足首の捻挫というと、皆さん軽いケガだと思っていませんか。もちろん、大多数はちょっと捻っただけで、その直後だけ痛くてあとは特に問題ないようなものでしょう。
ところが、病院に行きたくなるような強い痛みを伴う場合はなかなか簡単にはいかないことが多いのです。そのままほったらかしにしていると、結構痛みが続いて生活上の不便も馬鹿になりません。
捻挫というのは、本来動かない方向に関節を捻って関節周囲の組織を痛めた状態。足首の場合は、ほとんどが足が内側に向いてしまい、外くるぶしに強い力がかかります。そして強い痛みと腫れ、内出血を起こしてきます。
こういう場合には、実際には外くるぶしから足の方へ斜めに付いている靱帯を痛めています。つまり靭帯損傷というケガなのです。膝だったら手術が必要になることもしばしばですが、足首の場合は骨の組み合わせがしっかりしているので、よほどのことがないと手術まではしません。
でも、靱帯がちょっと伸びたくらいのものから、完全に断裂したものまでありますし、またしばしば靱帯の骨の付着部がはがれる剥離骨折になっていることもあります。
歩けなくなることはめったにありませんが、中途半端にしていると靱帯がゆるんで治ってしまい、何度も捻挫を起こしやすくなります。またいつまでも痛みが続くことも多い。スポーツをする人は、かなり運動能力に影響を与えることになってしまいます。
同じような力がかかったときに外くるぶしのちょっと上に痛みが強い場合は、すねの2本の骨をつないでいる靭帯損傷のことがあり、これはかなりの確率で手術が必要になります。
また、外くるぶしよりも下の方に痛みが強い場合には、小指側の骨の骨折になっていることも多いのです。
病院に生きたくなるくらいの足首の捻挫は、本当は1週間でもギプスを巻かせてもらえると治りもいいんですが、そんなことをすると患者さんはびっくりして二度とこなくなりそうです。ですから、できるだけ不便をかけない範囲の固定をすることになります。
最初の固定と局所の安静が最も大事なのは言うまでもありません。さすがに歩くのがつらいようなら、早めに受診することをおすすめします。
夏季臨時休診
夏季臨時休診のお知らせ
8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。
2010年1月30日土曜日
応援!! 受験生
今年は横浜では、雪を見ないうちに1月ももうすぐ終わろうとしています。時間の過ぎるのが早いこと。
大学受験も連日ヒートアップしていることと思いますが、受験生の皆さんは健康管理だけは気をつけてもらいたいと思います。ここまできたら、徹夜のように猛勉強するより、しっかり睡眠をとって欲しいものです。あとは、知っている英単語を一つでも二つでも増やすことが大事ではないでしょうか。
今年のセンター試験は、天候には恵まれたものの例年よりも難しかったと聞きます。できなかったと思う受験生は、できるだけセンター試験の比率の少ない大学を志願したくなるわけですが、結局みんなが同じ思考・行動パターンを取れば、そういう大学に受験生が集中して倍率を上げてしまうかもしれません。
もうこのあたりは当たるも八卦当たらぬも八卦の世界で、運を味方にした者の勝ち。やはり受験にはある種のテクニックが必要であるというのは、昔も今も同じなんですね。
センター試験の英語の問題を新聞で見ましたが、いきなり同じような読み方をする言葉の発音記号の仲間はずれを探す問題で、当然自分はひとつもわかりませんでした。
でも、いまだにこういう「生きた」英語とは対局に位置するような知識を問う問題が出ることには驚きを禁じ得ません。だから、日本人は英語が苦手になってしまう。
学問として英語を追求することと、英語を使いこなすことは違うというのは、もうさんざん言われ尽くしていると思っていましたが、やはり大学受験の中心に英語がある限り日本人は一部の人を除いてまともに英語を喋ることなんてできそうもありません。
自分も英語は苦手で、人に自慢できるようなものではありません。でも、たとえばハワイに1週間行くと、帰る頃にはけっこう会話ができるようになるものです。日本に戻って、また英語を使う環境が無くなると急速にできなくなるのが残念ですが。
大学浪人をしている頃だったか、サヨナラサヨナラサヨナラで有名だった映画評論家の淀川長治さんの話をきいたことがあります。淀川さんは若い頃に映画会社に就職して、洋画に邦題をつける仕事をしたりしていたそうです。
そこで、わからないことは無視して、わかるところから自分の感性で訳を作っていったというような話だったと思います。知らない単語は抜いてしまって、わかる単語だけを並べて、そこかに文章の大意を想像するというのは、わからないことをわかろうと努力するよりも簡単です。
わかろうとすることも大事ですが、英語ではわからないところで立ち止まっているよりも、わかるところを拾い上げて先に進むことの方が意味があるように思います。基本的には言語は会話を通じてのコミュニケーションの手段ですから、必ず相手がいるわけで、その相手もこっちをわかろうとしてくれるものです。
あとは、度胸一発。とにかく単語を並べるだけでもいいから、とにかく何か喋らないことには始まらないと言うことです。とはいえ、始まっている今の大学受験ではそうもいかないでしょうけど、とにかく自分の力を精一杯出して悔いの無いように頑張ってもらいたいと思います。
大学受験も連日ヒートアップしていることと思いますが、受験生の皆さんは健康管理だけは気をつけてもらいたいと思います。ここまできたら、徹夜のように猛勉強するより、しっかり睡眠をとって欲しいものです。あとは、知っている英単語を一つでも二つでも増やすことが大事ではないでしょうか。
今年のセンター試験は、天候には恵まれたものの例年よりも難しかったと聞きます。できなかったと思う受験生は、できるだけセンター試験の比率の少ない大学を志願したくなるわけですが、結局みんなが同じ思考・行動パターンを取れば、そういう大学に受験生が集中して倍率を上げてしまうかもしれません。
もうこのあたりは当たるも八卦当たらぬも八卦の世界で、運を味方にした者の勝ち。やはり受験にはある種のテクニックが必要であるというのは、昔も今も同じなんですね。
センター試験の英語の問題を新聞で見ましたが、いきなり同じような読み方をする言葉の発音記号の仲間はずれを探す問題で、当然自分はひとつもわかりませんでした。
でも、いまだにこういう「生きた」英語とは対局に位置するような知識を問う問題が出ることには驚きを禁じ得ません。だから、日本人は英語が苦手になってしまう。
学問として英語を追求することと、英語を使いこなすことは違うというのは、もうさんざん言われ尽くしていると思っていましたが、やはり大学受験の中心に英語がある限り日本人は一部の人を除いてまともに英語を喋ることなんてできそうもありません。
自分も英語は苦手で、人に自慢できるようなものではありません。でも、たとえばハワイに1週間行くと、帰る頃にはけっこう会話ができるようになるものです。日本に戻って、また英語を使う環境が無くなると急速にできなくなるのが残念ですが。
大学浪人をしている頃だったか、サヨナラサヨナラサヨナラで有名だった映画評論家の淀川長治さんの話をきいたことがあります。淀川さんは若い頃に映画会社に就職して、洋画に邦題をつける仕事をしたりしていたそうです。
そこで、わからないことは無視して、わかるところから自分の感性で訳を作っていったというような話だったと思います。知らない単語は抜いてしまって、わかる単語だけを並べて、そこかに文章の大意を想像するというのは、わからないことをわかろうと努力するよりも簡単です。
わかろうとすることも大事ですが、英語ではわからないところで立ち止まっているよりも、わかるところを拾い上げて先に進むことの方が意味があるように思います。基本的には言語は会話を通じてのコミュニケーションの手段ですから、必ず相手がいるわけで、その相手もこっちをわかろうとしてくれるものです。
あとは、度胸一発。とにかく単語を並べるだけでもいいから、とにかく何か喋らないことには始まらないと言うことです。とはいえ、始まっている今の大学受験ではそうもいかないでしょうけど、とにかく自分の力を精一杯出して悔いの無いように頑張ってもらいたいと思います。
2010年1月29日金曜日
マイルス・デイビス Part 2
そんなわけで、マイルス・デイビスの音楽を聴くことは、ほぼジャズの歴史を振り返ることになり、場合によってはそれがすべてと言っても過言ではありません。
現在の活躍するほとんどのジャズマンは、マイルスの音楽的なこどもか、あるいは孫であり、他人であってもその影響を受けていない物は皆無と言ってもいいかもしれないのです。
別の言い方をするなら、自分にとってはジャズという音楽はマイルスから始まりマイルスで終わったのかも知れません。
そもそもの出会いは高校生の時。たまたまdisk unionという洋盤レコード専門店で手にした"Round About Midnight(1956)"のかっこよさに思わず、聴いたこともないのに購入したのが最初でした。自分が生まれる以前の、これはバリバリのハードバップ。
当時実際のマイルスは電化路線の真っ只中。1973年に来日し、当時は放送開始間もないFM東京がコンサートの模様を丸々流してくれたのです。伝統的なジャズと思っていたマイルスが、ロックもぶっ飛ぶハードな音楽をやっていて、そりゃもうびっくりしました。しかし、これはこれでかっこいい。
そして1975年の来日では"AGHARTA"というアルバムを置き土産にしてくれました。これがまたいい。レコードの解説には「住宅事情が許す限り大音量で聴いてください」と記されていました。親に怒鳴られながらも、素直に大音量で聴きまくったものです。
当時、高校のバンドでジャズをやることになって、マイルスの曲をとりあげたりしました。それも恐れ多くも、ジャズの金字塔"Kind of Blue(1959)"の冒頭の"So What"でした。マイルスの代表作の一つで、まぁ高校生が背伸びをしてよくやった物だと思います。
マイルスを聴き出すと、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソン、ビル・エバンス、キャノンボール・アダレイ・・・といった、もう知らぬ人がいない面子がすべて含まれてくる。
さらにハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ウェイン・ショーター、ジョー・ザヴィヌル・・・もう数えだしたらきりがありません。おかげて、どんどん深みにはまっていくわけです。
最近はいわゆるブートレグ(海賊版)が花盛りで、マイルスの知られざる演奏がどんどん表に出てきます。しかも、驚愕のサウンドボードからの録音と思われる高音質で、聴衆が隠れてマイクで録音するようなせこいものはほとんどありません。
その数は無数にあって、マニアとしてもその中からこれはというCDを選んで聴いていると、マイルスが死んでからすでに20年もたとうというのに、いまだに新しい驚きを楽しめるのです。
うーん、だんだん頭の中をマイルスが駆け巡りだした。こりゃ、今年はしばらくはマイルス再発見でしばらく楽しめそうです。
現在の活躍するほとんどのジャズマンは、マイルスの音楽的なこどもか、あるいは孫であり、他人であってもその影響を受けていない物は皆無と言ってもいいかもしれないのです。
別の言い方をするなら、自分にとってはジャズという音楽はマイルスから始まりマイルスで終わったのかも知れません。
そもそもの出会いは高校生の時。たまたまdisk unionという洋盤レコード専門店で手にした"Round About Midnight(1956)"のかっこよさに思わず、聴いたこともないのに購入したのが最初でした。自分が生まれる以前の、これはバリバリのハードバップ。
当時実際のマイルスは電化路線の真っ只中。1973年に来日し、当時は放送開始間もないFM東京がコンサートの模様を丸々流してくれたのです。伝統的なジャズと思っていたマイルスが、ロックもぶっ飛ぶハードな音楽をやっていて、そりゃもうびっくりしました。しかし、これはこれでかっこいい。
そして1975年の来日では"AGHARTA"というアルバムを置き土産にしてくれました。これがまたいい。レコードの解説には「住宅事情が許す限り大音量で聴いてください」と記されていました。親に怒鳴られながらも、素直に大音量で聴きまくったものです。
当時、高校のバンドでジャズをやることになって、マイルスの曲をとりあげたりしました。それも恐れ多くも、ジャズの金字塔"Kind of Blue(1959)"の冒頭の"So What"でした。マイルスの代表作の一つで、まぁ高校生が背伸びをしてよくやった物だと思います。
マイルスを聴き出すと、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソン、ビル・エバンス、キャノンボール・アダレイ・・・といった、もう知らぬ人がいない面子がすべて含まれてくる。
さらにハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ウェイン・ショーター、ジョー・ザヴィヌル・・・もう数えだしたらきりがありません。おかげて、どんどん深みにはまっていくわけです。
最近はいわゆるブートレグ(海賊版)が花盛りで、マイルスの知られざる演奏がどんどん表に出てきます。しかも、驚愕のサウンドボードからの録音と思われる高音質で、聴衆が隠れてマイクで録音するようなせこいものはほとんどありません。
その数は無数にあって、マニアとしてもその中からこれはというCDを選んで聴いていると、マイルスが死んでからすでに20年もたとうというのに、いまだに新しい驚きを楽しめるのです。
うーん、だんだん頭の中をマイルスが駆け巡りだした。こりゃ、今年はしばらくはマイルス再発見でしばらく楽しめそうです。
2010年1月28日木曜日
マイルス・デイビス
ジャズという音楽は、もともと奴隷としてアメリカ大陸に渡った黒人の間で歌われていた歌が起源。日本人には想像もつかないような差別を受け、教会で発展したのがゴスペル。一方、広大な綿畑やトウモロコシ畑で働かされ、フィールドで発展したのがブルース。
南部のニューオリンズで、それらが楽器で演奏する形態として完成したのがディキシーランド。その娯楽性がダンスに向いていたのてを、うまく取り入れたのがスイング。これは白人が主にクラシックなどの理論も取り込みながら、グレン・ミラーやべにー・グッドマンのようなスターを生み出しました。
精錬されスマートになった音楽から、黒人はあらためて感情の発露を見いだしたのが終戦後のビバップの誕生で、その偉大な牽引役となったのがチャーリー・パーカーでした。ブルースを基盤にして、アドリブによる気持ちの高ぶりを表現する手法で、ジャスを黒人の元に取り戻しました。
マイルス・デイビスはそんな時代に登場してきたわけで、チャーリー・パーカーと共にビバップを推進しましたが、あるときただひたすら自由奔放に演奏することに疑問を抱くことになります。
40年代の末に、いわゆるビバップに対抗してクールと呼ばれる、しっかりと編曲し形のしっかりとした形式のジャズを始めました。これが、白人には受け入れやすかったのか、カリフォルニアを中心にウェストコーストジャズとして、主として白人演奏家を中心に発展しました。
50年代に入ると、マイルスは自由が無くなった音楽にはすぐに見切りを付け、あらためてエネルギッシュにアドリブを展開し、より自由に激しく演奏するハードバップに移ってしまいます。
マイルスのもとには後にスターになるほとんどのミュージシャンが集まってくるようになります。おそらくジャズという古典的なスタイルの音楽としては、もっとも活気のあった時代だったのかもしれません。
50年代末になってくると、マイルスはまたもやハードバップの限界を感じて、よりいっそう自由なスタイルを模索し始めます。その解答がモード奏法であり、ジャズ史上の頂点に立つアルバム"Kind of Blue"の誕生となります。
しかし、ここから自由の極限に向かう音楽が生まれてきました。フリージャズと呼ばれる音楽は、もはやメロディもハーモニーもリズムもめちゃくちゃ。ひたすらエネルギーの放出をしているのです。
マイルスはこのフリージャズがもてはやされた60年代前半、古い音楽という烙印を押されてしまいます。しかし、60年代半ばから、フリーのエネルギーを取り込みつつ、マイルスのスタイルを無敵のクインテットで確立していくのです。
そして、60年代後半になるといち早く電気楽器の導入、しだいに人気が高まりつつあったロックへもアプローチし始めるのです。そして、またしても新しいフォーマットの金字塔である"Bitches Brew"を世に送り出しました。
もはや、いわゆるジャズという概念から飛翔して、「マイルス」というジャンルの音楽としか言いようがない世界を築き上げていくのです。この頃にマイルスのもとに集まったミュージシャンが、今で言うクロスオーバーとかフュージョンという音楽の最初のスターとなっていくわけです。
それまで怒濤の快進撃でしたが、70年代半ばに突然健康上の理由もあって、いきなり音楽会から姿を消してしまいます。一時は死亡説が流れるほどでした。マイルスはどうしたのか、まったく情報がなく、本当に長い5年間でした。
しかし、81年に奇跡のカムバックを果たしたのです。ここからは70年代の形式を一部踏襲しつつも、よりポップでメローな面が混入してくるのです。
マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーのポップ・チューンを取り上げたり、当時R&B系で人気のあったプリンスやロックバンドのTOTOとの競演など、より柔軟な姿勢が音楽に出るようになり、ついにはまだ出始めたばかりのラップでさえ取り込んだ音楽を展開するようになりました。
91年夏に突然、今までの自分の音楽の変遷を回顧するコンサートを行います。今では超一流と言えるそうそうたる門下生のミュージシャンが終結しました。ところが、その2ヶ月後まったく突然に体調をくずし他界してしまったのです。
結局、50年弱のマイルス・デイビスの活動によって、ジャズは隆盛を極め、そして衰退していったということが言えるかも知れません。そんなことをあらためて振り返りながら、これからしばらくはマイルスの残した音楽を時代を追って聞き直していきたいと急に思い立ちました。
南部のニューオリンズで、それらが楽器で演奏する形態として完成したのがディキシーランド。その娯楽性がダンスに向いていたのてを、うまく取り入れたのがスイング。これは白人が主にクラシックなどの理論も取り込みながら、グレン・ミラーやべにー・グッドマンのようなスターを生み出しました。
精錬されスマートになった音楽から、黒人はあらためて感情の発露を見いだしたのが終戦後のビバップの誕生で、その偉大な牽引役となったのがチャーリー・パーカーでした。ブルースを基盤にして、アドリブによる気持ちの高ぶりを表現する手法で、ジャスを黒人の元に取り戻しました。
マイルス・デイビスはそんな時代に登場してきたわけで、チャーリー・パーカーと共にビバップを推進しましたが、あるときただひたすら自由奔放に演奏することに疑問を抱くことになります。
40年代の末に、いわゆるビバップに対抗してクールと呼ばれる、しっかりと編曲し形のしっかりとした形式のジャズを始めました。これが、白人には受け入れやすかったのか、カリフォルニアを中心にウェストコーストジャズとして、主として白人演奏家を中心に発展しました。
50年代に入ると、マイルスは自由が無くなった音楽にはすぐに見切りを付け、あらためてエネルギッシュにアドリブを展開し、より自由に激しく演奏するハードバップに移ってしまいます。
マイルスのもとには後にスターになるほとんどのミュージシャンが集まってくるようになります。おそらくジャズという古典的なスタイルの音楽としては、もっとも活気のあった時代だったのかもしれません。
50年代末になってくると、マイルスはまたもやハードバップの限界を感じて、よりいっそう自由なスタイルを模索し始めます。その解答がモード奏法であり、ジャズ史上の頂点に立つアルバム"Kind of Blue"の誕生となります。
しかし、ここから自由の極限に向かう音楽が生まれてきました。フリージャズと呼ばれる音楽は、もはやメロディもハーモニーもリズムもめちゃくちゃ。ひたすらエネルギーの放出をしているのです。
マイルスはこのフリージャズがもてはやされた60年代前半、古い音楽という烙印を押されてしまいます。しかし、60年代半ばから、フリーのエネルギーを取り込みつつ、マイルスのスタイルを無敵のクインテットで確立していくのです。
そして、60年代後半になるといち早く電気楽器の導入、しだいに人気が高まりつつあったロックへもアプローチし始めるのです。そして、またしても新しいフォーマットの金字塔である"Bitches Brew"を世に送り出しました。
もはや、いわゆるジャズという概念から飛翔して、「マイルス」というジャンルの音楽としか言いようがない世界を築き上げていくのです。この頃にマイルスのもとに集まったミュージシャンが、今で言うクロスオーバーとかフュージョンという音楽の最初のスターとなっていくわけです。
それまで怒濤の快進撃でしたが、70年代半ばに突然健康上の理由もあって、いきなり音楽会から姿を消してしまいます。一時は死亡説が流れるほどでした。マイルスはどうしたのか、まったく情報がなく、本当に長い5年間でした。
しかし、81年に奇跡のカムバックを果たしたのです。ここからは70年代の形式を一部踏襲しつつも、よりポップでメローな面が混入してくるのです。
マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーのポップ・チューンを取り上げたり、当時R&B系で人気のあったプリンスやロックバンドのTOTOとの競演など、より柔軟な姿勢が音楽に出るようになり、ついにはまだ出始めたばかりのラップでさえ取り込んだ音楽を展開するようになりました。
91年夏に突然、今までの自分の音楽の変遷を回顧するコンサートを行います。今では超一流と言えるそうそうたる門下生のミュージシャンが終結しました。ところが、その2ヶ月後まったく突然に体調をくずし他界してしまったのです。
結局、50年弱のマイルス・デイビスの活動によって、ジャズは隆盛を極め、そして衰退していったということが言えるかも知れません。そんなことをあらためて振り返りながら、これからしばらくはマイルスの残した音楽を時代を追って聞き直していきたいと急に思い立ちました。
2010年1月27日水曜日
2010年1月26日火曜日
フットケア
開業するまでは、自分の専門とする関節リウマチや手の外科の問題を除くと、腰痛と膝痛が最も外来で多い訴えでした。
ところが、今よく見る問題としては腰や膝はもちろんですが、いわゆる四十肩と扁平足がかなり多いのです。四十肩のことは、ついこの前書いてしまいました。扁平足については靴の問題にからめて書いてみました。
でもちょっと書き足りなかったので、もう少し考えてみましょう。
足の問題は根はけっこうひとつだったりするのです。足は細かい骨がいくつも組み合わさって形ができているわけで、それらをつなぐ靱帯は年と共に緩んできます。
また、足の形をたもつための細かい筋肉も弱くなってくる。その結果、どうがんばっても、足の形はくずれてくるわけで、体重の重みがかかってぺったんこになっていくことは、ある意味人間の宿命かもしれません。
骨の並び方は弓なりになっているのですが、弓に対して弦の役割をしているのが足の裏にある足底腱膜というすじ。ぺったんこになってくると、足底腱膜にかかるテンションが強くなってくるので、付着部のかかとの付近か、あるいは指の付け根あたりに痛みが出やすくなってくる。
かかとの腱膜付着部は、少しずつ骨が盛り上がってとげのように出てくることがあります。このようなものを牽引力による骨棘(こつきょく)といいますが、特に朝起きたときの最初の一歩が痛いんです。
一方、指の骨の並び方も横方向に弓なりになっていて、端の親指と小指に比べると真ん中の3本は比較的上に上がっています。これが落ちてきて横一列に並ぶようになると、横幅が広がってしまい幅広足、つまり開張足(かいちょうそく)と呼ばれる状態になってきます。
すると、指の付け根で骨が皮膚を刺激しやすくなるため、いわゆるたこと呼ばれる皮膚がやたらと硬くなってしまう状態が起こりやすくなります。また指と指の間を通る神経が締め付けられやすくなって、びりびりとした痛みが出やすくなります。
さらに横に広がった親指と小指は靴の中で押されやすくなるので、外反母趾、あるいは内反小趾とよばれるような問題を引き起こしてくるのです。また、爪も圧迫をうけて血流障害も加わって巻き爪ができやすくなる。
そんなわけで、年を取るのに従って順番にこれらの問題を起こしてくるのは、ある程度しょうがないことなんですが、困ったことに最近は若い人に多くなっている。これは靴の問題も大きいのは確かなのですが、一番は日本人が歩かなくなったことが大きい要因と考えられています。
我が家でも、近くのコンビニに行くにも車を使ってしまうわけで、とにかく10分歩くのも嫌がるようになってしまいました。足の中の細かい筋肉が発達しないため、こどもの頃から扁平足で、つま先立ちをする力が無くなってしまうのです。
二足歩行動物である人間の足が退化してしまっては、下手をしたら生物のとしての存在へも影響を与えかねません(って大袈裟ですけど)。足の問題は命には直接関わらないかもしれませんが、生活への影響が多いので無視できない。是非、みなさん足のケアを忘れないでください。
ところが、今よく見る問題としては腰や膝はもちろんですが、いわゆる四十肩と扁平足がかなり多いのです。四十肩のことは、ついこの前書いてしまいました。扁平足については靴の問題にからめて書いてみました。
でもちょっと書き足りなかったので、もう少し考えてみましょう。
足の問題は根はけっこうひとつだったりするのです。足は細かい骨がいくつも組み合わさって形ができているわけで、それらをつなぐ靱帯は年と共に緩んできます。
また、足の形をたもつための細かい筋肉も弱くなってくる。その結果、どうがんばっても、足の形はくずれてくるわけで、体重の重みがかかってぺったんこになっていくことは、ある意味人間の宿命かもしれません。
骨の並び方は弓なりになっているのですが、弓に対して弦の役割をしているのが足の裏にある足底腱膜というすじ。ぺったんこになってくると、足底腱膜にかかるテンションが強くなってくるので、付着部のかかとの付近か、あるいは指の付け根あたりに痛みが出やすくなってくる。
かかとの腱膜付着部は、少しずつ骨が盛り上がってとげのように出てくることがあります。このようなものを牽引力による骨棘(こつきょく)といいますが、特に朝起きたときの最初の一歩が痛いんです。
一方、指の骨の並び方も横方向に弓なりになっていて、端の親指と小指に比べると真ん中の3本は比較的上に上がっています。これが落ちてきて横一列に並ぶようになると、横幅が広がってしまい幅広足、つまり開張足(かいちょうそく)と呼ばれる状態になってきます。
すると、指の付け根で骨が皮膚を刺激しやすくなるため、いわゆるたこと呼ばれる皮膚がやたらと硬くなってしまう状態が起こりやすくなります。また指と指の間を通る神経が締め付けられやすくなって、びりびりとした痛みが出やすくなります。
さらに横に広がった親指と小指は靴の中で押されやすくなるので、外反母趾、あるいは内反小趾とよばれるような問題を引き起こしてくるのです。また、爪も圧迫をうけて血流障害も加わって巻き爪ができやすくなる。
そんなわけで、年を取るのに従って順番にこれらの問題を起こしてくるのは、ある程度しょうがないことなんですが、困ったことに最近は若い人に多くなっている。これは靴の問題も大きいのは確かなのですが、一番は日本人が歩かなくなったことが大きい要因と考えられています。
我が家でも、近くのコンビニに行くにも車を使ってしまうわけで、とにかく10分歩くのも嫌がるようになってしまいました。足の中の細かい筋肉が発達しないため、こどもの頃から扁平足で、つま先立ちをする力が無くなってしまうのです。
二足歩行動物である人間の足が退化してしまっては、下手をしたら生物のとしての存在へも影響を与えかねません(って大袈裟ですけど)。足の問題は命には直接関わらないかもしれませんが、生活への影響が多いので無視できない。是非、みなさん足のケアを忘れないでください。
2010年1月25日月曜日
かつてのコードブルー
コードブルーを見ました。
いろいろ「ありえな~い」とか文句を言いつつも、やはりこういう救急の現場というのは、医者から見てもかっこいい。救急の生活から離れて10年たちましたが、いまだにある種の憧れが無いと言えば嘘になりそうです。
自分が育つた大学病院はかなり広い範囲の救急を担当していたので、次から次へといろいろなけが人が運ばれてきました。骨折が1カ所なんてことはまずなく、3カ所4カ所は当たり前。自分の経験では最大で23カ所の骨折があったというのがあります。
しかも、整形外科単独で診れる患者さんというのもめったにいないわけで、たいてい腹部外傷でお腹の中は血だらけ、頭蓋内にも出血して、腹部外科と脳外科と三つどもえで手術室に運んでいくというようなことが普通のことでした。
当時は、今の救急救命センターというようなもののはしりで、独立したグループが出来はじめた頃でした。ただし、実質的な治療はそれぞれの専門科が中心になって行い、そういう混成チームで協力していく体制が出来はじめた時代です。
ですから、結局そういう関係の深い科の先生とどのくらい仲良しかが大きなポイントでした。やはり、知らない先生とでは話がややっこしい。そういうわけで、前期研修医の時の各科のローテーションが大きな意味があったわけです。
自分は整形外科の他に外科、麻酔科、放射線科などを回った後に最期のローテーションで救命センターにいきました。そして、そのまま整形外科に入局して救命センターに入り浸りになっのですが、それまでに知り合ったいろいろな先生のお陰で随分と助かった物です。
整形外科の分野では直接死に至るようなことは少ないので、治療の順番としてはどうしても優先順位が低くなる。例えば、肝臓破裂で外科が緊急開腹手術をするということで手術室に入るとします。骨折の処置ができるのはお腹の処置が終わってからですから、ひたすら数時間待っていないと行けない。
やっと呼ばれた頃には、麻酔科も疲れていていまから整形外科なんて迷惑そうです。何カ所も折れていると、小さい物はもうかまっていられない。あとでもできそうなことは後回しにして、とりあえず今やっておかないと困りそうなことだけを片付けて、手術室から出ると朝日がまぶしいなんてことは日常茶飯事。
当然、そのまま朝から外来や病棟の仕事に入って、定時の手術もこなさないといけません。それから、救急の患者さんの様子を見に行って、追加の処置を考える。そしてまた夜間帯に・・・
まぁ、さすがにもうそんな生活には戻れませんね。若さと気力が充実してないと無理。たぶん今でもなんとか対応できるかもしれませんが、少なくとも体力はもたないでしょうね。もしもドラマのような若い医者になれるなら、それも医者としては楽しいのかも知れないのです。
それにしても、このドラマ。みんな人生重すぎません?
いろいろ「ありえな~い」とか文句を言いつつも、やはりこういう救急の現場というのは、医者から見てもかっこいい。救急の生活から離れて10年たちましたが、いまだにある種の憧れが無いと言えば嘘になりそうです。
自分が育つた大学病院はかなり広い範囲の救急を担当していたので、次から次へといろいろなけが人が運ばれてきました。骨折が1カ所なんてことはまずなく、3カ所4カ所は当たり前。自分の経験では最大で23カ所の骨折があったというのがあります。
しかも、整形外科単独で診れる患者さんというのもめったにいないわけで、たいてい腹部外傷でお腹の中は血だらけ、頭蓋内にも出血して、腹部外科と脳外科と三つどもえで手術室に運んでいくというようなことが普通のことでした。
当時は、今の救急救命センターというようなもののはしりで、独立したグループが出来はじめた頃でした。ただし、実質的な治療はそれぞれの専門科が中心になって行い、そういう混成チームで協力していく体制が出来はじめた時代です。
ですから、結局そういう関係の深い科の先生とどのくらい仲良しかが大きなポイントでした。やはり、知らない先生とでは話がややっこしい。そういうわけで、前期研修医の時の各科のローテーションが大きな意味があったわけです。
自分は整形外科の他に外科、麻酔科、放射線科などを回った後に最期のローテーションで救命センターにいきました。そして、そのまま整形外科に入局して救命センターに入り浸りになっのですが、それまでに知り合ったいろいろな先生のお陰で随分と助かった物です。
整形外科の分野では直接死に至るようなことは少ないので、治療の順番としてはどうしても優先順位が低くなる。例えば、肝臓破裂で外科が緊急開腹手術をするということで手術室に入るとします。骨折の処置ができるのはお腹の処置が終わってからですから、ひたすら数時間待っていないと行けない。
やっと呼ばれた頃には、麻酔科も疲れていていまから整形外科なんて迷惑そうです。何カ所も折れていると、小さい物はもうかまっていられない。あとでもできそうなことは後回しにして、とりあえず今やっておかないと困りそうなことだけを片付けて、手術室から出ると朝日がまぶしいなんてことは日常茶飯事。
当然、そのまま朝から外来や病棟の仕事に入って、定時の手術もこなさないといけません。それから、救急の患者さんの様子を見に行って、追加の処置を考える。そしてまた夜間帯に・・・
まぁ、さすがにもうそんな生活には戻れませんね。若さと気力が充実してないと無理。たぶん今でもなんとか対応できるかもしれませんが、少なくとも体力はもたないでしょうね。もしもドラマのような若い医者になれるなら、それも医者としては楽しいのかも知れないのです。
それにしても、このドラマ。みんな人生重すぎません?
2010年1月24日日曜日
Pietro Spada / John Field Complete Piano Works
ジョン・フィールドという人、あまり知られていない。う~ん、誰だ、それ。名前が安っぽいせいか(いや、失礼)、19世紀の初頭に活躍した方なんですが、クラシックの作曲家としては佐藤太郎みたいな名前で、なんともインパクトが少ないのです。
しかし、知る人ぞ知るみたいなもので、実は「ノクターン」の創始者としてピアノ界では大変有名なのです。ノクターンというのは日本語では「夜想曲」。ほとんどショパンの代名詞のような感じですが、他にはフランスのフォーレやドビッシーのものが有名。
最初は名前からしてアメリカ人かと思っていました(確かアから始まる国の出身だと思ってたんです)。でも、なんか違うなぁと思って、調べたらアイルランドの間違い。アイルランド好きの人からは怒られそうです(ゴメンナサイ)。最後はロシアに渡って無くなったようですが、やっばりヨーロッパのテイストでした。
以前から、自分の頭の中では聞くべき音楽リストに含まれていた物の、何となく後回しになっていて、最近やっと手に入れました。
マニアが喜びそうなピアノ独奏録音が多いピエトロ・スパーダの演奏による独奏曲全集で、1996年に発売されたCD6枚組になります。最近廉価版レーベルのBrilliantからピアノ協奏曲全集が出たので、併せていつものHMVでそろえてみたわけです。
さて、その有名なノクターンは全部で19曲あって、その大多数が長調で書かれているというのも面白い。下手な演奏だと、ただのサロン・ミュージックになってしまいそうです。スパーダの演奏は、甘すぎず適度に抑制がきいていて、安っぽくなっていないところがいい。
ベートーヴェンの深遠な世界もいいのですが、ショパンのロマンチックな響きも悪くない。リストの超絶を満喫してもいいし、シューベルトの深刻な顔を思い浮かべたり、シューマンの妻クララとの愛の語らいを想像してもいい。でも、あまり寂しくない一人の夜はフィールドが合いそうです。
2010年1月23日土曜日
冷湿布と温湿布
「冷湿布をすればいいのか、それとも温湿布がいいのか」
これも外来をしているとよく聞かれる質問。最近は、テレビのCMでも、有名俳優を使って大手の製薬会社がしきりと湿布の宣伝をよくしています。そういうところでも、中に含まれている薬の有効成分を強調しているのを皆さんもお聞きになると思います。
実際、今時医者が処方する外用薬で冷湿布というものはほとんどない。消炎鎮痛剤が含まれていて、それが皮膚を通して患部に浸透して効果を期待するわけです。
冷湿布と言っている物はメントール成分で、温湿布と言っている物はトウガラシ成分で、それぞれひやっとしたりほかほかしたりするわけで、実際に温度変化をそれほど起こすわけではありません。
まぁ、どっちでもいいと言ってしまうと身も蓋もないのですが、一般には急性の痛みに対しては冷却、慢性の痛みに対しては温熱がいいわけで、その辺で選択してもらえば間違いはありません。
湿布剤というのは、日本では比較的歴史があって、実際によく使用されていますが、国によってはまったく信用されていないところもあるようです。確かに皮膚から吸収できるものというのはたかがしれています。
しかし、確かに効果は認められていて、多くの方がその恩恵にあずかっていることは間違いありません。でも、痛いところをすべて隠すように大量に貼ったりするのは無駄使いです。以前は5日分までしか一度に処方できませんでしたが、今はいくらでも出すこととができるため、よけいに使用量が増えてしまったように思います。
含まれている消炎鎮痛剤の成分に対してアレルギーを起こしたり、喘息発作を誘発したりすることがまれにありますが、薬としての副作用は少ないと言えます。ほとんどの副作用は皮膚のかぶれ。とくに日に当たるとよけいに起こりやすくなったりすることがあります。
かぶれの原因は湿布の基剤に関係しているので、皮膚によくくっついてはがれにくい物ほど起こしやすい。結局、どれを使ってもそうは大差がないので、臭いのする物しない物、厚めの物薄めの物、白い物肌色の物、付きのいい物悪い物などなどなど。貼る場所によって、うまく使い分けたい物です。
これも外来をしているとよく聞かれる質問。最近は、テレビのCMでも、有名俳優を使って大手の製薬会社がしきりと湿布の宣伝をよくしています。そういうところでも、中に含まれている薬の有効成分を強調しているのを皆さんもお聞きになると思います。
実際、今時医者が処方する外用薬で冷湿布というものはほとんどない。消炎鎮痛剤が含まれていて、それが皮膚を通して患部に浸透して効果を期待するわけです。
冷湿布と言っている物はメントール成分で、温湿布と言っている物はトウガラシ成分で、それぞれひやっとしたりほかほかしたりするわけで、実際に温度変化をそれほど起こすわけではありません。
まぁ、どっちでもいいと言ってしまうと身も蓋もないのですが、一般には急性の痛みに対しては冷却、慢性の痛みに対しては温熱がいいわけで、その辺で選択してもらえば間違いはありません。
湿布剤というのは、日本では比較的歴史があって、実際によく使用されていますが、国によってはまったく信用されていないところもあるようです。確かに皮膚から吸収できるものというのはたかがしれています。
しかし、確かに効果は認められていて、多くの方がその恩恵にあずかっていることは間違いありません。でも、痛いところをすべて隠すように大量に貼ったりするのは無駄使いです。以前は5日分までしか一度に処方できませんでしたが、今はいくらでも出すこととができるため、よけいに使用量が増えてしまったように思います。
含まれている消炎鎮痛剤の成分に対してアレルギーを起こしたり、喘息発作を誘発したりすることがまれにありますが、薬としての副作用は少ないと言えます。ほとんどの副作用は皮膚のかぶれ。とくに日に当たるとよけいに起こりやすくなったりすることがあります。
かぶれの原因は湿布の基剤に関係しているので、皮膚によくくっついてはがれにくい物ほど起こしやすい。結局、どれを使ってもそうは大差がないので、臭いのする物しない物、厚めの物薄めの物、白い物肌色の物、付きのいい物悪い物などなどなど。貼る場所によって、うまく使い分けたい物です。
2010年1月22日金曜日
おしゃれ靴
女性はおしゃれな靴を履きたい。うん、当然の欲求です。藤原紀香がドレスに下駄ではさまになりません。
ところが、おしゃれな靴ほど、靴の真ん中がきゅっと細くしぼってあります。体重がぐっと乗ったときに、土ふまずがかなり落ち込んでしまい扁平足が強調されます。
おしゃれな靴はかかとが高くて細い。足が前にすべって指が圧迫を受けやすい。ぐらぐらしやすいので、足首の捻挫も起こしやすいわけです。
おしゃれな靴ほど、先が細くしてあります。これね指の圧迫、特に母趾を押さえてしまうので、外反母趾や巻き爪の原因になりやすい。
う~ん、やはり藤原紀香には下駄を履いてもらって、足を悪くしないように啓蒙活動をしてもらうほうがいいかもしれません。
理想的には、いわゆるローファーがいい。ローファーというのは靴紐のない、脱いだり履いたりしやすい靴のこと。そんなことからか、「のらくらした怠け者」という意味もあるらしいのですが、アイビーファッション(古い!!)にはマストアイテム。
だいたい女子高校生くらいだと定番の通学靴ですから、皆さん履いた経験はたいていあるはずです。おしゃれは、ここぞと言うときにすることにして、普段はできるだけ足のことも考えてもらいたいものです。
おしゃれ優先では、現代の運動不足の足では必ずいろいろな足の問題を起こしてきます。いつまでも履きたい靴が履けるように、ちょっと考えてみてください。
ところが、おしゃれな靴ほど、靴の真ん中がきゅっと細くしぼってあります。体重がぐっと乗ったときに、土ふまずがかなり落ち込んでしまい扁平足が強調されます。
おしゃれな靴はかかとが高くて細い。足が前にすべって指が圧迫を受けやすい。ぐらぐらしやすいので、足首の捻挫も起こしやすいわけです。
おしゃれな靴ほど、先が細くしてあります。これね指の圧迫、特に母趾を押さえてしまうので、外反母趾や巻き爪の原因になりやすい。
う~ん、やはり藤原紀香には下駄を履いてもらって、足を悪くしないように啓蒙活動をしてもらうほうがいいかもしれません。
理想的には、いわゆるローファーがいい。ローファーというのは靴紐のない、脱いだり履いたりしやすい靴のこと。そんなことからか、「のらくらした怠け者」という意味もあるらしいのですが、アイビーファッション(古い!!)にはマストアイテム。
だいたい女子高校生くらいだと定番の通学靴ですから、皆さん履いた経験はたいていあるはずです。おしゃれは、ここぞと言うときにすることにして、普段はできるだけ足のことも考えてもらいたいものです。
おしゃれ優先では、現代の運動不足の足では必ずいろいろな足の問題を起こしてきます。いつまでも履きたい靴が履けるように、ちょっと考えてみてください。
2010年1月21日木曜日
突き指
突き指しちゃったぁ、と軽く考えてそのまま痛くても我慢してほったらかし。こんなことは誰でも経験があることです。もちろん、たいていの場合は打ち身的な痛みとか、軽い捻挫程度で治ってしまうことでしょう。
でも、突き指を放置して、結局指が曲がってしまったという方もけっこういるんです。動きが悪くなったり、力を入れると痛みが残っていたりで、日常生活でも不便を感じることがしばしば。
突き指というのは、いくつかのパターンがあります。軽傷は打撲・捻挫で、これは数日間腫れて痛みますが、無理しなければ1週間程度でおちつくでしょう。
指を横方向へひねったときは、関節を横にぐらつかせないようにしている靱帯を痛めてしまいます。最悪は靱帯断裂。これは手術が必要になることも珍しくはありませんが、たいていは初期にしっかりと数週間の添え木による固定をすれば、たいていは大丈夫。
さて、問題は指を動かす筋肉の紐の部分、つまり腱を痛めた場合と骨折を伴っている場合です。このような場合を槌指(つちゆび、英語だとMallet Finger)と呼びます。指の長軸に強い力がかかって、関節が急激に曲がりすぎたり伸びすぎたりして起こります。
その際に腱が骨についている部分から断裂した物を腱性槌指、腱がついている部分の骨がはがれた物を骨性槌指と言います。いずれの場合も後で動かしたくても、力が伝わらないため動かせず指が曲がったままになってしまいやすい。
骨性槌指はレントゲン検査で診断が突きやすく、骨のずれが少なければ指の固定の位置を調節してなんとかなることが多い。しかし、あまりに距離が開いてしまうと手術で治すことが多くなります。でも、骨と骨はくっつきやすいので、比較的治りは悪くありません。
問題は腱性槌指の場合です。まず、一見レントゲンでは異常が無いため、診断が遅れることがあります。また、腱と骨は容易にはくっつかないので、固定期間が長く、結局手術が必要になることも少なくありません。
手や指の問題は、ちょっとことでもけっこう不便が生じる物ですから、けがを軽く考えずにいてほしい物です。治療は早く始めるにこしたことはなく、数週間たって「まだ痛いんだけど」という場合はもう治せないことだってあるんですよ。
でも、突き指を放置して、結局指が曲がってしまったという方もけっこういるんです。動きが悪くなったり、力を入れると痛みが残っていたりで、日常生活でも不便を感じることがしばしば。
突き指というのは、いくつかのパターンがあります。軽傷は打撲・捻挫で、これは数日間腫れて痛みますが、無理しなければ1週間程度でおちつくでしょう。
指を横方向へひねったときは、関節を横にぐらつかせないようにしている靱帯を痛めてしまいます。最悪は靱帯断裂。これは手術が必要になることも珍しくはありませんが、たいていは初期にしっかりと数週間の添え木による固定をすれば、たいていは大丈夫。
さて、問題は指を動かす筋肉の紐の部分、つまり腱を痛めた場合と骨折を伴っている場合です。このような場合を槌指(つちゆび、英語だとMallet Finger)と呼びます。指の長軸に強い力がかかって、関節が急激に曲がりすぎたり伸びすぎたりして起こります。
その際に腱が骨についている部分から断裂した物を腱性槌指、腱がついている部分の骨がはがれた物を骨性槌指と言います。いずれの場合も後で動かしたくても、力が伝わらないため動かせず指が曲がったままになってしまいやすい。
骨性槌指はレントゲン検査で診断が突きやすく、骨のずれが少なければ指の固定の位置を調節してなんとかなることが多い。しかし、あまりに距離が開いてしまうと手術で治すことが多くなります。でも、骨と骨はくっつきやすいので、比較的治りは悪くありません。
問題は腱性槌指の場合です。まず、一見レントゲンでは異常が無いため、診断が遅れることがあります。また、腱と骨は容易にはくっつかないので、固定期間が長く、結局手術が必要になることも少なくありません。
手や指の問題は、ちょっとことでもけっこう不便が生じる物ですから、けがを軽く考えずにいてほしい物です。治療は早く始めるにこしたことはなく、数週間たって「まだ痛いんだけど」という場合はもう治せないことだってあるんですよ。
2010年1月20日水曜日
四十肩
自分がクリニックを開いている横浜市都筑区は、住民の平均年齢が低いことでは全国的にトップクラス。
だいたい平均40歳というのは、高齢化社会と言われている今の日本では「異常」事態かもしれません。だからというわけではないでしょうが、どうもやたらと四十肩の患者さんが多いように思います。
四十肩、あるいは五十肩というのは、正確には病名ではありません。これは症状に対する名前なんです。
肩関節の付近の骨、関節、筋肉などに何らかの原因があって炎症を起こして痛みを伴う状態が肩関節周囲炎と呼ばれ、それが四十代から五十代に起こりやすいことから使われるようになりました。
ですから、正確には原因によって病名はいろいろですが、出てくる症状はだいたい同じになります。おそらく原因はそれほど長く続くわけではなく、だいたいは数週間から数ヶ月でおさまっているのではないかと思います。
肩関節を動かすための筋肉は、腕を自由に動かすために多くの負担を受けるのです。少しずつ筋肉は痛んですり減っているのです。そこへ中年になってきて筋力低下が出始めると、いよいよ四十肩の始まりです。
痛みが出ると、痛みのために腕を動かしません。動かさないために、筋肉は萎縮してさらに弱くなり、肩関節は固くなってしまいます。そうなると動かしたくても動かせないわけで、無理に動かすとますます痛みを感じることになります。そして、さらに動かすことをしなくなる・・・
というわけで、どんどん肩周囲の筋肉は弱く固まってしまう悪循環に陥っていくわけです。ですから、治療で最も大切なのはこの悪循環を断ち切って痛みを減らしつつ、しっかりと動かせるようにするためのリハビリテーションをすることなのです。
でも、ここで間違えてはいけないことは、やたらと動かしてはいけないということです。動かせと言ったり、動かすなと言ったり、いったいどっちなんだよ、という患者さんの声が聞こえてきそうです。
これはどういうことかというと、動かし方の問題なのです。固まって縮こまっている筋肉を自ら動かすと、さらに筋肉が収縮するので逆効果なのです。どんどん痛い肩を動かそうとしてはいけないのです。
では、どうするかというと、一番簡単なのは自分は力をできるだけ抜いて、誰かに動かしてもらうことです。筋肉に力を入れずに伸ばすことができれば、効率的に筋肉を柔らかくすることができるのです。
協力してくれる誰かがいればいいのですが、なかなかそうもいかない。自分でする方法は、皆さん病院で説明を聞いてくださいね。ここでは、一言で簡単に説明しておきますが、要するにストレッチをしましょうということなんです。
どうしても力が入ってしまうので、けっこう自主トレは難しい。時間がかかればかかるほど、その間に筋肉は固まってしまうので、できるだけ効率的なリハビリテーションをして治せるうちに一気に治しまょう。
だいたい平均40歳というのは、高齢化社会と言われている今の日本では「異常」事態かもしれません。だからというわけではないでしょうが、どうもやたらと四十肩の患者さんが多いように思います。
四十肩、あるいは五十肩というのは、正確には病名ではありません。これは症状に対する名前なんです。
肩関節の付近の骨、関節、筋肉などに何らかの原因があって炎症を起こして痛みを伴う状態が肩関節周囲炎と呼ばれ、それが四十代から五十代に起こりやすいことから使われるようになりました。
ですから、正確には原因によって病名はいろいろですが、出てくる症状はだいたい同じになります。おそらく原因はそれほど長く続くわけではなく、だいたいは数週間から数ヶ月でおさまっているのではないかと思います。
肩関節を動かすための筋肉は、腕を自由に動かすために多くの負担を受けるのです。少しずつ筋肉は痛んですり減っているのです。そこへ中年になってきて筋力低下が出始めると、いよいよ四十肩の始まりです。
痛みが出ると、痛みのために腕を動かしません。動かさないために、筋肉は萎縮してさらに弱くなり、肩関節は固くなってしまいます。そうなると動かしたくても動かせないわけで、無理に動かすとますます痛みを感じることになります。そして、さらに動かすことをしなくなる・・・
というわけで、どんどん肩周囲の筋肉は弱く固まってしまう悪循環に陥っていくわけです。ですから、治療で最も大切なのはこの悪循環を断ち切って痛みを減らしつつ、しっかりと動かせるようにするためのリハビリテーションをすることなのです。
でも、ここで間違えてはいけないことは、やたらと動かしてはいけないということです。動かせと言ったり、動かすなと言ったり、いったいどっちなんだよ、という患者さんの声が聞こえてきそうです。
これはどういうことかというと、動かし方の問題なのです。固まって縮こまっている筋肉を自ら動かすと、さらに筋肉が収縮するので逆効果なのです。どんどん痛い肩を動かそうとしてはいけないのです。
では、どうするかというと、一番簡単なのは自分は力をできるだけ抜いて、誰かに動かしてもらうことです。筋肉に力を入れずに伸ばすことができれば、効率的に筋肉を柔らかくすることができるのです。
協力してくれる誰かがいればいいのですが、なかなかそうもいかない。自分でする方法は、皆さん病院で説明を聞いてくださいね。ここでは、一言で簡単に説明しておきますが、要するにストレッチをしましょうということなんです。
どうしても力が入ってしまうので、けっこう自主トレは難しい。時間がかかればかかるほど、その間に筋肉は固まってしまうので、できるだけ効率的なリハビリテーションをして治せるうちに一気に治しまょう。
2010年1月19日火曜日
床ずれ
褥瘡・・・なんとも難しい漢字です。
「じょくそう」と読みます。いっぱんによく知られている呼び方は「床ずれ」です。
これは普通の健康な方には起こらない病気なのです。どんな方に起こるかというと、主に「寝たきり」の人。
人間の体は血液が流れて栄養を供給しているわけですが、圧迫すると血流が無くなる。ほら、自分の皮膚をどこか強く押してみてください。白くなるでしょう。それは。圧迫で血流が途絶えるから。でも圧迫を離すと、すぐにまた赤味が戻って大丈夫。
ところが数時間圧迫が続いてしまうと、体の組織は壊死を起こし始めるのです。そうなると、もう元には戻りません。寝たきりの人は、ずっと体を寝床に押しつけているわけです。
骨と皮膚の間に皮下組織や筋肉のようなクッションになるものが少ない場所では、血流が無くなることで組織の壊死か起こりやすく、それを「床ずれ」と呼ぶのです。特に起こりやすいのは、お尻の真ん中、かかとなどです。
自分は医者になって5年目に、脊髄損傷専門病院に赴任していました。脊髄損傷の患者さんは麻痺を起こしている場所に知覚がありません。ですから、長時間の圧迫で痛みを感じないために、容易に床ずれを作りやすいのです。
ですから、1年間の間、手術と言えば床ずれ。ひたすら、壊死組織の切除、床ずれをふさぐための手術(皮弁、筋皮弁作成、皮膚移植など)をやっていました。そのころは、整形外科としてはなんともつまらない手術と思っていましたが、後にそれがいろいろなところで役に立ちました。
それはともかく、褥瘡治療に残念ながらBESTはありません。褥瘡をカバーするいろいろな材料がありますし、壊死部の組織を盛り上げるための薬剤も様々のものが使われています。
そのいずれもが決定打にはなりません。もっとも決定打があれば、いろいろなものが使われていませんよね。ですから、結局自分の結論は、褥瘡を治すのは「愛」ということになります。
毎日、褥瘡をきれいに洗浄して細菌の感染を防ぎ、壊死組織を再生させめために刺激することが大切です。愛無くしてはできることではありません。
とにかく病棟業務の中では「褥瘡作るのは恥」とまで言われるくらいのものですから、作らないように最大の注意を払いたい物です。
「じょくそう」と読みます。いっぱんによく知られている呼び方は「床ずれ」です。
これは普通の健康な方には起こらない病気なのです。どんな方に起こるかというと、主に「寝たきり」の人。
人間の体は血液が流れて栄養を供給しているわけですが、圧迫すると血流が無くなる。ほら、自分の皮膚をどこか強く押してみてください。白くなるでしょう。それは。圧迫で血流が途絶えるから。でも圧迫を離すと、すぐにまた赤味が戻って大丈夫。
ところが数時間圧迫が続いてしまうと、体の組織は壊死を起こし始めるのです。そうなると、もう元には戻りません。寝たきりの人は、ずっと体を寝床に押しつけているわけです。
骨と皮膚の間に皮下組織や筋肉のようなクッションになるものが少ない場所では、血流が無くなることで組織の壊死か起こりやすく、それを「床ずれ」と呼ぶのです。特に起こりやすいのは、お尻の真ん中、かかとなどです。
自分は医者になって5年目に、脊髄損傷専門病院に赴任していました。脊髄損傷の患者さんは麻痺を起こしている場所に知覚がありません。ですから、長時間の圧迫で痛みを感じないために、容易に床ずれを作りやすいのです。
ですから、1年間の間、手術と言えば床ずれ。ひたすら、壊死組織の切除、床ずれをふさぐための手術(皮弁、筋皮弁作成、皮膚移植など)をやっていました。そのころは、整形外科としてはなんともつまらない手術と思っていましたが、後にそれがいろいろなところで役に立ちました。
それはともかく、褥瘡治療に残念ながらBESTはありません。褥瘡をカバーするいろいろな材料がありますし、壊死部の組織を盛り上げるための薬剤も様々のものが使われています。
そのいずれもが決定打にはなりません。もっとも決定打があれば、いろいろなものが使われていませんよね。ですから、結局自分の結論は、褥瘡を治すのは「愛」ということになります。
毎日、褥瘡をきれいに洗浄して細菌の感染を防ぎ、壊死組織を再生させめために刺激することが大切です。愛無くしてはできることではありません。
とにかく病棟業務の中では「褥瘡作るのは恥」とまで言われるくらいのものですから、作らないように最大の注意を払いたい物です。
2010年1月18日月曜日
コードブルー 2nd Season スタート
あ~、やっぱり医療ドラマは、どうもあらが見えていまう。
こいつら救急救命専門のくせに、脳腫瘍の手術するんかい。壊死生筋膜炎は、進行はもっと早くて、切断よりももっと早くに壊死組織の切除をするだろう。いくらなんで、現場で手術なんてあるんですか。そんなに切羽詰まった医者ばかりで、ちゃんと仕事できるんかいな。
まぁ、いろいろありますが、とりあえず整形外科医、それも救急車と15年間格闘した医者としては、このドラマの医者がうらやましい。
開胸心臓マッサージもしたことがありますし、血だらけの中で患者さんを救ったこともあれば、力及ばず患者さんが亡くなったこともあります。
こういう状況で、精神的には一杯一杯に高揚した雰囲気は、ある意味くせになる。人を救うための仕事を選んだからには、もっともわかりやすくその成果が問われる環境なのかもしれません。
もちろん、それだけが医者ではなく、今の自分のやっている仕事も医者の大きな側面であることは間違いありません。救命ばかりをやっていると、命を救うことだけに気持ちが行ってしまうものです。
今日のヤマピーの台詞、「助かった患者は忘れろ。助けられなかった患者だけ覚えておけ」というのは、含蓄のある言葉です。この台詞を考えた脚本家はすごいかもしれません。
確かに自分も医者になって最初の頃、亡くなった患者さんのことはよく覚えていました。そういう患者さんが、医者としての自分を育ててくれるのです。
まぁ、ぶつぶつ文句を言いながらも、時間があるときには続けて見たいドラマですかね。
こいつら救急救命専門のくせに、脳腫瘍の手術するんかい。壊死生筋膜炎は、進行はもっと早くて、切断よりももっと早くに壊死組織の切除をするだろう。いくらなんで、現場で手術なんてあるんですか。そんなに切羽詰まった医者ばかりで、ちゃんと仕事できるんかいな。
まぁ、いろいろありますが、とりあえず整形外科医、それも救急車と15年間格闘した医者としては、このドラマの医者がうらやましい。
開胸心臓マッサージもしたことがありますし、血だらけの中で患者さんを救ったこともあれば、力及ばず患者さんが亡くなったこともあります。
こういう状況で、精神的には一杯一杯に高揚した雰囲気は、ある意味くせになる。人を救うための仕事を選んだからには、もっともわかりやすくその成果が問われる環境なのかもしれません。
もちろん、それだけが医者ではなく、今の自分のやっている仕事も医者の大きな側面であることは間違いありません。救命ばかりをやっていると、命を救うことだけに気持ちが行ってしまうものです。
今日のヤマピーの台詞、「助かった患者は忘れろ。助けられなかった患者だけ覚えておけ」というのは、含蓄のある言葉です。この台詞を考えた脚本家はすごいかもしれません。
確かに自分も医者になって最初の頃、亡くなった患者さんのことはよく覚えていました。そういう患者さんが、医者としての自分を育ててくれるのです。
まぁ、ぶつぶつ文句を言いながらも、時間があるときには続けて見たいドラマですかね。
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