女子医大リウマチセンターの鎌谷所長の文章が、大変面白く、かつ医師としての本質を考える上で大変参考になる話なので、ちょっと難しいのですが、抜粋して紹介します。
結果が不確実な医療行為の意思決定をどう行うか ---------------------
「医療崩壊」が進んでいると言う意見が多くなり、私自身も賛同者の一人である。その原因は、第一に患者あたりの医療費の削減であり、第二に医療行為の不確実性への認識不足である。ここでは、第二の問題ついて考えたい。
元々医療行為の結果は不確実で、情報の公開により問題化した。かつては、良質の医療情報は大学の教授などの権威者が独占し、「情報君主制」の時代であり、最も力を発揮したのは「天の声」である。
続いて、情報伝達手段の発達により医師の間で良質の医療情報が共有される「情報封建制」の時代となり、「合意」が最も力を発揮し、医師の間で不確実でもこういう行為が正しいと決めるのである。
しかし、情報公開は更に進展し、「情報民主主義」の時代が到来した。一般にもある程度の良質な医療情報が公開され、医師の間での合意さえも「談合」と非難される。では、意思決定のためには何を参考にすべきか?私は、それが「統計学」だと考える。
しかし、統計学結論にも誤りである可能性が最後まで残るし、機械的方法により医療行為の良否が決まることへの反発も強い。医師の感触、好み、勘こそが医師としての醍醐味なのであり、これらを禁止された医師の怒りは大きい。
不確実な医療行為の意思決定を統計学により行うこと(即ちEBM)は問題が多いが、これまでの方法(天の声、合意、趣味、占い、勘、乱数)よりもマシである。結果が不確実だから何も行わない(臆病な医師)わけには行かないし、逆に何をやっても良い(勇敢な医師)ということにはならない。最大幸福が期待できる医療行為を選択(覚悟の医師)するためには、絶え間ない自らの医療行為の結果の収集と解析(即ち、疫学研究)が必要であり、日本の医学教育において最も欠けている点である。
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医学統計学至上主義の先生だと思っていましたが、欠点と利点をきちんと考えていることがわかって、ますます信頼のできる先生だなぁ、と思いました。
自分は、結果が不確実な医療行為の意思決定は、情報公開が進んだ現代では、医師と患者の合意にあると考えています。統計学は道具としては重要ですが、人間というもともとファジーな存在を数学的に割り切ることは不可能です。できるだけ、自分が提供できる医療の説明をして、それぞれの長所・短所を患者さんに理解してもらい選択してもらうところに合意が成立します。
医師としての責任は、主として提供できる医療に順位をつけ、その順番の理由も説明することにあるのではないでしょうか。そのためには時間が必要です。少なくとも3分間外来ではほとんど不可能でしょう。しかし、情報公開が進んだことにより、実際には外来で医師が行う事務的作業は膨大な量に肥大化しています。何かをするために患者さんに印鑑を押してもらう書類は数えきれないのです。
勤務医の疲弊とよく言われていますが、断言しますが絶対に勤務医の方が開業医よりも何倍も楽です。医師として成熟するためのプロセスを取り除いてしまいかねない今の医療改革の方向性は、サラリーマン医者を増やすことに繋がるのでないでしょうか。