2010年12月31日金曜日

大晦日

今日は、受付と看護士の二人のスタッフが勤務に出てくれたので、うちのかみさんと長女、次男とあわせて、ゆとりがありました。大半が初診の方ばかりで、普通なら3時くらいまでかかっても不思議が無いところだったのですが、12時半くらいで無事に終了しました。

さて、大晦日ということで・・・特に何をするというわけではないのですが、やはり食事は蕎麦ということになります。細く長くという意味をこめているわけですが、年越し蕎麦は日本人としては年末年始のイベントとしては欠かすことができません。

かみさんが海老の天ぷらを作って昼食としてたらふく食べたので、もう夜までお腹は大丈夫。でもって、これからお出かけの予定。

えっ? どこへかって? 大晦日に行くところというと、ここしかありません。

ここです

あまり紅白とか興味はないので、テレビよりも生カウントダウン。しかもアルコール付!!

とにかく、今年もいろいろな方々のおかげで1年間を無事にすごすことができました。医者一人がいくらがんばっても、クリニックはなりたちません。本当に皆様ありがとうございました。

来年も、今年と特に違うことをやるわけではありませんが、少しでもクリニックとしてより充実した診療ができるように頑張りたいと思います。

どうか、来年もよろしくお願いいたします。

2010年12月30日木曜日

床掃除

今日はうちのクリニックは午前中だけの診療。だいたい12時半くらいに終了して、それから床の大掃除をしました。

もともと、うちのクリニックの床はワックスがけのようなことは必要ないので、今までも毎日の化学モップがけと週に1回の水ぶきですませていました。

もっとも、経営観念のない最初のうちは、週に1回業者に入ってもらって掃除をするなんてこともしていました。経営が切迫して真っ先に取りやめて、自分でできることは自分でやる体制にしたわけです。

そんなわけで、日常の掃除でだいたい足りていたのですが、さすがに5年間たつと、けっこう汚れが目立ってきました。モップの角でごしごしやってもなかなか取れないもので、一度大々的に掃除をするしかないかなと思っていたわけです。

そこで登場したのが、うちのかみさん御愛用の「激落ち君」なのです。もう1週間くらい前から、かみさんはこれでちょっと時間があると床を磨いていたんですが、確かに汚れが激落ちなのです。

かえって、磨いていないところとの色の差が出すぎてしまうくらいです。材質はメラミンフォームというもので、洗剤は入っていないらしいのです。メラミンというと、こども用の割れない食器の材質として思い出されます。

それにしても、腕が疲れました。他に楽チンできれいにできる(お金がかからない)方法があれば誰か教えて!!

2010年12月29日水曜日

戻ってきた年賀状

えっ? まじですか?

来年の元旦に届くために出したばかりの年賀状。早くも戻ってきてしまいました。住所が違っていて配達できないようです。

まぁ、これって、親切ですよね。元旦には間に合わないにしても、住所を確認できれば、今なら1月3日には配達してもらえるように出しなおすことが可能ですからね。

もっとも、確認しようが無いので、相手から年賀状が来ることを待つしかないかもしれません。

病院はたいていは12月28日で年内は終了。クリニックでも、今日で終了というところが多いようです。うちは明日も、明後日も午前中診療となっています。たまたま開業したのが12月だったので、最初の年に大晦日まで診療をしてしまったのが運の尽き。

さすがに来年は大晦日までというのはしんどいかな、と思っています。

2010年12月28日火曜日

横濱家ラーメン ~ 濱やセット

横濱家といえば、横浜市北部地域に住んでいたら知らぬ者はいない有名ラーメン店。チェーン展開しているので、一軒だけの特徴のある店に比べてやや軽く見られる傾向はあるかもしれませんが、いえいえなかなかどうして、ここの醤油豚骨を食べるとやみつきになること請け合いです。

今日はひさしぶりに、東名川崎インター店に行ったのですが、知らない間に夜の濱やセットなるものが登場していました。これはあざみ野棒屋先生の情報が早かったので、是非確かめてみたいと思っていたのです。通常メニューのラーメンとサイドメニュー一つのセットで¥890というもので、驚いたことにラーメンの選択はどれでもいいというのです。

例えば、一番高いのはネギチャーシューの¥980ですから、事実上90円の値下げということです。当然のことながら、ふだんなら食べることの無いネギチャーシューを注文するわけで、しかもお好みの麺固め、タレ普通、油少な目までリクエストしてしまうというあつかましさ。

このあたりは、店のしたたかな戦略があるはず。例えば10人の客がいて、普通なら5人がラーメン¥680、3人がねぎラーメン¥890、2人がネギチャーシュー¥980を頼んだとします。売り上げは8030円です。

これがラーメンを頼む人のうち3人がセットにかえてくれれば、それだけで630円の売り上げ増になるわけです。かりにサイドメニューの分を差し引いても、少なくとも赤字にはならない計算が当然あるはずです。

客も店も得した気になれる作戦ということなんでしょう。それにしても、この年の瀬に呑気にラーメンの話題というのもどうかと思いますが、旨い話なんですからお許しください。

2010年12月27日月曜日

2010年総決算

今年もあと数日を残すのみとなりました。

クリニックを開業して丸5年となり、医療法人化という一つのステップを越えて、少しは成長したのでしょうか。開業したときはまだ40代で、それなりのパワーに自信がありました。実際、当初の見込みどおりにはまったくいかないことばかりで、悪戦苦闘していたわけですが、それを乗り切ったのもパワーのおかげでしょうか。

このブログをはじめたのも、患者さんを集めるための無料でできる広告ツールとしてでした。丸1年が過ぎて、何とか生き残っていたものの、毎日毎日がいつ閉院するかの恐怖の連続だった頃です。隣のあざみ野棒屋先生には「近所の底力」みたいに言ってもらいましたが、実際のところ、とにかく患者さんを集められるのであれば何でもやります、みたいな状態でした。

そうは言っても、まったくお金には余裕が無く、このブログでも業務用スーパーでの買い物の話を幾度となく書きましたが、現実に贅沢を言っていられない状況だったわけです。当直のバイトも「内科的知識のアップデート」のように強がっていましたが、そりゃやらないですむならそれにこしたことはない。

まぁ、ブログ自体は無料でできるネット広告としてはそれなりの役目を果たしてきたわけですが、今は自分の日記としての色合いが増えてきました。誰も読みたくならないような話でも延々と書いていると、まぁそれなりに楽しみ、時に苦しみになっているのです。今年は、他に書きたいことがあっても、1日1篇と決めていました。どうでもいいときは、いくらでも書きたいネタがあるものですが、無いときはその1篇ですらどうにもならないものでした。

いろいろな経験の中で、少なくとも一気に患者さんが倍増するなんていう虫の良い話はないということを学びました。開業医は結局、口コミが一番の宣伝であり、どんなに広告を出してもそうは変わるものではありません。去年からは駅の看板田園都市ドットコムだけにしています。

今年も広告については、まったく変更はありません。それ以外では、近くの川和高校と荏田高校の吹奏楽部の演奏会プログラムに出しただけ。これは、ほとんど広告効果は期待できるものではありませんのでほとんど寄付というレベルです。でも、なんか音楽に携わる若者のを少しでも応援するという気持ちですので、クリニック名などは下のほうに少しだけ入れる程度にしました。

それで患者さんの数はどうなったのかというと、本当に微増してきたわけで、今までのところ前年同月比割れが一度もないというのは奇跡のようなことです。こんなことを書くと、すぐに落ち込んでしまうかもしれませんけど、もともとスタートの時期があまりに患者さんが少なかったので、最初の目標が低かったということでしょうか。

1年で収支はとんとん、3年で何とか勤務医レベルの収入を得ることができるようになりました。そして、5年で生活にやっとゆとり・・・と思っていたのですが、まだまだお金がかかることが目白押し。今年もバイトはやめられませんでした。去年とほぼ同じだけの当直をこなしてきましたが、来年もまだまだ続きます。

クリニックのイベントも定着してきて、何とか水族館も続いています。夏にはベランダ菜園、ハロウィーンでのお菓子配り、そしてクリスマスでのサンタ折り紙のプレゼントなど、ひとつひとつはたいしたことではないのですが、「社長」であるうちのかみさんのアイディアが大きく、このあたりは男にはなかなか思いつかないものばかりです。

クリニックは医者が働かなければどうにもならない、というのは事実ですが、一方医者だけが働いてもどうにならないというのも真実であり、スタッフに恵まれるかは最大のポイントです。今はとても素晴らしいスタッフが支えてくれていて、とても働きやすい。かみさんがうまく院長との間を埋めてくれているのも助かっています。

専門分野の勉強に使う時間を作る余裕もでできて、恵まれた2010年でしたが、このペースを崩さずにさらに発展できるように来年も頑張りたいと思うわけです。どうか、よろしくお願いします。

2010年12月26日日曜日

Alfred Brendel / Schubert Piano Works

フランツ・シューベルトは1797年生まれ、ベトーヴェンが1770年生まれですから、明らかに一世代折れての登場でした。しかし、ベトーヴェンが1827年に亡くなると、翌年に若くして後を追いました。

ハイドンからモーツァルトに至る古典派の薫陶を受けたベートーヴェンでしたが、シューベルトは古典派からの脱却の道筋を作ったベートーヴェンの影響を受け、来るべきロマン派への架け橋としての存在と言う事ができます。

音楽としての理論的構築の上に詩情を上乗せして、より心に響く音楽を提示してきました。ただ、どうも未完に終わった作品が多い。代表的な交響曲は、まさに「未完成」と呼ばれている。

そのために、作品の構造としても混乱が多く、作品数も研究者によって変わってしまうということが多い。未完成交響曲も第7番なのか、第8番なのか結論は出ていません。

ピアノソナタの作品数の多さはベートーヴェンには負けるものの、モーツァルトを上回る第21番まであるわけですが、これについても未完成と考えられているものがいくつか含まれていて、単独の小品とされていたものが実は未完のソナタの一部と考えられたりしています。

シューベルトは舞台物の作品や宗教物はごくわずかしか残していませんが、圧倒的な存在を示しているのが歌曲のジャンルでした。ここは、もちろん自分のテリトリー外なのであえて入り込まないようにしています。

ピアノ曲は、その数の多さから言っても、相当重要な力が入っていた分野なのでしょう。ただ、歌曲が得意なだけに美しい主旋律を持つ主題が散りばめられているわりには、全体像がややわかりにくく、ちょっと聞いただけではつかみどころが無いような印象を感じることがあるのです。

反復が多いのも、全体像をぼかしている理由になっているかもしれません。そして、後年のシューマンに通じるロマンチックな雰囲気が、より抽象的なイメージを感じさせるのです。しかし、ひとたびはまると、このあたりがたまらないのです。

ピアノ・ソナタは一般に知られるようになったのは比較的新しい話で、そこに重要な役割をになったのがケンプの全集であったことは有名な話です。

ケンプの全集は1965年から1969年にわたって録音されたもので、これによってシューベルトのソナタの再評価がされました。ケンプの自由奔放な表現力が、シューベルトの作風とマッチして、40年たった今でも全集としての不動の価値は減ずることがありません。

自分の場合、たまたま最初に買ったベートーヴェンの全集がケンプだったので、ケンプの他の作品から他の作曲家に入っていったのですが、最初は何となくいい感じという程度の印象でした。

その後、他のピアニストの演奏を聴いて、再び戻ってみると何か聴こえてくるものがあるんですね。あらためてケンプのシューベルトの面白さがわかってきた感じがします。

そして、最近手に入れたのがブレンデルの選集です。もともと廉価版でも出ていたのですが、今回本家のレーベルからブレンデルの引退記念として、あらためてかなりのお買い得価格で登場したので購入しました。

もともと理論派のブレンデルですから、あまり詩情に走りすぎるとかえってやりにくいのではないかと思います。そういう意味では、完全なロマン派とは言えないシューベルトは高からず低からずのちょうどいい位置にあるのかもしれません。これもひとつのシューベルトのありかたというところを聴かせてくれました。

2010年12月25日土曜日

Kiss & Cry

全日本フィギアやってます。今日は女子のクリスマス決戦、ショート・プログラムでした。

フィギア・スケートは華やかですね。いろいろなジャンプの技がありますが、何がどう違うのかよくわからないのですが、とにかく得点が高い選手ほど、見ていてなんかすごいなぁと思うものです。

例えば、曲一つとってもきちんと演技の要素としてしっかり組み込んでいるのは見ごたえがあるものです。今年売出し中の村上選手は、曲の流れの使い方はピカイチではないでしょぅか。

安藤美姫選手は、さすがにベテランの域に入ってきました。テクニック的には早くから注目されていましたが、もともと表現力が不足しているといわれてきました。しかし、今や指先まで神経が通った演技はさすがです。

注目はジュニア優勝の庄司。14歳とは思えない、ダイナミックな演技は次世代のスターを予感させます。

しかし、何と言っても今年は不安定要素の多い女王浅田真央が最も気になるところでした。バンクーバー・オリンピックまでの好調はどこに行ったのか、シーズン開幕以来目を覆いたくなるような失敗が目立ちました。

スポーツ選手は、どこかでメンタルな部分の影響を強く受けるというのはよくある話。ライバルとして互いに影響しあった韓国のキム・ヨナの事実上の引退(?)などは大きく関係しているのかもしれません。

でも今日はよかった。観客全員が固唾を呑んで見つめたジャンプだったと思いますが、何とかこなして、その後のステップも乗ってきている感じがありました。このまま、乗り切ることができれば、もう向かうところ敵無しの存在になれるのかもしれませんね。

2010年12月24日金曜日

クリスマス・イブ

クリスチャンでもないのに、キリストの誕生日に便乗してウキウキするというのも、いまさらのようにきがひける・・・わけでもなく、今年もそれなりにクリスマス・ウィークを満喫しているのです。

3年位前に患者さんから、ポケット付のサンタの折り紙を教わりました。去年はスタッフ総出で200個くらい折って、ポケットにお菓子を入れて配りました。

今年は、さらにパワーアップ。全部で400個近くのサンタを用意して、先週から患者さんに差し上げてきたのですが、本日でだいたい終了。

女性やこどもさんはたいてい貰ってくれるのですが、男性はなかなかてを出さない。まぁ、自分が患者さんでも、たしかにもらわないかもしれません。へんな面子を持っているからかもしれませんが、それも一つの男の哲学みたいな・・・まぁ、そんな小難しい話でもありませんけど。

せっかくクリニックにお出でいただいたのですから、少しでも気持ちよく帰っていただけたらという、スタッフの気持ちの現われです。もっとも、院長もいくつかは折っているんですよ。

たぶん来年も用意すると思いますから、楽しみにしていてください。

2010年12月23日木曜日

年賀状作り

今日は天皇誕生日・・・ということは国民の祝日でクリニックも休み。例年だと当直をしていて朝からいないのですが、どういうわけか今年はお役御免で家にいる。

そこで、皇居まで参上はしないものの天皇陛下には謹んでお祝いの気持ちをもちつつ、ひさしぶりの丸1日休みを満喫・・・している場合じゃありません。

少しは掃除らしいこともしないといけませんし、だいいち年賀状をまだ作っていないじゃないですか。当直に行くとさらに時間がないので、開業してからは元旦に着く年賀状を出したことが無い。

元旦に着かないくせに、「平成××年元旦」とか入れているんですから、相当開き直りに近いものがある。今日はそこで何とか来年こそは元旦に着くようにと思いまして、いつもの時間から起きて住所録の整理。去年の年賀状と比べながら、住所の変更が無いか、喪中の人はいないかのチェック。

年賀状の本体は先週だいたい作ってありましたので、こちらは微調整だけです。住所録さえ整えば、後は簡単。時間はプリンターのスピードに依存するわけですが、5年前に比べるとずいぶんと早くなったものです。

夜までに完成!! 来年は元旦に届く年賀状。

・・・って、威張れる話じゃありませんけどね。

2010年12月22日水曜日

干支飴

頂き物ですが、これはおっさんが見ても可愛いと思います。十二支の動物にちなんだいわゆる「金太郎飴」ですが、きっと作る人も楽しんで作っているんじゃないでしょうか。

ただ、問題は・・・可愛すぎて食べれない。

腐るものでもないでしょうから、しばらくは観賞用ということで。

2010年12月21日火曜日

田園都市リウマチフォーラム世話人会

田園都市リウマチフォーラムというのは、横浜市都筑区の自分と、青葉区のひろた内科クリニック、緑区のあゆみクリニックで始めた勉強会から発展したものです。今夜はひろた内科に世話人ということになっている3人が集まって、次回のフォーラムの打ち合わせと恒例となっている勉強会でした。

この勉強会で、いつも思うのことは、膠原病がらみの話になったときの自分の知識の足りなさです。関節リウマチという病気だけなら、内科系の二人の先生とそれほど見劣りのしない討論ができると思っているのですが、純粋に内科疾患と言える膠原病に関してはどうしてもわからないことが多い。

膠原病は、教科書を買ってみたりして勉強しようとしてはいるのですが、どうもなかなか複雑で漠然とした話が多くて、どうもピンと来ないことが多い。

あゆみクリニックの上里先生が面白いことをいっていました。膠原病の勉強はドラクエみたいなものだと。つまり、一人一人の患者さんの主治医になることで経験値がもらえて、患者さんを無事に合併症を発症させずにコントロールできるとレベルがあがるんだというのです。

これは、リウマチでもある程度同じで、患者さんの病態は一人として同じものは無く、教科書に書いてあることは理想像みたいなものですから、実地にこつこつと経験を積み重ねていかないことにはダメだということなんですね。

今の自分は、病棟はありませんから、なかなか経験値を貯めるというわけには行きません。とりあえず、こういう勉強会でアイテムを一生懸命集めておきたいと思うわけです。

2010年12月20日月曜日

ONE PIECE

ぶっちゃけ、もう10年前のことですけど、勤務していた大学病院で若い男性事務員が「ワンピース」にはまっていました。うちでは、こどもがせっせと読んでいたので、なんとなくは知っていましたが、なにしろこっちはおっさんですから。

なにしろ熱心にワンピースがいかに素晴らしいかを語るんですけど、こっちにはよくわからない。まぁ、冷めた目で見れば、JUMPは人気の出た漫画はとことんやめさせないとか、ということになるんでしょうけど。

しかし、10年以上つづけられるということはすごいことです。無理やり続いていたら、自然と筆が鈍っていくわけで、だんだんファンにはわかるもんです。さっさとグランドラインに行って、ワンピースを手に入れればいいじゃないか、と言うのは野暮というものです。

最初から真面目に読んでいたら、さぞかしはまりまくるんでしょうけどね。まぁ、それはそれでよかったかと思います。最近のワンピースの人気を見ていると、はまったが最後泥沼のように抜け出ることができそうもありません。

仲間を大事にして、心が正しいと思う方向へ全力で突き進むエネルギー。それが、実際の現実社会にも反映されれば、ずいぶんと楽しいことが増えるだろうと思います。夢と現実の解離が、ますます深刻になっているのが現代というものなんでしょうかね。

2010年12月19日日曜日

R.Podger / Mozart Violin Sonatas

よく書いていることですけど、クラシック音楽で古楽という分野があって、その曲が作られた時代をできるだけ忠実に再現しようということで、主として当時の楽器や編成によって演奏するわけです。

自分の場合は、あまりこだわらない部分でして、どうあがいてもタイムマシンでも無い限りは完全な再現は不可能でしょう。単純に曲が良くて、演奏が良ければ、それがたまたま古楽器による演奏だったという感じなのです。

モーツァルトのバイオリン・ソナタは、ムターのCD4枚組のものを持っているのですが、モダンバイオリン+モダンピアノの演奏ですけど、近年のものとしては大変優秀な演奏だと思っています。

ただ、選集であることだけがちょっと物足りない。もともと、モーツァルトのバイオリン・ソナタは初期の物は、バイオリン伴奏付きピアノ・ソナタという位置づけだけに、バイオリニストからはやや軽く見られているようです。名だたる大御所のソナタ集は数あれど、全集を見つけることはまったくないのです。

そこで、レイチェル・ポッジャーの登場です。ポッジャーは21世紀に注目されてきたバイオリニストで、最大の特徴は古楽器を使用していること。モダンバイオリンに比べると、やや音は太い感じで響きも少ない。ところが、ポッジャーは、これをよく鳴らすんですね。

2004年から2009年までかけて、ポッジャーがモーツァルトのバイオリンとピアノのためのソナタの全集録音を完成させました。当然、初期の物も含む完全版というところが、最大の魅力。8枚のCDを順次発売したのですが、なんとこれがSuper Audio CDという高品質CDなのです。

確かに素晴らしい録音だと思うのですが、どれほど音がいいのか、ぼんくらの自分の耳にはよくわかりません。それより、困ったことは値段が割高で、全部まとめて買うと2万5千円近くになってしまうのです。

ところがHMVが年末バーゲンで嬉しいことをやってくれました。2000円均一のリストのなかに、これを入れてくれたんです。しかも、今ならポイント15倍、ダイアモンド会員の自分は30倍というまたとないチャンスです。通常価格が2700円のところが、実質1400円で買えるとなれば、これを逃す手はありません。

ムターの艶のある響きも良かったけれど、ポッジャーの温もりのある音も捨てがたい。初期の曲では、ゲーリー・クーパー(映画俳優みたいな名前)のフォルテ・ピアノのポコポコした音が時々耳に付くことがありますが、なるほどそれで普通の演奏者はやらないんだな、とかえって納得したりしています。

2010年12月18日土曜日

今年の音楽 ~ マニア度アップ

しがないクリニックの院長の唯一の楽しみ、というか無駄遣いとも言われていますが、クラシック音楽CDの収集は今年も続きました。

思えば、クリニック開業して最初の2年間くらいは、ほとんどよけいなことに出費している余裕はなく、3年目あたりからやっと月に1万円以内くらいかけてきました。

最近は、月に平均して1万5千円くらいにグレードアップ。まぁ、このあたりに余裕がでてきたことを実感するといのも、どうも小市民的な発想でなんとも言えないところです。

クリニックに使うBGMという大義名分があるとは言え、最初は有名作曲家のピアノ独奏曲を中心に、続いて室内楽曲に手を出し、それもだいたい揃ってくると、次はあまり聞いたこともないよいな作曲家のものをあさり出す。

このあたりは、クラシック音楽という、ある程度限られた文化遺産を集める以上はやむ得ない道筋ではないかと。ところが、今年はさらにマニア度アップで、有名作曲家の有名曲を自分で、あるいは他人が編曲した物に手を出しました。

これはけっこういばらの道で、CDを探すのも苦労するのですが、そうそう売れる物ではないようで、注文してもなかなか手に入らない。2ヶ月待って、結局入手困難となることも珍しくはありません。

メジャーなものとしては、ベートーヴェンの唯一のヴァイオリン協奏曲を自分でピアノ協奏曲に書き直した物なんてのがあります。面白いようなつまらないような不思議なところで、まぁそれはそれでいいか、ってな感じでしょうか。

モーツァルトの有名歌劇は、けっこう室内楽版になっていることが多い。昔は評判の音楽をこうやって、家で楽しむという目的があったわけです。オペラの苦手な自分でも楽しめるので、これはなかなか楽しめました。

ショパンの数少ないピアノ協奏曲は、室内楽版とピアノ独奏版もあるんですね。はっきり言って、オーケストレーションの下手くそなショパンなので、編成が少ない方が、ピアノがきわだって面白い。

バッハは楽器の指定があいまいだったりして、いろいろな楽器で演奏される機会が多いので、もともと様々なバージョンがあって、一定の形ができあがっていたりします。ゴールドベルグ変奏曲、無伴奏チェロとか無伴奏ヴァイオリンなどは、いろいろな楽しみ方のできる宝庫みたいなものです。

日本の歌舞伎のような古典芸能に共通する部分ではないかと思うのですが、こういう古い文化というのは、文化の継承という形にこだわれば進歩はまったくないわけで、生き残っていくためには時代にあったいろいろな変化というのは多少は必要なはず。

そういう意味では、編曲物というのはクラシック音楽を、状況に合わせて変えていくことで、命を吹き込んでいくという役目があるように思います。もちろんオリジナルを知った上で楽しむべきでしょうが、表舞台で語られることは少なくてもそれなりに無くてはならないものなのかもしれません。

2010年12月17日金曜日

今年のドラマ ~ 流れ星

テレビのドラマというと、最も記憶に残る古いものは「木下恵介アワー」と呼ばれていたシリーズと「時間ですよ」でしょうか。どちらもTBSのドラマで、前者は比較的人間関係が複雑なメロドラマ、後者は明るく楽しい喜劇的なものでした。

もともと、あまりテレビをじっくり見る習慣が無いので、それほど心に残るドラマというのはほとんどありません。映画のように凝縮した時間空間と違い、テレビの「来週に続く」みたいな雰囲気がどうも好きになれない。

そんなわけで、家族が見ているついでくらいでしかドラマを見ることが無いのですが、特に開業医になってからは、毎週同じ曜日の夜に家にいるということもめっきり減ってしまいまして、さらにドラマ見ない癖は磨きがかかってしまいました。

そんなわけで、これはたまたまということなんですが、現在フジテレビでやっている月9・・・竹野内豊・上戸彩主演の「流れ星」は、あまり他の用事に邪魔されることがなく、家族がよく見ているものですから、横目でけっこう続けて見ているわけです。

臓器移植を待っている人にとっては、ドナーが現れることは命がかかっているだけに深刻な問題です。二人のラブストーリーというよりは、このハードなテーマを中心にしている分、いわゆる月9らしくないドラマということができるかもしれません。

竹野内の妹に対する思い、稲垣吾郎の妹・上戸に対する思いは対照的ですが、それぞれが極端であることは否めない。上戸は間で翻弄されているというのが正しいかもしれません。い゛すれにしても、来週が最終回。この、なんともいえないやり切れい雰囲気をどうやって終わらせるのか気になるところです。

誰もが期待するのはハッピーエンド。予告編では、最悪の結末となりそうな雰囲気を漂わせていますが、どうなるのでしょう。今年最後の連続ドラマですから、後味の悪さは残さないだろうと信じています。

2010年12月16日木曜日

今年のスポーツ ~ サッカーワールドカップ

スポーツ界のニュースは、たいていの場合気持ちを明るくするものです。いやぁ~なニュースが多い中で一服の清涼剤として、大事な役割をもっていると思いませんか。

今年は、バンクーバー冬季オリンピックとサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会という二つの大きなイベントがありました。

バンクーバーで頑張った日本人の話題は、もちろん大きな出来事なんですが、どっちか選ぶとするとサッカーに軍配が上がるのではないかと。

何故かというと・・・期待を裏切られた、というと申し訳ありませんが、予想をはるかに超える日本代表の活躍で盛り上がり度で言えば、文句無しの高得点でした。

今回の大会に向けて、オシム監督を招聘したものの病気リタイア、またもや代打の岡ちゃん登場で気持ちはしぼむばかり。直前の練習試合まで決定力不足で、1勝でもできるんかしらという状態で本番を迎えました。

結果はベスト16。もちろん選手は満足できないでしょうが、一つ一つ日本で応援する自分たちにとっては、気持ちをヒートアップさせてくれました。そして、これからに続く何かを見せてもらったと思える内容で、拍手喝采だったと思います。

一方、あきれ返ったのが大相撲の次から次へと出てくる騒動の連続。よくもまぁと言うか、あまりのひどさに、特に相撲のファンではない自分としては、今までファンでなくてよかったと思いました。

逆に言うと、ファンだった方にとっては、本当につらい1年でしたでしょうね。お気の毒です。誰が決めたか「国技」という器にどっぷりつかって歴史を守るだけならば、こちらには未来は見えてこないでしょうね。

それにしても、日本の国家予算は結果の反映されない仕分け流行りで、スポーツに対しての低予算は世界最低水準と言われています。韓国が国を挙げてスポーツ振興をはかって成果を出してきていることはよく知られています。

スポーツはもともと、戦争の代替という側面を持っているわけで、スポーツをする人はもちろんのこと、しない人にとっても国としての勝利はいろいろな勇気をあたえてくれるというのは事実です。もう少し、このあたりにお金をつかってあげてもいいんじゃないかと思うんですよね。

2010年12月15日水曜日

今年のリウマチ ~ ちょっと小休止

今年のリウマチ・・・というのも、変なタイトルですけどね。まぁ、自分がふだん行っている医療の中でも、最も力を入れているわけですから、許してください。

ここ数年は、リウマチの治療は激変し、専門にしている者にとっては、ついていくのは大変な時代でした。それというのは、生物学的製剤と呼ばれる、今までの薬とは一線を画す画期的な薬品がつかわれるようになったからです。

しかし、どれだけの効果が出るのか、どれだけの副作用が出るのか、何に注意して使うべきなのかなどの基本的なことについては出尽くした感があります。もちろん、今年は新しいものも発売され、まだまだ話の種はつきません。

実際のところ今年は、それ以外では比較的あまり大きな話題はありませんでした。学会も、昨年23年ぶりに改訂された関節リウマチ分類基準の検証というのが、主な動きだったように思います。

不治の病と考えられてきた関節リウマチを「発症から6ヶ月間で治す」というフレーズが、今年のスローガンのように使われてきました。これは、発症直後に診断を確定し、即座に生物学的製剤を使用するということを意味しています。

分類基準の改訂も、このスローガンに則した物になっているわけですが、実際のところ発症直後(数週間以内)に診断をすることは大変に難しい。特に日本の保険医療の枠組みでは、ほぼ不可能といってもいいというのが現実です。

診断に重要な意味を持つ、抗CCP抗体の検査は初診ではやってはいけないことになっています。疑いを持って、最低翌月になって再検査。そこで確定できたとして、最初は古典的になりつつあるふるい内服薬からしか使えません。それから数ヶ月してやって無効と判断できれば生物学的製剤を使うことができる、というのが日本の保険医療なのです。

この時点ですでに6ヶ月くらいは余裕で過ぎているわけで、発症から6ヶ月間で治すなんてことはとうてい不可能ということです。ですから、自分の場合も、疑いが強い場合は初診で抗CCP抗体を検査する必要性をレセプト(診療報酬明細書)に必ず明記しています。

さらに内服薬も、最も効果が期待できるメソトレキセートを第一選択とし(これについてはあまりうるさいことは言われないようです)、2ヶ月程度である程度の効果を判定するように努力しています。

生物学的製剤も積極的に導入し、少しでも病気を押さえ込む可能性を高めることを考えています。さて、その次は? それがまだよくわかりません。今年は、「治った状態(寛解といいます)」とはどういう状態なのかよく議論されました。しかし、実際に実地医療の中でどのように運用していくのか、というところまでは答えが出ていないといわざるを得ません。

いかに早期に診断するかは重要ですが、すでに診断されている患者さんにとっては、どうやって治療をやめることができるのかという点がはっきりしてもらいたいわけで、来年はこの点について明快なコンセンサスが出てきてほしいと思います。

2010年12月14日火曜日

今年の本 ~ IQ84

本はだいぶ勢いがなくなってきました。これもネット効果でしょうか。
それでも、本を読むということは知的興味を満足させる上で、重要なアイテムであることはかわりありません。

話題性でいうと水嶋ヒロでしょうか。人気アイドル俳優が、急に芸能界を辞めて小説家に転進というのは、話題性ではもう十分。もっとも、話題ばかりが先行していて、実態はまだ見えていません。

売れ筋では村上春樹でしょう。新作は、当然ベストセラー。映画の「ノルウェイの森」も公開され、のりに乗っているというわけです。

ところが、自分は最近の新作をせっせと読むわけではなく、昔の本をよみかえすばかり。たまに新刊を買っても、趣味にはしったものばかりなのであまり話題にできる話はありません。

何年かたっても、また本棚から取り出して読みかえてみたくなる本が登場することを、切に希望するのです。来年に期待!!

2010年12月13日月曜日

今年の事件 ~ 尖閣諸島問題

今年もいろいろに事件があり、今の時期なら、もううんざり状態の市川海老蔵にとどめをさすのでしょうが、さすがにいろいろな影響を考えると尖閣諸島をめぐる一連の騒動が最大の事件だったのではないでしょうか。

中国との間の「領土問題」として、以前より話題になっていたことでしたが、ついに中国人船長の逮捕という事態を招きました。

さらに、その罪はしっかりと認識しておきながら、超法規的ともいえる釈放という、中国を意識した外交対応でことをうやむやにおわらせようという、わけのわからないことに。

なんだ、結局「玉虫色」みたいな話で終わるのかと思っていた矢先に、今度は中国船の故意の衝突を記録したビデオのネット流出という、政府の本当に危機管理の甘さを露呈するオマケがついてきた。

日本が外国からどのように見られているのか、外国に対してどういう態度をとるべきなのか、国内の政治の管理体制は本当に大丈夫なのか、はたまた知る権利とはどこまで要求されるものなのか、ネット社会の安全性は確保できているのか。

考え出すと、次から次へといろいろに疑問がでてきた事件でした。ところが、やはり、どの疑問に対しても何一つ答えらしき物が見えてこないというのも、日本人らしいと言えばそれまででしょうか。

2010年12月12日日曜日

今年の人 ~ マツコ・デラックス

毎年毎年いろいろな芸能人が出ては消えしていきますが、今年一気にブレークしたタレントの一番はマツコ・デラックスじゃないかと。

もちろん、勝手なチョイスですから、賛成・反対いろいろな意見があるとは思います。これは好き・嫌いとは別次元の話。

実際のところ、最近は毒舌系のタレントはやたらといて、他人の悪口で笑いを取るというのは、あまり気持ちのいいものではないと感じています。

おかま系タレントも花盛りで、もう人間世界は一体どこに進もうとしているのか。なんだか、わけがわかりません。

そういう、最近では毒舌系・おかま系なんてのは、見飽きているようなところですが、そこへ登場したマツコ・デラックスは、そんな単純なふるいわけではおさまらない、独特のキャラが新鮮でした。

毒舌なんですが、自分もおとしめていて、一方的に悪口を言うのとはちょっと違うんですね。そのあたりが、ちょっと間違うとひがみになってしまうところを、自分の体系もからめて笑いにもっていくところは悪くない。

ただ、何人かの一人として出でいるときは、まわりのバランスを考えすぎるのか、いまいちコメントに切れが無いように思うんですよね。自分のキャラ全開にできないところが、根が真面目なのか、まだタレントとして未熟なのか。

そんなことを、勝手に思っていますけど、来年は磨きをかけて、さらに活躍してもらいたいものです。

2010年12月11日土曜日

クリニック忘年会 @ 原宿 南国酒家

今夜はクリニックの忘年会。なんと、東京、なんと、原宿まで行きました。場所は、お気に入りの中華で南国酒家です。

今回は、クリニックの開院5周年、医療法人化記念ということで盛大に忘年会をやることにしました。日頃、クリニックを支えてくれているスタッフ、その他の方々を招待し、家族もそろっての会となりました。

ちょうど、表参道はクリスマスイルミネーションが久しぶりに復活して、とてもきれい。料理はいうことなし。

今夜は皆に感謝をすることしかりで、本当に楽しい一夜をすごすことができました。これからも、クリニックを盛り立てて、いろいろいたらない院長を助けてください。

2010年12月10日金曜日

韮鉄餃子 @ 鉄龍山 荏田店

国道246号の新石川交差点の角、それも、めっちゃ入りにくいところにある中華の店が鉄龍山です。いくつか店舗があるようですが、とりあえずこの店は荏田店ということになっています。

交差点の立体化工事ができてからはさらに入りにくくなって、疎遠になっていました。ところが、ひょんなことから帰りの裏道から直接見せの前に出れることを発見して、いつかクリニックの帰りに寄ってみたいと思っていたのでした。

今日は、そんなわけで、やっと念願叶ってやってきました。名物はこれ。韮鉄餃子です。たっぷりの韮がはいっていて、具もたっぷりの細長い餃子です。とにかく、うまいです。一見変り種風ですが、王道を行く味だと思います。

それ以外には田舎ラーメンを注文しました。これは野菜炒めの乗ったタンメン風ですが、これまた自分の大好きな鶏がらスープ。醤油のきつくない、すっきりとしたスープに細麺は絶品です。

2010年12月9日木曜日

センター南医療ヴィレッジ運営会議

センター南医療ヴィレッジとは、自分が入っているクリニックビルに自分たちで勝手につけた名称。小児科泌尿器皮膚科眼科内科耳鼻咽喉科、そしてお隣さんの産婦人科が村民ということで、自分は村のコンビニということになっています。

しばらくコンビニとしてはさぼっていて、村民会議を開くのは久しぶり。今回は忘年会も兼ねて、うちのクリニックではおなじみの近くのべったこ亭で、昨夜運営会議を開きました。詳しい議事録はこちら

クリニックには自宅から来るまで来ているのですが、昨日は夜の会に備えて、昼に協力医をしているケアプラザのあとに車を置きに自宅に戻りました。

さて、バスの時刻表を確認すると・・・うわぁ、5分後じゃないですか。バス停まで約500メートル。のんびり歩いていては、間違いなく間に合わない。

やりました、全力疾走。ほんと、ひさしぶりです。

ところが・・・

ところがですね、全然前に進まない。短い足を一生懸命出しているつもりなんですが、まったく疾走感がありません。

そのうち、息は絶え絶え、心臓はばくばく、足はがくがく。

もう、ダッシュで倒れて、この辺じゃAEDも無いだろうから、そのままになっては泣くに泣けない。

そして、案の定、今日は両側大腿部の筋肉痛で、がくがくしているというていたらくです。皆さん、自分の年はしっかり認識しましょう。自信はいいですが、過信にならないようにしないとね。

2010年12月8日水曜日

言論の自由

またまた、難しいテーマについて語ろうとしている・・・あさはかと言われてしまいそうですが。

何でも、それぞれの個人・団体が言いたいことを自由に発表できる、というのが言葉の主旨。別の言い方をすれば、そういう発表を妨げることはできない、ということになるのでしょう。

実際、真の言論の自由は・・・おそらく、世界中どこにもない。どんなに自由に振る舞っていても、何らかの手かせ足かせはあるもので、それは見える形の拘束である場合も、見えない形での - 自分の心の中の決まり事みたいなものであるかもしれません。

よく、報道機関は言論の自由を主張しますが、まるでそれを正義のようにふりかざすのは、どうもピンと来ないことが多い。報道を盾にして、あることないこと書き立てるような場合も少なくないと思いますし、その逆もあるような気がします。

結局、建て前と本音みたいな話になってしまうのですけど、建て前だけで上っ面だけ仲良くしても、それはあくまで社交辞令のような物。しかし、本音だけで通すと、まとまるものもまとまらず、社会は混乱をきわめてしまいそうです。

違う価値観を持つ様々な人々が、ある共通の枠組みの中で社会生活を営むためには、少しの本音と多くの建て前が必要であることは、やむを得ません。そこのバランス感覚は大切で、それを持っていることが「大人」ということなんでしょうか。

言論の自由よりも、言論の不自由の方がより大切なのかも知れません。

2010年12月7日火曜日

内部告発

Wikileaksが最近話題になっています。ネットは日常的に使っていますが、最近のニュースで聞くまでは、実は知りませんでした。

世界からの内部告発を開示し、いろいろな世界の裏事情を表にさらして、よりよい世界を構築するというもののようです。いろいろな意見が出ることは当然だと思いますが、自分としては諸手を挙げて賛成とはいえないものだと考えます。

内部告発というのは、、組織内の人間が、所属組織の不正や悪事を、監督機関(監督官庁など)や報道機関通報することである、とされています。このことは、もちろん否定されるわけではないのは当然のことですが、Wikileaksは「内部告発」と言えるのか疑問を感じるわけです。

つまり、告発を受ける側は、基本的にそれなりの責任を負うことができる組織であるべきであると考えられるわけで、Wikileaksは基本的に情報の垂れ流しだけで責任を持てる組織では無いといえます。

つまり、その情報をだだ集めて公開するだけでは、混乱を招くことのほうが多いように思います。ある意味では単なる「中傷」、あるいは「野次馬」という範疇から出ないと言ってもいいかもしれません。

私たちが、国のやっていることをすべて知る必要があるでしょうか。国民一人一人が、すべての国家責任を負うことはとうていできないわけで、いろいろな駆け引きがあることはもっと小さい社会でもいくらでもあることです。

まぁ、いろいろな集団の中では、価値観を共有化することが大変に難しいものだということをあらためて感じるわけです。もともとの情報を持っている組織、それをWikileaksに流す人々、そしてねっとに公開してしまう集団、それぞれの価値観はずいぶんと違うんでしょうね。

そして、匿名性が高い(と考えられている)ネット社会の怖さというのも、あらためて感じますね。実際には、完全な匿名性というのは、たぶん・・・無いわけで・・・

あ~、飲酒ブログで書くにしては、ちょっとヘヴィなネタを選んでしまいました。もう、なんか、頭がまとまらなくなってきたので、このへんにしておきましょう。ふんふん。

2010年12月6日月曜日

新薬・旧薬

関節リウマチ治療では、生物学的製剤と呼ばれる薬剤がいまや話題の中心にあって、これなくしては何も始まらないかのような様相を呈しています。

しかし、日本でも1999年からリウマチに使われるようになったメソトレキセートという内服薬は、アンカードラッグ(すべての基本として使用される薬剤)としての地位を固め、忘れてはいけないものとして重要性を増しているのです。

メソトレキセートは、もともと抗がん剤として使用されてきた薬です。葉酸という核酸合成に必要なビタミンと似た構造をしているため、メソトレキセートを取り込んだ細胞は核酸合成作ることができなくなります。

核酸は細胞が増えていく課程で必要な遺伝子 - つまりDNAに必要な物で、核酸を作れないと細胞分裂ができなくなります。がんのような活発な細胞分裂を起こしている組織では、その発育が抑制されるという理屈です。

リウマチでも、自分に対してアレルギーを起こす自己免疫という活発な反応が起こっているため、効果がでるもので、免疫調節をすることがその薬理作用と考えられています。

これは、リウマチの病態を考えるとより上流での作用ですから、原因治療に近いものと考えることができます。生物学的製剤は、関節内で直接障害を起こしているサイトカインをターゲットにしているものが多いので、どちらかというと究極の対症治療とも言えなくはありません。

もっとも、そんな単純に割り切って説明できるわけではありませんし、現実に最新の生物学的製剤はより免疫そのものを起こしている細胞をターゲットにしています。

いずれにしても、生物学的製剤を使う場合でも、メソトレキセートは上手に併用することが、いろいろな問題を起こしにくくして、さらに治療効果をあげることがわかってきていますので、重要性は減じることはありません。

日本リウマチ学会は、日本の保険医療の中で制約の多いメソトレキセートの使用に対して、もっと適切な量が使えるように働きかけをしています。確かに重篤な副作用が出現する可能性がある薬なので、簡単に増量するというわけにはいきません。

しかし、より高価な生物学的製剤に頼るよりも、メソトレキセートをうまく使用すれば、それだけでも多くのリウマチ患者さんはコントロールが可能と考えられています。リウマチを専門にしている立場では、基本となるメソトレキセートをうまく使えることは必須条件と言えるでしょう。

ついつい新しい物に目がいってしまうことが多いのですが、メソトレキセートもまだリウマチ診療の舞台に登場して10年ちょっとしかたっていない薬なのです。この薬についても、十分な情報を収集・整理して、より効果的な使い方ができるように勉強していかなければなりません。

2010年12月5日日曜日

どん兵衛天ぷらそば VS 緑のたぬき

きったぁ~!! いきなりのカップ麺リーグ、天ぷらそば杯争奪の頂上決戦。

日清ブランドの威信をかけて登場のどん兵衛、はたまたマルちゃんブランドの面目にかけて負けられない緑のたぬき。両者共にこれまでも互角の戦いを何度となく見せてくれていましたが、いよいよついに勝敗を決するときがきました。

最初に登場は緑のたぬきです。兄貴分の赤いきつねをセコンドに控えさせ余裕のガッツポーズ。麺、粉末のスープともにカップ麺としては十分に水準をみたした出来映えで、安定した味を提供し続けています。

一番の自信はかき揚げでしょうか。保存食としてどこまで天ぷらを「らしく」するか、という点においては余人を寄せ付けないものがあります。

続いて登場はどん兵衛。シリーズのトップとして負けるわけにはいきません。今年から麺の命と言えるそばを「ぴんそば」と銘打って、格段の進歩をとげました。カップ麺でノンフライタイプではないのに、大変腰のある麺は最強と言えるでしょう。

しかも、スープを粉末から液体に変更したことで、味についてもより本物に近くなり、ほぼ完璧と言っても過言ではありません。

しかし、特盛りになると依然として粉末スープにしているのはどういうことでしょうか。また肝腎のかき揚げの味が、もうひとつというのが痛い。油のせいでしょうか。誠に残念です。

日清の麺とスープにマルちゃんのかき揚げをのせれば、最強のカップ麺天ぷらそばになるのでないかと思いますが、これはさすがに両者が妥協しないでしょうから、実現は不可能でしょう。

今回の対決も、それぞれのいいところがでたものの、決定打にかける戦いで勝負は引き分け。最近は新人の特徴のあるそばがカップ麺にも増え始めているので、2大プランドも安心はしていられません。さらに切磋琢磨して、より美味しく進化してもらいたいものです。

2010年12月4日土曜日

冬支度

今年は灼熱の夏が長く続いて、秋はどこへ行ったのやら。木々も色づくタイミングを失ってしまったのか、なかなか紅くならない。

11月の末になって、やっと横浜のはずれでも紅葉が見られるようになったと思ったら、すでに葉はかさかさであまり元気とはいえません。あっという間に落ち始め、一気に冬支度へと向かっているようです。

ところが、昨日は朝から雷鳴轟く嵐で、雨かと思えば晴れ間がのぞき、晴れかと思えばまた雨が降るというぐちゃぐちゃの天気でした。

今日は、一転して昼間は冷房を入れたくなるくらい暑かったりして、もう体調管理
をするのも楽ではありません。今のところインフルエンザはぼちぼちで、それほど多くはありません。

かわりと言ってはなんですが、ノロウイルスによる急性腸炎は確実に蔓延しています。皆さん、くれぐれもご自愛ください。

2010年12月3日金曜日

マイナー科目

担当の教師の方には申し訳ないのですが、音楽と美術と体育はマイナーな科目の代表でしょう。その科目を専門にする学校に進学するのでなければ、大多数の人にとっては受験でも必要の無い科目です。

逆に言うと、必要な人以外には関連が無いわけですから、本当に勉強したい人だけがしっかりと勉強するという、ある意味理想的な科目でもあるわけです。

だって、受験のためだけに勉強して、大学に進学するとほとんど必要性の無い勉強をするというものほど、つらいことはありません。無意識のうちに植木算とかはつかっているかもしれませんが、少なくとも複素数が必要だった経験はありません。

学ぶと言う事は、知的好奇心をみたすことであり、少なくとも生きていくために必要な術を習得することであるわけで、自ら学ぶ必要性を認識して初めて成果につながるはずです。

そうは言っても、美術にしても音楽にしても、何を学んだということはありませんが、今の自分の生活のためのさまざまなdutyの狭間で、ゆとりを作ることに多いに役立っていることは間違いありません。

運動が得意とは言えない自分にとって、体育はやったことがないような競技について想像する力となっていて、現実に整形外科という医学の中では大きな意味を持っているのです。

小学校までさかのぼれば、家庭科というのもマイナーでしたが、ここで料理や裁縫の基本をおそわったことは、少なくとも無駄にはなっていません。初めて自分で作ったほうれん草のソテーは、本当に今でも美味しかったと思います。

もしかしたら、マイナー科目ほど、誰にでも必要な勉強だったのかもしれません。そのときには無駄と思っても、大人になってふと気がつくことが、きっとくることでしょう。

2010年12月2日木曜日

先生と生徒

今日は協力医をやっているケアプラザ(横浜市社会福祉協議会が運営しています)で、2時間の講演をしてきました。1時間だと思っていたら、直前に2時間とわかってけっこうあわてました。

どんだけの内容を、どんだけの時間で、どんな人に対して講義するのかは、こういうことを引き受けるときの基本なんですけどね。初めてのテーマだったんで、ばたばたしてしまい、ちょっと迷惑をかけたかもしれません。

まぁ、それにしても、皆さん熱心に聞いてくれるものです。仕事に直結した話ですから、もっともですが、おかげでこちらも喋りがいがあるというものです。

最近、高校生の頃の授業の話をいくつか書いてきましたが、書いているとあらためていい生徒ではなかったなぁ、と思い返すことが多い。先生というのは、なんにしても生徒に何かを伝えたいわけです。それをおちょくってばかりだったわけですから、先生からすればやりがいがなかったことでしょう。

こっち側と向こう側の立場を経験して知ることで、初めていろいろなことが見えてくるんですよね。今だったら、いい生徒になれるんですけどね。もう、遅いか・・・

2010年12月1日水曜日

メジャーとマイナー

内科・小児科・外科・産婦人科というのがメジャー科、自分がやっている整形外科を含むそれ以外の科はマイナー科と呼ばれています。

これは、医師国家試験の出題の関係で言われるようになったこと。メジャーは必ず毎年出題されるのですが、自分が受験した頃はそれ以外に毎年マイナーから2科が出題されていました。

マイナーがどれになるかは半年前くらいに発表され、どれになるかで悲喜こもごもだったのです。自分のときは眼科と皮膚科。これは辛かった。何故かというと、どちらもメジャーからはほぼ独立した勉強が必要で、しかもほとんど暗記するしかない科なのです。

他の科との関連性があれば、勉強する量は少なくできるわけです。国家試験直後には、眼科も皮膚科もけっこうな知識がありました。しかし、整形外科の医者になってからはどんどん急激に知識が消えていきました。暗記だけでは身につかないということですよね。

内科本道・外科外道という言葉もあるんですよね。内科系が医療の主役ということで、まぁ確かに否定はできません。しかし、歴史的には「戦争」があって、さまざまなけが人の治療を「外科」的に行うことで医学が進歩してきたということも事実なのです。

もともと床屋さんが外科をやっていた・・・床屋の入り口のくるくる回っているサインは、動脈の赤と静脈の青、そしてリンパ管の白ですからね。ですから、外科が下に見られるというわけです。となると、外道のマイナー科の整形外科というのも、医者の中ではずいぶんと地位の低い科というわけです。

2010年11月30日火曜日

社会

日本地理、世界地理。日本史、世界史、倫理社会なんて科目がありましたっけ。

日本史は日本軍将兵として南方戦線から戻った先生でした。昔の話はあっという間に終わって、日本近代史に突入すると、ここからが長い。とにかく太平洋戦争史の様相を呈し、話はまったく進まない。

自分の体験談を交えて、いろいろな話をしてくれました。これが。めっぽう面白い。面白いというと御幣があるかもしれませんが、さすがに実体験に基づくリアルな現代史ですから、ノートを取る手を止めて聞き入ってしまいます。

でも試験には絶対出ません。ですから、成績は悪かった。でも、それでいいと思います。先生の言いたいこと、伝えたいことが、しっかりと詰まっていたと思います。授業としては、最高に楽しかったのです。

高校3年の夏まで、医者になることに抵抗していた天邪鬼の自分だったので、理系科目よりも文系科目に興味があって、高3になっても世界地理とかの勉強をしていました。世界大戦後の東西冷戦の構図は興味深く、西側の軍事同盟のNATOに対する東側COMECOM、西側の経済同盟ECに対する東側WTなんて、今ではほとんど形骸化したり消滅した機構を必死に覚えていました。

なんてったって、NATOにロシアが参加しようかという時代になって、世界情勢の面白さは数段増していると思います。今、高校生だったらもっとはまっていたかもしれません。

なんにしても、勉強は楽しいことが一番大事。苦痛に満ちた勉強はつらい。好きこそ上手の始めなりと言いますが、好きと言う事は面白いということ。自分の好きな勉強から入っていけることができれば、受験勉強も何の問題も無いはずなんですけどね。

2010年11月29日月曜日

リウマチの学会

10月の中旬には、アメリカでリウマチの総本山みたいな学会がありました。アメリカリウマチ学会というのですが、そもそも全世界で使っているリウマチの分類基準というのを作った学会です。

この「分類基準」というのがくせものです。診断基準ではないのです。あくまでも、リウマチとそでないものを分類するだけのもので、診断を確定するものではないというわけですが、これはずいぶんとまやかしみたいなものです。

実際、診断するために誰もが使っていることは間違いなく、なんとなくごまかされているみたいな感じがします。昨年、この分類基準が22年ぶりに、やっと改訂されたのですが、今回からはヨーロッパの学会と共同の策定になっています。

それだけアメリカの学会だけでは物事が通らなくなっているということなんでしょう。世界的に、この10年間でものすごい勢いで進歩してきた分野ですから、もうアジアも含めた世界規模での研究の推進が必要な時代になってきたということです。

昨日の日曜日は、東京で行われたリウマチの学会に行ってきました。新しい分類基準の妥当性などの発表を聞いてきましたが、全体的には低調な印象でした。

もう少し次のステップを見据えたものが欲しかったというのが、正直な印象でした。実地の場で臨床をやっている立場としては、今までの総括的な話はもういいという感じです。

リウマチは治す時代になったとはいえ、実際に治ったというのはどういう状態なのか。どうやって治るようにもっていけばいいのか。臨床家が一番、それぞれで試行錯誤しているところに対しての答えがなかなか見つからない。

いずれにしても、次から次へと出てくる新しい情報をきちんと整理していくためには、なかなかただの開業医とはいえども、なかなか手を抜くことができません。

2010年11月28日日曜日

理科

理科というと、物理・化学・生物・地学といったところ。大学受験では、たいてい2科目選択で、物理・化学がメジャーです。

医学部も理系ですから、当然勉強しないといけない必須科目ではあるのですが、これも苦手だったわけですから、どうも困ったものです。

物理でいろいろな公式が出てくるたびになんのこっちゃ状態で、物理部に在籍していた効果なんて微塵もありませんでした。

物理の先生は、なかなかいい先生だったと思うんですけど、やはり自分の頭で理解できないことには抵抗し続ける、ある意味頑固だったんでしょうか。

化学は、浪人してから得意になりました。有名予備校の有名講師の授業を受けるようになってから、なるほどと思うことが続出で、けっこう自信がついた。大学にはいってからも、化学の家庭教師をしたことがありまた。

じゃあ、高校のときは、というと、もうダメダメ。またもや先生のせいにしてはいけないと思いつつも、かなりしょーもない先生だったと思います。

生徒からはいつも「いじめ」られていて、すぐに教員室に逃げ帰る。担任があわててやってきて、教員室の前で皆で謝るなんてことがありました。まるで天岩戸のようでした。

いじめる生徒が悪いことは間違いないのですが、そのくらいひどい授業だったのだろうと思います。そんなわけで、化学を好きになるわけもなく、当然できるはずがありません。

生物はあまり印象がありませんし、地学にいたってはほとんど聴いた記憶が無いくらい。でも受験の時には、暗記が得意な生徒には有利な科目ですよね。自分は1の理屈を知って10を導くタイプなので、ひたすら10を暗記するのは苦手。

本来、文系が好きだったので、理系はどれを選んでもできたためしがありません。もう一度高校生に戻ったら・・・そんなことはありませんが、最初から化学・生物くらいで攻めていたかもしれませんね。

2010年11月27日土曜日

国語

英語、数学ときたら、次は・・・国語でしょう。
国語は現代国語が普通ですけど、古いのは古文、漢字の世界になると漢文ということで、だいたい3つに分かれている・・・んですよ。

現代国語は、まあ、普通の日本語ですからそれなりに感性があればいいわけですが、それでも悲喜こもごもです。

授業で先生から教科書を読めというのはよくある話ですけど、日常茶飯事というところを日常茶番と読んでしまい大笑いされたのは、今でもトラウマです。

徹底的に苦手だったのが、古文。

もうすでに書いたかもしれませんけど、古文の先生は「痔ろう」がある「ジロー」と呼ばれていました。もちろん本名は違いますけどね。口癖は「そんな、べらぼーな話があるか」と「するってぇと!!」でした。

そんなところを、生徒も突っ込んでばっかりで、もう授業になんてなりゃしません。当然、成績なんかいいわけがない。いまだに、ちんぷんかんぷんですから、有名な古典作品の出だしですらわかっちゃいません。

漢文もだめ。あ~、ゴメンナサイ、菅野先生。自分はよくない生徒でした。れ点、返り点なんぞ、無視しまくりでした。これほど、教え甲斐の無い生徒はいなかったんでしょう。

とにかく、本を読むのが嫌いでなかったことだけが、今の知的財産です。たぶん、当時の高校生としては、かなり多めに本を読んでいたと思いますよ。もっとも、ほとんど横溝正史と江戸川乱歩の探偵小説ばかりでしたけどね。

2010年11月26日金曜日

数学

自分が高校生のときは、数Ⅰ・数ⅡB・数Ⅲという3つがありました。文系の人は数Ⅲはいらない。医学部も一応理系ですから、数Ⅲが必要でした。

数Ⅲというと、微分・積分とか複素数とか、まぁ世の中に出て使うことがあるんかしらんというような勉強ばかりがふえてくる。そこんとこが問題なんですよね。

どこかで無意識のうちに使っている知識かもとれませんが、大多数は世の中に出てからは・・・まぁ、使うことはない。知らなくても困らないと断言してもいい。

となると、あくまでも受験に勝ち抜くためだけの勉強という感じになってしまうので、本当の意味での「学び」とは違ってくるのかもしれません。

中学に入って、算数から数学に呼び方が格上げされて、なんとなくちょっと成長した気になったのもつかの間。数学の中が、代数と幾何という風に分かれている。最近は死語となっているようですが、代数は式を扱い幾何は図形を扱うわけです。

とにかく、英語に続いて、またもやしょっぱなからつまずいた。

当時は、参考書としてはモノグラフという数学のシリーズが人気でした。やたらと専門的で難しいのですが、一つ一つのテーマ毎に薄い本なので、自分の必要なところだけを揃えることができて便利でした。

えっ? 今でもある? へぇ~、そうなんだ。

実際のところ、そういうところで勉強しても、やはりそれほど好成績を取る事ができなかった自分としては、大きなことは言えません。

結局、数学は知的パズルのようなところがあって、勉強すればするほどわかるようになる・・・はずです・・・よね。

2010年11月25日木曜日

英語

初めて英語という外国語に接したのは・・・う~ん、小学生のときに聞いた外国の歌でしょうか。外国といっても、当然それはアメリカであり、プレスリーだったり、モンキーズだったり、ビートルズも英語で歌うからアメリカの歌手だと思っていたわけです。

でもって、当然ちゃんと学校で習うのは中学生になってから。ところが・・・人のせいにしてはいけませんが、最初に教わった先生がまずかった。最初が肝腎とはよく言ったもので、なにしろ''which''を「ホイッチ」と発音するように教えていただいたくらいですから、英語が好きになるわけがない。

確か、中学1年の最初の成績表では英語だけが、見事に赤い字で点が記入されていました。以来40年間にわたって、いまだにまともに英語を話すことはできない。

いや、それなりに努力はしましたよ。今みたいに映画は吹き替えが当たり前のようになっていますが、昔は字幕しかないわけで。できるだけ字幕を見ないようにしたりとか。

ビートルズはイギリスのバンドであることも認識しましたから、音楽だって歌詞を覚えようと頑張った。ビートルズの''Hey Jude''は、
♪ヘイ、ジュード。ドンビアフレイド。ラーララ、ラララッラァ~

ギルバート・オサリバンの大ヒット曲''Alone Again''だって、出だしはこうです。
♪メナメナハーフナウ、ハッピナガニレッサ・・・

う~ん、結局カタカナで耳コピしたみたいなものですから、だめですよね。

何度か外国に行っていますが、行くと何とか頑張って英会話らしきものをしようと頑張ってはみる。すると数日して、何とか簡単なことは意思が通じるようになるんですけど、その頃に帰国してしまいます。そして、ひたすら英語で会話をしない日々が続くわけです。次に外国に行ったときは・・・

うちのこどもが、中学に入って時に英語を勉強するようになって、「チャイアー」とか言っているんですよ。なんだそれ、って聞くと椅子(chair)のことだって。いやもう、自分と同じようなことを繰り返しているわけで、これじゃ後が思いやられる。案の定、今でも英語で苦しんでいるわけです。

さよならおじさんで有名な淀川長冶さんは、映画の宣伝部で仕事をしていた時に、英語の題名を訳す仕事をしていて、名訳がいろいろあるわけですが、「英語なんてわからない単語は全部無視すればいい。いくつかでも知っている単語があれば、だいたい何がいいたいのかわかる」みたいなことを、どこかに書いていました。

これを読んで、目からうろこというほどではありませんが、なるほどと思いました。わからないところで思考が停止していた自分は、そこは無視して先に進んでしまうことで大意を掴むということができるようになりました。

受験英語はそういうわけにはいかないかもしれませんが、英語を道具として考えるならとりあえず悪い方法ではありません。なんにしても、最初にいい先生にめぐり合うことも大事ですよね。何十年たっても、日本の英語教育は進歩が無いなぁ、と思っているのは自分だけでしょうか。

2010年11月24日水曜日

手術

整形外科外来というのは、「外科」といっても外来でいきなり手術するわけでもなく、まぁ整形内科という状態であるわけです。開業医は、事実上手術という治療手段はほぼ無いと言ってもいいわけで、ますます内科的側面が強くなるのはしょうがない。

勤務医をしていてどうしても薬やリハビリテーションの治療だけでは不十分というときには、手術という強力な手段がありました。もっとも、どんなときにも手術でなんとかなるというわけではありませんが、やはり頼りになる武器であることはまちがいありません。

しかし、注意したいのは安易に手術を選択してしまうかもしれないということです。手術をしたいと思う医者が説明すると、どうしても手術が一番いい方法のような話になりやすい。

最近は、手術するにも山ほど書類を説明しながらわたして、うんざりするほどの署名を患者さんからもらわないといけないので、さすがに安易に手術を薦めたりはしないと思います。

それを医療の萎縮と考えるか、適正化ととるかはいろいろと意見が分かれるところでしょう。日本人の場合は、根源的に手術はできることならしたくないと考える人が多い。

それが悪いわけではありませんが、中には手術でしか治療のしようが無い問題も少なからずあることも事実なので、やはりできるだけ公正に情報を提供することが医者に求められているわけです。

まぁ、考え出すと難しいことになってくるので、このくらいにしておきますが、開業して5年たって手術から離れていると、ますます手術が下手くそになっていく自分がはっきりと自覚できるのです。やはり術ですから、いつでもやっていないとダメなんだなぁと思いますね。

2010年11月23日火曜日

グレン・グールドは語る(ちくま学術文庫)

久しぶりに本を買いました。タイトルからして、さもありなんというようなもので、どうせ読むならもっと他に意義深い物がいくらでもあるよと言われそうです。

グレン・グールドは、言わずと知れたクラシック・ピアニスト。若くしてバッハのゴールドベルグ変奏曲のレコードで一躍有名となりました。このレコードはいまだに売れ続ける、クラシック音楽会のロングセラーとなっています。

それにもまして彼を伝説の人としているのが、数々の非凡な行動や言動であることは、いまさら説明するまでもありません。

演奏するときはこどもの頃から使っている椅子を自分でセットして、床すれすれの低い位置に座り、鼻を鍵盤にこすらんばかりの姿勢で演奏します。

演奏しながら、しばしば鼻歌のように自分で声を出し、それがまたレコードに克明に記録されている。演奏しながら、片手があくと指揮者のように振り回す。

大指揮者レナード・バーンスタインにはテンポの注文を出し、コンサート前にバーンスタインは客に向かって「これは自分の意図する演奏ではない」と異例のアナウンスをしました。

人気絶頂の時に、人前で演奏することが嫌になりコンサート活動をしなくなりました。そして、ひたすらレコード制作に専念するという、およそクラシック・ピアニストとしては不思議な活動を行いました。

モーツァルトは享楽主義として切り捨て、ベートーヴェンの英雄主義には意義を唱え、夏目漱石の「草枕」を愛読し、ビートルズを批判しました。

録音では、当時ポップスでは当たり前のように行われていた録音テープの切り貼り編集を行い、最良の音を残すことに集中し、これもまた普通のクラシック音楽の批評家の格好の攻撃の的となりました。

四半世紀にわたる音楽活動は、ゴールドベルグ変奏曲の再録音で締めくくられ、レコードが発売されてすぐに脳出血で亡くなったのは、わずかに50歳の時だったのです。

ちょっと、思い出すだけでもいろいろなエピソードが様々な尾ひれをつけて語られているのです。グールド自身が残した厖大な文章もありますが、グールドはいつでも鎧を身につけて話としてはよくわからない。

この本は、アメリカの有名な「Rolling Stone」誌に掲載されたロング・インタヴューを元に構成された物で、グールドもクラシック関係の雑誌の取材ではないのでけっこう気楽にしゃべっていたのか、おそらく正直にいろいろなことを話しているように思えます。

訳者はグールド研究では日本の第一人者の宮澤淳一ですから、もうグールドの言いたいことはまったくお見通しで、実にストレートですが、わかりやすい文章となっていて読みやすい。

それにしても、正味200ページもない、この薄い文庫本が1100円というのは・・・随分と本も高くなった物です。これでは、ますます活字離れは進むのはいたしかたがないところでしょうか。

2010年11月22日月曜日

Call of Duty

Call of Duty・・・って知ってます?

ゲームです。一人称視点の射撃(first person shooting)を目的とした3Dゲームで、最近ではこのジャンルで最も人気のあるゲームのひとつ。

この手のゲームの元祖はいわずと知れた''Wolfenstein''です。ナチスの要塞から脱出するのが目的で、途中でドイツ兵を打ち倒していくわけ。

そして、ジャンルを確立したのは宇宙生物に占拠された宇宙基地を助ける''DOOM''です。ここから、似たようなゲームがうじゃうじゃ、さらに''Quake''といったヒット作もありました。

Call of Dutyは2004年に始まるシリーズで、宇宙物、ファンタジー物と広がりすぎたゲーム世界を、人間対人間の現実的な世界に引き戻しました。最初のタイトルは第二次世界大戦を舞台にドイツ軍対アメリカ、イギリス、ソビエトの戦いを描いています。

体力は落ちているヘルスパックを拾うことで回復するのですが、ヘルスが落ちている場所を考えながら動かないといけないので自由度は低くなってしまいます。

そこで、2005年のCall of Duty 2からは、一定時間で自然と回復する仕組みに変わりました。舞台は同じ第二次世界大戦、対戦相手も同じですが、よりリアルな戦いが売りとなっています。

3はXbox専用だったのでわかりませんが、2007年の4は、''Modern Warfare''というタイトルで舞台をいきなり現代社会に移し、アメリカ、およびイギリス対イスラム世界という、まさに世相を反映させたような設定になりました。武器もいきなりモダンになりましたが、その分現実的すぎて、どうなんでしょうか。

そして4は''World at War''となり、ふたたび第二次世界大戦の世界。ところが、今度は敵には日本軍もくわわり、「天皇陛下万歳!!」と叫んで玉砕戦法で挑んでくる日本兵は、さすがに日本人としては複雑な心境になります。

昨年発売された5作目になる''Modern Wafare 2''は、ふたたびイスラムの世界で、前作のストーリーを一部引き継いでいますが、最終的には悪者は裏切り者のアメリカ軍大将というのは、やはりいろいろな事情を考慮しているのかと思います。

そして、今度のクリスマスを目前に最新作''Black Ops''が発売されることになっているわけですが、前作でプロダクション内のいろいろなトラブルがあったらしく、スタッフが相当入れ替わっているはずで、どの程度のクオリティが保たれているのか注目されます。

しかし、言ってみれば「殺人ゲーム」みたいなところがあるわけで、これをただのゲームとして考えてもなかなか手放しに面白がるわけにはいきません。トランプやチェッカーやダイヤモンドゲームのようなボードゲームで、みんなでわいわい楽しむ時代は完全に過去のこと。

いまや、仲間とチャットやスカイプで連絡を取り合い、マルチプレイヤーシステムであちこちの離れた場所から同じ戦場へ入り込み、敵を倒して喜んでいるという時代。

それがいいのか悪いのか、とにかくパソコンの普及、ネットの広がりは人間を確実に買えているようです。

2010年11月21日日曜日

ネタなしの日

今日はネタがない。
う~ん、たまにこういう日があるものです。
明日、また出直しますので、
これにて失礼します。

2010年11月20日土曜日

雑記帳

この前の木曜日は、恒例となりましたヘルパー研修会の講師を新横浜でやってきました。先週の日体大の講義と違って、なにしろ3時間の講義というのは、もう果てしなく喋り続けている感じがします。

もう何回やったか覚えていませんが、おそらく介護関係の仕事に就いた方の200人くらいには講義をしたのではないでしょうか。まぁ、ここまで来たらできる限り続けていくのも「地域密着」を目指す開業医としての責務かもしれません。

金曜日は医師会の理事会。公益法人改革という政治決定により、医師会のような団体の身の振り方を決めなければいけません。なかなか大きな問題で、自分にはよくわからない。何度聞いても、う~んっという感じです。

そんな中で、自分の医療法人化に伴ういろいろなところとの契約などを整理しなければいけないというのも、しんどいものがあります。口座振替の変更だけでもうんざりするほどあります。

しかし、世の中を見渡すと、国政の場では相変わらずの低級な発言が飛び交い、また与野党は非難合戦に明け暮れている。裁判員裁判では判決で死刑が言い渡されのに、裁判長は被告に告訴を薦めたり。

明るい話題は、すぐにもっと暗い話題で塗り替えられていくことの連続で、一市民としては、何とも言えない切ない気分です。あっという間に11月も後半に突入して、今年も残すところあと1ヶ月ちょっと。今年のニュースを選ぶのもつらいところでしょうね。

受験生にとっても、センター試験まであと2ヶ月。もう、のんびりしている暇はありません。なんだか、もろもろのせわしいことだらけで、まさに光陰矢の如く状態。時間がいくらあっても足りません。

明日は、自分が担当の医師会仕事である、都筑公会堂で救命講習会と市民医学講演会。聞いておいて損のない災害時の「誰にでもできる救命・救急処置」についての講演です。是非、一般の方はお越しいただきたいと思います。

2010年11月19日金曜日

塾帰り

最初に塾というものに行ったのは・・・たぶん中3くらいの頃だったか。渋谷の懐かしい今は無き「仁丹ビル」の近く。宮益坂を上って青山学院大学の間くらい。ちょっと入ったところだったと思います。

ところが、自分は私立だったので、ほとんどの公立の(小学校の同級生が多かったわけですが)生徒とはやっていることが違いすぎるということで、クビになってしまいました。そりゃ、悲しいものがありますよ。

楽しみは、青山通りに出たところに博多ラーメンの店「きんしゃい麺」とかいうのがあって、帰りにここでラーメンを食べること。当時は、鶏がらベースの醤油ラーメンか札幌味噌ラーメンしか無かった時代ですから、博多とんこつ味というのが、とにかく衝撃的な旨さでした。

結局、高校からは学校の友人と中目黒のこじんまりとした塾に通うことになったのですが、この塾の先生というのがけっこういい加減。確か年末だったか、忘年会をするということになって塾で酒盛り。本当に酒がでてきましたよ。

特にウォッカというものにびっくり。なんてったって、アルコール度数50ですから、もう一度口に入れると火を噴きそうになる。その割には、けっこう呑めたりして、いやもう大変な騒ぎでした。いい時代?だったんですね。

それはともかく、楽しみはというと、やはりラーメン。中目黒から渋谷までは歩いて帰るんですけど、そこで電車賃をけちって途中にあるラーメン屋に入るわけです。もう名前も覚えていない、普通のラーメン屋さん。ところが、なんと普通のラーメン、鶏がら醤油、チャーシューとメンマとナルト、ほうれん草と海苔がのっている・・・それが100円だったんです。

なんともこれが旨い。こういう、寄り道、道草というのは本当に楽しいものですし、こどもにしてみれば、小さいけれど冒険みたいなもので、ちょっと大人に近づいたみたいな気分になれたものなのです。

2010年11月18日木曜日

田園都市リウマチフォーラム

昨日、第1回田園都市リウマチフォーラムに参加してきました。

これは、横浜・川崎近辺の田園都市線沿線で関節リウマチを専門として診療する医者の集まりで、情報交換・質疑応答などを通して診療技術の向上をはかるための会合なのです。

と、まぁ偉そうに説明しましたが、実は今までちょこちょこやっていた横浜市青葉区のひろた内科クリニック、横浜市緑区のあゆみクリニックとの3者勉強会を拡大したもので、うちのクリニックを含めて発起人・世話人として立ち上げたのです。

さらに聖マリアンナ医科大学膠原病リウマチ内科のバックアップを得て、診診連携・病診療連携を強めていくというのも大事な目的にあります。

とりあえず、第1回ということで、今回は聖マリの山田先生に講演をしていただきました。先週、アメリカリウマチ学会があったばかりなので、出席したホットな話題をいくつか紹介していただきました。

そのあとに症例検討ということで、今回は川崎市の先生から、かなり画期的なケースの提示がありました。生物学的製剤の使用により、リウマチ患者さんのある程度の骨変化の回復が可能ということは以前から言われています。しかし、明らかに崩れた骨が修復されるかというと?マークが一杯つくというのが一般的な考え方。

もちろん、大々的な変形ではないのですが、明らかに変形した部分が経年的に修復された症例を見せていただきました。これは、いままで見せられた以上の回復であるといえ、聖マリの先生方興味深く見ていました。

こういう症例が、意外と開業医の中に埋もれているとしたら、それを発掘して他の医者に情報として提供できたことは意義深い。ますます、医療機関の連携を深めて中身の濃い会に発展させたいものだと思うのでした。

2010年11月17日水曜日

息子は誰と?

今日は内の息子は、れいのばしょにお出かけです

こんな写真を送ってきてくれました

学校をさぼっている、

わけじゃありません

父兄個人面談のため休校

男の子たちだけだとしたら、寂しいけどね

2010年11月16日火曜日

挨拶

今日は今シーズン一番の冷え込み、ということで寒さもだんだん本格的になってきました。

さて、挨拶というのは人との付き合いの仲で基本的な事柄ですから、最近Dr.Flickerも外来での患者さんとの挨拶は大事にしているということを書いていました。

もちろん、自分も挨拶については気をつけていることのひとつです。朝は「おはようございます」、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」というのは基本中の基本。

でも、じゃぁ、その使い分けの境界の時間はいつ?

これがなかなか難しい。朝一番の午前9時から10時くらいまでは「おはようございます」で、たいてい間違いない。患者さんに先を越されて挨拶されても、それほど食い違うことはありません。

ところが10時くらいからは「こんにちは」と言われることが多くなってきます。12時過ぎれば「こんにちは」しかなくなってきます。

クリニックは午後7時までですが、さすがに夕方の延長という感じなので、「こんばんは」という挨拶をすることはほとんどないと言って良い。午後は「こんにちは」一本で困らない。

ですから問題は午前10時から12時くらいの2時間くらいということでしょうか。こちらが「おはようございます」というつもりでいるところに、先に「こんにちは」と言われてしまうと、なかなかすぐに頭の回路を切り替えられないものです。

できることなら、波長が一致して同じ言葉で挨拶を交わせるのが理想なんですけどね。毎日、それまで知らなかった方と顔を合わすことが多い仕事ですから、そんなことにもいろいろと考え込んでしまうのでした。

2010年11月15日月曜日

法人化の途中

クリニック法人化する・・・ということは、支店をだせるとか、より地域の医療に貢献することを約束させられるとか、まぁ建前としてはいろいろあるのですが、正直言うと税金対策という側面は無視できません。

さて医療法人の申請は年に2回ということで、5月に仮の申請をして8月に本申請の許可が出て、10月の末に申請が通りました。今月はばたばたです。

開業の時の借金をどうするのか。一部は法人に引き継げたのですが、またこの手続きが大変です。もう印鑑証明を何度取りに行けばいいのか、という感じですが、これは自分がもともと借金をしているからしょうがない。

そして、さらに一部は・・・・って、つまり自己資金ゼロ開業をした自分なので、複数の借金があるわけです。そして、その一部は、引継ぎができないということで、借り換えをする計画になっています。

開業前の閑なときならいざ知らず、さすがに今は自分から動くことができることは限定されてしまいます。もう、税理士事務所におんぶにだっこ。言われたとおりに書類を用意して、とにかく言われたことを一つ一つこなしていくだけです。

それでも、公的な部分はいろいろ手配をしてくれますが、それ以外にもいろいろと変更をしないといけないことが山ほどあります。

レントゲン機械のメンテナンス契約。血液検査などをやってもらう検査会社との契約。クリニックから出る産業廃棄物、つまり医療ごみの業者との契約。電子カルテの使用についての契約。薬問屋さんとの契約。

他にも、電話、電気、水道、インターネットなどの個人契約になっていたものも法人としての契約に変更していかなければいけません。あ~、もう連絡するだけで頭が痛い。クリニックでの診療をしているので、自分が動ける時間というのは、ごくわずかです。

これも一歩進化するための通り道ですし、なんにしても自分のためですから文句は言えません。とにかく、毎日あたふたしてばかりですけど、なんとか漏れが無いようにやっていきたいと思うばかりです。

2010年11月14日日曜日

認定リウマチ医研修会

今日は朝から新宿へ。JR新宿駅で下りて、向かうのは京王プラザホテル。日本整形外科学会認定リウマチ医のための研修会に行って来ました。

これは、どちらかというと新たに資格を取りたい人向けの研修会で、内容的にはけっこう基礎的な話が多い・・・のですが、なにしろ、こういうまとめて単位を取れるときに取っておかないと、資格を継続するための単位集めがなかなか大変なのです。

普通に考えれば、年に数回講演会に参加していれば、それほど困らないのでしょうけれど、なにしろ開業してからしばらくはそんな余裕がありませんでした。去年からは、だいぶ単位を集め始めたのですが、ちょうど整形外科専門医の単位集めと重なってしまったので、まずはそっちを優先。
今年度はリウマチ医の単位集めを、と思ったのですが、これが意外と講演会は少ない。近場で行ける所と言うのは限られていますから、けっこう大変なのです。

今日1日で6講演を聞いてきたのですが、大半はもういまさら的な話でしたが、中にひとつたいへん勉強になったのが、間質性肺炎の話。これは純粋に呼吸器内科の話ですが、なにしろ関節リウマチの合併症として熟知しておく必要があるテーマ。

特発性肺線維症という大きな概念からリウマチ関係の間質性肺炎に至る話で、整形外科の講演ではなかなか聞くことがない話題ですから、呼吸器科の先生の話を聞けるのは貴重な時間でした。

今となっては、こういう勉強を最初からしていればよかったというところですが、もちろん整形外科としての勉強をしてきたベースがあるから、今新たに勉強したいことが増えてくるわけです。

それにしても、喋るほうも大変なのは十分承知していますが、1時間の講義を6コマ聴き続けるというのは、まじ疲れました。半分は寝ていたかもしれません。これからは、ちょっとずつ単位のポイントをためてあたふたしないようにしたいものです。

2010年11月13日土曜日

日々雑感

こんばんは・・・わ。寒くなってきました。11月になって、早くもつきの半分くらいが終わろうとしています。つきの始めにはやることが多くて、あたふたあたふたとしているとあっという間にこの時期になっているわけです。

今日は昼休みにテレビで原宿が映っていたんですが、あ~昔はここにRalph Laurenの店があったんだよなぁ、とか思っていました。基本的にはトラッドなファッションが好き・・・というか、それしか知らないみたいなところがあって、いまだにワイシャツはボタンダウン。

あすなろ海水魚館は7月末くらいにカクレクマノミとフレームエンゼルの2匹になってからは、とても平和な日々がつづいています。一度はカクレは白点病になりましたが、治療の甲斐があってなんとか無事にのりこえました。海水魚飼育のアクアリストとしては、一皮向けた感じがしています。

淡水魚館は2週間前にグッピーが出産。その時の8匹のベビーのうち5匹は生き残って、自由気ままに水槽を泳いでいます。母親はさらにお腹が膨らんでいても来週始めには、また出産をするのでないかと思っています。水槽を大きなものに交換する必要が出てきました。

スタッフの一人がかぜをひきました。たしかに空気の乾燥も進んでおり、静電気の悩みも出始めています。でも、鼻水がさらさらでどうも花粉症の疑いが・・・

巷ではインフルエンザの話題もちらほら。大きなニュースになると、皆さん急に心配になるものです。うちはかかりつけ(すでに患者番号のあるかた)の患者さんのためのサービスとしてワクチン接種の用意をしています。かかりつけではない方は値段が高くなっていますのでご了承ください。

大騒ぎのヨコハマAPECも、いよいよ今日明日が本番。このイベントは民主党では仕分けをしないのでしょうか。この2日間のために何億もの金が動くというじゃないですか。結果として、日本にとっていい方向性が出せるならいいですけどね。

自宅に帰ったら、長女の友人が来ていました。高校以来の友だちで、何度も来ているので、もう家族に近いような存在です。一緒に夕食も食べてもらって、楽しくすごしました。

あ~、明日は1日中研修会です。寝ることにしましょう。

2010年11月12日金曜日

日本体育大学・健志台キャンパス

今日はクリニックを休診にして・・・日本体育大学で講義をしてきました。
場所は世田谷ではなくて、横浜・健志台キャンパス。青葉区のこどもの国の近くに広大なキャンパスがあるんですね。幸い、クリニックからはそれほど遠くありません。

なんで日体大か、というと、女子医リウマチセンターでお世話になった先生が、その後日体大の教授で転出されていたんです。でもって、なんとか一度授業をやってくれないかというので、木曜日の午後ならなんとかできますと返事をしていたのです。

今年度は、もう日程などが決まっていてどうしても金曜日しかないということだったわけです。断るのは簡単ですが、一度いいですと言ったからにはできるだけ約束は実行したいものだと思いました。

そもそも、講義をするのは嫌いではなくて、自分にとっても気分転換になって大変好都合。開業医で、毎日毎日の仕事ばかり追われていると、違うことをやってみたくなります。

テーマは「スポーツによる手・肘の障害」ということで、関節リウマチ以外では自分の最も得意とするところですから、準備はそれほど大変ではありません。今までに講義などで使った、スライドファイルの再利用を中心にして、スポーツ用に手直ししたものを使いました。

それにしても、医者というのは教育学についてはまったく勉強していないので、考えてみればずいぶんといい加減なことをしているのかもしれません。

今までに、医学部の学生、看護学部の学生、理学療法士の学校の学生、介護ヘルパーの研修生などに授業をしたとがありますが、いずれも大なり小なり医学的な知識を説明するベースはある方たちなので比較的楽チン。

今回は、まったくの学生ですから、医学的知識はゼロという前提で話さないといけない。それもうちのこどもと同じ年頃の学生ですからね。まぁ、若いっていうのはいいもんです。

なんと言っても、リアクションがいい。質問しても、反応が早い。喋るほうばかりが楽しんでしまい、ちゃんと内容がつたわりましたでしょうか。こういう授業は何度頼まれても、できるだけやりたいものです。

最後の質問で、「どぉーやって、勉強したんですかぁ?」というのがあったんですけど、「カンペを一生懸命作る」なんていういい加減な答えをしてしまいました。でも、本当です。カンペは、勉強のまとめを作ることで、これをやるとけっこう頭に入るもんなんですよね。そうすると、実際にはカンペは使わなくてよくなるんです。
写真は、学生に許可を得てのせさせていただきました。

2010年11月11日木曜日

明日の午後は臨時休診

明日は - 11月12日、金曜日。クリニックは午前中は普通に診療しますが、午後から休診です。
大変ご迷惑をおかけいたします。1ヶ月前からクリニック内にはお知らせを貼り出しています。あわせて、ホームページやこのブログにも掲示しています。

でも、知らずにいらっしゃる方がいるかもしれません。扉が閉まっていて、がっかりされることと思いますが、すべての方に徹底周知することはなかなか難しい。おいでになった方には、申し訳ありませんと頭を下げるしかありません。

でもって、わざわざ休みにする理由とは・・・

開業医がクリニックを臨時に休みにするのは、自分が病気の時、家族の不幸くらいのものでめったにあるものではありません。当然、1ヶ月前から決まっていた予定ですから、そういうものではありません。

実は、某大学で臨時講師として授業をすることになっているのです。お世話なった先生から頼まれて、木曜日の午後ならと約束していたのですが、どうしても木曜日に授業が組めないため、今回だけは何とかしてと言われたものなのです。

開業医であるからには、クリニックの診療よりも大切なものは基本的には無いのですが、人に物を頼まれるということ、一度約束したことを守ることは、それなりに意味があることだと思います。

どんなところに言ってきたかは、また明日報告しますね。

2010年11月10日水曜日

KPOP Girl Group

どうも最近の韓流・・・イケメン俳優から女の子グループに移ってきましたね。おじさん的には、あまり深入りするようなものではないのですが、一応、今時の事情には敏感でいたいというところあって・・・複雑です。

とりあえず、Girls' Generationは押さえておかないとね。だって、毎朝見ている「めざましテレビ」でも、ずいぶんと取り上げるんですよ。別に興味は無くても、多少彼女たちの冠する知識が増えてしまいます。

さすがに、メンバー一人一人の名前を覚えようとは思いませんけど。・・・本当ですよ。あんまり言うと、いいわけみたいですけど。

ノ・ノ・ノ・ノ・ノッォ~なんて言って、受けを狙うというのも、中年のおっさんの特徴ですから、まぁ許していただきたいと思いますけどね。

ところが、さらにKARAというグループが、一気に知名度を上げてきましたよね。うちの高校生は、こっちのほうがいいらしい。現役世代がKARAの方がいいというのは何故なのか、おじさんにはまったくわかりません。

「めざましどようび」のテーマ曲は、ビッグバンからKARAの新曲に変わりました。ヒップダンスからジャンピン・ダンス。高校生はうきうきですが、やはりおじさんにはよくわからない。

まぁ、単純にポップスとしては楽しめますが、こんな曲ならどこにでもあるでしょう。やはり、彼女たちのキャラにはいりこめないと本当のところは楽しめないんでしょうかね。

まぁ、おじさんは百恵ちゃんですから。隣の真理ちゃんでもいけど、明菜はもうだめです。アイドルは世代とともに変わっていくものですから、なんでもいいんですけど・・・

まぁ、単純に楽しむしかないか・・・

2010年11月9日火曜日

飲酒勉強

飲酒しながらの勉強というのも、どうも申し訳ないのですが、大人の特権みたいなものでして・・・

今夜はリウマチの新薬についての説明を聞きにいったのですが、いつもの仲良し先生と一緒で、もう質問しまくって、大変有意義でした。

まじめな薬の説明会だと、かしこまって上っ面の話で終わってしまうことが多い(薬屋さんゴメンナサイ)のですが、今夜はいろいろ質問して薬屋さんは困ったかもしれません。

というわけで、場所はたまプラーザの・・・

あ~、すみません。飲酒勉強の飲酒ブログでは、このへんにしておきます。

2010年11月8日月曜日

Stanley Cubric / SHiNiNG

冬来たりなば・・・寒くなってきました。いまだに半袖のワイシャツを着ているというのも、ずいぶんノー天気な自分ですが、さすがに上着は必要。なにしろ、昨日は立冬でしたから。寒くなってくると、空気が乾燥してきてそろそろ静電気が気になる。何かに触るたびに、パチっとなって痛いのでいやぁ~なものです。

さて、冬の映画というのもいろいろあるわけですが、心温まる系もいいけど、全編「雪に閉ざされた密室」と化した状態が、けっこうなサスペンスを生み出すのです。

推理小説でも、金田一耕助が探偵デヴューした「本陣殺人事件」は、密室になりにくい日本家屋を雪で囲むことで,実質的な密室を作り出すことに成功した作品として有名です。

話を元に戻すと、この雪に閉ざされた世界を効果的に使ったのが、スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング(1980)」です。スリラー小説家のスティーブン・キングの原作を元にしてはいますが、キューブリックは大幅に内容を変えて、もうほとんど偏執狂キューブリックのオリジナル作品と言ってもいいくらい。

キングはこの作品を原作から大きく変更されたのが気に入らず、後年自分で監督してドラマ化しましたが、あまりに間抜けな出来映えで箸にも棒にもかかりませんでした。

なんといっても、主役のジャック・ニコルソンがいい。「イージーライダー」、「カッコーの巣の上で」と順調に70年代アメリカの狂気を演じてきて、ついにこの映画で完全に自ら狂人となって、家族に襲いかかるようになりました。そのすさまじい演技は、わかっていても背筋がぞっとするような迫力があります。

キューブリックは、まったくぶれずに移動していくカメラワークを多用して、静寂の中にすこしずつ恐怖の伏線をはりめぐらしていきます。最後の雪の迷路の中での追いかけっこでは、一気にたたみかけるように見ている者を恐怖のどん底に陥れていきました。

そして、まったく原作を無視した結末。狂気が満ちた古ホテルの中に取り込まれてしまったニコルソン。見終わった後も、じわーっと恐怖が後を引く最高の演出ではないでしょうか。

すでに30年前の映画ですから、もはやホラー映画としては古典の範疇に入ってくるわけですが、心理的な恐怖をあおっていく手法は、この後のいろいろな映画への大きな影響を与えたといってもいいのではないでしょうか。

あー、なんか書いていたら、無性にまた見たくなってきました。

2010年11月7日日曜日

整形外科の未来

整形外科のテリトリーは疾患が少なく、どちらかというと外傷が中心と思われがちです。まぁ、実際そうなんだからしょうがない。変形性関節症、変形性脊椎症といっている病気は大変多くの患者さんにみられるわけですが、これらは加齢性の問題が大きいので、純粋に病気かというとちょっと違うわけです。

その中で関節リウマチは数少ない整形外科の純然たる病気なのですが、治療戦略の進歩により外科的治療の機会は減少し、どちらかというと内科的側面がしだいに膨らんでいることは否定できません。

他には痛風という疾患がありますが、これも根本的な病態は高尿酸血症という代謝性疾患であり、もともと外科治療の介入することはまずありません。筋肉の病気も通常は神経内科の範疇です。

となると、脊椎・脊髄障害、末梢神経障害、腱鞘炎やテニス肘のようなOVERUSE(使いすぎ)による病気、あるいはスポーツによる障害などが純然たる整形外科疾患として残ることになるのかも知れません。

骨腫瘍というのも病気らしい病気なのですが、何しろ頻度が少ないために整形外科医ならだれでも経験できる疾患ではありません。

整形外科というのは、もともと外科から分離独立したもので、一般には四肢・脊椎、あるいは骨・筋肉・末梢神経といった運動器の疾患と外傷を扱うものととされています。

高齢化社会となって、加齢性変化による問題を抱えた患者さんが増えていくわけで、整形外科の患者さんが増えることはあっても減ることはないと思われています。

自分も確実に老化してきているわけで、将来の患者予備軍に確実にリストアップされていることを実感しますし、そのような患者さんへの対応は大変重大な課題であることは間違いありません。

しかし、医学的な、学問的な将来性という観点からはなかなか未来への展望というのが見いだしにくくなってきているということも言えると思います。

自分が医者になった四半世紀前に、整形外科の中心的な基礎研究課題は「軟骨の再生」と「神経の再生」でした。それは今でも重要な問題の一つですが、ほとんど解決されていないと言っても過言ではありません。

医学全体の研究が遺伝子関連にシフトしていることもあり、整形外科の研究も軟骨・神経を再生させることよりも、作り出す -新生- ことにシフトしてきているようですが、それでもなかなか一筋縄ではいかないようです。

逆説的な話ですが、再生医学の進歩は平たく言えば老化現象の抑制であり、その結果さらに高齢化が進むということかもしれません。となると、永遠にいたちごっこのようなもので、解決することはないのかもしれません。

いずれにしても、整形外科医の立ち位置というものもしっかりと考えていかないといけない時代にさしかかっているのだと思います。外科的手法を中心に考えているだけでは、おそらく存在価値は減少の一途をたどるだけです。自分たちにできることは、そのあたりをしっかりと次の世代に伝えていくことなのかもしれません。

2010年11月6日土曜日

診断書

以前、大学にいたときに診断書料でどのくらい儲かっているのか調べさせられたことがあります。

診断書を書くことは「医者の義務」でして、正当な理由無しに断ることはできません。診断書は「公文書」であり、そこに記載されたことに対しては、医師は法的な責任をもちます。

しかし、診断書を書くことに対しては、自費による報酬を受け取ることができるので、その値段については各医療機関の裁量に任されています。通常は3000円程度というのが一般的ですが、あとは書くことが多い物については5000円程度までの中で値段が決まっていると思います。

うちの場合も、おそらくごく一般的な値段の設定をしているわけですが、ほとんど支出もなくまるまる収益になるというわけですから、正直言って大変助かる話であります。

ところが、勤務医をしていると普通はいくら診断書を書いても、その分書いた医者にはまったく収入として入ってくることはありません。診断書をせっせと書くというのは、実際時間がけっこうかかる物で、その労力はバカにはなりません。

整形外科は、診断書の多い科としてだんとつの実績を誇っているのが普通です。交通事故関連、労働災害関連、身体障害者の診断書、障害年金の診断書、生命保険の診断書など、それはもう数えたらきりがありません。

そこで、当時の大学の医局長が、どれだけ大学の収入に整形外科が貢献しているかという資料の一つとして、文書料の科ごとの額を知りたがったというわけです。

数字は、もうほとんど忘れてしまいましたが、1年間で整形外科から得られた文書料は2千万円くらいあったと思います。1枚3000円とすると毎月550枚くらい。たぶん、一人の医者が毎日数枚書いているような感じでしょうか。

第二位は脳神経外科で、文書料は数百万円。第三位は一般外科でやはり数百万円。あとはどの科もわずかなものでした。

例えば、心臓の手術とかで、一人の患者さんから数百万円の収入が得られたとします。実際は、いろいろなコストのかかる支出をともなっているので、利益率はそれほどたいしたことはありません。ところが売り上げだけはものすごい額になるので、病院内での評価は高くなります。

整形外科は薬をあまり使いませんし、検査もそれほど無いので、売り上げは少ない科の代表みたいなものです。ところが、そのかわり支出はほとんど無く、医者の技術が頼りみたいなところがあるのです。

今の日本の保険医療というシステムは、昔に比べれば少しは改善されたとはいえ、技術・技量という目に見えない物には評価がされないという、何ともやるせないところがあんですよね。

例えば教授が診察しても、研修医が診察しても値段は一緒。整形外科が、どんなに利益率を向上させても、売り上げでしか評価されないというのが、けっこう辛いところがあるんです。

大学で診断書料を調べてからは、診断書の頼まれたら可能な限りその場で書くようになりました。よほどの物でなければ、数分で書くことができます。患者さんが立て込んでいる場合でも、預かってその日に書き終わるのを原則としてきました。ためてしまうと、自分が大変になるだけなのです。

今は、さすがにそれほど多くはないので、あまり診断書を書くことが苦痛では無くなりましたし、そもそも書けば書いた分自分の収入につながるわけですから、一生懸命書かせていただいています。

2010年11月5日金曜日

ネット流出

どうなっているんでしょうか。先日は、テロ関係の機密文書というものがネット流出。そして、今日は尖閣諸島漁船衝突ビデオです。

機密文書は、もしかしたら意図的なものではなく、「しまったぁ!」というようなものだったかもしれません。しかしビデオは違います。明らかに意図的にYouTubeに投稿されたもの。

公開されることの是非という問題とは、まったく別の次元の話です。

個人情報というものが言われるようになって、何でも秘匿するような時代になったことは人との付き合い方が難しくなったと言えます。インターネットの普及の最大のデメリットがここにあるかもしれません。

その一方で、隠すものは現れるという言葉通り、さまざまなものがネットに「流出」するという事態が後をたちません。昔よりも、ある意味たちが悪い。

国がいろいろな行政サービスを提供するために、さまざまの情報を取得することは必要なことです。しかし、その中に「得た情報は本来の目的以外には使われない」という意識の欠如があるとしたら大変怖いことです。

今回のビデオ流出については、直接ネット投稿した者は国とは直接関係ないかもしれませんが、国家機関にかかわる誰かが持ち出したことは間違いありません。

この夏の大きな政治問題であり、いまだに引きずっている事件ですから、ビデオの内容を見てみたいという気持ちは誰にでもあるでしょう。しかし、このような形で公開されてしまうことが外国との関係をさらに悪化させる危険も大きい。

それによって、国民全体が不利益を受ける可能性は否定できないわけで、丸裸の情報公開は諸手を挙げて賛同するわけには行きません。とにかく政府の内部統制がまったくきいていないという状況は、それ以上に怖い。

ほんと、今の日本、いや世界かもしれませんが、どうなっていくんでしょうか。
ため息しか出ません。

2010年11月4日木曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 番外編

どうせなら思い切りマイナーなもので、是非聴いておきたい・・・いや、聴いてもらいたいものというのも探してみました。まぁ、弾く人も聴くだけの人にも、無くてもあまり差し支えのないものばかりですがね・・・

過去に取り上げた物では、シューマンの妻、クララの作品がいい。夫ロベルトよりも、やや古典派に近い感じで、メロディも親しみやすい。

そしてジョン・フィールド。ノクターンの創始者という事になっていますが、あまりに録音が少なく気の毒です。

そしてオペラで有名なロッシーニのピアノ小品群。ユーモアのセンスをもっていて、軽いサロン・ミュージック風ですが、実に味がある。

偉大なJ.S.バッハの息子たちの鍵盤曲もなかなか捨てがたい。父親ほどバロック調・・・つまり対位法が目立たず、どちらかというと古典派に近い感じで悪くありません。

パーシー・グレンジャーも痛快です。何となく田舎のほのぼのとした情景が浮かび上がってくる。

チャイコフスキー、スメタナ、ヤナーチェク、ドボルザークといった東欧圏の作曲家のピアノ作品も、実に素朴な感覚が溢れていて気が休まります。

他にも、ほとんど聞いたことがないような作曲家が山ほどいるのですが、それを探すのがマニアの楽しみ。あっと驚く素晴らしいものに出会うこともあれば、あー買わなきゃよかったと思うようなこともある。

もっとも、クラシックの場合作曲者の出来と演奏者の出来という二つの要素がありますし、特にピアノ独奏の場合は演奏者の気持ちが色濃く反映されます。曲から入るか、演奏者から入るかで個人の評価は随分と違ってくる。

おそらく初心者ほどどこかで聞いたことがある曲から入るのが無難な攻略法だろうと思います。とにかく最初に聴いた物がその人にとってのスタンダードになる可能性が高いので、名演と評判の高い物から始めるのがいいんでしょうね。

2010年11月3日水曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 上級編

いよいよ上級編ですが、ここまで来るとなかなか難しい。初級、中級はそれほど異論はでないと思うのですが、上級ともなるとマニア的な色彩が加味されてくるので、ともすれば独りよがりになってしまいます。

所詮、自分の書きたいことを好きに書いているブログですから、何を選んでもいいと言えばそれまでですが、もしかしたら誰かが参考にすることもないとは言えません。

少なくとも、現代音楽のようなところからは、一般に薦めるようなものは選びにくい。そこで、それ以前の時代から、2番手的なものを探してみましょう。

古いところでは、多くの鍵盤曲を残したドメニコ・スカルラティとムツィオ・クレメンティ。基本的にはチェンバロのための音楽ということですが、それぞれスコット・ロスとピエトロ・スパーダによる全集にとどめを刺すでしょう。

F.J.ハイドンは交響曲・弦楽四重奏曲の父という存在ですが、鍵盤曲の多さも並大抵の物ではありません。チェンバロ、フォルテピアノを駆使したショルンハイムの全集はよく考えられたスパらしい演奏です。

初級でモーツァルトのピアノ・ソナタをあげておきましたが、「普通」のモーツァルトを堪能した方に、是非きいてもらいたいのがバッハ作品で有名なグレン・グールドの全集です。グールドはモーツァルトを否定的に見ていたことは有名で、アンチテーゼとしての演奏がまた面白いわけです。

ショパン、リストと同じ時代に、さらにピアノという楽器の究極の技巧を追求したのがアルカン。ピアノを自分で弾く方にとってはとっておきの難曲ばかりですが、近年バカテクの持ち主アムランによって紹介され、ずいぶんと知られるようになりました。

ブラームスも忘れてはいけません。重厚な作風はピアノ曲にも反映されて、ちょっと取っつきにくい印象はありますが、ドイツ音楽の神髄を伝えるものだと思います。オーピッツの全集は、現代にブラームスを伝えることで成功しているのではないでしょうか。

最後にラフマニノフを出しておきましょう。協奏曲が有名で、独奏曲については意外に録音が少ないのですが、東欧圏から現代につながる架け橋として大事な存在と言えます。アシュケナージが比較的まとまった録音を残しています。

自分が上級者と言えるかどうか、僭越な気持ちもあるのですが、あくまでも聴く立場としてこのくらいは押さえておきたい物を列挙したつもりです。これからクラシック・ピアノ音楽を聴いてみようと思っている方の一助になれば幸いです。

2010年11月2日火曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 中級編

ぱっと聴いたときに、メロディがわかりやすい曲というのは親しみやすいですよね。クラシックではバロック、古典というところは、まさに主旋律がはっきりしているのか、親しみやすい曲が多い。

ロマン派に入ってくると、だんだんメロディがわかりにくくなってくるのか、一度聴いたくらいでは、何がいいのかわからない曲がよく登場する・・・というのは、自分の未熟さゆえでしょうか。

19世紀の音楽は、ロマン派から民族主義みたいな時期にあって、個人の主観が表に出るようになって、なんともわかりにくい音楽が増えてきます。ですからこのあたりを中級者にお勧めするのが順当かと思います。

とりあえず、クラシックピアノがちょっと好きになった人に、次のステップとして聞いてもらいたいのは、リスト、シューベルト、シューマンの3人です。

いずれもロマン派と呼ばれる時代の作曲家。誰でも、名前は聞いたことがあるはずです。個人的にはショパンよりもリストのほうが好きなのですが、なぜかリストのほうが下に見られているような雰囲気があった残念。

リストというと、その超絶技巧ばかりが際立つようですが、「巡礼の年」は余情性でも大変すぐれた作品群で、ピアノという楽器のあり方のひとつの完成形を示した作品といえます。

シューベルトは、ピアノソナタ、楽興の時、即興曲が有名です。ただし、いずれも親しみやすい曲もありますが、全体的には起承転結が不明瞭で、ちょい聴き程度では全体像がつかみにくい。

シューマンも同じようにわかりにくい側面があるのですが、何度も聴いていると本当にロマンチストであることがにじみ出てくるようで、自分としても最も好きな作曲家といえるかもしれません。「子どもの情景」「クライスレリアーナ」が代表作といえそうです。

リストでは、利スリー・ハワードがCD100枚にもわたる全集をだしていますが、内容からはボレットが一押しです。シューベルトは最初にスポットをあてたケンプを筆頭に、内田光子や田部京子といった日本人がなかなか捨てがたい。シューマンはアシュケナージ、アルゲリッチがお勧めですが、ただいまピアノ曲全集進行中のル・サージがすばらしい。

そして、時代が進んで、各国の文化を重んじる時代となって、フランスのドビッシー、北欧ではグリーク、南欧ではアルベニスなどが録音も多い。

ドビッシーはCDも多くて、どれときめるのは大変に難しい。グリークはクナダール、アルベニスはラローチャあたりが定番ではないでしょうか。

いずれも、その国の民謡などもうまくとりこんで、大変祖国のカラーが前面に押し出された曲が多いのですが、いずれもそれぞれの国の風景などが脳裏によぎるような素晴らしい曲であり、演奏です。

2010年11月1日月曜日

リスナーのためのクラシック・ピアノ ~ 初級編

ピアノは他の楽器と比べて、自分でも演奏する、あるいは演奏した経験をもっている方が多いわけです。その点、演奏する立場からは、やや聞き手に耳年増が多く不利な楽器ということが言えます。

それだけ、ポピュラーな楽器であり、限られた資産の中では大変多くの楽曲があるのです。これは、ピアノが独奏楽器でもあり、伴奏楽器でもある、オーケストラに匹敵する音を出せることにも関係があるのでしょう。

しかし、そうなると聴く側としても何を聴くのか迷ってしまうことが多々あります。年代を追っていくのか、好きな演奏家に絞って聴いていくのか。人それぞれの方法があることと思いますが、ここではリスナーのマニア度によって、自分が勝手に聴いて欲しいものを推薦していきたいと思います。

今回はまだまだピアノの魅力に気がついていない、またはちょっと気になり始めた初心者のリスナーの方向けに、いくつか自分のお気に入りを紹介します。

初心者に物を勧めるのは、意外と難しいということは多々あります。何が初心者向けなりかという、一定の基準があるわけではなく、物事に対する価値観は人によって千差万別です。

そこで、単純にいろいろな演奏家によって多くの録音があるもの、つまり手に入りやすいもの。演奏する側も弾きこなしてみたくなるものであろうというものを選んでみましょう。

何と言っても、録音の多さでダントツなのは、ピアニストにとって「聖書」という扱いをされている二つの作品群をあげないわけにはいきません。

「旧約聖書」と呼ばれているのが、J.S.バッハにより作曲された「平均律クラーヴィア曲集」です。そして、「新約聖書」に例えられるのがベートーヴェン作曲の32のピアノ・ソナタ。

その中間の時期をうめるものとして、モーツァルトのピアノ・ソナタも録音の多さでは、ぴかいちの人気を誇る作品群であると言えるでしょう。

そして、最後にピアノと言えばショパン、ショパンと言えばピアノというくらいですから、ショパンをはずすわけにはいきません。数あるショパンのピアノ作品の中で、特にノクターン(夜想曲)をここでは揚げておきたいと思います。

これらの4つの作品群の中には、いろいろなタイプの音楽が詰まっていて、中には面白くないと思われるようなものもあるかもしれません。しかし、そういうものも含めて、とにかく一度は聴いておくべき価値のあることは、万人が認めるところではないでしょうか。

少なくとも、クラシック・ピアノを嫌いになるなら、少なくともこれだけは聴いてからにしてもらいたい。これを聴いてダメなら、潔く撤退してもしょうがないと思います。

厳密にはバッハの時代(バロック)には、まだピアノという楽器はなく、鍵盤楽器と言えば、チェンバロかオルガンであったわけです。モーツァルトの時代(古典)になるとピアノフォルテという現在の形の元型が広まり、そしてベートーヴェンの時代(古典末期)に現在のような形が完成されました。

この間にピアノを弾くための技術的な進歩もどんどん進み、それに連れて曲そのものの表現の幅も拡大していったわけです。そしてショパン(ロマン派の時代)によって、演奏表現が確立されたというが、クラシックピアノの歴史の中での一定のコンセンサスが得られている事実です。

その後の展開については中級に譲るとして、ここまでの流れをはずすことはおそらく初級レベルでは不可避であり、まずはとっかかりとして是非聴いていただきたい。

演奏者は誰でもいいとは言いませんが、まさに個人の好みの分かれるところなので、なかなか一つに絞ることは難しい。ここにあげたすべての録音をのこしている演奏家がいないので、一人のピアニストで制覇することは難しい。

あえて、それに近いピアニストを探すと思いつくのはクラウディオ・アラウくらいでしょうか。個人的には大好きなピアニストなのですが、やはりそれぞれ名演として規範たる録音をお奨めする方がよさそうです。

古いピアニストならば、バッハはグールドかリヒテル、モーツァルトはギーゼキングかクラウス、ベートーヴェンはバックハウスかケンプ、そしてショパンはルービンシュタインかアラウといったところが手に入りやすさを加味するとお奨めでしょうか。

現役はもうあまりにありすぎて、選びようがありません。あえて、自分の好みで選んでみるなら、バッハはヒューイット、モーツァルトは内田光子かピリス、ベートーヴェンはメジューエワ、ショパンはアシュケナージをあげておきます。

2010年10月31日日曜日

芋バーグ

創作というほどの話ではありませんが、なんとなく冷蔵庫の整理をかねてこんなものを作ってみました。

あるとき冷蔵庫、特に冷凍庫の中ですけど、結構使うに使えないものが余っていたりするものです。あのときの残り物、捨てるのももったいないのでとりあえず冷凍しておいた、なんてことは普通によくある話。

ただ、カレーとかはちょっとお昼、とかいう具合に消費しやすいのですが、中には冷凍庫の中でかぴかぴになって、ますます食べられることなく凍結され続けているものがあったりします。

とりあえず、今回のメインの食材はジャガイモ。けっこう前から冷凍庫に入っていた、マッシュポテト。中途半端に残っていて、何となく置き去りにされていました。

これに炒めたタマネギのみじん切りをいれ、塩・コショウ。そのまま衣をつけて揚げればコロッケになります。ですが、そういう手間がかかることはめんどうなのでやりたくない。

さこで、さらに細かくしたベーコンや、やはり余っていた冷凍コーンなどを追加、さらにこれも余り物の冷凍してあったピザ用のチーズなども入れてしまいました。

そのままハンバーグのようにフライパンで表面を焼いただけにしました。ジャガイモはでんぷんですから、けっこう型崩れしない物です。

ちょっとイタリアンな香りのするジャガバーグ、あるいは芋バーグとでも言いますか、表面がかりっとしてなかなかこどもにも比較的好評でした。

わざわざ作るほどのものでもないのですが、まぁ無駄を無くすと言うことでよかったかと。

2010年10月30日土曜日

Stephane Coombs / Glazunov PIano Works

グラズノフはロシア帝国末期、20世紀前半に活躍した作曲家です。チャイコフスキーの流れをくむロマンチックな曲想を持ち、民族主義に根ざしたロシアの雄大な自然を思わせる叙情的な作品が多い。

グラズノフを含む、いわゆる国民楽派と呼ばれる人たちの作品は嫌いではありません。ロシア近辺ではバラキレフ、ボロディン、スメタナ、ドヴォルザーク、北欧ならシベリウス、ニールセン、グリークなどといった作曲家の名前がすぐに浮かんできます。

グラズノフに限らず、彼らの作曲の中心は管弦楽だったので、比較的ピアノ曲というのはマイナーにイメージなのですが、ピアノ独奏のほうが、端的に民族色が色濃く出てくるような気がします。

今回のクームスによる独奏曲全集はCD4枚。アムランの超絶ピアノの作品集を多数出しているHyperionレーベルからのリリースです。この会社は、レスリー・ハワードによるリストピアノ曲全集(CD100枚以上!!)やヒューイットのバッハ物など、けっこうピアノ曲にも力をいれているのです。

ロシアのちょっと寒そうな大平原をイメージして聴くと、なんだかぴったりで心が洗われるような気がします。日本なら北海道とかの雰囲気でしょうか。

有名なのは「主題と変奏」と2つのピアノ・ソナタ。けして自由な時代ではなかったはずですが、作曲というプロセスの中で思い切り羽を伸ばしていたのでしょうか。

2010年10月29日金曜日

かんなづき

官無月です。いや、もうほんと。

えっ? 字が違うって、いえ、いいんです。

今夜はミナトミライに勉強に行ってきました。リウマチの新しい治療薬についての講演会だったんですが、まぁ、内容はいいでしょう。

実際に薬を使った症例の提示が勉強になりました。もうこの手の講演会では、使うといいよという話は「耳たこ」状態ですので、ひとつひとつの症例の話のほうが役に立つのです。

でもって、ミナトミライです。もうすぐASEAN首脳会議があるので、ここのところヨコハマは厳戒態勢。ついでに捕まっちゃう芸能人が出たりするわけです。

全国から警察官を集合させて、ものすごい規模の警戒態勢です。検問所もいくつもあって、さすがに今夜あたりはほとんど素通ししていましたが、来週からは渋滞もひどくなるんでしょうね。

警察官は数人一組で各ビルごとに配置されているのか、ぱっと見える範囲に数十人はいそうです。これだけの警察官を集めて警備させるための予算はどれだけかかるんでしょうか。事業仕分けをしている時期だけに気になってしまいます。

全国から警察官がヨコハマに集まって、ヨコハマはもはや出雲。日本中に警察官がいない、官無月というわけです。

2010年10月28日木曜日

八海山ビール

何度もお世話になっているセンター南の「梵(ぼん)」ですが、先日は長女の誕生日だったので家族で利用しました。

そこで、日本酒で有名な八海山のビールが飲めるわけです。これが、美味しい。ちょっとフルーティなすっきりした味わいです。

そこで、ネットで探して買ってみました。正直言って安くはありません。この値段を出すなら、ベルギービールでもいいかもしれない。まぁ、美味しく飲めるなら、あまり下世話なことを考えてはいけません。

酵母が生きている真の「生ビール」ですから、クール宅急便で送られてきました。賞味期限は2ヶ月間。

最初の一ヶ月は、さわやかな喉越しが楽しめる。次の一ヶ月は熟成した味わいなんだそうです。と、いうことは今すぐ全部飲んではもったいない。

次は11月の末に楽しむことにして、大切にとっておく・・・おけるかなぁ?

2010年10月27日水曜日

センター南医療ヴィレッジ

センター南医療ヴィレッジというのを知ってますか?

自分が入っているクリニックビルの名称は・・・ベルヴィル茅ヶ崎。平成17年にビルができて。4月に小児科泌尿器科が先陣を切りました。年末に眼科自分(整形外科・リウマチ科)が追って開業しました。さらにビルは違いますが、産科の先生も参入してくれました。

今年は、それぞれのクリニックが満5周年を迎えました。その後内科耳鼻科がオープンして、都筑区内で最も充実したクリニックモールになりました。

最初は、自分のクリニックをなんとか切り盛りするのに精一杯ですが、だんだんいろいろな関係が増えてきますから、いろいろと時間の制約が増えてくるものです。

今までにも、モール全体で運営会議と称して飲み会を幾度と無くやっています。なかなか、まとまりの良いクリニックモールとして、他の先生からも羨ましく思われることがしばしばあります。

ところが、科が違うとそれぞれの用事は重なることが少ない。つまり、飲み会をやりたくても、全員のスケジュール合わせが難しいのです。前回も2ヶ月くらいの中で、全員の日程を聞いたところ、結局1日しか揃える日がないという事態でした。

ヴィレッジのコンビニを自称する自分としては、そろそろ忘年会をやりたいと思うわけで、皆さんに11月から12月半ばまでで日程を聞いてみました。

何と驚いたことに・・・2日もあいている日が見つかりました。いやいや、これは予想を超えた成果です。1日でもあればラッキーと思っていたので、2日も選択肢があるというのは奇跡に近い。

それだけ、それぞれのクリニックが発展してきたということだと思います。忙しいというのは幸せなことです。やるべき仕事があるというのは、がんばる活力です。

よーし、楽しい忘年会を企画しましょう。頑張っているからこそできる楽しみですからね。

2010年10月26日火曜日

ベビー・ラッシュ ~ あすなろ淡水魚館


つい2週間前に稚魚が生まれたと思ったら、その直後からまた♀のおなかがふくらんで・・・

ついに昨日産むわ、産むわの大騒ぎ。
3匹、いやいや5匹いる。どいつもこいつも、体長は2~3mmで、半透明なので見つけにくい。

よ~く見たら7匹だ。さすがにこのままじゃどんどん食べられてしまいそうなので、ベビー専用ルームを設置しました。

やっとこさ、すくいあげたら・・・8匹でした。

前回2匹だと思っていたのは、実はもっといてすでに気がついたときには食べられていたのかしらん。

前回の2匹のうち1匹は消えてしまいましたが、残った1匹は2週間で体調1cm以上になって、もう食べられる心配はなさそうです。

グッピーの生態については、まったく勉強不足で、何がどうなるのかよくわかりません。もうちょっと、まじめに育成しないといけないなと反省しているところです。

2010年10月25日月曜日

忙しい時のブログの書き方

いや、まぁ、その・・・そんなたいそうな事を書くつもりはないいのですが、要するに先週は忙しかったので、そんなとき毎日更新するブログをどうしているかという・・・

要するに言い訳を書いておこうというのが、今日のブログの主旨。

先週は、例によって土日当直して、月曜日は夜に近くの大学病院との連携協議会。火曜日は久しぶりに家で夕食。水曜日は、関節リウマチの毎月の勉強会。木曜日は午後は休診ですが、ちょっと私用がありました。

金曜日は医師会の理事会で、土曜日は相模大野までいって関節リウマチ講演会に出席。お世話になっている先生の講演なので、ちょっとテリトリー違いの講演会でしたがでかけてみました。

そして、やっと昨日の日曜日。1ヶ月ぶりにまったく予定のない休日で、朝から目一杯うだうだして、完全休養することができました。

で、けっきょく、ブログをゆっくり書いているヒマがなかなかないということになるわけです。

そこで、まずは日曜日に当直中のヒマな時間や木曜日の夜に書きためておいてということになるわけです。自分の使っているBlogger(Google)は、いつ公開するかの日時を指定できるので、順番をつけておくという具合。

となると、リアルタイムな話を書くわけにはいかないので・・・そこで映画の話ということになるわけです。音楽ネタは最近、けっこう書いていますから、ちょっと遠慮してみました。

原則として、リアルタイムに毎日書くようにしているのですが、たまにこういう時があるのはお許しいただきたいと思います。

それにしても、映画の話といっても、自分が知っている映画を適当にチョイスするというのは意外に難しいものです。そこで、好きな俳優で3つ、好きな監督で3つ、全然関係ないところで1つを選んでみました。

いずれも、自分が繰り返し見たくなるという基準で決めてみたのですが、何しろ
好き勝手な意見ですから、世間一般からは認めてもらえないかもしれませんね。

まぁ、本当に忙しい時や、へろへろに疲れているときは、超短い文章一つでごまかしてしまいますから、先週はまだ余裕があったのかもしりません。

2010年10月24日日曜日

ライト・スタッフ

1983年、アメリカ映画。  

小学校の時、アポロ11号の人類初の月面着陸はこどもながらに大変なインパクトを与えてくれました。この映画は、そこに至るアメリカの宇宙開発の歴史を物語として見せてくれるのです。 

基本的なストーリーは実在するテストパイロットだったチャック・イェーガーの伝記に基づいて進行するのですが、もちろん映画用にフィクションもかなり盛り込まれており、とにかく3時間の長丁場ですが飽きることなく一気に見ることができます。

音速を超えることに命をかけていた時代から、宇宙へ飛び立つマーキュリー計画、そして月にたどり着くためのアポロ計画へと、アメリカ威信をかけた政治的思惑も加わったプロジェクトが進行していきます。

その中で年老いて表舞台から去っていく者、事故で命を落とす者、栄光をつかんで絶頂に上り詰める者、いろいろな人間模様が交錯し壮大なドラマとなって、見ている者を感動させずにはいられません。 

監督のフィリップ・カウフマンは、どちらかというと脚本家で監督作品としては他に見るべき物はない。実はクリント・イーストウッドの「アウトロー」(1976)の監督に抜擢されていながら、あまりにしょうもなく首になった過去があるのです。 

そういう意味では、脚本がよかったのか、プロデューサーの手腕のおかげなのか、はたまた出演者の演技力にささえられたのか、カウフマン監督としては奇跡の一作ということができるかもしれません。 

実際、出演者がいい。男性陣はサム・シェパード、スコット・グレン、エド・ハリス、デニス・クエイド、女性陣はヴェロニカ・カートライト、バーバラ・ハーシーといった個性的な当時なら全員が助演賞をとれそうな人ばかり。特にイェーガー役のシェパードがいい。そして、家を出たら(死んで)帰ってこないかもしれない妻を演じるハーシーもいい。ビル・コンティの雄大なテーマ曲も悪くない。 

いずれにしても、60から70年代のベトナム症候群から脱却し、壮大な夢の実現 - アメリカン・ドリームを高らかに謳いあげた一作といえるでしょう。このあと事実上の続編的な「アポロ13」を生み出すことになります。 ただし、一方で「地獄の黙示録」、「デア・ハンター」、「プラトーン」といった病めるアメリカを客観的に見つめなおす作品に注目が集まることが多く、ある意味ノー天気なこの映画は片隅に追いやられた感があるのも事実でしょう。

2010年10月23日土曜日

泥棒成金

今週は映画ウィークということで、旧作ばかりですが芸術として娯楽として忘れられない作品を紹介しています。

映画の中にはいろいろなジャンルがあるわけですが、娯楽作品は一般的にB級扱いでアカデミー賞などでも冷ややかに見られていることが多い。最も、最近は内容よりも商業性のほうがまさっているような感じがしますけれど。

そういう意味では、映画の娯楽性、いかに観客を楽しませるかということを考え抜いて作品を作り続けたのがアルフレッド・ヒッチコックではないでしょうか。

ヒッチコックに対する思いはすでに書いてしまいましたし、娯楽作品としての傑作である「鳥」については、けっこう前にネタにしています。他の代表作としてしばしば名前が出るのは「サイコ」、「裏窓」、「北北西に進路を取れ」など、もうあげだしたらきりがありません。繁盛しているコロッケ屋さんみたいなものです。

ヒッチコックの作品を読み解くには、いくつかのキーワードがありますが、その代表的なものが「マクガフィン」です。これは話の展開の上で重要なもの、物だったり人物だったり、単なる言葉の場合もありますが、実はどうでもいいわけであくまでも「きっかけ」程度のことであるのです。

ヒッチコックはマクガフィンを効果的に使う天才で、観客はほとんどそれを意識することなくストーリーに没頭させられてしまうのです。

そして、次に「間違えられた男」がしばしば登場します。日常から非日常の落差が大きなスリルを生んでいくわけで、そういう意味では失敗作と言われている「トパーズ」は最初からスリルを持っているスパイが主役だったことがつまらなくしている要因かもしれません。

そして、ヒッチコックは短い画面展開 - カットバックを繰り返し行うことでハラハラドキドキ感を盛り上げたり、マクロ(俯瞰ショット)からミクロ(アップ)への画面転換で観客を一気に引き込んで効果的にサスペンスを作っていくことが得意でした。

映画は観客を裏切ってはいけない、というのもヒッチコックの映画哲学のひとつです。観客は登場人物に感情移入していくので、観客が期待する状況をうまく提示していくことが商業的な成功の秘訣であると述べています。

それを逆手にとったのが「サイコ」です。誰もが主役と思っている有名女優が物語の前半で惨殺されてスクリーンから消えてしまう。こんなことは、普通ありえない。これが観客によりいっそう大きな混乱と恐怖を与えているのです。

さて、そこでヒッチコック作品としては娯楽に徹して、サスペンスよりも比較的ユーモアの多い冒険活劇ものとして「泥棒成金」(1955)を取り上げてみます。

これは、明らかに当時ヒッチコックがお気に入りだったグレース・ケリーを撮ることが目的の映画と言っても過言ではありません。高級リゾートのリヴィエラを舞台に、ヒッチコック物にはおなじみのケイリー・グラントをちゃかして、遊び心をふんだんに取り入れているのです。

美人女優と人気男優、美しい風景、ユーモア、冒険という具合に、観客が文句なしに楽しめる要素がふんだんに盛り込まれました。まさに、観客の期待を裏切ることが無い、教科書的な娯楽作品なのです。ですから、「泥棒成金」は傑作とまではいえないかもしれませんが、適度の刺激を求めて映画館にきた人々を十分に楽しませることができました。

実は最近感じているのが、一連のトム・クルーズの作品。つまり、ヒッチコックの娯楽映画はかくあるべきみたいなところを、意識してかしていないのかはわかりませんが、けっこう影響されているのかなということです。最新作もキャメロン・ディアスの巻き込まれ型のコメディ要素も取り入れたサスペンス。

偉大なるヒッチコックが、映画を作る人たちに与えた影響ははかりしれないものがあって、直接的でなくても、さまざなところにその足跡が残されているということは間違いありませんね。

2010年10月22日金曜日

博士の異常な愛情

スタンリー・キューブリック監督の代表作と言えば、たぶん誰もが知っているものとして「2001年宇宙の旅」(1968)が当選確実だと思います。確かに、すばらしい映画で、エンターテイメントとしても、哲学的思索願望を満たしてくれるところも完璧です。

近未来バイオレンスの傑作「時計じかけのオレンジ」(1973)、中世完全再現の「バリー・リンドン」(1975)、心理的ホラーの傑作「シャイニング」(1980)、ベトナム戦争のアメリカ人の闇を描いた傑作「フルメタル・ジャケット」(1987)、夫婦間の深層心理学を抉り出した「アイズ・ワイド・シャット」(1999)。

「2001年」以後は、30年間でたったの5作品というのが驚きですが、その一つ一つが問題作であり、その濃厚な内容は他の映画監督とは一線を画するものでした。

「2001年」以前はというと、1951年からはじまるフィルモグラフィですが、最初の10年間はほとんど雇われ監督という扱いであり、正直言ってみるべきものは少ない。

そのピークにあるのがカーク・ダグラス主演の「スパルタカス」(1960)で、ただただ長いだけの当時流行した古代史スペクタクル映画の二番煎じでした。しかし、ここでキューブリックは自分流に仕事をすることに開眼したといわれ、完全主義者のキューブリックは次の「ロリータ」(1962)によって、初めて映画作家として認識されることになったのです。

そして、いよいよこの作品です。

正式なタイトルは''Dr. Strangelove or : How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb''であり、邦題も「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1963)というやたらと長い。

これは大戦後の冷戦状態で、被害妄想を膨らませ、核戦争の危機を現実のものとしてしまう完全なブラック・ユーモアを描いたもので、この時代の中での警笛として映画史上忘れることのできない作品となりました。

もちろん、キューブリックの映画術が最も前面に出てきているのは間違いないのですが、このブラックユーモアをサポートした人物として、脚本に参加しているテリー・サザーンの影響がつよく感じられるのです。

サザーンは「イージーライダー」の脚本家としても有名で、小説「キャンディ」、「マジック・クリスチャン」などの作品を通じて、60~70年代の病めるアメリカを代表する文化人と言う事ができます。

そして、もう一人主演+助演男優であるピーター・セラーズの活躍も大きい。セラーズは3役をこなし、それぞれの違う役どころを同じ人物が演じることで、さらにこの映画の混沌とした世界を効果的にシェイクしているのです。特にDr.Strangeloveの怪演は鬼気迫る名演です。

「2001年」前夜、キューブリックの映画人としての自信が始めて噴出した作品として、忘れてはいけない大事な映画として認識することにしましょう。

2010年10月21日木曜日

イノセント

1976年、イタリア映画。
巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作。編集作業段階で心臓発作のため、ヴィスコンティはわずかに69歳で死去。すでに書いたように、お気に入りの映画監督の一人です。

ヴィスコンティの映画は、正直言ってかなりハードルが高い。純文学のような、とにかく見て感じて、そして何かを語り合わなければならないような高貴さが満ち満ちている。

全体的に長めの映画で、しかも笑いの要素などは一厘も存在しません。しかし、どの映画を見ても、基本的なテーマ、あるいはコンセプトは変わることは無い。ですから、そこに絞って見て行くと、何となくわかったきになる。

つまりヴィスコンティが描くのは、繁栄・退廃・没落という世界です。もともと貴族出身のヴィスコンティは自ら、その過程を体験したのです。そして、第二次世界大戦のなかで、人間の本質とか、いろいろなものが見えてきたのでしょう。

没落の後に、さらに新生があったら、相当希望の持てる明るい映画になったでしょうが、ヴィスコンティは没落でおしまい。それがネオリアリズム・・・つまり現実ということでしょうか。

舞台から出発し、ルノワールの下で映画術を勉強。1942年「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で映画デヴューし、亡くなるまでの35年間で監督作品は17本というのは多くはありません。

「イノセント」では古いスキャンダル小説を原作として、19世紀末の貴族の退廃を描いています。好き放題の貴族が妻の浮気を疑い、苦悩した末に自分の子ども殺し、自らも絶望の中で幕を引いていく過程を、たんたんとつづっていくのです。

主演は、ジャンカルロ・ジャンニーニ。後年「ハンニバル」で殺されるために出てくるみたいなあわれな刑事を演じていましたが、これにはある意味泣かされました。

そしてその妻には「青い体験」でブレークした、当時のイタリアのセックスシンボル女優だったラウラ・アントネッリ。お色気以外何の取り得も無いような女優ですが、この一作のみによって永遠に映画史に記憶されることになりました。

それにしても、華麗な貴族の世界を描きつつも、まったく明るさがなく虚栄の極致とも言える描画はみていて息苦しくなります。華やかな別荘でも、美しい景色がこれでもかと出てくるのですが、主人公たちの愛情の欠如が雨雲のようにたれこめている。

ところが、実はヴィスコンティ・ファンとしては、そこがまたたまらないところなのです。そこでギャグでもでてきたら、すべてが台無しです。その重圧感を楽しむことが重要。

自由人を気取っているものの、その結果がもたらす重大な結末を受容できず、自ら滅んでいくこの主人公にはとても感情移入はできません。。デカダンのムード楽しみたいと思います。

2010年10月20日水曜日

ボギー!俺も男だ

1972年、アメリカ映画。

監督はハバート・ロス。70年代アメリカ・ニューシネマを代表する監督ですね。たくさんのちょっと軽めの笑いを入れたロマンス物が得意で、「ボギー! 俺も男だ」も初期のかくれた傑作ではないかと思います。

原題は'' Play it again, Sam''で、「カサブランカ」(1942)の中でハンフリー・ボガートが酒場のピアノ弾きに言う台詞。このあとに有名なAs Time Goes Byがはじまるわけです。正確にはagainは入っていないので、これはこの映画に込められた思いということでしょう。

ということで、まさにこの映画は限りなく「カサブランカ」を中心としてハンフリー・ボガートに対するオマージュが詰まった映画なのです。そして、ダンディの代名詞のようなボガートに憧れるダメ人間を演じるのがウッディ・アレン。

アレンは実際に脚本も書いており、そういう意味でも、まさにボガートにリスペクトしているのはアレン本人。アレンはアメリカ・インテリ階級(ある意味ベトナム戦争によって病めるアメリカ人の代表)の象徴みたいなひとですからね。逆にがちな男っぽさを振りまくボガートには、本気で憧れていたのだと思います。

ダメ人間の主人公は「カサブランカ」の映画が大好きで、何かとカサブランカのハンフリー・ボガートが妄想に登場して、いろいろあおってくる。友人の奥さん(後に私生活でもパートナーになるダイアン・キートン)に恋をするが、空港で別れを告げかっこよく決めるわけです。

スタッフ、キャストともに70年代を代表する人たちによる、シリアス・コメディの傑作と言える映画です。元ネタの「カサブランカ」と共に、一度は見てもらいたい映画としてご紹介します。

2010年10月19日火曜日

天国から来たチャンビオン

1978年、アメリカ映画。監督と主演はウォーレン・ビーティ。

スーパーボールでの活躍が期待されていたアメフトのクォーターバック(司令塔ですね)が、交通事故で死亡。彼は天国に行くと、天使長(名優ジェームズ・メイスンが演じていました)から、死んだのは間違いと言われる。

下界に戻ってみると肉体は荼毘に付され、仕方がなく奥さんに殺された大金持ちの体に期限付きではいることに。そこで、お金を物をいわせて、ロサンゼルス・ラムズ(実在のチーム)を買い取って、自分がクォーターバックをすることにしちゃうという荒唐無稽な話です。

もとからのコーチにだけは事情を説明し協力をしてもらう。金持ちの企業が公害を発生させていると知ると、そこから撤退。抗議活動をしていた美しい学校教師(ジュリー・クリスティ)と恋に落ちる。

ここにさらに奥さんと不倫に関係にある自分の部下がからんで、どたばたコメディ的要素が加わって、もうにぎやかな映画になっています。

スーパーボールを目前して、そろそろ金持ちの体が使えなくなる期限がせまり、主人公は恋人にいうせりふ。

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」

そして、分かれた直後に奥さんの陰謀で再び金持ちは殺される。スーパーボールがはじまり、試合の途中でラムズの正クォーターバックがタックルを受けて死亡。主人公は、彼の体に入ってチームを優勝に導くのです。

試合が終わって、スタジアムの通路を歩いていると、向こうから恋人がもとの金持ちのクォーターバックを探して歩いてくる。すると、通路の灯りが消され真っ暗になってしまいます。主人公にはもう、以前の記憶は消えています。彼は通路の出口の扉を開けながら、

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」と、言うのです。

彼女は何かをかじるのでした。そして、肩を並べてスタジアムを後にするのでした。

・・・って、なんかロマンチックでしょう。単なるラブコメディではありませんよ。アメフトのアクション的なところもあり、いくつもの要素が絡み合って、なかなかのテンポで進んでいくのです。そして、最後のしんみりした感じがまた最高です。

このバックで効果的な音楽を作ったのが、フュージョン音楽で有名なデイブ・グルーシン。18世紀の管楽器の合奏風の、風格はあるけど堅すぎない音楽が随所にちりばめられてムードを盛り上げます。

このあとウォーレン・ビーティはロシア革命の中に飛び込んだアメリカ人を題材にしたREDSという映画をつくります。ここでも、ダイアン・キートンとの絶妙な夫婦愛を描いて見せます。終盤、駅での再会シーンは映画史に残る隠れた名場面だと思います。

60年代終わりから始まる、アメリカ・ニューシネマといわれる映画の中で、ウォーレン・ビーティは「俺たちに明日はない」からのまぎれもないスターの一人であったことは間違いありません。

2010年10月18日月曜日

荒野の用心棒

うーん、いろいろな意味で有名な映画。1964年、イタリア製。

まず、黒澤明監督の「用心棒」のリメイク作であることは、設定・筋書きから明かであるにもかかわらず、許可を得ていなかったため盗作扱いされ、実際の裁判でも負けている。

アメリカで西部劇テレビシリーズ「ローハイド」で人気が出始めたクリント・イーストウッドが主演し、名実共にイーストウッドの名実共に出世作となった。

監督は今でこそ大物となったセルジオ・レオーネ、音楽も大河ドラマの音楽(武蔵)も作って超有名人のエンニオ・モリコー。当時はまったくの無名の駆け出しだった。

この作品からマカロニ・ウェスタンという言葉ができて、以後イタリア製西部劇は独特の人気を持つジャンルとして確立された。

まぁ、いろいろありますが、自分としてはイーストウッドの第一回映画主演作として、映画史に記録すべき名作であると認識しているわけです。

それまでのイーストウッドの出演映画は、B級映画の脇役ばかりです。ローハイドで人気が出たのはいいけど、契約上アメリカの映画に出れなかったので、イーストウッドは日本映画のリメイクの西部劇、しかもイタリア人が作るという胡散臭い話に飛びついた・・・いゃぁ、飛びついてくれてよかったですよね。

最終的には、どれだけ「かっこいい」ガンファイトを見せるかという所に向かって進んでいくわけです。ローハイドでは、どちらかというと好青年風の役柄でしたが、ここでは悪とも善とも言えないニュートラル、どちらかというと見た目にもダーティで、以後のイーストウッドのイメージを決定づけたということが言えます。

それが、ハリウッドがイーストウッドをB級俳優というような扱いをし続けることにつながるのは皮肉なことです。1971年からは映画作家として、自らメガホンをとるようになるわけですが、早くから独特な世界を作り上げていました。

ハリウッドがついにイーストウッドを評価したのは1992年の監督作品「許されざる者」でした。皮肉なことに引退して落ちぶれたガンマンという役所を自ら演じて、アカデミー監督賞を受賞したのです。

年を取るに従って老いを隠すことなく、こつこつと映画を作り続けたイーストウッドは、今や80歳。ハリウッドの長老として変わりなく現役として活躍続けています。まだまだ、これからも楽しませ続けてもらいたいと心底祈っています。

2010年10月17日日曜日

Il Giardino Armonico BOX

これまでにもクラシック音楽の中で古楽というジャンル、あるいはピリオド楽器による演奏(作曲された時代の楽器を使用する)は、自分の場合は否定もしないし肯定もしないという、まぁ言ってみればこだわっていないということを書いてきました。

作曲者の意図をできるだけ正確に演奏に反映させるというのは、ある意味正しい演奏解釈なのでしょうが、それを突き詰めてしまうと「演奏不能」ということになりかねない。

数百年前の楽器だけでオーケストラを編成することは不可能。そのほとんどは復元楽器です。演奏会場も、今のようなコンサートホールとはまったく違う響きをもっていたでしょう。

最大の問題は、演奏する側と聴く側の人々の意識がまったく違う。今は楽譜以外にも録音・録画の資料が豊富にあり、聴きたいときに何度でも聴き直すことができます。もっとも、それが本当の生きている音楽ではないという考え方もありますけどね。

ですから、自分の場合は音楽として気に入るか入らないかのことだけになってしまうのです。ただし、歴史的背景というのは無視はできないことで、例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタにしても、32曲を作っているあいだにピアノの著しい進歩があったわけで、それに伴い音域の拡大や技術的な革新という変遷があるわけです。

エリー・ナイアルバムにベートーヴェンが使用したフォルテピアノを使った録音が残されていますが、正直言うと歴史的な価値は認める物の、ほとんど残響もなくポコポコした壊れたピアノの音のような感じで、聴いていて気持ちはよくありません。

現代ではいとも簡単に演奏できるようなものもあれば、今となっては演奏のしようがないような場合もあるでしょぅから、楽器・楽典の歴史というのは知っていた方が何かと楽しみを広げてくれることに役に立つはずです。

ちょっと生意気な中学生の頃の自分はバッハを中心としたバロック音楽が好きだったのですが、これは楽器としてのチェンバロとパイプオルガンの音が気に入っていたからです。

ですから、あまり知識もなく初めてグレン・グールドのアルバムを買ったときは失敗したと思いました。バッハをピアノで演奏するなんてありえない、という気持ちだったんですね。特にグールドのノン・レガート奏法で、ペダルをほとんど使用しないので、よけいにピアノらしくもない音がダメで完全お蔵入り。

5年くらい前に、たまたまあらためて聴いたとき、なんか新鮮な新たな感動がありました。ジャズとかロックとかを聴いたあとで、感性がだいぶ変わってきたのだろうと思いますが、これはこれでグールドというジャンルの音楽として完成されたものと思えるわけです。

ピアノ以外に好きな楽器の音はチェロ。これはフルニエのバッハ/無伴奏組曲から始まるのですが、落ち着いた低音が心を癒してくれるのです。名手クイケンによる復元古楽器による演奏も悪くはない。

ヴァイオリンでも、最近はムローバやポッジャーのような古楽器奏者が注目を集めるようになっていますが、今のところ狙っているのはポッジャーのモーツァルトのソナタ全集。CD8枚で分売されたので、ボックス化されて廉価になるのを待ちわびているというわけです。

そんな古楽器関連の所有CDで、とりあえずお奨めなのがイル・ジャルディーノ・アルモニコの廉価版セット。イタリアの古楽器楽団としては、はずせないグループです。11枚のCDに代表録音がぎっしり詰まっていて、かなりお得な感じ。

ヴィバルディの四季やバッハのブランデンブルグ協奏曲などの有名曲は、イムジチの定番の演奏と比べて、かなりのスピードで過激な演奏と言えると思いますが、これがなかなか刺激的で楽しい。ある意味ロックに通じるところがあるかもしれません。

とりあえず古楽というのがどういうものを知るのには大変便利なセットで、是非一家に1セット。損はありません。

2010年10月16日土曜日

iPadに未来はあるか?

ぶっちゃけ、負け惜しみではありません。iPadという道具、少なくとも自分には向いているとは思えない。

理由① 大きすぎる。手帳感覚で使うには中途半端にでかい。

理由② どこでも使うためには3G通信の契約をしないとだめ。

理由③ やはり文字入力はキーボードが便利。

理由④ 根本的にアップルが嫌い。

なんだか、ひがみっぽい感じがしますが、現在携帯電話をスマートフォンのXperiaを使用していると、どこでも手軽にインターネットが見れるというのは大変助かるのは事実。

閲覧するには画面はでかいにこしたことはないというのも事実。指でさーっと動かす感覚は、慣れるとものすごく便利である反面、誤動作もしやすくいらつくことがある。


iPadを完全に閲覧専用の端末と考えれば問題はないのですが、当然いじっていると文字入力をする場面が出てくる。携帯電話の指入力が得意な人には問題ないのかもしれませんが、自分の場合キーボード以外のインターフェースはからっきしだめなのです。

携帯ですでに月に8000円近く払っているのに、さらに数千円追加して契約するというのもなんだかなぁ、という感じ。携帯のSIMMカードを挿入して、使用する端末を自由に交換できるようなシステムになったらいいんですけど(なりそうな気配はありますが)。

とは言え、いろいろ考えてみると、根本的な理由としてアップル嫌いというのが、最大の理由のような気がします。

もうかれこれ20年くらい前でしたか、アップルが話題になりはじめて、日本の代理店はキャノンだったんですよね。キャノンはシェアを拡大するために、使用するソフトを違法にコピーしたのを配布するという、今から考えると過激な作戦をとりました。

これでアップルに対する根強い不信感が形成されたわけで、もうどうあがいても払拭できるものではありません。

その後の製品の数々も、アップルの秘密主義には辟易してしまいます。特にi××シリーズはいずれも、アップル伝統のブラックボックスとなっていて、ユーザーはアップル戦略の囲い(ソフトもハードも)の中から抜け出ることができないような仕組みになっている。

もっとも、ただの家電製品みたいなものだと思えば、その方が便利でしょうけどね。実際、仕様としては今時のものとしてけして高級とはいえない中身ですが、ブランドイメージというのはすごいものです。

まぁ、とにかくそんな風に思っているユーザーもいるわけです。とにかくiPadが一つの起爆剤となって、よりコンピューティングが楽しくなるならよしとしましょう。

2010年10月15日金曜日

Fumiko Shiraga / Mozart Piano Concertos arranged by Hummel

クラシックである程度聴き込んでいくと、聴くものが無くなる。そりゃ、そうでしょう。ベートーヴェンにしても、200年くらい前に死んでいるわけで、当然新作は無い。どこからか、ピアノソナタ33番なんて譜面が出でてこないとは限りませんが、まぁ普通は期待できる話ではありません。

そうなると、お気に入りの演奏家のものを次から次へと聴いていくか、お気に入りの曲のいろいろな演奏を楽しむというのは自然の道筋ということになります。

とは言え、これにも限界がある。グレン・グールドは30年前に亡くなり、もう新しい録音が出てくることもないでしょう。

じゃぁというわけで、辻井くんを片っ端から聴き倒そうと思っても、まだ数枚のCDしかありません。

バッハのゴールドベルク変奏曲の世にあるすべての録音を制覇してみようと思っても、あまりにありすぎてとても無理。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは32曲全部聞くのにほぼ丸1日はかかりますし、とても何人も聴き続けることはできない。だいいち、お金がかかってしょうがない。

結局、そういうクラシックファンが、次に目をつけるところは「編曲物」というジャンルであることは必然の結果といえそうです。

作曲者自身が編曲する場合と、他人が編曲する場合。ほとんどそのままに編曲する場合もあれば、よくぞここまで変えてくれましたというようなことある。

以前にベートーヴェンのピアノ・ソナタを他人が弦楽四重奏に編曲したものを紹介しましたが、実はベートーヴェン自身もソナタ9番を自ら弦楽四重奏に編曲しているんです。スメタナ四重奏団の演奏で聞くことができますが、さすがに自分の曲だけに文句のつけようがありません。

モーツァルトは人気作曲家だけあって、いろいろな人がいろいろな曲をいじっているのですが、ピアノ協奏曲については直弟子のフンメルの編曲集は、モーツァルト編曲物の決定版といってもいいかもしれません。

ピアノ協奏曲をピアノ、フルート、ヴィイオリン、チェロという4人編成で演奏するようにしたものですが、弟子だけあって、当時のモーツァルトの実際の演奏に即したものと考えられています。

当時は、録音なんてことは当然できませんし、大編成のオーケストラが簡単にあちこちで演奏するわけにもいかない。ですから、こういう小編成に編曲したものがちょこちょこと演奏されることが、曲が知れ渡ることに大きな関係があったといわれています。

今回の白神典子の演奏は、このフンメル版に焦点を絞った好企画。この人は日本人ですが、早くからヨーロッパを舞台に活躍しており、特に「編曲物」を取り上げることが多いので、マニアには受けがいい。

以前にショパンのピアノ協奏曲の室内楽版を聴いたのですが、もともとオーケストラが下手くそなショパンですから音をそぎ落として、エッセンスだけにした室内楽版は大変いい感じで嬉しくなってしまいました。

モーツァルトのピアノ協奏曲では、オーケストラを最小人数に絞り込むフンメルの力に驚かされます。そして曲の中でのピアノの動きが手を取るようにわかるのが、実に楽しい。

原典至上主義と考える方には邪道な方向性だとは思いますが、改悪なら困りますけど、こんな楽しいいじり倒しは、もっともっとやってもらいたいものだと思うわけです。

2010年10月14日木曜日

東京女子医科大学付属膠原病リウマチ痛風センター

長いでしょう、この名前。でも、なんと言っても、日本で一番関節リウマチの患者さんが多い病院ですからね。多少長い名前でもしょうがない。

実際のところ、今の自分はここあってのものですから、何しろ新宿の方に足を向けて寝れたもんじゃありません。

東京女子医科大学というくらいですから、学生はみんな女性。と言う事は、卒業生で大学に残るのは全員女性です。実際は半分位は男性でしょうから、男性は全員他の大学から来た医者ということになります。

自分も東海大学の卒業で、卒業後10年間は母校にお世話になったわけですが、それから縁があって東京女子医科大学にトラバーユ。2000年から2005年までは正職員として在籍させてもらいました。

この間に、関節リウマチのイロハを勉強させてもらったわけですが、正直言ってそれまで知ったつもりだったリウマチ診療の常識を完全にひっくり返されたような、今までの不勉強ほどを思い知らされたのでした。

その一番は副作用という問題。ぶっちゃけ、ノー天気な整形外科医は薬の治療についてはあまり関心がありませんでした。ましてや、副作用なんてほとんど気にしていない。

膠原病リウマチ痛風センターのすごいところは、その膨大に症例数もさることながら、内科系と外科系の医者が一緒に仕事をしていることです。

初診の患者さんについても、分け隔てなく振り分けられます。それぞれの不得意なところは、隣の診察室にちょっと顔をだしてアドバイスをもらうことがすぐできたりするんです。

医局も一緒で、いろいろな相談や雑談の中から、いろいろな知識を整理して増やしていくことができます。特に2000年からは、怒涛の進化を続ける関節リウマチ診療の世界ですから、一人だけで勉強していてはとても追いつくものではありません。

自分は、今では非常勤講師という立場をいただいていますが、なかなか大学に恩返しをできる状況にはなっていない。月に1回の外来といっても、患者さんの数も多くなく、大変申し訳ないように思うわけです。

センターのホームページは、内科系と外科系全体のものですが、整形外科の独自のページもあります。ここを作っているのがセンターのホープ猪狩勝則講師です。この人はすごい。若くして、遺伝子関係からの基礎研究を早くからこなし学会の賞も受賞、これからの日本のリウマチ学を牽引していく一人になることは間違いない。

自分も開業して、自分からは新しいことを見つける立場ではなくなったので、こういう意気盛んな若い先生から、もらえるだけエネルギーを分けていただく気持ちが大切だと思っています。

センターは、これからも日本のトップクラスの施設として存在してもらいたいと思いますし、そこに少しでも関係がある身であることが誇りに感じられるというのは大変嬉しいことです。

2010年10月13日水曜日

Hiraly Hahn / Tchaikovsky Violin Concerto

チャイコフスキーの協奏曲というと、ピアノとヴァイオリンが有名で、まぁクラシックファンでなくても、たいてい聞いたことがあるものです。通の人は「チャイコのピーコン(Piano Concerto)」という呼び方をしていますが、「ブイコン(Violin Concerto)」という言い方はあまり使わない。

いずれも、かなり印象的なオーケストラの序章から始まって、1分くらいするとソロ楽器が颯爽と登場するわけです。ピーコンの場合は全体的に派手さが目立ちますが、ヴァイオリンではややじっくりと盛り上がっていく雰囲気があります。

どうもチャイコフスキーがヴァイオリンは得意ではなかったことが関係しているのかも。チャイコフスキーは自分ではヴァイオリンを弾かなかったらしく、いろいろ知人からアドバイスをもらって完成させたそうです。

完成した譜面を、当時高名なヴァイオリン演奏家であったアウアーという人に献呈したところ、こんなのは演奏不能といわれ相当へこんだそうです。挙句の果て、アウアーは難しい部分をばっさりと切り捨てて演奏して、比較的最近までそのアウアー版が標準として知れ渡っていたというのも驚きです。

さて、女流中堅どころのヒラリー・ハーン。今年の最新アルバムでは初めてチャイコフスキーを取り上げました。もちろんチャイコフスキーの原典版。とはいえ、最近の録音はアウアー版はほとんど無いようですから、それを売りにしてもしょうがない。

ここではヒグドンという現代の女流作曲家がハーンのために書き下ろした協奏曲とのカップリングというのがポイントで、新旧ふたつの協奏曲のコントラストがなかなか楽しいわけです。

それにしても、チャイコフスキーという作曲家、本当に美しいメロディを書く人です。当時のロシアの作曲家の中では、かなり甘い旋律に走るほうではなかったかと思います。ある意味、ポップスに近いかもしれません。

まぁ、誰が演奏していても十分に楽しめるのは、やはりもとの曲が良くできているということが大きいのだと思いますが、誰もがたいてい録音しているのでちょっとずつ聴き比べてみたいと思うわけです。

2010年10月12日火曜日

すすき

秋深し、隣は何をする人ぞ。
まぁ、そんなことを思い出している場合じゃありません。秋らしさというのは、随所にあるものです。ちょっと、あたりを見回してみると・・・
すすきです。さすがに仙石原のような見事なものではありませんが、十分に秋を感じさせる雰囲気が漂っています。

以前は、箱根にキャンプに行くことがよくあって、秋は仙石原で行き帰りにすすきの原っぱをよく見ました。視覚的に秋を感じるというのは、四季を持つ日本人としても大事なことだと思います。

2010年10月11日月曜日

伊勢詣

伊勢神宮には天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮があるんだそうで、そんなことも知らないのかと怒られてしまいそうです。

10月は出雲では神在月ですが、その他の地域は神無月と思っていたら、実は神様が出雲に集まるのは旧暦だそうで、実際は11月の話らしい。

そんなわけで、とうちゃんは故あって身動きのできない今年最後の連休である、昨日から我が家の母娘の二人は急に思い立ってお伊勢詣でに出かけていきました。歴女とまでは言わないけれど神社仏閣に興味をもつ娘とパワースポットが大好きな母親の小旅行です。

自分は高校1年生の修学旅行が伊勢・志摩だったので行ったはずなのですが、まったく記憶に残っていません(なんてバチ当たりなことか)。昨夜は宿で、きっと美味しい海の幸の夕食を食べたはずです。

伊勢参りは上方落語では東の旅というシリーズがあり、大阪から伊勢までの往復の珍道中は比較的若手の練習用として語られることが多い。しかし、現桂米朝が復活させた旅の最終話は1時間以上もかかる「地獄八景」ですから、なかなか手強い。

まぁ、それはともかく、おみやげにはおかげ犬をたのんでみました。その昔、伊勢参りに行くことができない人が、かわりに犬を伊勢神宮に行かせて参詣をしたという話からはじまるものです。

早速、お土産屋さんでみつけたおかげ犬の写真が送られてきました。直接足を運ぶことはできませんが、よろしくお願いいたしますだワン!!

2010年10月10日日曜日

Julia Fischer / Paganini 24 Caprices

ピアノを弾く人にとっては、バッハの平均律とベートーヴェンのソナタは制覇すべき巨大な山のようなものだそうです。同じような、一度はチャレンジせずにはいられない大きな目標はヴァイオリンにもあります。

それがパガニーニの作曲した24の奇想曲(24 caprices)とバッハの6つのパーティータとソナタではないでしょうか。いずれも無伴奏であることが、いっそう演奏者の気持ちをかき立てることは間違いありません。

無伴奏のヴァイオリン曲はテレマンやイザイの物も有名ですが、発売されている録音の数は比べものになりません。無伴奏は、まさに奏者の孤高の世界で、自分の感じるがままに好きなように演奏ができます。しかし、そこが逆に大きな落とし穴にもなっているところが怖い。

クラシックの世界は、楽譜に忠実に演奏することを良しとする人と、可能な限り独自の解釈を楽しむ人に分かれるように思います。無伴奏曲では、もしもすべての演奏者がまったく同じに演奏するようなら面白くはありません。やはり、奏者の個性をできるだけ感じてみたいものです。

ニコロ・パガニーニ(1782-1840)は超絶テクニックの持ち主で、悪魔の申し子のように思っていた聴衆も少なくなかったと言われています。24の奇想曲はパガニーニの代表作で、ヴァイオリン弾きに取っては、超絶技巧を要求される最高難易度の曲であることは今更言うにおよびません。

当然、歴代の名だたるヴァイオリニストで録音を残していない人はまずいないと言うほどのものですが、ピアノ中心に収集している自分の場合は、実はアッカルドの物くらいしかもっていないのです。

最近はピアノ収集も多少行き詰まっているので、室内楽にもてを出すようになりました。そこで、今のところ最も新しく発売されたユリア・フィッシャー盤を購入してみました。フッシャーは21世紀になって活躍し始めたヴァイオリニストの中では、最も躍進のめざましい一人でしょう。

現役女流の中ではムターが女王であれることは誰も異論を挟まないと思いますが、ではその後を追いかけているのは誰かというといろいろな意見がでてきそうです。順番ならヒラリー・ハーン。古楽系ならムローバかポッジャー。そしてその次の世代を担うのが、フッシャーとヤンセンという感じでしょうか。

ヴァイオリンを聴き込んでいない自分にはよくわからないところもあるのですが、フィッシャーのパガニーニはおそらく比較的こじんまりとそつなくまとめた感があり、悪くはないのですが何か物足りない感じがしました。

もう少し攻めるところを攻めて、泣かせるところは泣かしてもらいたかったような気がするのです。でも、ちょっと前に出たシューベルトのソナタは面白かった。協奏曲ばかりでなく室内楽を積極的にやるようになると、もっと面白い音が出るようになるのではないでしょうか。

2010年10月9日土曜日

骨肉腫

整形外科の守備範囲には、比較的悪性腫瘍が少ない。ところが、数少ない悪性腫瘍の代表が骨肉腫という病気で、やっかいなことにそのほとんどの患者さんはこどもなのです。

大人でも「あなたはガンで、死ぬか生きるか五分五分です」みたいな告知をされたら、冷静でいられることは少ないわけです。まして、相手は10代のこどもだと、それを理解してもらうというのは大変困難な作業になるわけです。

医者になって10年目くらいの頃に、大学にいてなんとなく腫瘍担当みたいになっていた時期がありました。特に腫瘍に興味があったわけではなかったのですが、偶然に数人の患者さんを同時にもつことになってしまいました。

骨肉腫はたいてい単純レントゲンで疑いを持つことになるのですが、たいてい緊急入院をしてもらわなければなりません。すぐにいろいろな検査を行い、早急に診断を確定して治療にはいらないと、病気はあっというまに進行していくのです。

患者さんにとっては楽な検査などはなく、入院して2週間くらいは大変な思いをしていたはずです。そして、最後に組織を一部取り出す生検を行い、病理診断で確定することになります。実際の所、ここからが本当の戦いの始まりなのです。

悪性腫瘍は、見つかったときにはすでに骨内転移を起こしていると思って間違いなく、見た目にわかる腫瘍だけを切除しても、命を救うことはできません。そこで、まず抗がん剤による化学療法を行わなければならないのです。

そこで、ここまでのことを、本人と親の両者に説明して理解してもらう仕事をしなければなりません。化学療法は、大変な苦痛を伴うので、こどもにそのことを理解して協力してもらうことはなかなか難しい。また、命に関わる重大な病気を親に冷静に納得してもらうことも簡単なことではありません。

しかし、何故か骨肉腫のこどもたちは大変素直ないい子ばかりなのです。何故苦しい治療を行わなければならないのか、そしてその結果がどのような期待がもてるものなのか、必死に理解しようと努力してくれるのです。

抗がん剤の治療が始まると、医者の側も大変なストレスがあります。薬を使った後、もしも何もしなければ確実に患者さんが死んでしまうような量の薬を使うので、毎日必死にケアを続け週末になると、何とか無事に今週は終えたとほっとすることの連続です。

以前、たったの9歳の女の子が骨折をして運ばれてきました。レントゲンで、明らかに骨が溶けていて骨折したことがわかり、骨肉腫が疑われました。検査の結果でも、間違いなく早速化学療法が始まったのです。

数週間にわたる化学療法に耐え、検査ではかなりの腫瘍組織が壊死したことがわかりました。そうなると、足を切断せずになんとか残すことが可能な状況になったのです。とはいえ、かなりの骨を切除するため、かわりに人工の骨を入れないといけない。

そこで両親に説明した上で、数百万円もかかる特注の人工骨を用意することになりました。というのも、まだ9歳ですから、身長が伸びるのでそれに合わせて人工骨も延長しないといけないからです。けして経済的に余裕がある家ではなかったようですが、両親は快く同意してくれました。

ところがしばらくして、突然母親から思っても見ない申し出があったのです。母親はある宗教の信奉者で、輸血が必要になる手術はどうしても賛成できないというものでした。何時間もかかる大きな手術ですから、輸血無しと言うことはとうていあり得ません。

それでも、自分の血液を輸血用に採り貯めておくという方法を説明して、何とかその場は理解してもらいました。ところが、数日後にやはりその方法でもダメだというのです。一方、信者ではない父親は、何とか自分から説得するので計画を進めて欲しいという意向でした。

ところがさらに数日して、その父親から、特注の人工骨の支払いをすることはやむを得ないが、輸血の必要のない足の切断手術をしてもらいたいとの話がありました。毎日、母親と言い争いになり、父親はもう心底疲れたと言うのです。本当に精神的にまいっている様子で、医者の側としてもそれ以上説得することはできませんでした。

結局、女の子は大腿部から足を切断することになり、自分が記憶する限り、これほどやっていてむなしい手術は他にありません。そして、切断した骨の標本の病理検査の結果、腫瘍組織が99%以上死んでいたことが確認され、ほぼ間違いなく足を残すことができたはずだったということがわかりました。

個人の宗教感については、他人がとやかく言うことはできません。しかし、親だからと言ってこどもの将来に重大な不利益を伴う結果を残す権利はあったのでしょうか。医者は患者さんのプライベートな部分にどこまで立ち入ることができるのでしょうか。骨肉腫の治療の経験の中で、一番考えさせられた患者さんでした。

2010年10月8日金曜日

平等と差別

今回は、かなりヘヴィなタイトルをつけてしまいました。あんまり、真面目なことを書くと照れくさいし、だいいち自分がそんなことを語れるほど立派な人間ではないと思ってしまいます。

ですから、まぁ勝手な思い込みみたいなものですし、読む方がいるならできるだけ軽く読み流してもらったほうがいいかと。

平等というのは、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」という説明は広辞苑。何しろ、日本語の辞書としてはもっともぶ厚いものに書いてあることですから、尊重しないわけにはいきません。

でも、すべてが一様で等しいなんてことがあるでしょうか。いろいろな立場の人々がいて、いろいろな価値観が混沌としたこの世界ではありえないでしょう。そうなると、やはり五代目立川談志師匠の言ったことが素直にうなずける。

つまり「平等」とは、お互いの差を認めることであるというもの。それまで、談志は落語の本流からは外れた噺家というイメージだったのですが、これを聞いてからは好きな落語家になりました。

そうです。差があって当たり前。差を認めないことは悲しいことで、やさしさとか思いやりは差に気がついて生まれてくる感情なのでしょう。そういう意味では、その差をしっかり認識することは「差別」ということなのかもしれません。

しかし、実際のところ「差別」というのは、そんな温かい感覚とはだいぶかけ離れたところで行われています。日本でも歴史的に「部落問題」を持ち出すまでも無く、陰湿な差別は厳然たる事実として存在し続けています。

差別では、互いの差を優劣という感覚で表現している場合が多く、ある意味誰かより優勢な立場に立ちたいというのは人の本能的な願望なのかもしれません。しかし、現実には「互いの差を認める」ことができれば、人と人の間には優劣は無くなるのではないかと思います。

例えば医者と患者の関係では、昔は「お医者様」という表現が語っているように、医者のほうが明らかに優位に立っていたわけです。経済的にも、医者は平均的な生活水準からすれば明らかに上のランクでした。患者は「病気を治してもらう」という立場から、すでに劣勢に立たされていたということもあるでしょう。

しかし、この20年間くらいの中で、病気を治すのは医者と患者との共同作業であり、どちらかが優勢に立つようなものではないということに医療界がきがついたのです。大変気がつくのが遅い話で、もう恐縮するしかありません。

ただ、最近はその傾向がさらに強まり、むしろ一部に患者のほうが優位に立つような動きがあることも事実で、誤解を恐れず言うなら、自分は強い違和感を感じているところもあります。これは、何も医者と患者との関係だけの話しにとどまる事ではありません。

人権というものを大切にする風潮が強まっている反面、個人の権利の主張が膨張して、他人を愛する部分と排除する部分の両極端の価値観が混迷を極めているのが現代社会ではないでしょうか。

あらためて言います。「平等」とは互いの差を認めること、そして「差別」も互いの差を認めること。おそらく二つの言葉の中間にあるのが真実なのでしょうね。

2010年10月7日木曜日

永遠に喝!!

今朝のニュース。親分死す。

もう、ずいぶんと前から日曜日の朝は、必ず8時からTBSのサンデイ・モーニングをかかさず見ています。1週間の社会の動きをわかりやすく説明してくれますし、またちゃんとしたコメンテーターの方々の意見も大変参考になる。

それにもまして、大沢啓二と張本勲が加わってのスポーツコーナーが楽しい。もはや、このコーナーがメインといっても過言ではない。二人の入場には、楽しい大沢親分の歌がついて、いろいろなスポーツに「天晴れ!!」「喝!!」というのも楽しい。

9月までの放送はいつも通りでしたが、先週の10月3日の放送では、入場の歌が無い。というよりも、親分がいない。あれっ? と、思っていたら司会の関口宏が「今日は体調を崩したのでお休み」というアナンウスをしました。

やはり、親分無しのスポーツコーナーは何となくしまらない感じがしたばかりで、このニュース。もう、あの名調子が聴けないと思うと、本当に寂しい思いです。野球界を本当に盛り上げてくれたて偉大な方だったわけで、これからはあの世で「天晴れ」を連発してもらいたいものです。

合掌