2023年2月25日土曜日
Julia Fischer / The Four Seasons (2001)
ユリア・フィッシャーは1983年生まれで、現代女流ヴァイオリン奏者としてはトップ・クラスの実力と人気を誇っています。
十代から様々なコンクールで優勝をさらい、2004年にCDデヴューをしましたが、実はその3年前に収録された「四季」のDVD映像があります。
なんと、2001年ですから、フィッシャーは18歳という若さ。イギリスのウェールズ国立植物園で、園内に特設ステージを組んで、四季折々の美しい光景を交えながらの演奏はなかなか堂々としたものです。
一緒に演奏するのは、Academy of St.Martin in the Fieldsのメンバーで、実力派揃いで手堅くサポートしています。内容は、まさに正統派、よけいな遊びはありません。ただ、きびきびとした若さがはじける爽快な演奏です。
見方によっては、新人を売り出すためのMV。実際、美しい自然の風景や、音楽の邪魔にならない程度の環境音もところどころに混ざっていたりします。
しかし、実際のヴァイオリンの実力が素人目にもものすごくわかり、この曲の正統派演奏としてはベストにあげたくなる内容です(おじさん的には、ビジュアルの良さも忘れてはいけないポイントですが・・・)。
2023年2月24日金曜日
Gidon Kremer / Eight Seasons (1998)
1947年、旧ソビエト連邦のラトビア生まれですが、旧体制の厳しい芸術に対する規制を嫌い、主として海外での活動を中心に、多くの名演を残しています。
自分が最初にこの名を記憶に遺したのは、マルタ・アルゲリッチと共演したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタです。本当に火花が散るような掛け合いは、楽譜がある音楽としては驚きの演奏でした。また、シューベルトの楽曲での、あまりにも見事な弱音にも感動しました。
ただ、芸術家としての妥協の無いとんがった部分がしばしば衝突にもなっているようで、クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団との「四季」旧録音(1981)では、アバドと解釈を巡って対立し、後に著作の中でアバドを無能と書いたことは有名。他にも意見対立からお蔵入りになった企画も多数あるようです。
アバドとの「四季」は、本人の意向はともかく、人気者の共演とあってレコード会社は名盤扱いして何度も再発売されていますが、基本的に交響楽団と「四季」を演奏すること自体に無理があるわけで、クレメールの上手さは多少伝わる程度で、それほど良い物とは思えません。
さて、クレメールは90年代なかばから、アルゼンチン・タンゴの作曲・演奏家であるアストル・ピアソラに傾倒し、続けざまにCDをリリースしました。その中の一枚がこれ。「8つの季節」というのは、ヴィヴァルディの「四季」にピアソラの各季節にまつわる曲を交互に配した構成になっているから。
本当の目的はピアソラでしょうから、このアルバムでクレメールの「四季」を聞くのは正しくないのかもしれませんが、何しろヴィヴァルディの部分で38分、ピアソラで25分なので、知っているヴィヴァルディの方に耳が向いてしまいます。
共演するのは手兵のクレメラータ・バルティカで、古楽でもモダンでもない、独自のクレメール流という感じがします。やや早めの演奏で、一音一音を区切って、プツプツした感じは独特で好みが分かれそうなところ。もしかしたら、タンゴの歯切れの良さみたいなものを取り入れたのかもしれません。
まぁ、正直言って、雰囲気が違うので、ヴィヴァルディかピアソラか、どちらかに統一してくれた方が聞きやすいかなと思います。
2023年2月23日木曜日
I Musici / Vivaldi Le Quattro Stagioni (1970)
ヴィヴァルディの超有名曲「四季」についても、初めての出会いは70年代に買ったレコード盤で、当然のことですが演奏者はイ・ムジチ合奏団。
イ・イムジチは、フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン)が中心に1951年に結成され、アーヨ、ロベルト・ミケルッチ、サルヴァトーレ・アッカルドら歴代コンサート・マスターによって絶大な人気を博し、もう70周年を越えたというからすごいことです。
どうも記憶が定かではないのですが、レコードのジャケットは4つの四季を表す絵画が縦2横2でデザインされていたので、おそらく1970年版で独奏はミケルッチだろうと思います。何しろ驚いたのは、丸々楽譜が付属していたこと。
当然、当時も今もまともに楽譜がよめるわけではありませんが、まさにイ・ムジチの目指しているものがよくわかる。つまり、作曲者の意図を、楽譜通りに最大限忠実に再現するということ。もっとも、まだ古楽という言葉が定着するずっと前ですから、モダン楽器によるモダン奏法です。
何度も聞いた演奏ですから、自分の中ではベストではないけどスタンダードの位置づけであり、いろいろな「四季」を聞く時の比較対象のベースになっていることは間違いない。
CD時代になって、ヴィヴァルディの40枚組の安価なBOXセットをあまり考えずに購入しましたが、実はこの中の半分はイ・ムジチの演奏でした(残り半分はネグリの声楽曲)。ヴィヴァルディの器楽曲はほぼ全部がイ・ムジチで揃ってしまうという何ともありがたいセット。
ここに含まれる「四季」は、独奏ヴァイオリンは初代コンマスのアーヨなので1959年録音版です。古い音源ですが、初期のステレオ録音としては優秀で何ら問題ありません。古楽系に演奏を知ってしまうと、何ともオーソドックスというか、丁寧というか、教習車が路上練習をしているような感じ。
よく商品レヴューで、古楽系の演奏はエキセントリックで初心者にはお薦めしませんみたいなことがコメント欄に書かれていたりするんですが、それぞれに面白さは違うので必ずしもイ・ムジチが初心者向けということではありません。後は、いろいろ聞いて自分のお気に入りを見つければいいだけの話ですね。
2023年2月22日水曜日
Rachel Podger / Vivaldi Le Quattro Stagioni (2018)
この中で、筋金入りのピリオド奏者となると、ルネッサンス期の音楽からロマン派の一部まで、一番レパートリーの幅が広いポッジャーをあげざるをえない。ただ、主にCDをリリースしているのが、他の二人から比べるとややマイナーな「Channel Classics」というレーベルなのが残念な所。
CDベースの話になると、やはり商業的な側面を無視するわけにいかないので、ドイツ・グラモフォンのような巨大レコード会社からのリリースの方がより多くの人が耳にする機会があるのは事実。
もっとも、マイナーな会社の方が、実力さえあればより良好なコンテンツを取り上げてくれることもあります。アーティストにとっても本当に自分がやりたい音楽をしっかり作りこめる部分があるので、少なくともクラシック音楽の世界ではあなどれない部分が多い。
さて、当然ポッジャーもヴィヴァルディの「四季」は比較的最近CDとして演奏しています。一緒に演奏しているのは、結成されて15年くらいになる、比較的若い古楽演奏集団であるBrecon Baroqueです。
さて、この「四季」はどんなかと・・・予想通り、ではなく、あららら、比較的おとなしい演奏です。いかにも古楽奏法のきびきびした感じはあるのですが、ところどころで遊んでいる感じもします。
ただし、ビオンディやカルミニョーラのようなほとばしるエネルギーみたいな爽快感は感じられず、とりあえず合格点を取りに行った安定した演奏という印象です。男性と女性、あるいはイタリア人とイギリス人の違いみたいなところがあるかもしれません。
もちろん、随所にポッジャーのさすがという見せ場は出てくるのですが、ソロイストとオーケストラというよりは、7~8人程度の室内楽的なコンセプトなので、ポッジャーが全体の中に溶け込んでいるようなところがあります。もっとも合奏協奏曲というジャンルの曲なので、それもまた当然なのかもしれません。
つまり優れた技巧を持つ主席ヴァイオリン奏者のいる集団演奏としては、そこそこ古楽演奏として楽しめるのですが、ポッジャーの個性を感じたい向きには物足りないかもしれませんね。
2023年2月21日火曜日
Claudio Abbado / J.S.Bach Brandenburg Concertos (2007)
バロック音楽を得意とするオーケストラでは、レパートリーからはずすことなどありえないくらい必須の名曲ですし、実際録音された音源の数は数えきれないくらいあります。
古楽系の集団では、ラインハルト・ゲーベルの80年代の録音は個人的にはお気に入り。イ・ムジチ合奏団による、いじりの無い「正当派」も悪くはありません。もともと宮殿での愉しみのために用意されたわけですから、少なくとも大編成のオーケストラで演奏されるべきものではありません。
しかし、最近はどれを聞こうかと思うと、ついつい手を出すのはこれ、クラウディ・アバドのブランデンブルグです。大指揮者のアバドですから、えっ?、なんでっ?! という感じがするとは思いますが、実に楽しく爽快な演奏はこの曲の名演として間違いなく数えられると断言します。
病気のため2002年にベルリン・フィルの音楽監督を辞任したアバドは、2014年に亡くなるので期間、大きな足かせが無くなった分本当に心から音楽を楽しむ姿勢が見えて、遺された音源は一つ一つが傑作ぞろいです。
その原動力になったのがルツェルン祝祭管弦楽団で、そのメンバーは、アバドが若い演奏者の育成のために結成したマーラー室内管弦楽団に、世界中からアバドのために集まったスーパー・プレイヤーが結集したものでした。ですから、全員が音楽を、そしてアバドを盛り上げたいという意識が非常に高く、密度の濃い演奏を聴くことが出来ます。
ほとんど同じメンバーの中から、主として古典までの古楽演奏のために編成されなおしたのが、ここに登場するモーツァルト管弦楽団で、古楽器のスペシャリストが加わり、実に凄いメンバーとなっている。
中心となるヴァイオリンは、ジュリアーノ・カルミニョーラ。そしてリコーダーはミカラ・ペトリ。もうバロック音楽ファンなら、それだけでも唸ってしまうこと間違いなし。そして、チェンバロはオッターヴィオ・ダントーネと来れば、もう感動物としか言いようがない。
名人が集まれば良いというものではありませんが、ここでポイントになるのは、ミラノで行われたこのコンサートの動画があることです(YouTubeでも見れます)。一目でわかりますが、実に楽しそうに演奏している。まさに、音を楽しむというのはこのことだと思わされます。
曲の性質上、実はアバドはほとんど仕事はしていません。はっきり言って、指揮者はいなくても何ら問題ないのですが、ここは皆でアバドを囲んで美しい音楽を奏でるという雰囲気であり、アバドも聴衆の代表みたいになって楽しんでいるのが見ていて嬉しくなります。
2023年2月20日月曜日
Fabio Biondi / Vivaldi Le quattro stagioni (1991)
ただし、悪く言えばイ・ムジチの「四季」は受験英語のような画一的なモダン楽器による演奏で、安心・安全な誰もが楽しめる演奏です。ヴィヴァルディは主として18世紀前半に活躍した人で、「四季」が出版されたのは1725年のこと。300年前の演奏は、もちろん録音があるわけではありませんが、少なくともそんな優等生的なものではなかったでしょう。
80年代以降、古楽の演奏が盛んになってから、当然ヴィヴァルディの音楽についても再構築の試みがいろいろな演奏家によって行われています。イタリア人のファビオ・ビオンディもその一人。
ビオンディは、古楽系のヴィヴァルディについては、おそらく第一人者と呼んで間違いない。90年頃から、自らの楽団エウロパ・ガランテを率いて、約30年間で協奏曲、ソナタ、宗教曲、歌劇などほぼ全分野を網羅しています。
1991年、そのキャリア初期に録音されたこのアルバムは、おそらくイ・ムジチしか知らなかった日本人にとっては青天の霹靂のような音楽だったと思います。これが四季? ヴィヴァルディが壊れた! いくら何でも好き勝手しすぎ・・・などなどの評が踊ったことは想像に難くありません。
てきぱきとした軽やかな進行の中で、自在に揺れ動くテンポ、際立つ楽器同士の絡み、目が眩むような速弾きなどによって、ドラマチックに四季を描き出しています。物凄い快速演奏のように思うかもしれませんが、全4曲12楽章で約40分。イムジチも43分くらいなので、実はそんなに違いは無いのに驚きます。
「四季」と言っているのは、「和声と創意の試み 作品8」と題された全12曲からなる協奏曲集に含まれる最初の4曲のこと。できるなら全曲セットで聞くことが望ましい。ビオンディは2000年に「四季」の採録を含めて全曲をCDにしています。
2023年2月19日日曜日
J.E.Gardiner / Beethoven Symphony No.9 (1992)
そもそも、何がそんなに違うのかという話なんですが、演奏する側と聴衆側の要望によって楽器は変化してきたということ。
その前にクラシック音楽での時代区分をおさらい。9世紀頃にグレゴリオ聖歌という単旋律の音楽が普及し、多声、和音が使われて教会を中心に発展。15~16世紀になって、芸術的価値観が付加されたルネッサンス音楽が誕生します。
以後、モンテヴェルディから始まる17世紀~18世紀初めの音楽が「バロック」、ハイドンから始まる18世紀の音楽が「古典派」、シューベルトあたりからの19世紀の音楽が「ロマン派」と呼ばれます。20世紀はロマン派を残しつつも、印象主義音楽も混ざり、近代音楽、そして現代音楽とつながっているというのがおおまかな説明。
さて、その中で演奏者は、より新しい表現方法を模索してきたわけです。例えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタで言えば、最初の頃の比べると後年の物はより高い音・低い音を使っています。楽器の進歩により鍵盤の数が増えたというのもあるし、逆に作曲者側からもっと増やしてほしいというリクエストもあったことでしょう。
ヴァイオリンについても、もっと早く、より多くの音を弾きこなせるように、長く細くなってきました。これは特に曲芸的な超技巧を誇ったパガニーニの登場が大きく関与しています。また使用する弦もガット弦(羊または牛の腸を利用)だったものが、より丈夫で強く弾きやすいスティール弦に変わりました。弓の形状も変化してきています。
一方、もともとの儀式用教会音楽を、娯楽用に一般化したのは貴族たちです。宮殿の中で演奏者と貴族たちの距離は近いので、音の大きさはそれほど必要ありませんでした。しかし、歌劇の普及と共に一般民衆が多数集まる場所での演奏機会が増えるにつれ、より大音量が必要とされ、より響きの良い大きな音量が出せる必要が出てきます。当然、演奏者の人数(楽器の数)を増やすことも求められてきました。
ですから、現代のモダン楽器による大人数のオーケストラの演奏でのバロックあるいは古典派の音楽の演奏は、当時の作曲者らが意図した音楽とはだいぶかけはなれたものとなっているわけです。そこで、それぞれの時代に応じた楽器と編成で演奏しようというのが、古楽演奏として80年代以降定着してきたのです。
ですから、昭和の評論家たちはカラヤン指揮ベルリンフィルのJ.S.バッハの演奏が最高で、それに比べて古楽演奏家たちのものはしみったれた音楽かのように否定し受容できませんでした。本来の作曲者の意図した音楽と現代における解釈による音楽とでは、時代が古いほど乖離したものだという認識を持って両者を楽しむ姿勢が大事です。
・・・と、まぁ、ずいぶんと上から偉そうな話をしてますが、自分はもともとカラヤンとかは大袈裟な印象で好きになれなかったので、ピアノ独奏とか室内楽が好きなクラシック愛好家だったのですが、J.E.ガーディナーの古楽奏法によるベートーヴェンの交響曲で初めてオーケストラの楽しさを知りました。
響きが少なめの古楽器では、長く音を伸ばすのが不得意ですから、一般的早目の演奏になります。重々しい重戦車のようなカラヤンの演奏(第9は約70分)に比べて、ガーディナーは軽やかで爽快(なんと60分)。ベートーヴェンだって、そんなにいつでも苦虫嚙み潰したみたいな哲学者然としていたはずもないので、ガーディナーの演奏の方がより説得力を感じます。
まぁ、カラヤンを目の仇にしているようですが(実際今でも好きじゃない)、基本的に好き嫌いは個人の自由ですから、カラヤンの好きな方はそれはそれで良いと思います。音を楽しむのが音楽ですから、聴いて気に入ればいいだけの話。自分は今後も、できるだけオリジナルに近い形での音楽を聴きたいと思います。
2023年2月18日土曜日
どん兵衛 天ぷらそば
カップ麺の歴史は1971年日清のカップヌードルから始まったわけですが、日本の蕎麦・うどんについても、カップ麺化されたのは遅れること5年、1976年にスタート。
当初から「どん兵衛」のネーミングで親しまれてきました。以来、東洋水産(マルちゃん)の「赤いきつね・緑のたぬき」とのライバル一騎打ちとなっています。
自分はそもそもうどんか蕎麦かと聞かれれば、絶対的に蕎麦派。特にカップ麺のうどんは、とてもうどんと呼ぶのには抵抗がある。
一方、カップ麺の蕎麦も、以前はちぢれ麺で蕎麦の食感とはかけ離れたものであまり食べたいとは思いませんでした。何かの麺が和風のつゆにつかっているだけというのが正直な感想。
ただ、「どん兵衛」シリーズは、数年前に「ぴん蕎麦」と呼ぶストレート麺に変更され、これで格段と美味しくなった。
最近、コンビニで何やら新しいラベルの「どん兵衛」を見つけたので、早速食べてみました。何しろ「最&強」、「このどん兵衛 すべてが主役」という文字が踊っていて、さらに美味しさアップ感が半端ない。
結論。最強じゃない。麺は「ぴん蕎麦」で、カップ麺の蕎麦としては現在望みうる最強であることは変わらない。かき揚げは、マルちゃんと優劣付け難くどちらも最強と呼ぶにはちょっと違和感を残します。
一番ダメなのはつゆ。以前、「どん兵衛」は液体スープを採用して、ほぼ完璧なつゆになったと思っていたのですが、これは粉末スープで和風っぽい液体に戻ってしまいました。
う~ん、何か残念としか言いようがないところですが、まぁ和風カップ麺はそれほど食べる機会が多いわけではないので、どっちでもいいかなというところでしょうか。
2023年2月17日金曜日
Luca Fanfoni / Locatelli L'arte del Violino (2001,02)
イタリアの16~18世紀の音楽は、モンテベルディとヴィヴァルディの二人の有名人だけ知っていれば事足りると思っていました。さすがに浅はかな考えであったと、大変反省しています。それぞれの作曲家にいろいろと個性があり、音楽史の中で無視できない大事な作品がいろいろとあるんですね。
ピアノの進歩は古典期以降のドイツに譲るものの、弦楽器、特にヴァイオリンについてはバロック期のイタリアでほぼ完成したと言えそうです。優れた作曲家は同時に優れた演奏家であって、自らの演奏技術を誇示することが音楽家として地位に影響したわけです。
ピエトロ・ロカッテリは1695年生まれで、その存在が忘れられていない最大の理由がこの「ヴァイオリンの技芸」と呼ばれる作品。
それぞれが3楽章の12曲のヴァイオリン協奏曲から構成される作品で、全部で3時間半くらいを要します。合奏部分は、実にシンプルでそれほど手の込んだことはしていないので、そこだけ聞いていると軽いBGMにしかなりません。
ところが、これらの作品のすごいところは、1曲の中の2楽章にヴァイオリン独奏のカデンツァが組み込まれているところ。カデンツァは楽章の終結部に演奏者の独奏部分のことで、即興的な自由が許されています。実際は有名になった演奏が、譜面に取り入れられていることが多いようです。
有名なのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の第1楽章。ラフマニノフ自身が超高度なテクニックを要する大カデンツァを作っていますが、一般人向け的な小カデンツァもあり、どちらを披露するかは演奏者の選択に任されています。
ロカテッリの作品では、何とこのカデンツァが長い。ほぼカデンツァのために合奏部分を取って付けた、と言っても過言ではないくらいのもの。1曲3楽章に含まれる2か所のカデンツァだけで演奏時間の半分くらいをしめています。
合奏部分を廃して、このカデンツァだけを演奏する演奏会やCDもあるようです。でも、たいしたものではないかもしれませんが、合奏があってからの独奏だから目立つわけで、最初からカデンツァだけだとヴァイオリン・サーカスみたいなので、やはり全曲で聞くのがおすすめです。
フル・ヴァージョンとしては、古くはイ・ムジチ合奏団のCDもあるのですが、やはり古楽器による古楽奏法で聴きたい。こういう時に重宝するのが、イタリア本来のイタリア人によるイタリア人の音楽をしっかり再現していくことを使命としている「Dynamic」というレーベル。
独奏者のルカ・ファントーニはあまり情報が無く、世界的には知られていない人のようですが、カデンツァ部ではバカテクを披露していて十分に聴き応えがあります。CD一枚に4曲ずつで、CD3枚で全曲を聞くことができます。
後に、この全部で24あるカデンツァ部をヒントに、独立した独奏曲集を作ったのがニコロ・パガニーニの超有名な「24カプリース」です。さあ、ヴァイオリンの歴史の一ページを飾る至芸を堪能しましょう。
2023年2月16日木曜日
Isabelle Faust / J.S.Bach Sonatas & Partitas (2009,10)
17~18世紀にイタリアで作られた、現在でも最高の音を出すヴァイオリンとして有名です。作ったのは、アントニオ・ストラディバリ、そしてその息子であるフランチェスコ、オモボノの三人。
チェロ、ヴィオラなどもわずかに現存していますが、圧倒的に多いのはヴァイオリン。全部で1,200挺弱が制作されましたが、J.S.バッハとだいたい同じ時代である300年ほど前のものですから、現存するのは世界中でその半分の600弱と言われています。
これらのヴァイオリンは、バロック・ヴァイオリンと呼ばれ、それだけなら古楽器と呼ばれるものですが、通常のモダン奏法の演奏者も当然使用していて、たいていはモダンの標準であるスティール弦を使用していのすが、古楽器奏法を行なう奏者は一般にガット弦を用います。
古楽器(ピリオド)奏法で有名なヴァイオリン奏者としては何人かが有名ですが、イザベル・ファウストもその一人。1972年生まれのドイツ人ですが、名前が知られるようになったのはフランスでの活躍からでした。
愛器は1704年に制作されたストラディバリウス(愛称はスリーピング・ビューティ)で、ヴァイオリン奏者の聖典とも呼べるJ.S.バッハの独奏ヴァイオリンのための「Sonatas & Partitas」全6曲の演奏は、この曲におけるピリオド奏法による頂点を極めた作品と評価されています。
何しろ、バッハが得意とした対位法(違う複数のメロディが同時に進行する)による独奏という高難易度の曲集ですから、モダン楽器と比べて響きが少なくなりやすい古楽器での演奏はより難しいと言われています。
もっとも、本来バッハが耳で聞いた音を出すわけですから、そういう音楽のつもりで作ったはずで、ファウスト自身も「これを一般聴衆に聞かせるために作った」かは疑問があると言っています。
ソナタは声楽曲に対する器楽曲という意味で、後に一定の形式にのっとったものをソナタ形式と呼ぶようになります。パルティータは組曲ということ。バッハのこれらの曲集では、それぞれが数分の短い楽章が組み合わされて一つになっているもの。全部で31楽章で、演奏時間はだいたい2時間ちょっと。さすがに一度のコンサートで、一気に演奏するには無理がありそうです。
でも、我々一般人は時間の許す限り、ゆったりと自由な格好で好きなだけ聴き続けることができる。まぁ、何と幸せな時代であることか。
2023年2月15日水曜日
Giuliano Carmignola / Vivaldi Le quattro stagioni (1999)
日本では1970年代に、イタリアのイ・ムジチ合奏団によるレコードがクラシックでは異例の大ヒットして、長らくバロック音楽とはこれだ!!、みたいな価値観を日本人に植え付けました。
当然、クラシック音楽を一般化する「功」と固定観念を作ってしまった「罪」の両面があったわけですが、自分も確かにイ・ムジチのレコードを持っていて、随分と親しんだ覚えがあります。
今の耳で聞くと、イ・ムジチの「四季」は、まさに優等生。モダン楽器の美しい響きによる、楽譜から丁寧に一つ一つの音を積み上げで完成した音楽は、間違いなく現代におけるクラシック音楽のあり方の典型なのかもしれません。
しかし、80年代以降に、その曲が作られた時代の実際に奏でられた音をできるだけ再現しようとする「古楽器」による「古楽」が盛んになり、イ・ムジチのようなモダンな端正な演奏は影をひそめるようになりました。
ジュリアーノ・カルミニョーラは、1951年生まれのイタリア人で、モダン・バイオリンの演奏もしますが、バロック・バイオリンの第一人者の一人として認知されています。特にその名を有名にしたのが「四季」の演奏でした。
カルミニョーラより前に、例えば古楽合奏集団、イル・ジアルディコ・アルモニコの「四季」も圧倒的なハイ・スピードで、それまでのイメージを崩した演奏を披露して愛好家を驚かせました。
しかし、カルミニョーラは、それだけではなく、楽章内で自由自在にテンポを揺らし、アドリブに近いような装飾音を混ぜ込んで、本当にこれが「四季」なのかと思わせるような圧倒的な演奏を聞かせてくれました。
やり過ぎという批判にさらされることもありますが、多くは好意的に迎えられ、時代の音楽はこうあるべきという一つの規範として名盤と呼ばれています。
大浴場でゆったりつかっているのもいいんですが、高温のサウナと水風呂のような刺激的な楽しみ方も温泉の醍醐味と思えば、カルミニョーラの「四季」から古楽の世界に飛び込むのも悪くはありません。
2023年2月14日火曜日
John Eliot Gardiner / Santiago a capella (2004)
まず、楽器の演奏者として、あるいは指揮者としてどのように曲を作り上げるかという・・まぁ、楽しみというよりは責任を伴う勉強みたいなものが一つ目。
自分のような一般人は、作曲者を中心に聴くか、または演奏者を中心に聴くかの二択が残されています。どちらかだけというのは、かなり難しいので、実際はどちらも混在して楽しむのが現実的。
例えば、ベートーヴェンを制覇しようとして、交響曲から協奏曲、室内楽、独奏楽器と幅を広げていくわけですが、そうなるといつの間にか違う演奏者のものと聴き比べたくなってくる。
クラシックなんて楽譜通りに演奏するんだから誰がやっても同じ、と昔の自分は思っていましたはこれが間違い。独奏はもとより、オーケストラでも指揮者の考え方によって、けっこう同じ曲でも聴いた印象は変わってくるものです。
そうこうしていると、気に入った演奏家というのが見つかって来るもので、今度はその演奏家のいろいろなものを聴きたくなってくるのは当然ということになります。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を出したピアニストは一体何人いるんでしょうか。ちょっと考えれば、名演と呼ばれるものだけでも軽く20人くらいは挙げられますが、今でも毎年数セットは増えているように思いますので、100じゃきかないかもしれません。
それはそれとして、ジョン・エリオット・ガーディナーは大好きな指揮者。自分にとってはオーケストラの面白さを再認識させてくれた恩人みたいな人ですが、本来はバロック初期の偉人、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を歌いたくて、モンテヴェルディ合唱団を結成したのが始まり。
だったら、伴奏も自前でしようというわけで、古楽系の草分けであるEnglish Baloque Soloistsを結成。さらにベルリオーズの「幻想交響曲」を演奏したくてOrchestre Révolutionnaire et Romantiquemも結成しました。バロックから古典、さらにロマン派にまでレパートリーを延ばしてくれたおかげで、ガーディナーのCDを追っかけていると、驚くほど多種多様な音楽を聴くことができます。
2000年に1年かけてJ.S.バッハの教会カンタータ、約200曲を教会暦に沿って演奏し続けるという大偉業を達成し、従来の仕事に一区切りつけたガーディナーと手兵のモンテヴェルディ合唱団のメンバーは、キリスト教の巡礼の旅に出発しました。
敬虔なキリスト教徒は、フランスをスタートしてスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステラへと巡礼する伝統があるそうです。日本で言えば四国八十八か所のお遍路さんみたいと思えばわかりやすい。
彼らは、途中で立ち寄った教会や修道院で、16~17世紀の多くの古いメロディを収集しました。それらをまとめたア・カペラのアルバムがこれ。もう一枚、「Pilgrimage to Santiago (2005)」というアルバムもあり、巡礼の旅の成果がこの2枚に凝縮しています。
古い宗教曲というとグレゴリオ聖歌のような単旋律のお経みたいなものを想像しがちですが、ここに収められた曲はいずれもカラフルで、美しい物ばかりです。宗教という型にはめ込まれていない、民衆のための本来の音楽の原点のようなものなのかもしれません。
心が現れるような清らかさがあり、最近の言葉で言えば「究極の癒し」の音楽とでも言えそうです。珈琲をゆっくりすすりながら、静かに気持ちを落ち着けるひと時にぴったりの音楽だと思います。
2023年2月13日月曜日
味噌を作ってみる 8 新シリーズ開始
去年の5月に仕込んだ自家製味噌は、多少のトラブルはあったものの、初めてにしてはほぼ順調に「味噌」になりました。
冷蔵庫に入れれば発酵は止まりますが、そのまま室温で保存しさらなる熟成中です。写真の左が、約8か月経過した最初の味噌ですが、さらに色が濃くなっているようです。
ちょこちょこ料理にも使用していますが、まろやかな味わいでなかなか優れものだと自負しています。何しろ、米麹、大豆、塩以外の保存料とか着色料とかよけいなものは入っていない、まさに無添加というのが嬉しい。
そこで、出来上がりまで半年以上かかりますので、次なる味噌の仕込みに取り掛かりました。
材料、分量、手順などは過去の記事を参照してください。米麹の下処理、大豆の下処理なども基本的には一緒です。ただし、熟成開始については、前回はすべてジッパー付きのビニール袋で行い、だいたい食べれそうになってから容器に移したのですが、今回はビニール袋の中で混ぜ合わせた後、すぐに密閉できる容器に仕込んでいます。
この場合、注意が必要なのは一気に詰め込まないこと。手に握れる程度の量を少しずつ詰めて、入れるたびにしっかり押さえつけて空気を抜く必要があります。隙間に空気がたくさん残るとカビの原因になります。
さあ、今回はどうなるでしょうか。順調にいけば秋には食べれる予定です。
2023年2月12日日曜日
C.Maccari & P.Pugliese / Giuliani Rossiniane (2007)
ドイツがクラシック音楽の中心になってからはないがしろにされてしまった感がありますが、クラシックの世界でもギターは登場するわけで、特にバロック期から古典期のイタリア音楽では普通に使われていたようです。
イタリアのナポリで1781年に生まれたマウロ・ジュリアーニは、クラシック・ギターの巨匠の一人。ギター以外の弦楽器も勉強した後の二十代なかばにウィーンに移り、作曲活動も開始しました。ベートーヴェンにも一目置かれる存在でしたが、40歳頃にローマに移り少しずつイタリアでも知られるようになった1829年、48歳で亡くなっています。
自己のオリジナルによるギター作品だけでなく、他の作曲家の有名曲を基にした変奏曲も多数作り、特に有名なのがロッシーニの歌劇のアリアをふんだんに盛り込んだ「ロッシニアーナ」と呼ばれる一連の幻想曲集です。
自分はオペラはずっと苦手で、ロッシーニの歌劇をほとんど知らないので、原曲がどのように使われているのかわからないのが残念ですが、知らなくても十二分に楽しめる。本来はギター独奏曲ですが、このアルバムでは、クラウディオ・マッカリとパオロ・プリエーゼというコンビによる二重奏で奏でられ、音楽的な厚みが増しているので大変聞きやすい。
例えば、ナポリの港町の夜にバルコニーで、ギター弾きながら物思いに耽っているような映画のシーンを思い浮かべるといいかもしれません。

