夏季臨時休診
夏季臨時休診のお知らせ
8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。
2016年1月31日日曜日
Are you ready ?
もうすぐ・・・・
節分。
ですが、それはそれで大事なんですが、その後には今や日本の年中行事として定着している・・・そう、バレンタインデー!!
世の女子は、いろいろ考えていることでしょう。
送る人の選別、そしてその中でのランク付け。我々男子は、いろいろな知らないところで秤にかけられているんですよね。
もっとも、おじさんになると、はなから無視されていますから、まぁどうでもいいと言えばそれまでなんですが、まぁ貰えればそれなりに嬉しいものです。それが義理チョコだとしてもです・・・
個人的にはGODIVAのような高級(すぎる)チョコを、豪華な包みで1個貰うより、明治のアーモンドチョコレートを5箱とかの方が嬉しさは大きい。
だからと言って、女子の皆さんはそこらのお菓子コーナーにあるようなものではつまらないでしょうから、いろいろとあーだこーだと普段なら買ったりしないようなものを見て回るのも楽しみなんでしょうね。
とりあえず、見て楽しい、選んで満足、貰って嬉しいというチョコをひとつご紹介。
写真は、一見クレヨンか化粧品のセットのように見えるんですが、れっきとしたチョコレート。
Galler(ガレー)というブランドのもの。ベルギーで王室御用達になっている、それなりに有名なものです。ひとつひとつの味を、じっくり楽しむために一口サイズになっている。
さらに、この美しい包装は、本当に食べるのがもったいなくて、しばらく飾っておきたい感じ。
義理チョコにするにはもったいないかもしれませんが、相手を喜ばせたいなら候補の一つにしてみてはいかがでしょう。
2016年1月30日土曜日
外苑並木冬景色
冬です。いくら暖冬と言っても、冬は冬。
今年は新年早々から、各界の大きなスキャンダルが連発して、どうなるものかと思っているうちに1月はもう終わり。なんか、荒れた年になりそうな雰囲気が漂っています。
さて、カメラをいつでも携行することは忘れていないのですが、多少なりとも写真らしい写真を撮りたいと思うと、結局行動範囲の中で絵になる場所というとここくらいしかない。
神宮外苑です。絵画館前の青山通りから続く銀杏並木は、紅葉の時期には人だかりがすごくなる、都内の風物詩として有名な場所。
もうこの時期になると、銀杏の葉はすべて落ちてしまい、もう歩く人もまばらです。乾いた冷たい風がピューっとでも吹こうものなら、思わず襟を立てて肩をすぼめたくなる。
それはそれで、季節感があって悪くはありません。かえって、少ない陽だまりを見つけることができれば、かえってそのぬくもりがありがたかったり感じられるとものです。
こういう光景にぴったりの曲というと、クラシックファンならシューベルトの「冬の旅」かもしれません。ただ、失恋して死を求めてさすらう内容ですから、もっと厳しい寒さが表現された光景じゃないとしっくりこないかもしれない。
洋楽ファン、あるいは昭和人にとっては、サイモン&ガーファンクルの名曲、「冬の散歩道」というのがあります。とは言っても、これも歌詞の内容は楽しいげなものではありません。
まぁ、冬というのは、希望にあふれた春を際立たせるために、より厳しく冷たい方がいいのかもしれませんけどね。
2016年1月29日金曜日
フォルテピアノでシューベルト
一昨年の春から1年間、ひたすらバッハの教会音楽をむさぼり聴いたんですけど、そこで古楽器というものに一定の理解を深めることが出来ました。
以前は、いくら作曲者の耳に本当に聞こえていた音に近づくということは、それほど重要とは思っていませんでした。もちろん、今でもそこにこだわるつもりはありません。
わざわざ響きの少ない当時の楽器で演奏するよりも、現代的に完成された楽器の音色で十分に楽しいと思っていたわけですが、実際にバッハで体験したのは、モダン楽器を使って厚化粧をしたバッハよりも、古楽演奏のバッハの方が、聴いていて心地よいということでした。
確かに現代の楽器の方が音量があって響きもいいのですが、当然バッハはそういう楽器で演奏されることは想定していない。その時の楽器を最大限に生かすことを考えて、音符を書いていたはずです。
ですから、現代楽器による演奏と同じに、古楽器による演奏にも耳を傾けることはクラシック・マニアとしては避けては通れない道だということに気がつきました。
そこで、ピアノです。
今、普通にピアノというと一番有名なのはスタインウェイ社のもの。スタインウェイが創立したのは1853年です。同じ年にベヒシュタインも誕生しています。ベーゼンドルファーはもう少し早くて1828年。
ベートーヴェンが亡くなったのは1827年、シューベルトは1828年、シューマンは1856年。つまり、彼らはモダンピアノの微かな光は見えていたかもしれませんが、基本的にそれ以前の鍵盤楽器を使用して作曲をしたわけです。
モダンピアノの黎明期を支えたのがショパンとリストですが、リストは長命でしたが、ショパンは若死にしていて1949年には亡くなっている。
つまり、自分が一番好きな時代の作曲家たちは、いずれもモダンピアノ以前に活躍した人たちだということです。であれば、彼らが使用していた楽器は何か知りたくなる。
鍵盤楽器として最初に世間に広まったのは、バロック期のチェンバロ(クラブサン、ハープシコード)です。これは弦をひっかくことで音を出しますが、音量は小さいし、音に強弱をつけることができません。

さて、名だたる古典派の作曲が使ったのがフォルテピアノ。ここでは、弦を叩くことで音を出すので、モダンピアノのプロトタイプということがいえるかもしれません。
ベートーヴェンは、32曲あるソナタで、新しいフォルテピアノが登場するたびに、積極的に使用して音域を広げたり、演奏法を改良したりしていくことになります。
モダンピアノの弾き方を、そのままフォルテピアノでやろうとしても、まともな音はしないそうです。演奏の仕方は別物で、下手に弾くとコンコンと木琴でも叩いているかのような、響きのない耳につく音になってしまいます。
シューベルトのピアノ・ソナタにはまってしまうと、ベートーヴェンに比べて情報量がずいぶんと少なくなってしまうことが残念。散発的に弾かれることはあっても、何しろヴィルヘルム・ケンブによってまとまった録音を初めて行ったのが、60年代後半というのが驚きです。
そして、フォルテピアノによる全集を最初に完成させたのは、90年代前半のポール・バドゥラ・スコダで、それに続くのがマルコム・ビルソン。21世紀になってからは、ヤン・フェアミューレンです。
スコダは比較的最近ボックスセットで再発されたので、自分もこれで入手しました。ビルソンも、Amazonではまだまだ簡単に探せます。フェアミューレンも新しいので入手は容易で、最近ボックスも新たに発売されています。また彼は、室内楽や連弾曲にも幅を広げているので楽しみです。
問題はトゥルーデリーズ・レオンハルト。レオンハルトと聞くと、最初に思い出すのはグスタフ・レオンハルトで、世界中のチェンバロ奏者の師匠みたいな存在ですが、トゥルーデリーズ・レオンハルトは実妹さん。

80年代から、断続的に録音をしていて、この人の演奏はマニアには大変評価が高いようなのですが、いずれもかなりマイナーなレーベルからばかりCDが発売されていて、ほとんどが入手困難。
2000年以降にも、一部をあらたに再録音しているのですが、これもレコード会社がばらけていて、しかも体系的になっているようでなっていないので、どれを買えばいいのかよくわからない。困ったものですが、「幻の名盤」と言われると、何とか手に入れたくなるのがマニアというもの。
まぁ、地道に世界中のAmazonをチェックするしかありませんね。
以前は、いくら作曲者の耳に本当に聞こえていた音に近づくということは、それほど重要とは思っていませんでした。もちろん、今でもそこにこだわるつもりはありません。
わざわざ響きの少ない当時の楽器で演奏するよりも、現代的に完成された楽器の音色で十分に楽しいと思っていたわけですが、実際にバッハで体験したのは、モダン楽器を使って厚化粧をしたバッハよりも、古楽演奏のバッハの方が、聴いていて心地よいということでした。
確かに現代の楽器の方が音量があって響きもいいのですが、当然バッハはそういう楽器で演奏されることは想定していない。その時の楽器を最大限に生かすことを考えて、音符を書いていたはずです。
ですから、現代楽器による演奏と同じに、古楽器による演奏にも耳を傾けることはクラシック・マニアとしては避けては通れない道だということに気がつきました。
そこで、ピアノです。
今、普通にピアノというと一番有名なのはスタインウェイ社のもの。スタインウェイが創立したのは1853年です。同じ年にベヒシュタインも誕生しています。ベーゼンドルファーはもう少し早くて1828年。
モダンピアノの黎明期を支えたのがショパンとリストですが、リストは長命でしたが、ショパンは若死にしていて1949年には亡くなっている。
つまり、自分が一番好きな時代の作曲家たちは、いずれもモダンピアノ以前に活躍した人たちだということです。であれば、彼らが使用していた楽器は何か知りたくなる。
鍵盤楽器として最初に世間に広まったのは、バロック期のチェンバロ(クラブサン、ハープシコード)です。これは弦をひっかくことで音を出しますが、音量は小さいし、音に強弱をつけることができません。
ベートーヴェンは、32曲あるソナタで、新しいフォルテピアノが登場するたびに、積極的に使用して音域を広げたり、演奏法を改良したりしていくことになります。
モダンピアノの弾き方を、そのままフォルテピアノでやろうとしても、まともな音はしないそうです。演奏の仕方は別物で、下手に弾くとコンコンと木琴でも叩いているかのような、響きのない耳につく音になってしまいます。
シューベルトのピアノ・ソナタにはまってしまうと、ベートーヴェンに比べて情報量がずいぶんと少なくなってしまうことが残念。散発的に弾かれることはあっても、何しろヴィルヘルム・ケンブによってまとまった録音を初めて行ったのが、60年代後半というのが驚きです。
問題はトゥルーデリーズ・レオンハルト。レオンハルトと聞くと、最初に思い出すのはグスタフ・レオンハルトで、世界中のチェンバロ奏者の師匠みたいな存在ですが、トゥルーデリーズ・レオンハルトは実妹さん。
2000年以降にも、一部をあらたに再録音しているのですが、これもレコード会社がばらけていて、しかも体系的になっているようでなっていないので、どれを買えばいいのかよくわからない。困ったものですが、「幻の名盤」と言われると、何とか手に入れたくなるのがマニアというもの。
まぁ、地道に世界中のAmazonをチェックするしかありませんね。
2016年1月28日木曜日
梅林
田園都市・・・とか言っても都市風の田園ですし、横浜と言っても潮の香りはしんい奥地ですし、小さい山あり、田畑もそれなりに残っている地域を生活の場にしていると、人混みが年を取るにつけ苦手になっていくのがよく自覚できます。
だからと言って、仕事柄たくさんの知らない人と出会いますから、人見知りということはありません。逆に、少ない人数の中では自分のポジションを作るのは得意とまでは言いませんが、下手ではないつもり。
だから何? という話ですけど、まぁ、要するに自分のテリトリーは首都圏としては田舎・・・ということで、梅林があったりすると・・・強引に話をそっちに持っていくわけなんですが。
ほぼ毎日この前を通るので、紅白の梅が咲きほこり季節を実感する場所です。いつも車で通りすぎてしまうだけですが、ちょっと止まって観察してみました。
やはり蕾がだいぶできてきていて、春が確実に近づいて準備態勢に入っているのを実感できます。
2016年1月27日水曜日
フラジャイル
テレビの連続ドラマというのは、あまり見ない。
特に最近はマンガが原作であることが多くて、それだけでも何故か興味を失ってしまいます。しかも、医療系ドラマともなると、医者としてはドラマの「嘘」ばかりが目について、荒唐無稽の内容にうんざりしてしまうことばかり。
今季のドラマの一つ、フジテレビの「フラジャイル」も、マンガが原作の医療系ドラマ。さぞかし、自分的にはダメダメだろうと思いきや、いやいやこれがけっこう面白い。
まず、主人公が臨床医ではなく病理医というところがいい。臨床医だと、患者との関係がどうしても前面に出てしまい、よりドラマチックな展開のために嘘が多くなる。
その点、病理というセクションは、直接患者との接点がない。病理は、手術や生検で得られた病気の組織を顕微鏡で見て診断を下します。
例えば、臨床医は症状や画像検査、血液検査などからだいたいの診断を推定します。それが悪性腫瘍なら、手術をした方がいいのか、薬の治療をしたほうがいいのか、あるいはどこかに転移していないかなど、一部の組織を採取して病理の判断を待ったりします。
病理医は、臨床医からの情報をもとに組織をいろいろな方法で染色して、顕微鏡で見ることで細胞レベルの変化を確認するわけです。
推理小説でいうところの「安楽椅子探偵」みたいな役回りで、自分で実際に事件の関係者に会ったり、現場を調査したりはしないのと同じ。
そのかわり、ドラマでは臨床医は、思い込みが強く、患者から得られる情報の漏れが多いように描写されているのはやや行き過ぎのように思いますが、まぁ主役ではないので許しましょう。
ただし、突っ込みどころはあります。第一話で、階段で転落して頭を打った患者さんを神経内科が診ているというのはあり得ない。総合病院なんだから、脳神経外科でしょう。しかも、神経内科だったら、足のもつれを単純に腰の椎間板の問題にしたりはしないで、頭の異常を追及するはずです。
外科医が手術中に採取した組織をすぐに病理で確認するというのはありますが、この場合にわざわざ手を下して病理まで外科医が組織を持ってくるというのもあり得ない。だとしたら、小雪さんはよほど下っ端で、手術を見学していただけの人になってしまう。
まぁ、些細なことには目をつぶって、ドラマと割り切って見れば、まぁまぁTOKIOの長瀬くんが演じる主人公のキャラがなかなか興味深くて面白い。
・・・と、珍しく医療系ドラマを褒めようと思ったのですが、第2話で早くもダメダメなところが出てしまいました。安楽椅子探偵には、実際に情報を集めてくる「ワトソン君」が必要なんですが、どうもその役割をするのが武井咲の演じる新人病理医。
その新人病理医が、患者さんの積極的に関わるようになってしまいました。しかも、患者さんが不在の自宅に押しかけて、家の中を捜索するという、極めてあり得ない状況。荒唐無稽、言語道断の行為です。
これでは病理医が主人公である必然性が無くなってしまいます。今日は第3回の放送がありますが、このまま見続けるか、やっぱりこの手のドラマは駄目だとなるか・・・さぁ、どっちだ?!!
2016年1月26日火曜日
残念な横濱家 @ ???
横濱家は、豚骨醤油の家系ラーメン店としては、たくさんのチェーン店を持つメジャーなラーメン屋さんです。
自分も、ここに住むようになってからはよく行くようになりました。一番よく行くのは、東名高速道路の川崎インターを降りて、尻手黒川道路をちょっと行った処。
比較的ドライバーの人とかが多いせいか、横濱家のチェーンの中でもがっつり系です。お店によって、メインの客層を考慮した味の変化が多少あるのが面白い。
以前、市ヶ尾店に行ったときは、わりと和風のだしが強めの印象でした。そこは、比較的ファミリー客が多い場所。
今回は、また別の場所に行ってみました。さて、この横濱家はどんなだろうというのも楽しみの一つ・・・なんですが、ああ~、ここは駄目です。
まず、入って店員の声が小さい。威勢の悪いラーメン屋なんてものは、そうそう滅多にあるもんじゃない。昼時でそれなりにお客さんの出入りがあるのに、一人が声を出すだけで、他の店員はほとんど喋らない。
注文を厨房に言うのも声か小さいし、厨房の中でも注文を受けたという返事も無いか、あるいはほとんど聴き取れません。
ちょっと、暇になると作り手も混ざって世間話をしているなんていうのは、もう最低です。
まぁ、味は横濱家ですから、そりゃ大きな変わりは無く、それなりに美味しいんですけど、雰囲気から本来の味が相当落ちてしまいました。
はっきり言って、この場所には二度と行くことは無いと思います。ちょっと遠回りしても、車で行ける範囲にいくつも横濱家はありますからね。
2016年1月25日月曜日
シューベルトのピアノ全集or作品集
その中でGoole+にも、ブログの投稿が自動的に流れるようにしてあるんですが、先日書いたシューベルトのピアノ・ソナタについて投稿が、Google+に入らないです。
何故だかよくわかりませんが、何度が共有を試みていたら、「Googleのポリシー違反で全サービスを停止するぞ」みたいな脅かしのメッセージが表示されました。
そりゃないだろう、とちょっと憤慨。
いつもと同じように操作して、特別変わった内容にしたわけでもなく、そっちが勝手に投稿を流してくれないのがいけないのにね。
何度も同じ操作をしたことがスパムと認識されたのか、それとも投稿内容のどこかに問題があるのか、ポリシーというのを読んでもさっぱりわからない。
そこで、似たような話題ですけど、もう一度同じような構成の投稿をしてみようというわけで・・・
さて、シューベルトです。
シューベルトのピアノ・ソナタは21番まで番号がふってありますが、とにかく未完成品が多いことで話を複雑にしている。
ベートーヴェンなら32曲もソナタがありますが、いずれも楽曲として完成しているので、誰がどう弾いても曲の内容は一緒。
ところが、シューベルトの場合はソナタ全集と銘打っても、内容が微妙に違ってくる。
完成品だけを取り上げるという考え方。これは、間違いはありませんが、こうなると1/3は脱落してしまいます。
楽章の途中で終わっているものはしょうがないとしても、未完成の中には一部の楽章は完結している物もあるので、それを飛ばしてしまうのももったいない。
そこで、完成楽章だけは取り上げるという演奏者もでてきます。さらに未完成部分を補筆して、何とか完結した形にして聴かせるというのもある。中には、途中やめまで弾いて唐突に終了というすごいのもあります。
形式からどう考えても楽章が抜けていると考えられて未完成扱いというのもあって、抜けたまま演奏する人もいれば、同時期の小品を抜けた楽章の代わりに挿入して完成扱いする場合もあったりします。
歴史的に初めてシューベルトを網羅した演奏を録音したのは、ヴィルヘルム・ケンプで1960年代後半のこと。ケンプは、基本的には完成楽章は収録し、途中で断筆したものや抜けていると考えられる楽章は無視というスタンスです。
それでも、それなりの数になりますから、シューベルトを楽しむ上ではそうそう困ることはありません。十分に「全集」を名乗るだけの価値は認められるというものです。
アルフレッド・ブレンデルも、シューベルト弾きとして評価が高く、70年代と90年代にまとまった録音を2回残しています。ところが、未完成品が多い前半分についてはほとんど興味が無い。これはさすがに全集とは呼べず、どちらも「作品集」というところ。
完成していなかった物を作者のはっきりとした真意がわからないままに、いろいろいじくるというのは芸術の観点から否定するというのは一つの見識ですから、それはそれで正しいと言えます。
ただし、ファン心理としては、未完成なのもどんなのか聴いてみたいというところはある。また、たまたま楽譜が失われただけで、本当は完成していたのかもしれないわけですから、まったく無視というももったいない。
そこで、70年代になってギルベルト・シュヒター、グレゴール・ヴァイヒェルト、ポール・バドゥラスコダなどが足りない部分を補筆完成させたり、完成している小品をそれなりの学術的根拠のもとに楽章として挿入して演奏しました。
その後は、後期ソナタ中心に完成しているものだけ取り上げる「作品集」と、未完成品もできるだけ完成形に近づた「全集」とがいろいろと出てくることになります。
現状ではすでに廃盤で手に入らないものもたくさんあり、どうしても聴きたいならば中古を探し回るしかない。ネットで探すことができるので、昔よりはましですけど、そうは簡単にはいきません。
とりあえず、比較的手に入りやすいもので、最も曲数の多いのはミッシェル・ダルベルトの全集。ソナタ以外にも舞曲などの小品もある程度は網羅していて、シューベルトのピアノ独奏曲を把握するのには便利。
演奏も悪くはありません。ただし、多少局数をこなすのに無理しているかもというところも多少は無いわけではありません。
聴けば聴くほど深みにはまっていくシューベルトなんですが、とりあえず全体を見通せるダルベルトの全集はお勧めの逸品だと思います。
2016年1月24日日曜日
電線
都会の特徴と言ってしまえばそれまでですが、空を見上げた時にやたらと電線が目に入る。
そりゃまぁ、そのおかげで不自由の少ない生活ができているわけですから、文句を言っちゃいけない。
・・・と、頭では納得しようとしているんですが、それにしても多いよなぁ。せっかくのきれいな朝焼け空なのに、中途半端な蜘蛛の巣のように景観を損なっていることは残念でしょうがない。
電気を送るのが電線で、他にも電話線もあるし、このあたりはケーブルテレビが発達しているのでその線もあります。
地下に埋設する工事も、ずいぶんと前からあちこちで行われていると思うのですが、一向に空に絡みつく電線が減ってきた感じがしません。
港北ニュータウンでは、都市計画に基づいて街作りをしたので、けっこう電線が目立たない感じはしますけど、それでも皆無ではありません。
電線と、それを支える電信柱が無くなれば、かなりすっきりすることは間違いない。
せめて、雀が三羽とまっていれば・・・ネタになるんですけどね。
2016年1月23日土曜日
2016年1月22日金曜日
G.Schuchter / Schubert Piano Works
ペートーヴェンのソナタから始まったみたいなところだったんですが、最終的にピタッと来たのがシューベルト。
天性のメロディ・メーカー、シューベルトですから、随所に親しみやすいメロディが入ってきて、とても馴染みやすい。ところが、ピアノ・ソナタについては、シューベルトさんも相当悩みに悩んだのか、構成についてはかなり難しい。
なんか、とにかく長くしようとして苦しんでいるみたいという評判もあったりしますが、聴き慣れるまでは、なんか同じことの繰り返しばかりで確かに飽きてしまいそう。
でも一度抜け出ると、もう豊饒な世界が目の前に広がり、もう病みつきになってしまいます。特に、随所に出てくる独特の間は、もう「来たぁ~」っていう感じなんですが、逆に自分の間の感覚と合わない演奏では、もう買って損した状態になったりもします。
とにかく、一番よく聞くのは、我が日本が世界に誇る内田光子さんの演奏。ただし、相当気持ちの入った重みのある演奏なので、気楽に聴くのは難しい。真剣に聴けば聴くほど疲れるんですが、それもまた心地良い疲労感みたいなところ。
まとまった演奏をCDに残しているものはたいがい持っていると思うのですが、1960年代半ばのケンプの全集が先駆けで、それに続く幻の演奏と呼ばれているのがシュヒターのCD12枚の全集です。
amazonでずっと探していましたが、中古で数万円の値がついていて、ちょっと高くて手を出す気になれない。ところが、久しぶりに何気にamazon.co.ukを見ていたら・・・!! !! 何と何かの間違いかという値段で出ているじゃありませんか。
即、バスケットに入れてしまいました。送料込みで約1万円です。これはもう、ここで買わなければもう出会えない価格です。ついに手に入ったわけで、さっそく聴きだしました。
70年代半ばの録音らしいのですが、ライナー・ノートには、どこにも詳しいデータが書いていない。もちろん元々はアナログ録音ですが、音質はまったく問題ない。むしろ、温かみのあるピアノの音は抜群にいい。
そして、演奏は…とても、落ち着いた真面目な演奏という感じ。全体的にゆったりとしたスピードですが、一つ一つの音を丁寧に出しているところが、とても好感が持てます。
一番のお気に入りは最後のソナタ、D960なんですが、新しく聴くときはまずはこれを聴いて、自分に合うのかの秤にしています。
出だし、やや音は大きすぎる気がしないでもないのですが、この曲に関してはやや早めで、通常20分くらいの第一楽章がシュヒターは15分。でも、間の取り方がよくて、その速さがまったく自然です。
収録曲の多さでは後発のダルベルトの全集に負けてはいますが、特にあまり聴くことが少ない初期の曲などでの演奏水準はかなりものと思います。
これが長らく廃盤で、入手困難になっているというのは不思議です。シューベルトのファンなら、絶対に聴くだけの価値がある。本気で聴くのは内田さんというのは変わらないのですが、もう少し軽めにシューベルトの混乱したソナタを俯瞰するには最適なセットだと思います。
2016年1月21日木曜日
トタン屋根の猫
「熱いトタン屋根の猫」とくれば、良くも悪しくも、ハリウッド全盛の時代の1958年に作られたアメリカ映画。
ただし、こちらは熱くはない。
どう見ても、ほのぼのムードでじたばたしていない。寒い時期なのに、昼の太陽で温まったトタン屋根の上でうとうとしている感じ。
しばらく見ていたんですが、ときどき目をあけましたがなんかボーっとしていて、ほとんど動きませんでした。
見ようによっては、大きな苦悩に阻まれた自分の人生について思慮しているのかもしれませんが、いずれにしても、絵になる猫です。
2016年1月20日水曜日
prologue @ 美しが丘西
プロローグは、横浜市青葉区の美しが丘西にあるパン屋さん。
もう何度も紹介してますから、何となくブログのネタ切れ感もあるのですが、今回は早朝の開店直後に行ったという話。
パン屋さんの朝は早いんですよね。もう、びっくりするくらい。この店は平日でも朝6時からやっています。
いつもは日曜日の朝で、早くても7時過ぎくらいにしか行かないんですが、もうお客さんは一杯で、店内はパンを探して移動するのも一苦労だったりします。
この近辺だけでなく、けっこう遠くからもお客さんが集まる評判の高いパン屋さんが近くにあるというのは、ちょっと嬉しい。
今回は平日の朝、散歩がてら歩いて行ってみました。片道15分くらいなんですが、6時半くらいに家を出ると、まだ夜明け前ですから寒くて暗い。
つく頃には夜明けで、明るくなり始めましたが、残念なことに東の空は雲が多くて朝日を見ることはできませんてせした。
さすがに、この時間だとお客さんはまばら。
ただし、パンも焼きあがっている最中で、まだ店頭に並んでいるパンの種類は多くはありませんでした。だいたい人気のあるパンはありましたので、食べたいものをいくつか買えました。
お店を出て、また家に向かって歩いているとそろそろ7時が近くなってきて、通勤・通学の人もぼちぼちいました。車の通りも増え始めて、今日が始まったなという感じ。
毎日、こうやって早朝散歩をすると健康にもいいんでしょうけど・・・寒かったです。
2016年1月19日火曜日
初雪
昨日は夜半から降り出した雪が、未明にはピークとなり、横浜北部としては予報通り初雪でした。
通勤時間帯からは雨になりましたが、通勤・通学はさぞかし大変だったろうと思います。バス停も長蛇の列でしたし、駅に入れない人がたくさんいたのが見れました。
自分は・・・というと、スノータイヤですから。このくらいの積雪は何ともありませんので、ほぼ普通にクリニックへ。
ただし、いつもより、車間は長めに、ブレーキも早めに、歩行者が近いときはできるだけスピードを落として安全運転を心がけました。
せっかくですから、夜明け前に写真を撮ってみました。
まだ、あたりは真っ暗なのでISO 12800で、感度をかなり高くしています。さらに降っている雪が写るようにフラッシュもたいています。
けっこう降っている様子がわかります。
さらにフラッシュのタイミングも調節して、雪の動きもでれば最高なんですが、さすがに初心者にはそのテクニックはありません。また、次の機会があればチャレンジしてみたいですけどね。
2016年1月18日月曜日
他人の不幸が飯の種
あらたまって言うことでもありませんが、自分は医者です。
医者というのは、誰かが健康を害した時に、何が悪いのかを考え、そしてその原因を取り除き健康を取り戻せるようにすることが仕事。
当たり前と言えば当たり前の話ですが、健康になるようにお手伝いするという前向きな考え方もあれば、逆の考え方もあるんです。
つまり、医者というのは人の不幸(病気やケガ)を飯の種にしている人種・・・こう考えると、何かすごく後ろめたい感覚になってしまうというもの。
昨日の記事にクリニックの10年間の患者数を検討してみた内容を書きましたが、数字を見ていたら、それだけ健康に問題を抱えた人がいたことに気がつきました。
クリニックの患者数が増えたりしたと、喜んでいるのはいいことではないかなと思ったりしました。経営者である前に、医者であることを忘れてはいけないということ。
もしも、人類が皆な健康ならば、本来はいらない仕事なのかもしれません。必要悪とまでは言いませんが、医者が不必要な世界だったら、とても素晴らしいことかもしれません。
現実的に考えれば、病気やケガがまったく無いというのはありえない。ですから、医者という職業の存在意義は否定されるわけではありません。
そんなことを時々考えては、自分の存在価値みたいなものを自ら正当化していることに気がつく時があるんです。
例えば、患者さんから「どうせ、先生には私の痛みはわからない」なんて言われた時とか・・・
患者さんの気持ちに立って、なんて言うのは簡単ですが、現実に他人の心情を完全に理解するなんてことはできません。
患者さんがイメージしていることが、現代医学の常識的な治療とは食い違っていることは珍しいことではありません。その時に、患者さんの希望に沿って医療を行うことが最善とは言えなかったりするわけです。
だからと言って、医学というのは日進月歩ですから、正しいと考えられていたことが実は間違いだったということも無いわけではない。常識というのは不変なものではなく、時代とともに変化することもあるわけですから、スタンダードな医療と考えられているものが正しいとは限りません。
患者さんとの溝をできるだけ浅くする努力は、医者と患者の双方に必要なことです。ただし、より医者の方が多くの努力を必要とするものかもしれません。
何を言いたいのかわからなくなってきたので、何か、ちょっとぼやきたくなっただけなんで、このくらいにしておきます。
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