2014年5月6日火曜日

バッハはプロテスタント

やはり宗教曲を聴いていくとなると、どうしてもキリスト教の歴史みたいなものは避けては通れない感じです。とは言え、聖書を読み込んだりするのはちと辛い。如何せん、キリスト教とは無縁の、なんちゃって仏教徒みたいなものですから。

そこで、いろいろと宗教曲関連のネット検索をしたり、書籍を探して多少なりとも知識を増やしてみたわけです。それで、まったく意識していなかったんですが、バッハはプロテスタントだったんですね。

もう、今更何を言っているんだと叱られそうな話ですが、キリスト教は大きく分けると本家のローマ・カトリックと、16世紀はじめにマルチン・ルターの宗教改革によって生まれたプロテスタントがある。

ガーディナー先生はイギリス人ですが、イギリスにはその中間の立場である聖公会というのもあるんですね。細かいところを調べると、いろいろな分派があってわけがわからない。

とりあえず、音楽を楽しむ上では、カトリックとプロテスタントの二大派閥に絞って理解しておくくらいで何とかなりそうです。カトリックはラテン語を用いた典礼を行いますから、ミサで使われる曲の歌詞は原則としてラテン語。

つまりミサ曲というのは、基本カトリックのもので、作曲しているのはカトリック信者がほとんど。モーツァルトしかり、ベートーヴェンしかり。ただ、シューベルトやブラームスの頃になってくると、考え方も多少変わってきたのか、ドイツ語のレクイエムを作曲したりしてます。

一方、プロテスタントは「もっと聖書に立ち返ろう」、「もっと皆がわかりやすいようにしよう」が合言葉みたいなもの。カトリックでは専門の聖職者のみが歌いますが、プロテスタントは皆で歌おうというもの。

ドイツのバロック音楽は、イタリアから技法を勉強してきたシュッツにより、プロテスタントの考え方に基づいて始まったもので、教会内では少ない人数でも皆で歌うコラールというものが発展します。

そこでプロテスタントのバッハの音楽は、当時すでに時代遅れになりつつあったコラールを重視して、ルターのドイツ語の聖書からとられた歌詞に曲をつけるカンタータや受難曲が中心になってくるというわけです。

多くの宗教曲がラテン語なのに対して、なんでバッハはドイツ語なんだろうという漠然とした疑問がやっと解決しました。ただし、バッハには人生最後の大曲であるロ短調ミサ曲というのがある。

すでに書いたように、ミサ曲はカトリックのものですから、プロテスタントのバッハがなんでミサ曲を書いたのかというのは大きな謎であり問題です。ただ、これは長くなるのでまたの機会にします。

今日は、最後に日本が誇る世界が認めるバロック奏者、鈴木雅明のアルバムを紹介しておきます。これは''Bach & Beyond''と題された15枚組のボックスで、バッハのカンタータや受難曲以外から、バッハの周囲の音楽を紹介するもの。ボックスですから、かなり破格の値段で見事な演奏の数々を聴く事ができる超推薦盤です。

2014年5月5日月曜日

蛙始鳴

今日はこどもの日で、GWの休みもだいぶ少なくなってきました。

そして、今日から二十四節気では、いよいよ夏ということになります。つまり、今日は立夏であり、夏の気がはじめて立つというわけです。日中の気温もだいぶ上がってきて、確かにそれっぽい気候になってきた感じがします。

七十二候では今日から蛙始鳴で、かわずはじめてなくです。さすがに、近所に小川もなく池や沼もないので、都会では蛙を見ることはまず無いといっていいでしょう。

でも、蛙のゲロゲロとかゲコゲコとかいう鳴き声は誰でも知っていて、どこかで聞いた事があるものです。

それに小学生のときに、音楽の時間に輪唱の練習で「蛙の歌が、聞こえてくるよ・・・」と歌いますから、なんか身近な感じがしますよね。

ちょっと野蛮な話ですが、理科の時間に蛙の解剖というものをやったことがある人に少なくないでしょう。

何にしろ、緑も増え、蛙に限らず今が一番気持ちのいい時節かもしれませんね。

2014年5月4日日曜日

復活祭後第2主日

日本は、GWの後半戦真っ只中ですが、キリスト教では今日の日曜日は復活祭後第2主日です。キリストが十字架に磔刑になった後、復活してから二番目の日曜日。

そこで、この日のためにJ.S.バッハが用意した教会カンタータは、
BWV104 イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ
BWV85 われは善き牧者なり
BWV112 主はわが信実なる牧者
の3曲があります。

ガーディナー先生の全集では、このあたりはまとまっているので、当該CDを一枚出せはいいので楽です。

バッハのカンタータに、特定の教会暦のためのカンタータが数曲あるのが最初不思議な感じがしていたのですが、ちょっと勉強すると当たり前のことなんですね。

1685年生まれのバッハは、18歳で当初オルガン奏者としてプロの音楽家としての活動が始まります。当初はオルガン曲の大半が若い頃に作られているようです。

若い頃のカンタータは数曲ありますが、1723年にライプチヒの聖トーマス教会に籍を移したところから、脅威のカンタータ量産体制が始まりました。

何しろ、毎週の主日のために、新しいカンタータを用意するというのですから、驚きしかありません。他にもそれだけで一日が終わってしまいそうな様々な雑務もあってのことですからなおさらです。

おそらく月曜日と火曜日に作曲して、水曜日と木曜日に楽譜を清書、金曜日と土曜日に演奏のリハーサル、そして日曜日に本番という、目の回るような毎日だったはずです。

クリスマスやイースターの前後は、通常以上のスペシャルなイベントが目白押しですから、そのための曲の用意をするのは、常人のパワーとは思えません。

どうしても間に合わないときは、以前に作ったものをもう一度使用することもあるでしょうし、中には以前に作った曲の編曲版(パロディ)とはっきりしているものも多数存在しますが、とにかく何年かのうちにバッハの手元には数年分のカンタータのストックができたというわけです。

 今日残されている教会カンタータは約200曲ですが、実際には300~400曲は作ったのではないかといわれています。こっちは聴くだけですが、それでも毎週数曲だけでもけっこう大変。

ガーディナー先生の録音は、1999年のクリスマスから1年間かけて、毎週カンタータ巡礼と称した教会でのコンサートによりライブ録音されたもの。その時も驚愕の企画といわれていたようで、1年間で200曲演奏しようというのですから、おそらくバッハの忙しさの一部でも体感したいという思いもあったのかしれません。

2014年5月3日土曜日

憲法

欲望は人の本能であり、それが様々な争いの原因になる。欲望をコントロールして、社会の秩序を保つためのものが法である。なんて、かなり真面目くさったことを昨日は書いてしまいました。

今日はその続きみたいな話なんですが、何しろ憲法記念日ですから、年に1度くらい堅い事を書いてもばちは当たらないだろうと。

憲法は、その国の最も根幹をなす基本的なものであり、国の在り方を明らかにする最重要法律であることは、今更言うまでも無いことです。

日本国憲法は、第二次世界大戦の敗北後、アメリカ主導の下に作られたものであり、70年弱にわたって日本人の生活に深く入り込んでいます。

冒頭の第一条では、天皇は日本国の象徴と規定して、天皇の行うことは内閣が責任を持つが、天皇自ら政治を行うことはないとしています。

これは、それまでの国家元首としての天皇が、戦争の責任を取って今後は国政に口出しをしないということでしょう。実質的な権限が無い中で、現在も国民の代表として、国民から尊敬される立場を維持している皇室の方々はさぞかしご苦労が多いことでしょう。

そのあとに続く、第九条が日本国憲法の特徴が色濃く出た部分であり、最も世界的にも有名なところ。つまり戦争の放棄です。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この文章を単純読むと、内容についてはそれほど難しいことではないと思います。ところが、書いていないことについては規定が無いという考え方があって、抜け道的な解釈というみのが、政治的な動きの中で次から次へと出てきた。

そもそも自衛隊そのものの存在からして、「その他」の中に当然入りそうなものです。国内の災害救援隊のような活動ばかりだった頃は、現実の行動は武力の行使とはかけ離れていたので、まぁいいかとなっていた。

ところが、国際社会の一員として、海外での活動が増えるにしたがって、国外に対して武力を使用する可能性が高まり、直接ではないにしても、他国の戦争の援助を通して間接的な戦争参加を実際行うようになってきました。

おそらく、そのようないろいろな世界情勢の中で、憲法改正問題がいろいろと言われるようになってきたわけですが、大きく分けると三つの考え方があるようです。

最初は、一切憲法をいじることには賛成しないというもの。そして、第二に、現代の情勢にあわせて、現実的な改定を行うというもの。そして、第三が憲法は変更しないが、解釈の仕方によって現実との整合性を取ろうというもの。

正直言って、難しいことはわかりません。何がいいのか、簡単に決められることではないことは自明のことです。ただ、国家の最も基本をなすものですから、裏表のない明解なものであることが重要であろうと思います。

つまり、解釈の仕方を変えて、都合のいいように運用できるのであれば、法としての価値はかなり下がってしまうと言わざるをえません。解釈の仕方をいろいろに変更するというのは、実用的なところがあるかもしれませんが、少なくとも憲法に対して行われるべきことではないのではと考えます。

敗戦から時間がずいぶんとたっていますが、日本に限らず世界中の情勢は刻々と変化しているわけで、その変化にきちんと対応していく部分は少なからず必要でしょう。

ですから、変えるところと変えないところをはっきりさせた上で、しっかりとした議論がなされて、現代に即した改定というものはあってもいいと思いますし、それはあくまで国民主導で行われるべきことではないでしょうか。

2014年5月2日金曜日

少しまじめに考えた

過去に医学の発展に最も寄与したものは何かと問われれば、答えは明らかで、それは戦争です。

戦争に駆り出され、亡くなった方や重度の障害を負った方が無数にいて、それらを診察した医者が、少しずつ人間の体の仕組みを理解していったことが、医学の推進したことは疑いの無い事実です。

特に外科手術の分野ではその影響は強く、悪いところをどこまで切除しても命に影響が無いかという判断は、多くの負傷兵の診察から実体験として得られた知識に基づいていました。

もちろん、それだけのために戦争行為を肯定するものではありませんが、戦争が無ければ今の医学は無かっただろうことは容易に想像できると言う事です。

じゃあ、戦争は何故起こるかというと、欲望という人間の本能に帰結する話なんでしょう。物欲と言うものが無ければ争う事は無く、ひたすら平和だったんでしょう。

しかし、そもそもアダムとイブがエデンの園から追い出されたのは欲望の結果ですから、かなり根源的な、ある意味ヒトがヒトである所以みたいなもので、それを完全に消し去ると言うのは不可能だろうと思います。

実際、さまざまな欲望の結果が現実社会を作り上げたわけですし、その中にどっぷりと浸って生活している自分を含む現代人は、もしも欲望が無くなければ、完全に推進力を失う事になるでしょう。

ですから、欲望を否定してかかることは、自らの否定にもつながるような話になってしまいますので、おそらく重要な事は欲望を制御していく力をいかにして身に付けていくかということです。

それが明文化されたものとして「法」というものであって、争いは法の破綻から始まるもの。医学の発展のように、そこから有益となる結果を生み出してきたわけですから、破綻した後のことが重要なんでしょう。

それは、人は破綻した部分を検討していく高度な思考能力と、その中から修正を加えてより良い方向性を生み出すフィードバックする力を持ち合わせ事が、1万年近く地球を制覇していることにつながっているのかと思います。

2014年5月1日木曜日

20km/L超え

プリウスαを運転するようになって、ちょうど2年。

ハイブリッドカーということで、それなりに燃費が気になるわけですが、カタログ値が実際に走っていて出るわけはない。

市街地で、特に横浜市都筑区や青葉区のあたりは坂が多くて、なかなか平坦な道はないため、どうがんばっても燃費は伸びません。

だいたい、いいところで17km/L台。しかも、これはエアコンを使用しない時期限定。冬は、いっこうに温まらないくせに燃費を落とすエアコンを使用するので、14km/L程度。

とりあえず、今の時期が一番期待できるわけで、たまたま朝早くでのんびり走ることができたので、驚異の20km/L台を達成しました。

どうでもいいことと言われればそれまでなんですが、市街地のみで20を超えたのは初めてのことだと思いますので、素直に嬉しくなってしまうという凡人丸出し状態です。

アクセルは極力踏まずに、モーターを少しだけ回して速度を維持するという走り方をするわけですが、充電をしないといけないので、ブレーキも多めに踏む事になる。

当然、速度は30km/h~40km/hということになるので、普通の通勤の時間帯でこの走りをするとひんしゅく物です。


2014年4月30日水曜日

牡丹華

二十四節気では穀雨、その末候となるのが牡丹華、ぼたんはなさくと読みます。

天気は下り坂・・・どころか、天気予報は大荒れということで、GWのレジャーにも影響がありそうです。

街で牡丹の花がどこかで咲いていないかと、ちらちらと見ていたのですが、さすがに見つけられませんでした。

牡丹というと、何となく東映の任侠物の映画を思い出すのは、緋牡丹お竜さんのせいでしょぅか。藤純子(現在は富司純子)の当たり訳で、シリーズでずいぶんと映画が作られ、実際映画を見たことが無い自分も知っているくらいです。

結局、入墨の絵柄として牡丹がよく使われたと言う事なんでしょうかね。なにしろ、もう一つ思い出せと言われると、次に来るのが高倉健の唐獅子牡丹ですから。

2014年4月29日火曜日

閑か忙か

GW期間中は、患者さんの数はどうなんだろうというのは気になるところ。なんとなく街の歩いている人の数は少なめの印象。

前半の土曜日~今日のみどりの日まで、どこかに遊びに行っている人が多いのかなぁと思ったりするわけです。

実際は昨日は、けっこう混み混み。休みが重なるので、昨日に患者さんが集中したということでしょうが、閑かもと思っていたので、そのギャップでけっこうしんどいことになりました。

体力は年々減っていくなぁ、と思わず溜息をつきたくなるところですが、まだまだ弱音を吐いてばかりはいられません。

今日はゆっくり体を休めて、また明日からのエネルギーを蓄積したいと思います。


2014年4月28日月曜日

ゴールデンウィーク

昔は・・・もう、ほとんど年寄り自認状態ですが、4月29日が天皇誕生日で休み。5月3日が憲法記念日、5月5日がこどもの日で休み。4月30日から5月2日の間に日曜日が入れば、飛び石連休と言っていたゴールデンウィーク。

今は、5月4日はみどりの日とかいって休みになっちゃいまして、今年は振り替え休日のため5月6日も休み。そんなに休んでばかりでどーすんだ状態。

中には、間も有給休暇を取って、10日以上休むという人もいるらしい。働くから遊べるんだぞ、なんて堅いことを言うつもりはありませんが、なにしろ医療の仕事をしていると、そんなに休むことなんてとうてい無理です。

飛び石連休なんて、まったく嬉しくなく、無いほうがよっぽど楽だったりしたものです。近くのクリニックでは、間の平日も全部休みにしちゃったところが数軒あるのにびっくり。
 
前にも書いてるかもしれませんが、いや、絶対書いていると思うのですが、こういう休みが重なって話題になる頃になると、どうしても羨ましい気持ちがふつふつと出てきて、思わずぼやきたくなってしまうのです。

一応社会人になって30年、いまだに週休二日とか、まったく無縁の生活。大学生活では、まだ多少の融通はつきましたが、とにかく休めば休むほど、仕事がたまるだけでその後が大変になるだけ。

大学病院が4週六休といって、第2と第4土曜日は休診になったことがありましたが、大学職員の立場では、あくまでは病院外来が休診になっているだけで、出勤しないといけないとかいわれて休めませんでした。

こういう日は、さすがに出勤してもやることは少なくて、半日ぼーっとしているしかない。・・・GWでした、話がずれたかも。でも、GWも同じで、今でも中途半端に休みが点在するのも、まとまって大量に休みがあっても、有効活用はしにくいのは同じ。

まぁ、とにかく、休める人はどうぞたくさん休んで、明日の日本のためにそのあと頑張ってくれればいいということで。まとめて仕事ができない立場としては、ひたすら毎年ぼやいているのかもしれません。

2014年4月27日日曜日

復活祭後第一主日

確かに寄り道をしている場合ではなく、受難曲が重過ぎてまだ聴き切れていないところに、復活祭が始まり、もうカンタータを次から次へと出てくるので、完全に消化不良状態。

その上、今日は復活祭後第1主日(日曜日)ということで、またもや新たにカンタータが登場します。

BWV67 イエス・キリストを憶えよ
BWV42  されど同じ安息日の夕べに

幸いなことに、これらは比較的明るくてめりはりのある曲調だったので、比較的聴きやすい。5月29日の昇天祭までは、毎週日曜日ごとに2つから3つのカンタータが加わっていくので、ちょっと一息つけそうです。

とりあえず、復活祭関連で最初にまとまったオラトリオの形で曲を残したのはシュッツといわれているようですが、ガーディナー先生もちょこちょこと取り上げる作曲家。

ハインリッヒ・シュッツは、なにしろJ.S.バッハよりも100年前の方ですから、1585年生まれで、三十年戦争と呼ばれるカトリック対プロテスタントのヨーロッパ中を巻き込む国際戦争の時代に活躍した作曲家。

バッハに続くドイツ・バロック音楽を確立した人という評価のようです。ちょうど代表的な作品を集めたボックスがあったので、これを購入しました。

マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ルカ受難曲、十字架上のキリストの最後の7つの言葉といった馴染みのあるタイトルの曲が並びますが、その中に復活の物語という復活祭用の曲が入っています。

合唱に重点が置かれたもので、このあたりがもともとの教会音楽の形を想像させます。もともと説教を節にのせたところからメロディが生まれ、皆で歌うようになり、伴奏のための楽器が登場してくるという音楽史の基本ということでしょうか。

ポール・ヒリヤーが監督するアルス・ノヴァ・コペンハーゲンという合唱団によるアルバムは、もちろん大半が無伴奏合唱で、まさに天国に通じる光がさすような美しい歌声に魅了されます。

復活の物語ではコンチェルト・コペンハーゲンという楽団が共演して伴奏を担当していますが、本当に脇役に徹していて、歌声を邪魔することはなく、エンターテイメントとしてのバッハとは一味違った美しさがあります。

2014年4月26日土曜日

我らがイエスの四肢

1年間の教会暦にしたがって、J.S.バッハの作曲した教会カンタータを順番に聴いて行こうという試みは、ネット上を検索してみると、けっこうやっている人がいて珍しいものではありません。

たいていは、合唱団に参加している方、キリスト教徒の方など、直接的な関係がある場合が多く、知識ゼロという方は少ないようです。

自分のように、宗教音楽にはまったくのド素人 - というより声楽に苦手意識がある上に、ほぼ無信仰というのにこんなことを始めるのは、無茶が過ぎるという感は否めない。

バッハの教会カンタータはおよそ200曲あって、ぼけーっと聴いていると、どれも同じに聞えてしまいます。そもそも、毎週教会で演奏されるために新曲を何年にもわたって書き続けるわけですから、いくらバッハでも、そうそう毎回万全の準備はできなかったはず。

そこで、他の曲からの流用や使いまわしというところも多々あるらしいのですが、そういうのを「パロディ」という表現で呼び、熟知しているベテランになるとカンタータの重要な楽しみ方の一つらしい。

自分は、当然のようにわからない。これはロ短調ミサのあれと一緒とか言われても、そもそもロ短調ミサを聴き込んでいないわけですから。

とにかく、とんでもない目標を立ててしまったものだと思っても、ガーディナー先生のカンタータ全集を買ってしまったので、56枚もあるCDをただ聴いて行くのではつまらない。

他にところに寄り道している暇は無いのですが、カンタータだけでは飽きてしまいそうなの出、この際教会で使われる音楽全般も少しは勉強しておこうと、さらに欲張っています。

J.S.バッハより遡る事半世紀前のドイツの作曲家、ブクステフーデという人がいます。もともとバッハより古い作曲家なんてほとんど知らなかった自分としては、最近知ったばかり。

オルガン作品がけっこう有名ですが、声楽曲、いわゆるカンタータに近い継代の音楽も多数残されている。その中で、おそらく録音も多いのが7つの連作カンタータで、タイトルは「我らがイエスの四肢」

これは十字架に磔刑とされたイエスの体について、「足について」「膝について」「手について」「わき腹について」「胸について」「心について」「顔について」という具合にキリストの体を愛おしく謳いあげて行くもの。

バッハほど、盛り上がるわけではなく、淡々と歌い進められていく感じは、より宗教的といってもいいかもしれません。当然、我らがカーディナー先生の録音もあって、主役のモンテヴェルディ合唱団の美しい歌声を堪能できます。

ただし、残念ながらとっくに廃盤なので、amazonとかの中古でないと手に入りません。現在、比較的手に入れやすいのは、鈴木雅明の率いるBach Collegium Japanによる演奏。

当然、鈴木雅明は日本人で、日本人が主体の演奏団体で、最近完成したバッハの教会カンタータ全集は、世界的にも絶賛されたもの。同じ日本人なのに、ここまで入り込めることに感心するしかありません。

曲によって、ガーディナー盤より早いものもあれば、遅いものもありますが、合唱人数は鈴木のほうが少なめな感じですが、より歌がはっきりしているかもしれません。

キリストの受難については、大人数では聴くにはバッハ、でも家で一人で耳を傾けるにはブスクテフーデのほうが向いているかもしれません。いずれにしても、そこのところをしっかりとおさえておくことで、その後の復活の感動も大きくなると言うものです。

2014年4月25日金曜日

年間成績

医者は、大学でひたすら膨大な医学の勉強はしますが、文系の勉強はほとんどしている閑がありません。そのせいか、しばしば一般常識に欠けると思われますし、実際知らない事だらけ。

特にクリニックを開業してみると、医者として自分の理想の医療を提供しているだけではすまないことだらけ。経営者としての力量を要求されるわけで、今までやったこともない世界が広がっていました。

人に雇われる立場と、人を雇う立場では雲泥の差があって、とにかく医学部の勉強には経済学・経営学などもあるべきだと思ったりするわけですが、実際のところ今の間に合いません 。

そこで、大半のクリニックでは、税理事務所にお願いして、それらのよくわからない仕事の大半を請け負ってもらっていると思います。当然、うちの場合も、開業以来同じ事務所にお世話になっている。

給与計算、法人と個人の税金計算、お役所的なわけのわからないもろもろの書類の処理などを、一切合財お願いしていて、その上で毎月収支の報告と、いろいろな経営上のアドバイスをしてくれます。

昨日は、年に一度、いつもの担当者だけではなく、税理事務所の親分もやってきて、1年間の総合評価の説明を受けました。

ボスの言葉は、毎年厳しいことが多いので、今年もさぞかしダメだしを食らうと思うと、けっこう緊張して、年度末に成績表をもらう生徒みたいな心境になります。

開業して最初の5年くらいは、患者数、患者単価(一人当たりの診療報酬)ともに順調に伸びて、まだ伸びしろがあるからひたすらがんばれと言われていました。

さすがに医者一人でできることには限界がありますから、5年くらいするとある程度プラトー。去年くらいから、前年比割れの月もかなり増え始め、今回は明らかに収益は減少に転じている。

さすがに、こっちも順調に年を取っていますから、どうしてもパワー不足は否めない。肉体的・精神的に、開業当初よりはがんばれきれないところはあるものです。

当然、ボスからはそのあたりをやんわりと指摘され、体を鍛えればというお言葉。もっと頑張れということでしょうか。もっとも、ボスの仕事としても、がんばるなと言う事はないでしょうから、ごもっともな励ましの言葉を頂いたわけです。

というわけで、そんないろいろなことを糧にして、また毎日をがんばるしかないと思うわけです。基本的には、医者なんて単純なのかもしれません。

2014年4月24日木曜日

霜止出苗

霜止出苗は、しもやみてなえいづると読んで・・・これは本当の七十二候のひとつ。

 二十四節気の穀雨の真っ只中、次候ですが、さすがに霜は4月になって見ていません。農業の経験はないのですが、日本人にとって古来最も重要な稲作では暦は重要でしょう。

4月になって稲の種まきをして、そろそろ苗が出てくる頃ということでしょうか。育った苗は5月に田植えされる事になるんだと思います。

霜が止まって、完全に冬とは決別という感じですが、それでも、まだまだ昼と夜の寒暖差がありますので、体調管理には注意が必要です。

2014年4月23日水曜日

蛞蝓始見

蛞蝓始見は・・・なめくじはじめてあらわる、と読みたいところですが、さっき思いついたもので七十二候にはありません。

二十四節気で穀雨となったからというわけではないのでしょうが、この数日まさに雨模様で、じめっとした感じ。

そしたら、とたんにチョロチョロと出てきた。これから梅雨の終わる頃まで、しばしば登場するのがナメクジ。

ゴキブリとともに、家屋の周囲で頻繁に見られる嫌われ者です。これは主に外見的なイメージからくるのでしょぅが、実際、田畑では葉を食い荒らすので害虫扱いです。

そこで、 古典的な方法としては塩をかけたりしたことがありませんか。塩をかけると滲透圧の関係で、体内が脱水になり死んじゃうわけです。

ナメクジが見られるようになると、さわやかな春はそろそろ終わりという感じですかね。