今、何かと話題になっている・・・あまり名誉な話ではなさそうですが・・・東京女子医科大学の近くに、ちょい前に新しいスーパーができました。
もともとゴルフ練習場だったところなんですが、都内のマーケットとしては比較的安いんじゃないでしょうか。売り場も広いし、悪くないと思います。
前から気になっていたのが、トマト・バイキングというコーナー。まぁ、びっくりするくらい、色とりどりのミニトマトが並んでいて楽しそうです。
というわけで、買ってみました。何しろ種類がありすぎて、いちいち名前は覚えていられませんが、8種類くらいはあるんじゃないでしょうか。
見た目にも美しいのですが、大事なのは味のほう。これも悪くはないです。どれも口の中に甘味が残る。お皿に乗せて、どーんっとテーブルに出しておくだけで、立派な一品になりました。
・・・それにしても、早朝からスペイン対オランダ、前半は1:1の同点で折り返しましたが、後半のオランダの怒涛の攻撃はすごかった。無敵艦隊スペイン沈没して、終わってみれば5:1の大差。どうなる、スペイン!!
2014年6月13日金曜日
FIFA World Cup 2014
まだ、いろいろな設備が未完成とか、治安が悪いとか、そもそも開催に反対の国民が多くて暴動が起きそうとか、いろんな不安を煽るようなことが言われています。
でも、少なくとも始まってしまえば、サッカー大好きなラテンの国民性ですから、とにかく盛り上がるだろうと思いますよ。
ただ、日本としては困ったのが、ブラジルの場所。何しろ地球の反対側。こっちの朝はあっちの夜、あっちの朝はこっちの夜。
試合が行われるのは、基本的には日本の夜中の時間帯が多くなる。日本のグループリーグの日程は、日本時間で15日(日)午前10時から対コートジボワール、20日(金)午前7時から対ギリシャ、そして25日(水)午前5時から対コロンビアということになっています。
これでも、相当日本のスポンサーの力が働いている時間組みなんでしょぅね。こっちで午前10時、つまり現地で午後10時キッフオフなんてのは、この1試合だけです。ほとんどは現地時間で午後1時から午後7時までのスタートです。
開幕戦は開催国ブラジルとクロアチアの戦い。やっぱりネイマールは強い、ブラジルの攻撃力は凄かった。とにかく、眠くてしょうがない1ヶ月間の始まりです。
2014年6月12日木曜日
石榴
石榴は、どうも推理小説ばかり読んでいると、あまりいいイメージがない。
なんか、スプラッタなイメージがつきまとう「石榴をわったような」という表現がすぐに思い出されます。確かに、身が割れてぶつぶつした実が見えているところは、まさにそんな感じ。
こどもの時に、すぐ近所に石榴の木があって、しばしば道に実が落ちて、ぱっくり割れた光景をよく目にしていました。基本的な石榴のイメージは、その時に刷り込まれたんでしょうね。
今も近所に石榴の木が植えてあって、まぁ道に実が落ちたりはしないので安心。花は濃い目の鮮やかな橙色で、しっかりとした感じがする、けっこう存在感があります。
花だけ見ている分にはいいんですけどね・・・
なんか、スプラッタなイメージがつきまとう「石榴をわったような」という表現がすぐに思い出されます。確かに、身が割れてぶつぶつした実が見えているところは、まさにそんな感じ。
こどもの時に、すぐ近所に石榴の木があって、しばしば道に実が落ちて、ぱっくり割れた光景をよく目にしていました。基本的な石榴のイメージは、その時に刷り込まれたんでしょうね。
今も近所に石榴の木が植えてあって、まぁ道に実が落ちたりはしないので安心。花は濃い目の鮮やかな橙色で、しっかりとした感じがする、けっこう存在感があります。
花だけ見ている分にはいいんですけどね・・・
2014年6月11日水曜日
バッハの音楽隊
実際のところ、300年近く前にライプチィヒの聖トーマス教会のカントルの職にあったヨハン・セバスチャン・バッハの手兵といえる、合唱隊と楽団はどんなものだったのか。実に興味深いですよね。タイムマシンがあったら、是非バッハが指揮をしてカンタータを演奏しているところを見てみたいものです。
1730年にバッハ自身が、自分の理想とする音楽を教会で奏でるための要望書をライプチィヒ市に提出しています。この中に、具体的な音楽隊の内容が記されているのが参考になります。
声楽パートは、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。それぞれに独唱者と合唱者が必要で、独唱者は合唱者も兼ねるとしています。最低それぞれの声部の一人ずつの4人の独唱者でいいわけですが、時には最大で二人ずつ必要になることがあると書いています。
合唱者は各声部に二人ずつが必要で、独唱者と合わせると合唱隊は最低で12名、最大で16名になるわけです。このメンバーは、聖トーマス教会付属の学校の寄宿舎の生徒たちにより構成されました。約60人いる生徒をレギュラーチームAとB、そしてやや予備的なCチーム、あまり使い物にならないDチームの4つにグループ分けしていました。
リフキンという人が90年代に''One Voice Per Part(OVPP)''という考え方を提唱し、これは各声部一人ずつというもので、バッハの時代はこうだったと主張しました。アンドリュー・パロットなども賛同して、それを実践し、時には楽器奏者すらそれぞれの楽器について一人というものまで登場しました。
基本的にバッハの実際の合唱隊は、12~16人であったことがわかっているわけですから、OVPPの根拠というのがはっきりしないわけで、あまりこれを支持する古楽器アンサンブルは多くはありません。ただし、ものによっては人数が少ないことで、風通しの良い清涼感のある演奏になり、それはそれでよしとするみたいなところてしょうか。
楽団は、オルガンについては教会の常任奏者があたり、市の任命するプロ楽師は10名に満たない状況でした。バッハは、理想としては各楽器に2名程度で最低でも20人程度の楽団が必要としています。実際には不足していて、重要な祝日などでは、寄宿舎の生徒の一部が楽器の演奏にも回っていたようです。
ですから、バッハは音楽的素養のある生徒の数が足りないことを訴え、学校が音楽的感性の不足する学生を受け入れすぎているとまで言わせています。おそらく、寄宿舎の生徒よりも数の多い通学組の生徒たちの中からも、ある程度の人数は使っていた可能性はあります。
現実的にはプロの楽器奏者は10人足らずで、もちろん曲によっては他の楽器も演奏したことでしょう。楽器奏者が足りないからといって、有能な合唱メンバーをいつでも回すわけにも行かないというジレンマがカントルにはありました。
そこで、市中から楽器演奏ができる何人かを、必要なときには身銭を切って臨時に雇うということもあったはずです。それで最低でも15人程度の楽団は使えるようにしていたのでしょうから、合唱隊と楽団を合わせて30人程度がステージの上で毎週カンタータを演奏していたと考えるのが妥当のようです。

現代のトーマスカントルの職にあるのはクリストフ・ビラーで、彼は現代のトーマス学校の合唱隊を用いたカンタータの演奏を行い、CDも主要なイベント用のものを集めて10枚ほどだしています。ここでの演奏は、実際にバッハが演奏していた音に近いもの、特に合唱について聴くことができます。
何しろ、合唱隊は全員男性。ソプラノはボーイソプラノ、アルトもカンウターテナーにより歌われるというのは、まさに300年前と同じ状況。当然、女性のプロの歌い手に比べて、どうしても非力になるのはしょうがない。しかし、透き通るような、癖の無いボーイソプラノの響きや、合唱の軽やかさは、なかなか新鮮なものです。
アーノンクール&レオンハルトの全集では、アーノンクールが少年合唱団を起用しているそうですが、バッハの本家、聖トーマス教会の合唱団のアルバムは、それだけで格別の思いがあります。
毎週、日曜日の朝に教会に集う善男善女、老若男女、紳士淑女が、じっと聞き耳をたてて、そしてコラールが出てくると一緒に歌うものもいるという光景が、眼前に広がってくる気がします。
1730年にバッハ自身が、自分の理想とする音楽を教会で奏でるための要望書をライプチィヒ市に提出しています。この中に、具体的な音楽隊の内容が記されているのが参考になります。
声楽パートは、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。それぞれに独唱者と合唱者が必要で、独唱者は合唱者も兼ねるとしています。最低それぞれの声部の一人ずつの4人の独唱者でいいわけですが、時には最大で二人ずつ必要になることがあると書いています。
合唱者は各声部に二人ずつが必要で、独唱者と合わせると合唱隊は最低で12名、最大で16名になるわけです。このメンバーは、聖トーマス教会付属の学校の寄宿舎の生徒たちにより構成されました。約60人いる生徒をレギュラーチームAとB、そしてやや予備的なCチーム、あまり使い物にならないDチームの4つにグループ分けしていました。
リフキンという人が90年代に''One Voice Per Part(OVPP)''という考え方を提唱し、これは各声部一人ずつというもので、バッハの時代はこうだったと主張しました。アンドリュー・パロットなども賛同して、それを実践し、時には楽器奏者すらそれぞれの楽器について一人というものまで登場しました。
基本的にバッハの実際の合唱隊は、12~16人であったことがわかっているわけですから、OVPPの根拠というのがはっきりしないわけで、あまりこれを支持する古楽器アンサンブルは多くはありません。ただし、ものによっては人数が少ないことで、風通しの良い清涼感のある演奏になり、それはそれでよしとするみたいなところてしょうか。
楽団は、オルガンについては教会の常任奏者があたり、市の任命するプロ楽師は10名に満たない状況でした。バッハは、理想としては各楽器に2名程度で最低でも20人程度の楽団が必要としています。実際には不足していて、重要な祝日などでは、寄宿舎の生徒の一部が楽器の演奏にも回っていたようです。
ですから、バッハは音楽的素養のある生徒の数が足りないことを訴え、学校が音楽的感性の不足する学生を受け入れすぎているとまで言わせています。おそらく、寄宿舎の生徒よりも数の多い通学組の生徒たちの中からも、ある程度の人数は使っていた可能性はあります。
現実的にはプロの楽器奏者は10人足らずで、もちろん曲によっては他の楽器も演奏したことでしょう。楽器奏者が足りないからといって、有能な合唱メンバーをいつでも回すわけにも行かないというジレンマがカントルにはありました。
そこで、市中から楽器演奏ができる何人かを、必要なときには身銭を切って臨時に雇うということもあったはずです。それで最低でも15人程度の楽団は使えるようにしていたのでしょうから、合唱隊と楽団を合わせて30人程度がステージの上で毎週カンタータを演奏していたと考えるのが妥当のようです。
何しろ、合唱隊は全員男性。ソプラノはボーイソプラノ、アルトもカンウターテナーにより歌われるというのは、まさに300年前と同じ状況。当然、女性のプロの歌い手に比べて、どうしても非力になるのはしょうがない。しかし、透き通るような、癖の無いボーイソプラノの響きや、合唱の軽やかさは、なかなか新鮮なものです。
アーノンクール&レオンハルトの全集では、アーノンクールが少年合唱団を起用しているそうですが、バッハの本家、聖トーマス教会の合唱団のアルバムは、それだけで格別の思いがあります。
毎週、日曜日の朝に教会に集う善男善女、老若男女、紳士淑女が、じっと聞き耳をたてて、そしてコラールが出てくると一緒に歌うものもいるという光景が、眼前に広がってくる気がします。
2014年6月10日火曜日
聖霊降臨節第三日
祝日も最終日のWhit Tuesdayとなりました。ただし、聖霊降臨節として次の日曜日までは、丸々お祭りが続くようです。

バッハが用意したこの日のためのカンタータは2曲。年巻の1724年と1725年の分として作られました。
BWV 184 待ちこがれし喜びの光
BWV 175 彼は己の羊の名を呼びて
BWV184は、珍しくアリアや二重唱が中心で、合唱は最後の方だけ。フルートの伴奏でデュエットがあったり、いつもと違った味わいがあります。元々はケーテン時代の失われた世俗カンタータからの流用らしい。
BWV175も、合唱は最後にしかない。前半はリコーダー中心の素朴な伴奏で、羊(自分)と羊飼い(キリスト)の関係を切々と歌い上げます。
バッハのカンタータの特徴は・・・って、なかなか素人には難しいのですが、基本は歌唱を始まりから終わりまでを対称に配置したところらしい。つまり合唱→アリア(ソロ)→合唱→アリア(ソロ)→合唱みたいな構成。
基本的にはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。歌詞が「私」のときはソロ、「我々」の場合は合唱。そしてコラールがたいてい含まれる。コラールはプロテスタントが皆で歌うことを目的にした賛美歌で、マルティン・ルター自身も積極的に曲を作っています。
バッハは過去の作品のパロディと皆が知っているコラールを、新たに作るカンタータの中に自由自在に配置して、礼拝に参加した人々も音楽に参加しやすくすることを第一に考えていたんでしょうね。
キリスト教、特にプロテスタントに詳しい人だったら、このコラールの取り込み方を研究するという、さらに高度なカンタータの楽しみ方があるわけです。自分のようななんちゃって仏教徒には、到底高嶺の花ですけどね。
いずれにしても、あくまでどういう内容を歌うかが問題になるカンタータでは、その歌詞が重要ということで、適切な歌詞が手に入らないことには、大バッハといえどそうそう曲作りにかかることはできません。
ライプツィヒより前は、カンタータ作曲のペースはゆっくりですから、あまり心配はなかったのですが、ライプツィヒで毎週作ろうと思い立つと、歌詞の入手にはかなりの困難がつきまとったというのは容易に想像できるところです。
最初の2年間くらいは、少なくとも、聖トーマス教会関係者、ライプツィヒ市関係者、ライプツィヒ在住詩人などが、聖書の内容に準拠しながら、作詞をしたであろうと考えられています。
さらに2年目からは、コラールが意識的に取り込まれる作品が集中してきますが、この間は一連の作品を続けて作詞した人物の存在が想像されています。そして1975年の2年目の年巻の最後、復活祭後から聖霊降臨祭までには続けて女流詩人ツィーグラーが登場します。
ツィーグラーは9つのカンタータで作詞をしていて、 BWV175も彼女の作詞によるもの。しかし、歌うために詩の一部を変更するバッハとの間で、いろいろ問題があった可能性が指摘されています。以後、バッハはピカンダーという詩人を多用します。
マタイ受難曲のような大曲でもピカンダーが登場し、バッハの詩人として後世に名を残すことになるわけですが、本名はC.F.ヘンリーツィで、基本的に他人の着想をうまく利用する「模倣の名人」という軽蔑的な評価を受けてきました。
その後も多くのカンタータのための詩を作っていて、バッハが実際に曲をつけたのかもしれないのですが、現存するものの中にはほとんど残っていません。
宗教曲は、基本は説教をメロディにのせるところから始まったわけですから、優れた歌詞を手に入れるということは作曲家にとっては、ある意味最も重要なところ。カンタータを書き続けるバッハにとって、詩の入手は最大の悩みだったのかもしれません。
BWV 184 待ちこがれし喜びの光
BWV 175 彼は己の羊の名を呼びて
BWV184は、珍しくアリアや二重唱が中心で、合唱は最後の方だけ。フルートの伴奏でデュエットがあったり、いつもと違った味わいがあります。元々はケーテン時代の失われた世俗カンタータからの流用らしい。
BWV175も、合唱は最後にしかない。前半はリコーダー中心の素朴な伴奏で、羊(自分)と羊飼い(キリスト)の関係を切々と歌い上げます。
バッハのカンタータの特徴は・・・って、なかなか素人には難しいのですが、基本は歌唱を始まりから終わりまでを対称に配置したところらしい。つまり合唱→アリア(ソロ)→合唱→アリア(ソロ)→合唱みたいな構成。
基本的にはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声。歌詞が「私」のときはソロ、「我々」の場合は合唱。そしてコラールがたいてい含まれる。コラールはプロテスタントが皆で歌うことを目的にした賛美歌で、マルティン・ルター自身も積極的に曲を作っています。
バッハは過去の作品のパロディと皆が知っているコラールを、新たに作るカンタータの中に自由自在に配置して、礼拝に参加した人々も音楽に参加しやすくすることを第一に考えていたんでしょうね。
キリスト教、特にプロテスタントに詳しい人だったら、このコラールの取り込み方を研究するという、さらに高度なカンタータの楽しみ方があるわけです。自分のようななんちゃって仏教徒には、到底高嶺の花ですけどね。
いずれにしても、あくまでどういう内容を歌うかが問題になるカンタータでは、その歌詞が重要ということで、適切な歌詞が手に入らないことには、大バッハといえどそうそう曲作りにかかることはできません。
ライプツィヒより前は、カンタータ作曲のペースはゆっくりですから、あまり心配はなかったのですが、ライプツィヒで毎週作ろうと思い立つと、歌詞の入手にはかなりの困難がつきまとったというのは容易に想像できるところです。
最初の2年間くらいは、少なくとも、聖トーマス教会関係者、ライプツィヒ市関係者、ライプツィヒ在住詩人などが、聖書の内容に準拠しながら、作詞をしたであろうと考えられています。
さらに2年目からは、コラールが意識的に取り込まれる作品が集中してきますが、この間は一連の作品を続けて作詞した人物の存在が想像されています。そして1975年の2年目の年巻の最後、復活祭後から聖霊降臨祭までには続けて女流詩人ツィーグラーが登場します。
ツィーグラーは9つのカンタータで作詞をしていて、 BWV175も彼女の作詞によるもの。しかし、歌うために詩の一部を変更するバッハとの間で、いろいろ問題があった可能性が指摘されています。以後、バッハはピカンダーという詩人を多用します。
マタイ受難曲のような大曲でもピカンダーが登場し、バッハの詩人として後世に名を残すことになるわけですが、本名はC.F.ヘンリーツィで、基本的に他人の着想をうまく利用する「模倣の名人」という軽蔑的な評価を受けてきました。
その後も多くのカンタータのための詩を作っていて、バッハが実際に曲をつけたのかもしれないのですが、現存するものの中にはほとんど残っていません。
宗教曲は、基本は説教をメロディにのせるところから始まったわけですから、優れた歌詞を手に入れるということは作曲家にとっては、ある意味最も重要なところ。カンタータを書き続けるバッハにとって、詩の入手は最大の悩みだったのかもしれません。
2014年6月9日月曜日
聖霊降臨節第二日
聖霊降臨祭はペンテコステ(pentecost)、昨日の聖霊降臨節第一日はキリスト復活から50日目で、使徒らに聖霊が降臨したことを祝い、キリスト復活の「奇跡の逸話」の集大成をするという意味があります。
第一日は日曜日で、Whit Sunday。今日はWhit Monday、そして明日はWhit Tuesdayという言い方もあります。Whitはwhite(白)のことで、ペンテコステに洗礼を受けることが好まれ、受ける者が白衣をきていたことからきているようです。
それにしても、キリスト教の1年間の中では、最も大事なのはクリスマスなんでしょうけど、四旬節の謹慎が明けて、受難週から聖霊降臨祭に至る約2ヶ月のめまぐるしいイベント数々はすごいものがあります。
たまたま、この時期に突入する前に、軽い気持ちで教会暦に沿ってカンタータを聴いてみようと思い立ちました。1ヶ月くらいの知識の整理の準備期間があったので、なんとかついて行っていますが、スタートがあとちょっと遅かったら、わけがわからなくなるのは必至。
聖霊降臨祭が終わると、クリスマスまでは大きなイベントはほとんどない、波風の立たない半年間があります。ここから始めると、だいぶ余裕があったんですよね。
実は、バッハ自身がライプツィヒに着任して、聖トーマス教会のトーマスカントル(音楽面の責任者)に就任したのが5月のこと。カンタータを毎週作曲することが始まるのが、聖霊降臨祭の後からなんです。
つまり、カンタータ年巻の第一年は、1723年の三位一体後第一主日からスタートするんです。もしもバッハの着任が2ヶ月早かったら、目まぐるしくてとても新曲を用意する暇なんてないでしょう。このような形で、数々の名曲が残されることはなかったかもしれません。
聖霊降臨祭の3日間にそれぞれ3前後、全部で12曲あるので、カンタータだけ聴くにしてもかなり気合がいります。聖霊降臨節第二日のために、バッハが用意したカンタータは3曲あります。
BWV 173 高く挙げられし血肉よ
BWV 68 げに神はかくまで世を愛して
BWV 174 われ いと高き者を心を尽して愛しまつる

第一日は華やかな曲調のものが多かったのですが、第二日は比較的落ち着いた感じ。明日もあるので、今日はちょっと気持ちを抑えておこうかというところでしょうか。
ただし、BWV174だけは、ちよっと趣が違う。冒頭器楽合奏のシンフォニアから始まりますが、おっと聴いたことがメロディがいきなり出てきました。ブランデンブルグ協奏曲第3番です。第一楽章が原曲で、元々はストリングスだけの演奏のところを金管を加えてパワーアップ。これはなかなか面白い。
なるほど、こういういわゆるパロディと呼ばれる、曲の行ったり来たりが、カンタータの魅力の一つであることがよくわかります。
第一日は日曜日で、Whit Sunday。今日はWhit Monday、そして明日はWhit Tuesdayという言い方もあります。Whitはwhite(白)のことで、ペンテコステに洗礼を受けることが好まれ、受ける者が白衣をきていたことからきているようです。
それにしても、キリスト教の1年間の中では、最も大事なのはクリスマスなんでしょうけど、四旬節の謹慎が明けて、受難週から聖霊降臨祭に至る約2ヶ月のめまぐるしいイベント数々はすごいものがあります。
たまたま、この時期に突入する前に、軽い気持ちで教会暦に沿ってカンタータを聴いてみようと思い立ちました。1ヶ月くらいの知識の整理の準備期間があったので、なんとかついて行っていますが、スタートがあとちょっと遅かったら、わけがわからなくなるのは必至。
聖霊降臨祭が終わると、クリスマスまでは大きなイベントはほとんどない、波風の立たない半年間があります。ここから始めると、だいぶ余裕があったんですよね。
実は、バッハ自身がライプツィヒに着任して、聖トーマス教会のトーマスカントル(音楽面の責任者)に就任したのが5月のこと。カンタータを毎週作曲することが始まるのが、聖霊降臨祭の後からなんです。
つまり、カンタータ年巻の第一年は、1723年の三位一体後第一主日からスタートするんです。もしもバッハの着任が2ヶ月早かったら、目まぐるしくてとても新曲を用意する暇なんてないでしょう。このような形で、数々の名曲が残されることはなかったかもしれません。
聖霊降臨祭の3日間にそれぞれ3前後、全部で12曲あるので、カンタータだけ聴くにしてもかなり気合がいります。聖霊降臨節第二日のために、バッハが用意したカンタータは3曲あります。
BWV 173 高く挙げられし血肉よ
BWV 68 げに神はかくまで世を愛して
BWV 174 われ いと高き者を心を尽して愛しまつる
ただし、BWV174だけは、ちよっと趣が違う。冒頭器楽合奏のシンフォニアから始まりますが、おっと聴いたことがメロディがいきなり出てきました。ブランデンブルグ協奏曲第3番です。第一楽章が原曲で、元々はストリングスだけの演奏のところを金管を加えてパワーアップ。これはなかなか面白い。
なるほど、こういういわゆるパロディと呼ばれる、曲の行ったり来たりが、カンタータの魅力の一つであることがよくわかります。
2014年6月8日日曜日
聖霊降臨節第一日
時は1725年頃のドイツ南部、ライプツィヒの聖トーマス教会で、5月の日曜日の朝。教会の音楽関係をとりしきるトーマスカントルの職にあったJ.S.バッハは、朝から大忙し。
何しろ、今日は聖霊降臨祭の最初の祝日の日曜日で、教会のイベントとしてはクリスマス、イースターに次ぐ大きな記念日。昇天祭が終わるや、もう大慌てで今日のためのカンタータを作曲しまた。
昔にも、ワイマールで働いていたときに一つ作ったのが、「歌よ、響け(BWV172)」でしたが、まだまだ未熟でしたが、かなり派手目に元気一杯。
この曲は、今年の復活祭でオラトリオとして復活させちゃいました。けっこうバッハのお気に入り。なかなか捨てがたいところ。
実は、20年後にも久々の新曲として、この日のために「おお永遠の火、おお愛の源よ(BWV34)」を作ることになるのでした。
とにかく、家族総出で出来上がった新曲を写譜して演奏者に渡して、何度かリハーサルを行い・・・
昨日、何とか形になったところで今日の本番を迎えたわけです。まぁ、毎週のことですから、さすがにバッハも慣れたもので、むしろ日々の充実した忙しさが生活の糧になっている。
早朝から、それぞれの奏者が楽器を持って集まってきました。教会のいつものステージに上がって、それぞれが音を出して調律をしている。彼らは、ライブツィヒ市から任命された「プロ」ですから、毎週の新しい譜面を見ても慌てることはない。
ただし、今日はいつもよりも大きな礼拝が行われますから、集まった人々の数も多くて、音量的に10人程度では負けてしまいそうです。そこで、こういうときのために、ボランティアのセミプロの奏者が数人補強されて加わっているのです。
慣れていない彼らに的確な演奏をしてもらうのは、けっこう大変な心労で、バッハも朝から彼らの音を入念にチェックしないといけない。譜面の手書きのスラーの位置が微妙に違っていたりして、演奏するほうもどんだけ音を伸ばすのか聞いてくる。
妻のアンナ・マクダレーナの「ご飯ですよ」の声も耳に入らないくらい、教会と音楽学校宿舎と自宅の間をバッハは行ったり来たり。そろそろ、皆が集まってくる頃なので、最後まで気が抜けないわけです。
歌い手は、聖トーマス教会音楽学校の生徒たち。使える学生から、A軍、B軍、マイナーという具合に分けてある。ライプツィヒには聖トーマス教会だけでなく、もう一つ聖ニコライ教会という大きな教会があって、バッハはこの2つの教会で交互にカンタータを演奏しないといけない。
時には、同日に両方で演奏なんてこともあったので、生徒たちも慣れたものですが、それでも大きなイベントの時には緊張はいつもより大きい。夜明け前に起床して、声をおちつかせておかないといけないので、特に1軍の面々は大変です。
ソプラノ、アルト、テノール、バスという声域によって4つのグループに分けられていますが、教会の壇上に上ると、それぞれのパートで3~4人くらいが並べば一杯。大きなイベントではA軍とB軍総出になって、もう満員電車、いや満員馬車状態。
早朝からのリハーサルでしたが、さすがにこの時期寒さはだいぶ遠のいたので、皆の発声も悪くは無い。楽団の方も、あらかたバッハの流儀を飲み込めているので、特に心配はなさそうです。
後は本番を残すのみ。教会の門が開くまで、ちょっと時間があるので、好物のコーヒーを飲んで心を鎮めるトーマスカントルのヨハン・セバスチャン・バッハでありました。
2014年6月7日土曜日
大雨
いや、もう、昨日は大変な雨で、来院する方もずぶ濡れの方が多くて、本当にご苦労様でした。今日も、なかなか止みそうにありません。
豪雨というほどではないにしても、これだけしっかりと雨が降る状態が、長時間続くと言うのも珍しい。山沿いのあたりでは、土砂災害の危険が高まりそうで心配です。
先週からの梅雨入り前とは思えない猛暑からすれば、気温は下がったものの、湿度は急上昇で、じめじめして体力的には消耗を感じるので、すごしにくいのは変わりません。

黒澤明監督の代表作「羅生門」のオープニングで、豪雨の中のシーンから始まりますが、まさにそんな雨。黒澤監督は雨がフィルムに映りやすくするため、墨汁を混ぜたと言うのは有名な話。
テレビのドラマの中の雨というのも、やたらと大袈裟ですが、ホースで放水するとなかなか小雨にはならないので、映画やドラマの中では基本的には天気はいつも大雨。

こういう雨を「土砂降り」と言うんでしょう。土砂降りというと・・・・の雨の中で、私は泣いた、と歌ったのは和田アキ子。この歌、昔ながらの昭和歌謡曲の代表の一つですが、歌詞は失恋した女性の心情を歌っています。
別れを告げられ、土砂降りの雨の中で悲しみにくれて泣いている。続いて、その現実に受け入れられない否定する気持ちと、なんでなの、という怒りの気持ちから、女性が叫ぶ。そして最後に気持ちの整理がついて、前を向いて歩き出す。
なんてわかりやすい歌詞。ですが、端的に失恋を要約していて、よく出来ている。作詞したのは、大日方俊子という人。キンクストーズの代表作「グッド・ナイト・ベイビー」や、野口五郎の一連の作詞もしている人。
こういうストレートでわかりやすい歌というのは、最近は少ないですよね。あっ、また、昭和を懐かしむおじさん臭を振りまいてしまいましたかね。
豪雨というほどではないにしても、これだけしっかりと雨が降る状態が、長時間続くと言うのも珍しい。山沿いのあたりでは、土砂災害の危険が高まりそうで心配です。
先週からの梅雨入り前とは思えない猛暑からすれば、気温は下がったものの、湿度は急上昇で、じめじめして体力的には消耗を感じるので、すごしにくいのは変わりません。
テレビのドラマの中の雨というのも、やたらと大袈裟ですが、ホースで放水するとなかなか小雨にはならないので、映画やドラマの中では基本的には天気はいつも大雨。
別れを告げられ、土砂降りの雨の中で悲しみにくれて泣いている。続いて、その現実に受け入れられない否定する気持ちと、なんでなの、という怒りの気持ちから、女性が叫ぶ。そして最後に気持ちの整理がついて、前を向いて歩き出す。
なんてわかりやすい歌詞。ですが、端的に失恋を要約していて、よく出来ている。作詞したのは、大日方俊子という人。キンクストーズの代表作「グッド・ナイト・ベイビー」や、野口五郎の一連の作詞もしている人。
こういうストレートでわかりやすい歌というのは、最近は少ないですよね。あっ、また、昭和を懐かしむおじさん臭を振りまいてしまいましたかね。
2014年6月6日金曜日
お濃茶ラングドシャ
なんか、抹茶系のお菓子とかスイーツとか、ブームなんですか。やたらと、緑色のパッケージがお店に並んでいるような気がしてならないんですけど。
ずいぶん前に、たまたま戴いたお菓子なんですが、京都北山のマールブランシュというお店が出している「茶の菓」というのが、大変美味しかったんです。
またその重箱のような箱に段重ねで包装するパッケージングも素晴らしい。これはなかなか贈答にもってこい、ということで、中元・歳暮に何かと使わせていただいていました。
ところが、お店は関西、中国、北陸にしかない。たまに、デパートの「お取り寄せフェア」みたいな催事があると、入っていることがあるのですが、 こっちではレアなので売り切れ必至。
濃厚なお茶の味でホワイトチョコを挟み込んだ、ラングドシャと呼ばれるお菓子なんですが、あげて嬉しい、貰って嬉しい一品です。
ずいぶん前に、たまたま戴いたお菓子なんですが、京都北山のマールブランシュというお店が出している「茶の菓」というのが、大変美味しかったんです。
またその重箱のような箱に段重ねで包装するパッケージングも素晴らしい。これはなかなか贈答にもってこい、ということで、中元・歳暮に何かと使わせていただいていました。
ところが、お店は関西、中国、北陸にしかない。たまに、デパートの「お取り寄せフェア」みたいな催事があると、入っていることがあるのですが、 こっちではレアなので売り切れ必至。
濃厚なお茶の味でホワイトチョコを挟み込んだ、ラングドシャと呼ばれるお菓子なんですが、あげて嬉しい、貰って嬉しい一品です。
2014年6月5日木曜日
第11回田園都市リウマチフォーラム
というタイトルなんですが、いきなり違う話で恐縮ですけど、「STAP細胞はない」ということで結論が出ましたね。なんとも残念なことです。残念なのは、STAP細胞が無い事ではなく、こういた問題が起こったことであり、他の研究にもいろいろな影響がでるかもしれないということ。
さて、昨日はいつものリウマチの勉強会。自分たちのホームグラウンドの田園都市リウマチフォーラムでした。昨夜の勉強は「iPS細胞を用いた再生医療」について。
講演をしていだいたのは、肝臓のもとになる臓器再生の成果を出した谷口秀樹教授でした。再生医療は今後のリウマチ診療に必ず関わってくる技術として、われわれリウマチ医も大きな期待を寄せています。
世話人の中で是非話をきいてみたいとお願いしたものの、正直言って、内容のハードルが高く戦々恐々としていました・・・が、谷口先生の話は、大変分かりやすく、何となくわかったような気にさせてくれました。
生物は細胞分裂の過程で、いろいろな組織に分化して体を形成していくわけですが、そのスタート地点にある大元の細胞が幹細胞(Stem Cell)と呼ばれます。細胞自身が正確に自分を複製する力をもち、かつさまざまな分化により多機能性も持つという特徴があります。
iPS細胞は、人工的に誘導された分化多機能性と自己複製能力をあわせもつ幹細胞(Induced pulripotent stem cell)のこと。京都大学の山中教授が、すでに分化した体細胞の中から、遺伝子操作技術を用いて人工的に誘導して作成したもの。
もちろん、世界のいろいろな研究者による再現性もあり、日本では10年以上まえから、臨床応用に向けての国家プロジェクトとして基礎研究がスタートしています。谷口先生からも、この分野については日本が世界の中で何歩もリードしているという話がありました。
関節リウマチの根本的な解決は、おそらく遺伝子そのものの治療が必要でしょうが、出てきた病気による事象としては、滑膜炎による関節の変化が重要。骨は今でも骨移植などの技術があり、比較的再建しやすい。
ところが、軟骨の再生はほぼお手上げ状態。整形外科分野の基礎研究は、ほぼ軟骨と神経の再生に尽きるといえるくらい、数々の研究が行われてきましたが、何十年とたっていますが今だに不可能です。口から健康食品を摂取したくらいで、何とかなるはずもない。
谷口先生の研究では、iPS細胞を用いて軟骨の元となる細胞を作り、それを体内で育てて器管として使えるようにするというもの。もちろん動物実験の段階ですが、ある程度の成果を出していて、いろいろな軟骨の傷んだ状態への臨床応用の可能性が出てきています。
自分たちのような臨床家からすると、最も多い軟骨の問題は加齢による軟骨の磨耗・消失です。年を取って、膝の痛みや背骨の痛みに悩むのはほぼすべての人間に起こってくる問題。
これは、人間が二足歩行になった代償みたいなもので、人類史上必然と言えるかもしれません。膝の関節内の軟骨と背骨の間の椎間板軟骨が再生できれば、多くの人の老後がずいぶんと楽になる。
リウマチ患者さんでは、滑膜炎により、関節内の軟骨が消失し、骨も虫食いのようになっていきます。欠損した骨は骨移植して、表面の軟骨はiPS細胞を用いた技術で再生できれば、薬の治療で抑えられなかった部分について、機能的な障害を防ぐ有力な治療法になるかもしれません。
現実に治療法が確立され、普通に使われるようになるまでには、まだまだ10年くらいはかかるかもしれませんが、少なくとも実現不可能な夢ではなく、努力しだいで可能になる課題であることがわかりました。
そのためには、次の世代の研究者の方々にも大きな期待をしたいところ。功をあせらず、地道にしっかりとした研究を積み上げて行ってもらいたいものです。そうすれば、もしかしたら自分には間に合うかも・・・?
さて、昨日はいつものリウマチの勉強会。自分たちのホームグラウンドの田園都市リウマチフォーラムでした。昨夜の勉強は「iPS細胞を用いた再生医療」について。
講演をしていだいたのは、肝臓のもとになる臓器再生の成果を出した谷口秀樹教授でした。再生医療は今後のリウマチ診療に必ず関わってくる技術として、われわれリウマチ医も大きな期待を寄せています。
世話人の中で是非話をきいてみたいとお願いしたものの、正直言って、内容のハードルが高く戦々恐々としていました・・・が、谷口先生の話は、大変分かりやすく、何となくわかったような気にさせてくれました。
生物は細胞分裂の過程で、いろいろな組織に分化して体を形成していくわけですが、そのスタート地点にある大元の細胞が幹細胞(Stem Cell)と呼ばれます。細胞自身が正確に自分を複製する力をもち、かつさまざまな分化により多機能性も持つという特徴があります。
iPS細胞は、人工的に誘導された分化多機能性と自己複製能力をあわせもつ幹細胞(Induced pulripotent stem cell)のこと。京都大学の山中教授が、すでに分化した体細胞の中から、遺伝子操作技術を用いて人工的に誘導して作成したもの。
もちろん、世界のいろいろな研究者による再現性もあり、日本では10年以上まえから、臨床応用に向けての国家プロジェクトとして基礎研究がスタートしています。谷口先生からも、この分野については日本が世界の中で何歩もリードしているという話がありました。
関節リウマチの根本的な解決は、おそらく遺伝子そのものの治療が必要でしょうが、出てきた病気による事象としては、滑膜炎による関節の変化が重要。骨は今でも骨移植などの技術があり、比較的再建しやすい。
ところが、軟骨の再生はほぼお手上げ状態。整形外科分野の基礎研究は、ほぼ軟骨と神経の再生に尽きるといえるくらい、数々の研究が行われてきましたが、何十年とたっていますが今だに不可能です。口から健康食品を摂取したくらいで、何とかなるはずもない。
谷口先生の研究では、iPS細胞を用いて軟骨の元となる細胞を作り、それを体内で育てて器管として使えるようにするというもの。もちろん動物実験の段階ですが、ある程度の成果を出していて、いろいろな軟骨の傷んだ状態への臨床応用の可能性が出てきています。
自分たちのような臨床家からすると、最も多い軟骨の問題は加齢による軟骨の磨耗・消失です。年を取って、膝の痛みや背骨の痛みに悩むのはほぼすべての人間に起こってくる問題。
これは、人間が二足歩行になった代償みたいなもので、人類史上必然と言えるかもしれません。膝の関節内の軟骨と背骨の間の椎間板軟骨が再生できれば、多くの人の老後がずいぶんと楽になる。
リウマチ患者さんでは、滑膜炎により、関節内の軟骨が消失し、骨も虫食いのようになっていきます。欠損した骨は骨移植して、表面の軟骨はiPS細胞を用いた技術で再生できれば、薬の治療で抑えられなかった部分について、機能的な障害を防ぐ有力な治療法になるかもしれません。
現実に治療法が確立され、普通に使われるようになるまでには、まだまだ10年くらいはかかるかもしれませんが、少なくとも実現不可能な夢ではなく、努力しだいで可能になる課題であることがわかりました。
そのためには、次の世代の研究者の方々にも大きな期待をしたいところ。功をあせらず、地道にしっかりとした研究を積み上げて行ってもらいたいものです。そうすれば、もしかしたら自分には間に合うかも・・・?
2014年6月4日水曜日
2014年6月3日火曜日
古楽器演奏家たち
そりゃ、カラヤンだってバッハはやるわけで、モダン楽器による演奏でバッハを聴くのもありですが、できることなら優れた古楽器によるピリオド奏法で聴きたいものだと・・・そこで、だいたいどんな名前を注意しておきたいかをまとめてみましょう。
古楽系のアーティストは、50年代から活動し始めた、元ウィーン・フィルのチェロ奏者ニコラス・アーノンクール、オランダの鍵盤楽器奏者のグスタフ・レオンハルトあたりが総元締めという感があります。アーノンクールは70年代に、古楽器による楽団コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(CMW)を組織して手兵として今でも活躍しています。レオンハルトは、惜しくも2012年に亡くなりました。

二人の共同作業となった、J.S.バッハのカンタータ全集は、初めての古楽器によるものとして、現在に至る古楽ブームに決定的な影響を与えたのではないでしょうか。
70年代から活動を開始する第二世代に属するのが、我がジョン・エリオット・ガーディナー先生。イギリス人で、今年結成50周年を迎えたモンテヴェルディ合唱団を軸に、内容によってイングリッシュ・バロック・ソロイストとオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークを使い分けています。
トレバー・ピノックのイングリッシュ・コンサートもイギリスの古楽では有名です。バッハよりはヴィバルディ、そしてやや古典の方が得意な印象です。 逆に、中世~ルネッサンスが得意なのはサイモン・プレストン。
そのほかにイギリス人では、クリストファー・ホグウッドとロジャー・ノリトンが有名。ホグウッドは学者的なカラーが濃厚で、アカデミー・オブ・ア ンシエント・ミュージックと共にマニアックに活動中。ノリトンはロンドン・クラシカル・プレイヤーと共に古典~ロマン派中心に活動中です。


ベルギーのヴィオラ奏者シギスヴァルト・クイケンはラ・プティット・バンドを結成し、器楽曲を中心に活躍していますが、兄のチェロ奏者ヴィーラント、弟のリコーダー奏者バルトルトらと共にクイケン三兄弟として有名。
フィリップ・ヘレヴェッヘもベルギー人で、この人ほど、手兵のオーケストラや合唱団をいろいろ持っていて、使い分けが細かい人はいないでしょう。中心はコレギウム・ヴォカーレ・ヘントだと思うのですが、バロックから現代音楽まで、実に多才な活動を繰り広げています。
元々カウンターテナーとして活躍したルネ・ヤーコプスはコンチェルト・ボカーレを組織して、特に21世紀になってからは指揮者として名をなしてきました。最近はベルリン古楽アカデミーとも密接な関係にあり、知られざる名曲の発掘でも気になるところです。
ベルギーにはもう一人、鍵盤楽器奏者のヨス・ファン・インマゼールが有名。アニマ・エテルナを組織して、活動していますが、どちらかというと古典が中心でしょうか。
元々リコーダー奏者として名を成したオランダのフランス・ブリュッヘンは、1981年に18世紀オーケストラを組織し指揮者に転進しました。名前が示すとおり、バロックよりも古典派のハイドン、モーツァルト、べートーヴェンあたりが主要レパートリーです。

オランダには忘れてはいけない人が、もう一人います。鍵盤楽器奏者のトン・コープマンで、レオンハルトの直弟子です。単一演奏者による始めての古楽器によるバッハ・カンタータ全集は金字塔でしょう。他にも、バッハのオルガン全集や、フクステフーデの全集などの業績も後世に残るものです。
ドイツではラインハルト・ゲーベルと彼の手兵ムジカ・アンティーク・ケルンが、最も有名です。ルネッサンス~バロックの、まさに古楽の中の古楽がレパートリーで、古いものを聴こうとすると避けては通れないアーテイストです。
スペインにはジョルディ・サバールというガンバ奏者がエスペリオンというグループを組織して活躍しています。中世~古典まで、比較的幅広く演奏し、宗教曲のレパートリーも少なくない。
バッハを頂点とする宗教曲のジャンルを中心に見ると、アーノンクール、ガーディナー、ヘレヴェッヘ、コープマンあたりが直接的なライバルとして、しのぎを削ってきたというのが第二世代というわけです。

実は、イギリスにはもう一人、アンドリュー・パロットという指揮者がいます。やはり、タヴァナー・コンソート&プレイヤースという組織を持っていて、結構CDも出ているのですか・・・いかんせん、あまりにガーディナー先生とレパートリーがかぶりすぎ。
お気の毒としか言いようが無いのですが、ちょっとそれでは目立たない。アメリカのリフキンが提唱し始めた、バッハの時代は演奏者は1パートにつき一人(One Voice Per Part)という怪しい説を実践しているくらいが特徴でしょうが、重々しくないバッハを聴くにはいいかもしれません。
80年代に入ると、古楽器の演奏の技術も格段に進歩して、ただ古楽器を使いましたというだけではなく、内容的にも充実してブームといえる状況になってきます。
イギリスでは、ポール・マクリーシュのガブリエル・コンソート&プレイヤース、 ロイ・グットマンとハノヴァー・バンド、ハリー・クリストファーとザ・シックスティーンなどが台頭してきます。フランスではマルク・ミンコフスキーが登場。
そして我が日本の鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が頭角を現してきます。鈴木はクリスチャンで、コープマンの弟子。いまや、ガーディナーに続いてバッハ・カンタータ全集を完成し、世界的なレベルで評価されています。
90年代はまさに、モダンを追い落とす勢いで、古楽器によるピリオド奏法がクラシック界を席巻しました。第二世代の人たちの全盛期だったといえます。そして21世紀になると、第三世代の活躍が増えてきましたが、古楽器による演奏の必然性と、高度な内容が求められる時代であることは間違いないところでしょう。
アンサンブルとして、特定の指揮者を持たないようなグループが誕生してきて、実際の楽器の演奏者が主体の組織が目立つようになってきたような気がします。

最近の注目株としては、ヘンデルのイタリアン・カンタータを網羅したイタリアのファビオ・ ボニツォーニと彼の率いるラ・リゾナンツァ、バッハのミサ・ブレビスを集成したフランスのラファエル・ピションとピグマリオンなどは要注意です。
自分の主観だけですから、大事な人が抜けているかもしれませんが、宗教曲を中心に考えると、まぁだいたいこのくらいおさえておけば間違いないでしょう。
古楽系のアーティストは、50年代から活動し始めた、元ウィーン・フィルのチェロ奏者ニコラス・アーノンクール、オランダの鍵盤楽器奏者のグスタフ・レオンハルトあたりが総元締めという感があります。アーノンクールは70年代に、古楽器による楽団コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(CMW)を組織して手兵として今でも活躍しています。レオンハルトは、惜しくも2012年に亡くなりました。
70年代から活動を開始する第二世代に属するのが、我がジョン・エリオット・ガーディナー先生。イギリス人で、今年結成50周年を迎えたモンテヴェルディ合唱団を軸に、内容によってイングリッシュ・バロック・ソロイストとオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークを使い分けています。
トレバー・ピノックのイングリッシュ・コンサートもイギリスの古楽では有名です。バッハよりはヴィバルディ、そしてやや古典の方が得意な印象です。 逆に、中世~ルネッサンスが得意なのはサイモン・プレストン。
そのほかにイギリス人では、クリストファー・ホグウッドとロジャー・ノリトンが有名。ホグウッドは学者的なカラーが濃厚で、アカデミー・オブ・ア ンシエント・ミュージックと共にマニアックに活動中。ノリトンはロンドン・クラシカル・プレイヤーと共に古典~ロマン派中心に活動中です。
フィリップ・ヘレヴェッヘもベルギー人で、この人ほど、手兵のオーケストラや合唱団をいろいろ持っていて、使い分けが細かい人はいないでしょう。中心はコレギウム・ヴォカーレ・ヘントだと思うのですが、バロックから現代音楽まで、実に多才な活動を繰り広げています。
元々カウンターテナーとして活躍したルネ・ヤーコプスはコンチェルト・ボカーレを組織して、特に21世紀になってからは指揮者として名をなしてきました。最近はベルリン古楽アカデミーとも密接な関係にあり、知られざる名曲の発掘でも気になるところです。
ベルギーにはもう一人、鍵盤楽器奏者のヨス・ファン・インマゼールが有名。アニマ・エテルナを組織して、活動していますが、どちらかというと古典が中心でしょうか。
元々リコーダー奏者として名を成したオランダのフランス・ブリュッヘンは、1981年に18世紀オーケストラを組織し指揮者に転進しました。名前が示すとおり、バロックよりも古典派のハイドン、モーツァルト、べートーヴェンあたりが主要レパートリーです。
ドイツではラインハルト・ゲーベルと彼の手兵ムジカ・アンティーク・ケルンが、最も有名です。ルネッサンス~バロックの、まさに古楽の中の古楽がレパートリーで、古いものを聴こうとすると避けては通れないアーテイストです。
スペインにはジョルディ・サバールというガンバ奏者がエスペリオンというグループを組織して活躍しています。中世~古典まで、比較的幅広く演奏し、宗教曲のレパートリーも少なくない。
バッハを頂点とする宗教曲のジャンルを中心に見ると、アーノンクール、ガーディナー、ヘレヴェッヘ、コープマンあたりが直接的なライバルとして、しのぎを削ってきたというのが第二世代というわけです。
お気の毒としか言いようが無いのですが、ちょっとそれでは目立たない。アメリカのリフキンが提唱し始めた、バッハの時代は演奏者は1パートにつき一人(One Voice Per Part)という怪しい説を実践しているくらいが特徴でしょうが、重々しくないバッハを聴くにはいいかもしれません。
80年代に入ると、古楽器の演奏の技術も格段に進歩して、ただ古楽器を使いましたというだけではなく、内容的にも充実してブームといえる状況になってきます。
イギリスでは、ポール・マクリーシュのガブリエル・コンソート&プレイヤース、 ロイ・グットマンとハノヴァー・バンド、ハリー・クリストファーとザ・シックスティーンなどが台頭してきます。フランスではマルク・ミンコフスキーが登場。
そして我が日本の鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が頭角を現してきます。鈴木はクリスチャンで、コープマンの弟子。いまや、ガーディナーに続いてバッハ・カンタータ全集を完成し、世界的なレベルで評価されています。
アンサンブルとして、特定の指揮者を持たないようなグループが誕生してきて、実際の楽器の演奏者が主体の組織が目立つようになってきたような気がします。
自分の主観だけですから、大事な人が抜けているかもしれませんが、宗教曲を中心に考えると、まぁだいたいこのくらいおさえておけば間違いないでしょう。
2014年6月2日月曜日
カンタータ年巻
J.S.バッハは若い頃から「系統立てられた教会音楽」の実現を目指していたわけで、それはまさに教会暦に
沿った音楽を作り出す事。ライブツィヒの聖トーマス教会のカントルに就任してからは、着々とその実現のため日々奮闘するわけです。
バッハがライプツィヒに着任したのがクリスマス前なら、まさに教会暦通りに実現したのでしょぅが、実際は春の終わり。ですから、スタートは三位一体の主日からで、ここから1年分のカンタータをまとめて「カンタータ年巻」と読んでいます。
現在残っている譜面は、最初の2年間分はほぼそろっています。3年目はだいぶ少なくなっていて、4年目、5年目になるとポツポツとしかない。
消失した譜面もかなりあるといわれていますが、さすがに毎週だけでも大変なのに、いろいろな記念日には追加の大作を用意したり、一般の結婚式など向けの世俗カンタータも作るわけですから、さすがに最大で5年でほぼストックができて安心というところでしょう。
ですから、3年目以降は、実際にも毎週作曲していたわけではなく、以前のものを使いまわすというのはごく自然の流れでしょう。確かに、バッハは最初の2年間分のものをしっかりと充実させることはやっていて、数年後にあらためて作り直したり、補充したりしています。
ライブツィヒ時代以前のものを、机の引き出しから出してきて、歌詞を変えたりしながらリニューアルさせることもしばしば。これをパロディと呼んでいるのですが、現代社会でいう、何かを笑いに変える「パロディ」とは意味が違います。
このパロディは、研究者によって詳細に分析されているので、にわかカンタータ者がここで語るのははばかられます。それでも、自分が多少聞いたことがある旋律が出てくると、何となく嬉しくなります。同じようなメロディがどこに出てくるのか思わず探してしまいますし、見つかるとどっちが先なのかなぁと調べたりするという楽しみが出てくるわけです。

教会暦に沿ってカンタータを聴くということは、年巻通りに聴いていくのが正攻法ということになりますが、作られた順番に聴いていくと最低でも5年間くらいかかってしまいます。
さすがに、そりゃ長すぎて途中で疲れてしまいます。ガーディナー先生のカンタータ巡礼は、1年間で全部演奏したもので、同じ目的のものをまとめて演奏したわけです。ですから、毎週最低2曲、場合によっては3曲程度になるわけですが、1曲が20~30分程度なので、CD1枚に収録するのにちょうどいい長さ。
それでも長すぎて、とても聴いていられないという方にお勧めなのが、鈴木雅明とBCJの全集のダイジェスト盤。教会暦に沿って、大事な記念日のためのカンタータを順番に聴いていこうというもの。
サンプラー的なものですから、価格も低めに抑えられていて、とりあえず1年間を駆け抜けるにはお手軽です。
バッハがライプツィヒに着任したのがクリスマス前なら、まさに教会暦通りに実現したのでしょぅが、実際は春の終わり。ですから、スタートは三位一体の主日からで、ここから1年分のカンタータをまとめて「カンタータ年巻」と読んでいます。
現在残っている譜面は、最初の2年間分はほぼそろっています。3年目はだいぶ少なくなっていて、4年目、5年目になるとポツポツとしかない。
消失した譜面もかなりあるといわれていますが、さすがに毎週だけでも大変なのに、いろいろな記念日には追加の大作を用意したり、一般の結婚式など向けの世俗カンタータも作るわけですから、さすがに最大で5年でほぼストックができて安心というところでしょう。
ですから、3年目以降は、実際にも毎週作曲していたわけではなく、以前のものを使いまわすというのはごく自然の流れでしょう。確かに、バッハは最初の2年間分のものをしっかりと充実させることはやっていて、数年後にあらためて作り直したり、補充したりしています。
ライブツィヒ時代以前のものを、机の引き出しから出してきて、歌詞を変えたりしながらリニューアルさせることもしばしば。これをパロディと呼んでいるのですが、現代社会でいう、何かを笑いに変える「パロディ」とは意味が違います。
このパロディは、研究者によって詳細に分析されているので、にわかカンタータ者がここで語るのははばかられます。それでも、自分が多少聞いたことがある旋律が出てくると、何となく嬉しくなります。同じようなメロディがどこに出てくるのか思わず探してしまいますし、見つかるとどっちが先なのかなぁと調べたりするという楽しみが出てくるわけです。
さすがに、そりゃ長すぎて途中で疲れてしまいます。ガーディナー先生のカンタータ巡礼は、1年間で全部演奏したもので、同じ目的のものをまとめて演奏したわけです。ですから、毎週最低2曲、場合によっては3曲程度になるわけですが、1曲が20~30分程度なので、CD1枚に収録するのにちょうどいい長さ。
それでも長すぎて、とても聴いていられないという方にお勧めなのが、鈴木雅明とBCJの全集のダイジェスト盤。教会暦に沿って、大事な記念日のためのカンタータを順番に聴いていこうというもの。
サンプラー的なものですから、価格も低めに抑えられていて、とりあえず1年間を駆け抜けるにはお手軽です。
2014年6月1日日曜日
昇天祭後主日 ~ 教会暦の基本
そこで、キリスト教の教会暦を、ちゃんと整理しておきたいと思います。くどいようですが、なんちゃって仏教徒の自分としては、いままでに触れる事のない世界で、どうもぴんとこないことばかり。
基本的にはキリスト教の1年は、待降節(アベント)から始まるんだそうで、これはキリストの誕生を待ち望む期間。クリスマスから4回前の日曜日から始まり、イブの日没まで。この間は、比較的おとなしくしてじっと待つのが基本。
クリスマス・イブの日没とともにミサが始まり、12月25日のクリスマスにキリストが生まれて、降誕節に入ります。最も大きなお祝い事として、ここんとこは派手にいきます。でも、キリストの誕生日が25日かどうかは、確証があるわけではなく、もっとも日が短くなる冬至のあたりで設定して、しだいに日が延びていくようにしたらしい。
一般のグレゴリオ暦で年が明けて、1月6日は公現祭。これもキリストが誕生したことをお祝いするので、クリスマスとの区別が分かりづらい。この日は、東方の三人の博士(あるいは王)がキリストのもとを訪れ捧げ物をしたとされています。
公現祭後は、そのまま日曜日ごとに数えていくか、復活祭から数えて9週前から日曜日からは×旬節と呼んでいます。とくに7週間前からは、はっきりと七旬節、六旬節、五旬節と数え、四旬節になるといよいよ受難に向けての謹慎期間。
復活祭から数えて40日+6日前が「灰の水曜日」と呼ばれる記念日で、この日から実際の謹慎が始まるのだそうで、四旬節になる前に、食べたいだけ食べて飲みたいだけ飲んで騒ごうと言うのが謝肉祭。
キリストの受難のあと復活するのがイースターですが、この日を春分の日の次の満月のすぐ後の日曜日とした(4世紀のニケア公会議)ことが話を複雑にしています。つまり、毎年同じ日ではなく、年によって最大で2ヶ月近いずれがでることになるのです。
復活祭の前の週が受難週とされ、聖×曜日と呼ぶのですが、棕櫚の日曜日にはじまり、特に聖金曜日は、キリストが磔刑になった日とされ、受難のクライマックス。 3日目に復活するキリストを祝って、復活祭の日曜日~火曜日の3日間が過ぎると、キリストは最後の奇跡に向かって教えを広めます。
復活祭から40日後についにキリストは、現世ですべきことをやり終えて、昇天して神となるのが昇天祭。そして復活祭から50日後には、残された使徒らに聖霊が降りてきるんですね(ペンテコステ)。使徒達は、いろいろな国の言葉を話せるようになって(羨ましい!!)、世界中に散らばって布教活動を始めるわけです。
ですから、「キリスト教」のまさに始まりとして重視されているので、聖霊降臨節として特に日曜日と月曜日は祝日になっている。クリスマス、イースター、そしてペンテコステはキリスト教三大記念日と呼ばれています。
翌週の日曜日からは三位一体節が始まりますが、これが長い。始まりの待降節まで続きますので、およそ半年続いてこの間は大きなイベントはあまりありません。
キリスト教からは怒られるかもしれないくらい簡単にすると、これがキリスト教の教会暦の1年間の基本。キリストの誕生日は固定されているのに、復活する「第二の誕生日」が年によって動く事が理解を難しくしていることがわかります。
BWV 37 信じてバプテスマを受くる者は
BWV 128 ただキリストの昇天にのみ
BWV 43 神は喜び叫ぶ声と共に昇り
いずれもライプツィヒ時代のものですが、キリストの昇天、つまり神になったことを祝うためのものですから、全体に華やかで聴き応えがある。
これに昇天祭オラトリオ(BWV 11)を合わせて聴けば、昇天祭はばっちり。
そして、昇天祭後の日曜日のためのカンタータというのもあります。
BWV 44 ひとびと汝らを除名すべし
BWV 183 人びと汝らを除名すべし
ガーディナー先生は、使途不明のカンタータをもう一つ収録しています。
BWV 150 主よ、われ汝を仰ぎ望む
おや? BWV44とBWV183のタイトルが一緒だぞ。確かにどちらも、''Sie werden euch in den Bann tun''なんです。ただし、最初の歌いだしの一節だけは一緒ですが、その後の歌詞は違う。このあたりは、何かありそうですね。
さらに、あれ? と思うことに気がついた。BWV 44の歌いだしがテノールとバスの二重唱なんです。何気なく聴いていましたが、出だしが合唱のことが多く、バッハはアリアと合唱を交互に配する形でまとめるのが普通。
この曲では、二重唱→合唱→アリア→コラール→レシタティボ→アリア→コラールという具合で、配列がばらばら。採用した歌詞の主語や内容によって、歌手の数を決めているようなので、やはりドイツ語の歌詞を理解できないと本当の聴き方はでません。
どうもいろいろな課題が見つかってしまい、ますますカンタータの深い森に迷い込みそうな日曜日です。
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