夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2010年10月14日木曜日

東京女子医科大学付属膠原病リウマチ痛風センター

長いでしょう、この名前。でも、なんと言っても、日本で一番関節リウマチの患者さんが多い病院ですからね。多少長い名前でもしょうがない。

実際のところ、今の自分はここあってのものですから、何しろ新宿の方に足を向けて寝れたもんじゃありません。

東京女子医科大学というくらいですから、学生はみんな女性。と言う事は、卒業生で大学に残るのは全員女性です。実際は半分位は男性でしょうから、男性は全員他の大学から来た医者ということになります。

自分も東海大学の卒業で、卒業後10年間は母校にお世話になったわけですが、それから縁があって東京女子医科大学にトラバーユ。2000年から2005年までは正職員として在籍させてもらいました。

この間に、関節リウマチのイロハを勉強させてもらったわけですが、正直言ってそれまで知ったつもりだったリウマチ診療の常識を完全にひっくり返されたような、今までの不勉強ほどを思い知らされたのでした。

その一番は副作用という問題。ぶっちゃけ、ノー天気な整形外科医は薬の治療についてはあまり関心がありませんでした。ましてや、副作用なんてほとんど気にしていない。

膠原病リウマチ痛風センターのすごいところは、その膨大に症例数もさることながら、内科系と外科系の医者が一緒に仕事をしていることです。

初診の患者さんについても、分け隔てなく振り分けられます。それぞれの不得意なところは、隣の診察室にちょっと顔をだしてアドバイスをもらうことがすぐできたりするんです。

医局も一緒で、いろいろな相談や雑談の中から、いろいろな知識を整理して増やしていくことができます。特に2000年からは、怒涛の進化を続ける関節リウマチ診療の世界ですから、一人だけで勉強していてはとても追いつくものではありません。

自分は、今では非常勤講師という立場をいただいていますが、なかなか大学に恩返しをできる状況にはなっていない。月に1回の外来といっても、患者さんの数も多くなく、大変申し訳ないように思うわけです。

センターのホームページは、内科系と外科系全体のものですが、整形外科の独自のページもあります。ここを作っているのがセンターのホープ猪狩勝則講師です。この人はすごい。若くして、遺伝子関係からの基礎研究を早くからこなし学会の賞も受賞、これからの日本のリウマチ学を牽引していく一人になることは間違いない。

自分も開業して、自分からは新しいことを見つける立場ではなくなったので、こういう意気盛んな若い先生から、もらえるだけエネルギーを分けていただく気持ちが大切だと思っています。

センターは、これからも日本のトップクラスの施設として存在してもらいたいと思いますし、そこに少しでも関係がある身であることが誇りに感じられるというのは大変嬉しいことです。

2010年10月13日水曜日

Hiraly Hahn / Tchaikovsky Violin Concerto

チャイコフスキーの協奏曲というと、ピアノとヴァイオリンが有名で、まぁクラシックファンでなくても、たいてい聞いたことがあるものです。通の人は「チャイコのピーコン(Piano Concerto)」という呼び方をしていますが、「ブイコン(Violin Concerto)」という言い方はあまり使わない。

いずれも、かなり印象的なオーケストラの序章から始まって、1分くらいするとソロ楽器が颯爽と登場するわけです。ピーコンの場合は全体的に派手さが目立ちますが、ヴァイオリンではややじっくりと盛り上がっていく雰囲気があります。

どうもチャイコフスキーがヴァイオリンは得意ではなかったことが関係しているのかも。チャイコフスキーは自分ではヴァイオリンを弾かなかったらしく、いろいろ知人からアドバイスをもらって完成させたそうです。

完成した譜面を、当時高名なヴァイオリン演奏家であったアウアーという人に献呈したところ、こんなのは演奏不能といわれ相当へこんだそうです。挙句の果て、アウアーは難しい部分をばっさりと切り捨てて演奏して、比較的最近までそのアウアー版が標準として知れ渡っていたというのも驚きです。

さて、女流中堅どころのヒラリー・ハーン。今年の最新アルバムでは初めてチャイコフスキーを取り上げました。もちろんチャイコフスキーの原典版。とはいえ、最近の録音はアウアー版はほとんど無いようですから、それを売りにしてもしょうがない。

ここではヒグドンという現代の女流作曲家がハーンのために書き下ろした協奏曲とのカップリングというのがポイントで、新旧ふたつの協奏曲のコントラストがなかなか楽しいわけです。

それにしても、チャイコフスキーという作曲家、本当に美しいメロディを書く人です。当時のロシアの作曲家の中では、かなり甘い旋律に走るほうではなかったかと思います。ある意味、ポップスに近いかもしれません。

まぁ、誰が演奏していても十分に楽しめるのは、やはりもとの曲が良くできているということが大きいのだと思いますが、誰もがたいてい録音しているのでちょっとずつ聴き比べてみたいと思うわけです。

2010年10月12日火曜日

すすき

秋深し、隣は何をする人ぞ。
まぁ、そんなことを思い出している場合じゃありません。秋らしさというのは、随所にあるものです。ちょっと、あたりを見回してみると・・・
すすきです。さすがに仙石原のような見事なものではありませんが、十分に秋を感じさせる雰囲気が漂っています。

以前は、箱根にキャンプに行くことがよくあって、秋は仙石原で行き帰りにすすきの原っぱをよく見ました。視覚的に秋を感じるというのは、四季を持つ日本人としても大事なことだと思います。

2010年10月11日月曜日

伊勢詣

伊勢神宮には天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮があるんだそうで、そんなことも知らないのかと怒られてしまいそうです。

10月は出雲では神在月ですが、その他の地域は神無月と思っていたら、実は神様が出雲に集まるのは旧暦だそうで、実際は11月の話らしい。

そんなわけで、とうちゃんは故あって身動きのできない今年最後の連休である、昨日から我が家の母娘の二人は急に思い立ってお伊勢詣でに出かけていきました。歴女とまでは言わないけれど神社仏閣に興味をもつ娘とパワースポットが大好きな母親の小旅行です。

自分は高校1年生の修学旅行が伊勢・志摩だったので行ったはずなのですが、まったく記憶に残っていません(なんてバチ当たりなことか)。昨夜は宿で、きっと美味しい海の幸の夕食を食べたはずです。

伊勢参りは上方落語では東の旅というシリーズがあり、大阪から伊勢までの往復の珍道中は比較的若手の練習用として語られることが多い。しかし、現桂米朝が復活させた旅の最終話は1時間以上もかかる「地獄八景」ですから、なかなか手強い。

まぁ、それはともかく、おみやげにはおかげ犬をたのんでみました。その昔、伊勢参りに行くことができない人が、かわりに犬を伊勢神宮に行かせて参詣をしたという話からはじまるものです。

早速、お土産屋さんでみつけたおかげ犬の写真が送られてきました。直接足を運ぶことはできませんが、よろしくお願いいたしますだワン!!

2010年10月10日日曜日

Julia Fischer / Paganini 24 Caprices

ピアノを弾く人にとっては、バッハの平均律とベートーヴェンのソナタは制覇すべき巨大な山のようなものだそうです。同じような、一度はチャレンジせずにはいられない大きな目標はヴァイオリンにもあります。

それがパガニーニの作曲した24の奇想曲(24 caprices)とバッハの6つのパーティータとソナタではないでしょうか。いずれも無伴奏であることが、いっそう演奏者の気持ちをかき立てることは間違いありません。

無伴奏のヴァイオリン曲はテレマンやイザイの物も有名ですが、発売されている録音の数は比べものになりません。無伴奏は、まさに奏者の孤高の世界で、自分の感じるがままに好きなように演奏ができます。しかし、そこが逆に大きな落とし穴にもなっているところが怖い。

クラシックの世界は、楽譜に忠実に演奏することを良しとする人と、可能な限り独自の解釈を楽しむ人に分かれるように思います。無伴奏曲では、もしもすべての演奏者がまったく同じに演奏するようなら面白くはありません。やはり、奏者の個性をできるだけ感じてみたいものです。

ニコロ・パガニーニ(1782-1840)は超絶テクニックの持ち主で、悪魔の申し子のように思っていた聴衆も少なくなかったと言われています。24の奇想曲はパガニーニの代表作で、ヴァイオリン弾きに取っては、超絶技巧を要求される最高難易度の曲であることは今更言うにおよびません。

当然、歴代の名だたるヴァイオリニストで録音を残していない人はまずいないと言うほどのものですが、ピアノ中心に収集している自分の場合は、実はアッカルドの物くらいしかもっていないのです。

最近はピアノ収集も多少行き詰まっているので、室内楽にもてを出すようになりました。そこで、今のところ最も新しく発売されたユリア・フィッシャー盤を購入してみました。フッシャーは21世紀になって活躍し始めたヴァイオリニストの中では、最も躍進のめざましい一人でしょう。

現役女流の中ではムターが女王であれることは誰も異論を挟まないと思いますが、ではその後を追いかけているのは誰かというといろいろな意見がでてきそうです。順番ならヒラリー・ハーン。古楽系ならムローバかポッジャー。そしてその次の世代を担うのが、フッシャーとヤンセンという感じでしょうか。

ヴァイオリンを聴き込んでいない自分にはよくわからないところもあるのですが、フィッシャーのパガニーニはおそらく比較的こじんまりとそつなくまとめた感があり、悪くはないのですが何か物足りない感じがしました。

もう少し攻めるところを攻めて、泣かせるところは泣かしてもらいたかったような気がするのです。でも、ちょっと前に出たシューベルトのソナタは面白かった。協奏曲ばかりでなく室内楽を積極的にやるようになると、もっと面白い音が出るようになるのではないでしょうか。

2010年10月9日土曜日

骨肉腫

整形外科の守備範囲には、比較的悪性腫瘍が少ない。ところが、数少ない悪性腫瘍の代表が骨肉腫という病気で、やっかいなことにそのほとんどの患者さんはこどもなのです。

大人でも「あなたはガンで、死ぬか生きるか五分五分です」みたいな告知をされたら、冷静でいられることは少ないわけです。まして、相手は10代のこどもだと、それを理解してもらうというのは大変困難な作業になるわけです。

医者になって10年目くらいの頃に、大学にいてなんとなく腫瘍担当みたいになっていた時期がありました。特に腫瘍に興味があったわけではなかったのですが、偶然に数人の患者さんを同時にもつことになってしまいました。

骨肉腫はたいてい単純レントゲンで疑いを持つことになるのですが、たいてい緊急入院をしてもらわなければなりません。すぐにいろいろな検査を行い、早急に診断を確定して治療にはいらないと、病気はあっというまに進行していくのです。

患者さんにとっては楽な検査などはなく、入院して2週間くらいは大変な思いをしていたはずです。そして、最後に組織を一部取り出す生検を行い、病理診断で確定することになります。実際の所、ここからが本当の戦いの始まりなのです。

悪性腫瘍は、見つかったときにはすでに骨内転移を起こしていると思って間違いなく、見た目にわかる腫瘍だけを切除しても、命を救うことはできません。そこで、まず抗がん剤による化学療法を行わなければならないのです。

そこで、ここまでのことを、本人と親の両者に説明して理解してもらう仕事をしなければなりません。化学療法は、大変な苦痛を伴うので、こどもにそのことを理解して協力してもらうことはなかなか難しい。また、命に関わる重大な病気を親に冷静に納得してもらうことも簡単なことではありません。

しかし、何故か骨肉腫のこどもたちは大変素直ないい子ばかりなのです。何故苦しい治療を行わなければならないのか、そしてその結果がどのような期待がもてるものなのか、必死に理解しようと努力してくれるのです。

抗がん剤の治療が始まると、医者の側も大変なストレスがあります。薬を使った後、もしも何もしなければ確実に患者さんが死んでしまうような量の薬を使うので、毎日必死にケアを続け週末になると、何とか無事に今週は終えたとほっとすることの連続です。

以前、たったの9歳の女の子が骨折をして運ばれてきました。レントゲンで、明らかに骨が溶けていて骨折したことがわかり、骨肉腫が疑われました。検査の結果でも、間違いなく早速化学療法が始まったのです。

数週間にわたる化学療法に耐え、検査ではかなりの腫瘍組織が壊死したことがわかりました。そうなると、足を切断せずになんとか残すことが可能な状況になったのです。とはいえ、かなりの骨を切除するため、かわりに人工の骨を入れないといけない。

そこで両親に説明した上で、数百万円もかかる特注の人工骨を用意することになりました。というのも、まだ9歳ですから、身長が伸びるのでそれに合わせて人工骨も延長しないといけないからです。けして経済的に余裕がある家ではなかったようですが、両親は快く同意してくれました。

ところがしばらくして、突然母親から思っても見ない申し出があったのです。母親はある宗教の信奉者で、輸血が必要になる手術はどうしても賛成できないというものでした。何時間もかかる大きな手術ですから、輸血無しと言うことはとうていあり得ません。

それでも、自分の血液を輸血用に採り貯めておくという方法を説明して、何とかその場は理解してもらいました。ところが、数日後にやはりその方法でもダメだというのです。一方、信者ではない父親は、何とか自分から説得するので計画を進めて欲しいという意向でした。

ところがさらに数日して、その父親から、特注の人工骨の支払いをすることはやむを得ないが、輸血の必要のない足の切断手術をしてもらいたいとの話がありました。毎日、母親と言い争いになり、父親はもう心底疲れたと言うのです。本当に精神的にまいっている様子で、医者の側としてもそれ以上説得することはできませんでした。

結局、女の子は大腿部から足を切断することになり、自分が記憶する限り、これほどやっていてむなしい手術は他にありません。そして、切断した骨の標本の病理検査の結果、腫瘍組織が99%以上死んでいたことが確認され、ほぼ間違いなく足を残すことができたはずだったということがわかりました。

個人の宗教感については、他人がとやかく言うことはできません。しかし、親だからと言ってこどもの将来に重大な不利益を伴う結果を残す権利はあったのでしょうか。医者は患者さんのプライベートな部分にどこまで立ち入ることができるのでしょうか。骨肉腫の治療の経験の中で、一番考えさせられた患者さんでした。

2010年10月8日金曜日

平等と差別

今回は、かなりヘヴィなタイトルをつけてしまいました。あんまり、真面目なことを書くと照れくさいし、だいいち自分がそんなことを語れるほど立派な人間ではないと思ってしまいます。

ですから、まぁ勝手な思い込みみたいなものですし、読む方がいるならできるだけ軽く読み流してもらったほうがいいかと。

平等というのは、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」という説明は広辞苑。何しろ、日本語の辞書としてはもっともぶ厚いものに書いてあることですから、尊重しないわけにはいきません。

でも、すべてが一様で等しいなんてことがあるでしょうか。いろいろな立場の人々がいて、いろいろな価値観が混沌としたこの世界ではありえないでしょう。そうなると、やはり五代目立川談志師匠の言ったことが素直にうなずける。

つまり「平等」とは、お互いの差を認めることであるというもの。それまで、談志は落語の本流からは外れた噺家というイメージだったのですが、これを聞いてからは好きな落語家になりました。

そうです。差があって当たり前。差を認めないことは悲しいことで、やさしさとか思いやりは差に気がついて生まれてくる感情なのでしょう。そういう意味では、その差をしっかり認識することは「差別」ということなのかもしれません。

しかし、実際のところ「差別」というのは、そんな温かい感覚とはだいぶかけ離れたところで行われています。日本でも歴史的に「部落問題」を持ち出すまでも無く、陰湿な差別は厳然たる事実として存在し続けています。

差別では、互いの差を優劣という感覚で表現している場合が多く、ある意味誰かより優勢な立場に立ちたいというのは人の本能的な願望なのかもしれません。しかし、現実には「互いの差を認める」ことができれば、人と人の間には優劣は無くなるのではないかと思います。

例えば医者と患者の関係では、昔は「お医者様」という表現が語っているように、医者のほうが明らかに優位に立っていたわけです。経済的にも、医者は平均的な生活水準からすれば明らかに上のランクでした。患者は「病気を治してもらう」という立場から、すでに劣勢に立たされていたということもあるでしょう。

しかし、この20年間くらいの中で、病気を治すのは医者と患者との共同作業であり、どちらかが優勢に立つようなものではないということに医療界がきがついたのです。大変気がつくのが遅い話で、もう恐縮するしかありません。

ただ、最近はその傾向がさらに強まり、むしろ一部に患者のほうが優位に立つような動きがあることも事実で、誤解を恐れず言うなら、自分は強い違和感を感じているところもあります。これは、何も医者と患者との関係だけの話しにとどまる事ではありません。

人権というものを大切にする風潮が強まっている反面、個人の権利の主張が膨張して、他人を愛する部分と排除する部分の両極端の価値観が混迷を極めているのが現代社会ではないでしょうか。

あらためて言います。「平等」とは互いの差を認めること、そして「差別」も互いの差を認めること。おそらく二つの言葉の中間にあるのが真実なのでしょうね。

2010年10月7日木曜日

永遠に喝!!

今朝のニュース。親分死す。

もう、ずいぶんと前から日曜日の朝は、必ず8時からTBSのサンデイ・モーニングをかかさず見ています。1週間の社会の動きをわかりやすく説明してくれますし、またちゃんとしたコメンテーターの方々の意見も大変参考になる。

それにもまして、大沢啓二と張本勲が加わってのスポーツコーナーが楽しい。もはや、このコーナーがメインといっても過言ではない。二人の入場には、楽しい大沢親分の歌がついて、いろいろなスポーツに「天晴れ!!」「喝!!」というのも楽しい。

9月までの放送はいつも通りでしたが、先週の10月3日の放送では、入場の歌が無い。というよりも、親分がいない。あれっ? と、思っていたら司会の関口宏が「今日は体調を崩したのでお休み」というアナンウスをしました。

やはり、親分無しのスポーツコーナーは何となくしまらない感じがしたばかりで、このニュース。もう、あの名調子が聴けないと思うと、本当に寂しい思いです。野球界を本当に盛り上げてくれたて偉大な方だったわけで、これからはあの世で「天晴れ」を連発してもらいたいものです。

合掌

2010年10月6日水曜日

げっ、生まれた! ~あすなろ淡水魚館


いやいや、びっくり。この前仲間入りしたばかりのグッピーの稚魚がいるじゃありませんか。雌の一匹のおなかがだいぶ膨らんでいるなぁ、とは思っていました。

それが今週、月曜日にはしぼんでいる。うっ? あれぇ? と思っていたら、スタッフが2匹の稚魚を発見。これが小さい。だいたい3~4mmくらいでしょうか。しかも、半透明で見つけにくい。

上の写真、よ~く見てください。真ん中あたりに2匹の稚魚が写っているんです。わかります?

この水槽は弱肉強食の世界。なんとか、食べられずに大きくなれるものだけが生き残れるという厳しい世界なのです。

がんばれ、BABY !!

2010年10月5日火曜日

心に残る一言

ここ10年くらいでしょうか、トラウマ trauma という言葉が一般的に使われるようになりました。トラウマというのは、整形外科的には外傷、つまり骨折とか脱臼とかのいわゆるケガをさす英語です。

ところが、一般に使われている場合は「心の傷」という意味に限定されている。肉体的なキズと思っていた言葉が精神的なキズの意味になって、自分としてはその辺のギャップがけっこう気になっていたことです。

誰かが言った、何気ない一言。これが、誰かを元気付けることもあるでしょうし、逆にひどく傷つける場合もある。心に残る一言は、良い場合も悪い場合もあるわけです。

例えば自分の場合、ある人に「どうせ君は人生で負けたことなんてないでしょうから」と言われたことがありますが、これはけっこうトラウマになる一言でした。医者は社会的地位もあって、苦労なんて知らないでしょうというような意味で言われたと思ったのです。

ちょうど開業して半年過ぎて、患者さんは来ないしお金もほとんど底を着いて、クリニックの賃貸料も払えず待ってもらっうことにした時期でしたので、かなりこの一言はこたえたのです。

そのとき思ったのは、「人生で負けるということは自殺でもするようなことだろう。行き続けているからには、人生で敗者になる者なんていないさ」ということでした。

まあ、それはそれでへりくつみたいなものでしょうけども、逆に「負けるわけにはいかない」という気持ちを持たせてくれたということもあるんでしょうね。

まだまだ勝利者というにはほど遠い状態ではありますが、今から考えると良い意味での「心に残る一言」だったと思うわけです。

2010年10月4日月曜日

稲垣潤一 / 男と女

世はカバー・ブーム。
と、思っているのは自分だけでしょうか。

徳永英明の"Vocalis"シリーズは大ヒットでした。というわけでもないのでしょうが、二匹目の鰌を狙った企画と言われてもしょうがないのが稲垣潤一。

「ドラマティック・レイン」と「クリスマスキャロルの頃には」の2曲が有名でしょうか。それも20年以上前の話。ちょっとハスキーな甘いボイスが、世の女性の心をわしづかみ。

さすがに、そのままカバー曲集ではどうかと思ったのか、なんとすべて女性とのデュエットという企画がなかなかはまった感じです。

まさに自分の年代なら知らない曲はないという70年代半ばから80年代を中心としたセレクトは、大人をターゲットにした懐メロ大全集。ここで大事なのは、オリジナルのイメージ。

人それぞれ、曲に対する思いの強い大ヒット曲ばかりを並べるからには、オリジナルのイメージを壊してはいけない。少なくともヒットさせるには・・・

そういう意味で、失敗作と言いたいのが中森明菜の「歌姫」シリーズ。中森明菜の再生を狙って、曲よりも歌い手の個性を作ろうとしている。大胆なアレンジが多くて、懐かしさが半減以上という感じがします。

その点、稲垣潤一はオリジナルの雰囲気をうまく残しながら、女性とのデュエットという形で新鮮さをうまく出したということでしょうか。プロデューサーの企画力の勝利ということができそうです。

それにしても、宇多田ヒカルの活動停止はびっくり。おそらく最後の曲がカバー曲というのに、再度びっくり。完全に才能を使い果たしてしまい、ついに最後の曲すら作ることができないということなのでしょうか。そのまま引退したかったのではないかと、むしろ可哀想に感じます。

2010年10月3日日曜日

印象派 ~ 絵画史の中の役割

ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場

ヨーロッパを中心とした、19世紀後半から20世紀初頭の芸術活動のひとつが印象派というくくりで呼ばれています。特に絵画の世界が出発点ですが、美術に止まらず音楽の世界にも波及した一大ムーブメントであったことは間違いありません。

印象派の特徴は、作品の主題 - テーマを強調し正確性については必ずしも重視しないということでしょうか。こういう考え方の変革というのは、人類の歴史の中では必然であり結果である・・・と、まぁ大袈裟なことを言ってもね。

初期芸術では、人に見せるわけではなく記録的な意味合いが大きかったわけでしょう。それが宗教的な発展の中で15世紀頃から、鑑賞するためのものに変わってきた。つまり、それがルネッサンスであったわけです。

ルネッサンスは人間性の回復を目的として、自然の美や現実世界の再発見がなされました。その頂点にたったのが、イタリアのダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらでしょう。
そして17世紀になると、より現実的な主題を求めて、時には奔放なバロック時代となり、レンブラント、フェルメールらヨーロッパ全体から百花繚乱の芸術が生まれ、享楽的な時代となるわけです。

18世紀後半、フランス革命の勃発(1789)から新古典主義 - 古代ギリシャ・ローマ時代の再発見をもとに静的な堅い芸術が始まります。そして、少し遅れてロマン主義 - ミレー、ゴヤらのような主観的な感情を織り込んだより現実的な物を描くことが受け入れられていくのです。この流れが、19世紀から現実を正確に描く写実主義も生み出し、その象徴が肖像画の流行でした。

そして、やっと印象派の時代になるわけです。つまり、写実的な表現を重視するあまり、芸術の自由度がなくなってしまったことが、大きな転換につながったのではないでしょうか。芸術家はより自由を求め、形式よりも表現に価値を見いだしました。

この流れが生まれる裏には、絵の具がチューブに入れられ一般化したことが関係します。絵の具を自ら作らなくてよくなり、屋外での作業が簡単になったということです。そして、大事なことは写真の発明(1827)によって、写実を超えた正確性が再現できるようになったのです。

マネ 「草上の昼食」

1863年に発表されたマネの「草上の昼食」は、一般女性のヌードを描いたことで大スキャンダルを起こしました。それまで、裸婦は神話的・宗教的必然の中だけで描かれていたのです。マネは、さらに「オランピア」のような作品を通じて、より革新的な芸術のリーダーとなったのでした。
モネ 「印象、日の出」

そして、1874年にモネ、ドガ、ルノワール、ピサロらが開催した展覧会から「印象派」という言葉が生まれました。これは、モネの作品タイトルからとられ「へたくそ」という皮肉を込めてメディアで用いられたのです。

しかし、その自由な表現は社会に受け入れられていき、さらに個人個人の技法、特に光りの扱い方に磨きをかけていったのが後期印象派と呼ばれるゴーギャン、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ムンクたちです。
スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

間違いなく、印象派の画家たちの大きな功績は、絵画をより一般的なものとして定着させることができたことでしょう。普通の物を描いていい、正確性がなくてもいい、個人の感性のもとに描いていい。芸術が庶民を含めて、万人のものになったことは大変重大な歴史的事実だろうと思います。

しかし、当然のようにこの流れは20世紀に入って、マティス、ピカソらに代表される前衛性が突出していくという、またもや「必然」を生み出していくのです。幻想的な画風のキリコ、ダリ、クレー、抒情性の強いシャガール、モディリアニ、ルソーらが代表です。その波はさらに抽象的なものへと進むことになります。

いゃあ、こんなに簡単に西洋絵画史を語ってしまっていいものでしょうか。随分と間違いがありそうですが、お気づきの点がありましたら、是非コメントしていただきたいと思います。さすがに、音楽ほどは自分でもわかっていないので、これはあくまでも自分の整理メモ。お許しを。

2010年10月2日土曜日

インフルエンザ予防接種シーズン到来

10月からインフルエンザワクチンの予防接種が始まりました。うちのクリニックでも、予防接種を行いますが、今まで受診したことがある方・・・というか、原則として通院中の方に限定で行います。

昨年は新型インフルエンザ騒動で、通常の季節性ワクチンすらてに入りにくく、オープンに予防接種をすることができませんでした。今年は、供給は問題ないのですが、昨年のやり方に準じて、案内は院内でだけ行っています。

一昨年までは、誰でもどうぞという形式で、かなり安く(ぎりぎり赤字にならない程度)やっていたのですが、さすがに内科でも小児科でもないうちのクリニックでせっせと予防接種をするというのも気が引ける。

とは言え、うちのクリニックにしかかかっていないという方もいるでしょうし、また関節リウマチの患者さんでは特に予防接種が推奨されますので、まったく用意をしないというのもひんしゅくを買いそうです。

毎年毎年、インフルエンザ一つをとっても振り回されっぱなしで,本当に疲れる話ばかりです。厚生労働省の一貫した早め早めの行動・・・なんてものは、期待できませんね。

今年のワクチンは新型とA型とB型を混合した形の物が主に使われますが、おかげで昨年の新型インフルエンザに関する法律が生きていて、これに準じるという。去年もかなりしちめんどくさいことで、患者さんにも多大な迷惑をかけました。

自民党時代の最後の厚労省大臣が、適当にきめたことで大混乱。民主党になって大臣になった方はまったくの無策で、実務的な変更をしなかったため、最終的に大量のワクチンを廃棄するというばかばかしい失態。

しかも制度をそのまま放置しているうちに今年のシーズンに突入という、もう素晴らしいことになっているわけです。ほんの数日前にやっと最終的な実施要項が配布されるという、もうぎりぎりのところ。

日頃の予習復習をせずに、試験前日になってあわてふためくというのはよくある話ですけどね。それにしてもお粗末からまつジュウシマツ。そういえば大臣は変わっちゃいましたよね。一番得意としていた年金問題ですら、何か仕事ができたんでしょうかね。

あ~、ぼやきは健康によくありません。精神衛生上、負のオーラなんてものは何の得にもなりません。この週末で気持ちを入れ替えて、また来週からは元気にがんばろう!! っと。

2010年10月1日金曜日

神在月

今日から10月・・・いやほんと、今年の9月は短かった。
すごく損をした気分です。

10月というと英語ではOctober。octoというのは8を意味する接頭語ですから、おかしいことになっている。たこの足は8本でオクトパス。8人編成の楽団はオクテット。

ずーっとずーっと昔に暦が2ヶ月ずれたときに、直さずそのままにしていたからという理由らしいですが、まぁあまりたいしたことではありません。

日本でも、10月のことは神在月という。
えっ? 違うだろうって?

いえいえ、あっています。神無月だと思っていたでしょう。
これは日本中の神様が10月になると、出雲大社に集まっていろいろな相談をするために日本中で神様がいないということからついた呼び名。

と、いうことは出雲では・・・・神様が大挙しているわけで、ですから神在月と言うのだそうです。

神様の会議って、どうするんでしょうか。だいいち、席順きめるだけでもめそうだ。
幹事の人は大変でしょうね。終わった後の懇親会とかも準備するんでしょうか。それより、日本をよくするためにしっかりと結論を出してもらえればいいんですけどね。