2023年1月14日土曜日

詐欺電話


人を騙し、金銭を奪うシロサギ。それを餌とし喰らう最凶の詐欺師を騙す詐欺師――その名は、クロサギ・・・・・

というのは、どこかで聞いたドラマのナレーションですが、巷では「オレオレ詐欺」と呼ばれる、詐欺電話が手を変え品を変え横行しています。

何と、うちにもその手の電話がかかってきました。

注意喚起のため、内容を書いておきます。

「もしもし、どちら様でしょうか」
「こちらは、青葉区役所、健康保険課の××です。昨年9月にお送りした、医療明細はご確認いただけたでしょうか」
「? ? ? ?」
「もしもし、もしもし」
「区役所がそのような書類を送ることは無いと思いますが」
プツン・・・

こんな感じ。当然、国民健康保険に加入している自分としては、一瞬、ありえない話ではないように感じますが、過去数年間にわたって医療機関を受診したことはないので、そんな明細が出てくるはずがない。

冷静に考えれば、保険の仕組みとしても自治体は保険組合とやり取りをするはずで、被保険者に直接の何かを送り付けるというのはおかしな話です。そもそも、区役所の業務時間外の夜に電話が来るというのも変です。

でも、いろいろな社会の仕組みを何でも知っているわけではないので、いかにも本物と思わせる手口はいろいろです。いずれにしても、今時は電話で連絡してくるということ自体がかなり怪しいと思った方がいいですね。

2023年1月13日金曜日

ジェフ・ベックが死んだ

急に飛び込んできたニュースに愕然とした。

ジェフ・ベック死去。78歳。

随分と年をとったんだね、とあらためて思う。

最初の出会いは、1971年。もう50年も前の話。中学生になったばかりの頃、何を思ったか姉が急に「ラフ&レディ」を買ってきた。たぶん、何かの間違いで買ってしまったんだろう。ところが、そろそろロックに目覚めた弟の方が気に入ってしまった。

これは、一般には第2期ジェフ・ベック・グループと言われているバンドのアルバムで、黒人が加入していたせいもあってか、けっこうソウルっぽい感じが目新しかった。

その後、1973年、ベック・ボガート&アピス(BBA)という三人編成になって、ハード・ロックの王道に戻る。BBAでの来日が決まった時、ほぼ同じタイミングでユーライア・ヒープも来日。どっちに行くかで迷いに迷って、結局ユーライア・ヒープに行ったことは、後々までずっと後悔。BBAは日本公演のライブ・アルバムが出たことが唯一の救いだった。

ロック界で、三大ギタリストと呼ばれるのは、いずれもイギリス出身でヤードバーズに在籍した、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミーペイジ。

アメリカ南部の泥臭いロックに転進したクラプトンと、もうボーカルはいらないとギター・インストルメントに突っ走ったベックは、自分にとってはロックの最大のヒーロー。社会人になっても、ずっとアルバムは出ると買っていた。

1975年、ボーカルを排した「ブロウ・バイ・ブロウ」の衝撃たるや、とても言葉では言い表せない。ロックといえば、ボーカルは絶対付き物で、間に各楽器のアドリブ・ソロが入るという固定観念が出来上がっていたので、全編ギターで押し切るというのは、あまりのすごさに感動を越えていた。

今でこそ、クロスオーバーとかフュージョンとか、その手のアルバムは当たり前のようにあるけど、まさにこれがスタート。そして、これを超えるアルバムは、少なくとも自分は知らない。

ジェフ・ベックが死んだ。その事実だけでも、新年早々、かなりへこたれる。今日は、ずっとベックのギターを聞いていよう。

2023年1月12日木曜日

Noemi Waysfeld / Eine Winterreise

ちょっと変わった・・・不思議な雰囲気の漂うシューベルトの「冬の旅」を見つけました。「冬の旅」は、歌曲王シューベルトの代表作で、24曲からなる連作歌集で、声域・男女を問わずドイツ歌曲を唄う歌手であればたいてい一度は長選するくらいのもの。

ノエミ・ワイスフェルドは1984年生まれの38歳のパリジェンヌ。いわゆるクラシック音楽の声楽家とは違い・・・うーん、何と言えばいいのか・・・とてもアンニュイな・・・暗いシャンソンとでも言えばいいのか・・・

「冬の旅」は、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集を題材にしたもので、そもそも失恋した若者が街を捨ててさすらいの旅を続けていく暗く悲しい歌が続きます。確かに、このような内容は、エディット・ピアフが、場末の酒場で古びたピアノにもたれて、片手にワインのグラスを持ちながら歌ってもよさそう。

ノエミの歌唱は、クラシックのような腹の底から唄うわけではなく、かと言って囁くほどでもない、ポップスとも言えない独特の歌い方で、これはこれで「味」がある。

全24曲のうち、13曲をピックアップして、原曲と同じピアノ伴奏だけで歌います。伴奏もオリジナルと比べて、アレンジされ現代風の味付けがしてある。

もちろん「冬の旅」の決定版ではありませんが、クラシックが苦手な人でも入りやすいと思いますので、まず聞いてみることで興味を持ってもらうはいいのかもしれません。

ストリーミング配信がメインのようで、少なくとも日本のAmazonではCD形式は購入できないようです。これも、若者をターゲットにしているということでしょうかね。

2023年1月11日水曜日

俳句の鑑賞 56 森澄雄


森澄雄は大正8年(1919年)、兵庫県生まれの俳人です。父親は歯科医で、俳句を詠む人物でした。5歳から長崎に転居し、昭和17年に九州帝国大学を卒業してすぐに招集され、ボルネオで終戦を迎えます。

父親の影響もあり十代から俳句を始めていましたが、「馬酔木」で加藤楸邨に指導を受けたこともあり、昭和15年、楸邨が「寒雷」主宰・創刊した際には、すぐに師事し参加しました。

戦後は都立高校で教鞭をとるかたわら、「寒雷」の編集にも参加。昭和45年、主宰誌「杉」を創刊し、戦後俳壇を牽引しました。平成7年に脳梗塞を起こし半身にマヒが残るものの俳句を続け、平成22年、肺炎により91歳で亡くなりました。

同世代だった飯田龍太とは、しばしば比較されることが多く、龍太の自然賛歌的な土着性の句柄に対して、森は「人間探求派」と呼ばれた楸邨の教えをさらに進めた、日常生活に根ざした人生を詠むのが特徴とされています。

除夜に妻白鳥のごと湯浴みをり 森澄雄

まさにこれこそが愛妻俳句。湯浴みをする妻を「白鳥のごとし」とは、普通は照れて言えるもんじゃない。除夜とくれば、おそらく大晦日の事でしょう。一年の垢を落とすかのように、湯浴みする妻の肌の白さを白鳥に例え、本来はエロティックなはずなのですが、作者は今年もご苦労さまでしたと労っているかのようです。

磧にて白桃むけば水過ぎゆく 森澄雄

「磧(かわら)」は、石がごろごろしているような水際のこと。どこかの清流の河原あたりが舞台でしょうか。初夏の日差しの中で涼しげな風景を見ながら、取り出した桃の皮を剝いてみると、目の前の水もどこかに向かって流れていることに気がつきます。

これらだけでも龍太との違いは明瞭です。現実的な無骨な龍太に対して、森はロマンチストで俳句も詩的、時に抽象的です。上句でテーマを表さず、読み進めるにつれしだいに盛り上がっていくような作りが得意なのかもしれません。

昇天寸前早老婆の白日傘 森澄雄

「早」は、ここでは「日照り(ひでり)」と読み、夏の強い日差しと共に、干からびた感のある老婆を表現しているのでしょう。暑さのため、ふらふらと歩いている様子が、今にも倒れそうなのに、手にする日傘の白さだけがとても目立ったということ。

西国の畦曼殊沙華曼殊沙華 森澄雄

西国は、森が少年時代を過ごした九州の地のことか。水田の境界部分の歩ける土手を畦道と呼びますが、そこには曼殊沙華、いわゆる真っ赤な彼岸花が咲いている。それも一つや二つではなく、たくさんたくさん咲いていることを単語の繰り返しで表現しています。

曼殊沙華は天界に咲く花とされ、俗な表現として死ぬことを「西に行く」というのがありますので、単なる田園風景というよりは、仏教思想を基にして何らかの死を意識したものではないかと思えます。

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森澄雄

「ぼうたん」は牡丹の花。それが百、つまりたくさん咲いている様子は、まるで湯気がゆるゆると(ゆらゆらと)立っているかのように見える。自然の美しさを、普段生活の中で何気なく目にしているものに例える手法です。

鳴門見て讃岐麦秋渦をなす 森澄雄

これも鳴門の渦潮の荒々しい様子を、強風に大きく揺れ動く麦畑に例えた句です。例えですから、当然鳴門の渦が麦畑のはずはないので、それを虚構と言えなくもないのですが、誰もが納得できるような説得力があることが強みです。

いずれも、直接的な形容をせずに、作者の心情を強く押し出している作風です。現代の俳句に通じる基本形がここにあるように思いました。

2023年1月10日火曜日

俳句の鑑賞 55 飯田龍太


飯田龍太は大正9年(1920年)、山梨県境川に飯田蛇笏の四男として生まれました。蛇笏が主宰した「雲母」を継承し、戦後の伝統的俳句の中心人物の一人とされます。

山梨で過ごした龍太は、東京に出て昭和15年、國學院大學に入学し句作を開始しました。結核で兵役免除となり、戦時中は境川に戻り農業に専念します。兄らが次々と病死、戦死し、龍太は自然と父を手伝い「雲母」の編集に参加します。

昭和37年に蛇笏が死去すると、家督を継ぐと同時に「雲母」主宰となり、戦後俳壇で活躍しますが、平成4年、「雲母」900号にて終刊として俳壇から引退します。平成19年、肺炎のため86歳で亡くなりました。

大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太

龍太の俳句は、父親ゆずりの「ホトトギス」系の花鳥諷詠、伝統俳句が特徴ですが、特に際立っているのが生まれ育った甲斐の自然豊かな風土を根底としているところだと言われています。

大寒の頃、一年を通して最も寒さの厳して時期に、裕福とはいえないかもしれない村ではあるが、見渡すと一軒、二軒と散在する民家はみな人が住み、自分の心にはこれこそが故郷なんだと思わせる。故郷に対する、深い愛情があふれ出るような句です。

春すでに高嶺未婚のつばくらめ 飯田龍太

「つばくらめ」は燕のこと。春になると暖かい南方からツバメが戻ってきて、繁殖期を迎えます。基本的に一夫一妻ですが、なかなか相手が見つからないものもいるみたいです。高嶺の花として敬遠されているのか、相手を高望みしているのか・・・そのまま未婚のまま春が過ぎ去ってしまうのでしょうか。

夏の雲湧き人形の唇ひと粒 飯田龍太

「唇」はここでは「くち」と読みます。夏の雲と言えば入道雲で、しかもそれが湧き立つのですから、さぞかし雄大な光景でしょう。それと対比して、飾ってある人形なのでしょうか、その口が小さくて可憐なことを思い出したようです。

水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太

季節は秋になり、空気も流れる川の水も澄んできます。甲府盆地は四方を山に囲まれ、四方に関所があったということ。まさに郷土である甲斐の国そのものを俳句にしたもの。

雪山に何も求めず夕日消ゆ 飯田龍太

そして季節は巡って、再び寒さの厳しい冬がやってきます。夕日は今日もまた黙って雪山の影に消えていくわけで、何かを欲しがったりはしません。もしかしたら、何も欲しがらず、あるがままに自然を受け入れるのは作者の本心なのかもしれません。

龍太は何故俳壇から身を引いたのでしょうか。「高齢のため満足いく選句ができないから」と説明されていますが、当時、まだ70歳を過ぎたばかりで、体力的には問題はないように思えます。

確かに「雲母」には毎月数万句が寄せられていたそうですから、それを数日間で目を通すだけでも大変なのは容易に想像できます。おそらく、流し見していくのではなく、一句一句にしっかりと対峙して、その句の意味するものを真剣にくみ取る姿勢が、そうとう精神的・肉体的に疲弊させるものだったのでしょう。

もともと肺病持ちだった龍太には、納得できる仕事ができないと判断した以上、中途半端に主宰を続けることなどまったく考えにも及ばないことだったのでしょう。飯田龍太に師事できた俳人は幸福だったと思います。

2023年1月9日月曜日

俳句の鑑賞 54 寺山修司


戦後の昭和の時代、いわゆる高度経済成長期に、若者の文化に関連して「ヒッピー」と並んでよく使われた「アングラ」という言葉を覚えているでしょうか。今の若者世代にはまったく意味が通じないと思いますが、「アングラ」は権力に対抗して商業的ではない文化活動の総称として使われました。

アンダーグラウンド(地下)を略したもので、政治に限らず世の中のすべての権威を持つものに反対するような、時には非合法な活動を含む前衛的な文化・芸術活動であり、その独特な存在感は当時の若者に支持され一世を風靡しました。しかし、彼らも名前が知られるようになると、次第に表舞台に出るようになり、商業化へソフト・ランディングを余儀なくされていきました。

アングラ演劇では、唐十郎と共に有名になったのが、演劇集団「天井桟敷」を率いた寺山修司でした。昭和10年(1935年)、警察官の息子として青森に生まれた寺山は、戦後進駐軍の関連の施設などを転々とし、中学2年の時に同級生の影響で俳句を始めました。

昭和29年、早稲田大学に入学。寺山の興味は、俳句よりも短歌に移っていて、しだいに注目されるようになりましたが、その一方で歌壇・俳壇からは、有名歌・有名句からの引用と思えるような内容が多かったため「模倣小僧」と蔑称されてしまいます。

腎臓病を発症し、大学は1年で中退しますが、戯曲の処女作が好評を博ししだいに演劇関係の仕事が増えていきました。昭和42年に「天井桟敷」を結成し、評論集「書を捨てよ、町へ出よう」、映画でも「田園に死す」などの代表作を残し、昭和58年肝硬変・敗血症により47歳で亡くなりました。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 寺山修司

燃ゆる頬花よりおこす誕生日 寺山修司

暗室より水の音する母の情事 寺山修司

恋地獄草矢で胸を狙い打ち 寺山修司

寺山は短歌については、リアルタイムに歌集を数冊ほど出版していましたが、俳句については40歳に近づいて初めて取りまとめた自選句集を刊行しました。これらは、その中に収載されたものですが、反安保に揺れた60年代の空気を多感な青春期に吸っていないとなかなか共感しにくい。

何となく伝わるものはありますが、定型ではないといって自由律とも言えず、季語は何かしら入っているもののまったく頼っていないというところが、まさに「アングラ」なのでしょうか。

ただ、アウトサイダーを気取っているものの、心の奥底ではどこかひ弱でいろいろな愛情を渇望しているような印象を持ちます。反発と渇望する気持ちとは、紙一重、表裏一体みたいなところかあると思います。

ふるさとの山の姿や絵双六 寺山修司

旅の鞄に菫いくども傷つけられ 寺山修司

蝉鳴いて母校に知らぬ師の多し 寺山修司

父ありき書物のなかに春を閉じ 寺山修司

寺山は、父の仕事のために青森県内を転々とする少年時代を過ごしたためか、「自分にふるさとはない」とうそぶいていたようですが、これらの俳句の中には捨てがたい郷愁のようなものを感じます。

父が出征したため母と二人で苦労した戦時中、そして戦死したため追いかけ抜き去りたくてもできない父親の背中をずっと見ているようなところもあるかもしれません。それらを自己解決できないうちに、寺山は早死したのです。

2023年1月8日日曜日

俳句の鑑賞 53 平井照敏


平井照敏(ひらいしょうびん)は、昭和6年(1931年)、東京に生まれ、東京大学文学部でフランス文学を学び、フランス文学者、詩人、青山学院暖気大学教授として活動しました。

30歳半ばで俳句を始め、加藤楸邨に師事し、「寒雷」編集長を経て、昭和49年に自らの主宰誌「槇」を刊行します。俳人としての著作には句集以外にも評論も多数ありますが、中でも高く評価されているのが歳時記の編集です。

歳時記は膨大な量の情報を整理する必然から、多数の編者が関わることが多く、一人の手によるものは多くはありません。そのため、記述の統一性にばらつきがあったり、例句の選択に村が出る部分はやむをえない。

現在手に入る最新の一人の手による大規模な歳時記は平井照敏によるもので、主として80年代後半に編纂されています。もっとも特徴的なことは、季語の本意をしっかりと記述しているところ。

例えば「梅雨寒」という季語については、通常は「梅雨の時期のある低温の時」という説明になりますが、平井の本意は「昭和になって使われ始めて新しい季題で・・・気候不順の思いを抱く」とあり、一歩踏み込んで俳句の実作により実効性のある説明になっています。

生き作り鯉の目にらむまだにらむ 平井照敏

膝小僧瞳のごとし夏電車 平井照敏

いずれも初めての句集から。すでに、独特の表現に煙に巻かれる感じがします。ある種の擬人化と言えそうな手法ですが、内容が慈愛に満ちた優しさを帯びていて、ちょっと気持ちが軽くなります。

活きつくりの魚は死んでいるのでにらむはずがない。実はにらんでいるのは作者であって、そこに生物の死とは裏腹のユーモアを感じます。夏の暑い時期に男性は短パンだったり、女性も丈の短いスカートを着用して膝小僧が露出している様子が、まるで目の玉が並んでいるかのように見えたということでしょう。

暗中に崩れし苺アガメムノン 平井照敏

文学者らしい俳句。「アガメムノン」はギリシャ神話の英雄で、「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将でした。トロイアに挑むため、自分の娘を殺して生贄にしたとされ、熟してクズグズになった苺は崩れ落ちる娘を想像します。

啓蟄に虫ことごとく裸足なり 平井照敏

啓蟄は二十四節気の一つで、3月始めの頃。温かくなり、冬ごもりを終えて土の中から虫が這いだしてくる頃という意味。虫ですから裸足なのは当たり前ですが、本当にうようよと虫がいる様子が見えてきます。

春の日の今日は誰一人死なざる日 平井照敏

実際、そんなはずはないのですが、あまりに暖かでのどかな日和だったので、人が死ぬようなことは無いと感じたのでしょう。このような想像は、まさに季語の持つ本当の意味を熟知していることからの展開と言えます。

文学者の視点、詩人としての視点が絶えず見え隠れしてる俳句だと思いますが、それは季語そのものをストレートに用いず、別の物に置き換えるような発想を俳句にしているという印象から来ます。

それだけ表現の幅が広がり、少ない文字数で表現される世界が大きくなるのがわかりますが、これは真似ようとして真似できるものではありません。平成15年、72歳で病没しましたが、歳時記の中にしっかりとその遺産が残されました。

2023年1月7日土曜日

C.Abbado + A.S.von Otter + T.Quasthoff / Schubert Lieder with Orchestra

シューベルト作曲のドイツ歌曲(リート)では、フォーマットはビアノ伴奏による独唱なんですが、これをいろいろと変更したくなる人も出てくる。

例えば、ショパンと並ぶピアノの鉄人、フランツ・リストは、シューベルトの多くのリート曲をピアノ独奏用に編曲しています。これはこれで面白いのですが、原曲を知っていると、やはりピアノだけで奏でられても「ふぅ~ん」という程度であることは否めない。

人の声の雰囲気に近い楽器というと、真っ先に思いつくのはチェロ。歌手の代わりに、チェロがメロディを弾くというのはけっこうあって、歌手の歌声よりも時には温かみも感じられたりして悪くはありません。

もっと、大きな伴奏で歌を聞きたいという願望を満たしてくれたのが、我らがクラウディオ・アバドとアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの鉄壁コンビです。ここにトーマス・クヴァストホフが参戦して作り上げたアルバムが、なかなか楽しい仕上がりになっている。

オーケストラ用に編曲したのは、ベンジャミン・ブリテン、ヨハン・ブラームス、マックス・レガー、ヘクター・ベルリオーズ、アントン・ウェバーン、フランツ・リストといった超豪華な作曲家たち。

メゾソプラノのフォン・オッターの声は、ソプラノほどキンキンするところが無いので大好きです。クヴァストホフはサリドマイド薬害による身体的障害があるにもかかわらず、大変艶のある声で活躍したバリトン歌手です。

特に聞きものは、二人の歌手で聞き比べられる「魔王(D328)」で、フォン・オッターの編曲はベルリオーズ、クヴァストホフの編曲はレガーが行っていて、伴奏のオーケストラの微妙な動きの違いが面白い。

リートの本来の楽しみ方からすると邪道と言われてしまうかもしれませんが、シューベルト自身もこれを聞いたら「そんなやり方もあったか」と喜ぶかもしれません。

2023年1月6日金曜日

Dietrich Fischer-Dieskau / Schubert Lieder

20世紀が生んだ最大の歌手と言えば、クラシック音楽界では誰もがディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウをあげることに異を唱えません。

歌劇、宗教曲での歌唱はもとより、フィッシャー=ディースカウが最も重要なレパートリーとしていたのがドイツ歌曲(リート)です。

これらは、そもそも歌い方も随分と違うので、たいていの歌手は専門が分かれることが多く、歌劇の人気歌手でもリートを唄うと不評だったりするものです。

声域はバリトン。一番低音部を担当するわけですが、フィッシャー=ディースカウの声は艶やかで伸びがあるので、高音域でもテノールに負けない美しさがあります。

リートは、今で言えば歌謡曲みたいなもの。例えばゲーテのような、当時の人気の詩人の書いたものにメロディをつけ、主としてピアノ伴奏で手軽に楽しまれたものです。特にシューベルトは、歌曲王と呼ばれるくらい膨大なリートを残しており、Hyperionの偉業である歌曲全集はCD40枚にも及び、最も有名な歌曲集「冬の旅」は歌っていない歌手を見つける方が大変なくらいです。

フィッシャー=ディースカウのシューベルト作品は、当然膨大な数が残されていますが、やはり金字塔ともいえる最高傑作が、60年代を中心に集大成を意識して録音された一連のシリーズ。ボックスCD化され全21枚で、男声歌唱用、および男性が歌って違和感がない物が網羅されています。

ということは、実は女声歌唱用のものや重唱が抜けているわけですが、そこはさすがクラシック音楽の殿堂、ドイツ・グラモフォン・レコードですから、ちゃんと残りをしっかりおさえたCDセット(6枚)があり、これも合わせれば基本的に全部そろうことになっています。

オリジナルのセットはプレミア価格になっていますが、その後登場した廉価版ボックス(ブックレット無し)も安くはなく、いまだに人気が高いことがわかります。自分は歌詞なども見て見たかったので、3分割されていたオリジナルの分売ボックスを個別に揃えました。かなり箱は壊れたりしていましたが、中身は大丈夫で全部で4000円くらいですみました。

当然、知らないメロディがたくさんありますが、それと同じくらいどこかで聞いたことがあるぞというものも出てきて実に楽しい。正月休みは、ずっと聞いて過ごしていましたが、半分以上がまだ聞けていません。しばらくは続けて楽しめそうです。

2023年1月5日木曜日

今年の目標


今年の目標・・・って言うと、だいたい小学生とかが、必ず宿題みたいに考える物。社会人になると、去年の続きが今年で、今年の続きが来年みたいなところがあって、そうそう毎年凄い変化が起こりようもない。

・・・それでも、人は向上心が無く毎日をダラダラと生きていくだけでは、あまり充実した人生とも言えませんし、そもそも日々の変化が少ない毎日なので、どんなつまらないことでも目標を設定した方が張り合いがあるというものです。

ところが、若い時と違って、それなりに年を重ねて、あまり中身のある目標というのも見つけにくい。う~ん、困った。

クリニックの院長としては・・・今年も一人一人の患者さんの病気やケガを治したい、というのが当然の目標ですけど、そのためには医師としての知識のアップデートを続けること・・・って当たり前だなぁ。

コロナ渦になってから、医療業界としては拡大路線は危険な賭けみたいなところがありますしね。もっとも、新型コロナを踏み台にするには、相当なバイタリティとマンパワーが必要ですしね。直接新型コロナ診療をしていない、うちのようなクリニックは受け身にならざるをえない。

まぁ、患者さんが安心して受診できることが大切ですから、コロナの心配がないより安全なクリニックを目指すしかありませんね。そのためには、結局、自分の健康管理をしっかりすることということでしょうか。

個人的にも、関連することですが、年を取って来て自分の体力にも自信が無くなってきているところが少なからずあります。ですから、健康管理の続きとして体力維持、あわよくば体力増進のための何かをやりたい。

そうそう、去年から本腰を入れて勉強している俳句については、とにかく一度でいいので上位に入選したいというのは、ちゃんとした目標かもしれません。そのためには、豊かな発想力と表現力を身につけないといけません。

やはり、わざわざ書き出すほどの目標とは言えないことばかりですが、どんなつまらないことしか思いつかなくても、一度あらたまって考えてみることが大事なのかもしれません。

2023年1月4日水曜日

杉山神社


初詣、行きました?

昔は、大きくて有名所にせっせと行ったこともありましたが、やはり氏神様を大事にしないといけません・・・遠くまで出かける元気もなくなったというのもありますが・・・

その地域を守ってくれるのが氏神、それを祀っているのが氏社、近辺に居住し氏神を信仰しているのが氏子ということになります。

住んでいるのは横浜市青葉区なので、元旦に一番近いちいさな神社にこの何年かは詣でます。クリニックがあるのは、横浜市都筑区で、ここから一番近いのはというと、中央公園にある杉山神社。

杉山神社へは、毎年ではありませんが、何度も初詣に出かけています。今年は、元旦に初詣のはしごをしました。杉山神社はふだんはひっそりとしていて、確か常駐する神主さんとかいない? と思いますが、今回はお昼時分だったせいか、大変な人の数に驚きました。

参拝しようと並んでいる列が、たぶん数百メートルにはなっていたと思います。最後尾は1時間以上待つことになりそうな雰囲気でした。

それだけ人気の杉山神社ですけど、実は横浜市内、特に港北区、都筑区あたりにはたくさんある。市内だけでも40社弱もあるらしい。ところが、実はその来歴は謎に包まれていることで有名。古くは平安時代にはあったようですが、中心となる本社がいまだにはっきりしない。

全国に広がるわけでなく、この近辺だけに特化していて、スサノオの子である五十猛命(いたけるのみこと)、あるいは日本武尊(やまとたけるのみこと) がメインの神様で、中にはレギュラーのはずの天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)が抜けているところもあるみたいです。

ふぅ~ん・・・とにかく、氏神様であることは間違いありませんね。

2023年1月3日火曜日

俳句の勉強 68 新年の季語 2


現代でも知られている、正月の風物詩を季語の中から選び出しています。

本来は、家々を訪れて祝福する芸能の一つが「獅子舞」、あるいは「越後獅子」と呼ばれる物ですが、今ではテレビでしか見ることはありません。たまに、店の前で余興として行われている程度。

格子戸を出て獅子舞の煙草喫ふ 星野立子

太鼓橋の裾の猿曳人だかり 星野立子

高濱虚子の家にも、獅子舞が御祝儀目当てでやって来ていたのかもしれません。娘の立子は、偶然に、格子戸の外に出て獅子舞を演じた者が一服して休憩している様子を見たんでしょうね。

似たような芸能に「猿回し」がありますが、さすがに生き物を扱うので獅子舞よりも大変です。今は、テレビか特別な場所でしか見れません。高濱家があったのは鎌倉ですから、この太鼓橋は鶴岡八幡宮の入口に架かる橋のことでしょう。初詣に出かけた立子が目にした光景です。

生まれた年とその年の干支が同じ者の中から、五穀を守る歳徳神を祀る準備の大役に「年男」が選ばれます。最近は、節分で豆まきをする人の呼び名として知れられています。選ばれるというと光栄なことで、一般には歳徳神のご加護を得られると言われています。とは言え、実際は年末から三が日まで、正月関連の雑用全般をしなければならないので大変だったのではないかと想像します。

年男勤め終りし素袍脱ぐ 島村茂雄

「素袍(すおう)」は下級武士の平服、あるいは平民の礼服で、堅苦しい服を着続けた仕事からやっと解放されて、安堵の様子が伝わります。

春の七草を用いて七日にお粥を食べるというのは、今でもスーパーにセットが売られているので、たいていの家庭で行われていそうです。一般的な七草は、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座(ほとけのざ)。菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)ですが、ナズナは通称ぺんぺん草、スズナは蕪(かぶ)、スズシロは大根のこと。

その藪に人の住めばぞ薺打 一茶

八方の岳しづまりて薺打 飯田蛇笏

季語としては「七種」が一般的。本来は、六日の晩に七草を俎板に並べて叩くというところから、「薺打」、「叩き菜」などの季語もあります。二人とも時代こそ違いますが、静まり返ったところに七草を叩く音が響き渡ることを詠んでいます。

秋田県の伝統行事としてよく知られているのが「なまはげ」と「かまくら」で、正月行事を締めくくる小正月(15日ごろ)に行われますが、現在はなまはげは大晦日、かまくらは2月半ばのようです。

なまはげの鬼の口より酒の息 本谷久邇彦

かまくらの明一本の燭で足る 山口誓子

正月15日にお正月様が帰っていくための煙を焚き上げる行事が「左義長(さぎちょう)」で、「どんと焼き」というほうが馴染みがあるかもしれません。今では、注連飾りや松飾、あるいは古いお守りやお札を焼くための行事として続いています。

山神にどんど揚げたり谷は闇 長谷川かな女

左義長へ行く子行き交ふ藁の音 中村草田男

他にもたくさんの正月の季語がありますが、それぞれの神社仏閣の固有の行事を除くと、風習としては忘れられてしまったものが多い。残せるものは残すべきですが、残念ながら時代の変化によって消えていくのも仕方がないところ。

自分の知っている言葉だけでも、俳句の中に利用して遺しておくのも意味があるかもしれません。


2023年1月2日月曜日

俳句の勉強 67 新年の季語 1


歳時記を開くと、大分類として四季があります。ただし、本来春に含まれる1月だけは、信念として独立した大分類になっていて、これだけで他の4つの季節にせまる数の季語が収録されています。

だいたい「初××」という言葉はほぼ間違いなく新年の季語なので、悩むことはめったにない。また、だいたい正月独特の風習も問題ないのですが、時代の変遷と共に忘れ去られたものが多い。そういう季語は、現代人としてはピンとこないし、俳句にしても絵空事的なものになってしまいます。そこで、今でも説明なしにほとんどの人に理解されるような言葉を拾い集めてみました。

おせち(お節)というと、正月の定番料理ですが、季語としては「喰積(くいつみ)」、あるいは「重詰」と呼びます。本来は、儀礼的に不変の縁起物を重箱に詰めて客に出したものですが、冷凍技術が進んだ現在は、和洋中なんでもありで美味しい物が並びます。

喰積のほかにいさゝか鍋の物 高濱虚子

昔「おせちにあきたらカレーもね」というCMがありましたが、虚子もおせちばかりでは飽きてしまったようです。いかにも正月あるあるな俳句。

次の子も屠蘇を綺麗に干すことよ 中村汀女

「屠蘇(とそ)」は、おせちと共に正月に延命長寿の縁起物として振る舞われる薬酒です。みりんの中に生薬の入った小袋を入れておきます。朱色の大中小の三段重ねの盃に、本来は別々の生薬からの薬酒を注いで飲んだらしい。

自分も、こどもの時に親からは「真似事」として飲まされた覚えがあります。はっきり言って、変な匂いがして甘ったるいので一口でも正月早々に罰ゲームをやっている気分。言葉としてはまだ残っているのですが、ほとんどの家庭では好きなお酒を飲むだけが普通になっていそうです。

「雑煮」は今でも普通に使われている言葉。「羹(かん)」とも呼び、「羹を祝う」、「雑煮餅」、「雑煮椀」なども傍題として使われます。

しんしんとすまし雑煮や二人住 一茶

雑煮に入れる物は、地域によって様々ですし、味付けも鰹出汁、鶏ガラ、味噌など様々。正月といっても、一茶の貧しい家では、入れる物がなかったのでしょうか。すまし汁は、出汁、醤油、塩で味を整えたスープで、ここにいろいろな物を合わせていくベースみたいなもの。

雪国のありとも見えず松飾 長谷川かな女

「門松」、「松飾」は現在も用意している家が多い。とも言っても、立派な門松を門の両端に設置するほど立派な家はそうそうありません。せいぜい、細い松の枝を入口にくくりつけていることがほとんど。手軽な松飾は玄関に貼り付けるだけですので、自分も重宝して使っています。片付けるのは「松納(まつおさめ)」で、一般的には六日の夕に行います。

丸餅を二つ重ねて飾るのが「鏡餅」で、今では真空パックになってプラの蜜柑の模型が乗っていることがほとんど。丸くて鏡みたいというわけではなく、心臓をかたどったもので「魂」を表すものと考えられています。

鏡餅暗きところに割れて坐す 西東三鬼

正月気分が抜け始める頃に、気づくと乾燥してひび割れが入った鏡餅が置き去りになっていたことに気がついたということ。ちょっと哀し気なところが、逆に現実感を強めています。普通は十日間飾っておき、十一日に「鏡開」として割って食します。刃物で切るのは縁起が悪いので、割って開くということ。

正月らしい遊びといえば、「歌留多(かるた)」、「双六(すごろく)」、「福笑い」、「羽子板」、「独楽(こま)」などがあります。注意しないといけないのは、「凧上げ」は新年ではなく春の季語になっていて正月に限定されないということ。

胼の手も交りて歌留多賑はへり 杉田久女

ばりばりと付録双六ひろげけり 日野草城

羽子板の役者の顔はみな長し 山口青邨

「胼」は皮膚の固くなった「たこ」のこと。昔は、こども月刊誌などの1月号の付録に双六がついているのが普通でした。立派な羽子板には、当代の人気歌舞伎役者の顔を模した立体感のある飾り付けがしてあります。

いずれも誰もが知っているとは思いますが、古くからあるアナログな遊戯なので、しだいに消えていくようです。実際、ほとんど見かけなくなりましたね。

2023年1月1日日曜日

俳句の勉強 66 元旦の俳句


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

日本人なら当たり前のように、新年を迎えて晴れ晴れとした気分になるものです。良い事も悪い事も、新しい年になることで一度リセットして、さらに頑張ろうとかもう一度やり直そうとか思います。

元日やおもへばさびし秋の暮 芭蕉

旧暦を基準にしている俳句の世界では、1月から季節は春。特に1月は「新年」と呼ぶ特別な季節の名前で呼ぶ慣わしになっています。芭蕉は、大晦日までいろいろと信念を迎える準備でばたばたとしていましたが、まるで秋の暮を思わせるような静かな元旦を迎えたと感慨に耽っていたのでしょう。

1月1日は、年の始めであり、月の始めでもあります。そして日の始まりでもあるので、「三始」という呼び方もあります。

面白い別名は「鶏日(けいじつ)」で、荊楚歳時記(6世紀に成立した中国の年中行事を記したもの)が元になっています。1日は鶏、2日は狗(いぬ)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬というように6種の家畜の名で呼び、それぞれの日にはそれぞれの家畜を屠殺しない決まりになっていました。実は、7日にも「人日」という別名があって、死刑を行わない日とされていたそうです。

元日二日京のすみずみ霞けり 蕪村

元日はかはいや遍路門に立つ 一茶

やはり、現代と違って江戸時代の元日はだいぶ違った風景だったようです。ここ数年は、元旦から営業するという店は減ってきていますので、静かな元旦が戻ってきている気がします。

元日や見直すふじの去年の雪 正岡子規

元旦の朝、あらためて富士山を見やる。そこには雪が積もっているのですが、たった一日でも昨日より前は去年の事だということ。

元日や比枝も愛宕も雪の山 高濱虚子

元日や鷹がつらぬく丘の空 水原秋櫻子

元日や枯野のごとく街ねむり 加藤楸邨

大正・明治になっても、やはり正月は静かな印象です。戦後の高度経済成長期が、元旦の景色を変えたんでしょうか。でも、その頃に少年時代だった自分を思い出してみると、少なくとも三が日はどの店も休みでしたので、せっかくお年玉を貰ってもおもちゃ屋さんは休みで行けなかったものです。

元日や手を洗いをる夕ごころ 芥川龍之介

一般には小説家として認知されている芥川龍之介ですが、俳句もたくさん詠んでいます。これは、「元日」の俳句を探すと、たいてい名句として登場する賑やかな元日を思わせる句。新年を迎え、年賀の来客があったり、自身も初詣に行ったりと何かと忙しい。でも、夕方になって一段落して手を洗っていると、今日も暮れて行くのだとしみじみと思ったということでしょう。

名人の句を並べた後に、つたない素人句を出すのも気が引けますが、何でも勉強なのでご容赦いただきたい。

元日や干されたままの洗物

大晦日まで掃除をしまくって、すっかり外に干していた洗濯物を取り込むのを忘れていました。あれは去年の洗濯だなぁと・・・

元日に人人人の夜明け前

小高い丘の上に、まだ暗いうちから集まって来る人々。何か怪しい企みでもあるか、否、初日の出をまっているでした・・・という光景。その集団の一人になったこともありますが、何しろ寒い。テレビの中継で富士山をバックに見る方が気楽です。