2007年9月19日水曜日

救急たらい回しについて思うこと

今日は、まじトークです。
いつも読ませていただいているknysさんのブログで、産科たらい回し事件について書かれていたので、自分の意見をコメントしようと思いましたが、長くなるのでこちらに書きます。

まず、産科に限らず「救急車のたらい回し」という事態はあたらしいことではありません。自分が育った大学病院は、すべての救急車を受け入れていましたので、救急車を断るなんていうことはあり得ないという思いがありました。そのころ生命にかかわる「3次救急」しかみませんという大学病院は山ほどあり、特に横浜北部では病院の前で交通事故があっても患者を受け入れないことで有名な大学病院がありました。その理由は自分もわかりません。
現在、自分は小さな病院でよく当直をしていますが、救急車については転送可能な日中は、なるべく受けていますが、夜間は選択をします。その理由は、レントゲン検査や血液検査が基本的にできず(オンコールとなっていますが来るのに1時間はかかります)、患者さんの状態を把握できないという理由が一番です。これが正当な理由かどうかは、立場によって異なると思いますが、実際意識障害の患者さんを受けて、糖尿病による昏睡か脳血管障害による昏睡かあるいは精神疾患かもしれないと状況は大変なストレスを伴うものです。

産科の場合、現在問題になっているのは産科医師の数が激減したことがあげられます。今日のニュースで、更生労働大臣は消費税を上げて数を増やすための財源にしよう、と言っていましたが、やはり現場を知らないのだな、と思いました。
産科専用の医師国家試験でもやろうとでもいうのでしょうか。自分のような整形外科医でも、最低限の内科的な知識は始終使っています。全科をみることが医師としての仕事をしていく上で、必要なことは言うまでも無いことです。
じゃ、産科医だけ特別に給与を上げますか。はっきり言って、当直などで大変な思いをしているのは産科だけではありません。自分も大学のときは、一番多いときで月に15回、それも当直料無しということがありました。また、夜中の急患のために緊急手術をしても、次の日に休めるなんていうことは当然ありません。何十時間も病院から出ることも出来ずに働くことは珍しくないのです。ただ、それで自分が医者として成長していくのだから、しょうがないと思っていただけです。実際、その時の必要に迫られて勉強したことが、今の自分の大きな財産であることはまちがいありません。

産科医は訴訟を受けるリスクが多いという意見もありますが、これもどの科も今では同じ状況でしょう。メディアに取り上げられ、実際に今回のような事件が起こるために目立っていますが、すべての医療がモチベーションを低下させていることがこのような事件の大きな要因なのではないでしょうか。周囲からの状況の変化もあるし、また医師自身によるものもあります。

周囲からの問題は、一番大きいのは、現場の状況を評価せず医療費を削減することだけを考えている今日の「医療改革」だと思います。年々、診療報酬が引き下げられ、先進国で最も少ない医療費がさらに減らされています。純粋に仕事をすればするほど黒字からは遠のいていくのです。医者の給料は、およそ30年前とまったく変わっていません。昔は、高い収入と引き換えに社会的地位と責任を負っていましたが、現在は医療はサービス業であり、さらにより大きな責任と訴訟のリスクを抱えています。

医師自身の問題は、「サラリーマン化」であると考えています。これは社会全体すべての職業でもいえることではないでしょうか。誰でも、めんどうな仕事はしたくない、よけいなリスクは背負い込みたくない。医者にもこのような風潮が押し寄せています。
その顕著な表れが、数年前の新研修医制度です。労働基準法にのっとった労働時間、給与、義務の減少にもかかわらず権利の保証。医者という仕事が基本的には個人の能力に負うところが多く、いつ始まるかわからない病気を相手にしている以上、労働基準法が最も似合わない仕事でしょう。もちろん自分の非人間的な研修医時代が良かったとは言いませんが、その点についてのバランスを考えないと、将来自分の健康を託せる医師は育たないと思います。

結局たらい回しは、ハードウェアとしての病院の能力、オペーレーディング・システムとしての医者のモチベーション、アプリケーション・ソフトウェアとしての救急時の連携方法の構築のいずれもが完成しなければなくなる事はありません。そして、それらを使うユーザーの意識も重要になってきます。タクシーがわりに救急車を使用することは、しばしば問題になっています。救急ということがどのような状態なのか、医者も含めて認識を高めていくことが必要なのではないでしょうか。