2007年9月26日水曜日

The Controlled Health Part3

※ Part1 Part2 を先にお読みください

新しい医療制度も数年経過して、大きな混乱もなく定着していった。新都心にある高層ビルの一室で、新制度を提案した若い男が窓の外の夕暮れを眺めていた。

彼は、今や国民の70%が所有する救急保険ICカードのすべてを握っていた。救急だけにとどまらず、すべての検査や治療の情報も記録されている。またGPSを使ってカード所有者がどこにいるかも把握している。さらに、一般救急制度から更新してきた者は納税記録なども含まれたデータとなっており、もはや国民は彼の下では丸裸同然になっていることに気がついているものは、ごく一部の政府関係者だけであった。

「社長。新しいサプリメント会社が、新商品の販売対象者のデータについて交渉のアポイントメントを希望していますが」
「いつものようにやってくれたまえ」
「こちらの健診に関する申し込みは如何いたしますか」
「こちらの希望通りの額を出すなら、ICカードへの登録を許可したまえ。まあ、もっとも登録できない単発の健診なんて受ける奴はいないさ」
「わかりました」
「私は研究部門に行っているので、何かあったらよろしく頼む」

男は白い廊下をゆっくりとした歩調で進んでいった。一番奥の壁枠のところまで来ると、男は手をかざす。すっと、壁が上に移動して入り口が出現した。
「博士、研究の具合はどうですか」
博士と声をかけられた老人は、机のコンピュータに向かって何かを一生懸命入力していた。いかにもうるさそうに、手を休めて顔を上げる。
「ほぼ終了だ。今、最終チェックをしているところだ。もう数日で、量産するためのラインの設計も出来上がってくる」
「それは何よりです。博士の努力には頭が下がります。この埋込み型カードが完成すれば、人々はカードを持ち歩くわすらわしさから開放されます」
「そして、ますますカードの専売性が強まるということだな」
「博士、口が悪いですね。それだけ私どもの責任が大きくなるのですから」
「埋込みにすれば、人々はますますカードを意識しなくなる。それはカードに支配されていることを気がつかせないことだ。木は森に隠せということかな」
「リモート・アクセスの機能は大丈夫ですか」
「もちろんだ。埋め込むだけなら、そんなに苦労はしない。GPSと連動させて、こちらからデータを送信して読み書きをする部分が、安定性の上で一番難しかったところだが、去年開発された超小型MCPUチップはすばらしい働きだよ」

厚生労働省の会議は、いつもの有識者を集めていた。いつもの次官がいつものように司会の役回りである。
「本日は、委員の一人から救急保険カードを、新たに開発した5ミリ四方の埋込み型に変更したいという提案があり、検討していただきたいと思います」
「埋込み、ちゅうたら手術が必要とちゃうか」
「局所麻酔をして切開しますが、カードを押し込んで数日絆創膏をしておくだけで、縫ったりする必要はありません。皆さんは何も気にすることなく、健康についてのデータを蓄積していけます。そして必要なときにデータを確認でき、さらに確実な健康管理が可能になります。救急保険だけではなく、これからは健康管理全般に渡って使用することになります」
「タバコを吸うたびにビリビリする、ちゅうことはあらへんやろな」
「酒を飲みすぎとかゆうて警告されてもつまらん」
「そんなことはありません。それと、これは内密の話で、この場で聞いたことは絶対に口外しないでいただきたいのですが」
「何やねん。そないなもったいぶった言い方をせんと、はっきり言いなはれ」
「このカードの普及は公安からの強い要請です」
重い空気が一気に広がった。しばらくして、沈黙を破るのはやはり次官の役目である。
「それでは、全会一致で了承したということで答申いたします。本日は、ご苦労様でした」

この国では、皆幸福に暮らしている。ほとんどの国民が健康管理カードを手に入れたことで、救急車は、また普通に見かけるようになった。サイレンの音がすることが、かえって安心感を作り出している。

病院の医者も、しだいに増えつつあり、初めは国営で行っていた夜間救急窓口も、少しずつ民営化され始めている。すべての問題が解決され、もう誰も救急で心配することは無くなった。
健康管理に対する認識も高く、カルテは本人の体内にあるので、どこの病院に行っても今までの経過が一目瞭然である。健康の維持のためにはお金がかかるが、病気の治療にかかるお金よりは少ないのだ。

ただ一つ、政府も国民も口にしないが、見渡す限り老人しかいないようなこの国の行く末だけが一抹の不安材料であった。一部の人は、自分が考えていたよりも健康状態のデータが良すぎたり悪すぎることがある。しかし、データは正しいのだ。疑う余地は無い。そのため飲みすぎたり食べ過ぎたりして悪化することがあっても、それは自然のなりゆきだからしょうがないと考えている。最近、たいてい80才ぐらいで亡くなるようになった気がするが、誰かの意図が入る隙間なんてあるはずもない。

(終わり)

この話はフィクションです。