2007年9月14日金曜日

天才ダ・ヴィンチ part2

レオナルドが生きた時代は、医学はまだ大変稚拙な学問でした。古代ギリシャの偉人ヒポクラテスが築いた医学から、3世紀のガレヌスにより決定付けられた人体の科学。

以来、1000年以上にわたってガレヌスの誤った認識は世界を席巻し、学問としての進歩はほとんどないまま、ルネッサンス当時の学校の先生は、ただひたすら教科書を読み聞かすだけの授業を行っていたといわれています。
人体に直接触れて、人体の構造を確認するような作業は忌み嫌われ、誰も人体の本当の姿を確認することはありませんでした。

16世紀半ばに Andrea Vesalius の出現により、公式には初めてガレヌスの誤りが訂正され、近代解剖学の幕開けとされました。

しかし、Vesalius に先駆けること数十年、ダ・ヴィンチは人体解剖を行い詳細なデッサンを数多く残していたのです。もちろん、医者ではないダ・ヴィンチの興味は、芸術としての人物の描写であったでしょうし、また科学的に機械としての人体の構造であったと思います。その微細なスケッチは、今私たちが見ても十分に参考になるほどの正確さです。また構造体をデフォルメして、アートとしてとらえたものは大変芸術的価値の高いものといえます。

死者を解剖して「冒涜」したダ・ヴィンチは異端者として扱われ、死後も弟子の手に渡った解剖デッサンは行方がわからなくなり18世紀になってやっとイギリスで発見されます。しかし、この間も複写されたものが、ひそかにVesalius などを含むガレヌスの呪縛から解き放たれた医学者の間に出回って少なからず影響を与えたと考えられており、ダ・ヴィンチがいなければ、現在も医学はまじないの一部だったかもしれません。