、一つ一つの役柄がちゃんと見えてきて、チョンマゲが無くてもチョンマゲがあるように思えるし、チャンバラが無くても斬り合いをしているように見せるところは只者ではないなと思わせてくれます。

新選組と長州藩士の演じ分けは、暗転した時や再登場するときの羽織の色で表現されています。基本的に赤が新選組で、茶が長州藩です。ただし、山南と吉田は重幸という同一人格なので、舞台上で羽織を反転して着直すことで、今どっちなのかがわかる。ただし、もう一人、舞台上で羽織をひっくり返す者がいて、これはある時は新選組そしてあるときは討幕派という蝙蝠のように暗躍する人物というのが面白い設定です。

映画と違って、演劇の場合は会場でライブで観劇するのでは無ければ、ずっと同じ背景でシーンの切り返しなどもなく、録画された映像で見るのは少なからず苦痛を伴うものです。この作品でも、最初のうちは多少の我慢が必要なんですが、全体の設定が見えてくるとたった5人でこれだけの登場人物をこなしていることに驚嘆し、実に楽しく見ることができました。

現代人の重幸が、国を守る大義の元に人殺しをする新選組の誠と、国を変えるために人殺しを厭わない討幕派の正義の間で、見失っていた自分を見つけていくというストーリーの骨格はなかなか素晴らしいと思います。

2025年7月27日日曜日

簡単 蒸しニラ餃子


テレビで紹介された、主婦の時短レシピです。

ニュース番組で、時間が余る時の尺埋めのネタだと思います。街行く人に「時間が無い時に作る料理を教えてください」みたいな質問をして、OKという方には家で実際に作ってもらうという数分間の短いコーナーでした。

ですから、ちゃんとした料理番組ではないし、こっちも集中してみていたわけでは無いので、詳しいレシピはわからないので、想像して再現してみました。

ポイントは、ネタはビニール袋に入れて揉んで混ぜ合わせる、というところと餃子の皮は折り曲げるだけというところ。

ビニール袋にひき肉を入れます。テレビでは豚肉だったように思いますが、今回は鶏むね肉を使いました(カロリーを気にしてる ^^;)。塩は肉の量に対して1%です。ニンニク・ショウガを適量、片栗粉を少々。

そこに1cmくらいで刻んだニラを一束分、ドバーっと入れます(包丁を使うのはここだけ)。粘り気が出るまでしっかり揉んで混ぜ合わせます。袋の口をしっかり結んで、底の角の一方をちょっとだけ切り落としたらネタの準備は終了です。

餃子の皮の真ん中に袋からネタを適量絞り出したら、皮を折り曲げるだけ。一生懸命ひだを折らないので、手作り餃子で一般時間がかかるところをスキップできるのが超嬉しい。どんどん折り曲げて、蒸籠または蒸し器に並べていきます。

今回はぎゅーぎゅーになってしまいましたが、できれば一つ一つはくっつかないように並べるのが美的にも、食べる時にもgoodです。蒸し時間は10~15分間程度。

後は熱々を食べるだけ。わずか30分間程度で、めちゃ旨い。これはリピート必至です。

2025年7月26日土曜日

レディ加賀 (2024)

石川県加賀市を舞台に温泉宿の女将になるために日々悪戦苦闘する女性たちのストーリーで、実際に加賀温泉を宣伝するために結成された「レディ・カガ」チームをヒントにしたフィクションです。監督・脚本は雑賀俊郎。

樋口由香(小芝風花)は加賀温泉郷の老舗旅館の一人娘ですが、タップ・ダンサーになる夢を追って東京に出たものの、頑張っても注目されない自分に挫折して故郷に戻ることにしました。母親の春美(檀れい)は、東京で駄目なら2代目女将になればいいと思っている由香に「あなたには女将として足りないものがある」といい「女将セミナー」へ参加させます。

女将セミナーの講師、白石朋子(佐藤藍子)は温泉郷を盛り上げるためには優秀な女将の育成が急務であるとし、参加した由香をはじめ由香の幼馴染の石橋あゆみ(松田るか)、キャバクラから転身してきた星野麻衣(中村静香)、日本人の婚約者の母親に認められたい外国人のカトリーヌ(八木アリサ)らを厳しく指導します。

そんな中、東京のイベント・プランナーという花澤(森崎ウィン)が市役所の依頼でやってきて、加賀温泉を盛り上げるイベントとして、女将セミナーに参加している女性たちで何かできないかと考えます。由香は自分ができるタップダンスでショーをすることを提案し練習が始まりますが、由香は教えてもうまくできない仲間たちにイライラをつのらせていきます。

市役所に勤める幼馴染の松村康平(青木瞭)は由香を励ましますが、教えることに向いていないと自覚した由香は東京から恩師のダンサー、佐藤稔(HedeboH)に助けを求めます。佐藤はそれぞれのいい所を見つけてそれを伸ばす教え方で、みんながタップダンスは楽しいということを理解させました。

いよいよイベントの日程が決まったものの、花澤が商店街などから集めた開催費用を持ち逃げして行方をくらませてしまいます。時間が無く中止にするしかないとみんなは考えましたが、由香は今度は絶対にあきらめないと決意し、どうにかして「レディ加賀」のイベントを行うと宣言するのでした。

タイトルがどう見てもダジャレなんで、てっきりコメディだと思いました。実際に「レディカガ」があるのでしょうがないとは言え、タイトルで損をしているように思います。

とは言え、挫折した若者の復活青春ストーリーという、内容的にはよくある展開で、先も簡単に想像できてしまう捻りの無いドラマなので、最近人気急上昇の小芝風花頼りというところは否めません。

実際に女優さんたちは練習して本当にタップを踏んでいるんだろうと思いますが、本物のプロのHideboHと比べるとだいぶ見劣りがします(当然ですけど)。にもかかわらず、最後のイベント・シーンがやたらの長くて、申し訳ありませんけどかえって盛り下がる印象です。

ほめるところを探してみると・・・まぁ、小芝風花の可愛さを見れるのが良い。今まで、あまり気になる女優さんではなかったのですが、これからは注目したいと思います。

2025年7月25日金曜日

横浜市長選挙


全国的には参議院議員選挙が終わって、皆さんホッとしたところだと思うんですが、横浜市はちょっと違う。

続けざまに、またまた選挙の案内という封書が送られてきました。

参議院議員選挙の投票日だった7月20日は、横浜市長選挙の公示日で選挙戦スタートの日でもあったんです。

前回の選挙では、IR誘致問題を巡って推進する前市長に対して反対派の現市長が挑むという構図があり、(反対派の自分としては)個人的にも盛り上がった選挙でした。

今回はどう? ・・・さしあたって大きな争点はありませんが、全国の自治体の中でも上位に入る市民税、教育・給食・待機児童問題などが地味にポイントになっているらしい。

国政選挙はテレビやネットが盛り上がり、各政党・各候補者の情報は真偽取り交ぜてあふれかえっていました。

ところが、ローカルな市長選挙となると、ほとんどメディアが取り上げることは無いので、立候補者たちの情報がまったくと言っていいほど入ってこない。

生活により直結した選挙なんですが、これではどうしたものかと・・・まぁ、投票日まで1週間以上ありますから、何とかなるとは思いますけど。

それにしても、参議院と同時選挙は無理だったんですかね。4週間にわたり選挙活動があるということは、どれだけの税金が使われているのかと考えると・・・怖っ!!

2025年7月24日木曜日

ショウタイムセブン (2025)

韓国映画「テロ、ライブ(2013)」を翻案化したもので、「岸辺露伴」シリーズを手掛けているNHK所属の渡辺一貴が監督と脚本を担当しています。主演の阿部寛は同時期にテレビでもキャスター役を演じたので、ちょっとイメージが混乱した感じがします。

午後7時、NJBテレビでは人気番組の「ショウタイム7」が始まろうとしていました。同じ時に、同じ建物内のラジオ用スタジオでは折本眞之輔(阿部寛)の「トピック・トピック」がスタート。折本は時には過激な取材などでスクープをものにしてきたショウタイム7のキャスターでしたが、何かの事情により左遷されたのです。

リスナーの電話を受けるとウスバカゲロウと名乗る人物は、質問は無視して勝手に話し出すため、折本は早めに音楽を流すことにします。その間も、ウスバカゲロウは大和電力と政府に対する不満を喋り続け、これから都内にある局からも遠くない城東発電所を爆破すると予告するのです。

折本は勝手にしろといって電話を切りますが、その直後地響きと振動が曲にも伝わってきます。窓の外を見ると発電所の方角に大きな火災が発生しているのがわかり、折本は電話が本物だったことから警察には連絡せず、上司の東海林(吉田鋼太郎)にスクープネタとして提供する代わりにショウタイム7への復帰を迫ります。

再度犯人から電話がかかってきたので。東海林はそのまま現在のキャスターと安積(竜星涼)と結城(生見愛瑠)に犯人との折衝を任せようとしますが、犯人は折本以外とは話さないと言い、結城のピンマイクを爆破して気絶させるのです。折本は強引にショウタイム7のスタジオに戻り、犯人との会話を再開します。

犯人は大和電力で6年前に工事中の事故で父親が死んだこと、その工事環境が劣悪だったこと、さらに直後の国際サミットへの影響を恐れて内閣総理大臣の水橋(佐野史郎)の指示で事故そのものが隠蔽されたことなどを糾弾し、大和電力社長の四方田(石丸謙二郎)の直接謝罪を要求してきます。

犯人はスタジオ内は監視しており、各所に爆弾が仕掛けてあり、全員を殺すこともできると言います。しかも、折本が装着したイヤーモニターにも爆弾が仕掛けられていて、外せば爆発すると脅すのでした。犯人は、さらに水橋総理の直接謝罪を要求してきます。そこへ犯人の高校時代の担任をしていたという城(平田満)と名乗る人物がスタジオに入ってきます。

折本の注意を無視して城は「君は繁藤寛二だろう。バカなことはすぐに止めたまえ」と、むしろ犯人をあおるような強い口調で喋るのでした。激昂した犯人は城が胸につけたマイクを爆破し、城は倒れて動かなくなってしまうのでした。

ほぼリアルタイムに事件が進行している割には、だれずに次から次へと局面が変わっていくところはスリルが途切れないうまい作り。ただし、それはむしろ原作映画の手柄と言えなくもありません。さすがに阿部寛は名演技で、見ているものを引き付け続ける力を感じます。

ただしヒステリックな物言いが目立つ安積と、早々に気絶して終盤に意識を取り戻してトンチンカン振りを発揮する結城の新キャスター二人組がどうにも場を壊しています。特に結城については登場していない方が良さそうなくらいのもの。

また、視聴率のために何でもやってきた折本の素顔がわかってくると、主役への共感はしずらくなってくる。一方、犯人のやっていることも褒められたことではないので、中心となる二人のいずれにも感情移入しにくいので、見ていて映画の中に入り込むのが難しい映画だなという感じもしました。

報道とは何か、報道の正義とはなどの現在のテレビ界にも通じる硬派なテーマがあるはずなのですが、リアルタイム進行にこだわった分、事件の周辺への配慮はほとんど描かれていないので、内容は比較的薄っぺらと言わざるをえない。犯人の主張を言葉だけでなく、映像としても盛り込めていれば違った印象になったかもしれません。

2025年7月23日水曜日

スープカレー (2012)

これは北海道放送(HBC)が、TEAM NACSと練りに練った企画で、本広克行が監修した1話30分の全10回で構成された連続ドラマです。

TEAM NACSは、大学の演劇部仲間の森崎博之、安田顕、大泉洋、戸次重幸、音尾琢真の5人からなる演劇ユニットで、HBCの「水曜どうでしょう」出演がきっかけで知られるようになり、今ではメンバーそれぞれが全国区で活躍しています。

札幌のローカル食だったスープカレーが全国に広がったのは、スープカレーの大ファンだった大泉洋があちこちで宣伝したことが大きく関係したというのは衆知の事実です。このドラマは5人それぞれが別々のドラマを演じ、毎回5分程度ずつストーリーが進行する形で、最終回のみ全員が揃ってドラマを振り返るという構成でした。

デパートの店員だった和田(森崎)は、亡くなった父がやっていた定食屋「ひまわり亭」を継ぐことを決意し、デパートの同僚だった沙織(入山法子)の父が営むスープカレーの店で修行をするのでした。

あまり売れていない俳優である浦田(安田)は、妻が家計を支え自分は主夫状態。娘の千枝子(伊藤紗莉)は父親は自分に関心が無いと思い口をきかない。ある日、浦田は学校に行くふりをして無断で休んだ娘を叱責して、つい手を出してしまいます。若手人気女優の父親役が巡ってきた浦田は、反抗期の娘を叱る演技をしなくてはいけなくなるのです。

塾講師の三浦(戸次)は、婚約者のみのり(渡辺満里奈)がいながら、ついつい塾の生徒との甘いロマンスを妄想していました。そこへ女生徒らから絶大な人気を得ているみのりの甥が入塾してきて、三浦は複雑な想いに苦しくなるのでした。

冠婚葬祭プランナーとして妻とともに働く平目(音尾)は、友人から離婚式を依頼されます。友人の不幸で商売することに躊躇する平目でしたが、マイホーム購入のためにはこらえるしかありませんでした。しかも友人からは妻への出席の交渉まで任されてしまい、妻からはこどもの親権を放棄するように説得してくれと言われてしまうのでした。

料理研究家の五十嵐(大泉)は、テレビでスープカレー作りを紹介する番組を担当します。アイドルタレントの夏川メグミ(峯岸みなみ)がアシスタントにつきますが、料理に関してはまったくの素人で役に立たない。それでも、いくつかの種類のスープカレーを紹介していくのでした。

はっきり言ってスープカレーが関係しているのは森崎篇と大泉篇ですが、大泉篇は即興コントみたいなものでドラマ性はほとんどありません。あくまでもTEAM NACSのコアなファンのためのもので、一般の方にお勧めするようなものではありません。

しかも、これを見てもスープカレーは作ることはできませんので、あしからず(BOXにはレシピノートがついてますけど・・・)。

2025年7月22日火曜日

スープカレー


カレー? スープ? 一体何だそりゃ、と初めて「スープカレー」という言葉を聞いた時の印象は、あまり良い物ではありませんでした。カレーというのはドロっとしているもんだという固定観念がありますから、簡単には受け入れられない感じだったんです。

それでも、スパイスだけでカレーを作ると、通常のルーを使ったカレーに比べればはるかにドロドロ感は少ないわけで、それならスープカレーというものも作ってみようという気になりました。

ところが、いかんせんスープカレーなるものを食べたことがない。サラサラのカレー味のスープの中に野菜が一杯入っている・・・らしいのですが、作り方にも興味を持ったことが無い。普通のカレーをただ薄めるだけじゃだめだろうくらいのことはわかります。

で、いろいろ調べてみた。

普通のカレーも様々な作り方があり、様々な味わいがあるわけですが、どれが本家本元というのが無いのがカレーの特徴。各料理人がこれが本物だっと思えば、それが決定版になってしまう。

スープカレーも似たような状況にあるようです。北海道札幌市が発祥なのは間違いないのですが、90年代にじわじわと広がり、2000年代に大ブームとなり全国に広がりました。それぞれの店がオリジナルの味を求めて追求した結果、いろいろなレシピが存在するようです。

とりあえず、ネットのレシピの中から、スパイスから作る一番手の込んだ作り方を実践してみました。

カレーペーストを作るところまではセロリ以外は変わったところはありません。3人前程度の量で説明します。

徹底的な飴色タマネギ(大1個)を作り、ニンニク(大さじ1)とショウガ(大さじ1)、そしてトマト缶(200g)、ブレンダーでペースト状にしたセロリ(1/2本程度)を入れて水分を飛ばすように炒めていきます。ターメリック(大さじ1)、コリアンダー(大さじ1)、クミン(大さじ1)、シナモン(少々、)チリパウダー(お好みで)を入れたらしっかり混ぜ合わせカレーペーストが完成します。

水を400mlほど入れて、ここで驚くことに全部を笊にあけて鍋に移すので。固形分はへらでそぐようにしっかりスープを絞り出す感じです。で、残ったカスは使わない!!

鍋のスープには、骨付の鶏肉を入れて煮ます。追加のスパイスとして、煮込むときに八角(1個)、ベイリーフ(1枚)、さとう(小さじ1)、和風だしの素(小さじ1)、ナンプラー(大さじ1)を追加したら、あとは塩で味を調えてスープは出来上がり。

入れる野菜は何でもいいんですけど、ある程度ゴロゴロ感が好まれ、基本的には油で素揚げするらしい。ただし、これには油がたくさん必要なので、やや多めの量で表面が焦げるように焼きました。

今回使ったのは、かぼちゃ、じゃがいも、アスパラ、エリンギ、茄子、レンコン、獅子唐、ニンジンというところ。ヤングコーンも用意していたのにすっかり忘れてしまいました。

実は写真は第2回作品なのです。1回目は・・・正直に言うと失敗だと思います。せっかくの飴色タマネギとかがもったいないので、笊でこさなかったんです。味は問題ありませんが、スープ感がかなり無くなってしまいました。

食べ方の基本は、スプーンでライスをすくったら、そのままスープにつけて食べるということらしい。本当に違和感なく美味しく食べることができました。ただし、かなり材料の種類が多く、工程が複雑で大変でした。これは食べに行った方が良いかもしれません。

2025年7月21日月曜日

ボクは坊さん。 (2015)

高野山真言宗の開祖、空海が若い時に四国を巡って修行した足跡を、お遍路としてたどるのが四国八十八か所巡りで、その第五十七番札所にあたるのが愛媛県今治市にある栄福寺です。現住職は白川密生(1977年生まれ)という方で、高野山大学にて密教を習得し、書店員の仕事に就いていましたが、24歳で先代住職の遷化(高僧が亡くなること)により栄福寺住職となりました。

その年から糸井重里が主宰するインターネット上の「ほぼ日刊イトイ新聞」に、寺の生活をつづるエッセイを2008年まで連載し、2010年にそれらをまとめた書籍が出版されると大変話題になりました。この映画はそのエッセイ本を原作として、ドラマとしてのフィクションを加えて作られました。監督は真壁幸紀、脚本は平田研也が担当しています。

高野山大学で学んだ白方進(伊藤淳史)は、自分の進むべき道がはっきりせず書店で働いていました。祖父で住職の端円(品川徹)はそんな進を温かく見守っていましたが、檀家総代の長老、新居田(イッセー尾形)は気が気でありません。

しかし、住職が病に倒れてしまい、進は寺を継ぐ決心をするのです。剃髪し名を光円と改めたことを報告すると住職は静かに息を引き取りました。光円は新しい住職になったものの知らないことばかりで、長老からも叱責を受けることばかり。それでも、毎日のやるべきことに向き合い、少しずつ慣れていくのでした。

光円には高野山大学での友人で広太(濱田岳)と孝典(渡辺大知)がいましたが、孝典はすぐに実家の寺に入ったものの、広太は会社勤めを選びます。しかし、広太はしだいに自分がわからなくなり、退社して引きこもってしまうのでした。光円は孝典と話しているうちに酔った勢いで、広太の家に押しかけ「お前は高野山を忘れている。お山で顔を洗って来い」と言って、広太を連れ出すのでした。

一方、光円には幼馴染で仲の良い京子(山本美月)と真治(溝端淳平)という友人もいました。ところが結婚した京子が出産する際に、脳出血を起こし植物状態になってしまうのです。京子のために何もできない自分を責めていましたが、初めて長老が光円の気持ちを察する言葉をかけてくれるのでした。そして、京子の夫は離婚手続きをしてしまったため、光円は京子のこどもを引き取る決心をします。

真治は意識が無い状態が続く京子は生きていると言えるのだろうか、と光円に尋ねます。光円は仏教の教えにのっとって納得しようとしますが、真治の言葉は重く心に響いて、ついに心が折れてしまうのでした。

一見、寺の生活を面白可笑しく紹介する「お寺あるある」みたいなコメディかと思って見始めたら、それは最初の方の一部であって、実際は大学の友人、幼馴染の友人らを通していかに生きていくかを仏門の立場から考えるヒューマン・ドラマという感じの作品でした。

お寺さんというと葬式だけで関わる人が多いし、自分もそういう一人なんですが、本来は生まれてから死ぬまでの人生の様々な局面と繋がっていることが映画で示されます。その中で、僧侶がどこまで関わるかはいろいろです。ほとんど仏門の実務を知らずに住職になってしまった主人公は、なおさら自身の方向性を決めかねるのです。

奥深い所では「生と死」が究極的なテーマになっていて、生と死にからんだいろいろな経験を積むことで、主人公は僧侶として成長していく姿が浮かび上がってきます。さすがに京子のエピソードは映画用のフィクションだろうとは思いますが、生と死を効果的に演出する部分として盛り込まれています。

また学生時代の友人という3人、幼馴染という3人、あるいは新旧住職と檀家という3人のような人物の対比がうまく取り入れられていることも映画としての面白さを出しているポイントになっているようです。3人集まると一人が仲間外れになりやすいのですが、それぞれをうまく解決して後味を悪くしていないのも嬉しい感じがしました。

2025年7月20日日曜日

大河への道 (2022)

伊能忠敬記念館というのが千葉県香取市にあります。伊能忠敬は、19世紀初頭に幕府の事業として、日本全国を測量して歩き、初めてのほぼ正確な日本国土の輪郭を表す地図(大日本沿海輿地全図)を作ったことで知られています。

落語家の立川志の輔は記念館を訪れその地図に感動し、伊能忠敬を大河ドラマの主人公にして地域活性に繋げたい市役所職員と当時地図を作っていた人々の右往左往する様子を創作落語「伊能忠敬物語 - 大河への道」にしました。これを原作として、「おんな城主直虎」や「べらぼう」の森下佳子が脚本を担当し、中西健二が監督して実写化されました。

香取市役所総務課の池本(中井貴一)は、観光客誘致のために、大河ドラマで郷里の有名人である伊能忠敬を取り上げてもらうために動き出します。高名な脚本家である加藤(橋爪功)ははじめは池本の話を聞こうとしませんでしたが、記念館を訪れ大日本沿海輿地全図の素晴らしさに感動して仕事を引き受けることにしました。

しかし、プロットの打ち合わせに現れた加藤は、「いろいろと調べた結果・・・伊能忠敬は大河ドラマにはならない」と宣言するのです。あわてた池本らはその理由を尋ねると、「伊能忠敬は大日本沿海輿地全図が完成する3年前に亡くなっている。地図を完成させたのは弟子たちで、盛り上がるラストシーンに主役はいない」と説明するのでした。

ここから、江戸時代に舞台は移ります。幕府天文方である高橋至時の下で修業した伊能忠敬は、1800年、55歳から全国行脚して測量を開始しました。しかし完成まであと一歩という1818年に忠敬は死去します。綿貫善右衛門(平田満)ら弟子たちは、忠敬の死が公になると地図作製は破棄されることを恐れ、このことを秘匿して継続できるように、高橋至時から天文方を引き継いだ息子の高橋景保(中井貴一)に頼み込みます。ばれたら打ち首物だと景保は断りますが、忠敬の元妻だったエイ(北川景子)の策略によって承知せざるをえなくなるのです。

いったい地図はどうなっているという幕府からお尋ねをのらりくらりとかわしつつ、弟子たちは影武者を引き連れて不足分の測量に出かけたりして3年が立とうとしていました。一部の幕府の重鎮は怪しんで密偵の神田(西村まさ彦)に調査を命じ、とっくに忠敬が死んでいるらしいことは知られるところになった時、地図はやっと完成し景保は大博打を打つことにするのです。

伊能忠敬の話は、とてもドラマとして興味深く、主役は弟子たちであっても十分に一本の映画として成立できる内容です。ですから、あえてコメディ・パートの現代劇の前後に置く必要があるのかという疑問が生じます。落語としてはわかる部分ですが、映画となるとどっちつかずの中途半端な印象がありました。

主演の中井貴一が落語に興味を持って映画化を勧めたといい、「単なる時代劇だと受けない」からと説明しているのですが、それは視聴者を見くびっているように思います。誰もが忠敬が地図を「作った」と思っているところに、実は完成前に亡くなっていて弟子たちが引き継いだというだけでも十二分にドラマになっていますし、忠敬の偉業の価値が減じるものではありません。時代劇であっても、人間ドラマとしての面白さには変わりないと思います。

現代と江戸時代で登場する俳優は共通で、そこはちょっと面白い試みだと思います。松山ケンイチ、岸井ゆきのらの他に原作者の立川志の輔も少しだけ登場し、千葉県知事と将軍家斉を演じるのは草刈正雄です。

とぢらかいうと江戸時代が中心なので、大河ドラマを招聘しようとするドタバタ喜劇の意味合いが強いタイトルは似合いません。それなら現代劇だけでしっかり笑わせてくれれば納得というところでしょうか。

2025年7月19日土曜日

ビブリア古書堂の事件手帖 (2018)

三上延によるミステリが原作ですが、2013年に剛力彩芽主演でテレビ・ドラマとして放送されています。実は、ちょっと魅力的なタイトルだったので、リアルタイムに第一回を見ましたが、当時は女優さんに魅力が感じられなかったため(ゴメンナサイ)、2回目以降は見ませんでした。原作を知っている人からも、あまりに主人公のイメージが違い過ぎると批評されていたと思います。

映画化では、黒木華が主人公を演じて、今回は小説から浮かび上がってくるイメージにかなり近い形に寄せているようです。脚本は「3月のライオン」の渡部亮平、監督は「しあわせのパン」の三島有紀子です。

北鎌倉でビブリア古書堂という古本屋を営んでいるのは、祖父から店を受け継いだ篠川栞子(黒木華)で、ふだんは人と話すのが不得意ですが、本に関する古今東西の知識は圧倒的で、本の事となると人が変わったように饒舌になります。数か月前に路地の階段で転落し、今は松葉杖を使っています。

五浦大輔(野村周平)は、昔大好きな祖母が大切にしていた夏目漱石全集を触れたことで祖母から強く叱られ、以来かつじを見ると気分が悪くなり本がまともに読めなくなっていました。その祖母が亡くなり、あらためて遺品の夏目漱石全集をみていたところ、「それから」の最後に「夏目漱石 田中嘉雄様」というサインを見つけます。

大輔は、漱石の直筆か鑑定を栞子に依頼します。栞子は、漱石のサインは偽物であり、大輔がかつて祖母に強く叱られたこと、大輔という名(「それから」の主人公は代助)は祖母が付けたこと、「それから」が禁断の恋愛をテーマにしているなどから、祖母の絹子(夏帆)が夫いる身で小説家志望の田中嘉雄(東出昌大)と不倫に走ったことを推察するのです。

就活中だった大輔はビブリア古書堂でバイトをすることにして、自分で読めない「それから」を栞子に代読してもらうことにします。しばらくして、実は栞子の怪我は、栞子が所有している貴重な太宰治の初めての作品集「晩年」を狙う大庭と名乗る人物によって階段を突き落とされたものであることがわかります。

栞子と大輔が古書競売に出かけると、本のことに詳しい稲垣(成田凌)と知り合いになります。栞子は本の話題が通じることで、いつになく饒舌に会話をしているので、大輔はやや面白くない。稲垣と大輔は大庭という謎の人物から栞子を守ることにして、「晩年」初版本は大輔は預かることにします。しかし、その夜、大輔は襲われて「晩年」を奪われてしまうのでした。

原作をすでに読破していると理解できるのかもしれませんが、「晩年」に執着する大庭の動機がよく理解できない。いちいち出てくる60年ほど前の絹子と田中嘉雄のシーンが多すぎて、どちらのストーリーがメインなのかよくわからなくなります。

古書に残された様々な痕跡から、これまでの持ち主の人生を推理するという発想は独創的で素晴らしいのですが、それは原作の手柄です。映画としてはその部分についてはうまく表現できていると思いますし、黒木華の演技によるものが大きいように思いますが、野村周平はちょっと柔らかすぎるかもしれません。

成田凌は当時は売り出し中で注目される若手という感じでしたが、積極的に近づいてきた稲垣が怪しいことはかなり露骨に匂わせすぎなので、結末の驚きはかなり控えめになってしまいます(というか、ほとんどありません)。どうせキャラがネタバレするなら、むしろ稲垣の視点から描くというような思い切った改変もあっても良かったかもしれません。

2025年7月18日金曜日

梅雨明け(らしい)


おいおい、気象庁、いったいいつまで関東の梅雨明けを伸ばせばきがすむんだい・・・

今年は、そんなことを思っていたあなた、いやいや自分もそうなんですけどね。

何しろ西から開けてきた梅雨は東海まできてストップ。東海の梅雨明けは、7月4日に平年よりも2週間早く開けました。ところがいつまでたっても関東の梅雨明け宣言がない。

早く空けたって、また天気が悪くなれば「戻り梅雨」という言葉もあるんだから、いいんじゃないと思っていたんですけど、確かに今週は月曜日から台風もあって悪天候が続きました。

天気図だと、東から高気圧の勢力が強くなっていて、梅雨前線は北西に押し上げられているんですが、消えたわけではないようです。

どっちにしても、しばらく真夏の灼熱の太陽が照り付けるようですから、本日いよいよ関東も梅雨明けと発表される・・・らしいですから、一応2025年の梅雨は平年並みで明けたものとしておきましょう。

2025年7月17日木曜日

参議院議員選挙


国政選挙の一つである参議院議員選挙がもうじき行われます。

日本の議会制度では衆議院と参議院の2つがありますが、衆議院が国民の意見を直接的にかつ迅速に反映していくのに対して、参議院は衆議院の暴走を防ぐために、長期的な視点から衆議院の決定を審議することが基本的な役割と云えます。

衆議院は定数465議席で議員の任期は4年、途中で解散となる場合があります。参議院は定数は248議席で任期は6年、3年ごとに半数が改選されます。ですから、参議院議員選挙は3年ごとに124議席を争うことなります。

現在、衆議院は自由民主党と公明党の連立与党が占める議席数は220で過半数に達しません。一方、参議院は連立与党は140議席で過半数を超えています。かろうじて与党は衆議院で野党に政策を押し切られても参議院で踏みとどまることが可能になっているわけです。

しかし7月28日に任期満了となる参議院議員は117名で、そのうち与党は65議席です。つまり140から65減って、今回の選挙で最低50議席を獲得しないと、参議院でも優位性が保てなくなる計算になります。

各野党が共闘して政権を奪取する気概があれば、政権交代は夢ではなくなりますが、もっかのところ野党は群雄割拠で「俺が、俺が」状態ですからそれは難しい。ただし、野党全体で過半数を占めることができれば、自民党を中心とした旧態然とした政治システムに歯止めがかけられることは間違いなく、そういう意味でも近年注目度が高くなっている選挙ということが言えます。

投票日を7月20日に決めたのは与党。多くの人が三連休となる真ん中で、かつ夏休みに入る人も多いわけで、自民党としては不確定要素の浮動票を減らして有利に選挙戦を戦いたいという腹積もりなのではと勘繰ってしまいます。しかし、裏金問題、物価高、低収入、少子化、貿易問題、外国人問題・・・次から次へと出てくる自民党に対する政治不信には、投票率が高いとは言えない若者たちですら大きな危機感を感じているようです。

真偽不明の物が入り乱れるSNSの時代で、若者もたちも自分たちの将来のために情報に反応するようになってきているようです。予想以上に期日前投票の数が伸びていて、選挙結果の予想は混沌としてきており、一人一人の一票の重みを感じる選挙になりそうです。

2025年7月16日水曜日

朝顔


ドラマしゃなくて、ほんとのアサガオ。

昔は夏休みの宿題で「観察日記」のテーマとして定番でしたが、今はどうなんでしょうか。

種蒔きして、双葉が発芽して、どんどん伸びていく変化がわかりやすいので、学習素材としてぴったりなんでしょうね。

しかも、わかりやすい花がぱっと咲いているのを見ることができるのは朝のうちだけとくれば、早起きをしないといけないので、だらだらしているわけにはいきません。

名前からして日本的ですし、季節の様相は変化してきている感じがしますが、夏の風物詩として長く続いてもらいたいものです。

2025年7月15日火曜日

チャンネルはそのまま! (2018)

ローカルテレビ局の北海道テレビが、開局50周年記念で制作したドラマ。実際のテレビ局内を舞台にして、新入社員の奮闘ぶりをコミカルに描いて、ローカルテレビ局の仕事もよくわかる内容になっています。原作は北海道出身の佐々木 倫子のマンガです。

ローカル局である北海道★(ほし)テレビの今年の新入社員は5人。報道局に配属された頭の回転が速く何でもこなせる山根一(飯島寛騎)、アナウンス部に配属された美人で抜群の国語力を持つ花枝まき(宮下かな子)、編成部に配属された超ベテランのような落ち着きのある北上隼人(長田拓郎)、営業部に配属されクライアント受けのよい服部哲太郎(島太星)・・・そして報道局にはもう一人超問題児がいました。

それが雪丸花子(芳根京子)で、やることなすことトンチンカン。バカ正直で真っすぐなんですが、猪突猛進で上司を悩ますことばかりを引き起こしていました。どうやら非公式に設けられている「バカ枠」ということらしく、大化けして大金星をあげるかもしれない・・・というわけのわからない採用理由でした。

案の定、雪丸は同期の活躍に比べるとなかなか結果が出せずにいましたが、そんなことでくよくよしないのが良い所(?)とでも言いましょうか、かえって武器であるバカ正直であちこちで人の心をつかみ、同期の失敗も意図せずリカバーしていたのです。ライバルの札幌ヒグマテレビの情報部長の香取(安田顕)は、そんな雪丸の存在を密かに警戒していたのです。

NPO法人スプラウトまいんどの代表を務める蒲原正義(大泉洋)は、荒れた土地を再生して、再び農作物を育てられるようにする事業を通して農家の人々に頼られる存在になっていました。雪丸はたまたま別の取材中に蒲原と知り合い、蒲原は雪丸の純粋さに感心します。山根は初めての自分の特集として蒲原を取材しようとしますが、最初は断られたものの雪丸の同期であることがわかるとOKしてくれました。

農家を応援したいと言う蒲原の特集は大好評で、山根もホッとしますが、それも束の間。蒲原は国からの補助金の私的流用の疑いが発覚したため雲隠れしてしまい、蒲原を讃えるような番組を放送した北海道★テレビにはクレームが殺到するのでした。

母親が北海道出身と言う縁で主演に抜擢されたのが芳根京子ですが、実にはまり役で、生き生きと演じています。安田、大泉以外に雪丸の父親役で森崎博之、農家の人として音尾琢真、蒲原を捜査する刑事として戸次重幸らが登場してTeam Nacsが全面協力しています。これは北海道テレビの看板番組であった「水曜どうでしょう」が、Team Nacsが人気者になることに大きく関与したこともあっての協力だと思います。

実際、「水曜どうでしょう」のディレクターだった藤野忠寿、嬉野雅道がこのドラマでも、製作・監督として参加しており、藤野は先輩「バカ枠」として出演もしています。総監督としてクレジットされているのは、「踊る大捜査線」の本広克行です。

北海道テレビが新社屋への移転をしたばかりだったのて、旧社屋を思う存分舞台にしています。テレビの各部署の仕事や他局との視聴率争い、中央のキー局との関係なども描かれていて、テレビ界の実情もうまく描き込まれているのが面白い。雪丸を中心としたいわゆる「お仕事ドラマ」ですが、全5回で実にテンポよくだれることがないコメディとしてもよく出来ていると思います。

2025年7月14日月曜日

南インドの魚カレー


インドと一言で呼んでますが、北と南ではだいぶ文化が違う。北と南ではスパイスも多少変わります。南は海が近いので、魚はよく使われます。

今回はメカジキを使い南インド風を作ってみました。

最初に使うのは、マスタード・シード。あの粒々のマスタードです。

油に入れて温めて、泡が出てきたら香りが油に移ります。タマネギはみじん切りから飴色まで炒めるのではなく、薄くスライスして炒めて使います。

トマトは少な目でよく炒める。しっかり炒めて水分を飛ばすことで、酸味を減らします。

次にスパイス。いつものクミン、コリアンダー、ターメリック、チリ・パウダーです。

魚の切り身を一口大に切って入れ、ひが通ってきたら水・・・・ではなく、ココナッツ・ミルクを入れます。とろみがつきすぎるので、適量の水をいれてのばします。

塩味を調節してパクチーを散らして出来上がり。

ほぼタイカレーみたいな感じですが、これはこれでめちゃめちゃ美味しいです。

2025年7月13日日曜日

252 生存者あり (2008)

驚異的な自然災害によって崩壊した東京の地下鉄新橋駅に取り残された人々と、命がけで彼らを助けようとする東京消防庁ハイパーレスキューの活躍を描くパニック映画です。原案は小森陽一で、「海猿」シリーズでも原案を担当しています。しかも主演が伊藤英明とくれば、陸に上がった海猿・・・とも言えなくない。監督は水田伸生、脚本は「スマホを落としただけなのに」の大石哲也です。

小笠原諸島で起こった大地震でマグマが噴出、海水温が急上昇し巨大台風が発生しました。東京には大津波と暴風雨が押し寄せ壊滅的な被害が発生する中で、元レスキュー隊員の篠原祐司(伊藤英明)は、娘のしおり(大森絢音)、研修医の重村(山田孝之)、中小企業社長の藤井(木村祐一)、韓国から来たコンパニオンのキム・スミン(MINJI)らと共に旧銀座線新橋駅ホームに逃げ込み閉じ込められてしまいます。

外ではハイパーレスキュー隊が生存者を探して懸命な救出作業を行っていましたが、気象庁予防部の海野(香椎由宇)の進言により二次被害の懸念が高まり、思うように行動ができない状況でした。祐司の兄である隊長の篠原静馬(内野聖陽)は、崩壊寸前の地下の奥から何かを叩く音を検知し、それが消防庁で使われている「要救護者あり」を意味する「2・5・2」のコードであることから、祐司の存在を確信します。

静馬は台風の目が通過する18分間にすべてを賭け、爆薬によって穴をあけヘリコプターでいっきに救出する作戦を開始するのでした。

・・・と、まぁ、閉じ込められた人それぞれにも取って付けたようないろいろなドラマも描かれ、地上では祐司の妻(桜井幸子)と静馬のやり取り、冷静な副隊長(山本太郎)、隊員の安全を第一に考える本部長(杉本哲太)などのエピソードを絡めて、そこそこ話を盛り上げようとしているのはわかります。

出だしはすでに災害が起こった後から始まり、何でそうなったという本編が遅れて始まります。承起転結という見ているものをいきなり映画の世界に引き込むためによく使われる手法ではあるんですが、あまりに情報なしで見せられるのでむしろ混乱するだけであまり成功しているようには思えません。

冒頭の大津波ではお台場のフジテレビ本社ビルが破壊されるシーンがあるのですが、この映画は日本テレビ系の製作であることを考えるとなかなか意味深な印象です。フジテレビの象徴であるビルの球体部分が吹き飛ばされるような津波ですから、そもそも新橋だけに被害が集中するはずはなく、難を逃れた人々が新橋のビル街に避難しているというのはどうなんでしょうか。

重傷を負っているキムに重村がそこらにあるので輸血をするのは、かなり強引な設定。いくら元レスキュー隊員がいるからと言って、非難した場所の頭の上で爆薬を使うというのも、あまりに一か八かすぎやしませんか。するなら、こっちからも何らかの信号を送るなりのことをするように思います。

これだけの大災害なのに、警察も自衛隊も出てこないし、ましてや政府も音沙汰無し・・・まぁ、突っ込見所はたくさんあるんですけど、コード・ブルーで山P呼んだらいいのにとか、今なら東京MERで鈴木亮平が駆けつけてくれるよねとか、余計な事ばかり考えてしまう映画です。


2025年7月12日土曜日

冬瓜


冬瓜(とうがん)今が旬の野菜の一つ・・・なのに名称に「冬」ってついているやん。

これは、そのまま冬まで保存が可能であることからついた名前で、英語でもWinter Melonと呼ばれたりするんだそうです。

大きく育てれば長さが80cmくらいまでになるのですが、そんなに大きいと重たくて運搬にも不便ですから、こちらのあたりで見かけるのはだいたい30cm未満のものが主流です。

はっきり言って、味はほとんど無い。ですから、どんな味付でも馴染むと言ってよいのですが、だいたい和風のつゆの味で煮物にするのがスタンダードでしょうか。

一緒にホタテの貝柱を入れても風味が増してGOODです。鶏そぼろの餡掛けでもいける。

この時期に一度は食べておきたい野菜です。

2025年7月11日金曜日

東京ワイン会ピープル (2019)

金田一少年の事件簿・・・というと、一頃ジャニーズ若手の売り出し企画ドラマみたいになっていたマンガですが、これを書いたのは天樹征丸という人で、実はいろいろな名前を使っていろいろなジャンルにも手を出すマルチな才能を持った方らしい。

亜樹直という名前で書いた「神の雫」はワインを題材に深く深く掘り下げたマンガとして大ヒットして、亀梨和也主演でドラマ化もされています。小説を書くときに使っていた名前の一つが樹林伸で、同じくワインをテーマにした作品が「東京ワイン会ピープル」です。

映画化では主演が乃木坂46の松村沙友里で、いわゆるアイドル映画みたいなところはあるんですが、とにかくワインにまつわるウンチクがたくさん詰まった映画になっていて、少しだけワインをたしなむ自分としてはなかなか楽しめる作品です。監督が変わっていて、東大卒で映画を作りたいから医者をやっているという和田秀樹です。

桜木柴野(松村沙友里)は、ワイン好きの会社の上司に誘われて、友人の雨宮千秋(大野いと)と一緒に合コン気分で初めてのワイン会に参加しました。次から次に出てくる高級ワインに驚く二人でしたが、千秋はイケメン歯科医と懇意になります。

柴野がワインの味を独特の言葉で表現をするので、IT業界で注目される織田一志(小野塚勇人)は自分のちいさなワイン会に誘います。しかし、その当日織田は会社の粉飾決済の疑いで逮捕されてしまうのです。柴野は織田の希望もありワイン会に参加すると、織田の仲間たちは柴野の的確にワインを表現する柴野の言葉に感心するのでした。

なんで準主役が逮捕されて消えてしまう? っていう何とも釈然としない展開なんですが、その後の柴野は独りでいろいろなワイン会に参加していろいろな人々と出会うことになります。千秋は歯科医にポイ捨てされて荒れてしまうのですが、そこは本物でも不味いワインもあれば、偽物でも最高なワインもあるというオチがついていて、ただただ高級ワインだけを紹介しているわけじゃない。

まぁ、中身的にはあまりどうのこうのと言う映画ではないので、ワインが好きな人、松村沙友里のファンの方が見ればいいのかなと思います。普段1000円クラスのワインばかりで満足して、5000円でびっくりしている立場としては、この映画の世界は現実離れしているとしか言いようがないのですが、本当にこんな会があちこちで開催されているなら招待してもらいたいものです。

2025年7月10日木曜日

ゴーヤのカレー


苦瓜・・・一般にはゴーヤの名称で知られる、今が旬の夏野菜の一つ。

名前の通り、苦みが強いので苦手の人が多いのですが、苦みの減らし方がいろいろと紹介されていいます。

ふだん自分が実践しているのは、とにかく綿の部分を徹底的に取る・・・だけなんですが、スプーンなどでしっかりとかき出せば、そのままおひたし風でもいけます。

ゴーヤはカレーにも合う。この場合は、確実に苦みを減らす良い方法があります。

まず、普通に綿を取り除いて、普通に食べやすくスライスします。

そこにカレーで使うターメリック(うこん)をパラパラ。塩をパラパラ。そしてレモン汁をさっとかけ回す。あとはよく混ぜて、30分ほどおいておく。使う前に水で洗い流せばOKです。

そうやって用意したゴーヤを、いつもの手順で入れれば最高に美味しいカレーが出来上がります。

いつもの手順というのは、カレールーを使う方なら煮込む最後の数分間で投入すればよい。早くに入れすぎるとゴーヤがへなへなになりすぎて美味しくありません。

スパイスカレー、スパイスのみで作る場合は基本のチキンカレーの作り方と同じ。

1個分の飴色タマネギを作ったら、ニンニク・ショウガを大さじ1程度追加。カットトマトを200gくらい入れて水分をしっかり飛ばすように炒めます。クミン・コリアンダー・ターメリックをそれぞれ大さじ1、チリパウダー大さじ1/2(お好みで)、少な目の塩を入れて全体を馴染ませます。カットした鶏肉をお好みで入れてかるく炒めたら、水250ml程度入れて数分間煮込んで塩味を調節したら出来上がりです。

ゴーヤを入れるのは、水を加えてちょっとしてから。煮込む時間は数分間程度です。

こんなに美味しくゴーヤを食べることができると驚くと思います。チャンプル以外にレシピを思いつかない方は、一度は試してみることをお勧めします。

2025年7月9日水曜日

Fukushima 50 (2020)

門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」が原作で、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を、最後まで残って対応した50名の作業員たちを描く作品です。事故の最も危険な時期についての映画としては、すでに首相官邸を中心に描かれた「太陽の蓋」がありますが、事故の現場の状況についての描写はほとんどありませんでした。

吉田昌郎氏は事故当時の所長で、最も現場に近い場所で陣頭指揮を執った人物で、その後の収束作業にもあたっていましたが、2011年11月に食道がんを発症し闘病の末2013年7月8日に亡くなっています。その他の登場人物も、基本的にモデルとなる実在の人物がいて、吉田を演じた渡辺謙と共にW主演となった佐藤浩市が演じた伊崎利夫は、当直長の伊沢郁夫と曳田史郎が当てられています。

監督は「ホワイトアウト」、「沈まぬ太陽」の若松節朗、脚本は大河ドラマ「軍師官兵衛」の前川洋一です。「太陽の蓋」と違って大手の松竹/KADOKAWAの製作なので、いわゆる商業映画、つまりエンターテイメントの要素がかなり加味されおり、有名俳優がたくさん登場してなかなか見応えのある画面がたくさん出てきます。

その点が、評価を二分する原因になっているわけで、未曽有の災害・事故を扱っているためにエンタメ化している点に拒否反応を示す視聴者も少なからずいるようです。もちろん最悪東日本全体に壊滅的被害が及んだかもしれない原発事故に、命がけで立ち向かった所員の方々に対して敬意を払うのは当然だと思いますが、ヒーロー扱いするようなところは賛否が分かれることになります。

これは、多分に原作にも問題があるらしい。後に公開されたさまざまな資料や映像と比較して詳細に検討している方も多いのですが、原作では吉田所長の言動・行動はかなり改変が加えられているらしい。映画はそれらをそのまま転用しているため、自然とエンタメ志向が強まったようです。

現実に、1週間程度で完全にすべてが沈静化したわけでは無く、14年たった今でもその傷跡はしっかりと開いていて、多くの方々が普通の生活に戻れていません。これが架空のパニック映画であれば楽しめたかもしれませんが、多くの人がリアルタイムに体験した「事実」に基づいているからには、誇張された表現は慎むべきだったのではないでしょうか。

東京電力については「太陽の蓋」は東日電力、「Fukushima 50」では東都電力と名称が変更されています。しかし、「太陽の蓋」の方が、少なくとも官邸の人々については実名を使用していることで強いリアリティが生まれています。映画を作るのにも多くのスポンサーが必要ですから、おそらくこの辺りが大資本映画の限界のようなところかもしれません。

「Fukushima 50」では総理大臣の佐野史郎にかなりエキセントリックな演技をさせていて、官邸を悪者にしているようなところがあるのですが(実名を使っていないところにずるさを感じますが)、両者に共通なのは一番事態を混乱させたのは東京電力本社だというところ。官邸にはいい顔をして、現場には無理難題を押し通そうとして、会社としての体面を保とうとしていたらしいところが見て取れます。

いずれにしても両者は視点・切り口が異なるので、2つの映画を見た上で自分があの時経験したことの隠れていた部分を判断する必要がありそうです。なお、この同じ原作を利用したNetflixドラマが「THE DAYS」で、吉田所長に役所広司、当直長に竹野内豊を配して、映画にも負けないくらいの重厚感で描いています。しかし、全体の流れは同じで「Fukushima 50」と同じ問題点を露呈していると言わざるを得ません。

原子力発電の是非という大きな課題に対しても、生活に電力が必要だからというだけで肯定する、あるいはこのような破滅的な事故が起こるから否定するというような単純な結論ではなく、地球温暖化問題なども含めてしっかりとした議論がまだまだ必要だと感じました。少なくとも、これらの作品は、そういう意識のきっかけにはなるのかもしれません。

2025年7月8日火曜日

太陽の蓋 (2016)

2011年3月11日、午後2時46分。宮城県沖を震源とする東日本大震災と巨大津波は、2万人以上の死者を出した、戦後日本で起こった最も大規模な自然災害でした。しかも、直後に発生した津波による福島第1原子力発電所の破壊は、さらに大きな影響を人々の生活に強いることになります。

首都圏にいた自分たちは、大きな揺れに驚き、津波の甚大な被害に恐怖しましたが、地震そのものはある程度離れた場所のことと思っていたところがありました。しかし、原発事故の影響は周辺で非難した人は10万人を超え、首都圏でも放射線レベルの上昇と共に計画停電による落ち着かない日々を過ごすことになりました。

当時の自民党から政権を奪取した民主党は菅直人総理を筆頭に、この災害・事故への対処を巡って批判にさらされ続け、自民党・安倍政権が取って代わってからは、次々にその「無能」振りを暴露されたような印象です。そして、民主党政権によってすべての原子力発電所が稼働停止したものを、安倍政権は次から次へと再稼働に舵を切ったのです。

おそらくこれらの一連の出来事を最初に映画にしたのは、2013年の「朝日のあたる家」だと思いますが、これは離散した家族の苦悩を描く物でした。「太陽の蓋」はその次に作られたものだと思いますが、初めて原子力発電所事故を真っ向から取り上げ、多くの報告書などから綿密に可能な限り事実の基づいて最初の5日間を首相官邸サイドを中心に描いたものです。監督は佐藤太、脚本は長谷川隆です。

まず最初に驚かされるのは、当時の首相だった菅直人氏をはじめ主だった閣僚・官僚は実名で登場する点です。三田村邦彦の菅直人はややかっこ良過ぎですが、枝野官房長官の菅野大吉はそっくりです。このことによって、映画のノンフィクション感が一気に強くなり、当時ニュースなどでしか状況がわからなかった自分たちは、再び「あの時」を強く思い出すことになるのです。

基本的には官邸記者クラブの鍋島(北村有起哉)を中心にストーリーが展開するのですが、その時にリアルタイムに記者が知りえた話と、後に関係者に取材してまわって得た情報によって映画は組み立てられています。発電所を何とかしたい現場と、できるだ穏便に事を処理したい電力会社本社、そしてなかなか情報が上がって来ずに後手後手に回る官邸という構図が見て取れます。

後日、元官房副長官(神尾佑)は、鍋島の取材に「とにかく本社が情報をあげてくれなかった」と証言し、鍋島は「じゃあ、情報があればあの時何かできたんですか」と問い返します。確かに、誰にもこれだけの事故を簡単に納めることはできなかったと思いますし、民主党だから、菅直人が首相だったからという問題ではないように思います。

ただ、公表されている事実をかなり忠実に再現しているらしいのですが、映画では民主党政権にやや味方しすぎのような印象は拭えません。現在でも、派生した数々の問題が山積している状況は続いているわけですが、そもそも電力を使いたいと欲しているのは一人一人の国民ですから、まだまだ忘れてしまうのは早すぎると感じました。

2025年7月7日月曜日

ハイビスカス


 熱帯・亜熱帯原産の植物で、鮮やかな花が美しいのは?

そう、ハイビスカスです。

もはや日本でも、問題なく楽しめるわけで、このあたりでも日本は温帯地域ではなくなったと感じるところです。

大きな花弁が特徴ですが、実際のところ、赤色と対照的な黄色い花粉が差し色として効果を上げているように思います。

ハワイ州花となっているんですが、実は鹿児島県、沖縄県の多くの自治体でも地域の花となっていて、けっこう昔から日本でも馴染み深い花になっているようです。

今日は七夕。髪飾りにハイビスカスをつけて出かける・・・・なんてことはしないですかね。

2025年7月6日日曜日

にじいろカルテ (2021)


岡田恵和は、映画では「いま、会いにゆきます」、「おっぱいバレー」、「メタモルフォーゼの縁側」などがあり、ドラマでも「ちゅらさん」、「ひよっこ、」、「最後から二番目の恋」シリーズなど、原作物からオリジナルまで多くのヒット作を生み出した脚本家で、安定した高い評価を受けています。

本作はテレビ朝日の連続ドラマで、患者になった女医が田舎の村に赴任して、村全体が「家族」のように互いを支え合っていく中で、本当の自分の居場所を見つけていくというストーリー。恋愛物でも、医療物でもなく、「病とともに生きる」をテーマにしたヒューマン・コメディという表現が一番似合います。

紅野真空(高畑充希)は、東京の病院で有能な内科救命医として働いていましたが、多発性筋炎を発症したため、救急の激務をこなすことが困難になり、上司から「我々が必要なのは医者であって患者ではない」と言われてしまいます。

真空は仕事を続けたくて、偶然に知った虹ノ村診療所の内科医募集で採用され住み込みで働くことになりました。到着するなり村唯一の売店兼寄合所「にじいろ商店」で、多くの村民から大歓迎され驚きます。虹ノ村診療所のスタッフは、いつもハイテンションで口が悪い外科医の浅黄朔(井浦新)と短気で真面目過ぎる看護師の蒼山太陽(北村匠海)で、3人の遠慮のない共同生活が始まるのでした。

初めは採用取り消しを恐れて病気のことを隠していた真空でしたが、検診のため東京に月に一度行かなければならず、その理由を説明すると朔は「医者で患者は最強じゃん」、太陽は「仲間に嘘はつくな」とだけ言い許します。村の人々も、まったく問題ないとしてあらためて歓迎するのでした。

にじいろ商店は橙田雪乃(安達祐実)と橙田晴信(眞島秀和)の夫婦が営んでいましたが、雪乃はまだら認知症で、数か月ごとに自分の事がわからなくなってしまいます。そんな時は、村役場の霧ヶ谷桂(光石研)の妻である氷月(西田尚美)と村役場で働くシングル・マザーの緑川嵐(水野美紀)が、雪乃の生い立ちから順を追って説明をして元の生活に戻れるようにサポートするのでした。

教師をしていた桃井佐和子(水野久美)は、高齢の一人暮らしでたくさんの不安を隠して生活していましたが、真空がいつでも携帯電話をかけていいと言ってくれたことで元気をだします。

朔がこの村に来たのは妻の沙織(佐々木希)が野菜作りが大好きだったからですが、亡くなった時に助けることができなかった後悔をずっと引きづていたのです。太陽は、誰もが生きていくうえで何かしら抱えているものがあるのに、自分には何もなく「普通」すぎることに引け目を感じていました。

膠原病の一つで難病指定されている多発性筋炎は、自分の筋肉や皮膚に対してアレルギーを起こしてしまう病気で、倦怠感、筋力低下などにより日常生活に支障をきたすことがあります。ステロイド剤や免疫抑制剤による薬物治療が効果的ですが、肺などの合併症により生命予後を悪くする場合があります。

主人公の病状の描写は概ね間違っていないと感じました。さすがに救急医療を担うのは困難かと思いますが、通常の診療科であればスタッフの人数が多い大病院の方が働きやすいように思います。しかし、それはあくまで調子が悪ければ「代わりに仕事をしてあげる」というものであって、精神的な負担を増やすかもしれません。

肉体的には村の診療所の方が激務かもしれませんが、患者さんから精神的に支えられるというのはまさに「病とともに生きる」充実感と勇気をもらうことにつながっています。そういう意味では、病気の有無に関係なく地域医療の大切さも描いているドラマだと思います。

他人の干渉を嫌がる人が多いとは思いますし、自分もそのように考える一人なのかもしれません。しかし、このドラマでは過度の干渉のように見えて、お互いの事を理解した上での節度を保っているところが嫌味にはなっていないのがよく出来ている点だと感じました。

2025年7月5日土曜日

室町無頼 (2025)

コメディ系の印象が強い大泉洋にとって、大泉洋史上最高にかっこいい演技が見れる映画・・・という触れ込みは伊達ではありませんでした。よくある江戸時代よりも古く、さらに戦国時代に突入する前の室町時代中期の時代劇です。

第8代征夷大将軍である足利義政の悪政のもと、民衆は貧しさを極め、折からの大飢饉によって餓死するものが続出するなかで、寛正3年(1462年)、蓮田兵衛を首魁とする京の都を急襲する「寛正の土一揆」が発生しました。このエピソードを膨らませた垣根涼介による歴史小説を原作として、「あんのこと」の入江悠の脚本・監督により映画化された作品です。

民の飢えと貧困が極限に達しようかという時代、将軍、大名は富をむさぼりつづけていました。傭兵を率いて都の警備を請け負っていた骨川道賢(堤真一)は、悪徳金貸しの用心棒をしていた才蔵(長尾謙杜)を捕えたものの、若すぎて扱いづらいため、古い悪友である蓮田兵衛(大泉洋)に引き渡します。

浪人者の兵衛は、腕も立ちますが、あちこちで貧しく苦しむ農民たちを助けて回っていて、時が来れば一斉蜂起するべく準備をしていたのです。棒術が得意だった才蔵は兵衛についていくことを決意しますが、兵衛はまだまだ未熟な才蔵を自分の師匠、唐崎の老人(柄本明)に預けます。

1年間の辛く危険な修行の末、才蔵は立派な兵法者となり兵衛のもとに戻って来ます。兵衛はいよいよ立ち上がる時が来たと感じ、慕ってきた多くの浪人者、これまでひたすら我慢に我慢を重ねてきた農民らを率いて一揆を起こすことを決断します。これらの不穏な動きはスパイによって幕府にも知らされ、骨川道賢は兵衛のもとを訪れ事を起こせば容赦はしないと伝えるのでした。

兵衛は道賢に一揆の日時を教えますが、農民たちの借金の証文を焼くことが一番の目的であるから、自分たちと戦うのは少しだけ待ってほしいと頼みます。しかし、兵衛は予告した日時よりもさらに早くに立ち上がり、一揆の群衆は京の町になだれ込むのでした。

兵衛を慕う高級遊女に松本若菜、足利義政に中村蒼、民を人とも思わない悪大名に北村一輝らが登場しています。江戸時代がジョン・ウェインの正統派西部劇ならば、まだ形が定まらない混沌とした室町の世界は、まさにマカロニ・ウェスタンです。ひたすら搾取される民衆のために立ち上がる「荒野の用心棒」の姿が、まさに兵衛に他なりません。

とにかく大泉洋がかっこいい。それに尽きる。大勢のぐちゃぐちゃの中を駆け抜ける兵衛と才蔵の殺陣のすさまじいことといったら、他ではあまり見たことがありません。佐藤健の剣心は現代風のスタイリッシュな殺陣でしたが、ここでは泥臭いけど疾風のような殺陣は「木枯らし紋次郎」に近いかもしれません。

しかし、そのあとでしっかりと兵衛と道賢の一対一の勝負にも決着がつくところもなかなかグッとくる。本当に「こんな時代劇を見たかった」と手を打ちたくなる作品でした。

2025年7月4日金曜日

曲がれ! スプーン (2009)

もともとは劇団ヨーロッパ企画の上田誠による舞台劇「冬のユリゲラー」が原作で、上田誠自ら映画用脚本を担当し、「踊る大捜査線」の本広克行が監督をしました。舞台を演じた俳優と、これまでの本広作品に登場した俳優が、入り乱れてのシチュエーション・コメディで、舞台では脇役だったテレビ局の女性ADを中心に展開します。

テレビで超常現象バラエティ「あすなろサイキック」を担当しているADの桜井米(長澤まさみ)は、こどもの頃から超常現象に強い興味を持っていて、日頃から自らもスプーン曲げに挑戦しているのです。しかし、番組に登場するのはインチキ臭い者ばかりであったため、上司から局に寄せられた多くの投書を検証して本物のエスパーを探すようにいわれます。

今日はクリスマスイブで、喫茶店「カフェde念力」には本物のエスパーが集まってパーティをすることにしていました。マスター(志賀廣太郎)自身は超能力を持っていませんが、昔エスパーに助けられた恩義があるということで、彼らが気楽に集える場所にしていたのです。

マスターは、サイコキネシスの河岡(諏訪雅)、エレキネシスの井出(川島潤哉)、透視の筧(中川晴樹)、テレパシーの椎名(辻修)らに「今日は新入りが来る」と言ってお使いに出ます。そこへやってきたのは桜井と待ち合わせしていた神田(岩井秀人)ですが、彼はテレビに出たいだけのインチキエスパーなのです。

そんなことも知らずに4人は自分の能力を神田に見せてしまいますが、遅れて登場したのが今回が初参加のテレポートの小山(三宅弘城)でした。神田にエスパーである秘密をばらされると困るため、神田の処遇をどうするか困っているところに、桜井が店にやってきます。

神田は技を桜井に披露するのですが、超能力とはとても言えるものではないため桜井はがっかりして帰ろうとします。ところが、筧が透視で桜井の持ち物の中に毒蜘蛛が紛れ込んでいることを見てしまったため、自分たちの超能力で何とか毒蜘蛛を退治しようということになるのでした。

映画化に際して桜井米が町をあちこちエスパーを探して歩き回るシーンなどが追加されてはいるものの、基本が喫茶店の中だけで起こる舞台劇ですから、あまり背景に奥行きは感じられません。正直、作者ではない別の映画専門の脚本家に任せた方が面白かったのかもしれません。

また、監督の本広もそんな脚本を尊重してか、時間の経過やストーリーの転換点で暗転する舞台的な編集を多用していて、いちいちCMでも入るのかと言いたくなるようなぶつ切り感があるのも残念なところ。せっかく舞台と違って、エスパーを信じている長澤まさみをメインに仕立てたのですから、彼女の主観で進行する形はできなかったのかと思いました。

結局、長澤まさみであってもなくてもいいような流れの中に、上田・本広の作品を細かく知っているマニアがクスっと笑うような小ネタ満載の映画なのかもしれません。

2025年7月3日木曜日

もっちゅりん


謎のお菓子・・・もっちゅりん。

mister donutsの55周年を記念して6月に発売された新作なんですが、売れ切れ続出で、並んでもなかなか手に入れるのが難しいらしい。

しかも、すでに販売を終了した店舗も多いらしく、HPからは情報が削除されています。

国産のもち粉と米粉の配合にこだわった生地を揚げて、表面にオリジナルのコーティングしたもの。今までになかった「もちもち」を超えた「もっちゅり食感」を味わえるということらしくて、大好評だそうです。

センター南では、先週末まではまだ売っていましたよ。まだ未体験の方は急ぐべし!!

2025年7月2日水曜日

サグカレー


インド料理でよく目にするのものの一つに、青汁入れたんかい!っと突っ込みたくなる緑色のカレーがあります。

ほうれん草を用いたものが多いみたいで、サグカレーと呼ばれています。ただし、サグというのは青菜のことなので、必ずしもほうれん草でなくてもOK。

冷蔵庫に安い時に買った小松菜が余り気味だったので、今回はこれを使うことにしました。

やることは基本のチキンカレーとたいして変わらない。追加でひと手間増えるだけです。

飴色たまねぎを作り、トマトを入れて煮詰め、スパイスパウダー(クミン、ターメリック、コリアンダー)と塩を混ぜたら、チキンを入れてある程度火が通ったら水を入れる・・・

このタイミングで青菜を入れるだけ。ただし、あらかじめ軽く茹でてブレンダーでペースト状にしておくというのが、ちょっと面倒かもしれません。

彩を良くするために仕上げにヨーグルトをかけましたが、もちろん無くてもかまいません。小松菜の風味が立って、スパイス感をマイルドにしてくれます。

2025年7月1日火曜日

こんな夜更けにバナナかよ (2018)

鹿野靖明氏は北海道で1959年に生まれ、12歳の時に筋ジストロフィーと診断されました。筋ジストロフィーという病気は、四肢の筋肉の力が衰え、最後は呼吸するための筋肉にも影響し成人まで生きるのが難しいといわれています。鹿野氏は1982年に「自立」した生活を始めます。1987年には結婚しますが、残念ながら1992年に離婚。以後、多くのボランティアと共に生活を続けますが、1995年からは人工呼吸器が必須となり、2002年に亡くなっています。

北海道在住のノンフィクション作家、渡辺一史が2003年に鹿野氏とボランティアの方々の話をまとめた本を発表し、この映画はそれを原作とする実話をもとにした作品です。脚本は「ビリギャル」の橋本裕志、監督は「大名倒産」、「九十歳。何がめでたい」などの前田哲です。

筋ジストロフィーのため口と手しか動かすことができない鹿野靖明(大泉洋)は、医大生のボランティアである田中久(三浦春馬)の様子を見に来た久の彼女である安藤美咲(高畑充希)を気に入り、強引にボランティアの一人にしてしまいます。夜中に急に「バナナを食べたい」と言い出し、美咲は街中を走り回ることになったりして、そのわがままな態度に美咲ははじめは反発します。

しかし、そんな鹿野を田中をはじめ、リーダーの高村(萩原聖人)、前木(渡辺真起子)、塚田(宇野祥平)らは嫌な顔をせず面倒を見ているのでした。主治医の野原(原田美枝子)は、鹿野のわがままを許すわけでは無いものの、自立した生活を望む鹿野のことを認めていました。

久は病院長である父親との関係に悩んでいて、美咲ともちょっとした行き違いでギクシャクしてしまい、しだいに自分の進むべき道に自信を無くしてしまうのです。しかし、鹿野がついに人工呼吸器を装着しなければならない状態になり、それでも自分の夢を追いかけ意志を貫こうとする姿勢を見ているうちに何かが変わっていくのでした。

自分がかつて勤務した病院は、内科は神経・筋肉疾患、整形外科は脊髄損傷の患者さんばかりが入院していました。脊髄損傷の患者さんは若者が多く、リハビリテーションによってある程度の生活能力を獲得して退院していくのですが、内科の患者さんはほとんどが進行性の病気により確実に死が訪れる方々ばかりでした。

当直のときには、何度も内科病棟でのトラブルに呼び出されることが多くありましたが、未来が無い病棟の雰囲気はとても重々しいものだったことを覚えています。そこからは、これらの患者さんが自立して一般社会の中で暮らすということは現実的に想像すらできませんでした。

同じ時期に、鹿野氏が自立しようと努力していたことは驚くしかありません。当然、そこにはボランティアの方々の「献身的な支え」があるわけですが、鹿野氏の場合自立を支えていたのはそんな上から目線のようなきれいごとではなく、わがままを含めてすべてをさらけ出すことで、対等な人間関係を築いていたところがすごい。それはある意味、疑似的な「家族」を形成したと言うことができるのかもしれません。

映画としては、美咲が最初は視聴者の代弁者として鹿野のわがままぶりに反感を持つのですが、しだいに鹿野を愛おしく思うようになっていく過程がやや急ぎすぎのように思いました。そこの描き込みが足りないために、鹿野に共感していく部分に苦労します。最終的には鹿野は亡くなるわけですが、そこは積極的に描かず久と美咲が鹿野から「自立する」とはどういうことなのかを学び取ったところで止めたのはよかったと思います。

2025年6月30日月曜日

スーパーで手に入るスパイス


本気のスパイスカレーを作ろうと思ったら、けっこう敷居が高いと思う人が多いかもしれません。

でも、そこらのスーパーで簡単に必要なスパイスは手に入ります。比較的種類が豊富なのは、日本のものだとS&B食品、そして海外ブランドならGABAN(日本の代理店はハウス食品)が定番というところでしょうか。

うちのスパイスは、写真のようなものが以前から並んでいます。これ以外では、ブラックペッパーもGABANのホールをミル容器に移して使う時に挽いています。唐辛子は「鷹の爪 輪切り」を常備しています。

他にはローズマリーは庭に植えてあるので、使いたいときに適当にとってくるし、バジル、イタリアン・パセリは、使いたいときに買います。

スパイスカレーを作る時必要なものは、ほぼ下の段のものが左から必要で、足りないのはカイエンペッパーくらいですが、鷹の爪でもOKですし、スーパーに青唐辛子を見つけた時は長持ちするので買っておくと良いと思います。

とりあえず試してみたい場合は、ターメリック、クミン、コリアンダー、そして一味唐辛子だけ用意すれば、何とか様になります。

これらはすべてパウダー・タイプなので、焦がしては風味が落ちるので、比較的投入するのは後の方です。クミン、カルダモンなどはホールも手に入れやすいのですが、その場合は初めに熱した油で最初に香りを油に移すという使い方をします。

ある程度慣れてきたら、さすがに100g単位とかの袋詰めになったものがネットで各種売っているので、そちらの方が経済的です。しっかり密閉して保管すれば、常温でも2年程度は問題無いので、自分のスタイルに合わせて用意するのがおすすめです。

2025年6月29日日曜日

同期のサクラ (2019)


遊川和彦は、「家政婦のミタ」、「女王の教室」などのたいへん話題になったドラマのオリジナル脚本を書いたかたで、高畑充希とは「過保護のカホコ」に続いてのオリジナル作品です。連続ドラマとして、最初から全体の構成がしっかりと考えられていて、全10話に無駄がありません。

開始早々、主人公はベッドに昏睡状態で寝ていて、いつ目覚めるのかわからないという状態。そこへ仲間らしき4人が心配で集まってきているのですが、何故そんな状況になっているのかの説明はないままに、初めて彼らが出会った時のことを回想するのです。

2009年に大手ゼネコンの花村建設に、5人の若者が入社します。主人公である北野サクラ(高畑充希)は新潟県の離島の出身で、本土との間に橋を架けることを夢見て上京しました。ものすごく頑固な性格で、曲がったことが大嫌いでおかしいと思ったことは口に出さずにはいられません。忖度ということと無縁で、空気を読むことを知らない「面倒くさい」人でした。

新入社員研修で同じグループになったのは、月村百合(橋本愛)、木島葵(新田真剣佑)、清水菊夫(竜星涼)、土井蓮太郎(岡山天音)で、サクラのマイペースに振り回されながらも同期として仕事に頑張ることになります。

しかし、パワハラやセクハラ、社内のいじめなど、さまざまな問題に直面し、それぞれが挫折しそうになった時、同期の仲間として嘘偽りのない態度で励ますサクラの力によって、彼らは何とか試練を乗り越えていくのです。サクラの影響力は先輩の火野すみれ(相武紗季)にまで及び、誰もがサクラを中心に結束力を高めていきました。

実はサクラも、忖度無しの発言や行動で問題を起こし、いつも「大人になれ」と言われ続けていたのです。サクラの心を支えていたのは、上京以来ずっと島にいる祖父(津嘉山正種)との毎日のファックスのやり取りで、人として大事なことを伝えられていたのでした。悩み苦しむ同期たちをどうやって応援するのかわからず自分の非力さを感じていたのですが、祖父の言葉が大きな力を与えていたのです。

ドラマではそれぞれがサクラの病床に見舞いに来て回想する形で進行し、その回想は各話ごとに1年ずつ時がたっている構成になっています。

そして2015年、故郷の橋の建設が決まり、住民説明会のためサクラも島に帰ることになりました。しかし、最低限の基準は満たしていましたが、できるだけ早く安く完成させるために手を抜いた設計であることを知っているサクラは、悩んだ末に説明会で「この橋を作ってはいけない」と言ってしまいます。さらに心の支えだった祖父が心臓病で急死してしまうことで、ついにサクラの心は壊れてしまうのでした。

引きこもり生活を続け、出社しなくなって1年近くがたち、解雇期限が迫る中、同期の仲間たちは何とかサクラを立ち直らせようと、かつての祖父からのファックスを真似たメッセージを送ります。やっと仲間と会いたいと思えたサクラは外に出ますが、隣人のこどもを助けようとして交通事故にあい脳挫傷のため昏睡状態になってしまうのでした(2019年3月31日)。

最初はサクラのかなりとがったキャラに見ている側も振り回される感じがしますが、しだいにその特異なキャラに慣れ、そして応援したくなる作りはよくできています。一見奇抜なんですが、ぶれない芯が通った人物像というのは、高畑充希にとっては一番得意な役柄なのかもしれません。

放送は2019年第4クールでしたので、ドラマの中の時間は第9話でリアルタイムに追い付きます。再び同期の絆を固め、新たなステージに向けて飛び立つ彼らを追いかけます。

とても良質などらまだと思いますが、唯一残念なのはタイトル。古い軍歌の中でも「同期の桜」はかなり有名ですが、それでも若者にはあまり知られているとは言い難い。幅広い年代に興味をもたせようという趣旨なのかもしれませんが、軍国主義を真っ先に想像させる感じが「なんかなぁ」という気持ちにさせました。

2025年6月28日土曜日

ひまわり


関東はまだまだですが、西日本が一斉に梅雨明けになり、夏がぐっと近づいてきた感があります。

とは言え、すでに30゚cを超える日があり、実質的に夏みたいなもんですけど。

夏らしい花・・・というと「ひまわり」はまさに夏を代表する花の一つ。

ひまわりは「日廻」と書ける。一般に感じだと「向日葵」と書き「コウジツキ」と読むこともあります。

人の身長よりも大きく育って太陽に向かって大きな花が咲くひまわりは、とてもインパクトがある。でも、大きすぎてあまり一般の住居では育てにくい。

でも近年は、高さが数10cm程度の鑑賞用の小さいひまわりが栽培されるようになって、わりと手軽に楽しめるようになっています。

ちょっと玄関に置いてみましたが、急に華やいだ感じがして楽しいです。

2025年6月27日金曜日

バンクーバーの朝日 (2014)

昭和のはじめ、夢を抱いて多くの日本人が外国に出ていきました。その中で、カナダのバンクーバーには日本人街が作られ、多くの日本人が働いていたのです。彼らは、低賃金で自分たちの仕事を取られたと考える多くのカナダ人から、虐げられ苦しい生活を強いられていました。

彼らの気持ちを代弁し、勇気を与え、そしてカナダ人にもその存在を認めさせたのが、アサヒという野球チームでした。この映画は、アサヒの実話を元にして、フジテレビが開局55周年記念として映画化した物で、脚本は最新作「国宝」であらためて注目される奥寺佐渡子、監督は「舟を編む」の石井裕也です。

レジー笠原(妻夫木聡)は、父親の清二(佐藤浩市)、母親の和子(石田えり)、そして妹のエミー(高畑充希)の4人家族でしたが、清二は出稼ぎばかりで家に寄り付かず、自分は外国で成功していると思われたくて稼ぎは全部日本に送ってしまうのでした。

レジーは日本人だけの野球チーム「アサヒ」に入ってショートを守っていましたが、体格差があるカナダ人相手にまったく歯が立たない。仲間には、ピッチャーのロイ永西(亀梨和也)、キャッチャーのトム三宅(上地雄輔)、セカンドのケイ北本(勝地涼)、サードのフランク野島(池松壮亮)らがいました。

何とか勝つにはどうすればいいのか考え込むレジーは、ある日の試合でセーフティバントを試みます。巨体のカナダ人の意表を突くこの作戦は成功し、さらに盗塁も決め、ついにホームベースに戻ってくることができたのです。試合に負けたものの、点を取ったことで町の人々も大いに喜びます。

そして、機動力を生かした野球によって初勝利をつかみ、カナダ人も頭脳的な戦略を用いるアサヒノの戦いを感心するようになるのです。審判による明らかにアサヒに不公平な判定に対しても、カナダ人から批判の声が聞かれるようになりました。

しかし、レジーが頭にデッドボールを受けたことで、ロイは相手ピッチャーの元に走り寄ります。これが両軍入り乱れての乱闘になってしまい、アサヒだけが出場停止になってしまうのでした。

妻夫木以外は野球経験者で固めていますので、さぞかし手に汗握る試合シーンがあるかと思うと意外と大したことはありません。実際は迫害されている日系人というのがテーマですから、カナダに溶け込めず家族との関わり方が下手糞な父親とか、理不審な扱いを受けても何とかカナダという国を好きでいたいと願う妹、そしてさまざまな忍耐を強いられている町の人々などのある種群像劇的な雰囲気でストーリーは進みます。

主役の妻夫木、助演の亀梨などもいいんですが、実は最も大事なところを任されているのは高畑充希です。出場停止処分がカナダ人からのクレームによって解除され、再び士気を高める集まりで、すべての町の日系人の気持ちを代弁する長いシーンは、一番の見所になっていると思います。

バンクーバーでのロケもされていますが、最も素晴らしいのは国内で組まれた日本人街の広大なセットです。当然、CGなども使われているとは思いますが、役者が走り回る様子は相当な面積で本当に町一つを作り上げたのかと思ってしまいます。

内容としては日系人は虐げられる被害者という立ち位置ばかりなので、ちょっと同法に味方のし過ぎではないかと感じる部分もありますが、移民として現地の人々と真に心を通じさせるところまで描くには132分の尺では厳しいようです。そういう意味で、ちょっと物足りない印象を持ってしまいました。

2025年6月26日木曜日

スパイスカレーのカロリー


ごく標準的な日本のカレーライスの場合、茶碗一杯分のご飯が150gで234kcalで、カレー自体は具材によりますが平均的には400kcal前後と言われています。合計すると普通盛で600kcalちょっと、大盛だと800kcal近くになるかもしれません。

じゃあ、スパイスカレーは?

気になりますが、カレールゥを使う場合と比べると、小麦粉を使わないのでそこそこカロリーは少ないように思います。そこで、調べてみました。

まずタマネギ。だいたい1玉で62kcal。一人分は1/2玉とすると、32kcalになります。
続いてトマト。タマネギの半分くらいです。多めでも一人分(2/3玉)は100g程度で、20kcal。
ニンニクは一人分に1片5g程度で6kcal。ショウガも同じくらいの5gでせいぜい2kcal。

問題はスパイス。いろいろとレシピによって使うスパイスは異なりますが、一応どれも一人前小さじ1杯2g使うとして考えてみます。だいたい100g当たり300~500kcalとされていますので、一種類につき6~10kcalです。

基本の4種、クミン、ターメリック、コリアンダー、チリペッパーだと、24~40kcalです。鶏もも肉を皮を取り除いて、一人前100g使うと113kcalなので、チキンカレーは合計で一人前で200kcal程度と考えられます。

インド米であるバスティマライスは、米の状態では日本米よりカロリーは少な目ですが、炊き上がった状態では茶碗一杯分150gが272kcalとやや多めになります。ですから、あくまでも概算のイメージとしては、日本のカレーライスと比べるとスパイスカレーは150kcal程度少な目というとらえ方でよさそうです。

なお、バスティマライスはGI値が低い(血糖があがりにくい)ので、ダイエットには有利と言われています。また、普通サイズ(100g)のナンは262kcalなので、ライスをやめてナンで食べても同じくらいになります。

カレーライスと比べると予想通りスパイスカレーのカロリーは低めで、ダイエットに有利なことがわかりました。ただし、食べる量や使う具材にもよって大きな差がでるので、あまり過大な期待はしないほうがよさそうですね。

2025年6月25日水曜日

はたらく細胞 (2024)

監督・武内英樹、脚本・徳永友一のコンビによる清水茜原作のマンガの実写化映画。ヴィジュアル的には、キャラクターの再現度が高いことで評判になりました。

体内の様々な細胞を擬人化した表現が大変面白いわけですが、原作やテレビアニメ版と比べると、やはり内容を詰め込み過ぎたせいか物足りない感じは否めません。

体内だけにとどまらず、体の持ち主の人間ドラマをからめたところが映画としてのセールスポイントです。日胡(芦田愛菜)は医学部を目指す高校生で、母親を早くに病気で亡くし、不健康な生活をしている父親、茂(阿部サダヲ)が心配でしょうがない。

日胡の体内にいる、ドジな新米赤血球(永野芽郁)は酸素を運ぶ仕事に慣れるのに精いっぱいで、外敵を排除する仕事をしている白血球(佐藤健)に助けられてばかり。茂の体内は場末のドヤ街の様相を呈していて、新米赤血球(板垣李光人)は、先輩赤血球(加藤諒)に助けられて何とか仕事をしています。

しかし日胡が急性白血病を発症したことで事態は急変します。新しい血球が減ってしまい、次から次へと白血病細胞が臓器を侵食していくのです。治療のために抗がん剤投与と放射線照査によって、白血病細胞だけでなく正常細胞も大きなダメージを受けていくのでした。

最近では主演女優さんのスキャンダルのせいで、すでに忘れ去られた作品になりそうな感じなんですが、見るべきものは佐藤健の「るろうに剣心」を彷彿とさせるアクションとSEKAI NO OWARIのFukaseの悪役振りというところでしょうか。

他にもちょっとずつ出てくる豪華出演陣も見物。山本耕史、仲里依紗、松本若菜、染谷将太、片岡愛之助、小沢真珠、深田恭子、加藤清史郎、DK.KOOなどなどが、どこで出てくるのか探すのも楽しみになっています。内容的にはアニメ版を見たほうが面白いし、よくわかると思います。

2025年6月24日火曜日

もしも徳川家康が総理大臣になったら (2024)

眞邊明人による小説が原作で、「翔んで埼玉」の徳永友一が脚本、「のだめカンタービレ」、「翔んで埼玉」の武内英樹が監督をしました。

新型コロナウィルスのパンデミックにより日本では総理大臣が亡くなり、政府は人工知能IZUMOを使って歴史上の偉人をホログラムにより現代に蘇らせ、1年という期限付きで彼らによる偉人内閣を発足させました。

内閣総理大臣には徳川家康(野村萬斎)、内閣官房長官には坂本龍馬(赤楚衛二)、経済産業大臣には織田信長(GACKT)、財務大臣には豊臣秀吉(竹中直人)がつき、その他の要職には徳川吉宗(髙嶋政宏)、北条政子(江口のりこ)、徳川綱吉(池田鉄洋)、足利義満(小手伸也)、聖徳太子(長井短)、紫式部(観月ありさ)、石田三成(音尾琢真)、土方歳三(山本耕史)らが就任しました。

テレビ局の新人記者西村理沙(浜辺美波)は、坂本龍馬に直接話を聞くことができたため順調に記事を書くことができました。はじめは、国民の誰もが期待していなかったのですが、家康はすぐに鎖国(つまり都市のロックダウン)を断行し、それによって困窮する人々に信長・秀吉の号令の元で手厚い見舞金を支給することで、世界の中で最も早く感染を封じ込めることに成功します。

この結果に国民は手のひらを返したように内閣を支持するようになったため、信長・秀吉らの急進派は解散総選挙により1年という期限を反故にしようと考えます。慎重派の家康が熟考しているうちに、信長のプログラムが何者かによって破壊され、実質的に暗殺されてしまうのです。

秀吉は家康が信長抹殺の犯人だと世間に拡散し、この世界を救えるのは自分だけだと宣伝をするのです。もはや国民は秀吉を崇拝するようになり、秀吉の言葉を疑うものはいなくなってしまいます。何か大きな裏があると感じていた理沙は、坂本龍馬と共に真実を追求することになるのでした。

さすがにコロナ禍をギャグにするには、ちよっと早すぎるというのが第一印象。平和ボケした日本人が政治に興味を無くしている現状を憂いているところはわかりますが、コロナ禍をきっかけにしなくても面白いストーリーは作れたと思います。

そもそもホログラムのはずなのに、偉人たちがどこにでも好きなように行動することへの違和感がつきまといます。タイムワープしてきたというならわかるけど、何か設定からして無理があり過ぎる。

それ以上の感想を言うほどの映画ではないように思いますが、唯一感心したのはGACKTの織田信長は様になっているというところくらいでしょうか。

2025年6月23日月曜日

スパイスカレーとは


インド発祥と言われている「カレー」なる食文化が日本に入ってきたのは19世紀半ば、横浜港が開港しカレー粉が入ってきた時からといわれています。その後、中国料理の「ラーメン」と共に、「カレーライス」として独自の発展により今や国民食として確固たる地位を築いていることは誰もが認めるところ。

典型的なカレーライスは、牛・豚・鶏のいずれかの肉とタマネギ・ジャガイモ・ニンジンをあらかじめ調合されたカレー粉を入れて煮込み、小麦粉でとろみをつけて御飯にかけて食するわけですが、ひとまとめになったカレールゥを使うのが一般的。

ルゥはフランス語で油と小麦粉を混ぜてスープのつなぎに使う物の事で、このことからもカレーライスはいわゆる「欧風カレー」の日本独自の改訂版という趣があります。これに対して、カレー粉に複雑に配合された香辛料 - スパイスを、本家インドのやり方にならってバラバラに加えて仕上げるのが「スパイスカレー」と呼ばれるものです。

90年代初めに大阪の店で始まったとされていますが、「スパイスカレー」という呼び名は水野仁輔さんが2010年に著書で言葉を使ったのが最初で、以後その活動が広まり昨今の「ブーム」に発展したと言われています。

スパイスの基本的な組み合わせはありますが、インドでさえ調理人の裁量によって多種多様なレシピが存在するのと同じで、日本人がスパイスカレーと呼んでいる料理もその中の一つであり、日本独自の発展形と言うこともできます。

スパイスカレーは肝であるスパイスを除くと、驚くほど潔いくらいシンプルです。味付けも塩だけで、ほぼフライパン(あるいは鍋)一つ、コンロ一つあればできてしまいます。時間も早いもので15分、長くても30分以内で完成し、「翌日が旨い」などとまどろっこしいことを考える必要はありません。

ですから、慣れてくるとその日の気分でまったく新しいレシピができるかもしれない。一番美味しいと思うレシピにたどり着いたと思っても、それが正解とは限らないところが面白い。

そこが食べ歩きしたくなったり、趣味としていろいろ作って探求したくなるポイントになっているように思います。

2025年6月22日日曜日

チキンのキーマカレー


よく言われていることらしいのですが、インドには「カレー(curry)」という料理は存在しないらしい。インドの言語でスープを意味するカリ(kari)が語源で、スパイスをふんだんに使った料理がヨーロッパに紹介された過程で生まれた言葉のようです。

ネットでいろいろレシピを探してみると、困ったことに一定の料理名が使われていません。これは、インドが南北、さらには東西で複雑な文化を形成しているため、それぞれの地域でこれが定番というのがまちまち出てくることに加えて、そもそもカレー料理が各家庭で独自の味付けがされていることが原因かもしれません。

ある料理人が「これが決定版!!」と言っていても、他の料理人だと違うレシピがでてきたいりするので、何をどうすれば「本格的」なのかがつかみにくい。ただし、スパイスの基本的な組み合わせはだいたい共通なので、最低限のルールを知ったら、自分の好みに応用すればそれが「本格的」なカレーになるのかもしれません。

キーマカレーは、日本では挽肉を使うカレー料理で、一般に汁は少な目です。ですから、ここで作ったキーマカレーは、湘南海岸あたりで食べるものとはだいぶ違うものになります。注意したいのは肉の種類。インドでは宗教上の理由で牛肉は絶対に口にしません。豚肉もまれで、ほとんどの場合は鶏肉か山羊の肉です。山羊は日本では簡単には手に入りませんから、基本的には鶏肉を使うことになります。

今回はホールのクミンシードを使いました。油を熱して、クミンシードを小さじ1程度いれます。泡が出てきて、香りが油に移ってきたら、みじん切りタマネギ(1/2個分)を入れ炒めます。

やや飴色になったら、ニンニクとショウガのペーストをそれぞれ小さじ1程度入れて軽く炒めます。つぎにトマト缶200g(1/2缶)を入れ、しっかり炒めることでトマトの酸味を飛ばします。

固めのペースト状になったら、ターメリック、コリアンダー、クミンのパウダーをそれぞれ小さじ1、チリ・ペッパー(赤トウガラシ)を小さじ1/2入れたら、よく混ぜながら軽く炒める。スパイスは焦がさないことが大事。ここまでだいたい15分くらいです。

鶏ひき肉は今回は300g程度使いました。水100mlと塩を小さじ1を入れて中火で10分くらい焦がさないように煮込めば出来上がりです。今回は彩を良くするために、緑色のカスメリティを上に散らしました。

ほとんど基本的なチキンカレーと作り方は大差ないので、一度手順を覚えればたいして難しいことはありません。4~5種類くらいの基本スパイスは、普通のスーパーでも簡単に手に入ります。よくある大きさだと、1回購入すれば3~4回は作れますので、是非お試しください。

2025年6月21日土曜日

ワイルド7 (2011)

自分の少年時代・・・って、まぁ半世紀以上も昔の事ですが、こども向けの月刊誌といえば「少年」とか「冒険王」、週刊誌といえば「少年マガジン」、「少年サンデー」、そして「少年キング」の5つが定番でした。いまだに「マガジン」、「サンデー」が生き残っていることは驚異的なことかもしれませんが、当時からキングは三番手に甘んじていた印象で70年代末には自然消滅した印象です。

でも少年キングで最大のヒット作は何? と聞かれれば、望月三起也の「ワイルド7」と答える人は多いのではないかと思います。ロボット、アンドロイド、宇宙人、未来人などなどの超人的な主人公が活躍するマンガばかりの時代に、現代人が悪を退治する活躍をするのですから、まさに「痛快」なアクション物として人気を博しました。

それが映画になったというだけで、大人になったかつての少年としてはワクワクする気持ちはあるのですが、正直に言えば今の時代にそのまま持ってきても「どうなの?」という不安もかなりあります。監督は「海猿」や「暗殺教室」の羽住英一郎、脚本は2時間ドラマ専門みたいな深沢正樹です。

ワイルド7は、草波警視正(中井貴一)が犯罪者の中から選抜した「悪をもって悪を征する」ことを目的とした特殊な警察組織で、通常の警察が手を焼く凶悪犯を「抹殺」することを使命としています。隊員は飛葉(瑛太)、セカイ(椎名桔平)、パイロウ(丸山隆平)、ソックス(阿部力)、オヤブン(宇梶剛士)、ヘボピー(平山祐介)、BBQ(松本実)の7人。

新聞記者の藤堂(要潤)は、超法規的な行動する警察が存在する噂を追いかけていて、新人記者の岩下こずえ(本仮屋ユイカ)と取材を続けていました。テロリストのM108号が国家が秘密裏に開発していた細菌兵器を奪い、東京にばらまくと脅迫してくる事件が発生し、藤堂らも事件に関わっていくことになります。

解決を委ねられた草波は公安調査庁情報機関、通称PSUに出向き最高統括者である桐生(吉田鋼太郎)に協力を頼みます。PSUでは、国民一人一人の個人情報をすべて把握していて、膨大なカメラによってその行動すらリアルタイムに監視することが可能でした。PSUの協力で犯人グループを追い詰めたワイルド7でしたが、何者かによって犯人が射殺されてしまいます。

飛葉に接触してきた本間ユキ(深田恭子)は、両親の復讐としてM108号を追いかけ、すでに何人かを処刑していて今回の射殺のユキの仕業だったのです。飛葉はもう復讐はやめるように強く説得しますが、ユキはあきらめません。

草波は、PSUが今回の細菌兵器強奪事件の初動を遅らせるため、意図的に報告をしていなかった疑いを持ちます。そしてその間隙に桐生が株取引で大きな利益を上げていること、そしてこれまでにも同じような事案が何度もあることを突きとめました。草波に知られた桐生は、ワイルド7を凶悪犯罪集団に仕立て上げ世間に公開し、その首謀者として草波を逮捕させるのでした。地下に潜ったワイルド7のメンバーは、PSUとの対決を決意するのでした。

・・・まぁ、よくある感じのストーリーです。見かけは悪でも実は正義のワイルド7と見かけは正義ですが実態は悪という桐生・・・なんですが、PSUという組織全体ならともかく悪役が桐生一人で、その動機も私利私欲という設定はショボい。巨悪に挑むみたいな映画にするだけのモチベーションが感じにくい。

主役瑛太はそれなりにかっこいいんですが、見た目はともかくやはり原作の飛葉との印象が違うように思います。それにもまして、ワイルド7というばバイクを中心としたカーアクションなんですが、最初の紹介エピソードとPSU突入くらいで、ほとんどが人間アクションになっているのも今一つピンと来ないポイントになってしまいました。

最大の原因は、最大の見せ場で相手がPSUをガードする正規の警官隊というところにありそうです。問答無用で悪を退治するのがワイルド7の醍醐味なんですが、警察官を退治するわけにいかないのでなんともむず痒い感じです。まぁ、峰不二子ばりの深キョンのわずかな活躍だけが見所かもしれません。

2025年6月20日金曜日

屋上のあるアパート (2011)


阿川佐和子の小説が原作のTBSのスペシャル・ドラマ。脚本 は「Dr.コトー診療所」などの吉田紀子、演出は吉田秋生です。

桂木麻子(長澤まさみ)は、何となく生きてきて、やっと就職した小さな出版社が倒産して無職になってしまいました。取材先の料理教室の山本涼子(秋野暢子)には、生きていくことの大変さを知らないと指摘された麻子は、これを機会に一人住まいをする決心をします。

麻子が選んだのは、屋上が皆で使える共用スペースになっているアパートで、早速隣の猪熊マキ(坂井真紀)と仲良くなります。元社長の岡村実 (近藤芳正)は、麻子に後輩の工藤俊太郎(吉田栄作)の広告会社への再就職を世話します。

そこへ、親友で半年前に結婚した片岡由香(芦名星)が突然やって来て、麻子のアパートに居候し始めるのです。麻子とは対照的に、何事にも積極的な由香でしたが、結婚に失敗したのです。しかし、奔放な由香の生活態度に、麻子は少しずつイラ立ちを覚えるのです。

麻子の両親が持ってきた見合いの話で出会った田中幸二(加藤晴彦)は、自分には恋人がいるのでこの話を断ってほしいといいだします。工藤は麻子の仕事ぶりをしだいに信頼するだけでなく、好意を抱くようになります。また田中も、恋人に逃げられたと連絡してきます。

独り暮らしを始めた女性が、見かけ上は自由を手に入れたはずなのに、少しずつ自分を束縛することが増えていく。特に目的がなかった生活がだんだん窮屈になっていくことで、むしろ自分が何をしたいのかがはっきりと見えてくるという内容を適度なユーモアを交えつつ描いている作品ということだと思います。

テレビドラマですから、さすがにあまり派手派手な演出はありませんが、逆に会話劇として面白さが見えてきます。すでに人気が高まっていた長澤まさみとしては、演技者として開眼した時期の作品の一つということもできそうで、ファンの方は必見です(現在TVerで公開中)。

2025年6月19日木曜日

ドジャース公式飲料


大谷選手、ついにマウンドに上がりましたね。

1回だけでしたけど・・・自責点1点ついてますけど・・・2年弱振りですから、投手として復活しただけでも拍手喝采。後半戦は、ローテーション入りの期待が高まりました。

今年はドジャースの開幕戦は日本で行われましたが、それを記念して発売されたのがこれ。

セブンイレブンが独占販売したPRIMEというスポーツ飲料で、ドジャース公式飲料とされました。ボールの縫い目がデザインされていて、いかにもという感じです。

さぞかし人気で、数量限定だったのですぐに売れきれたのかと思ったら、今頃売れ残りの割引販売が行われていました。

そりゃそうだ。定価税込み300円ですよ。いくら何でも強気すぎる価格設定です。

ちなみに割引で180円。このくらいなら、興味本位で買ってもよいかなと・・・

で、飲んでみた。

もう、二度と買わない。何故かというと、めちゃめちゃ甘い。いくら何でも甘すぎる。スポーツ中でも、これはきついんじゃないかとおじさんは思った。

まぁ、人の好みはいろいろですからね。気に入った方はセブンに急げ!!

2025年6月18日水曜日

水槽の引っ越し


うちのクリニックの受付で、けっこうな存在感があるのが水槽です。

もう10年以上前に始めた熱帯魚のためのものなんですが、今ではほとんど管理というほどのことはせず、必ずしも綺麗なアクアリウムとは呼べない状態ですが、患者さんの中にはそれなりに楽しんでくれる方もいたりします。

先日、受付がなんと「大洪水」状態になり、大騒ぎになりました。調べたら、水槽のガラスの継ぎ目の接着が経年劣化によりもろくなったための水漏れという結論になりました。

30L水槽でしたが、満水にするとさすがに一人で簡単に移動できる重さじゃない。それなりの水圧がかかり続けるわけですから、そりゃいつかは継ぎ目はダメになるのは当然といえば当然のこと。

この際、水槽を完全に撤去するという選択肢もあったんですが、それも寂しいことなので、10数年ぶりに水槽を新調しました。

引っ越しはなかなか大変です。完全に新しい水にすると魚へのダメージが心配ですし、そもそも水槽内のバクテリアがゼロになるのは避けたい。

そこで古い方から水を半分くらい移し替えてから魚を移しましたが、これも魚にとってはかなりのストレスだろうと思います。

今度は何とか一人でも動かせる20L水槽に格下げしました。小さくはなりましたが、引き続き楽しんでもらえればと思います。

2025年6月17日火曜日

本格インド・カレー

 


スパイスといえばカレー。

昨日のスパイスを見れば、勘のいい人はすぐ「あー、カレー作るんだ」とわかったと思います。

実は、けっこう昔からカレーは割とこだわって作っていたんです。ですから、今でもスパイス類は割とそろっていて、ふだんのルゥを使って作るにしても、いろいろ追加するんです。

ニンニクとショウガは絶対に追加しますし、クミン、カルダモン、コリアンダーは必須。

いろいろ混ぜて、オリジナルのカレー粉から作ったこともあります。

ただ、何でも入れればいいじゃんという感じだったので、この際、本格的なインドのカレーを作ってみることにしました。

YouTubeなどにたくさん動画がありますが、とりあえず家に買い置きがあるスパイスはすべてパウダーだったので、やや簡略化したレシピになっていると思います。

まずは「飴色タマネギ」作り。どれを見ても、ここを手を抜いてはいけないということらしい。出来たら、ニンニクとショウガ(チューブを使用)を入れて馴染ませる。

そしてカットトマトです。しっかりと水分を蒸発させて、温度を上げることで酸味を抑えられるので、全体がペーストになるまでしっかり炒めます。ここで塩を入れて味を調えます。

用意したスパイスをすべて投入して、塩・コショウで軽く下味をつけておいた鶏モモ肉を入れてよく混ぜる。後は水を入れて10分ほど煮込めば完成です。

今回はより本格を目指して、ライスはインドの長粒米であるバスマティライスを使いました。バスマティライスは炊くというより煮る調理法です。

30分ほど水につけておいて、あとは10分ほど煮る。笊にあけたら湯を切って鍋に戻し、10分くらい蒸しておけばOKです。実に簡単。独特の匂いがありますが、カレーとの相性はさすがにバッチリです。

タマネギとトマトを多めにしたので、思ったほどサラサラではなく、大変食べやすい。今回は鷹の爪を細かくしたものを入れたんですが、辛さはちょっと物足りない感じでした。でも、思った以上にカレーでした。

「ちゃんと」作ると、お家カレーが何段階もバージョンアップした感じです。スパイスさえ揃えば、やることはそんなに難しくないので、誰でもチャレンジできると思います。

2025年6月16日月曜日

スパイス


料理は科学だ!!

・・・と、声高に言える立場ではないことは重々承知なんですが、医学も同じで理屈だけでは割り切れない部分があるのも間違いありません。

特に料理では、「匙加減」という言葉があって、作るの人の直感で同じ材料を使っても出来上がりはピンキリです。

一番その匙加減が出来るところが、調味料じゃないでしょうか。調味料と言えば、真っ先に思い浮かぶのは砂糖・塩・酢・醤油・味噌などですが、その次に味を大きく左右するのがスパイスじゃないかと。

一般に香辛料と言っているのは、スパイスとハーブです。ハーブは主として植物の葉で香草とも呼び、スパイスは種子とか根・茎・皮とかというところが使われます。

・・・と、まぁ、前置きはこのくらいにして、さて、これは何でしょう?

スパイスです。

下から時計回りにクミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、クローブです。

何に使うんでしょうか?

楽しみ、楽しみ。

2025年6月15日日曜日

浜の朝日の嘘つきどもと (2020)


あれ、ちょっと前にこのタイトルあったやん!! と思った方、ちょっと違います。ちょっと前のは2021年で、今回は2020年。正確には、ちょっと前のは映画版で2021年9月公開で、今回のはテレビ・ドラマ版で2020年10月の福島を皮切りに、2021年1月までに全国のローカル局で順次放送されました。

どちらも福島中央テレビの開局50周年として製作されていて、監督・脚本はどちらもタナダユキ。映画版は主役は高畑充希、準主役として大久保佳代子が重要な役で登場しました。ドラマ版では、高畑充希と竹原ピストルのW主演という形になっています。ストーリーの時系列では映画が先で、そのラストシーンがドラマ版の導入部につながっています。

福島県南相馬にある朝日座は古い映画館。突然やって来た茂木莉子と名乗る女性(高畑充希)の活躍で、何とか閉館の危機をくい止めることができましたが、困難な経営が続いています。ある日、朝日座の前に一人の男性が立っていました。彼は川島健二(竹原ピストル)という無名の映画監督で、唯一任された商業映画が大コケして、失意のあまり死に場所を探していたのです。

ここでもう一度だけ映画を見て感動したら死ぬのをやめようと思う川島に対して、莉子は900円の入場料のところを3500円とふっかけ、いい加減な嘘を織り交ぜてなんで高いのか説明します。川島は「もう俺はお金はいらない」と言い1万円を置いて館内に入るのでした。

映画を見終わって「感動しなかった」川島が出てくると、支配人の森田(柳家喬太郎)が話しかけてきます。川島は問われるがままに、何でここに来たのか話ます。そこへコンビニに行っていた莉子が戻って来て、皆で死に場所を探しに行こうということになります。しかし、山でも海でもしっくりこないという二人に振り回される川島でした。

最後に二人は、朝日座常連で映画愛が強い資産家未亡人の秀子(吉行和子)を川島に紹介します。秀子は川島の唯一の作品を見たことがあるといい、ダメな映画だったけど主人公が「本当にやりたいことをしなさい」というところだけは素晴らしいと褒めました。実はその場面だけが、川島が自分の意見を通したシーンだったのです。

秀子は「朝日座を使う」、「この町のためになる」、そして「自分がやりたいことをやる」という条件を出して、自分がスポンサーになって川島に映画製作を依頼します。莉子、森田、秀子らのぼんやりした説得により死ぬのをやめた川島でしたが、そう簡単には映画にするようなストーリーを思いつかず、それはそれで苦しむことになるのです。

公開順だとこのドラマが先ですが、これだけだと設定が謎だらけ。皆いい人なんですが、言っていることをどこまで信じていいのかわからないくらい自然な嘘を並べ立てています。このあと、前日譚となる映画を見ることで、すべてのやり取りに合点がいくという仕掛けになっている。自分は先に映画を見てしまったんですが、そうするとドラマのやり取りは自然で、むしろセリフにはない深い所を感じることかできて、それはそれで楽しい。

タイトルの「浜の朝日」は莉子の本名である浜野あさひと朝日座のことですが、「嘘つきども」というのは登場人物全員のことで、嘘をつくのは「映画の本質」ということです。町の人々は辛い現実を乗り越えるために「嘘」を使い、人生そのものをあたかも一本の「映画」のように楽しんでいるのかもしれません。

これは是非、ドラマと映画をセットで見るべき作品だと思います。それは、どちらもタイトルが同じというところにも、タナダ監督の強い意図が見て取れます。現在でも、ブルーレイ・ディスクあるいは各種の配信で視聴可能なので、コロナ禍で埋もれさせてはいけない優れた作品として強くお勧めします。

ちなみに川島が朝日座を始めて訪れた時に、上映していたのは「天使にラブソングを」と「ベルリン 天使の詩」の二本立て。このチョイスは映画好きならうなってしまうこと請け合い。どちらも生・死・嘘のキーワードが浮かんでくるところに監督のセンスが光ります。

2025年6月14日土曜日

68歳の新入社員 (2018)

フジテレビの2時間枠の単発ドラマですが、高畑充希と草刈正雄のW主演、オリジナル脚本は岡田惠和。岡田は多くのNHKテレビ小説をはじめ、「最後から二番目の恋」シリーズ、多くの映画を担当したヒットメーカーです。

以前の会社でたまたまヒット企画を出したことで周囲から妬まれ居づらくなった工藤繭子(高畑充希)は、老舗和菓子会社の羊堂本舗の社長(丸山智己)にヘッドハンティングされ、顧客層拡大のための新たに立ち上げられたチームのリーダーとして、会社のイメージアップのためのアイテム開発などの業務を行っていました。

アイテム自体は好評なのですが、和菓子の売り上げ増には直結していないことから、社長は和菓子そのものとの連携した企画を早急に提出して欲しいと言ってきます。しかし、菓子部門の上司は繭子のやっていることに否定的で、顔を見れば嫌味ばかりでとても協力できる雰囲気ではありませんでした。繭子は家に帰ると同居している恋人の小野諒(小瀧望)にぐちを言う毎日で、諒もがんばりすぎる繭子を心配するのです。

8年前に羊堂本舗を定年退職した68歳になる仁井本和夫(草刈正雄)もまた、日々の生きがいを見いだせず妻の文子(原田美枝子)にぐちを言う毎日。たまたま昔の同僚たちと話をしていると、それを聞いていた社長にすすめられて再就職することになりました。

仁井本はかつていた総務部復帰するのかと思っていたら、配属されたのは繭子の部署でした。初対面から繭子は「昔の自慢をして楽しみたいのか、まったくの新人として一から仕事を覚えたいのかどっちですか」と厳しい扱いをします。しかし、仁井本は不慣れなパソコンなども積極的に使えるように勉強して、こどもと同じような年齢の繭子や同僚たちから少しずつ信頼されるようになります。

新しい企画の〆切が近づくものの一向にアイデアがまとまらない繭子は、家に帰ると口癖のように言っていた「疲れた、疲れた」すら言えないくらい追い詰められていました。再び上司に呼び出され、企画はどうなんだと責められ、社長に媚びを売っているんだろうと言われる繭子でしたが、仁井本のことまで悪口を言われついに「ゲス野郎!」と怒鳴って殴ってしまうのでした。

定年後の人生をどう過ごすかは人それぞれだと思いますが、中には仁井本のように生活の張り合いをなくしてしまう人もいるかもしれません。そういう方が、新しい環境で働く場合、やはり「過去の栄光」を表立って持ち出すことは戒めないといけない。でも、「過去の栄光」はその人のベースとして、偉大な経験値になっているわけで、時代が変わってもいろいろな場面で役に立つことを教えてくれる作品です。

繭子は実力はありますが、経験は少なく自分に対しても絶対的な自信を持っているわけではありません。ですから、自分に対する誹謗中傷はいくらでも耐えることができるのですが、その矛先が自分以外に向いた時はそれをはっきりと否定する正義感を持っています。そして、詰め込み過ぎる思いを、うまく吐き出し受け止めてくれる恋人の設定が絶妙です。

性別、年齢、立場などが対照的な二人の主人公を通して、少しだけ生きていくためのヒントみたいなものを感じ取れれば十分に見る価値のあるドラマです。連続テレビドラマほど長すぎず、映画ほど気負っていないので、てきぱきとした進行がちょうどよい作品になっています。